第7回 麦草峠ヒルクライムレース

                                  (写真はアルファウォークより)

長野の佐久で行われた麦草峠ヒル
クライムレースに参加してきました。この大会は、川越の
バイクショップが主催しており、今年で7回目を迎えます。

国道299号線の佐久穂町、標高800m地点をスタートし
標高2,127mの麦草峠まで、標高差、何と1,327m
距離約25kmの、ただただ、ひたすら上り続ける大会です。

 

自宅を朝5時半に出発し、関越道の鶴ヶ島ICから、上信越道
の佐久ICをめざしました。途中、先日の台風の影響で、富岡
と下仁田間は通行止めのため、一般道に迂回しましたが、8時
前にはスタート会場に着きました。

国道沿いのスタート会場には、すでに選手の皆さんが集まって
来ており、着替えやウォーミングアップをしていました。中には、
ローラー台持参で真剣に準備している選手もおり、本格的なヒル
クライムレース初出場の自分としては、柄にも無く?、とても
緊張してしまいました。(*^_^*)

出場選手は全部で24名、午前9時に1番の選手がスタートし、
1分おきに次々にスタートしました。スタート順は、先日の
スイムの成績順?ではなく、アイウエオ順でした。それでも、
24名中21番の後方スタートでした。(^^ゞ



スタート直後から、上り坂が続きまして、スタートして10分
位で、後からスタートした選手に抜かれ、20分後には、定位置
の最後尾を、ゼイゼイ、ヒイヒイ、言いながら漕いでいました。



天気は、なぜか晴天で、気温もかなり高かったです。日焼け防止
用のアームウォーマも、外したくなる程で、参りました。m(__)m
佐渡大会の疲れと、佐渡のスイム以上に厳しかった、金曜日の
スイム練習会の疲れから、「8%↑」とか「9%↑」と書かれた
道を登るのは、想像していた以上に厳しかったです。

10キロ地点を45分位で通過しましたが、途中でサポートの方が
車で応援して下さる以外は、観客の方も居らず、一人孤独と戦い
ながら上りました。(当然、今回は頼みの私設応援団も、さすがに
疲れて「家で寝ながら応援してるわ!」で、おりません。(ーー;))

それでも15キロ過ぎ位に、2ヶ所ほど、少し平坦な道(実際は
緩い上りだと思いますが。)があり、なんとかDHポジションで
飛ばしました。しかし、それも長くは続かず、直ぐに急な上り坂
が始まり、一番軽いギアを使わざるを得ませんでした。(ーー;)

23キロ地点からは、さらに勾配がきつくなり、脚が止まりそうに
なったため、仕方なく、ジャージの背中に入れておいた補給食を
食べました。おいしゅうございました。(こんな、短いヒルクライム
の途中で、補給食を食べたのは、恐らく自分一人だと思います。(^^ゞ)

そのお陰で、残り2キロも何とか漕ぎ続けることが出来ました。最後の
コーナーでは、店長の息子さんが、旗を振ってゴールの計測の方に、
自分の到着を教えてくれました。ゴール時間は、243UWJ師範の
予測通り、昼位む(ヒルクライム?)に到着できました。\(^o^)/

ゴール付近では、先に到着した選手の皆さんが、声援と拍手で最終の
選手(って自分のことです。)を迎えてくれました。毎度のことながら
すごく嬉しかったです。ありがとうございました。(*^_^*)

標高2,127mの麦草峠の気温は、さすがに低く、アームウォーマー
だけでは、寒い位でした。大会に慣れた選手の皆さんは、上着や雨具を
持参してきていて、それを着て下って行きました。

下りも、始めの内は勾配もきつく、ブレーキを握りっぱなしで、時速
30キロ位で走っていました。しかし、途中から勾配も多少緩くなり、
直線部分も長くなってきたので、時速50キロ位までは出せました。
(ただし、「サクリファイ」を読んだ直後だけに、それ以上の無理な
走りはしませんでした。)上りは、苦しいながらも楽しい?のですが、
下りも慣れれば、やはり、あのスピード感はたまりませんね!!!

