出会い、初ライブ、そして「ちいさなとびら」

 

   平成1年、金沢
 この年、僕は金沢にいた。大阪を離れ、一人で。仕事のためだった。
 別に失意のどん底にいたわけではない。前途洋々の社会人一年生のはずだった。
 けれども、学生の頃から付き合っていた彼女とは徐々に気まずくなってきていて、金沢に来る前に別れていた。仕事は精神的な面で厳しく、自分が何をしているのか、何がしたいのかわからなくなっていた。それどころか、自分がいま立っている場所すらわからなくなりつつあった。

 仕事を「やめたい」とは思わなかった。自分で選んだ道だ。だけど・・・・。どうしてここにいるのかが既にわからなくなっていたのだ。こういうことって、あるだろう?
 いつも疲れていた。心のどこかで「このままでは終わらせないぞ」と思っていた。けれど、心が奮い立たなかった。仕事をして、食べて、寝るだけの日々が続いていた。

 僕がこの頃好きで聴いていたのが、沢田聖子、永井真理子、森川美穂だった。(今でもこの順序はかわらないんだから、僕もしつこい)
 誰でも良かった。たまたま金沢にやってきたのが永井真理子だった。どうやって永井真理子のコンサート情報を手に入れたかはもう覚えていない。
 仕事が終わるかどうかわからなかったので、前売り券など買っていない。運良く終われば会場にかけつけて、当日券で入るつもりだった。祈るような気持ちで当日を迎えた。
 そして、僕は会場へ向かった。

 

   弾け飛んだ!
 ライブの様子はほとんどもう覚えていない。ひとつ言えることは、この頃の曲はほとんど全て知っていたはず、ということ。
 曲にあわせて色とりどりに演出されるステージの照明。それらに見入り、浸っているうちに、いつしか僕はステージと一体化する。いや、最初から一体化していたのかもしれない。コンサートホールという閉ざされた空間は無幻の小宇宙だった。というよりも、こっちが現実で、現実が虚のようにすら思えたのだ。
 なにもかもが頭の中から消え去り、ただいっしょになって歌うだけ。

 この一瞬が、永遠に続くような気がした。

 コンサートが終わり、会場を出た僕を包んでいたのは、壮大な開放感だった。今から思えば、自分を閉じ込めていたのは自分自身だったのかもしれない、ということにそのとき気が付いたのだろう。

 実は、自らの意志でコンサートに出かけたのはこれが初めてだった。それまでは抽選でアリスのライブの招待券に当たったとか、近くの大学にスターダストレビューが来るからとか、おごってやるから堀江美都子に付き合ってくれとか、そんなのばかりである。恋人にせがまれて苦労してユーミンのチケットを取ったけれど、会場が大きすぎてイマイチのれなかった。
 だから、金沢で不意に永井真理子に惹かれたのは、大袈裟に言えばある種の「みちびき」みたいなものが、自然の吸引力のように働いたのだと、そう思う。

 

   憧れ・・・別れ
 僕が永井真理子の曲を聴くようになったのは、何がきっかけだったのか、思い出せない。
 誰かに勧められたわけじゃないのは、確かだ。
 永井真理子は僕よりもふたつ年下なのだけど、年齢など全く意識していなかったし、アルバムの「M」のマークと、ポーズを付けたあのシルエットが、とてもカッコ良くて、純粋に憧れていた。
 そして、なによりも彼女の曲には元気にさせられた。彼女のキーワードは今も昔もとびっきりの元気なのだ。

 その後の僕の音楽シーンは大きく変化していく。
 別れたはずの恋人と、大阪に戻ったのがきっかけでまた付き合い始めて、確か一ヶ月ほどでお互い結婚を意識した。場所を北海道のトマムと決め、打合せと称して婚前旅行した先でめぐり合ったのが辛島美登里で、宿泊者ならだれでもタダで観ることの出来るライブだった。
 ご存知の通り、辛島美登里は永井真理子に多くの楽曲を提供していて、馴染みが深い。はまってしまった。

 でも、醒めるのも早かった。結婚後、1週間の間に辛島美登里と沢田聖子を連続して観たせいだ。
 これ以前に沢田聖子ライブは妻と一緒に行っている。僕にとってはそれが始めての沢田聖子ライブだった。これは特に印象がなく、普通のライブだったのだけれど、辛島美登里の1週間前に行った沢田聖子があまりにも衝撃的だったのだ。
 ステージにいるのは、たった3人。音符の一つ一つがピュアに響いて来るシンプルな、だけど力強いライブ。その鮮烈な音楽が醒めない間に、辛島美登里を見てしまったものだから・・・
 そのあとは沢田聖子一直線。「ハーモニカ」や「パーカッション」はあるのに、「ドラム」も「ベース」もないとか、変な編成でのライブが続いた。(最近では、弾き語りアコースティックライブのシリーズと、フルバンドのシリーズのふたつがあり、フルバンドの中で編成替えが行われるから、色々楽しめる)

