新田義貞とは |
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人情味あふれるエピソード |
年表中 ※1 |
敗走の途中、天龍川の舟渡しで全軍渡河の後、家臣が敵の追撃を止めるため舟橋を切り落とそうとした時、義貞はこれを抑止し、「橋を切り落としたところで勝に乗って追撃する鎌倉軍が、架橋するのに時間はかからない。橋を切り落としてあわてふためいて逃げたとあっては末代の恥辱である」といい、舟橋をそのままにして帰京したという。
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年表中 ※2 |
先頭の者がばたばた撃たれたので、家来は引き返すことを勧めた。だが義貞は「勇士を失って、我れ一人生き残るのは、我が意ではない」と云い放って馬に鞭を入れ、敵中に駆け入ったという。
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動乱の世の中を太平記は |
これより四海大いに乱れて、一日もいまだ安らからず。狼煙天をかすめ、鯨波地を動かすこと、今に至るまで四十余年、一人として春秋に富めることをえず。万民手足をおくに所無し。
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