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俳句に綴る一代記 浮田 胤子 さん (神戸・1905年生れ) |
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若くて、表情豊な百歳の方に出会うと、生きることの素晴らしさを無条件で信じてしまう。
浮田胤子さん、101歳。 聞けば、マンションの3階に1人住まいとのこと。 朝食はミルクたっぷりの紅茶、生野菜のサラダ、ハム、チーズを自分で用意し、 大好物のフロインドリーブのパンを一切れ。 昼、夜は階下に住む次女高井和子さん夫妻宅で一緒に食べる。 胤子さんは、少し前に脚を骨折した。しかし、今はすっかり回復し 「美容院はここから5分ほどなので、予約すると1人で行ってます」と和子さん。 インタビューの帰り際、 「私のこしらえた物たくさんありますよってに、寄ってちょうだい」 とさっさとコートをはおり、自宅に案内してくれた。 小奇麗に整理された部屋。 阪神大震災で持っていた家具がほとんど壊れてしまい 「家具が寄せ集めでね……。ミシンは今でも踏みますよ」。 衣装箱にいっぱいの手作り品。色の組み合わせがお洒落なセーター、 編みこみのカーディガンそして凝った織物のスカーフ、極め付けは太毛糸のコート。 「ワァー素敵!」と感動すると、ニコニコ顔の浮田さん。 |
| 胤子さんは、船場で和漢薬を商う浮田五龍圓の四女に生れた。 生家は薬屋ですねん。五黄や人参とかを家で蒸して、お餅つきみたいなんで搗いて、 蜜を入れて、飴も入れましてこしらえてたんですわ。 薬炊く日はくさいんです。友達が遊びに来ると「くさい、くさい」って。 私なんか慣れっこになってますからね。息子なんか食べると口真っ黒ですねん。 お薬の壷があって、入れもん持って買いに来られてましたよ。 戦後すぐは甘いもんがないから、行列が出来てました。 お子達のおねしょ≠ノ効くんです。続けるとよう効くらしいです。 そんなんのお礼状が来てたですよ。 |
| 女学校から東京の女子大へ進学を希望したが、家族の反対で果たせず、神戸女学院へ。
神戸元町では「ダウンタウンしよか」とよく遊んだ。 私、4人姉妹の末っ子ですねん。 小嬢さん(=末のお嬢さんのこと。京都では「ことうさん」大阪では「こいさん」)って呼ばれてました。 物心ついた時には、3番目の姉が女学校にいってたくらいで、おばさんみたいなもんですね。 父兄会なんか大抵姉がきてました。 姉妹みんな同じ女学校でしょ。お姉さんはこうやったとか言われるのが嫌でねぇ。私は私なのに……。 窮屈でしたよ。 家でも誰かついて来ますでしょ。窮屈やし、門へも1人で行けませなんだ。 何や知らん、かなわんように思ってましたね。 だから家から出て、違う所に行ってみたいと思ってましてん。 |
無理やり母親に勧められて習い始めた俳句を今も続ける。どうやら胤子さんの元気の素らしい。 20歳すぎから、 山口誓子先生に俳句を習ってました。 ○とかチョンとか付けて下さって、あまり細かくはおっしゃいませんでしたよ。 一代記の代わりに、俳句をちょこちょこ書いてますねん。嫌なことを忘れるのに、俳句が役立ってますわ。 夜中目が覚めたら、いろんな煩悩が出るんで、 そんな時は、俳句作ったり、俳句の本読んだりするんですよ。 今は95歳の人が迎えに来て下さって、一緒に習いに行ってます。 「貴女、元気にしててや」と言ってるんです。 締切があって出さんなんでしょ。 頭どないかならんようにとやってるんです。 20年前、句集『椰子の実』を作ったんですけど、 その後また溜まってるんで、まとめたいなと思ってます。 この2,3年ね、今まで覚えていた人の名前なんかが出てこないんです。 顔は分かっててもね。思い出したら、帳面、置いといて何でも書くことにしてます。夜中にでもね。 |
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胤子さんが初めての句会で作った句
電柱にびら寒ざむとふるえ居り
以来、80余年。最近は次のような句を読む春隣阿修羅の腕のなまめくも 飽かず見る穂高の霧の晴れゆくを |