出産(2004年11月18日)
ついに予定日となってしまった。いつも通りに起床、夫もいつも通りに出勤した。起床時の体調はいつもと変わらない。今日は健診日なので、出かける前に洗濯をすませておこうと洗濯機のスイッチを入れた。
それから朝食を摂り、トイレに行くとごく薄く出血している。これがたまごクラブに書いてあったという「おしるし」なのだろうか?
外来が開くのを待って電話すると、「今日が予定日ですから、健診の予約時間を待たずに来てください」ということである。夫と実家に連絡を取り、準備ができ次第出かけることにした。
健診の結果によっては入院するかもしれないので、やりかけていた洗濯物を干し、ゴミの始末や部屋の片づけをしたら結局10時になってしまった。とりあえず手荷物を持って家を出る。通りへ出て流しのタクシーに乗った。結果的にこの後入院できたので「いざというときにタクシーが捕まらなかったらどうしよう」という心配は杞憂に終わり、ほっとした。
病院に到着。受付を済ませるとすぐに呼ばれて内診となった。臨月の内診は痛い。それに激しく出血してしまった。
先週とは違って子宮口が2cmほど開いているというので、NST(ノンストレス検査)を受けてくるように言われる。前回とは違って今度は子宮収縮の波形が現われた。この結果を診察室に持ち帰ると、自宅まで距離もあるのでこのまま入院して陣痛を待つようにとの先生の指示がでた。
夫に連絡すると、午後は早退してくれるというので、自宅に置いてある入院荷物を取りに行ってもらうことになった。
母が来てくれていたので、昼食は病院近くのコンビニでお弁当を買ってきてもらう。その後病室に移ったが、まだ陣痛が来ていないので好きに過ごしてよいと言われる。夕方まではシャワーを浴びたり本を読んだりしてすごし、夕食となった。その日は夕方に母と夫は帰宅することになった。
病室で「トリビアの泉」を見ていた。先ほどから張りが来るたびに生理痛のような痛みがついてくる。時間は10分〜15分間隔だ。
助産師さんに話すと、まだ陣痛ではないから「痛みが強くなるか、確実に間隔が10分をきったらもう一度連絡してください」とのこと。
母親学級でもらったテキストやたまごクラブをもう一度読んで出産の流れを予習してみる。
どうやら、痛みが確実に強くなってきた。生理痛のレベルを越え、痛みが来ると動作が止まってしまう。時計を見ると10分をきってきた。痛みの合間に分娩室に行って所産師さんに話すと、今度は貴重品を持って陣痛室に入っていいというので財布を持って移動。陣痛室は以前にも入ったことがある和室だった。夫にも連絡して来てもらうことにした。
夫が到着した。勤めを休む連絡を入れてくれたそうだ(教諭なので授業を振り替えることになる)。このころはまだ痛みの間隔も10分、それほど強いものではないので、合間に会話をする余裕があった。
痛みがしゃれにならない状態になってきた。本気で痛くなってきたのだ。それも、今までは生理痛のような下腹部の痛みだったのがだんだん腰にくるようになったのである。それでも眠気もあってか、痛みが去るとうとうとと眠くなってしまい、痛みで目が覚めるという状態を繰り返している。夫もそばで半分寝ている状態だった。
トイレに行くことにしたが、痛みがくると動作ができなくなるレベルになってくる。時間は5分間隔となり、強→中→中と3段階の痛みの波がくるようになる。しかしこの状態でも、まだたいしたことはないらしくて助産師さんは一度様子を見にきただけだった。
担当の助産師さんが日勤のかた(とりあげてくださったHさん)に交代された。このころにはもう痛みの間隔は2〜3分ほどになり、痛みの持続時間もかなり長くなっていた。もはや痛みが来ると黙っていられるレベルではない。無意識にでも「痛い〜」と声が出てしまうのである。
これまで着ていたパジャマを分娩服に着替えることになったのだが、痛みのためになかなか思うように着替えることができない。
陣痛室に朝食が運ばれてきた。出産には体力を使うので、食べられる限りは食べた方がいいのだという。しかし、とても食べられる状態ではなかった。今食べたら確実に吐くだろうと予測がついたのである。
このころ病院では、看護大学の学生さんの実習を受け入れていた。そのため「よければ学生さんにも立ち会っていただきたいのですが・・・」と言われて、もはや考える余裕もなかったのだが「いいですよ」と答えた。まもなく助産学専攻の学生さんと指導教官の先生が入ってこられて、先生からは挨拶があったのだけど、痛みのために朦朧として応対した覚えがある。
助産師さんに付き添われて、トイレへ。しかし痛みのために止まってしまいなかなか用を足すことができない。