今回は、佐渡の一週間後の大会という事で、出場を迷いましたが、
来年の野辺山(ちなみに野辺山のコースの直ぐ隣でした。)と御嶽
スーパーに向けての最初の練習としては、最高でした。\(^o^)/

(お暇な方は、大会の結果を、下記からご覧下さい。大会の写真も
 近日中にショップのHPに掲載される予定です。)

http://www.alphawk.que.jp/20070909/2007.result.pdf
















































2007年 佐渡トライアスロン完走記&観戦記

 

今年のトライアスロン大会は、アイアンマン・ジャパンと皆生の2つのロング大会に

出場したので、佐渡はBタイプに出場して、ゆっくり、のんびり楽しもう!と決めて

いました。まあ、Bタイプなら、あまり練習しなくても、制限時間もタップリあるし、

バイクで何回パンクしても、完走メダルだけは、なんとかゲット出来そうだし。(笑)

 

そんな、お萩に砂糖をかけた様な甘い考えから、7月から8月の終わりにかけて、殆ど

佐渡大会へ向けての練習をさぼっていた自分の姿を、トライアスロンの神様は、遠くの

空の上から眺めておられ、そんな怠け者に厳しい天罰を下されようとは、一体誰が想像

出来たでしょうか? えっ、皆さん全員、予想されていましたか。あはは。(爆)

 

そう言う訳で、大変遅くなりましたが、2007年佐渡国際トライアスロン・Bタイプ

涙の完走記&Aタイプ感動の観戦記をお届けいたします。よろしければ、最後の最後まで、

ごゆっくりとお付き合いの程、よろしくお願い申し上げます。

 

9月1日(土) 大会前日

 

今年は仕事の都合で、大会前日の土曜日に佐渡へ出発しました。朝5時過ぎに家を出て、

直江津からフェリーに乗り込み、お昼過ぎに小木港に到着しました。小木港近くの食堂で

昼食をとり、味噌蔵見学などをした後、大会会場が置かれた、佐和田に向かいました。

 

佐和田の大会会場で、ネリトラの皆さんと合流し、選手登録を済ませた後、開会式と

競技説明会に出席しました。開会式では、前日から佐渡に入られていた皆さん全員が、

これまでの厳しい練習の疲れと、大会前の緊張による睡眠不足から、とてもお疲れの

ご様子で、コックリ、コックリと、静かにお休みになられていました。(笑)

 

そこで、開会式と競技説明会の間に、ネリトラのAタイプ出場選手には、是非とも全員

完走を目指していただきたい!との思いから、あの有名なランス・アームストロング選手

のガン撲滅基金に協力した時に送っていただいた、黄色いリスト・バンドを配りまして、

明日の大会に向けて、ガツン!と一発、勝手に気合を注入させていただきました。(爆)

 

このリスト・バンドには「LIVE・STRONG」の文字が刻まれており、自らの

ガンを克服し、ツール・ド・フランスで前人未到の7連勝を達成した、不屈の精神力を

持つランス選手に少しでもあやかろうと、自分も大会の時は、いつも腕に付けています。

ちなみに、タナカさんはランス選手と、お友達です!!サイン貰って下さい!!(爆×2)

 

競技説明会終了後、去年の佐渡Aタイプで、大変お世話になった噂?の補給食を購入し、

ネリトラのメンバー全員で記念撮影を行い、明日の大会での健闘を誓いあった後、本日の

宿泊地である、相川へと向かいました。

 

宿でチェックインの手続をしていると、偶然隣では、あのリサ・ステッグマイヤー選手も

手続をされていました。リサ選手は、ご家族皆さん大勢で来られていた様子で、夕食時の

レストランでも、お見かけしました。今年は、女子総合10位、年代別では優勝もされて

いました。時々、天は二物を与えるようです。自分には、一物もくれませんが。(笑)

 

