2010年4月18日
宮古島奮戦記

宮古島参戦記(1章)

さてはやいものですでに1週間たちました。 まだ大会の余韻が残っています。
それでは、参戦記のスイム編を記載します。
スイムの苦戦
スイムのスタートの位置取りが悪かった。 
1500人(実際の参加者1400人)が一斉のスタートでコースの真中あたりで泳ぎだした。 
今回は初参加450人ぐらいと聞き遅くスタートを行うのは得策でないと考え、
1時間ちょっとの場所からのスタートとした。

しかし いつものように、100mも泳がない内に息が上がってしまう。
ちょっと休みたくなるが、それもできないでとりあえず息を整えるようにした。
その内に塩の流れで右のコースロープにみんなよってくる

あまりの多さにコースロープから何人も右に押し出された。
いっしょに押し出されて泳いでいたが、左に泳げとさかんに誘導しているが左によれない。
頭はたたかれるし足にはガンガンあたってくるし、もう少し見て泳いでほしいものだ。
私は、前に人がいるとちょっとまってよけて泳いだ。 
これでいいのか。しかたがないまだまだ息があがっている。

監視板があるところにカヌーを横にして泳げなくしてコースロープの左側に誘導された。
何とか、ロープ際までもどり泳ぎ始めたが、遅いグループでもバトルはついてくる。
やっと600mの監視版をまがりここからは、流れに乗って楽になる。

もうこのころには、バトルも収まりゆったりと泳げる。
1700m50分以前失格となった地点までは、すんなりと泳げた。
そこからは、戻りで塩が逆に流れる。 
また何故かバトルとなり力不足かどんどんと抜かれていった。 
あいかわらずスイムは楽にならない。 
何とか1時間11分でフィニュッシュすることができた。

宮古島参戦記(2章)

苦しみのバイク
バイクへのトランジットに8分以上かかってしまった。
バイクで走りだしたが、どうもバイクが重い。

6kほど走っておりてタイヤがすれているのか確認したが何ともなかった。
そのまま走りだしたが、調子がでない。
(後から思えば、スイムで疲れはててペダルが踏めなかったようだ。) 

池間の橋を渡って風にあおられながらも、
45kmぐらいまでは平均30k/hで保つことができたが,
それからは、向かい風を行くだけでどうにも体が動かない状況となった。 

その内、バナナさえも受け付けなくなる。
水ぐらいしかのどを通らない。 
宮古はあまりアップダウンがないと思っていたところ
灯台を過ぎてから、少々上りがあった。
そんなに高低があるようではないのだが疲れはてて足が重い。 
何とか登りきったころには、ひざとふとももがいたくてしかたない。
水をかけて冷やしながらの走行となった。

ふと何で佐渡をAで申し込んだのだろうとそればかりが気になり、レースに集中できないでいる。 
どうにか、100kmを越したころから、少しからだが軽くなってきた。 
これで走れそうだ。
途中で何を食べたのだろうか、どこかでおにぎりをもらった気がする。

今回は、バイク練習不足がそのままでたような感じだ。何とか終えた時(6時間)には、後6時間ほどであった。 この時には何とか完走できるだろうとゆっくり着替えてスタートした。

宮古島参戦記(3章)

完走への執念のラン
キロ7分ちょっとで少し遅いがそのまま走れれば6時間で完走できると思っていた。

ところが、15kで2時間かかっていた。
このままでは、完走できそうになかった。 
まずいどうにかしなければ間に合わない。 
ここにきてやっと制限時間の危機を感じた。

次のエイドステーションでお茶とおにぎりを十分に食べて走り出したら、
しばらくすると足が動くようになった。
折り返しで4時間あればだいたい歩いていても間に合うのだが、
今回は3時間半ぐらいであったため、しばらくは走らなければ間に合いそうになかった。

いつもは、周りで歩いても間に合いますよと悪魔のささやきに負けて歩き出すのだが、
今日に限ってだれもそんな声をかけてこない。
これはまだまだ余裕がないということで気を引き締めて足を前に進めた。

何とか間に合う時間の予測がついたころにはもうすでに歩いてしまっていた。
どうも危機感も過ぎると気合が抜けてしまうようだ。
いつものようにゴールへは15分ぐらい前にたどりついた。
その後5分ぐらいでマッチがゴールした。
今回は、バイクの練習不足がそのまま結果となった。
気合だけでは走りきれませんね。
途中で佐渡Aに申し込んだことをくやんでいましたが、
終わってしまえば新たにAへの挑戦を思うのであった。
もっと練習を積まないと次回は間に合いそうにないように思えた。