にっちゃんのエンジョイトライアスロン

                  


   2016年7月  北海道

   2015年5月 野辺山チャレンジ

   2015年 2月 いわきサンシャインマラソン
  
   2014年 11月 富士山マラソン

   2014年 8月 洞爺湖アイアンマンジャパン

   2012年  11月  陣馬山トレラン

   2012年  9月  佐渡国際トライアスロン大会

    2012年 3月 板橋Cityマラソン

   2012年 2月 いわきサンシャインマラソン

   2011年 11月 陣馬山トレイルレース

   2011年 9月 佐渡トライアスロン大会

   2011年 2月 東京マラソン








































2011東京マラソン

 

 案外動機は不純だった。
10
年近くも一切のスポーツから遠ざかっているうちに10kgも大きくなった自分を何とかしなくては‥‥。

今年こそ走る人に戻り、マラソンにエントリーしようと決意し
元旦に和光樹林公園に行き、やっと3
km走り次はもっと長く、と思ったのに『次』はなく夏になっていた。

-3年程前に、知人がトライアスロンの練習会に参加したいと言うので
『紹介してあげるよ』と五十嵐さん経由で連絡をとり三原台のプールで待ち合わせたのだが、
来たのは『仕事で行けなくなりました』というメールだけ。
ゲートでわざわざ待機していただいた手前
(その日は調度佐渡の週で待機して下さったのは猪狩さんでした)
『では…』と帰る訳にもいかず自分が囮になって練習会に参加した。
それが3週も続き気づいたら自分が仲間に引き込まれていた。
とは言えSSCの立ち上げと共に事業の企画、実行そして報告書作成にと自分の時間は全て供出、
パソコンの前で過ごす人なった私に練習会に参加する時間はほとんどなく、
年に数回気まぐれにスイム練習に参加するだけだった。

この夏たまたま存在を知った掲示板に『東京マラソンのエントリーもうすぐ締め切りですよ』と書かれているのを発見。
元旦以来走っていない私は少し躊躇したものの、当たったら走るようになるかも‥‥
そうしたら
10年前の体重と体力が戻る?‥‥
とんでもない野心でチャレンジしてみたらあっさりエントリーできてしまった。
実に軽過ぎるきっかけだった。

 それから何とか走ろうとチャレンジしたが、間もなく父との別れ、
秋のイベントラッシュと焦るものの如何ともしがたい日が続いた。

10月の半ばに突然事務局から届いた当選通知に呆然としたのは言うまでもない。
でも、
10倍近い倍率を突破したと思うと無駄にするわけにはいかない。
しかも教えてくれた仲間達は誰も当たらなかったと言う。
私の後ろに
9人の涙を飲んだランナーがいる。
これまで
4回沿道にスタッフとして立っていたが、本当に走り続けてきて臨んでいる人の少なさに憤りを感じていた。
このままでは自分も正にそういう人になってしまう…。

それからは『1日5km』の目標をたて超ゆっくりペースから走り始めた。
自分なりにハーフマラソンにもエントリーする等なけなしの休日に練習計画を立ててみたが、
それよりも先に経験豊富なネリトラの先輩達がどんどん計画をたて進行してくれた。
年末の休みと
1月の連休に2時間走、2月に入ったらコース下見のジョグ等。
1日5km』は難しく、大概帰宅後の夜10時過ぎに家の周辺を30分くらい走るのがやっと。
走れない日の分は週末にまとめて
10 km15 km
それも予定だけで終わることの方が多くなかなか思い通りには出来ない私には有難いものだった。

 

 都庁前で地下鉄を降りると、そこはすでに戦場だった。
地下鉄の駅員とマラソン事務局の人
(都の職員?) が拡声器でランナーのルートと応援者のルートを説明している。
『一度に言われても聞き取れないよ‥‥』決められた通路を通り外へ出るなりナンバーカードと荷物のチェック。
そこから平日はオフィス街であろう都庁一帯はマラソンのスタート会場と化していた。
私物運搬のトラック、仮説トイレ、そこに並ぶ大行列、地上通路のスタートブロックへ続く道の渋滞‥‥
想像を絶するものだった。年
1回の光景なのだろう。

 走るスタイルで小1時間過ごすことになるのだから朝のひと時寒さしのぎにとビニール袋などを用意したが、登山で散々耐寒訓練をした私にとって意外に気温が高く使わないうちスタート時刻が近づいた。

微かに号砲らしき音が聞こえるとラッシュアワーの駅のような群集がぞろぞろと同じ方向にゆっくり動き出す。周りの人たちが携帯をかざし出す。背の低い私は周りの人に埋もれて何も見えないので何だか分からなかったがブラスバンドの演奏に意気を上げながらもう少し進むと、都知事のお立ち台があった。『そうか!』慌てて携帯を出して証拠写真をと思って立ち止まってしまったら『立ち止まらないで』と黄色いカッパのスタッフに叱られてしまった。

 まだ眠たそうな東新宿の街並みを抜け、市ヶ谷に向かう下り坂を降りる頃には多少混雑具合は緩和されたが自由自在とはいかない。散歩日和の光が丘公園のメインストリートくらいか‥‥流れと違う行動‥‥つまり、ペースダウンとか、前の人を抜かそうとか、走路の端へ行こうと斜めに走ろうとか思ったら、よほど気を使わないと周囲の人とぶつかってしまう。結局この大会は終始その程度の混雑具合で進行していった。

 この大会の人気、そして始まったマラソンブーム。大勢の人を迎え、タイムを競うというより東京の街中を駆け抜けることを楽しむ‥‥そうして完走し次の機会をつくる。また、東京近郊のマラソンチームにとっては応援も含め一大イベント‥‥そういうことなのだなぁ‥‥と感じながら走った。

 第一回目のこのイベントで私が凍えながら立っていた市ヶ谷駅前を過ぎ、飯田橋の交差点を曲がる。このボランティアを一緒に経験し、数日後逝ってしまった仲間を思い出したり、学生時代この近くに住む仲間と九段下で落ち合って北の丸を走ったりしたことなど過ぎた日々を思い出しこみ上げるものがあった。ノスタルジックに浸る間もなくゴキブリの着ぐるみの人に抜かされ我に帰る。

気がつくと10qの部のゴール日比谷公園に1時間で着いていた。後になって考えれば自分にとってはオーバーペースだったのだろう。すぐに大会スタッフのビンクのビブスとキャップの人に囲まれた人に追いつき、追い越した。沿道の人が『ギャー!!』『あっ!国分太一だ!』と騒がしくなる。そういう事か‥‥暫くして芝公園を過ぎる頃、母、娘、妹と姪・甥達が『けいこおちゃーん(桂子おばちゃんの意)』と応援してくれていた。これまで何度もフルマラソンに出たのに家族、親族の応援は初めて。何だか気恥ずかしい。



 間もなくオーバーペースのしっぺ返しが来た。足が重くなりこれまでのペースで進めなくなった。その頃『にっちゃん!』という声が聞こえた。サトウさんだった。その直後今度は谷口さんと小山さんの応援を受け、手を振って通り過ぎ少しハイになる。次に『毎年有楽町で応援しているの』という三原台温水プールの受付の方を沿道に見つけ、また元気を貰う。彼女のご主人はかつて学生ランナーたそうで毎年応援に来ているとのこと。


 銀座で始めて食べ物のあるエイドがある。お腹はすいていないが次まで持つか分からないのでとりあえずバナナを貰った。そこから1Kmちょっとで日本橋・体指の仲間の守備位置に着く。日当たりが良く今までより少し暖かい場所?でも、沿道の人は多い。仕事は気を抜けないはず‥‥『ハーイ』、バテ始めた私はハイタッチで通り過ぎるのがやっとだった。差し入れもいただき浅草へ向かう。

 間もなく太一君一行に追いつかれ暫く側を走っていたが、浅草が近づくが差し入れをどんどんお腹に納めたせいか腹痛が襲う。次のトイレマークで様子を見ると大して待っている人もいないようなので寄ることにした。太一君にはまた追いつけるだろう‥‥。ところが、道から見えたのは仮設トイレの直前に立つ人一人だけで、実は見えないところに長蛇の列あった。最後尾に着くが遅々として進まない。そのうち腹痛は治まったので番が来ないままコースに戻った。でも、太一君に追いつくことはなかった。それどころかコースに戻った時発見した背中が曲がりかけたお婆さんをついて行くのがやっとの速さで浅草を過ぎた。バデバテだった。この間にどんどん後ろに回ったと思う。さらにここでお上りさんのように沿道の人に頼んでスカイツリーをバックに写真を撮ってもらう。父の眠る菩提寺の近くなので外せない‥‥。

 再び日本橋の体指の仲間が復路に立つ場所に着いた。そうだ、写真を撮ると言っていた。元気に走らねば‥‥空元気を振り絞り走る。広報担当のカメラに笑顔で応えなければ!

 通り過ぎて間もなく第2回に立った界隈だろうか、見覚えのある京橋警察前のトイレ広場があった。空いていたので寄っておくことにした。

 それから間もなく築地にさしかかると、再びネリトラの応援団がいた。人数が増えていた。久々のヒヤマさんの姿もあった。例年1人しか切符を手に出来ないので、応援をかねて新橋あたりで応援→ラン→築地で昼食・応援→ラン→有明で打ち上げというのが定番らしい。10月から参加しているだけなので『仲間』などと言うのはおこがましいというか申し訳ないのだが『にっちゃーん』と声援を送られるとパワーが出る。それから始まる埋立地をつなぐ橋の登りを難なくごぼう抜きで走りきることが出来た。現代のヤマノカミ『柏原君』の気持ちで!