夕食後、明日のレースのトランジッションの準備をしてから、お風呂に行きました。今回

は、ジャパンの時に、福江島で泊まったホテルのお風呂とは違い、外国の選手に突然英語

で話し掛けられることも無く、ゆっくりと温泉に浸かれました。(爆)

 

9月2日(日) 大会当日

 

Aタイプのスイムスタート時間の前に、会場に到着しました。管理人様やミヤモトさんの

奥様と、少しお話しをした後、Aタイプのスタートを見てから、体育館でナンバリングを

してもらい、ウェットスーツに着替え、Bタイプのスイムスタートを待ちました。

 

(スイム編)

いつもの様に、最後尾からスタートしました。遠浅の海岸を、しばらく歩きながら進み、

腰まで水が浸かった所位から、泳ぎ始めました。泳ぎ始めは、周りにも選手がまだ多く、

少し泳ぎづらかったのですが、その後は、恐怖のバトルに巻き込まれることも無く、また、

天候の割には、水もかなり透き通っていて、見通しも良く、とても泳ぎ易かったです。

 

しかし、第1ブイを回った辺りから、波やうねりが出始めました。また、久々に再会した

佐渡のクラゲ君達に、顔を2回ほど刺されてしまいました。ピシッ!と、ムチで打たれた

様な感じがして、ヒリヒリと痛みましたが、何とか我慢して泳ぎました。(泣)

 

第2ブイを回ってからは、さらに、うねりも大きくなり、かなり泳ぎづらかったです。

フィニッシュ地点は確認できましたが、なかなか前に進まず、さらに、もう1回ダメ押し

で、クラゲ君に顔を刺されてしまい、「これが本当の、泣きっ面にクラゲ?って奴か」と

訳の分からない事を心の中で叫びながら、必死でスイム・フィニッシュしました。(爆)

(なお、クラゲ刺され防止用ローション、過去2回使用中2回とも刺されています。塗布

時のクラゲ君との遭遇確率は、なんと100%です!本当に素晴らしい効き目ですね?)

 

(バイク編)

今回は、制限時間はタップリありましたが、砂だらけの更衣室は使いたくなかったので

バイク&ラン兼用のパンツを着用して泳ぎました。これでトランジッションの時間も、

普段より少しは短くなるのでは、と思いましたが、アンダーシャツを着る際、またしても

得意の「先生、助けてえー」状態になってしまい、実に2度も着直しました。(爆)

 

バイク・スタート後は、住吉AS、水津WS、豊岡AS、多田WS(54キロ地点)と

順調に進むことが出来ました。途中、先にスタートした、むらちゃんやハットリさんを

追い抜く事も出来て、「このままノン・ストップで行けば、バイク3時間半でフィニッシュ

出来るかもしれないぜ!!」と、練習不足の割には、好調な感じで、漕ぎ続けました。

 

しかし、世の中、そうそう甘くはありませんでした。赤泊AS(63キロ地点)を通過

した後、フロント・タイヤがパンクしてしまいました。とても焦りました。(汗!)

 

実は、大会前のパスタdeバイクの日にパンクした際、携帯ポンプの頭が壊れてしまい、

新しい物を買おうと思っていたのですが、忙しくて買いに行けませんでした。そこで、

1週間程前に、あわててネット通販で購入したのですが、商品の到着が送れてしまい、

今回の佐渡大会には、間に合いませんでした。(泣)

 

そのため、外れかけた携帯ポンプの頭の部分を、ビニールテープで巻いただけの応急処置

で大会に出場してしまいました。「まさか、続けてパンクする事は、無いよね!」と、これ

また甘い考えから、予備のチューブ2本だけで、修理キットは持って来ていませんでした。

 

歩道にバイクを上げて、ホイールとタイヤを外し、チューブの交換作業をしました。その

横を、かなり前に抜いた、ハットリさんや、むらちゃんがシューと走り過ぎて行きました。

去年のデカスロン大会の時、やはりパンクの修理をしている自分の横を、243師範や

shiggyさんが抜いて行った時の事を思い出し、とても悲しくなりました。(爆×2)

 

