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お見合いには蝶々のハンカチを持って 土井 ひで さん (高石・1907年生れ) |
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土井ひでさんのインタビュー当日に、テレビの取材が入り、大勢で伺うことになった。
カメラやライトの前で、土井さんは目を輝かせて、楽しかった思い出を語る。 その話は、場面が目に浮かぶように生き生きと面白く、話に引き込まれて笑った。 百歳の方でも話す声にこんなにハリがあり、言葉が明瞭なのかと驚いた。 夫の出征、食べ物の苦労、6人の子供と疎開してきた児童12人の子供の世話……。 土井ひでさんは、いろいろな苦労を乗り越え、50代からはリーダーとして長年、地域に貢献してきた。 |
土井ひでさんは52歳で高石町の町会議員になって以来、町会の副議長にまでなったスーパーレディ。
町会に打って出るまでにも既に、婦人会の会長、ガールスカウトの委員長など、
家に落ち着く間もないくらい駆け回っていたとか。 「大体が世話好きなんですかなぁ。 苦しい時期が終わって、長男も嫁をもらったし、みんなが出ぇ出ぇ言うてくれて、ほんで思い切って出たんです」。 当時は、旗を持って皆で歩いたり、リヤカーに乗せてもらっての選挙運動だったという。 「名前を印刷する費用もありませんから、主人が手書きでポスターを書いてね。 あの時分は着物でしたから、雨の日なんか尻からげして歩くんですの。 ある時、一生懸命回ってたら、『土井さん土井さん、ここはもう大津(隣接の泉大津市)ですよ』言われて、 もう恥ずかしくて看板の中に隠れたこともありました」。6期24年間に亙る議員生活の間に、勲五等瑞宝章を受勲した。 |
・ 芸人になりたかった
土井さんは若い頃から歌やピアノが得意で、音楽学校に進みたかった。反対した母は、土井さんを八卦見に連れて行った。 「その人が何やらガチャラガチャラやって、『この人は丙午だしね、芸人は適しません』。 母が得意になってね『八卦見さんも言うたでしょ?だから芸人なんか止めなさい』。 それで同志社に行ったんです。私、丙午の12月生れだったんですけど、 昔は、丙午は縁が遅いとか主人を食い殺すとか言われてたから、父が1月1日生れにしたんです」。 (同志社時代。初めての洋装→)
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・別嬪好みの夫 夫君との結婚に到るまでのいきさつも面白い。 そもそもは、ひでさんの実家に、夫君の結婚相手を世話してほしいとの依頼があったところから始まる。 夫君は好みが高く、 「縁が無くて、父が土井の写真を返したんですのよ。1年くらいして、又主人の写真が来たんです。 父が『前の写真やがな。とにかくものすごい別嬪さん好みやからようやらん』言うて返したんです。 そしたら土井の父が、(私を)もらいたいと来ましたので、今度は母が 『娘は5人の中で一番不細工やから、お宅へは向きません。お宅は別嬪好みやと聞いとりますので、ご辞退します』 って申しましたんですのよ。そしたら土井の父が怒り出して、 『別嬪別嬪言うて、別嬪やったら色町行って探すわ』言うて帰ってしまいはったんです」。 これで終わりかと喜んだのもつかの間、見合いにまで発展してしまう。 「私はまだ18歳で学生やし、いい着物もあれしませんやろ?三越へ買いに行って、朝から風呂焚いてもうて、 真っ黒けな顔やから言うて、顔に白粉つけたり髪結うたり」。 母親に『平素の手入れが悪いからなんぼ付けたかて、あんたうまいこといけへん』と怒られながら、 ようやく住吉公園の見合いの席に行く。 「あちこちに赤い絨毯をひいて椅子が置いてあってね。 父が『しばらく話しなさい。私らはあちらへ散歩に行くから』言うて行ってしまって。 何も言うことないし、蝶々のハンカチをフニャフニャめくりもってね。 何言うたかわからないんですが、とにかく蝶々のハンカチがもう、ベチャベチャになるほど触ってたんですの」。 蝶々のハンカチ見合いは成功だった。その後「会いたい」の電報がしつこく送られてくる。 学校の試験が終わった頃、夜、両親が下宿まで迎えに来て、引きずられるようにして帰ってみると、 座敷いっぱいに嫁入りの仕度がしてある。 「もうびっくりして私は嫌や言うて泣くし大騒ぎ。 父は、『顔をあんじょうして』言うて、毎日美粧院へ連れて行ってくれますねん。 卒業するまでは学校にやるのを承知してほしいと約束したらしいです。 4月にお見合いして、7月の10日に学校の試験が済んで、15日が結婚式でしたの」。 |
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・ 愉快なお舅さん ひでさんは、強引過ぎるほど積極的にこの結婚に突っ走った義父のお気に入りだった。 「自分の着物でもおばあさんの着物でも、全部私に縫わすんですの。着物縫って持って行きますでしょ。 そしたらすぐに広げてね、パアッといっぺん着るんです。 『お前に縫ってもろたらな、重ねでもこんなに綺麗、着心地がええわ』。上手なんですわ、嫁さん、タダで使うんが」。 義父に誉められたい一心で、6人の子供が寝静まった夜中に、頼まれた大島の着物などを縫った。 「考えたら何一つ褒美くれるやなし。おまけに『株で儲けて倍にしてやるから貸し』言うて、 ピアノのための持参金までおじいさんに渡してしもたの。とうとう、返らず仕舞いでね。 おばあさんのも縫わなあかんでしょ。そこへ、娘をかたずけなあかんでしょ。その時の着物も縫わなあかんでしょ。 年がら年中忙しい……」。 だんだん世の中が洋服になってくると、丸善が輸入する毛糸を買って、 おついの洋服≠子供たち全員に編んで、正月には着せたと言う。 |
・ どんな毎日を?ひでさんは現在、長男兆さん夫妻と住む。トイレと食事の時以外は、自室のベッドで人形を編む。 親子四代に亙る敬虔なクリスチャンのひでさんは、 「いつなと神さま迎えに来てください言うて、お祈りしてますの。 毎晩九時のニュースまで聞いて、それから好きな賛美歌を3つ歌っております。 主の祈りを唱えて自分の悩みを祈るんです。子供の名前と家族一人一人の名前を言って神さまにお祈りします。 教会のことやら皆さんのことも。それをやってると1時間ぐらいかかるんです。 寝られへん時は、人形を2段でも3段でも編みますね」。 裁縫や編み物は、女学校の頃から母親に厳しく仕込まれたものだ。 「『自分の着物は自分で縫っときなさい』言うて、少しずつ教えてくれましたの。 そんなことで、小さい頃から手仕事さされて。そのお陰やと思います。 ほんとに何が間に合うやらわかりませんね」。 帰る間際、毎晩編んでいるという可愛いお人形や、 そしてリハビリを兼ねてミシンで縫ったという鍋つかみがどっさりと出てくる。 「皆さんに持って帰っていただこうと思って色違いを用意致しましたの。数は足りますかしら?」 もう30年続けている人形作りは、1体をたった2日で仕上げる。 教会のバザーに出したり、幼稚園の卒園祝いに、子供にはお人形、お母さんには鍋つかみをプレゼントするのだという。 取材の疲れはないかと案ずるスタッフに、 「今日は皆さんにお会い出来てほんとに嬉しいんですの。ゆっくりおって下さいよ」と、 涙を流して喜んで下さった。 |