ゴールに差し掛かる頃、思いがけない声援を受ける。『けいこーちゃん』あらら、応援に飽きてとっくに帰ったと思っていた甥や姪、私を追いかけて沿道を走る。小学生の後ろを何と喜寿の母まで走っている。そしてその先に妹がカメラを構えていた。

沿道の人が多くなったと思ったら次のコーナーを曲がるとゴールのゲートがあった。あわててダッシュしたが記録は5時間1分を回っていた。

初マラソンは、30歳代で中間地点に1時間30分くらいでたどり着いたのに膝痛に負けて4時間45(ネットタイム)。たいした練習しないで出ましたし‥‥。10年前には少し練習して臨んだ結果4時間くらいで走れるようになっていたので何とか今回は4時間30分位で‥‥と思っていたが甘かった。年齢とか練習量とか考えたら仕方がないのでしょう。

早く外に出て皆にお礼を言わなくてはと思うのだが‥‥。ゴールしてから完走メダル、タオル、そしてエイド、受け取るだけなのに渋滞だった。ビックサイト内の荷物置き場に着くまでにどれだけ経った事か‥‥そして延々続く出口までの道。でも、ゴール間近で応援してくれた母達がビックサイト入口に近づくのも至難があったようで、まだたくさんある荷物の中で自分の物を選び出口に向かい用意された出会いの広場に先に着いたのは私だった。

そして、このビックサイト前の広場で待つネリトラのメンバーと会うまでには駅に続く渋滞の列に並んで更に時間が必要だった。

 

練習といい、当日といい、一人ではないということがこれほどまでに不思議なパワーが生まれる‥‥そんな思いの一大イベントだった。









































佐渡トライアスロン大会

《スイム》

えっ!もうスタート‥‥

慌てて振り返ると皆すでに動き出していた。

 

ナンバリングを済ませて体育館を出るとAの人達がアップ終了を促され、

開会式をするという。

急いで海岸へ降りてみたが人垣で何も見えない。

背伸びして覗くとどうやらスタート地点の向こう側がアウトコース、選手にも近い。

その海岸にも一般の応援の人がいた。あっちだ!カメラマン(ウソ)の血が騒ぐ。

急いでそちら側へ回り込むと開会式終了。間もなくスタート2分前‥‥

張られたロープの内側にはオフィシャルカメラマンが列を成していた。

こちら側は『撮影は禁止です』と微かに声が聞こえたがビデオがだめなんでしょ?

勝手な解釈で携帯にてスタートの瞬間、隊長を発見して2枚目、

管理人さんとsiggyさんを発見して3枚目、とシャッターを押すとAの群集は

どんどん沖へ離れて行った。

 

ふと我に返り、私も準備しなくては‥‥

トランジッションエリアに戻ってウエットを着ていたら『Bのアップ終了です』

『スイムチェックをしていない選手は急いで下さい』

はぁ?大慌てでスイムチェックに行くと日本選手権の選手紹介、そしてスタート。

Aのスタートが20分繰り下がった分、時間が押しているのだった。

間もなくAのトップの人達が次々と帰ってきた。

私達の出発はA40分後だからネリトラのメンバーだって上って来るかも、

とカメラもないのにロープから身を乗り出して目を皿のようにして見ていた。

 

その時だった。私達のスタートを告げる『ファ〜ン』という音がしたのは。

皆それぞれ作戦があるのだろうか‥‥スタートゲート近いところに一団。

浜からスタートする一団。私がいたまん中辺りはどういうわけかスカスカ。

そこで先ほど見たばかりの、日本選手権の人達のようにイルカを試してみたら

気持ちよく進めて『なるほどなるほど』と悦に入って繰り返した。

何度目かに浮き上がってみたら何とバトル会場に突入してしまっていた。

やだ‥‥すでに足が着かないところまで来ていた。一度体を起こしてしまったら

付し浮きになる場所を探すのも困難なほど込み合っていた。

スタートを控えめに浜から来たのであろう軍団も後からどんどん来ている。

少しずつアウトコースへ出ようと試みたが時遅し‥‥

立ち泳ぎですっかり心拍数を急上昇させてしまい、過呼吸になってしまう‥‥

と思うほどになってしまい、『リタイア』の文字がチラつく‥‥情けない。

いやいや、呼吸さえ楽になれば無理な距離ではないのだから、と

とりあえずロープへ戻り、つかまって休んだ。

気が急くので何度かロープから離れては泳ぐチャレンジを繰り返し

漸く安定したクロールが出来るようになったらすぐに第一ブイがあった。

 

ここからは、それまでの混雑ぶりが嘘のようにロープ沿いは空いていた。

ロープに沿って、脇の人を抜かしながらどんどん気持ちよく進んだ。

呼吸さえ楽になればこっちのもの。自分の進路を妨害するものはどかして泳ぐ!(ウソ)

 

第二ブイを過ぎた頃にはどういうわけか全く回りに人が見当たらず反って不安になり

時々ヘッドアップで私が頼りにしていたロープがコースを示すものであることを

確認しながら進んだ。

人がたくさん集まっている所が何故かロープとはかなり離れているのが不思議だった。

後で考えたらあれはもしかして事故のあったところ?

少し右からの波があり、左呼吸を中心に泳いだ。少し蛇行もしてしまった。

途中、海底が岩場のところは思い描いていた佐渡の海。魚も発見。クラゲもいたけど。

 

スタートはパニクッたけど、気持ちよくゴールしシャワーの下でウエットを脱いだ。

今年は海に行くチャンスが何度かあり都度練習してみたがどうしてもなかなか脱げない。

前夜、思い切って裾を5p程カットしておいたら功を奏してツルンと脱げた。

 

ちょうど救急車が到着し、○○チームの関係者の方〜と呼び出す放送が聞こえていた。

 

《バイク》

水着は着ないでランの支度にウエットを着ていただけなので、

靴下とバイクパンツを履き、Tシャツ、アームカバーを着ければOK

朝食のバナナと受付会場で貰ったクッキーを押し込んで出発した。

 

ずっと前オリンピックディスタンスに出た時、バイクの出発と同時にワラワラ抜かれたが、

今回は早そうな男性23人に抜かされただけで人並みに走っている‥‥。

それどころか、Rタイプの女の子なんかは抜かしている。我ながらアッパレ!

直前の練習の成果かしら‥‥そうこうしているうちに田中さんに追いつかれた。

両津側の海岸沿いの道に出るまではずっと田中さんの背中が見えていたが‥‥

1時間半ほどするといつもの腰痛になり、ガクッと速度が落ちてしまった。

 

最初のエイドは恐くて何も受け取らず過ぎた。

最初から積んで来たスポーツドリンクと水のボトルはまだ消費していなかったし。

2度目のエイドで勇気を出してスポーツドリンクのボトルを受け取った。

どういう訳か自転車だけは左利なのか、ママチャリで傘を持つ手は右手だし、

クリートを気軽にはずせるのは左足の方なのだ。右手の片手運転は厳しい。

スタッフが差し出すボトルを左手でひったくるように受け取りとりあえず前の籠に入れた。

その後右手でゆっくり所定の場所にしまった。

 

さて、問題は捕食。だいたいエネルギーの素はたっぷり蓄えているのだから

捕食の必要はないようだけど、やはり即エネルギーになるものがあった方が‥‥

と、ゼリーとかグミとか高カロリーのクッキー系を用意した。

事前にDHバーを頼りに食べる練習をしてみたがアルミパックを開けるのに苦労した。

今回はビニールの小袋に小分けして入れてみたが、案外取り出しにくかった。

たくさんあるビニール袋から今食べたいものの袋を探し当てるのが難しかった。

クッキーより、ペタンコに潰したカステラが口当たりは良かったが

ビニールから出しにくく2切れ用意したが1切れしか食べなかった。

 

もう一つの問題は、コースの研究をしていなかったことだ。行き当たりバッタリ!

最初は大佐渡と小佐渡の間の平野を行く、小佐渡を海岸沿いに回り

(この道は10年位前に車で走っている)途中ショートカットのところが長い坂。

こんな程度の理解しかなかった。距離はサイクルコンピュータでわかるし、と。

 

バイクの終わりの方でおにぎりとか腹持ちの良いのを食べておいた方が良い

と言われていたのでそろそろと思い、これまた勇気を出しておにぎりを受け取った。

すぐに大きくカーブするのでとりあえず籠に入れて、曲がった後食べることにした。

ところがいきなり上り坂になってしまい、すでにおにぎりに手を伸ばしかけていた私は

シフトダウンが遅れてふら付いてしまった。降りてしまったら二度と乗れない‥‥

なんとかこらえてこぎ続け、間もなく安定して上り坂を登れるようになった。

しかも、ふらついて右寄りをヨタヨタ走っている時、後ろから『左から抜きます』

と言われ『済みません^^;、どうぞ!』といいながら体勢を整え

そのおじさんを振り切った。嫌なヤツをやってしまった。

 

海岸沿いの細かいアップダウンで立ちこぎがうまくなった、というかふら付かない

重さのギアを選べば良いことに気が付いた。

腰が痛いので、ゆるい坂は立ちこぎで少しの間違う姿勢が取れるので楽に感じるのだ。

行程の1/3から腰痛に悩まされ、この先ずっと痛いのかと思うと気が遠くなったが

2/3まで来るとその腰痛にも慣れ、そうやって上り坂の度にだませるようになり

初めての距離を走りきる事が出来た。最大の難関を乗り越えた。

 

《ラン》

バイクをラックにかけ、バイクパンツを脱ぎ、靴を履き替えたら出発できる。

トイレは遠い方だが、バイクの間に1.5L以上給水したのでトイレに行く。

行くとなったらヤバイ!早く早く、漏れちゃうよ〜。

目の前にトイレはあるが、バイクのバーにそこそこのバイクがかかっているので

ぐるっと回らなければならない。そのままランスタートをしたいので手早く準備した。

水は飲みたい時にあった方がいいし、せっかくファイテンの水を用意したので、

ボトルポーチを着けて走ることにしていた。

ところが!水曜日位から普段減らしていたカーボをきちんと摂り、佐渡入りしてからは

宿で出されるものをきっちり食べていたら、あろうことか5sも増量‥‥

それでベルトを緩めておいたのが緩過ぎ、走り出したら背中でボトルがバコバコ揺れる。

くたびれているので、指先が器用に使えずうまく調節が出来ない。イライラ、イライラ!

結局ポーチなし、手でボトルを持って走ることにした。

いったん自分の置き場に戻り、さあ今度こそコースへ出ようと走り出したら‥‥

『ランのコースならあちらですよ!』ふう‥‥

説明会は爆睡するし、資料も頭に入れないし。バチですね。反省、反省。

 

そうそう、このトランジットの間にメイストームのリレーチームが

優勝インタビューを受けていて、皆口々にメイストームの商品を宣伝していた。

T君はさらにBの女子優勝をかけて走っている奥さんにエールを送っていた。

私が商店街を通る頃、彼女がゴールされ優勝を決めたと放送が聞こえた。

 

さて、ランに入ると腰痛は偏腰痛に変わり腰から右足の付け根が痛んだ。

ただでさえ足が上がらないのに‥‥気持ちは走っているのだが

歩いている人をなかなか抜くことも出来ない速度でスタートした。

そして、ここもコースの研究不足でどのくらいの所にいるのか、

自分の速度がどのくらいなのか見当もつかないまま走った。

 

折り返し前のアップダウンに差し掛かる頃、田中さんとすれ違った。

『ここ何キロくらいですか?』思わず聞いてしまった。

『あと2キロくらいで折り返しですよ』

やっと見当がついた。キロ8分+くらいで進んできたようだ。

エイドの度に腰に消炎スプレーをかけたせいか、ファイテンの水を飲み続けたせいか

折り返しを過ぎる頃には腰痛もだいぶ改善されて足の動きが良くなった。

 

折り返して最初の坂を下ったところでヒラサワさんと、続いて坂を登り切った所で

先生と、そして坂道を終了し田圃の中の道に差し掛かる頃ISSAさんとすれ違った。

田圃の中の灯篭に灯が入ったところを見てみたいものです‥‥

田圃の道が終わる頃元気な姫とすれ違った。よかった、頑張っているね!