しかも、今回使用しているミシュラ○のタイヤは、以前のユッチ○ソンのタイヤに比べて、

非常に外し難く、かなりてこずりました。それでも、ようやくチューブの交換作業を終え、

タイヤをはめてエアーを入れてみました。ところが、タイヤが全然膨らみません。ポンプ

の頭の部分を手で押さえながら、一生懸命入れてみましたが駄目でした。(激汗)

 

仕方なく、もう一度タイヤを外し、チューブを取り出して調べてみると、タイヤレバーで

噛んだ穴が開いていました。(汗&泣)「やばい、残りのチューブは1本だけか!!今度、

パンクしたら、もう後は無いじゃん!どうしよう?先生、助けて〜!」本当に焦りました。

 

2回目は、タイヤレバーを使わずに、手だけでタイヤをはめる事にしましたが、これが、

きついの、きつくないのって、きついの?きつくないの?(クイズ・タイムショック!)

って、冗談を言っている場合ではありません。(爆)必死にやったお陰で、何とかタイヤ

を入れることが出来、エアーを入れてみました。そうです、例の壊れかけたポンプです!

 

途中まで、かなり良い感じで入りましたが、その後は、なんだか空気が抜けているような、

いないような微妙な感じでした。それでも、これ以上は、他にするすべもなく、バイクの

コースに戻り、大きな不安を抱きながらも、再び漕ぎ始めました。

 

しばらくの間は、大丈夫でしたが、短いトンネルを抜けた後、再びフロント・タイヤから

空気が抜けてしまいました。またまた歩道にバイクを上げて、近くにいた係の方に、「次の

メカニック・サービスまでは、ここから、どの位ありますか?」と尋ねたところ、「まだ、

あと10キロ以上は、ありますよ!」との、お答えでした。(泣×3)

 

「佐渡のBタイプならば、バイクで何回パンクしても、完走できるぜ!!ニヤリ!!」

トライアスロンを始めて5年目の自分の心の中に、こんな思い上がりの気持ちが、いつし

か生まれていました。しかし、2年間連続で佐渡Aタイプを完走したといっても、一昨年

は制限時間の5分前、そして去年は制限時間1分前の、本当にギリギリでの完走でした。

まだまだ実力も経験も無いくせに、調子に乗っていた自分に、天罰が下されたのです!!

 

「トラの神様、また初心に戻って一からやり直しますので、どうか、この迷えるメタボ・

オヤジをお助け下さい!!」天を仰ぎながら、必死でトラの神様に祈りを捧げる姿を見て、

係の方も心配になった様子で、「頭のほう、ではなく、バイクのほう、大丈夫ですか?」と、

声を掛けに来て下さいました。「ありがとうございます。何とかやってみます!はい!」

 

そうは言ってはみたものの、この先10キロも、バイクを押して歩いて行く気にもなれず、

どうした物か、困り果てていました。しかし、とにかく最後に、もう一度だけ、パンクの

状態を調べて見ようと思い直し、タイヤを外して、チューブを取り出し、空気を少しだけ

入れて、パンクの箇所を探しましたが、なかなか見つかりませんでした。

 

そこで、歩道から数m下の海岸まで降りて、海の中にチューブを沈めて、パンクの穴の

位置を探しました。その結果、チューブ自体には、穴は開いていないことが分かりました。

どうやら、携帯ポンプで空気を入れる際、頭の部分を強く押さえ過ぎたため、チューブの

バルブの先端が曲がってしまい、そこから空気が漏れてしまっていた様です。(この時は、

トライアスロンのレース中に、海の中にチューブを突っ込んで、パンクの箇所を探して

いる、間抜けな選手も、めずらしい存在だろうな、と我ながら感心しました。(爆×5))

 

ふたたび、慎重にタイヤをセットしてから、壊れかけの携帯ポンプで空気を入れ、バルブ

をしっかり締めて、なるべくフロント・タイヤに体重を掛けないように乗りながら、10

キロ先の、小木AS(76キロ地点)にあるメカニック・サービスを目指しました。(当然、

DHバーを使うことはしませんでしたので、強い向い風には苦労しました。)

