ShiggyのIronmanチャレンジ!

                                    


 2008年2月23日(土) ランカゥイ・マレーシア


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             第4幕   第5幕  第6幕  

                           第7幕
  第8幕
  
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Ironman Malaysia 2008奮戦記(序章 Langkawi リゾート)


<ランカゥイへGo>
アイアンマンの大会が土曜日に行われるため、水曜日の出発で成田からクアラルンプールまで、
そこでランカゥイへと乗り継ぎ着いたのが夜の9時でした。
大会間じかで空港近くのコースに変更されたためホテルまでの道を通ると思われた。
なだらかで道も広い。何故かわくわくしてきた。さすがIronman大会と思わせる。

<レジストレーション>
翌朝5時過ぎにワォーミングアップで約1時間ほど走ったが、まだ夜が明けない。
時差は1時間であるがまだまだ暗い。
大会が15分遅れて開催されるのは夜が明けるまで待っているのかもしれない。
(実際にはプロは7時30分スタートでエイジは7時45分スタートのため夜中0時45分まで行われた)

大会事務局があるシービューホテルまで約2kmぐらいだが歩いて行くとかなりかかる。
もう日が昇り30度を超えて暑いためだ。

11時過ぎに行くとまずメデカルチェックだ。
といっても名前とパスポートNoを記入(何で必要かわからない?)を記入して体重測定を行い血圧を測るくらいだ。最初150以上超えていたので測り直してしていた。132と記入していた。
もし高いままならもう失格になるのだろうか。

その次に張り出された掲示から自分の番号を調べてメデカルチェックを行った用紙に記入して
登録まで順番に並んでいた。 
いきなり50リンギット(チップのレンタルとのこと約2000円)の支払いが待っている。
番号を言って受け取ったものを調べるとバイクにつけるNoプレートのバンドやゼッケンをつける
ピンが入っていない。 

また大会直前まで受付しているので人数も増えて名簿に載っている番号は違っている。
なんか結構いい加減な感じである。 まあしょうがないか。
大会会場は選手でいっぱいであるが、かなり日本人が多く感じられた。
といってもアジアの大会ですからしゃべってなければ全員日本人に見えてくる。


<遅い昼食>
スイム会場までブラブラともどり、ヨットハーバーで昼食を済ませた。
腕には、アイアンマンのオレンジのタグがついているので出場者は直ぐにわかる。
町でIronmanと声をかけられる。なんともいい気分である。

リゾート地でのんびり過ごしてそれから午前中に組み立てたバイクで試走にでることにした。

                                       第2幕へ
















































































Ironman Malaysia 2008奮戦記(第一章 静かなる夜明け)  

<驚きの試走>
木曜日の午前中に登録を済ませバイクを部屋から持ち出す。 
ホテルはウェスティンでじゅうたんはちょっぴりふかふかなため押すのも楽ではない。
エレベータに乗せてロビーまで時間がかかる。
バイクラックがないのでやはり部屋におくしかない。

コースの下見である。
丘の上にあるため港まで少々下っている。
1kmぐらい下ったところでいきなりの前輪がパンクである。
早くもチューブ交換の練習ができた。

日陰で予備に変えてまず事務局までチューブの予備を買いにいくこととなった。

その後下見のコースの試走である。
もうコース上の路肩にはバイクの方向が示された看板がおいてある。
それにそって数キロ走って行く内に登りが続きはじめた。
どんどん登ってやっとトップまできて下り始めた。
かなりのスピードがでる。
約62k/hぐらい表示される。
そのまままた登りが続き2山上がったところで引き返すことにした。 
これ以上続くと本番前にへばってしまいそうだ。

あれ、こんなにアップダウンがあったかな。
昨夜車に乗っていた時には気づかなかったのに。
かなりハードなコースだ。 もう十分に疲れた感じだ。


<フロントデレィラーがおかしい>
約20kmほど試走してもどる途中フロントデレィラーにチェーンが空回りしてアウターに切り替わらない。 
またしても事務局へ行って調整をお願いすることとなった。
調整をしては再度乗ってためし、結局3度ほど調整をしてもらった。
おかげですっかり現地スタッフに覚えられてしまった。


<何度も事務局へ>
その後ホテルに帰っているとふとバイクボトルがないことに気づいた。 
そういえばバイクの調整時にそこに置いてきてしまった。 
すぐに引き返したらボトルが置いてあった。
すでにスタッフはいなくなっている。 
それもそのはずでもうウェルカムパーティが始まる時間を過ぎていた。


