子宮頚管無力症

 子宮頚管というのは子宮の入り口にありますが、普通妊娠中は十分な長さがあり、子宮の入り口(子宮口)は固く閉じられています。出産予定日が近づくと少しずつ子宮口が開いて子宮頚管も短くなってくるのです。初産の場合は予定日過ぎても全然子宮口が開かなくて、予定日より遅れてしまうことが多いものです。
 しかし、予定日前に子宮口が開き、頚管が短くなってしまうのが子宮頚管無力症です。切迫流産や切迫早産の原因の1つとなります。子宮頚管無力症と診断される場合には、子宮の収縮(お腹の張り)や出血などの症状があまり見られずにいきなり子宮口が開いてしまうことがあります。自分での早期発見というより、内診で気がついたり流産しかかって初めて気がついたりすることもあります。

 私の場合は、完全な「子宮頚管無力症」ではなく「無力症の傾向にある」という診断でした。16週(5ヶ月) の時、夜間に下腹部痛が続いたので、念のために病院に電話して診てもらうことにしました。下腹部痛の原因は、子宮が大きくなることで起こる生理的なものだったのですが、内診したら子宮口が開いていると診断されたのです。「へっ?」って感じです。だってまだまだ開くには早すぎる時期じゃないですか?
 それからしばらく自宅安静になり、一時的には状態が改善されたものの、またも下腹部痛を感じて受診すると、子宮頚管が短くなっていると言われて深夜に速攻入院となってしまいました。これが19週の時です。
 この時は正直かなり動揺しました。もうダメかもしれないな、ということが頭をよぎりました。しかしその一方で、「なるようにしかならないさ」と、4年前の乳がん告知の際と同じようなことを思っていたものです。
 前述した「ウテメリン」の24時間点滴が始まり、しばらくはベッドから出られずに洗面もベッド上、ポータブルトイレを置かれる生活となりました。まもなく状態が落ち着いたので、点滴台をガラガラ転がしてトイレと洗面所だけは行けるようになりました。この間、お風呂は入れませんので毎日蒸しタオルで身体を拭いていたのですが、点滴の針が差しっぱなしなので着替えの時も助産師さんに手伝ってもらわないとできないのです。でも、この入院のおかげで病棟の助産師さん全員に乳がん手術の傷跡を見られ、私の病歴も理解していただけたのはよかったかなと思いました。点滴の針は3日に1度差し替えるのですが、私の場合術側の右腕に差すことはできません。しかし左腕の血管は出にくいので、差すのにいつも苦労されていました。

 入院して2週間したころ、今後の方針が決まりました。点滴で子宮の収縮は落ち着いたものの、子宮口は開いているし、今後胎児が成長したら重さに耐えられずにもっと開いてしまう可能性もあるので子宮口を縛る手術(シロッカー術)をする、というものでした。手術といっても子宮口をひもで縛るだけなので簡単なものですが、腰椎麻酔をかけるのでオペ室で行います。手術は22週の時に行いました。前日の夜から絶食となり、当日は朝から点滴です。手術着に着替えてストレッチャーに乗せられてオペ室に向かいました。まるで4年前と一緒です。オペ室に入って麻酔を打たれますが、腰椎麻酔なので意識は残っています。麻酔を打たれる時の痛みや腰から下がしびれていく感覚がなんとも気持ち悪いものでした。手術自体は本当にすぐに終わってしまいました(まだ準備をしているんだろうと思っているうちに終わってしまったのです)。
 手術後は再びウテメリンの点滴を受けましたが、私の場合は子宮の収縮は落ち着き、飲み薬で対応できるようになったので術後2週間で退院できました(ここで飲み薬での対応が厳しくなると、入院続行になってしまいます)。退院後2週間の自宅安静を経た後の健診で、ようやく安静状態が解除され、日常生活が送れるようになったのです。幸いその後は状態が悪化することなく臨月を迎え、37週に入って「いつ生まれても構わない」状態となったので、縛っていた糸を抜きました。抜く時は麻酔はかけずに内診台の上で抜いたのですが、これが結構痛いものでした。
 その後に待ち受ける痛みのすごさをこの時はまだ知らなかったのですが・・・

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