 

「メカニックで、新しいチューブに交換してもらおう!!」普段、街の中を走っている、

買ってから何年間も、一度もメンテをしたことのないママチャリのタイヤと同じ位フニャ

フニャのフロント・タイヤで、だましだまし走りながら、ようやく、メカニックがある、小木ASの看板が見えてきました。

 

小木AS手前で係の方が、「何か欲しいものありますか?」と聞いて下さったので、即座に

「メカニック、お願いします!!」と、答えました。「あそこで、諦めてリタイヤしなくて、

本当に良かった!!」と、嬉しく思うと共に、トラの神様に心から感謝しました。

 

ところが、そんな喜びも一瞬にして消え去りました。誘導されたて行ったメカニックには、

かなり使い込んで錆びた空気入れと、古い物置の奥から引っ張り出して来た様な工具箱と、

とてもバイクのメンテ用とは思えない工具類しかありませんでした。もちろん、新しい

チューブなんて、どこにも見当たりませんでした。(愕然)

 

それでも、高齢のメカニックの方お二人が、曲がっているチューブのバルブの先端を、

例の工具箱の中にあった、ごついペンチ?を使って直して下さいました。その間、お二人

は、「そこは、あんまり、いじらん方がええって!!」とか、「そんなに空気を入れたら、

またパンクするから駄目だって!!」とか、いろいろと、お話をされていました。(号泣)

 

小木のメカニックのお二人様、本当に有難うございました。これからは、大会前のバイク

チェックを、今まで以上にしっかりと行い、バイクメンテナンスの技術も少しずつ自分で

勉強して行こう、と固く心に誓いました。人に頼ってばかりでは駄目です。(爆×3)

 

小木ASからバイク・フィニッシュまでの約30キロの道のり、段差では完全に徐行し、

上り坂でも後ろに体重を掛け、下り坂でも30キロ以上スピードは出さず、そしてどんな

向い風でも決してDHバーを使うこと無く、ただひたすら、パンクしない事だけを神に

祈りながら、バイクを漕ぎ続けました。

 

結局、バイクのタイムは、初めに予想した3時間半を大きく上回ってしまい、3年前に

Bタイプに初出場した時よりも45分も遅い、5時間でのフィニッシュとなりました。

トライアスロンという競技は、まさに人生の縮図ですね!!(意味不明+爆×10)

 

(ラン編)

バイクシューズをランシューズに履き替えただけで、直ぐにスタートしました。

が、しかし、ここで、バイクソックスからランニングソックスに履きかえることにしました。

なぜ
なら、ここまでくれば、もう完走メダル・ゲットは間違いありませんし、(本当ですか?)

密かに目標としていた7時間切りの夢も、はかなく消え去ってしまいましたので、(泣)

 

そのかわり、とても嬉しい事に、スタートしてから、畑野ASの折り返し地点までの間に、

今回Bタイプに出場された、全ての知り合いの選手に、ご挨拶をすることが出来ました。

 

スズキさん 「何でAタイプに、出ないんだよ!」お叱りの言葉を、頂戴しました。(汗)

      佐渡一周ロングライドの時も、大変お世話になりました。今年は残念ながら

ケーブルTVで最終ランナーの姿をお見せする事ができず、申し訳ありませ

んでした。(でも、なんでスズキさんこそ、Aタイプに出られないのですか?)

ヤマダさん 「ほら、ほら、もっと走れ!走れ!」激励のお言葉を、頂戴しました。(汗)

      同じスポーツクラブに通われる、元城北連合のアスリートです。スイムは

      凄く速いですが、バイクやランも、やはり速いですね。(ヤマダさんこそ、

来年は、再びAタイプに出場して下さい!!)

ウルシバラさん 「よっ!」元地元走友会の大先輩で、今年、何と70歳!になられます。

      海外のアイアンマンにも出場され、川越−直江津ロングライドでもお世話に

      なりました。自分も、あと20年はトラを続けられるってことですよね!!