間もなく後5qのエイド。

その手前で何と全然変わらずニコニコ顔の安達さんとすれ違う。ハヤッ。

3qのエイドをスルーして商店街へ続く道に入る。やまぼうさんとすれ違った。

後でわかったことだが、おそらくスルーした角のエイドの向こう側に隊長がいた計算だ。

間もなくsiggyさんが『お先に〜』とバイクで通り過ぎて行った。

南さん、TAMAちゃんともすれ違った。皆元気そうだった。私も元気になる。

商店街では名前を呼ばれる。何だか感激。

一日中、ゼッケンと一覧を照合して皆の名前を呼んでいるんだろうなぁ。

それもある意味トライアスロン?ご苦労様です。

 

ゴールして、色々受け取りトランジッションエリアへ行こうとしたが

人垣で入り口がわからない。マーシャルを探して教えてもらった。

ちょうど菊池先輩がバイクからランのトランジットで、

有名人トランジッションテントの中で徳光さんがしゃべり続けていた。

それでトランジッションエリアを多勢の人が取り囲んでいたのだ。

バイクのところにたどり着いた時、先輩は走り出された。

皆、口々に応援している。私も負けじと声をかけたが終始下を向いたまま。

『ネリトラも応援しています!』と言ったらこちらを見て、手を上げてくれた。

ご迷惑だったかしら‥‥

 

宿へ帰り、ゆっくりお風呂に浸かる。のぼせやすいので本来カラスなのだが、

隣の部屋の女性と話が弾み、長湯になってしまった。

のぼせてしまったが、結果足腰の回復には良かったようで、極度の疲労感とか

筋肉痛にはならずに過ごせた。

彼女は走りすぎて故障中。今回はご主人の応援のみとのこと。

新潟 (村上?) 、ラン出身のご夫妻だそうで、ご主人だけがトラに参戦、

彼女はバイクを買ってもらえず、トラやりた〜いと訴えていらした

むらちゃん、姫世代の方でした。来年は参戦されるかな‥‥

 

《所感》

ランは去年の夏から、バイクは冬からの練習でそれも思うようには乗れず‥‥

そんな状況でよくやったと自分でも思う。褒めてやろう!

10年のブランク(トラのためのトレーニングではないけどね)は意外と小さかったのかなぁ?

でも、スピードを要求されるとこの練習期間では短いし、トレーニング方法も違う‥‥

いや、決定的にもうそんな年ではない‥‥

台風のお蔭で曇り空というのもラッキーだった。

(天は私に味方するの。ただの晴れ女ではないわ!^^)

7−8月は炎天下での仕事が続く上、休日がない今の状況ではトレーニングは出来ない、

というかこの10余年、この期間は夏バテしないようにと体力温存で過ごしてきた。

その期間に今年は昼休みを昼寝からスイム練習に切り替え、

寸暇を惜しんでエアロバイクをこいだり、走ったり‥‥

何とかなるものだなぁ、というのが実感。

むしろ時間がないからチャンスがある限り動こうとするものかも‥‥

一年で一番くたびれて体力が落ちている9月の始めにレースなんて無理、と思っていたけど

今はやりのイノベーション!

そして、思ったのはやはり最後にランがモノを言う‥‥

トレーニングし過ぎて故障もだめだけど‥‥

 

半分新潟県人の血が流れている私は以前から佐渡は好き。新潟のお酒が好き。

やめられないねぇ。何が?












陣馬山トレイルレース

 投稿者:にっちゃん  投稿日:2011年11月13日(日)17時39分4秒
何とか制限タイム内にゴールできました。
姫、隊長、むらちゃん、やまぼうさん応援ありがとうございました。

しかし、私がレースの日は何だってこんなに暑くなるのでしょう!
アームウォーマーとか、ウィンドブレーカーとか、スタートを待つまでカッパ?
とか色々気をもみましたが、全く不要でした。

スタートして10分くらい経ったでしょうか(今日はあろうことか時計を忘れ‥‥)
林道が登り坂になると歩き始める人が続出。
できるだけ先まで走ろうと、歩幅は小さいものの走り続けました。
すると『こんにちは』と田中さんが大またで歩いて抜いていくではありませんか!
あれよと言う間に後姿も見えなくなりました。
しばらくそのまま小走りを続けましたが、やがて心折れて
私も歩きに変えると間もなく渋滞‥‥
林道が終わり山道になるので一列になるため。

さて、私はランナーの人達と明らかに違うことに気付きました。
階段の急登りなど皆があえぎあえぎ一歩ずつ登っているところを
私はワシワシ大またで登ることが出来、ここで何十人も抜きました。
ところが、また緩やかになるとランナーは軽快に走り出し簡単に抜き返されました。
下りも得意でした。道が細いのでなかなか抜けないのですが、
明らかにペースが違いました。前の人に合わせて下ると休息になるので
少し道が広くなったところでまとめて抜きました。これは山道だけです。
アスファルトになると下り道でもランナーは早い‥‥

そんなこんなで、4時間の制限タイム内に怪我もなく帰還できました。
下りは結構急なところが多く、何人か転倒していました。
ちょうどエイドのところでスタッフが無線でやり取りをしているのを聞くと、
どうも女性が顔に裂傷を受け、縫わなければならないほどだと言っていました。

完走証はゼッケンを見せるとすぐに高校生スタッフがパソコンに打ち込み
出力してくれました。
トン汁サービスを頂いたり出店を見てから会場を後にしようとすると
『お疲れ様でした。私は全ての力を出し切り、何とか完走しました。
3時間16分でした。』と田中さんからメールが来ました。
『私は3時間32分で何とか帰ってきました。今会場を出たところです。』
と返して顔をあげ何となく周りを見たら、後ろを田中さんとお友達が歩いていました。
お友達は足が攣って、2分オーバーだったそうで‥‥

200人位いる女子の仲で60位、45歳以上と言うカテゴリーでは55人中17位でした。
平らなところでまともに走れないのは、走り込みが足りないんですね^▽^
練習しなくちゃ。とうとう佐渡以来長い距離走れなかったし‥‥
でも1回、光が丘の公認コースで10km走りました。あけぼの橋を7周して。
これだけが唯一今日のための準備でした。^o^;


















いわきサンシャインマラソン

 投稿者:にっちゃん  投稿日:2012年 2月15日(水)03時04分10秒
東京マラソンにも、板橋Cityマラソンにも引っかからないだろうとと思い、
年に一度はバロメーターとしてフルを走るつもりでいたので、
なけなしの休日に日帰りで行ける大会としてエントリーしたはずだった。

ところが、時の経過とともに話はどんどん変わり‥‥

今シーズンは3回もフルの機会を得てしまい、
スパリゾートとの縁も出来てしまい、母、その友人と宿泊することになっていた。

ところが、この秋からスイムの練習日が急に増え、
引き換えに走る時間がなくなってしまった。努力の問題だけど‥‥

そうこうしている内、ギックリ腰、風邪とで1月8日にハーフを走ったまま、
ほとんどランの練習は出来ない日を過ごすことになってしまっていた。

風邪も全快とはならず、咳が続く‥‥
そんな中前日を迎え、夕方まで仕事、支度をして出発できたのは日付が変わる頃。

前日泊を希望したが、このスパリゾートハワイアンは震災以来10月に開館したもののプールは閉鎖、
全面オープン後最初の週末があろうことか、この日と言うことで、
私が予約を入れた時はすでに満室、大会後の日曜日泊しか取れなかった。

と言うことで、色々迷った末前日のうちに近くまで行き、車中泊。
寝袋で寝るのは慣れているとは言え、最近は若干不眠症気味
眠れないのは覚悟の上。

ところが、どういう訳か爆睡。寝坊気味で慌ててSAを後に
(フロントガラスが凍っていて思いのほか出発に手間取った)
会場近くの小学校に車を停めて、支度をして乗った送迎バスは最終バスだった。

さて、荷物を預けてスタート場所に並ぼうとするとセレモニーが始まった。
そうだ、柏原君がいるんだった。慌てて写真を撮りに行ったが
壇上の増田さんと柏原君は逆光でわからない‥‥

参加者4000人と言うことで、スタートの号砲から1分位でスタートのゲートをくぐる。
東京近郊のマラソンより参加者層が若く、何だか浮いている気がするのは気のせい?

折り返しが多いせいか、沿道の応援も多い。
しかし、折り返しの道に入ってすぐに『もうすぐ折り返しですよ〜』とか、
中間地点も過ぎていないのに『あと少しだから頑張って〜』とか、
やたら長い上り坂の途中で『もうすぐ休憩だから頑張って〜』とか、
不思議な声援には閉口‥‥

でも、『ありがとう〜』と言う声援もあり、これには参った‥‥
『復興祈念』今回は三回目の開催だそうだが、特別この冠がついていた。

道に時折段差があった。
海岸沿いの道には金網の向こうに瓦礫の山もあった。

3回続くフルマラソンの最初、練習していない‥‥
と言うことで、『頑張って〜』と言われても頑張らないことにしていた。
キロ8分程度で行ければよしと思っていたのだが、
周りに飲み込まれて6分半くらいのスタートとなった。

スタートした頃は思ったより寒くもなく、
待ち時間に被っていたビニール袋もすぐに要らなくなり、手袋も外した。

ところが、海岸沿いの道に出た頃(10キロちょっとのあたり)また冷たい風が強く吹きつけ
再び手袋をして走った。
波の輝き、沿道の大漁旗、『サンシャインマラソン』の命名が理解できる気がした。

中間地点を過ぎる頃、腰に『ピキッ』と旋律が走った。
あ゛〜おいでなすった。
ファイテンテープを持ってこなかったことを後悔したが、
疲労予防に腿に貼って来たテープを一枚ビリッとはがして腰に貼ったら
いくらか痛みが軽減し、走り続ける勇気が沸いた。

この大会は関門が5箇所あり、即収容車に乗せられる。
初マラソンのつくばなんか制限タイムは早いけど、
いつまでも走らせてくれて(歩道だけど)ゴールの時計も動いていて
完走賞はないけど自分でタイムは確認できたもの‥‥