<バイクの違い>
今回 佐渡に参加したジョー(ファーストバイク)ではなく
サラジュニア(セカンドバイク)での出場で少々違いがあった。 
どうもフロントディレイラーのアウターへの切り替わりが少々遅れて入るのである。
今回バーコン(DHバーに取り付けた変速機)での挑戦でかなりDHバーを持って走ることが多いので
少しでも早くなるようにとの思いからである。
(実は、これが後になって最悪の状態をまねくこととなった。)


<ウェルカムパーティ>
遅れること2時間あまりワイワイとくつろいだ雰囲気のなかで生バンド演奏、
花火盛り上がっている。 ただしノーアルコールであった。
その内盛り上がりも絶好調になるころに停電が起こった。
焦げ付いたにおいがする。 
容量オーバーでショートしたに違いない。
何とかバンドは復活したが照明はつかないままの再開となった。 
なんともしまりのない進行となった。 
いいかげん食べたので途中で引き返した。

                                             第3幕へ
























































































Ironman Malaysia 2008奮戦記(第二章 緊張と高鳴り)  
<リゾート気分>
金曜日の早朝バイクコースの下見に参加したかったが
ホテルの朝食のよさに勝てずリゾートを満喫することとした。
どうもホテルは、リゾート客が多いせいかのんびりとしてまったりとしたなかに陥ってしまう。


<突然の緊張>
朝食が終わりふと部屋のバイクを見るとなんと今度は後輪がパンクしているではないか。 
また事務局へ行かなければならない。


<ブリーフィング>
大会説明はランカスカという別の場所で行われる。
支度をしてロビーに行くとアベックがタクシーに乗るところであった。
私たちに気づきいっしょに乗せて行ってもらった。
2人はマレーシアの人であった。残念ながら名前を聞き損ねた。

説明は英語で行われたが、後から日本人に対して日本語での説明も行われた。
約600名ほど参加しているのだが、日本人も100名ぐらいの参加があった
スイムは残念ながらロングパンツはだめとのこと 
ひざ上でないとだめとか(スイムパンツの下からナンバリングを行うためであった)

ツワーバスが外で待機していてホテルまで送っていった。
私たちはツアーの参加でないため町をブラブラして途中で昼食をとった。
実際にウェスティンから4kぐらい離れているのだが、暑い外を歩くのはかなりこたえた。
(実はこれも、後でこたえることとなった)


<再度事務局へ>
大会本部のあるシービューホテル(事務局)でチューブを買おうとしたらすでにスタッフがいなくなっていた。 
しかたなく道の途中でチューブを購入してホテルに引き返した。
もう暑さでくたびれていた。


<バイクチェックイン>
3時過ぎにバイクを預けにいった。 
そこには、調整をしてくれたスタッフがいてそのまま簡単なチェックで預けられた。


<最後の仕上げ>
ホテルには25mぐらいのプールがある。
そこで最後の調整を行った。
約800mぐらいは泳いだでしょうか。 
プールでがしがし泳いでいたのは、やはり大会参加者ぐらいでしたが。


<ヨットハーバーでの夕食>
ほっとしてあとは明日を迎えるだけである。 
ゆったりと食事をしてもちろんビールも注文しました。
ジョッキでくださいというとなんとピッチャででてきてしまった。 
日本で言うジョッキはこちらでグラスらしい。 
でてきたピッチャはさげてもらいグラス(中ジョッキ)にいっぱいづづにしてもらった。
大会前なのでやはり控えることにした。


<大会当日>
やはり緊張のせいか眠りは浅い。 
2時前に目がさめてしまった。


<ウェステンで朝食を>
ホテルの朝食は7時からなのだが、大会当日はアイアンマンのために5時から準備をしていてくれる。 
それも目の前でオムレツを焼いてくれるのである。 
なんともうれしいかぎりである。


<いよいよ スタート>
夜明けが遅いためプロは7時30分スタート一斉に泳ぎ始めた。
数分ウォーミングアップを行って浮き板に上がる。
エイジグループは45分スタートだが40分になってもスタート位置まで泳いでいってまっている人は少ない。 
やっと43分ごろになって浮き板から海に入ってスタート位置へ移動し始めた。 
私もその一人である。その内に号砲がなる。
まだスタート位置まで泳いでいないのだが。