マエノさん 昨年のAタイプに出場し、見事完走された石川県のトライアスリートです。

      直接お会いした事はなく、前日に必死で覚えたゼッケンも、バイクトラブル

      で忘れてしまいましたが、ケーブルTVのゴールシーンの記憶を頼りに、思

い切って声を掛けさせていただきました。初めは、まったく知らない変な

オヤジから、突然自分の名前を呼ばれて、驚かれた様子でしたが、事情?を

説明すると、とても喜んでいただけました。機会があれば、是非また、七尾

の大会に出場させていただきたいと思います。

ハットリさん 「あれ?何してるの?」と一瞬驚かれていましたが、上記の理由でバイク

フィニッシュが大幅に遅れてしまいました。アイアンマン初完走をめざして、

これからも、マイペースで頑張って下さい。

アルガさん ジャパンや佐渡ロングライドでも、アルガさんご夫妻には、大変お世話に

      なりました。ご主人は、凄く速い事は知っていましたが、奥様も折り返し

       の後、宮川ASの辺りで声を掛けて頂き、先に行かれましたが、まったく、

       着いて行けませんでした。これからも、お二人仲良く、頑張って下さい。

 

佐和田の商店街入り口では、「去年、最終ランナーになった、、、」の自己紹介文が読まれて、

少し照れましたぜ!!その少し先では、スズキさんが応援していて下さり、「お疲れさん!」

って、ハイタッチをしてくれました。誠にありがとうございました。(自分は、来年佐渡に

出場しても、恐らくまたBタイプだと思いますので、ひとつ、よろしくお願いいたします。)

 

ゴール手前では、ネリトラAタイプ専属カメラマン?兼私設応援団長が「遅いわね!!

何やっていたの?」と、すごく心温まる優しい言葉で迎えてくれました。そして、無事

制限時間内に、同伴フィニッシュをすることが出来ました。めでたし、めでたし。(爆×4)

 

(応援編)

ゴールした喜びを味わう間も無く、おじいさんは、バイクを引き取り、宿のチェックイン

をしに、そして、おばあさんは、Aタイプの選手応援のため、神社に向けて出発しました。

(楽しみにしていた、イカの丸焼きと、生ビールは、残念ながら、お預けです。(爆×2))

 

車にバイクを乗せて、今晩の宿に向かい、チェックインの手続きをしてから、お風呂で

汗を流した後、再び佐和田のバス・ステーションに戻りました。佐和田から新穂の神社

まで行くバスの窓から、フィニッシュ・ゲートを目指して必死で走る、Aタイプの選手

を応援していると、思わず感動して泣けてきました。アルガさんの、素晴らしい走りも

拝見することが出来ました。やはり、Aタイプに出る選手は皆さん、本当に凄いっすよ!!

 

神社では、先に到着していたネリトラ応援団の二人が、選手の応援や写真撮影をして

いました。ネリトラのメンバー全員が、神社前を通過して、金井ASの第1折り返しに

向かったことを知りました。ただ、モリノさんだけは、バイクの時から全然判らないと

のことでした。そんな話しをしている時、自分達の目の前を、金井の第1折り返しから

戻ってきた、モリノさんが、颯爽と走り抜けて行きました。

 

「モリノさ〜〜〜ん!!」あわてて、モリノさんに声を掛けました。そして、写真撮影の

ため、わざわざ立ち止まっていただきました。「もう、ヘロヘロですよ!」の声とは裏腹に、

とても元気そうに、潟上ASの第2折り返しに向かって、走って行かれました。時間も

まだまだ充分に残っており、完走は絶対に間違いない、と思いました。

 

その次は、時間的に、ジュンペイさんか、shiggyさんが、走ってくる、との予想

でしたが、なかなか姿が見えてきませんでした。ここで、待っていても仕方がないので、

皆川WSの方へ歩いて見にいきました。しばらく歩いて行くと、遠くの方から、見覚え

のある選手の姿が、だんだんと近づいて来ました。ジュンペイさんとshiggyさん

のお二人が、仲良く、とても楽しそうに、お話しをされながら走っていました。

 