折り返しの度、その収容車を目にして中に乗っている人も確認できる。
スタートの時側にいた、コスプレランナーが中にいたり‥‥

沿道の人に『頑張らないと収容されちゃうよ〜』などと言われると、
さっきの『あと少し‥‥』って言うのはそういうこと?と弱気になってしまう。

25km地点でゴール会場の脇を通る。
すでに表彰式が終わっている模様。柏原君はどうなったんだろう。
30kmくらいのところは工業地帯で煙突からの煙が真横にたなびいている。

早く、母達の待つスパリゾートハワイアンへ行き温泉でまったりと行きたいものだが、
腰をかばって衝撃を与えないよう変な力を入れて走るため、
足は痛くなるし、それでも制限タイムで走る収容車との距離は縮まらないし、
結局ゴールまで走り続けてしまった。

5時間45分‥‥以前1年練習しないで荒川に出たら6時間以上かかったことがある。
それよりはまし‥‥そしてあの時より足のダメージは少なく、
普通に歩いて送迎バスに乗り、小学校の校庭に停めた車へ帰ることが出来た。

バスに30分近く乗り、マイカーに着くと足は硬直していた。
でも、ファイテンのローラーでコロコロやったらその硬直感はウソのように消えた。
(以後、暇さえあれば腿や脹脛、腰をコロコロ、コロコロ‥‥
そのお蔭か、翌日のプールのアクアサイズのお蔭かわからないけど、
極度の筋肉痛には襲われずに済んでいる。)

高速道路へ向かうと、強風のため時速50km制限が出ていて入り口まで長蛇の渋滞。
Uターンして一般道でスパへ。
(翌日、プールで監視のお兄さんが言っていたが一冬に10日あるかなしかの強風だったらしい)
そして温泉にゆっくり浸かり、バイキングの夕食へ。

ここで一波乱‥‥

エイドの度に何か口にしていたので大してお腹がすいていない。
バイキングで色々持ってきたのに、さらにもう一品給仕され、
無理々々お腹に納めた。それなのに、疲れているのだから召し上がれ!
と母やその友人がケーキや果物を取ってくる‥‥
やっとの思いで食べたらまだ、ニコニコ顔で母が皿一杯の苺を持ってきた。
マジ〜と思ったら、血の気がどんどん引き後は記憶が‥‥

久々に脳貧血。とんだアフターレースだった。


















板橋Cityマラソン


前日ハードスケジュールだったので(結局寝たの2時でした‥‥)
なるべくたくさん寝たかったのに‥‥何故か5時にモーニングmail‥‥
も少し寝ようと思いつつやっとうとうとしたら6時半に目覚ましが‥‥

30分で出かけられるよう準備しておいたけど寝ぼけて時間がかかり
結局会場着は8時20分くらいだった。
オレンジの旗を探したけど端っこがどこだかわからず、
まずは荷物預けと思い行った所、思いもよらない大渋滞‥‥
導線悪過ぎじゃない?

トイレも行きたいわけじゃないけど、ここ2回のフルはいつも走り始めてすぐに
行きたくなるので行っとこ‥‥と思い並んだ。
よりによって、ちょうど私の番になった時9時になりスタートした模様。

どうせしばらく歩くのだからと慌てず走路に向かい最後尾に行こうとしたら
すぐに私のゼッケンの指定看板があったので、そこから入れてもらった。

8分くらいのロスだったと思う。
その辺の人は大体キロ6分強で進む。
とりあえずついて行ける感じだったが、膝や腰が悲鳴をあげないだろうか‥‥
心配しながら走っていると、軽快に抜かしていく人の中にタケヤさんが。
『にっちゃんこんな前にいたの?』と声を残してどんどん前に行ってしまった。

またしばらく行くと今度はニッシーさんが。
『にっちゃん!速いじゃない!』ともっと速い速度で抜いて行った。

確かに、膝や足首がきしむし腰痛も始まっていたし、
年が明けてから日常の練習は皆無、いわきは5時間半、東京は6時間と
振るわない記録だった私にしては信じられないペースで進んでいた。
それでも抜かすより抜かれる人数の方がだいぶ多くなっていた。

出発直前、トイレに行ったのにまた‥‥
見ると公園のトイレは待っている人がほとんどいない。今だ!と寄って1分のロスで済んだ。
走路に戻るとニッシーさんがすれちがいざま又声をかけてくれ、折り返しが近いことがわかった。
折り返して間もなく吉川さんとすれ違う。

往路と復路が段違いになっているところでネリトラTシャツを発見したが
誰だか判別がつかなくてコール出来ず残念!

そうそう、土曜日の歩行会では久方ぶりに100人くらいの前でウオーキング講座をぶちかました。
姿勢よく、膝を伸ばして踵から着地。つま先でしっかり蹴り出す。
視線は15mくらい前を見る。肘は90度くらいに曲げ引きを強く‥‥

あれっ、これってランニングフォームと同じじゃない?
今更何気がついているんだろう‥‥と苦笑いしながら何度も復唱しながら走った。
30qまで順調に来たことで調子付き少しハイになっていた。

32-3q走ったところで五十嵐さんに追いつき、
土曜日にゼッケンを貰ってきて頂いたお礼を言い先に行く。
吉川さんといい、五十嵐さんといい、荒川を最初から全部走っていてすごい!
私は随分ブランク作っちゃったな‥‥

ところが5qも行かないうちにこれまでのペースを守るのがつらくなった。
気がつくと姿勢が右に傾く。つま先もしっかりあがっていない。
膝がこわばり、ファイテンテープを貼ったら気にならなくなっていた先週くじいた左足首が痛くなっていた。

シャーベットは止まって食べたが、固くてなかなか食べられず歩き出した。
次の給水所まで食べながら歩き完食した。
走り出すとやはり膝と足首が痛いので、給水所でそこを水で濡らしながら走った。

残り2qまでだましだまし走ったが、少し疲れてしまった。
最後の1qを頑張ることにして少しペースダウンした。
どんどん抜かされた。『あと1q』の直前で何と五十嵐さんにも抜かれた。

でも、『あと1q』の表示のところでラストスパート開始、残りの力を振り絞って走った。
ゴールはネットタイムで4時間39分くらい。ラスト1qは6分だった。

 5q 31:37:64    10q 31:09:52    15q 31:24:61    20q 32:15:30
25q 32:15:64    30q 32:23:17    35q 34:55:44    40q 37:59:82

後でラップを見るとシャーベットまでは驚くほど安定していたことがわかり、
ちゃんと日々のトレーニングを怠らなければ
40歳代の私に負けないタイムで走れるかも‥‥と期待が持てる展開だった。

それから、日々のトレーニングが出来なくても、
週末のロングで進化できることも少し実感。でも、今年は参加費たくさん払っちゃったなぁ。























2012年9月佐渡トライアスロン大会

◇準備編◇

今年に入ってろくな練習が出来ないまま夏を迎えていた。

ぎっくり腰、ママチャリ転倒で肋骨損傷、熱中症等々‥‥

ただでさえ足りない時間に、余計な役が付いて会議が増え

有効に使わなくてはならない時間を不注意で潰してしまった。

気が付けば2週間前‥‥俄か仕込みと言うか一夜漬けというか‥‥

8月下旬の小学生の宿題やっつけ仕事の気分で少しトレーニングしたことで

万全を期した気分という『免罪符』を手に入れての出発となった。

 

だけど、直前に仕事をおろそかにしてしまった分、道中冷や汗の出る電話が相次ぎ‥‥

極めつけは、説明会開始と同時に入ったメールが『今日中に区報原稿を下さい』

*o*/\*o*/\*o*/\*o*/\*o*/\*o*

 

大会前日は、初めて自分でバイクの後輪を付けたと言ったら

やまぼうさんが見てくれて、スポークのゆがみを見つけてくれた。

皆で(応援組と買出し組)受付会場のメカニックサポートへ行くことになった。

500円でお願いした部分の調整をしてくれる。

 

腰痛予防にファイテンのテープを貼るつもりだったのに、忘れてきたので

薬局で何でもいいからテーピングテープを買おうと、買出し組に参加した。

ジュンペイさん、ヌマタさん、私の3人だった。

ヌマタさんのアドバイスにより、腰痛予防には鎮痛剤が有効、

ドリンクのボトルにはOS-1にスポーツドリンクの粉末をと言うことで

追加購入することとなった

 

7月に涼しいところで過ごして、いきなり炎天下のバイク練習に参加したら

1時間足らずのライドで熱中症になり、2週間くらい不調が続いたし、

一度熱中症になるとその後もなり易いと聞いていたので、少しナーバスになっていた。

前の日からOS-1を飲んだほうが‥‥とも言われていたので

金曜日、土曜日と飲むように2本持参していたが、当日もとは‥‥

 

しかし、OS-1に粉末のサポート飲料をまともに混ぜるとメチャメチャ濃い味‥‥

加減しないといけないと反省したが、後で聞いたらヌマタさんは

そんなレベルではなく‥もっと濃いのを作るらしい‥マジですか?‥‥

これは、飲むトレーニング必要かも‥‥

 

◇スイム編◇

またしてもスイムスタート失敗。どうなっているのかよくわからないけど!?

多分浜からにスタート、遠浅なので斜めに歩いてスタート時テープ前に並んでいた人に合流する人の方が多いのではと思う。上から見たら横入り状態なのでは?

スタートテープの前に並んでいる人はたった2、3列。

誰もいないスペースを5m位空けて『40分〜50分』という看板を持ったスタッフが

いるので私はそのラインより後ろに立っていた。

ここもパラパラ人がいるだけで、昨年同様ほとんどの人が浜にいた。

でも、ここが調度Aのスイムゴールが間近に見えるので昨年と同じ様な所にいた。

そしてスタートの合図があって動きだすと結構前の方にいたはずの私の前には

おびただしい数の人が沸いてくるように増えた‥‥。

前しか見えない私には訳がわからないが、浜からどんどん前に入っているとしか思えない。

私にとっては腰より深い水位なので泳ぎたいのだが、皆歩いているから泳ぐことも出来ず、

やっと周りが泳ぎ出したらやたら‥‥のろい。

人と人の隙間を縫って前へ出ようとしたがここからは頭は押さえつけられるわ、

足は引っ張られるわの大バトル。今年はアップしてあり、

(そうそう、アップ終了!と思って立ち上がったら、大勢の人達がアップする中、

目の前に立っていたのはどう見てもK先輩‥‥

前日、菊池さんから以前は小学生の時からのお仲間Kさんと佐渡へ来ていたこと、

そしてKさんは今年もBに参加されていることを聞いていた。

やり過しそうになったがここで声をかけなければ二度と会えないと思い

『Kさんですか?』‥‥かくして、二人目の先輩と再会しました!!

小学生だった私はあの先輩達にはきっと大人になってから誰かと偶然会う!

と思っていたのが実現して驚き驚き!!

