ほーむぺーじ論
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自分流をつくろう機能美ではない

■機能美ではない

技術におぼれないようにしよう。

 おそらく、インターフェイスをデザインすることは、機能を美しく見せることだと思う人もいるかもしれません。しかし、そういうわけではないのです。
 ほーむぺーじ論では機能を美しく見せるということではなく、いかにユーザーにとってわかりやすいか・ユーザーを中心に考えることです。機能美というは、ほとんどの場合製作者の自己満足と言っていいです。機能がいかに美しいか。ということより、いかにユーザーにとってわかりやすいか、使いやすいかということのほうが重要なのです。機能美を追求した結果、ユーザーにとってわかりやすくなったというのなら話は別ですが、自分ですごくスマートで美しい機能だ。なんて思っているのは危険な場合があります。それは、みんなに使いやすいということではないのです。1つのボタンが3つの機能する。あ〜すばらしい…私のほーむぺーじには○○○っていう機能を搭載することによって、〜○○の自動化を図っています。…このようなことではないのです。


 ●共同作業の難しさ:
特に難しいのが、技術屋とデザイナーがいっしょにほーむぺーじを作る場合です。技術屋、つまりウェブでいえばプログラミングの部分を担当する人です。技術屋にとってみれば、速い処理を追及したり、優れたアルゴリズムを追求すること、そのレベルでの機能を特に重視することが多いようです。また、デザイナーはデザインつまり表面的なユーザーが使う部分をデザインするわけですが、色々なデザイナーがいるとは思いますが、ユーザーのことを理解ているデザイナーならば、見た目だけでなくユーザーがどう使うか、ユーザーを中心に考えることでしょう。

 ●ユーザー中心で:さて、ユーザーを中心に考えると、バックグラウンドで機能させる内容が増えてきます。つまり、プログラムは非常に面倒なことをしないとならないのです。大部分の場合そういうことが多くなります。つまり、コンピュータがやってることを表現するのではなく、ユーザーの認知にあわせた機能を表現するという変換的なことを必要とするためです。例えば、パソコン上で、データをハードディスクからフロッピーに移す際に

「コピー中 ○○.jpg [ a:/img to b:/img ] 125674/4858643 byte」

というような表示より

 このようにしたほうが、ユーザにとってはわかりやすいといえるでしょう。これは、単に「表示」における部分の話ですが、実際に操作する部分のわかりやすいデザインというのは、見た目をデザインするのはまだ簡単であっても、プログラムで実現しようとすると、手間がかかってしまうのです。これらは、プログラマーはどちらかといえば嫌がることでしょう。ただし、プログラムとしては難しいものではないはずですが、だいたいGUIのプログラミングは面倒な場合が多いです。コンピュータの機能的には「コピーを実行すればコピーができる事実」だけしか必要ないのですから、機能中心に考えれば、コンピュータにしてみれば、文字で「コピー中」と表示する(視覚化)必要さえないのです。
 つまり、機能や処理速度、コンピュータを中心に考えるプログラマーなどにとっては、わざわざ表示するようなことは、余計なことなことで、あまりしたくないのです。その結果、「わかりやすさ」から遠のいてしまうのです。現在のようなパソコンが実現したのも背景にはコンピュータの処理速度の向上があるわけです。むかしは、現在のようなグラフィカルなものしようとしても、処理速度が追いつかずに使いやすくても、遅すぎて使い物にならないものでした。しかし、今は違います。今はわかりやすようなものにするために追加するプログラムであっても、極端に処理に影響するわけではありません。

●ユーザーに負担をかけず、負担はプログラマーが負う:プログラマーにとっては、使いやすさを考慮すると多少面倒なことをしなくてはなりませんが、そのソフトウェアを使うのが一般ユーザーである限り、使いやすさを最大限に考慮するのは義務といえるでしょう。

 


●ウェブも同じ

 ウェブも同じように、ユーザー中心に考えれば、ユーザーにとってはHTMLは問題ではないのです。それは製作者としてのユーザーも同様です。ユーザーにとってHTMLを美しく書いたからといって、それが何なんでしょうか?ユーザーがブラウジングしていて、わざわざソースを見て「あーこのウェブのソース美しいなぁ」「これは、優れたマークアップ構造だ」なんて言うユーザーはいません。HTMLを正しく書くことは、大切なことです。正しく書かないと、様々な環境での表示に問題がでてきます。アクセス性、アクセサビリティに問題がでてきます。

プロとしてWEBデザインを行うには、タグを大いに気にする必要があります。当然それを仕事として収入を得るわけですから、WEBについて専門的な知識を身に付ける必要があります。

 ですが、プロでなくとも最近はWEBをつくります。そういったユーザーは必ずしもHTMLを意識せずにWEBを公開しても良いのではないでしょうか。ユーザーにもさまざまな層がありますので、できる人はそれを心がけたほうがよいでしょう。しかし、できな人もいるはずです、基本的に目的は「HTMLで」ということではないはずだと思いますので、積極的に自身にとって「最も簡単にできる方法」をとるべきです。

 ●HTMLに見惚れてない?:ただし、HTMLに準拠しているということを誇る必要はないのです。最近、多くの人がHTML、XHTML、CSSなどを正しく書くことで優越感、自己満足しているようです。絶対にというわけではないのですが、割と満足感を得てしまっているようです。

…というのも、

  Valid HTML 4.0!   Valid XHTML 1.0!

