アフォーダンス

アフォーダンス…。初めて聞く人も多いかもしれません。言っておきますが「アホ」な「ダンス」ではありません。今後のウェブデザイン、そして今後の「インタラクティブ・メディア」すべてにおいての重要なデザイン概念なると考えられます。今、アフォーダンスという考え方は「ロボット」「ヴァーチャル・リアリティ」などの分野で少しずつ注目されつつある分野でもあります。環境と人間(動物)の関係を考えるような学問で、アフォーダンスは生態心理学というわりと新しい心理学の中で重要な考え方となっています。

●アフォーダンスとは

 まずはアフォーダンスとは何か…簡単に説明します。簡単に説明とは言いましたが、アフォーダンスの考えた方自体が簡単なようで実はかなり奥が深いので、あくまで私の解釈した形でアフォーダンスを説明したいと思います。 まず、この「アフォーダンス」という言葉について…。
これは、アフォード(afford)「〜ができる」「〜を与える」などの意味を持つ動詞をアメリカの知覚心理学者、J.J.ギブソンによってつくられた造語です。

そして、アフォーダンスとは、
環境にあって行為が発見する意味 (*1)
環境がその中で生きる動物に与えてくれる行為の機会 (*2)

です。

 環境が動物に提供するものです。良いものでも悪いものでも、環境が備えているものです。提供するとはいっても、人間(動物)が動いてはじめて提供される情報です。私たちが環境なかで振舞うことであらわになる情報です。環境というと、今あなたがみている「モノ」のことだと思う人が多いと思いますが、実はそれだけではなく、環境はあなたの「身体」も含みます。だって、背の高い人と背の低い人では、「環境の見え方」が当然異なりますよね。眼はどこにくっついているのかって言えば、胴体があって首でつながってある頭っていわれるところに目がくっついてるわけですから、身長はもちろん、歩幅だって見え方に影響してきますし、わかりにくいけど、履いている靴によっても見え方が変わります。あ。わかりやすい例だと、女子高生?人気の厚底の靴なんか履くとだいぶ見え方かわってきます。そして、見え方が異なってくれば、その見え方なりの接し方とか行為・行動をするわけですから、またそれが周囲から見えてくる情報を変化させていきます。厚底を履くと行為かわるでしょ?厚底なりに歩き方じゃないと、こけちゃうでしょ?見え方が行為を変えて、また行為が見え方を変えてゆく。
  厚底履いても、普通の靴でも、たしかに階段は階段なんですけど、見え方が違っています。そうすると「できそうなこと」が変わってきます。つまり、階段からやってくる「情報」が変わってきます。例えば、普通の靴だったら、急いでいるとき普通に、1段抜かしでぽんぽんと上がいこうとするかもしれませんが、厚底だと、そうしようとは思わないでしょう。意識レベルではないかもしれませんが、普通の靴でできていたことが、厚底を履いていることで、「できなさそう」と知覚してしまうわけです。もちろん、厚底を履くことで「できそうだ」ということも歩いてるなかで自然と知覚できているでしょう。それが何であるかは、厚底はいて歩いてみないとわからないし、履いていてもあまり意識できるようなものではないでしょう。厚底を履くことで、今までは可能としなかったことを、可能としてしまって通常ではどう見てみ「変」な動作などををしてしまっているような人もいるはずです。
  もちろんのこと「階段」によっても行為は変化します。今までは、主体の見え方の変化が行為を変化させていくということでしたが、自身の見る姿勢が変わらなくとも、そこにある「モノ」が変われば、もちろん「できること」が変わってきます。とても、段差が低ければ、1段ぬかして上る人もでてくるでしょう。高ければ、普通、1段とばしをしている人でも、1段1段上っていくでしょう。

 このように、動物を含めて人間は、自らの行為と周囲モノとの関係で調整しながら生きています。だけれども、試行錯誤で調整しながら生きているわけではないのです。なんというか、動くことがすでに調整を開始しているといった感じです。というのもの、この満ち溢れるような情報の海のなかで生きているわけですから・・・。ITとかの情報とは違います、生態学的な情報です。で、なぜ動くことが調整を開始するというかといえば、最初のところで述べてきたとおり『私たちが見ている(知覚している)環境というのは自分の動き、自身の情報を含んでいる』からです。その意味で、知覚の原理を環境と動物とか分けて考えるということはできません。