この大会に母校・石神井東小水泳部OBが3人も参加したことになる。)

呼吸は楽なので、とりあえずパニックにはならない。

足を引っ張られたらわざと強いキックで応酬したり、頭を沈められたって前に出たり。

気持ちはその位余裕だったが、バトルが最終コーナーを回るまで続いたのには閉口だった。

最後のロープ沿いは誰もいなかった昨年に比べるとまだ時々接触するくらいの人がいた。

また、なるべくロープ沿いに行こうと思うが左後ろへ引く流れが強く

すぐにロープから離れてしまい、戻っては離れの蛇行をすることになってしまった。

何だか気持ちよく泳げる場面が全くないままスイムが終了。シャワー手前に応援団がいた。

結果はパニクッて散々だった去年より3分も遅かった。

 

◇バイク編◇

アームカバーがスムースに入らず、意外とトランジットに時間をかけてしまった。

後から上がってきた隣の人は袖付きウエットの下にアームカバーを着けていて、

あっという間に出かけて行った。

バイクは慌ててもどうにもならないので、焦ることもなくスタートした。

陽が高くなりかけた頃からボトルの水を頭やTシャツ、アームカバーにかけながら走った。

ヘルメットの下には保水のためバンダナを巻いていた。

去年田中さんに追いつかれたところとほぼ同じ両津の手前で多田さんに抜かれた。

背中のゼッケンが多田さんだったので声をかけた。

最初のエイドで冷たいスポーツドリンクを貰おうと楽しみにしていたのだが、

はっきり言って今年のバイクエイドは渡し方が下手!と言うか固まって立っているので

走りながら受け取るのはまず無理だった。

前の人が止まるので避けてしまうともう受け取れない感じ。

最後の子から貰おうと手を出したのに何を勘違いしたか引っ込められて貰えなかった

『何で〜?』

この後のエイドでも結局思った物を貰えなかったり、止まらないと受け取れなかったり‥

おにぎりなんてお盆からどれを取ろうか迷っているおばちゃん、どれでもいいよ!

昨年は一度もクリートをはずすことなく走り通せたのに!

これは、後でヌマタさんにご意見を伺って共感を得られた。

100qも走ったことがないまま当日を迎えた去年に比べると、

この1年で100q以上を3回() 経験したし、

峠も経験した今年はそれほど長く感じなかった。

小木の坂は、赤泊のエイドで同じようにおにぎりを貰ってもカゴに入れず

カーブの前に口へ入れ、曲がってから即ダッシュで登れるところまで登った。

登ってしまってから応援団の書き込みのことを思い出して路面を見たら、

『まだまだ』と書いてあるだけだった。でも小木を過ぎたら後一息‥‥のはず。

その小木の坂はやっぱりもう終わり‥‥と何度もだまされた。

真野湾が見えた頃から不思議なことが起きた。

高カロリーのグミ(パワーバーの‥‥)が効いてきたのか、何だかパワーが出るのだ。

追い風も手伝って30q以上の速度で走り続けることが出来、

30q地点くらいの所から腰痛が始まっていたのも忘れて何人か抜いてゴールした。

 

  ラン編◇

残りのグミとファイテンの赤い水を少々ウエストポーチに入れてスタートした。

バイクで終盤飛ばした(気持ちだけだけと‥‥)ので腿がパンパンになっていた。

歩いている人と大して変わらないペースで進む。水をかけてくれるところへは全て寄り。

エイドで貰うドリンクが温くて悲しかった。氷が間に合わなかったらしい。

アップダウンの辺りから冷たいものを貰うことが出来た。

畑の灯篭のところでロマンさんとすれ違った。

登り坂に差し掛かる頃多田さんとすれ違った。どちらも声をかけられてわかった。

多田さんとすれ違ったところはこれまた去年田中さんとすれ違ったところとほぼ同じ。

今年は他にすれ違うネリトラメンバーを見つけられなかった。

ところが、もう会うことはないだろうと思っていたK先輩にアップダウンの中間の

平らなところで抜かれた。ゼッケンを見て『あっ!』と声を上げたら振り向かれ、

少し言葉を交わした。先へどうぞと言ったが、先の登り坂で歩いている先輩を再び発見。

登りが得意なもので‥‥しばらく先に行きますね〜と先行した。

実はこのアップダウンの手前で皆は民間エイドのスイカを頂いていたが、

私はこの辺りでグミを食べた。それが功を奏したのかまたパワーが出始めた。

折り返してからは何人も抜きながら気持ちよく走れた。

熱中症予防にと出来るだけ水を被って走ったが、所謂速乾性の昨今のウェアに反し、

首に巻いたバンダナは100コットン、Tシャツも半分コットンなのでなかなか乾かない。

それが案外良かったのか、昨年より陽が出て暑く大変なイメージだが快適に走れた。

ヌマタさんにアドバイス頂き、腰痛対策にわざわざ買った鎮痛剤を飲み忘れ、

ランの前に痛くなってから飲んだのだがそれが効いて、腰も膝も痛くなく、

去年のようにエイドの度に冷却スプレーを貰うこともなく、私なりに快走できた。

 

◇レースが終わって◇

ゴール間近に応援団がいたので荷物をまとめてそちらに行く。

数分差でゴールされた先輩を見つけ、管理人さんに写真を撮ってもらった。

昨年同様、入浴、夕食を手早く済まして、Aのゴール応援に出かけた。

応援グッズを忘れて宿を往復した。

やっと応援を始めて間もなく、大会本部からの留守電に気付く。

応援の声にかき消されて良く聞こえないので直接大会本部に行くことにした。

不注意から大会本部にご迷惑をおかけすることになってしまっていた‥‥。

去年のこの時間は疲労でとても動きたいと思わなかったが、

今年はそんなに疲れは感じないので、動くことが出来た。

ボチボチのトレーニングだったけど、効果なのかなぁ‥‥。

ネリトラの練習会があり、いつの間にか空いていれば参加が当たり前になっていた。

ネリトラのお蔭です。

思い通りにトレーニングが出来ない1年を過ごした結果が出る、

体重も増えたままだし‥‥昨年よりタイムを確実に落とすだろうと思っていた。

けれども結果は2分弱早く帰って来ることが出来た。

スイムは3分、バイクは12分遅いのにランが16分早かった。

まだ、進化できるのかも知れない‥‥と微かな希望が湧く。

そして会議後の飲み会の誘惑を振り切る1年にしよう、と密かに誓う帰路‥‥

しかし、真野鶴を片手にこれを書く私は意志薄弱?




















陣馬山トレイルレース

投稿者:にっちゃん 投稿日:2012年11月11日(日)20時57分0秒
昨年もこの時期(体育の日の次の日から)にひどい風邪をひき1ヶ月練習できず、
直前にあけぼの7周の10kmだけ走って当日を迎えた。
今年はもっとひどく、9月の下旬から例の頭痛に見舞われ練習見合わせ。
やっと治って今月から練習再開と思っていたら 風邪をひきとうとう練習出来ず。

まぁ、例によってレースが練習という五十嵐さんに倣って棄権はしないことにした。
その程度のモチベーションなので金曜日は午前様、土曜日も深夜までビール酒ワイン
これも要因だったのかも知れない。

そんな不摂生の挙句なのであまり早くは出かけられず、
会場着は受付時間ギリギリ、ゼッケン等を用意してスタートの場所に着いたのは
スタート10分前。去年よりはだいぶ後ろからの出発となる。
途中で大渋滞があるのだが、案の定去年よりはるかに長く並んだ。

それでも、山道を走るようになると案外快調で、特に陣馬山から落合(第一給水所)まで
結構抜かして下った。
そしてたどり着いた落合で貰ったのがバナナと真水。
冷たくて一口目は美味しいが、汗を大量にかいていたのに真水なのでイマイチ‥‥

ここからは8km位アスファルトの登り。再び走り出そうとすると右の脹脛に痛みが走った。
攣った?と思いストレッチをしようとすると、何か生き物のようにヒクヒク動いていた。
これが痙攣か!見るのも経験するのも初めてだった。

すぐに治まったが、少し痛みがあるのでとりあえず歩いて進んだ。
もう走っても大丈夫かと小走りを始めるが50mも走ると脹脛がヒクヒクするので歩く。
何度か同じことを繰り返す。そのうちビクンと大きく波打つようになる。
一度同じ辺りが球技をしていて肉離れになったことがあるが、同じように後ろから蹴られたような感触。
肉離れになってしまったら、来週の大型バスにあふれんばかりの高齢者のハイキングに障る‥‥
腹をくくって歩いて進んだ。

明王峠の近くの稜線に着くと第二給水所。残り約3.6q。制限タイムまであと40分。
ここもミネラルウォーターしかない。
塩分が不足していると思われ、第一給水所で水を飲んでから足が痙攣して走れないんです、
と訴えると、スタッフの女性が個人の塩分チャージの飴を出して下さった。
その飴を5-6個頂き、2個口へ。残りをポケットへ。ミネラルウォーターをペットボトルで貰って出発。
ここから再び山道になる。走ってみるともう痙攣はしない。
再びサクサク走り、アスファルトのところで抜かれた人を抜き返す。
それでも時折脹脛に違和感を感じるので、飴と水を補給しながら2q強の山道を飛ばした。

飴が尽きたころ再びアスファルトの道となる。あと1キロ。残り15分。何とかなる!
と思った時、また脹脛がビクンと波打った。あ゛〜〜〜
幸いストレッチでゆっくり走れる程度に回復した。
ゴールに着くとテープを張って歓迎してくれた。
3時間54分42秒。昨年は32分だから20分遅かった。
サービスのすいとんをいただき漸く脹脛は元に戻った。

温泉行きのバスに乗ってやっとゆっくり参加賞や名簿を確認することが出来た。
何と、塩熱飴が2個入っていた。不摂生の影響がここにも‥‥
準備が周到に出来なかったので補給に持ってきたのはアミノバイタルだけだったのがNG
寒さ対策のことばかり考えていたけれど、意外と寒くなく‥‥
今日は、レース後雨が降り始めてからは寒くなったが、それまでは風もなく冬用長袖Tシャツは暑くてNG
あと、名簿を見たら私は一番最後だった。まさか‥‥年齢順?