「ジュンペイさん、shiggyさん、頑張って下さい!!」こんな場所に、まさか自分

がいるとは思わなかったそうで、少し驚かれていましたが、お二人とも、とても快調に

走って行かれました。shiggyさんは足が痛いと言っていましたが、ジュンペイさん

は、まだまだ元気そうな様子で、佐渡Aタイプ初完走は、確実だと思いました。

 

その後、しばらくの間、ミヤモトさんと管理人様を待ちましたが、だんだんと周りが暗く

なり始め、選手の姿も見難くなってきたので、仕方なく応援団のいる神社まで戻りました。

(この神社と金井ASの間は、田んぼの中の単調な道を走り、ほとんど地元の応援の方も

おらず、復路の約20キロ地点に当たる、佐渡Aタイプのランコースの中で、精神的にも

肉体的にも、自分にとっては、一番辛くて厳しい箇所だと思っています。)

 

神社に戻り、ネリトラ応援団の二人や日野のキムラさんと、その他の選手を応援していま

したが、日もすっかり暮れて、真っ暗になってしまい、街灯の下以外では、選手の顔も見

えない程でした。これでは、せっかく応援しに来ているのにネリトラの選手を見過ごして

しまう恐れもあります。そこで、自分は携帯電話を持って、少し先の明るい所で応援し、

ネリトラの選手が通過したら、携帯電話で神社前の撮影隊に連絡することにしました。

 

とりあえず、第2折り返しから戻る、モリノさん、ジュンペイさん、shiggyさんを

待つために、瓜生屋WSの方向に走って行き、比較的明るい街灯の下で3人を待ちました。

 

まずは、相変わらず快調な走りのモリノさんが、暗闇の中から現れました。「モリノ

さん、このまま行けば楽勝ですよ!!頑張って下さい!!」と声援を送った後、神社前の

撮影隊に連絡しました。(残念ながら、写真の方はフラッシュが点かなかった様で、黒く

なってしまいましたが、このような状況下での撮影でしたので、なにとぞお許し下さい。)

 

その後、ジュンペイさん、shiggyさんのお二人も、一緒に走りながら、応援させて

もらいました。shiggyさんは、「制限時間ギリギリだよね?」と、冷静に計算されて

走られていましたが、確かに制限時間内でフィニッシュするには、ギリギリの時間でした。

 

この先、神社の前を左折した後、約30キロ過ぎ位から、2つの長い上り坂が待っており、

疲れがピークに達している選手達を、容赦なく苦しめます。佐渡のランコースで、2番目

に、厳しい箇所だと思います。

 

「この先は、とにかく我慢するしかありません!苦しいと思いますが、とにかく頑張って

完走して下さい!!」脚の痛みを我慢して、お互いに励ましあいながら走り続ける二人の

背中を見ながら、本当に心から感動しました。(号泣×42) 

 

実は、この時のお二人の走るペースは、かなり速いものでした。このペースのまま、残り

10キロ以上を走り続けるのは、かなり厳しいのでは?と、多少、不安も感じましたが、

Aタイプに3度目の挑戦を挑みながら、黙々と走り続けているジュンペイさんの姿を見て、

「もう少しペースを落とした方が良いのでは?」と、口にすることは、出来ませんでした。

 

神社の前を左折し、お二人の姿が、再び暗闇の中に消えて行きました。「神様、あの二人を

絶対に完走させて下さい!!」あと自分に出来る事は、心の中で祈ることだけでした。

 

佐和田行きのバスの出発時間が近づいて来た頃、リタイアをした選手を乗せた収容車が、

神社の前に停まりました。ミヤモトさんの奥様が、係の方にリタイアした選手を確認して

もらいましたが、ミヤモトさんも、管理人様も乗っていませんでした。まだ、頑張って

走っているのだろうか?刻々と迫る、関門時間の方も段々と気になり始めました。

 

去年の大会で、大変お世話になった(爆)最終ランナーの伴走車が遠くに見えて来ました。

その時、神社の前を走ってくる、管理人様の姿が見えました。素晴らしい精神力です!!