 妻の理解は、沢田聖子と永井真理子は僕にとっての特別な存在で、CDなんかもこの二人だけを別にして箱になおしていてくれたりした。
 ライブこそ行かなかったものの、それは妻が永井真理子に興味を示さなかったからであって、僕は相変わらず好きだった。アルバムは続けて購入していたし、何度も何度も聴いた。だけど、自分でも理由はわからないのだけれど、「OPEN ZOO」が最後になった。

 「ちいさなとびら」大阪公演の後、いくつかのながまりファンのホームページを見て回って、この「OPEN ZOO」の前と後でかなりのファンが入れ替わっているらしいと知った。でも、別に僕に関して言えば、永井真理子が嫌いになったわけでも、飽きたわけでもなんでもない。単なるタイミングの問題だろう。それが証拠に、このホームページを作ったとき、僕は「沢田聖子」と「永井真理子」の両方のページを作ろうとしていたのだ。ナガマリは挫折したけれど。
 ともあれ、いったんお別れの時がきたのだった。

 

   再会 ちいさなとびら
 何かのコンサートの時に配られたチラシに、「永井真理子コンサート」の宣伝が混じっていた。「何か」といっても、沢田聖子のライブに決まっているのだが。実は記憶にないのだけれど、今年に入ってからの沢田聖子ライブは1月が三重、2月が東京だったから、そんなところで大阪のライブ告知が配られるはずがない。とすると、去年のうちには今回の永井真理子コンサートの存在を知っていたことになる。実際にチケットを買ったのは、2月も下旬に入ってからだけれど。

 ただ、そのチラシを観たとき、僕は何かに突き動かされるように「行かなくちゃ」と思っていた。
 コンサートは夫婦揃って出かけるのが約束事だった以前と違って、今は別々のライブをそれぞれ勝手に申し込んで出かけているから、「久しぶりに永井真理子に行って来るよ」「あ、行ってらっしゃい」てなもんである。

 このページをアップした時点ではまだ同じシリーズの東京公演が行われる前なので、コンサートの詳細は書かない。それに、書こうと思っても、書けない。もともとライブレポートなど掲載するつもりはなく、メモも何もしていないし、意外にも知らない曲が結構あったので、どうしようもない。
 だから、曲目や演出については何も書けないし、書かないけれども、「すごかった」し「とてもよかった」!

 開演から終演まで、総立ちタテノリで、手拍子をし、腕を振りまわし、知っている曲は一緒になって歌った。何もかもが脳裏からふっとんでしまった金沢のあの日が蘇った。あの日と違って僕はすっかり元気なのだけれど、やっぱり元気真理子は最高にいい!!

 永井真理子コーナーで沢田聖子と比べるのはよくないと思うんだけど、これまでもさんざん沢田聖子と書き散らしているし、ついでだから思っていることを全て書いてしまう。永井真理子と沢田聖子はよく似ているのだ。
 「ちいさなとびら」コンサートのMCで、どうやらオフィシャルホームページがあるらしいと判断した僕は、帰宅後にネットに繋いでみた。「永井真理子」で検索すれば、当然一番最初に公式ページが出てくるはずだと思ったからだ。ところが、出てこない???
 検索エンジンをかえればよかったのだろうけれどそれも面倒なので、どこかのファンページにつないだら公式ページへのリンクくらいあるだろうと思って、検索を続けると・・・