次は富士山マラソン。2週間後なので練習できるだろうか‥‥
どうやら今期はこれしかフルの機会はなさそうなので、思い残すことのない様にしたいもの。


























 アイアンマンジャパン北海道 〜洞爺湖〜 2014年8月24日

快調に走り出した。
いつもバイクはスタートと同時にワラワラ抜かれるのに、あまり抜かれないことに気を良くしてどんどん進んだ。
前日に車で下見をした時は、運転していても長く感じた湖畔の道も案外短く感じ、湖畔を離れる登り坂も楽に感じた。
バイクが違うと楽〜とルンルン気分で走っていた。長い下りに入り気が付くと
60kmを超えるスピードが出ていた。
いくらなんでも…と思い少しずつペースダウンしていた時だった。
『ブレーキ
!ブレーキ!』と切羽詰った怒鳴り声が耳元で聞こえ、思わず手に力が入り急ブレーキがかかってしまい
・・・・・宙を舞った。

左が下になって止まった。
左足だけビンディングがはまったままだったので外しながら立ち上がり、スタッフに促され左に避けた。
転がったボトルを拾ってもらいそのままスタートしようとすると、
『一回転していたよ。結構ダメージがあるんじゃない
?少し休んだら?
『どこか痛いところは
?』と言われ、
骨盤の右角が痛い事に気付いた。女性スタッフが直接観察してくれたが、『ちょっと赤くなっている程度です。青くなっていません。』と言ってくれた。

すぐに青くはならないけどね。
男性スタッフが『サドルバックが擦り切れているね。これがクッションになったのかなぁ』と言う。
サドルバックは付けていないけど…と思いながら『大丈夫ですから』と言って出発することにした。
オートバイの医療班の人が『暫く付いていきますから…』と言ってくれた。
20m程先まで歩いて坂を下りきった所まで行って乗るように言われた。
そこは直角にカーブし周回コースに入る所だった。

 スイムは恐れていたほど寒くは感じなかったが、
序盤にオーバーペースのため息が上がってしまいパニック気味になってしまった。
少し平泳ぎをして呼吸は落ち着いたが、今度は左の肩が痛い。
1周目に1度大きくコースアウト、2周目は少し流れが出来て何度も小さくコースアウトしては戻りジグザグに泳ぐ感じになってしまった。
それでも、バイクラックに行くとまだ周りのバイクがたくさん残っていていいポジションでバイクスタートが出来たのになぁ…。

動転してままスタートしたので、DHバーが段違いになっていることに走り出してから気付いた。
第2エイドに着き、DHバーのネジを緩めて角度を変えてみたが完全には左右対称にならない。
次にトイレに行こうとしたら打ったところが痛くて右足に体重をかけられなかった。
『ランは無理かも…』。腰を冷やさなければ、と思いコールドスプレーがないか聞くがなかった。
医療班の人にも聞いたが持っていないと言う。

仕方がないので水をかけながら走ることにした。
DHバーを見てもらおうとメカニックポイントがどこかにあるか聞いたら、走り回っているので今どこにいるか調べます、と言ってくれた。
ところが、メールを送って返信が来たらわかるという結構原始的な方法で調べるのだと言う。
そんなに待ってはいられないので、再び走り出した。
転んだ時ヘルメットにも少し衝撃があったので、バイクが縦に揺れると頭に響く。
ますますランは無理かも…と思う。ロキソニンの存在を思い出し
1錠飲んだ。10時頃だった。

 これまでエイドでバイクを降りたことは一度もなかったが、
今回はその後のエイドでは全てバイクを降り、スタッフにスプレーとメカニックについて尋ねた。
京極のエイド前あたりで後輪の異音を感じ、調べるとタイヤのネジが緩んでいることを発見。
これを直す時に右肩も結構ダメージを受けている事に気付いた。

 自分で用意したスペシャルニーズを受け取った時(バイク約140km)には、
歩道に座り込みおにぎりを食べながら状況報告をしておこうとバイクジャージのポケットに入れておいた携帯を出した。
驚いたことに入れていたビニール袋がボロボロになっていた。
後のトランジットでジャージポケットのものを全て出した時分かったのだが、
ポケットもボロボロになっていて転んだ時スタッフが『サドルバックがボロボロ』と言っていたのはこのことだったのだ。
携帯も少し傷がついていたが、一緒に入れておいた攣った時飲む漢方の袋がはち切れていた。
困ったことに持ってきた携帯が仕事用のもので皆のアドレスを登録していない方だった。
ネリトラの掲示板も履歴がないので探して打っていたら、つねちゃんが来た。
転んでしまい、バイクは何とか漕げるけどランは難しいかも…と伝えた。

14
時を過ぎロキソニンの効き目が薄れたので2錠目を飲む。
バイクはいつも
2-30km走ると腰が痛くなるが、やはりロキソニンの効果で痛くなかったのか、ここらで痛みを感じた。

 バイクの練習は全く足りていなく、家から白石峠までの150kmがこれまでの最長記録。
ダラダラ登り一気に下る、下ってすぐ直角に曲がる、
直角に曲がってすぐ登りという快適とは言い難いコースだったが
5km毎の表示が確実に増え、
ゴールに近づいている実感が嬉しかった。いつの間にかその最長記録も超えていた。

 やがて転倒した場所に戻り、長い急坂を登り返し程なくして洞爺湖が目に映った時には涙が出た。
何とか帰って来た…。
でも、そこからが、まだ意外と長かった。結構な向かい風が吹き、下りなのに走らない。

 バイクフィニッシュ手前からランコースと併走になる。既に大勢のランナーが走っていた。
第2エイドでまともに歩けなかった時に比べればだいぶ痛みは落ち着いていた。
頭に響かなければ行けるところまで行ってみよう、と思いランナーの流れに入った。

まず、ゴール方面へ行きすぐ折り返して片道約10kmの湖岸のコースを2往復するのだが、
スタート直後に最初の折り返しから戻るつねちゃんと会い、
1往復終わった
k-shinさんクワシさんとそれから、2往復目のKUBOちゃんとすれ違った。

また、最初の折り返しで、『高嶺さーん』という応援-が聞こえ、振り返ると寛己君がいた。
抜かしていく寛己君に声援を送り、後から続くとゴールとの分岐があり、間もなくゴールのアナウンスが聞こえた。
バイクで走っている時はあまり抜かされていないけど、
降りてスタッフに尋ねたり、バイクをいじったりしている間に抜かされていたのでしょう、
だいぶ後ろの方になっていて最後尾と
1km位しか差がないことが折り返して分かった。

2錠目のロキソニンの効果が薄れて右足を着く時が痛いけど、頭は大丈夫。
スペシャルニーズのおにぎりを食べてから3錠目のロキソニンと思ったが、
18時過ぎに飲んだ。
もう、これでゴールまで行けるかと思ったが概ね3時間半くらいで効果が薄れ、少し我慢するが4時間でギブアップという感じだった。

ランの中間くらいでスペシャルニーズを受け取ったのだが(kmでも受け取れたのだが気付かずスルーしてしまっていた)
この時はすでにおにぎりを食べる元気はなくカステラだけを食べ、コールドスプレーをポケットに入れた。
寒さに備えてウインドブレーカーも入れておいたが、暑いくらいなので袋にいれたまま預けた。
処分されてしまう恐れもあったが、翌日ランのトランジットバックと一緒にかけておいてくれていた。

ここまで、エイドには全て寄り冷たい水を含んだスポンジをバイクジャージの下に挟んで骨盤を冷やしながら走ったが、
ここからはスプレーがあるのでエイドには時々寄って水分補給するだけで進んだ。
残り約
10kmの折り返しの最終関門まであと2kmと言う時にあと12分しかない…
キロ6分は無理…やっぱりピックアップされちゃうのかな…とは思ったが出来るだけペースを上げて走った。

歩いている人を次々抜かして折り返しに着いた時には2分くらい過ぎてしまっていたが、何も言われない。
よく考えたら私は第6ウェーブの出発だから、
22分の余裕があるのだった。
最後のロキソニンを飲んで残り
10kmを出来るだけペースを落とさず走り続けた。
ゴールの手前は花火が上がることもあり、1往復して通った時までは賑わっていたがもう応援の人もほとんどいなくて時々、
スタッフが暗い中一人で立っていて声をかけてくれる。
思わず『暗い中、遅くまでありがとうございます』と返す。
ゴールは外国人の司会者が賑やかに盛り上げていたけど、もう深夜だし静かなのかな…と思っていたが、近づくと変わらず賑やかだった。
彼は何時間ああやって騒いでいるのだろうか…。
ゴールまでの花道はハイタッチの手がたくさん並んでいた。
その中にネリトラの皆の顔もあった。ありがとう。早く部屋で寛ぎたいでしょうに…。
つねちゃん、目がウルウルだったね。ありがとう。

ゴールテープを切ると白戸さんが待ち構えていてくれて、
肩に手を回し『もう、アイアンマンだよ。』と言ってくれた。
口の悪い妹たちには『お姉さんは骨が鉄なんじゃないの』と言われたけど…。

宿に戻りお風呂へ行ったら、眠くて湯船で居眠りをしてしまった。
長湯になりのぼせてしまい、上がったところまでは覚えているが気付いたら洗い場で寝ていた
…失神?急いで脱衣場へ行って水を飲みベンチで涼んでからやっと部屋へ戻ることが出来た。

皆すでに部屋のテーブルを囲んでコンビニで仕入れたものを肴にやっていた。
クワシさんは、2日前に初対面だったことなどすっかり忘れて馴染んでいた。
後の3人もいつにも増して完走の祝杯に満悦し夜を徹して飲みたい!と言うほど元気だった。
私はお風呂で少しうたた寝したけど足りず、報告の書き込みをしているタブレットを何度か居眠りから落としながら、祝宴に加わった。
というか、ほとんど寝ていたかも…

思うようにはトレーニングを積めない日々だが、佐渡Bに3回出た。
そろそろロングにチャレンジしてみたいと思ったが佐渡Aは制限タイムが厳しそう…で、
佐渡と2週間間が空くというのでエントリーしてしまった。
7月以降、特に8月に入って準備が出来なかった。
バイクは4月頃から新調を決めていたのに、全く時間が取れず間際になってしまった。
それが今回の事故に直結するかはわからないが、もう少し新車で練習したかった。
それから、スイムの時2ビートを試みたが足が浮いてしまい全くキックが効いていないことに気付いた。
ウエットの練習も必要。
ランはまだ自信が持てないのでゆっくり走り始めては力を残してゴールする感じになるので、
もう少しチャレンジャーになろう。様々課題を感じて終了した大会だった。

2日後には腰が小鉢位腫れ上がり、頭のてっぺんにたんこぶを発見。
首や肩も鞭打ちっぽい感じでガチガチになった。
8月いっぱいはイレギュラーな日程で少しのんびり過ごせるのも幸い、というかそれで思い切ってエントリーしたのだけど。養生して次に備えよう!