                                    第4幕へ









































































































Ironman Malaysia 2008奮戦記(第三章 スイム)  
<スタート前のナンバリング>
スイム会場には5時30分ぐらいにいって最後のチェックを受ける。
実は体重測定があったのだ。
それから両腕と両足にもナンバーを書いてくれる。
それをかみさんに見せにいって
「ハイポーズ」 と写真を1枚とられた。
そこには昨日ホテルで大会が何時に開催されるかを聞いた夫婦づれも見にきていた。 
また緊張してくる。


<コースは>
1周回の行って帰ってくる直線コースである。


<スタート後>
いつものようにゆっくりと泳ぎだす。
ウェットなしなのでよけいに気が張っている。
途中何人かとぶつかりかけたが、お互いにさけてバトルらしいものはなかった。
それともみんな先を泳いでいてもうすでに周りにいなかったのだろうか。
ひたすら旗の立っているのを見てまっすぐ泳ぐだけである。
コース上に何本も旗が立っていてたどり着くのだが、
いつまでたっても折り返しにならない。 
すでに1人旅である。

やっと折り返しがきたと思ったら、コースから離れていたためスタッフからガンガンと大声がとんでいた。
もうすでに太陽は登りまぶしさが目に飛び込む。
あまり顔を上げると沈みそうなのでひたすら旗だけを見て泳いだ。 
ワシの銅像?が近づいてきた。 
岸も近くなった。

最後の100mぐらいでロープが張ってあり
右を泳ぐのか左を泳ぐのかわからず半分ぐらいづつ分かれて泳いでいた。
スタッフが大声を出していたのでどちらかが間違っているのだが、泳いでいるものたちにはわからなかった。
(後からかみさんに聞くとレスキューの人が真ん中にいたそうだ。)

無事スイムの終了である。 スタッフが私のバイク袋を渡してくれる。
1時間35分まずまずのできであった。

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Ironman Malaysia 2008奮戦記(第四章 バイク前編快調な走り)  
<トランジット>
テントで着替えてバイクまで行くといがいとバイクが残っている。
宮古島や佐渡であれば数えるほどしかないのに。
ちょうどバイクに乗るところにかみさんが「ハイポーズ」と写真を取ってくれる
「じゃあ行ってくるから」
と声をかけてさっそうとこぎだす。


<バイクスタートは波乱含み>
しかし走り出してから足の重いこと。
おまけに前輪が揺れている感じする。
実際には、自分がふらついているのだろうか。

スイムでキックをしていたわけでなく、
とりあえずバランスをくずさないように慎重に・・・ 
「あれ 交通規制がないではないか」
左側通行で直ぐに右折して事務局方面に曲がっていかなければならないのにどうなっているのでしょう。 
右折の合図を出して真ん中によって後ろを見るとバスがちゃんと待っていてくれる。
相変わらず、足が思いながら走っていると試走した2山越えの難所に差し掛かった。
本来下りでこいで登りを楽すれば早く登れるのだが、やはり下りで休んでしまう。
その後結局しんどい思いをして登る羽目となる。
なんとか切り抜けた。


<恐るべしハワイアイアンマンチャンピオン>
しばらくはがまんの走りとなったが16k過ぎから少々楽になってきた。
そんな中1人相当早いやつに追い抜かれていった。
てっきり私より遅くスイムが終わって上がった人だと思っていたのだが、
それからまたしばらくすると、パクさんに抜かれて初めてプロに抜かれていったことに気づいた。

それにして相当に早かった何とも飛んでいるような感じで抜かれたのだ。 
後からわかったことだが2005年チャンピオンのアルサルタンであった。
これはすごい感動である。
他のプロとの走りの違いさえ感じられた。
ここランカゥイはバイク3周回のためプロの走りをそのまま実感できるのである。 
走りながら見物できてすごく楽しい大会である。
参加者が少ないのがうそのようだ。 
プロには賞金レースであるためかトップクラスが何人もきているのかも知れない。

かみさんがダントツで帰ってきたアルサルタンを見て彼より早い人がまだいることに驚いていた。
(それほどすごい走りであった。)


<ルールの徹底>
ブリーフィングでドラフトを行うとラン前にペナルティBOXで5分ストップが科せられる。
2回まではよいが3回で失格となる。
右側を走行して追い越しのじゃまをすると、ペナルティBOXに入って一端停止をしなければならない。
そのためか皆ルールを守って6m以上は離れて走行していた。