このようなバナー自分のサイトにつけている人がいるためです。

 ●バナー与えられたものではない、自分でつけている:私には、これをつける意味がよくわからないのですが、とりあえずこれをクリックすると、W3Cの規格に基づいてチェックが行われるようです。で、つまり、何も指摘されなければ、正しい書かれるのですが、正しくないとどこがダメだ…とかいろいろ指摘されます。ようするに、自分のサイトはこのチェックをしっかりている。正しいHTMLを書いているんだということを言いたいらしいです。でも、このバナーをつけると何かいいことあるんでしょうか…。「バナ-自体」をですよ。べつにW3Cが悪いといっているわけではありません。もちろん、「ユーザー」にとって。この前、この類のバナーを3,4つ貼り付けているサイトありましたが、まぁ趣味なんでしょうから私には文句を言う筋合いはないのですが、だいたいそういうサイトに限って、コンテンツが薄かったりするのは気のせいでしょうか。HTMLは正しいのでしょうが、見た目がわかりにくいところがあったり、ヴィジュアルとしてのデザイン配慮がいまいちだったりします。最近、このようなHTML、XHTML、CSSを正しく書くようなことが流行しているようで、それはそれでよい傾向だと思いますが、このような『バナーを』あえてつける必要はないと思います。自分のサイトでは、画像は一切使っていないのに、W3Cのバナーだけはしっかりと画像を使っているというのは、どうでしょうか…。おかげ、そのサイト内で最も目立ってしまい、あまりウェブになれていない友人が、間違ってクリックし、「えー、なんかへんなとこきちゃった。」なんていうこともありました。

 正しく書いていることは、自慢にはならなりません。ただ、私のサイトも含めて完全に正しいHTMLで書いていないサイトが多いのは事実で、自慢したくなる気持ちはわかりますが…、あえてバナーで公表する必要はないでしょう。ましてや、サイト運営の方向性も変わってきてしまう可能性もあります。目的はHTMLではないでのです。正しいHTMLは書こうと思えば誰にでもかけます。そう規格されているはずですから…。自慢となるのは、あなたの持っているあなたの情報を表現し伝えることです。HTML、XHTMLによって、どれだけあなたの考え方を制約されていることでしょうか。それゆえ、制約も少ないと考えられるFlashを利用したサイトも最近急増しています。HTMLは確かに土台になっている大切なものであるし、文字を表記する言語であるので仕方ないといえば仕方ないのですが、表現柔軟性が乏しいは事実でしょう。

 ●自分をみつめよう:今まで、HTMLに準拠を強く意識していなかったサイトが、ある日突然、準拠を目指すようになったサイトがありました。そのサイトは、ほとんどが文字ばかり。今まであったイメージとしての楽しさ、わかりやすかがなくなってしまいました。インターネットにおいてテキストが現状としてメインコンテンツであるのわかりますが、人間は文字だけでコミュニケーションしているのではありません。HTMLなど規格に準拠したサイト製作者も、なんか違うんだよなぁ〜なんて思っている人がいるかもしれません。文字だけでは表現できない、そのサイトの表現、世界観をつくりあげる必要があるんのです。でも、「HTMLの正しさ」が背後にあるために、妥協していまうような、むりやり正当化させてしまうような、そんな感じが現在あるような気がします。アクセシビリティ的には向上したとしても、それが本当に個性的で、ユーザーが楽しむことのできるサイトになっているのか…。何のためのHTMLか、もう一度、自分をみつめるひつようがあるのではないだろうか。

 正しい正規のHTMLを書くことで洗練されたウェブになった?いや、それは、正しいとされている、規格というやつに、洗脳されたのかもしれない。言い過ぎかな(^^;)01/08/01 むしろ、いい意味で洗脳されたほうが認められるかも。 

追伸:おそらく、この文に対して疑問をもつ人もいるかと思います。だいたいこのあたりの話はたたかれやすい部分です。ただ、ほーむぺーじ論では、「メディアとして」ということを強調しています。もし、絶対的に正しいHTMLで書かなければ公開が許されないようなのであれば、正しく書かない人が悪いというより、柔軟性にかけているウェブというメディアに問題があると主張します。コンピュータやインターネット、それらをツールとして考えるのではなく「メディア」として考えます。メディアというのは、道具ではないのだけれども、機能している、利用してるもの −実世界でいえば、空気や地面、場所(環境・空間)などがそうなるでしょう。インターネットもそういったメディアの一種になってきていますが、受け取る人にとってのインターネットは最近ユーザビリティなどが進んできましたが、創る人・発信する人にとってのアクセス性はまだまだです。インターネットは個人レベルでも情報を発信できるというのが強みの1つです。しかしながら、まだその発信するためのメディア環境にはユニバーサル性にかけているといえるでしょう。
 HTMLなど規格を守ってこそユニバーサル性が生まれ、だれにでもアクセスできるような環境を提供できることになるのですが、なおかつ誰にでも作れる環境が必要なのです。もし、これから初めてホームページを作ろうとする人が、その正しいとされる規格どおりにウェブを構築していくとしたら、おそらく多大な知識を要するでしょう。そうなれば、よほどやる気のある人でない限り、そう簡単に自分のウェブサイトを構築・表現することができなくなってしまうでしょう。今後必要になってくるのは、創る人たちにむけたユニバーサルメディアではないでしょうか。 01/09/16

注意:W3Cを批判しているように捉えてしまう

 
   

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