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この手ェ どんだけ働いてきたか! 秦 まさへ さん (大阪・1903年生れ) |
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もうすぐ、満百四になるんでっせ。なかなか死なれへん。 どっか、しんどなったらええと思とんのに、 どっこもしんどなれへんねん。 ほんなもん、この世の人間やない! 娘達に気の毒や。 |
「てて親と主人の命もろてきてんのよ」 とまさへさんは言う。 「てて親」は日露戦争で戦死した。まさへさん2歳の時だ。 まだ20歳だった母は2人の子どもを抱えて、田んぼや畑へ出て、山へ芝刈りに行って子供を育てた。 「おかんがこんなんやさかい、わしかってしっかりせなあかんがな」。 ![]() 結婚後は大阪福島の市場でかしわ屋を営んだ。 「この手どないに動かしたか。 丸のかしわ、さばいて……、出刃を持った手にタコイボがでけるほどや」。 昭和20年6月1日の大阪大空襲にあって、かしわ屋は丸焼け。その後夫が急逝した。 「一家7人、食べていかなあかん。配給では足りませんがな。買出しに走り歩いて、野菜を売り歩いてん。 えべっさんで饅頭売ったり、あっちこちでお寿司売ったり、芋、蒸して売ったり。 この手はどんだけ働いてきたか」。 |
秦まさへさんは今でもじっとしてるのが苦手。 デイサービスでは、千羽鶴を折り、お針の仕事もする。 「今はすることがおまへんやろ。こんなん誰もしてくれ言うてぇへんのに、一人でしてんねん」。 |
現在は娘さんと二人暮し。孫の勤めるデイサービスに週3回通う。 取材の朝は大好物の松茸御飯を食べてきたという。 「贅沢や」とまさへさんが言うと 「何時死んだかてええように、うまいもん食べとかな」と返され、 食べっぷりを見た娘に 「そんだけ食べたら、まだまだ死ねへんわ」と憎まれ口を叩かれたと笑う。 (この文章は、にっち倶楽部掲載の文章から抜粋してあります)
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