<コースの状況は>
バイクコースは最初の2山越えがあるだけで、後は3周回のそれほどアップダウンがあるわけでもない。
ただし自動車やバスがそのまま通っていてただ暑いといった感じである。 
がんばればアウターだけでも走っていけるコースだ。
最初に町まで乗ってきた道は別に平坦なコースで最後にもどる時に通るためそれほどハードでもなかったのだ。


<エイドステーション>
2つめのエイドステーションまでは通り過ぎてまだ暑いという感じではなかった。
3つめのエイドで冷えた氷入りのボトルがとても気持ちよかった。
頭とひざにかけると気持ちがいい。
まだまだ 競り合うということもなく淡々と走り続けていた。順調に飛ばしていける。
この後の暑さが堪えたのか思わぬ展開となる。

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Ironman Malaysia 2008奮戦記(第五章 バイク後編苦しみに耐えて楽しむためには)
<ローターリーのミス>
マレーシアは日本同様左側通行であるが、十字路でない場合もある。
それは、ローターリーになっていてUターンする場合はぐるっと回ってきてもとの道でもどることができる。 
その代り真直ぐに直進する場合にはグルッと左に回って直進ラインに進まなければならない。
よく理解していなくて、前にバイクで走っている人がいる場合にはそれを追いかけていけばいいのだが、
いざいなくなった場合には真直ぐいくのかグルッとまわるのかが判断できない。

3周回もするのでそのまま真直ぐ行く場合もあるしグルッと回る所もある。 
ちょうど前に1人いてこのロータリー手前で内側にコースを取って行く人を
外から(左から)抜いたのはいいのだが、
そのままロータリーを回るものと勘違いして周り駆けたとき、
実は真直ぐに直進しなければならなくてぶつかりそうになってしまった。 
本当に申し訳ないことをしてしまった。 
ちょっと間が空くと中々走りにくいところも出てくる。


<暑さを感じていなかったのに>
エイドは10kぐらいごとにあるのでそこで氷の入ったボトルをもらって
頭、ひざと冷やしながら走っていたのだが、食べるものとしたらバナナぐらいしかなかった。 
そのためバナナだけですがおいしくいただいておりました。
30k/hで走っているぶんには暑さを感じませんでした。

今朝はホテルでカップケーキを持ち帰ってバイクに入れたいたのだが、
食べるとボロボロとケーキかすが落ちてバイクの上はきたならしい。 
まいったな

<又も悪夢が>
昨年の佐渡では右ひざを痛めて苦労したので、
気にしながら快調に飛ばしていたのだが、
70km過ぎから左の腰が痛くなってきた

10kごとのエイドでもらった氷水のバイクボトルで頭、ひざだけでなく腰までも冷やさなければならなくなった。
今はまだがまんできて走れた。


<コースは整備されているが>
バイクコース3周回の道はよくパンクを直している人は1人ぐらいしか見かけなかった。 
とてもよくできているが、平行して自動車が走っているのだ。
しかし不思議にも事故が起きていない。


<がまんくらべ>
ついに痛みが増してきた。まだ80kぐらいだ。 まだ100kからある。
走れなくなってスピードも24〜25k/hぐらいに落ちてきた。
ゆっくり楽しんでいられない。
その内にDHバーが持てなくなった。
ハンドルを持って走るとまだ楽なようだ。
ついにDHバーはあきらめることにした。 

ただ今回はDHバーにコントローラをつけてずっと走るつもりでいたため、
逆にハンドルを持って走るにはギヤの変則をするのに大変になった。 
切り替えをあまりしないようにしなくては、
またフロントギアもインナーでそのまま走ろうかとしたが、
足の回転が多くなればこれも腰への負担になってうまくいかない。
とりあえず、極力楽な状況を考えながらひたすら走った。
なんとも情けないかぎりだ。

それからは、すべてのエイドで止まり氷水のボトルをもらって1つは背中に入れて腰のアイシングを行った。
スピードが落ちてくるとあまり風を受けないせいか暑さを感じるようになった。
気づかないうちにどんどんと抜かれていく。

<やっと回復>
155kmぐらい過ぎたころから少し楽になってきた。
このままパンクをしないように祈りながら最後まで走っていった。
とりあえず、何とかバイクコースは無事終了できた。

