「SPブラック」の簡単な自己紹介です。

1960年 「SPブラック」は東京都千代田区で産まれました。
 親の実家が同和鉱業片上鉄道の線路脇という恵まれた環境だったため、
 古びた鉄道全般を愛するようになる。

1975年 蒸機全廃とともに鉄ちゃんも足を洗うかと思われたが
 中小私鉄・旧型電機でなんとか生き延びる。

1979年 大学入学と同時に蒸機の幻影を北海道に求め、そのころから北海道へ渡る回数が増える。

1983年 社会人となり、酒と仕事の日々を送り鉄ちゃんとは無縁に近い状態に陥る。
 仕事でカメラ屋に行く機会が増え、中古カメラの魅力にはまり始める。

1988年 地元埼玉でC58が、北海道ではC62が復活するという奇跡が起き、鉄ちゃん復活。
 撮影機材もF3P導入を始め、ブロニカ・ライカ・ニコンSPなど毎年大量入線。
 当然C62も撮影に行くが、地元の人が撮った写真を見て、やはり旅人では敵わないと、
 秩父のC58に命を賭ける。この年と翌年で、秩父出動回数は100回を超える。

1991年 蒸機以上に愛して止まなかった「同和鉱業片上鉄道」が廃止。中古カメラを買って
 寂しさを紛らわす。 この頃から、ライカマウントレンズ、ニコンF関連の品物が増殖。

1998年 念願の札幌勤務。北方領土が帰ってきたら東京に戻してやる。という、上司の
 暖かいお言葉を胸に、蒸機無き北海道へ。
 平岸に居住し、夜な夜なすすきので雄叫びをあげ、札幌の中古カメラ屋を荒らしまくる。

1998年暮れ 留萌本線でC12が走る。無謀にも豪雪の恵比島へ所沢ナンバーのFR車で
 命がけで駆けつける。

1999年 留萌本線のC11撮影を楽しみ、北方領土はしばらく戻りそうもないし、当分幸せな
 転勤生活を送れるぞ、と、 機材の増備に走り、準備万端207復活に備える。

2000年 蒸機復活が命取りとなり、このまま北海道に置いておくと、「SPブラック」は何を
 しでかすか分からないと、わずか2年で札幌を首に・・・。
 3月のニセコ号の試運転を撮影後、小沢から千歳へ、そのまま東京に泣く泣く戻り現在に至る。
 現在は東京都に居住し、ひたすら渡道費用を貯め、C11に逢うことを楽しみにひっそりと生きる。
 ハンドルネームのSPブラックは、某社のカメラ「SP」をこよなく愛し、特にブラックボディを愛でる
 ことから命名。

その後、流れ流れて一時東北某所に居住していたが、また、流れ流れて、今は日本国内某所にいる。らしい・・・



涙の北海道ラストショット
(初日は結構雪がありました。)


トップへ戻る場合はプラウザの戻るボタンでお戻りください。