●ウェブでは「アフォーダンスという考え方が重要」

 最初に述べてきたとおり、アフォーダンスとは環境が動物に提供するものです。良いものでも悪いものでも、環境が備えているものです。そして、アフォーダンスは主体が「行為」するなかでわかってくる環境の事実、性質です。私たち人間をはじめ、動物は静止するということはほとんどありません。というより、静止の瞬間は実際にはありません。静止しているというのは死んでいるという状態です。私たちは生きている限り、環境にあるアフォーダンスを利用して生きていることになるでしょう。さて、ウェブとしてアフォーダンスを考える際に重要なのはアイデア、考え方です。ウェブのアフォーダンスって何だろうということではありません。現在の、コンピュータを見れば、ディスプレイにすべて表示されるわけです。ウェブデザインにおいてはそこしか重要ではないのです。デザインできるのはそこの部分でしかないのです。あいにく、このディスプレイというインターフェイスは、眼に対する情報で、見るというシステムのための情報表示機器ではないのです。つまり、厚底の靴を履いていても、身長が異なろうと、ディスプレイに表示される情報が変化するわけではないのです。いくら、立派な階段がディスプレイに表示されても、それを上ることができるか、一段ぬかしで駆け上っていけるか。などその他、さまざまな情報は現れないのです。なぜなら、そのディスプレイに映った階段というやつは、自身の情報を含んだ階段ではないためです。

ホームページで言うならば、動くことができるのは基本的にカーソルです。カーソルは私たちが使うマウスなどで動かすことができ、大体は手を使って動かします。つまりカーソルは手の延長です。その手や身体の延長としてのマウスカーソル自身の性質と画面内のボタンやスクロールバーやその他様々な制約のあるヴァーチャルな環境の間でわかってくること、――それがホームページにおけるアフォーダンスということになります。それのデザインの仕方によって「使いやすさ」は左右されてきます。真のアフォーダンスとは異なり、ヴァーチャルな形で制約された身体、つまりそれがカーソルであり、それに対する環境もバーチャルですがあるのは事実です。その特異な関係のなかで、私たちはディスプレイを通してアフォーダンスを知覚しようとしているはずです。行為も環境も全くリアルではないし、本来奇妙な状態ですが、その奇妙な環境なりに持つ性質と、その奇妙な動きが可能なカーソルの間に関係があることは事実です。もちろん、それもデザインされたものですが、そうでなくては使いものにならないわけです。

私たちはまず、最初にマウスを触れたときに、カーソルを動かすことで、新しい画面の中で動く身体の延長を知覚しています。そして、動かすことで、そのOSの環境の持つアフォーダンスがわかってくるわけです。そのアフォーダンスが負なものであると、エラーを起こす原因になったりもしてしまうわけです。

真のアフォーダンスとは基本的に知覚の仕方が異なっていますが、その特異な環境の中にもアフォーダンスというアイデアは生かせるといえるでしょう。

実世界で知覚している日常物のアフォーダンスをうまく画面に表現することで
そういったふうにもアフォーダンスは利用できるでしょう。

デザインの生態学―新しいデザインの教科書
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結局、ポスターや、映像とは、Webは全くことなっているのです。よく考えてみてください。TVをただ見ているのと、インターネットをやってるのって、なんとなく考えるぶんには同じようなことをしているようにみえるもしれませんが、よく考えてみると全然違うです。全然、探す必要がないんですよね。テレビは。TVだともう受けれるだけなんですよユーザーは。もちろん、その内容に対して考え込んだりする人はいるかもしれませんが、そのプロセスがウェブとTVでは全然違うんですよね。ここが、インタラクティブというところなんですけどね。まだまだ、その「インタラクション」のデザインは未知な領域があるんですね。きっと。

この現実世界を見てみよう、なんてインタラクティブなんだ。だって、私が顔を右に動かせば、世界左に動いて見える。ものすごい関係ですよね。私たちは事実、こういった世界で生きているのです。

*1佐々木正人 (1996)「知性はどこに生まれるか」
*2三嶋博之(2000)「エコロジカル・マインド」