平成20年3月22日(土)箱根の田中一幸さんを訪問した。

 右写真は、入れ子の七福神である。
 田中さんの作品である。

 福禄寿、弁財天、大黒天、寿老人、布袋、恵比寿、毘沙門天、最後に小さな打ち出の小槌と、順に並んでいる。
 2枚目の写真は、田中さんが預かっておられる別の入れ子の七福神である。
 これを作っていた人は仕事をやめてしまったので、もう購入できない。
 一番大きな人形が福禄寿であることは判るが、小さな人形は何を現しているかよく判らない。
 右写真は私がセルギーエフ・パサートの玩具博物館で撮影したものである。
 先の七福神と良く似ていることが判るだろう。
 この作品は、ロシアの文献では「フクルーム」または「フクルージ」という名前で紹介されており、最初のマトリョーシカが作られたとき参考にされたと伝えられている作品である。
 
 私は、最近まで、マトリョーシカのモデルになったと伝えられている箱根の七福神がまだ作られていることを知らなかった。
 偶然ネットサーフィンで田中さんを紹介されているページを見つけ、連絡を取って頂き、田中さんを訪問した次第である。
 2枚目の写真は、作者が3年ほど前に作るのをやめられたので、問屋さんから田中さんに「できないか」ということで持ち込まれていたものである。
 というわけで田中さんに色々と教えていただいた。
 田中さんのお店の一隅にある木型や作品群である。
 田中さんは、まず花独楽という縁起物の小さな独楽(上)、続いて卵を作ってくださった。

 花独楽は「金のまわりが良くなるように」という縁起物で、財布に入れておくために極めて小さく作られるが、それでも独楽として実際に回せるものである。

 大きさを示すためにマッチ棒の上に乗せてみた。(右上)
 右は財布に入れるために袋に入れた状態である。開運独楽という文字の独の横に独楽が入っている。

 道具と機械について説明しておく。
 右下の写真がわかりやすい。
 まずモーターである。
 モーターの先の回転部分が円筒状の金属のチャックになっている。
 この金属のチャックに木製のチャックを打ち込む。
 さらに木製のチャック(木型)に作品(材料)を打ち込む。
 こうしてモーターに固定されて回転する材料に刃物を当てて形を削りだすのである。
 
 田中さんはモーターに向かって、正面から仕事をされる。
 正面から作品に向き合うと、なんだか「ろくろ」という言葉がぴったり来るような気がする。
 因みにロシアで見たマトリョーシカを削る職人は、横から作品に刃物を当てていた。
 私のかってな言語感覚かもしれないが、横から刃物を当てると旋盤工という感じがする。
 下はお店のショーウインドウである。
 前にあるのが入れ子の12卵。
 奥に独楽や桂文珍さんを描いた卵が見える。

 下右が最初に紹介した田中さん作の七福神。横に文珍さんを描いた卵が見える。
 右写真は田中さんがソ連時代に購入されたマトリョーシカ。
 私のコレクションと比べると随分あっさりした絵付けである。
 絵付けはあっさりしているが、接合部分はしっかりしていた。
 開いたり閉じたりするときの手触りがしっくり落ち着いているのである。

 田中さんはまず木材を筒状に削ってから乾燥させる。
 セルギーエフパサートで見た職人さんが、いきなり木材からマトリョーシカを削りだしていたことを伝えたら「そんなことをしたら十分に乾燥させられないから歪むでしょう」とおっしゃった。

 ロシアの職人さんも、「木材は3〜5年乾燥させないと駄目だ。今は工場が3年もつかわからないから、そんなに待てない」という話だった。
 田中さんのお店兼工房である。
 右が国道1号線。
 左が裏道。

 「からくりはもうやめたから上の看板は写さないでください」という話だが、写ってしまったから仕方がない。お詫び方々追記しておこう。
 お店を国道1号線が見える角度から撮影した。
 これが、箱根登山鉄道入生田駅である。
 左の路地を歩いた。
 電車の右向うを1号線が走っている。

 単線なので駅で対抗列車を待っている。
 おかげでこの電車で小田原に帰ることができた。

 下は箱根関所跡で購入した入れ子細工である。
 関所跡でまだこのような細工を売ってはいたが、「もう作る人はいない」という話である。

 田中さんも「箱根のろくろ細工は自分で終わり」とおっしゃっていた。

 ところで、なぜ、箱根にこのような細工が出現したか、これが問題である。
 
 江戸時代箱根は交通の要所だった。
 さまざまな旅人が行き交う中で土産物細工が発達した。

 入れ子細工の原型は碗だと考えられる。
 大きな飯碗の中に汁碗、その中に惣菜碗という具合に入れ子になった食器は、今日の登山道具と同じく、携帯に便利である。

 そんな実用的な制作から、このような玩具が発生したと考えられている。

 因みに、マトリョーシカは1899年頃にモスクワの出版社で、旋盤工と挿絵画家の協働で作られたが、その技術が伝わって、今日多量にマトリョーシカを作っているのは、モスクワから遥かに東方のニジニノブゴロド州で、ここはホホロマという絵のついた食器の産地でもある。
 碗という実用的な制作技術がこのような玩具に応用されるという共通点にも興味深い。

 あわてて旅行記をまとめながら、次は旋盤やろくろについても調べてみようか等と考える次第である。