陣痛室に戻り、内診をするという。「先生を呼んでくるのか?」と思ったら助産師さんの内診だった。子宮口は順調に開き6〜7cm開いているという。「この分だと生まれるのは午後3時ごろです」と言われて、「そんなにかかるんですか?あと6時間もこの痛みに耐えつづけなくてはいけないのか?!」と半ば絶望的な気分になってしまった。
それほどこの時の痛みはもはやハンパなものではなくなっていた。例えていうならば、腰をプレス機で粉砕したらこんな風に痛くなるだろう、という感じである。もはや乳がんの手術の後の痛みなどこの時の1/100程度の痛みだった。あの時は術後の傷がどんなに痛くても黙っていられた。でも数時間前から黙っていられないのだ。痛みが来ると「痛いよう」と絶叫してしまうのである。
「リラックスするためにアロマをやってみますか?」と聞かれた。そういえば、どんなお産をしたいかという「バース・プラン」を書いて事前に提出させられたのだが、「リラックスしたいので妊娠中からやっているアロマを持ち込みたい」と書いたのである。しかしこの時の私にはもはやアロマなどどうでもよかった。香りでこの痛みが吹っ飛ぶとは思えない!それより痛みがくると絶叫になってしまうのを我に返らせてくれるのが助産師さんが「フー、フー」と言ってくれる呼吸法のリードなのである。
母が来てくれた。昨日の夜に夫が連絡して朝から出てきてくれたのだった。
痛みは前よりも強くなっていった。朝食のトレーはまだ置かれていて「食べられますか?食べた方がいい陣痛が来ますよ?」と言われたのだが、やっぱりとても食べられそうもない。その代わりに痛みの合間に水やポカリスエットを飲ませてもらった。陣痛はとにかく痛みの波が来ると痛いのだが、波が来ない時はウソのように痛くないのである。もしずっと痛み続けたら生きていられないだろう。かくして生まれるまで私はポカリスエットだけで体力を維持することになった。
助産師さんも時々席を外してしまう。その時は学生さんが呼吸法のリードをしてくれるのだが、学生さんまで外してしまうと、もう痛みの時にはパニックに近くなってしまい、すぐにナースコールを押してしまった。前日にテキストで予習をしたのにプロの助産師さんにリードしてもらわないと何もできなくなる。夫よりなにより心強いのは助産師さんの存在だった。
痛みの間隔は1〜2分になり、持続時間も1分くらいになっていただろうか、さらに強くなっていった。もうこのころは「痛い〜助けて〜」状態である!内診をしてみると子宮口は8〜9cm開いていた。
この時私は布団に横になっていたのだが、寝ているより起き上がった方が早く進むというので「起き上がってみましょう」と言われるのだが、動作を1つするだけで絶叫するほどの痛みがくるのだ。何分もかけて起き上がり、大きなクッションを抱きかかえるようにして座った。
起き上がると寝ている時よりさらに痛みが激しくなる!腰から全身が砕かれるようになるのだ。夫は後ろから支えてもらい、痛みの合間に母に水やポカリスエットを飲ませてもらう。そのうち痛みとともにおもらししたような感触があった。破水したのである。
子宮口はほとんど開いてきているが、一部分だけ閉じているところがあるので、もう少ししてここが開いたら全開したということになるらしい。
この頃になると痛む部分が腰のだいぶ下の方で感じるようになってきた。また「いきみたい」という感覚が出てきたのだ。しかしまだいきむには早いので、痛みが来たら呼吸で逃さなくてはいけない。
テキストには「いきみを呼吸でのがします。このあたりが一番辛いところですがもう少しです」と書いてあったのだが、実際に経験するまではどういうものなのかピンとこなかった。しかし本当に出産の全過程で一番キツイのはこの部分だった。例えて言えば、汚いたとえだがお腹を壊してどうにも痛いのにトイレに行ってはいけません、痛いままでいてください、と言われて痛みを我慢するようなものなのである(ただし痛みのレベルはお腹を壊した時の100倍くらいである)。今振り返ってみてもここが本当に山場だった。痛みのレベルも最高潮だ。これまで「痛い、痛い」と言いながらどんどんレベルが上昇していったのである。先ほどから使っているクッションももはや抱きかかえることができず痛みが来るとのけぞってしまう。「痛い、助けて、麻酔を打ってください」と叫んでいたような気がする。それでも助産師さんの声に我に返って無我夢中でリードされるままの呼吸だけをしていた。
子宮口がついに全開になった。もういきんでいいですよと言われて、痛みが来るたびにいきんでみる。2回ほどでだいぶ胎児が下に降りてきたらしい。
もう少し早く進めるにはトイレに行って膀胱をカラにした方がいいのだが、もはやこの痛みの強さと間隔では行くことができないので導尿することになった。さすがに夫と母には外してもらう。終わるとかつてないほどのものすごい痛みがきた!
