9月4日に帰宅した時、ついに私は「もう教習所には行きたくない」と夫に言いました。「やっぱりみんなが反対したのは当たっていたんだよ。こんなにやっても見極めもらえないんじゃやっぱり向いてないんだよ。人間には、向いていることと向いてないことがあるんだよ」と。
「せっかくもう少しで検定までいったんじゃないか。夜の教習に行っているから、目線が近くなってしまってダメなんじゃないのか?」と夫は言いましたが、私はもう車には乗りたくありませんでした。
「お母さんがあんなに反対した理由を身をもって体験できたんだからいいじゃない。もう免許取りたいなんていわないからさ。だから30万の投資も無駄じゃなかったよ。」私は更に続けました。
「私に車を運転させるなんて、所詮無理だったんだよ。例えば、手足が自由に動かない人にいくら運転させようったって、それは無理な話でしょう。私に運転させるのは、それとおんなじことなんだよ。それに、最初の頃は教習も面白がって行ってたけれど、今では教習はストレス源でしかないよ。会社よりストレスだよ。こんなにストレスがたまったら、治る病気も再発するよ」
私がことあるごとに抜いている「伝家の宝刀」は「こんなことでは病気が再発するよ」でした(抜いてばかりでは伝家の宝刀とは言わないのですが)。「ストレスを貯めることが、今の身体には一番よくない。身体はがんにかかってしまった時点で、悲鳴をあげているのだから、できるだけストレスを貯めずに無理をしないことが、再発させないポイントです」と、心療内科の先生にいわれていました。このときの私には教習はもはやストレスにしか感じなかったのです。
私の抜きっぱなしの伝家の宝刀を見た夫は、もう何も言わないからしばらく教習を休んだらと言いました。しかし、解約したりするのはちょっと待ちなさい、と。そこでしばらく私は教習所のことを忘れることにしました。
そんな時に、実にタイムリーな特番がありました。「五体不満足」の著者で知られる、乙武さんがなんと運転免許をとったのです。その免許取得までのドキュメンタリーでした。
乙武さんの場合、まず「乙武専用カー」を作るところから始まります。車社会のアメリカに行き、身体障害者の方でも運転できる特殊な車を多く設計、デザインしている会社で1年がかりで作りました。アメリカでは、JOYSTICKという、一本でアクセル、ブレーキを兼ね、軽い力で回る障害のある方専用の運転機械が搭載された車がたくさんあります。また、そのころ日本の道交法が改正されて、今までは乙武さんほどの障害のある方は運転が不可能だったのが、きちんと対応した車を作れば免許取得が可能になりました。
やっとできあがった専用カーですが、これが日本の車検に通るかどうか厳しいチェックがあります。日本にはまだまだJOYSTICK搭載の車は少ないのです。そしてやっと検査に通ったので、いよいよ教習が始まりました。
乙武さんも、教習には苦労していました。左折やS字やクランクがうまくできず、スランプにも陥ります。今までどちらかというと勝気だった乙武さんが、珍しくカメラの前で弱音を見せていました。それでも、あきらめなかった乙武さんは、あるときふっとスランプから抜け出し、仮免試験も本免試験も一発で通って、免許取得後すぐに仙台に車を走らせたのです。
乙武さんの教習の姿を見ているうちに、今まで「もうストレスだからやめる」と思っていたのですが、「もうちょっとだけ踏ん張ってみようか」という気持ちがちょっとだけ起こってきました。そして、また半月ぶりに教習所に電話をかけ、土曜日の午前中に教習の予約を取りました。