今回は期せずして4人の仲間に恵まれ、初チャレンジにも関わらず不安もなく、楽しく過ごすことが出来た。
最後に高速でガス欠と言うとんでもない経験もしてしまい、半端ない思い出が詰まった旅となった。
宿の前でクワシさんと別れた時も、新千歳空港で3人と別れた時も、とても名残惜しかったね。またね。






















富士山マラソン参戦記

 投稿者:にっちゃんタブレット  投稿日:2014年12月 1日(月)11時05分14秒
編集済
明け方3時に駐車場が開くのでそれに合わせて4番乗りで到着。
仮眠と思い、寝袋を被って龍馬伝を見ながら眠りに就きました。
ところが間もなく胃が痛くて目が覚めてしまいました。

胃が痛いという経験はあまりないのですが…
近頃少食にしているのにマラソンの前だからと
3食炭水化物をたらふく食べた上に、道中お煎餅をボリボリ…
それでとうとう胃がストライキを始めた感じでした。
白湯を飲もうと思ったら、ポットを忘れて来たようで…(〃_ _)q

火器は持って来たけど外に出て沸かす気にはならないので
水で我慢…それでも痛みは和らいだので再び眠ろうとしけどもう眠れず…
6時にシャトルバスの運行が始まり外がにわかに騒々しくなってきたので
眠る努力をやめ出発の準備を始めました。

一応朝食に用意してきたうどんを温めて一口食べたらやはり胃痛…
その後スタート1時間前の8時にもおにぎりを1口食べてみたけど同じ…
というか今食べた分が逆流しそう…こんな時フルマラソってどうなの?と思ったけど
腹を決めて、昨日までの貯カーボ(?)を信じて走ることにしました。

昨年はスタートブロックが決められているものの、
細長い湖畔の公園で身動きが取れず、後ろの方からのスタートになりましたが
今年は少し工夫してあり、指定の場所にスムーズに行くことが出来ました。

スタートゲートのすぐ先に黄色い被り物の応援男子がいてKUBOちゃんに似ている…
3度見位して、恐る恐る『KUBOちゃん?』と言ってみたら変事がありました(≧∇≦)

この大会は、河口湖マラソンとして開催していた頃の3倍位の参加者が
狭い道にひしめき、地元の人かな…と思う陸連登録ナンバーなのに遅い人がたくさんいて
最初の10km位は歩道を走るなど無理しないと抜けない不自由な感じで進みます。
胃がこなれて正常に動いてくれるまではこのペースに甘んじることにしました。

西湖への登りは直前にトイレに行った事もあり一度も止まらず走ることが出来ました。
急登なのでほとんどの人が歩いているので大勢抜かし、西湖畔からはやっと走りやすくなりました。

30km位のところでテントが並び、騒いでいるのが見えました。
応援にしてはスピーカーを使ってカウントダウンしている感じで何だろうとおもいました。
少し行くとあろうことか、路地から女子の軍団がキャピキャピ走路になだれこんで来ました。

数百mはコーンで仕切られていましたがやがてなくなり、
一緒になると速い人、歩きだす人…あげくには5ー6人でGメン歩きの子まで…
『Gメン歩きはちょっと…』と言ったら『何このオバサン』的な顔で見られました。
あとでKUBOちゃんに似ている聞いたらGメン歩きって知らない…と言われました(ー_ー;)

この女子軍団の半分位はピンクの同じTシャツを着ていたので
近づいて文字を読んだらウィメンズファンタジーランと書いてありました。
抜かしても抜かしてもピンクTシャツは続く…
何度もカウントダウンが聞こえたからウェーブスタートで相当押し出されていたのでしょう。
せっかく走りやすくなっていたのにだいなし!!

ここまで口にしたのはエイドのスポドリとザバスのタブレット少しと
愛用のパワーバーのグミ4粒のみ。
35km位で小腹が空いた気がしたので思いきって1/3カットのバナナを貰ってみたら
胃は何ともなかったのでビスケット等も少し貰いました。

そしてラスト7kmはドンドン抜かして快走…したけど
前半ノロノロの分の巻き返しにはならず、目標の4時間30分以内には帰れず
今なら30分代というアナウンスの声に猛ダッシュ(のつもり…)
4時間39分55と掲示板を確認し、朝の不調を考えたらまずまずと満足したら
自分の時計を止めるのを忘れていました(〃_ _)

家に着く頃にはもう速報がが出ていて4時間40分01でした。
ネットで3時間38分位みたいです。昨年より10分位速くなっていたので上出来としましょう。

ゴールから細長い公園を延々戻り水、メダルを受け取り、トン汁を貰い、
Kazumiさんにメールを入れましたが、しばらくして返信があった時には
もうお風呂に入っているとのこと…前泊しているから湖畔の温泉がフリーなのかな…

会えないまま帰路に着こうとシャトルバス乗り場に戻る途中
ゴールに向かって疾走する黄色い被り物のKUBOちゃんを発見。
電車で来たと言うので眠気覚ましに乗って貰うことにしました。
初フルマラソの友人がこれからゴールだと言うので車を取りに行って
湖畔のまで戻りKUBOちゃんを拾って帰って来ました。

スタート、河口湖大橋の手前、ゴールの数キロ前と、3回見ましたが
黄色い物が星…?でもない、ピカチュウ…?でもない。
『onちゃん』という北海道テレビのマスコットキャラクターなのだそうで…

富士山マラソンは初回インフラの大失敗でスタート出来ない人を大勢出し、
昨年から申し込みの時点で駐車場を確保、シャトルバスも増発して会場までの導入は良くなりました。
でも、荷物の預け場所が細長い公園の更に細くなった最奥で
長蛇の列に並ばないといけないのがイマイチ…
Kazumiさんのように前泊するとホテルに荷物を置けるのかな?

あとは、今年から始まったファンタジーラン…
参加者集客も主催者には大事なのだと思うけど、ランナーの立場になって考えて欲しい…
ナンバーカードと同梱の紙に書かれた『スタッフへの感謝の気持ちを忘れない』の文字が虚しく見えました。

走り始めてからは富士山もいなくなり残念な大会でした。


















いわきサンシャインMR参戦記

 投稿者:にっちゃん  投稿日:2015年 2月 8日(日)22時46分21秒
8時前に会場に着き、早速仙台から来るはずの学生時代の岳友にメールを入れた。
早朝4時半に仙台を出て既に会場に着いていて、荷物預けの前で落ち合った。
スタートして5q位しゃべりながらゆっくり走った。
彼女は自営業で義父母と同居、震災で工場が浸水して会社復活のため
練習どころではないそうで 東京MRに来たときも最後尾に近かったが、
今回も関門を気にしていた。
それでもウルトラの完走経験があると言うのが今の私には何より心強い話だった。
先に言ってね〜と言われてから、少しずつペースを上げて前に出た。

3年前の震災1年後に来たときは何もなかった小名浜港の北に続く小さな漁港に
船が戻って来ていた。大漁旗もさらにたくさん空を舞っていた。
小名浜港の南には延々と瓦礫の山が続いていたが、これもなくなり
防潮堤の工事が進んでいたり、松が茂っていた。

応援がすごい。42qほとんど切れることなく誰かがいて色々叫んでいる。
おじいちゃん、おばあちゃん、子ども、犬まで‥‥来てくれてありがとう〜と言う。
佐渡と同じくらい篤い応援が続く。

突然、背中をポンと叩かれて『ガンバッテ!』と言われ、見ると真っ黒な人が‥‥
ゲストのワイナイナさんだった。
一番後ろから出発して、皆を応援しているのだった。
軽快にランナーの間をすり抜けてあっと言う間に見えなくなった。
次は、ハイタッチしている人が‥‥つられて私も手を出したら増田明美さんだった。

10q、20qと1時間くらいで進めたが、20qを過ぎたところでとんでもない登りが‥‥
上りきると、ご褒美のように給食があり、今年はなんとイチゴがどっさり

間もなくかつての板橋マラソンのようにゴール地点を通り過ぎる。
この辺りから雨が降り始め、海沿いの工業地帯を通る頃にはかなりの降りに。
ここから内陸に入って折り返すので、またアップダウンが‥‥

前回は1年で何日かしかない強風のため常磐道が通行止めになった日で、
工場の煙突の煙が真横にたなびいていたが、今日は雨に伴い風が出てきたと言っても
煙は斜め上に昇っていた。気温もそれほど低くなかったのが幸い。
それでも、3年前の記憶で厚手のインナーにウインドブレーカーまで着てスタートし
薄日の射す中暑くて失敗した‥‥と思っていたけど、まくっていた袖を戻し、
腰に巻いていたウインドブレーカーを着なおし、手袋もして後半の風雨をしのいだ。

通過タイム
 10q 1:00:55
 20q 2:00:02
 30q 3:06:06
 40q 4:16:03
 ゴール4:29:52
総合順位 2519位/7000人
という結果だった。






野辺山

 投稿者:にっちゃんタブレット  投稿日:2015年 5月18日(月)22時01分23秒
応援下さった皆様、ありがとうございました。

ひでよーさん、故障をおして完走されるとは流石!

私は収容車に乗せられてメイン会場に戻ったのが1時過ぎ。
3時頃預託の荷物が帰って来るまで、着替えてから
ふるまいの豚汁や蕎麦を頂いたり、(ちょっと肩身が狭かったけど…)
42kmや71kmの部の表彰式を見たり、
100kmのトップの人たちのゴールを見て過ごしました。

寒くなってきたのでどうしようか考えていましたが、
ひでよーさんから現在地のメールが届き
ゴール時間の目処がたったので温泉に行くことにしました。

土曜日のうちにひでよーさんが、駐車場の情報をくれたので
メイン会場の横の駐車場に停めることができ何かと助かりました。

温泉から帰ったら18時位になっていて、
14時代にはゴールして来る人はまばらでしたが、
18時代は次々ゴール、会場は人でごった返していました。
それでも一人づつの写真が撮れる感じでした。

リミットまで残り30分の18時30分を過ぎた頃から、
続々ゴールで、ゴールテープを切りたい人が渋滞し始めました。
ゴールの手前で一人ひとり名前をコールしてくれるので
カメラ(タブレット)を構えていたら、
ひでよーさんが現れたのは私がいたのと反対側…
ちょっと小さな写真になってしまいました。

それでも掲示板にアップして、選手が流れて行く方に行こうとしたら、
何と、目の前にSSCにボクシングをやりに来る人がいました。
こぶしMRには出ていましたが聞くと、今回はご主人の応援だそうで。

この大会のゼッケンは地域の順になっているとのことで、
プログラムを見るとひでよーさんの5人前に載っていました。
また、5人後には私が行っている松本クリニックの先生が
載っていました。ランナーだとは聞いていましたが…
なので、少なくとも11人は練馬の人だということで…

さて、今回は関門にひっかかって早く帰ってきましたが、
トップの人達の様子を見ることができて良かったと思います。
当然の事ですが、よく走り込まれていて、
ゴール後に足を引きずっている人を見かけたのは、
だいぶ後でゴールした人でした。

