暁の茶事は厳寒の頃、夜明けの風情を楽しむ茶事です。
通常、午前5時頃の席入りとなります。
ですから、寒い中、亭主はほとんど徹夜で準備をしないといけませんし
招かれたお客様もまた、真冬の夜中に起き出して、茶室に向かわないといけません。
そんなこともあり、なかなか開催されにくい茶事となっています。
2016年3月27日
14年前に暁の茶事を3回しました。
初回はグループ茶事でした。
スタッフが数名、会場に泊まり込んで実施したのが初の暁の茶事体験でした。
手さぐりで試みた茶事だったのですが、
茶友にその事を話した所、お客になりたいと言って下さった方と、
お客で招いて下さった方がいました。招く経験が2回、招かれたのが1回です。
いつでも出来る茶事ではありませんが、
それでもその3回の経験から14年経過してしまったのは年月の早さを感じます。
前回までの暁の茶事で出来なかったこと、
それは多分、主客が一体となって茶事を楽しむゆとりではなかったか、と思います。
14年前はまだ若く、
情緒などちゃんと感じられたんだろうか?という疑問が残っているんです。
まあ、体力がありました、それ以後14年で、茶事も茶道も経験を積みました。
反比例して体力が落ちました。
以後、自身で暁の茶事をする事もないかもしれませんので、
家族が旅行で留守になるこの日に暁の茶事をする事にしました。
多分、これがワンチャンスなんです。
前回の経験から考える暁の茶事の要領は
待合の行燈の揺らぎ
初入りの露地の闇
初炭の濡れ釜
懐石途中で茶室に入り込む朝の表情
中立ちで迎える露地の朝
後座の釜から立ち上る湯気
客になった経験を加えると、深夜に茶室に向かう緊張感も魅力です。
前回の反省を生かして今回いろいろ工夫したのが和蝋燭についてです。
初回はグループ茶事で体験会でした。
反省会でお客様が蝋燭の揺らぎを感じられないとおっしゃいました。
やはりそこまで気持ちが行き届いていなかったのだと。
今回は幾種類かの和蝋燭を準備して比較してみました。
夜間に蝋燭に火をともして揺らぎを確かめました。
燃焼時間にも留意しました。
試した中で揺らぎの最も多いものを待合の行燈に使用しました。
これは正解でした。
暁の茶事は残灯の茶事とも言います。
待合でお客様をまず出迎えてくれるのが行燈の揺らぎなのです。
この行燈は良い仕事をしてくれました。
灯りのもう一つは露地です。灯篭に初めて実用の火を入れました。
「灯篭は庭の飾りとして置かれている事が多いのに、
この灯篭は灯りを入れてもらって幸せですね」と正客さんの言葉。
この正客さんをお招き出来て私も幸せでした。
灯篭には手作りの障子を嵌めました。
和紙を通した和の灯り、柔らかいやさしい灯りが暁の茶事の灯りです。
今回は電灯をどこにも使用せず、蝋燭だけを使用しました。
暁の茶事は けやけやしき を嫌うといいます。
事前に灯りも比較をしてみると、目に映る優しさと
けやけやしさの違いがが良く理解出来ました。
八畳の茶室の炉縁はイジ塗りにしましたし、他の道具類も反射を極力抑えました。
初炭の濡れ釜の風情も暁の醍醐味です。
後炭所望や廻り炭を修練をした人なら特に難しく考えなくても出来ますが、
お客様の目には濡れ釜がご馳走になります。
懐石はすべて自分で作りました。準備は思ったより大変でした。
数度の買い物、直前の買い出し、準備に必要な時間が少なくなります。
途中で懐石を依頼する考えもよぎりましたが、
ワンチャンスの茶事ですから、ここはやはり自分自身で。
暁の茶事は残灯の茶事に加えて別名、夜込の茶事ともいいますが、
特に懐石部分に関しては、夜込の茶事という言葉がピッタリです。
懐石は焼き魚を抜いた朝茶事に準じる懐石にしましたが、どこかで省略すべきでした。
飯後の茶事の工夫を入れて、時間短縮を心掛ける方が良かったと思います。
客3名で4時間掛かりましたので、あと30分短縮したかったです。
感謝しているのは半東さんの存在です。
家族は留守でしたが、茶友が停まり込みで茶事を支えてくれました。
待合への汲出しの運び、露地の灯火の管理、懐石の補助など、
一人ではでき兼ねる部分をカバーしてもらいました。
半東さんの存在があって初めて今回の茶事が出来ました。
やっと、14年前の確認が出来ました。
まずは満足しています。
前回の経験があってこの茶事が出来たと思います。
機会があれば今回の反省点を加味して今一度、暁の茶事をしてみたいと思います。
いつか実施出来ますように。14年後でしょうか?まあ、まずは体力ですね。
NO,166
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