放送見て聞いて

(編集長応接室)◎NHK管理職・一般職人事異動発令。新しいアナウンス室長に 女性が登用。新室長 山田敦子氏。1年の空白をおいてまた、女性室長。編集長は1度だけ会ったことがある。BK選挙会議の席で。「女性で選挙分析に興味があるというのは珍しいですね」と言ったら「世の中、分析から様々なことが見えてきますから……」と仰ったように記憶している。アナウンサー総勢500余りの能力開発と幸福(処遇 パイ)の確保、危機管理がポイントであろう。次長もしっかりしており、概ね評判も良いので、安穏だろう。女性アナウンサーも生涯3回は地方勤務をと、首脳部は願っているというから、「女性受難時代」だねと言ったら、拠点デスクに叱られた。「越智さんはご自分が何回、地方局勤務をなさいましたか!と。定年退職後7年もたって、未だに人事速報を獲得して、目をつむれば、北海道から沖縄までの人々のことが頭に描ける人間はいないだろう。(画像 越智事務所の窓から。新大阪を出てすぐ博多方面に向かう新幹線)◎オリンピックが終わって、夏休みを取る人、職場復帰する人、とさまざま。その中で、「思い出のメロデイー」の司会に、阿部アナウンサーが起用されたことが驚かされる。結果としてはベターな選択だと思うが、報道の人間を一時的にせよ、芸能に起用することは、報道局長、アナウンス室長、芸能最高首脳部を巻き込んだ話し合いで了解されたことだろう。しかし、では仮にも努力中の小田切君の立場はどうなるのだろう……などと考え込んだ次第。■■衆議院・参議院 NHK平成20年度予算審議集中モニターから。当編集部では合わせて3回の審議の模様をナマ放送でモニターした。睡魔が襲うこともあったので、VTRを取り、後日再びモニターした。 職員のなかでもこのように熱心に視聴する人は少ないのに、何故定年退職後7年にもなる老体がこれほどまでにモニターに熱心になるのか。それは自分を育ててくれた公共放送・日本放送協会を心から愛しているからだ。それと、自分が、青少年の日本語共通語教育に当たっているほか、「朗読講座」「話し方教室」を通じて多くの人々と接し、母校の高校の関西同窓会長や、出身県の県人会の近畿の役員をしており、放送やNHKの話題があると、即、面接や電話で自分に跳ね返ってくるという側面があるからだ。先日も、近畿の放送で、女性アナウンサーが大阪府の橋下知事に「遅刻されました」と言い、若い知事が切れてしまった問題は、翌日から、当事務所に苦情電話や問い合わせの電話となり、多数押し寄せた。金曜日の夜で新大阪市長もナマで出演されたので、視聴率は高かったろう。もちろん私もナマ放送をしっかり見ていた。実は、担当者は私の仲の良い後輩であり、毎日苦しんだ。このHPにも一度も意見を書いたことはない。きょう(3月28日)初めて言及する。あの場合、「申し訳ないことで。きょうは東京ご出張のご多忙のなか、この番組にご参加くださり、誠に有り難うございます。」と言えばよかったのだ。ただ、私も初めて知ったのだが、大阪のオバサンの日常のことばで、「遅刻」という表現は極めて頻繁に使われている事実がある。   ■予算NHK新会長スタート。NHK新会長に、1月25日、福地茂雄氏(73)が就任した。福地氏は長崎大学卒。57年朝日麦酒入社。99年同社社長、会長を経て、06年3月から相談役。北九州出身。その経営手腕が注目される。■■■NHKニュースキャスターに実力派配置。朝7時に、夜7時から阿部アナを起用。夜7時には沖縄から武田アナを起用。この人は実は超ベテランで硬軟両派、宮内庁、災害など何でもこなす。じっくり聞くと、この人のアナウンスも大分変わった。3年前に比べて「項目」がひときわ際だつようになった。個人的な研鑽の結果だろう。これらのなかで、当編集部で最も注目し、肩入れをしたいのは、朝5時台に新登場した「佐藤龍文アナウンサー」である。平成11年入局というが、過去のNHKアナの中では、平光淳之助、明石勇らに次ぐハンサム系のアナウンサーで気品がある。音声を拡大して聴いてみると発声もちゃんとできている。これから読み込めば末田アナのように輝きを増すだろう。手の動かし方、所作もよい。大昔、編集長は、ニッポン放送に移籍した大アナウンサー高橋博氏に、高橋圭三さんの魅力について伺ったことがある。氏は、「理論ではない、それは、視聴者にぐっとくること」、だと仰しゃった。この佐藤アナは阿部君と同様、圭三さんのふるさと・岩手県花巻市で育ったという。どんな父上・母上に育てられたのだろうか。これから早起きが楽しみになってきた。(画面左が越智和憲。テーラー梅田にて)