 検索エンジンそのものからはたいした収穫は得られなかったのだけれど、リンクを辿ってサーフィンをするうちに、「永井真理子ファン」の作ったホームページが出るわ出るわ。沢田聖子のファンの絶対数に対するファンページの割合はものすごく多いのだけれど、永井真理子も負けていない。ページをみていくと誰も彼もがものすごく熱心なファンなのだ。歌だけではなく、永井真理子というアーティストそのものを心から愛しているんだという気持ちがジンジン伝わって来る。
 ネットで知り合ったファン同士がライブの会場で顔をあわせて、みたいなこともあちこちであるみたいで、これも沢田聖子と同じ現象。そういえば、ヒートビートでも「お久しぶり」「名古屋と東京はどうするの?」なんて会話がかわされ、これも同じであった。
 イベントの中のミニライブの様子をレポートしたページもあって、永井真理子本人から声をかけられ、覚えていてくれたんだと感激したという記述があったけれど、これもまさしく同じなのである。イベントレポートから読み取れるアットホームなファンとの交流も、そう。
 ZUTTOで大ヒットを飛ばし、スタジアムでもライブを行ったような大物なのだけれど、現在ではスタンスがちょっと変わってきているようだ。確かに一時期はあぶくのようにファンが群がったのだろう。けれど、ブームが去るように多くの人が忘れていく。だけど、今もなおファンをしている人たちは本当に彼女に惚れこんだ人たちなのだ。

 で、うっかりしていたのだけれど、リンクページを辿ってあちこち見て回るうちに、太陽燦々というのを見つけた。あれ? うちとこことは、沢田聖子関連で相互リンクしているのだが・・・
 そうだ、太陽さんは僕と同じく「ながまりファン」でもあって、ページを作っていたはず。最近相互リンク先への訪問がおろそかになっていたから、失念していた。しかも、BBSを見ると、やはりネットで沢田聖子ファンとして知り合った方が、「東京公演に行く」と書いてある。どわー。結構共通項があるのだ。びっくりしたなあ。沢田聖子だけでなくて、今度は永井真理子もいっしょに行きましょう! 会場でお会いしましょう。ブランクが長かったので、知らない曲や忘れている曲もあったけれど、次は完璧に予習していくからね。

 いろいろな情報を見ていくと、ライブの会場も「ヒートビート」に「ダイヤモンドホール」に「赤坂BLITZ」(次のツアーから聖子さんの東京公演はここになる。大阪はヒートビートが閉めるので別の場所になるけれど、これまでずっとヒートビートだった)と同じだし、値段も100円違うだけ。
 きっと、自分なりのスタンスを保ちながら、音楽と納得の行く付き合い方をして、いわゆる外的な要因(タイアップとか)にあまり左右されずに、ファンときっちりと向き合いながら、マイペースで音楽活動をしていくと、これくらいの規模になるのかなあとあらためて思った。
 だけど、アーティスト本人がそのつもりなら、僕はとことん追いかけますよ!

 

   こんな曲が好き
 一人のアーティストを個人ホームページで語るとき、やはり思い入れのある曲について語らなくてはならないでしょう。(文体がかわってしまったな。まあいいや)

 買ったばかりの「ちいさなとびら」と持っていないアルバムは抜きにして・・・
 好きな曲は色々あります。というか、嫌いな曲は実はありません。
 沢田聖子さんの場合は、なぜか「この曲好き」「この曲は嫌い」というのがあるんですが、永井真理子さんの場合は、「この曲は嫌い」というのが本当にないんです。
 「嫌い」というのは個人的な感情であって曲の完成度とか音楽性とかとは全く関係ないわけですから、嫌いな曲がない、というのは逆に聴きこみが足らないのかもしれませんね。

 しかし、その中で特に好き、というか、いつもなぜか自然と口をついて出る曲があります。
 「少年」と「レインボウ」です。
 「ミラクルガール」は間違いなく好きだし、キャンプカウンセラーをしたときに僕の受け持った班のテーマソングを「ReadySteady Go!」にしてしまったり、「A列車で行こう」というゲームをするときは決まって「White Communication」を聴いてしまうとか、お気に入りの曲は色々とありますが。
 「少年」と「レインボウ」が特別なのは、詞もさることながら、そのメロディーラインにあります。ミディアムテンポ、メジャーコード。しかも、高音部をのびやかに歌っています。このことが、僕をなんだかものすごく壮大な気持ちにさせるのです。
 それから、「瞳・元気」と「愛こそみんなの仕事」もいいですね。これらの歌からは、当時の真理子さんの独特の声質が感じられ、しかもそれが曲にばっちりフィットしているように思います。
 「ZUTTO」は大ヒット曲で、永井真理子って誰? っていう人でも、この曲なら知っているという人が多いはず。けれど、僕にはそれほど特別な歌には思えないのです。
 そして、忘れてはいけないのが「コンタクトレンズスコープ」でしょう。この曲を上げる人はあまりいないかもしれませんが、とても心に染みました。

 さて。それでは「永井真理子にハマル」第2期に突入です。ファンの皆様、全国各地のライブ会場でお会いしましょう。
  

 

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