天気に恵まれて、富士山、南アルプスは北岳が残雪を湛え、
甲斐駒が勇姿を誇り、間近に主峰赤岳を中心に八ヶ岳南部の山々…
と、山に囲まれた絶景を欲しいままにを走り出しました。
そして、八ヶ岳の山間の林道に入ると
唐松が萌えて素晴らしい新緑の中を走ります。
3000mの山の縦走にも引けを取らない爽快感がありました。

登り坂は歩いた方が…と攻略法に書いてありましたが、
歩きたい、辛いと思わないのでずっと走り続けました。
攻略法を思い出して歩いてみましたが、
コンパスの短い私はどんどん遅れてしまいます。
走っていると少しずつ前に出られます。

下りはトレイルだとすぐ前の人に追い付けるのに、
アスファルトだと遅れます。
でも、今回10km位続く下りで走り方を習得したように思いました。

siggyさんのおっしゃる通り、走り続けていたら
故障をしていたかも知れないし、
回復が遅れて次の練習が出来ないかも知れません。

私がランの大会に出るのはあくまでもトラの練習のため…
と割り切って、今回の経験を無駄にしないようにと思います。

無事家に帰り着きましたが、冷や汗もののトラブルが…
車のギヤがlowになってしまって直らないのです。
シフトレバーはトップになっているのに…
渋滞中ちょうど圏央道の分岐前で追い越し車線が流れるので
そちらへ車線変更したとたんの事でした。
渋滞が解消されたのに踏ん張ってもタコメーターが上がるばかりで
50km/hにしかならないのです。
左車線に移ったけど近づいて来るトラックにパッシングされるし…
SAもないので頑張って八王子まで行き、
後は一般道で帰ってきました。
日付が変わる前には辿り着きました。
今日GSまで行きましたが、色々やっても直らなかったギヤは
もとに戻っていました。でも、明日入院させます。



































北海道から帰ってきました。

 投稿者:にっちゃん  投稿日:2016年 7月13日(水)07時23分45秒
総合体育館が年1回の定期点検のため3日間休館になるこの時期
毎年遠くに出掛けていますが、今年は昨年に続き北海道の山へ!

百名山全山制覇を目指しているオジさん(SSCの会員)の希望に応じて企画。
(プランニングは彼にやってもらい私は登攀リーダーやるだけですが‥‥)

何でも興味津々のお姉さん方の希望に応じて車を止めて撮影タイム。
前の10人乗ったワゴン車はどんどん行っちゃうのに‥‥

最初に向かう羅臼岳の麓に向かう道は羅臼岳の周りを半周。
表情が変わるので、撮影撮影‥‥

まだ羅臼岳です

 投稿者:にっちゃん  投稿日:2016年 7月13日(水)08時19分26秒
編集済
オホーツク海を見渡せる知床五湖へは夕食までに少し時間があると急いで行きました。
時間が足りなくて一湖しか見ることが出来ませんでしたが、
夕陽に光るオホーツク海、羅臼岳の連山を見ることが出来ました。

夜明け前に起き出して、小雨の中登山開始。
ダラダラと続く登りを初心者、高齢者に合わせてゆっくり3時間程行くと雪渓に出ました。
15分位と聞いていましたが、ゆっくり登ったので40分以上かけて登りきりました。
高山植物が続く樹林限界の道を行くと再び雪渓が‥‥しかも結構急斜面‥‥
何とか登りきり最後の岩稜帯に差し掛かる。
昨日、南側を車で走ったとき見えていた所だな‥‥と思って登るうち
ガスがどんどん動きだし、遂に青空が現れてくれました。
遠くの景色が見えるほど回復しなかったのは残念でしたが、
後で聞いたら西に位置する斜里岳や阿寒湖方面は雷雨だったと言うから
ラッキーと言わなければ。晴れ女の面目は保ったというもの。

心配していた雪渓の下りは、下り方を簡単にレクチャーしゆっくり進み
誰も滑落することなくクリア!ホッと胸を撫で下ろしてダラダラと続く下山路へ。
健脚者は7時間位で登降するそうだが、バテ気味の初心者を含む我がパーティーは
10時間以上の登山となりました。麓の温泉に浸かり、次の宿泊地へ移動。

斜里岳

 投稿者:にっちゃん  投稿日:2016年 7月13日(水)11時01分57秒
斜里岳は麓の山小屋に泊まっての出発になります。
自炊の小屋で、他の登山者の話しも聞けて良い面もありますが‥‥

体調イマイチで羅臼岳を途中下山したこのプランのツアーリーダーは今日は、停滞との事。
昨日雷雨の中下山したと言う人の渡渉13回で11時間かかった‥‥との話を聞きつけ、
前に渡渉したとき仲間が流されて‥‥と言う仲間の思い出話と合わせて
ビビってしまった高齢者達は斜里岳をパスして雄阿寒岳に登りたいと言う。
出発前の協議の結果、10人乗りと5人乗りのレンタカーのキャパとドライバーの都合を鑑み、
4人が雄阿寒岳へドライバーはツアーリーダー、
残りの9人が予定通りの斜里岳を目指すと決まりました。
雄阿寒岳は時間的にも短いし、危険なところはないので高齢者ながらベテランが3人、
安心して送り出せます。

問題は斜里岳。途中までは沢沿いの渡渉を繰り返す道を行かざるを得ず、
沢コースと尾根コースに分かれ上部で合流、沢を詰めて稜線へと言うルート。
一般的には沢コースで登り尾根コースで下るのだが、雪解け水で水量が多目の上
雨で増水気味の沢はどんなもんか‥‥9人の力量、イケイケ姉さん達の行きたいオーラ‥‥
予定通り行きたい気持ちはわかるけど、関東の山や南北アルプスのメジャーコースと違って
沢沿いの道、と言うより本格的な沢登りに近いようなので、
さんざん沢登りをしてきて、中年になった先輩が目の前で滑落するのを見たり、
やはり中年になった後輩が滑落して半年も入院したことを聞いたりしている
私としてはもうマッタリ安全登山で行きたいところ‥‥

二俣までの足取りと、沢の様子で判断することにして出発。
沢の増水は大したことはないので希望を取り案の定
女子全員が沢コースを希望、男性はベテラン二人いるが
一人が尾根コースを希望してくれました。

今回のメンバーは高齢者ながら山のベテランが数人いて、
隊を分けるとき空気を読んで私が離れる方に入ってくれる。
本当に有り難い存在です。

沢コースに入ったのは健脚揃いなので三点確保、補助ロープ、
何でもチャッチャとクリアしてコースタイムを上回るペースで登り合流地点、
上二俣に到着。待つこと小一時間で尾根コース組到着。

昨日ペースメーカーになった初心者がもう限界と言うことで
そこから降りたいとのこと。
体調的には問題なく、足だけが耐えられなくなっているようなので
短い休憩を頻繁に取りながらで良いので下二俣を目指してもらうことにしました。

そこから往復約2時間で登頂、無事下山‥‥と言いたい所ですが、
上二俣に戻った時、尾根コースを行ってくれたベテランさんが
あろうことか沢コースで降りたいと言い出したのです。
普通、沢を下ることはあり得ないけど、大きな滝の巻き道は
道もしっかりしているし、マーキングも付いていて、一応下りも
ルートとしてコースタイムが書いてあるのです。
まぁ、水量も減りつつあるし、クライムダウンも二人なら
どうにかなるだろうと、再び隊を分けることに‥‥

下二俣で無事合流し、また渡渉(飛び石渡り程度)を13回繰り返し無事下山。
次の宿泊地、阿寒湖半に着くと奇しくも雄阿寒組も到着したところでした。

斜里岳は沢の途中で霧雨はあがり、山頂では薄日も射しましたが、
阿寒の方面の方が回復が遅く、山頂直下で視界1m位になってしまったので
引き返したとのこと。賢明な選択をしていただきました。

阿寒湖畔の散策(まだ歩きたいニョか!私はあの猫の呆れ顔?になりました。)、温泉。
夕食は勿論(^o^)/▽*▽\(^-^)。

翌日の雌阿寒岳は皆の足と、希望を考慮し
出発を早め、早々に就寝。

雌阿寒岳、阿寒富士

 投稿者:にっちゃん  投稿日:2016年 7月13日(水)14時23分58秒
編集済
予定通り、朝4時に宿を後に。(当初は6時発になっていましたが‥‥)
14時45分、根室中標津空港から羽田に向かいます。
コースタイム3時間半を予定していましたが、
どうやらツアーリーダーが参考にしてきたタイムは健脚向け。
ベテラン高齢者達は標準タイムで何とか歩けますが
高齢初心者はもっと時間がかかります。
これまでは天候イマイチだったけど、今日は絶対大パノラマのはず。
是非とも皆にその景色を見て帰って貰いたいのと、
イケイケ姉さんは阿寒富士まで足を伸ばしたいと言うので。
温泉に入る時間も考えて時間設定をしました。

登り初めの15分は全員で歩き、そこで富士を目指すチームと、
ゆっくり登るチームに分かれることにしました。
いずれにしても、前進は7時半と決めて。

さて、健脚組7人は息が上がらないギリギリをついて
どんどん登ること、2時間弱。
五合目あたりから這い松帯になり、ガスも上がり始めました。
私達が高度を稼ぐのと同時進行で青空が拡がって
遠くの山並みが見えてきました。

山頂に着くとお釜があり音をたてて噴煙があがっていました。
360度のパノラマを堪能し、写真を撮って早々に出発。
阿寒富士まで往復2時間のコースタイム。
殊に前進は7時半までと決めたので、全く余裕がありません。

え〜こんなに下るの?と思いながらも躊躇する間もなく
ジャリ道を駆けるように下り、冨士の急斜面をジグザグに切った道を
ガツガツ登る‥‥後泣いても笑っても15分!と思ったら山頂が見えた!
写真を撮りまくって再び下山開始。敏ちゃんは雌阿寒で待つことに‥‥。
皆、ザックを途中で投げ捨てるように置いてきているので、
先に降ります、と言って下りだしました。
オカポンが個人写真撮り忘れた!と言うのでシャッターを押し、
自分のタブレットをざっくにしまうとにわかに
用をたしたくなり、今だ!と一人残った山頂で‥‥
下り始めると皆遥か下を転がるように下っていました。(≧▽≦)
私も負けじと駆け下り、2番でゴール!じゃない、
雌阿寒と冨士のコルに着き、再び登り。

何度かゆっくり隊が山頂に来たか見ましたが確認できず。
だけど、下りきって車道に出るところで辛うじて
追い付き、再開を喜び、登頂を讃え合うことが出来ました。
私は読みが当たって同時ゴールとなり満悦至極?

予定より30分早く空港へ向かうことができて
途中でラーメンも食べることができ思い残すことなく
北海道を後にすることができました。