少しだけ伴走させていただき、バイクのメカトラブルで、かなり時間をロスされた事や、

第2折り返しの関門時間には厳しいけれど、係の方に止められるまで、頑張ってみる事等

を、聞かせていただきました。あそこでの管理人様の走りは、本当に感激しました。(泣)

 

残るミヤモトさんは、管理人様から、先に第1折り返しを出たことを聞き、応援団も少し

心配になりましたが、とにかくバスの出発時間が迫っていたので、神社前での応援を終了

して、佐和田のフィニッシュ会場に戻ることにしました。

 

佐和田に向かうバスの中から、歯を食いしばって頑張って走り続けるshiggyさんと

ジュンペイさんの姿を見ることが出来ました。(ただ、このバスの運転手の方が猛スピード

で飛ばしていたため、窓を開けて応援する余裕は、残念ながらありませんでした。)

 

佐和田の商店街でバスを降り、とりあえず、フィニッシュ会場へ向かう途中、体育館の前

で、ミヤモトさんにお会いしました。やはり、膝の痛みがひどく、第1折り返し後の皆川

WSでリタイアし、大会関係者の車で会場まで戻り、今まで点滴治療を受けていた、との

事でした。

 

バイク・フィニッシュまで好調だっただけに、今回完走を逃したのは、とても残念だった

と思いますが、なによりも無事に終了できて、本当に良かったと思いました。ゆっくりと

休養して、来年のアイアンマンNZを、頑張って目指して下さい。

 

ミヤモトさんご夫妻と別れ、佐和田商店街に戻り、選手のゴールを待ちました。しばらく

して、管理人様がバイクを押しながら戻ってこられました。管理人様も、残念ながら、

神社前を通過後、次の関門で引っかかってしまい、収容車で戻ってきたとの事でした。

 

それでも、本格的に選手復帰をされた今年は、IMNZと宮古島の2つのロングを見事に

完走され、佐渡も制限時間いっぱいまで走り続けたのですから、本当に素晴らしい一年間

だったのでは、と思います。管理人様の明るい表情からも、充分に満足感・達成感を感じ

取らせていただきましたし、来年は、狙いを佐渡Aタイプに絞れば、アストロマン達成は

200%確実だと思います。

 

そんな話をさせていただいている間に、商店街入口のアナウンサーの方が、モリノさんの

到着を知らせてくれました。もともと優れた実力があり、過去に数多くの素晴らしい記録

を、お持ちのモリノさん。数年間のブランクを物ともせずに、見事に完走されました。

本当に、おめでとうございます。これからも、色々な大会に挑戦して下さい。

 

時計が9時10分を過ぎ、残り20分となった時、商店街の入り口の向こうに、見慣れた

二人の姿が現れました。shiggyさんと、ジュンペイさんでした。思わずランコース

の上まで飛び出て、お二人の見事なフィニッシュを祝いました。神社前から残り10キロ

を、脚の痛みを我慢して、あのハイペースで走り切ったのですね!!本当に、お疲れ様で

した。shiggyさんも、ジュンペイさんも、まさに正真正銘のアストロマンですよ!

 

お二人が、フィニッシュする場面を撮影するために、フィニッシュ会場に向かいました。

ネリトラのメンバー全員が揃い、shiggyさんとジュンペイさんのゴールを出迎え

ました。ゴール後、記念撮影をしてから、お互いの健闘を称えあいました。

 

そして、会場では最終ランナーを迎えた後、カウントダウンが行われ、すべての競技が

終了しました。それと同時に、佐渡の夜空に、たくさんの花火が打ち上げられ、今年の

佐渡トライアスロン大会は、静かに幕を閉じました。

 

最後に、大会関係者、役員、ボランティア、地元の皆様、ネリトラ応援団、そして、参加

された選手の皆様、本当にありがとうございました。心から感謝する次第であります。