年表

 

西暦 日付 主な出来事

1301

  新田義貞、新田義重の八代目として台源氏館に生まれる
1331 8月 後醍醐天皇、笠置山に籠る(元弘の変)
1332 3月 幕府、後醍醐天皇を捕え隠岐へ流す
  11月 護良親王、吉野で挙兵。楠木正成、千早城で挙兵
1333

1/29

新田義貞、鎌倉幕府軍として、千早城包囲軍に参陣
  閏2月 後醍醐天皇、隠岐を脱出し名和長年を頼り、船上山に籠って幕府方と戦う
 

3/11

新田義貞、倒幕を決意し、後醍醐天皇より綸旨を受け新田荘に戻る
    新田荘、幕府より兵糧・軍資金として五日以内に六万貫文要求される
 

5/5

新田義貞、幕府徴税使者を処刑する
 

5/8

新田義貞、卯の刻(午前七時)生品神社において鎌倉幕府倒幕の挙兵をする
 

5/11

小手指ヶ原(現:埼玉県所沢市)の合戦
 

5/12

足利高氏の嫡男千寿王を擁した足利党が新田軍と合流(第二次蜂起)

  5/12 久米川(現:埼玉県東村山市)の合戦
 

5/15

分倍河原(現:東京都府中市)の合戦、敗れる
 

5/16

未明、分倍河原の合戦で、関戸より幕府軍敗走
 

5/18

大館宗氏、稲村ヶ崎を突破し鎌倉府内に突入、戦死(第一次)
  5/21 新田義貞、稲村ヶ崎を突破し鎌倉府内に突入(第二次)
 

5/22

北条高時ら自刃し鎌倉幕府滅亡する
    新田義貞、鎌倉大御堂谷の勝長寿院に本陣を置く
  6/5 後醍醐天皇、京都へ戻る
    足利尊氏、家臣を鎌倉へ送る。新田義貞と対立
 

 

新田義貞、一族を率いて京都に行く
 

8/5

新田義貞、上野・播磨の国司に任じられる
 

10月

足利直義、相模守に任じられる
  12月 足利直義、成良親王を奉じ鎌倉に下る
1334

10/22

後醍醐天皇、護良親王の逮捕を指示、鎌倉の足利直義に預ける
1335

6/22

「中先代の乱」 北条時行信濃に挙兵
 

7/23

足利直義、護良親王を殺し鎌倉を脱出
 

8/2

足利尊氏、征東将軍に任ぜられ東海道を下る
 

8/19

足利尊氏、北条時行を破り鎌倉に入る
 

10/15

後醍醐天皇、尊氏の帰洛を促すが、尊氏これに応ぜず
 

11/19

新田義貞、後醍醐天皇より尊氏征伐の宣旨を受け東海道を下る
 

11/25

新田義貞、三河矢作川に足利軍を破る
 

12/1

新田義貞、遠江鷺坂に足利軍を破る
 

12/5

新田義貞、駿河手越河原に足利軍を破る
 

12/11

新田義貞、箱根・竹ノ下の合戦で「足利軍」に敗れる
 

12/14

新田義貞、天龍川まで敗退 ※1
 

12/30

新田義貞、京都に戻る

1336

1/1

足利軍、京都に迫る
 

1/7

足利尊氏、八幡荘の男山八幡宮に陣を構える
 

1/7

新田義貞、宇治川を挟んで対陣する
 

1/10

総攻撃するが崩れる。後醍醐天皇、東坂本に赴く。義貞軍も随従する
 

1/11

足利尊氏、京都を占領
 

1/14

北畠顕家軍、東坂本の義貞軍本陣に参陣
 

1/16

新田義貞、三井寺の直義の陣を破る
    関山の高師直の陣を破る
 

1/28

新田義貞、洛中の尊氏の本陣を攻める
    足利軍、崩壊し山崎・丹波方面へ敗走
 

 

後醍醐天皇、京都に戻る
 

2/1

新田義貞、「正四位下左近衛中将新田朝臣源義貞」と任命される
 

2/1

足利尊氏、丹波篠村に陣を張る
 

2/3

足利尊氏、丹波より兵庫に至り持明院に政治工作を行う
 

2/11

新田義貞、豊島河原に尊氏を破る
 

2/12

足利尊氏、九州に下る途中 光厳院より義貞追討の院宣を得る
 

3/10

新田義貞、匂当内侍を溺愛し中国地方の出陣が遅延する
 

5/25

新田義貞、湊川の合戦(現:神戸市)で足利軍を迎え撃つが敗れる
 

5/27

後醍醐天皇、叡山に逃れる
 

6/3

足利尊氏、光厳院を迎え入京する
 

10/10

足利尊氏の和平工作により後醍醐天皇、京都に還幸
 

10/11

新田義貞、恒良・尊良親王を奉じ吹雪の中、木ノ芽峠を越え越前(福井県)に下る
 

10/13

気比神宮 宮司に迎えられ「金ヶ崎城」に入城
 

11/2

後醍醐天皇、光明天皇へ神器を渡す(北朝)
    後醍醐天皇、花山院に幽閉される
 

12/21

後醍醐天皇、花山院を脱出、吉野に向かう(南朝)
1337

1/18

足利軍、金ヶ崎城を包囲する
 

3/6

新田義貞、援軍を求めに杣山城へ脱出。その後金ヶ崎城落城
1338  

5/2

新田義貞、杣山城より兵を動かし越前国府を占領。斯波高経を黒丸城に囲む
 

閏7/2

新田義貞、落城に手間取る藤島三城に向かう途中、燈明寺畷にて不慮の戦死 ※2

参考資料 : 「太平記」・「上州新田一族」・「新田町誌第四巻」・「児島高徳と新田一族」