現在は新交通システムで運行されている西武鉄道山口線に、
かつて走っていたコッペルの活躍をご紹介します。
4.終焉の足音1
山口線に通い始めてしばらくたった頃、謙信の運転が1976年度で終了、信玄は翌年1年間は使用すると聞き、
謙信ばかり撮っていました。
その頃、平日は蒸機1台、休日は2台で運転していたのですが、
何故か謙信は平日の運用に入りません。そんな少ないチャンスを求め、11月の日曜日は
謙信最後の一瞬を追いかけて過ごしました。そしていよいよ謙信はその日をむかえて、静かに西武山口線を後にしたのです。
信玄は、あと1年間の猶予があると思っていたのですが、学校の帰りに立ち寄った1977年5月のある日、
信玄故障というショッキングなニュースを聞くことになりました。左側の弁装置が故障したとのことで、
西武側の必死の努力の甲斐も無く修理不能に・・・。
庫の奥に留置された信玄。積もる埃で、どんどん信玄が白くなって・・・・。
西武園遊園地駅を出てすぐ、最大の難所があります。
謙信はCタンク。信玄はBタンクでした
謙信から感じられる息遣いは、「本物」の迫力でした。
西武園遊園地駅。観光シーズンから外れると、閑散としたローカル線でした
謙信の分まで、走れ!信玄
SPブラック16歳の頃。私の鉄道趣味の原点がここにありました。
1976・1977年撮影
すべて アサヒペンタックスSPU SMCタクマー55mm f1.8
ネオパンSSS