ついに分娩台のある部屋に移動することになった。移動する間にも痛みが襲ってくるが、ここでいきんではいけないのでまたも我慢することになる。分娩台にあがり、何かあった時にすみやかに点滴できるようにと血管確保をした。立会い分娩希望だった夫も入ったが、母は分娩室の外で待機することになった。
午後1時50分、朝から付き添ってくれた助産師さんと学生さんのほか、別の助産師さん数人と学生さんの指導教官の先生も分娩室に入り、それではいよいよですので始めましょうということになる。足は台の上にのせ、分娩台のグリップを握って痛みがくるたびにいきむのである。痛みは最高潮なのだが、それにあわせていきむと、さっきまでの「痛みをただ逃している」状態よりだいぶ楽になった。いきむときに声を出してしまうと力が入らないので声を出さないように、と言われる。もう顔の血管が切れそうである。まるで便秘が何日も続いた後に、巨大な硬いウ○コをするような要領なのである。
何回かいきんだあと、いよいよ生まれそうだというので医師が呼ばれた。出産に立ち会うのは今までの健診での主治医ではなく、その日の病棟担当の先生である。38週で一度診てもらった女医さんだった。
麻酔をして切開する。もう1度いきんでくださいと言われると頭が出てきたらしい。「もういきむのはやめてください」と言われるがままの呼吸をしているとつるつると何かが出てきて産声が響き渡った。その瞬間あれほどの腰を粉砕した激痛が一気になくなったのである。
しばらくすると胎盤が出てきた。その後へその緒を切られた子供がお腹の上に置かれた。生まれたての子供と一緒に写真を撮ってもらうと、子供は計測のために助産師さんに連れられて出て行ってしまった。夫も計測に立ち会うために出て行く。
私の方は産んだ後2時間は分娩台から動けない。まずは切開した部分を縫った。その後子宮の収縮が悪いというので、あらかじめつけてあった点滴に収縮剤を入れ、お腹にアイスノンをのせてウエストニッパーをつけた。検温や血圧測定なども行い、分娩服からパジャマに着替えさせてもらう。全て終わって分娩台が片付くと母が入ってきた。その時どんな会話をしたかはここには敢えて書きません。
子供が計測を終えて戻ってきたので、まだ出るか分からないけれど母乳をあげてみましょうということになった。健側の左乳首を含ませてみるとパクッとくわえたのである。これから徐々に吸えるようにトレーニングをしていくことになる。
分娩後2時間、子宮収縮剤の点滴も終わり、出血も多いもののそれほどひどくはないので車イスでトイレに移動した。しかし産後すぐはトイレに行っても用を足せない人が多いらしく、私にもムリだったので再び導尿してもらった(その後はできるようになった)。その後入院中のスケジュールについて説明を受け、産後病室へ移動することになった。
病室に戻り、すぐに夕食。分娩後ウソのように食欲が戻り、完食した。母や分娩後に駆けつけてくれた妹は帰宅し、夫は持参した弁当で一緒に夕食を取った。食べていると、これまでの産科の主治医である部長先生が入ってきた。顔色がよくないので早く寝なさいという。
食後は抗生物質と子宮収縮剤を内服した。これは3日間飲むことになる。夫が帰ったあと、私は知らせてほしいといわれている友人に携帯メールを打ちまくった。
消灯時間前に寝たのに、なぜか目が覚めてしまう。眠れないので新生児室に向かうと我が子が眠っていて抱かせてもらった。明日から母子同室での生活が始まるのだ。その夜さらにお腹がすいてしまった私は、持ってきていたチョコレートを夜中に食べてしまった。あれほど陣痛に苦しんだのに現金なものである。

以降のことは「その後の話」に移ることにします。
さぞや出産は大変なものだろうと思われるかもしれませんが、母子手帳の記録では分娩所要時間は12時間23分となっており、初産としては極めて標準的な時間です。出産の全過程の中で医師が登場したのが最後の切開だけですから、これは安産の部類に入ります。分娩台に上がってから生まれるまでの時間はわずか17分、これは記録的な早さです!

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