                                        第7幕へ















































































Ironman Malaysia 2008奮戦記(第六章 ラン)
<バイクフィニッシュ>
やっと事務局のあるシビューホテルまで戻ってきた。
すでにランの折り返し地点だけに沢山の人が走っている。
ちょうどそこでかみさんに迎えられる。
時間的にはほぼ、予定していたぐらいの時間で戻れた。

<トランジット>
バイクを降りるとスタッフがバイクを受け取ってくれる。
すぐにランの袋を手渡ししてくれてテントでの着替えとなった。
本当に手際よくスムーズである。
しばし休んでいよいよスタートである。

<調子はいかに>
走り出すとNoと名前のコールがされている。 
足の重たさはいつもとかわらないのだが、やはり腰のいたみがありあまり走れそうにない。
時間は、たっぷりあるのでいけるところまでいこうと思う。
事務局前で、かみさんに会ってまたもその応援で気持ちを切り替えて走り出した。
まだ少しは走れていたのでなんとかなるかなと思っていた。

<周回コース>
10kの周回コースは少し登っているだけでほとんど平坦である。 
ただ路肩を登り下りを使うため2人あるいは3人が平行に並ぶことができるくらいの幅である。 
そのため遅い私などがいると抜いていく人にとっては、非常に困難である。

<エイドステーション>
エイドステーションは約1kごとにあるため、
頭から氷水をかけたりスポンジをシャツの中にいれたりと皆暑さ対策をしながらのランである。
ただ食べるものというとバナナとオレンジだけであった。
実際に1箇所自分で準備したものを置けるところがあるのだが、
あまりだれもとってはいないように思えた。


<2周回からねおあげる>
なんとか10kの1周回は走ることができたが2周回を3kぐらいしたところからもう足が進まなくなった。
とうとう歩き出すぐらいとなる。
自分では走っているつもりなのだが、実際に歩いている人に抜かれていくのである。
管理人さんの言うとおりである。
「俺は走っているのだぞ」と心でさけんでいる。
周回に入るとき、手にカラーのリングをつけてくれる。


<何周回かはひと目でわかる>
1周10k終わると赤のリングをもらい、2周目が終わると水色のリング3周が終わると黄色、
4週がおわるとそのままゴールへ行くので周回コースへは戻ってこないのでわからない。
そのため私が、2周目で赤のリングをつけて歩くより遅く走っていると
まだ10kしかきていないのに大丈夫だろうかと皆が心配するのではないだろうか。
(勝手に自分を気遣うほかの人を想像している。)

<3周目に突入>
もう走っているといえるものではなくなった。 2つのリングをつけてひたすらあるいている。 
沿道での応援にも悲しいことに答えられない。 
ましてや周回コースのためランナーがどんどん走っている中で歩くのがかなり悲しくなってくる。
どうにもならないのが残念だ。

<4周目最後の周回>
背中には冷やしたスポンジを入れてエイドで交換をしては腰のアイシングをしている。 
かならずエイドではオレンジとバナナを食べることにしている。
スタミナをなくしてはいけないからだ。
まだ、大会経験は少ないのだが、どうも、トライアスロンを取り違えているかも知れない。
スイム・バイク・ランのはずだが、スイム・バイク・ウォークといつも最後は永遠と歩き続けているのだ。

またエイドステーションだ。 
スタミナをなくさないようにオレンジ食べてバナナを食べて、
パワージェル(これはあんまり口にあわない)も置いてある。
いっしょに食べよう。 体力回復のためにおいしくいただきました。
もうコース上には、紙コップとスポンジのゴミだらけで走る人にとってはたいへんである。 
ただしもう暗いため気にせずに選手はすぎていく。


<足に豆が>
3周目ぐらいから、
靴下までぬれてしまってどうも足の裏に豆ができてつぶれてしまったのか痛くてしかたなかった。
そのため歩いているのもかなり堪えるしまつだ。 
もう後は10kも残っていないのだ。 いつしか時間もきにしていなかったのだが、
この時間ぐらいになると選手も少なく
すれ違う人のリングが1つか2つで歩いている人をみると完走できるのだろうかと心配になってくる。
もう自分の足の痛さを感じているより他の人のことも気になってくるものだ。
だれもが完走をしてほしい。
こんなに疲れたのだから、回復するために点滴してもらおうかな。 
それって有料なのかなとか、
いかん スポーツマンにあるまじきことばかり考えている。

