SPブラックの
カメラあすなろ物語
(近日オープン)
ライカM3の登場後、M3に立ち向かい、そして・・・


1954年にデビュウした、ライカM3。

そのM3が、世界のカメラメーカーに与えた影響は語りつくされていますので、あえて語りません。

しかし、日本のカメラメーカーは、M3には負けましたヨ・・・。
もう敵いません・・・トホホ・・・。と簡単にはあきらめませんでした。

それまで、ここまで真似するかぁ〜?と、いう位、せっせとバルナックライカのコピーを作っていた ほとんどのメーカーは、「なるほどそうか、これからは、この方向でカメラを造ればいいんだネ!」と、 ライツ社から大きなヒントを貰ったと喜んだでしょう。

M3のファインダーの完成度、シャッター機構の素晴らしさ等々はさておき、目に見える所の真似は、さすが日本のメーカーです。その対応は迅速でした。

当時レンズの性能だけではなく、ボディもようやく評価を得られつつあった日本光学ですら、 満を持して開発、発売間近だったS型の後継機を突貫工事で、 レバー巻上げに変更して発売した位です。

しかし、それらのカメラを見ると、本気でM3に立ち向かったメーカー、 姑息な改良だけで乗り切ろうとしたメーカー等々。
当時の企業規模、開発姿勢、そして技術力の縮図を窺い知る事が出来ます。

M3発売以降、あの手この手でM3を目指した日本のカメラメーカー。 しかし結局、M3にはなれなかった日本のレンジファインダーカメラ。 そして大衆はレンジファインダーカメラではなく、一眼レフを選択した新しい時代に乗り遅れ、 ひっそりとマーケットから退場していった多くのメーカー。

M3発表からわずか6年後の昭和35年前後には、キヤノン以外のレンズ交換式フォーカルプレーンシャッターのレンジファインダーカメラは 終焉を迎えました。

その後、日本のメーカーは、一眼レフ・レンズシャッター普及機の開発・生産へシフトし、カメラ生産量・品質において 日本が世界のトップへと発展を遂げたのです。


ここでは、主として、そんな時代に目指せM3!追い越せM3!として開発された、国産レバー巻上げ式・レンズ交換可能・ フォーカルプレーンシャッターを持ったレンジファインダーカメラをご紹介します。




  <<M3が、バルナックタイプから進化した部分>>
  1.レバー巻上げ
  2.一軸不回転シャッター
    中間速度が使用可能
  3.自動復元式フィルムカウンター
  4.使用するレンズに応じて変化するファインダーフレーム
    50ミリ、90ミリ、135ミリに対応
  5.ほぼ等倍の一眼実像式ファインダー
    パララックス自動補正
    今までのバルナックとは、全く違うファインダー
  6.バヨネットマウントによる、迅速なレンズ交換
    マウントアダプターにより、従来のレンズが使用可能。
  7.裏蓋を開閉式にし、フィルム装填が楽になった。
    それまでは、フィルムの先端が規定の長さにカット
    されていないと装填出来なかった。






  その完成度の高さは、誕生から50年以上経過した今でも、不満を感じる事はありません。
  今後、不定期更新ですが、いろいろなカメラを沢山ご紹介します。ご期待下さい。




お品書き
第一回(近日公開)
キヤノン7S
第二回
ご期待下さい
第三回
ご期待下さい
本ページ写真協力 太田琢浩写真事務所
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