●●大河ドラマ「風林火山」において、加々美幸子氏のナレーションが「開眼」したように思う。演出陣との激しいすりあわせの中で、年齢を超えても高度に上達するのだろうか。(越智和憲)。☆☆戸倉正治先輩と生きるコーナー☆☆☆実は今年6月になって山口県周南市にお住まいの戸倉正治様からお手紙を頂いた。民放関係者の方々やNHKでも昭和30年代、東京アナウンスアカデミーでお世話になった方はご存知でしょう。戸倉様はそのアカデミーの実質的な責任者をお勤めになったことがあります。私のこのホームページにお目がとまり、お手紙を頂くようになりました。実は、白状しますと、昭和38年NHK入局組(山田誠浩氏と同期)の私は、当時アカデミーの存在を強く意識していましたが、何とか当時都心にあった中央大学地下スタジオを中心にアナウンサーになるための活動を展開していました。その時代、中央大学出身の有名なアナウンサーは、アトランダムに申しますと、大塚利兵衛、野村泰治、小沢寅三、長島金吾、北出清五郎氏ら大勢いらした。何とかこれらの先輩のようになりたいと懸命な努力を続けました。そのため私は、アカデミーの門はたたかずじまいだったのですが。それで、独自の展開は多くの人を巻き込み、AKのアナウンサー100人の声を5秒も聞けば、氏名・出身地・出身大学等がすべて判るという神がかり的人間に私は、なっていました。勿論そんなことが何の得にもなりませんし、自慢にもなりません。まして、自分が独自の高い専門性を発揮できなかったのは、「自分がアナウンスしていても、このような部分は自分よりも○○アナの方がうまいだろうな」などと思われて、結果として自分の成長に障害となった感さえします。でもその頃から周辺が私のことを「影の人事部長」と呼ぶようになりました。私は、また優秀な後輩を大事にするクセがありました。将来大物になるだろうと予感できる人には、例えば高級料理店でご馳走したり、プレゼントしたりして、声援を送り続けるのです。私が釧路局勤務のとき、北見に岩井正さんという5年後輩がいました。9年でC級になるなど同局の放送部長も高い評価を与えていました。北見から峠を越えてアナウンス室首脳(全国視察)を送り届けてくれました。釧路局のスタッフで首脳を囲んで小宴を開いたとき、何とデスクは、他局の人の同席を拒もうとしました。が、私は例え他局であろうと優秀な人との交流が財産になると信じ、喜んで岩井氏の同席を促したのです。今になってみれば、そのような関係で得た多くの後輩が優秀なNHK幹部になっています。また、こんな事も続きました。著名な専門職アナウンサーや経営職となった先輩から、「越智君これだけは越智メモに刻み込んでくれ」と言われ、放送体験やアドバイス、人事情報を叩き込まれました。私の40億個の脳細胞はたちまち、満タンになっていったのです。これらの情報は固定されることなく日々更新されているので拠点局統括(大阪という意味ではなく)と会話をしても相手が年々小さくなっていくという実感があります。■■私は、アナウンサーとして生きてきた以上、後輩の幸せのため何ができるかを模索しています。勿論、人事データは電波新聞などには頼らず、原版ににより完全に掌握しています。尤も他のページでご推察のように、私の人事的関心は世界にまで広がり、例えばイラク問題でブレア首相がブッシュ大統領と会うとき、ブッシュに呼びつけられてワシントンに行くのではなく、兄貴気分でアメリカへ諭しに行く感じで行く、などという理解までしています。私は、NHKアナウンサーから、世界を股にかけるジャーナリストが出て欲しいと念願しています。かつてNHK報道首脳が、民放に出ると言い出した森本毅郎アナ(同期)のため海外特派員のポストを準備しようとしたことがありましたが、所詮アナウンサーはdomesticなのですね。▼▲アナウンサーは、原則として、ニュースは記者が書いた原稿をそのまま読み上げなければならない。しかし、昔と違って情報が多岐にわたっているため、自分でも分野別に、項目や人名等を手帳に整理しておき、しばしば取材記者や直接当事者ご本人に確かめることも必要。早朝から何人ものキャスターが入れ替わり立ち替わり登場するが、この人は真にニュースが解っているのかどうか、透けて見えるのだ。それ以上に進むには、交際費を伴う世界に至る。その部分が次第に痩せて来ているのだ。放送局内部に交際費がないからである。そこを先輩として手助けしようとしている。(越智和憲)。