<ついにフィニッシュ>
ゴール2kぐらい手前から少し足が動くようになった。 
やはり歩いてゴールするのはまずいのでしっかり走らなければと足を進めた。 
ゴール前でかみさんが声をかけてくれる。 

ついに完走することができた。

アイアンマンになることができました。

完走メダルを首にかけてもらい、タオルをかけてくれる。 
それにしてもタオルちょっと小さくない。
「メディカルチェックを受けてください」
よっしゃ点滴点滴と中にはいると
「OK OK シャワー シャワー フード」
と言ってどこに点滴あるのかわからない。

朝と同じく体重測定を行った。
なんと、1kgも増えているではありませんか。 
まずいですね。 
過酷なトライアスロンに参加して体重が増えたなんて人には言えません。

こうして自分では点滴を受けたかったのだけども
その奥のフードを見るとオレンジとバナナがあり
なんだエイドステーションにあったものばかりだ。 

よく見るとパンがおいてある。 
これはいただかなくては、とおいしくいただきました。
中にモカクリームが入っていて中々といけました。 
エイドステーションにおいてくれたなら、もっと体重が増えたのになあ。

もうすでに午後11時30分ごろであった。 
予想より1時間ほど遅くなってしまった。 
1日中かみさんの応援で何とか完走できたことに感謝いたします。

1日中暑い中での応援も楽ではありませんね。 
もちろん反省をちょっとしてこの次の大会に奮起したいものです。


Ironmanと呼ばれたい。 フィニッシュ

                                     第8幕へ





























































































Ironman Malaysia 2008奮戦記(終章 暑い中での熱い思い)
<戦い終わって>
翌日の朝は遅めの朝食で過ごした。

昨日でやっと終了したせいか、何故かほっとしている。
疲れてはいるのだが、食事はよく食べられる。 
張りつめたものがとれたのかもしれない。

と思ったのも束の間 
部屋にもどると、かみさんに怒られる。
昨夜 シャワーを浴びたのだが、ベットのシーツにくっきりと腕のナンバーの後が残っている。
そのまましみついているのだ。 
これはもう落ちないかもしれない。 ホテルの皆さん申し訳ありません。

<ハワイの案内を見に>
午前中に事務局に記録を取りにいった。 
完走できたのでまずハワイへの権利は得たわけだ。 
あとは私の前の何十人かが、やめればいいわけだ。
ホテルで知り合った宇都宮の夫婦の方(両人ともIronmanである)といっしょにタクシーでいった。 
しかし、みんなチップを忘れたために取りにもどり再度シービューホテルに向かった。
チップを返し50リンギットを受取った。

<わけがわからないスタッフ>
昨夜フィニッシュした時、チップを回収するとか、
メディカルチェックではチップはプレゼンントだとか、どうもよく理解できないことばかりを言われた。
なんだったのだろう。

<おそろしき記録>
同じエイジのトップはなんと10時間30分ぐらいであった。
そんなに早くゴールしたら面白くないでしょう。
もっと十分に大会を楽しんだらいいのになあ。 
そうしたらこそっと1番になれたのに。
いつまでも、他力本願の私です。


<残念なアワードセレモニー>
その夜、アワードパーティが夜8時から行われたのだが、
前回同様にノーアルコールである。 自分で持ち込みはできる。
表彰式が行われたのだが、
残念ながら、3位まで表彰される中で、多くの日本人がすでに帰ってしまって表彰式に出席していない。 
トロフィーをもらわないで帰ってしまっている。 
入賞したのだからみんなにお祝いをしてもらって、初めて全ての大会が終了するのではないでしょうか。
完走すればおしまいではない。 
表彰式にでないのであればせめて4位以下になってほしい。
なんとも悲しいかぎりだ。


<ついに初のIronman終了>
パーティは午後11時を過ぎても続いている。
今日でIronman Malaysia Langkawi 2008の幕がおりた。
本当に楽しい一週間であった。

<感謝でいっぱい>
大会を主催いただいた関係者の皆さんや応援をいただいたネリトラの皆さん、
ましてや1日中暑い中での声援をしてくれたかみさんに感謝いたします。
本当にありがとうございました。

今回15時間40分も十二分に楽しむことができました。
残念ながら、体重が増えてフィニッシュになったことが、申し訳ありませんでした。 

トライアスロンの醍醐味Ironmanと呼ばれるようになりました。

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