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ルーツを訪ねて


宮本武蔵の生地
 梅雨明けが宣言されたもののぐずぐずした天気が続いている、7月18日から19日にかけて、長女が全国でも珍しい姓である国宗家のルーツを訪ねる旅がしたいというので、同行することになった。妻も一緒にと計画していたが、当日になって発熱するというアクシデントに見舞われ、長女夫婦と私だけの旅になった。
 朝9時半に熊本を出発、自家用車に揺られながら九州自動車道から中国自動車道へと一路岡山県へ。8時間の車の旅で美作インターで降りて湯郷(ゆのごう)温泉で宿泊する。 ここ美作(みまさか)町に降りてみたら、宮本武蔵生誕の地という看板が見られ、かつて読んだ吉川英治の「宮本武蔵」を思い出していた。奇しくも宮本武蔵が亡くなった熊本から、生誕の地まで来たことになり、少しの感慨にふける。ホテルの女中さんにその話をすると、「熊本の阿蘇に行く途中に武蔵のお墓がありますね」と答えてくれた。
 この湯郷温泉に宿泊したのは、翌日津山市と久米郡中央町打穴里(うたのさと)を訪問するためであった。


津山市
にて
 翌朝ホテルを出て、津山市に向かった。この津山は城下町であり、津山城跡の石垣だけが残っている。江戸初期にあの本能寺の変で織田信長に殉死した、森蘭丸の弟森忠政によって城が造られたということである。山また山の中の町津山にも古代遺跡が残っており、ここに城を築いたのには「文明は川がはぐくむ」の言葉通り瀬戸内海に口を開く大河吉 井川に負うところである。
 私の父は岡山県津山市の生まれで、津山中学を卒業して第六高等学校に入学するまで、吉井川のほとりで育った。父が生前国宗家のいくつかの墓を寄せ墓にして建立した国宗家累代の墓は、津山市の東側の山手に位置する曹洞宗の高福寺にある。私は、生前の父と、また父、母の納骨を含め、過去四回訪れている。しかし、いつも車で連れていってもらったので、地図を頼りにうろうろして、人に聞きながらやっとたどりついた。久しぶりに父母や祖先の墓参りをしたわけである。
 昨日からの曇り空は降ったりやんだりの天気になり、そぼ降る中で津山城跡、藩主の日本庭園「衆楽園」などを回り、昼食後いよいよ国宗の本家訪問となった。




中央町
打穴里
 私の祖父の生まれた本家は、津山から更に奥山に分け入った、久米郡中央町打穴里(うたのさと)にある。私が生前の父とこの地を訪れたのはほぼ30年前のことであった。
 道路地図をみると打穴里に国宗という表示があるのを発見した。もともと私の祖先は、この地方で大庄屋の家柄で苗字帯刀を許され、直(あたえ)氏を名乗っており、のちに明治維新まで山崎氏を名乗っていたそうである。明治維新になってすべての家が姓を名乗ることになり、多くは庄屋の名前を名乗ったという。これでは子孫が迷惑するということで、近くの国宗坂という地名から姓を付けたのだと聞いていた。しかし、地図に載っているとなると単に坂の名前だけでなく、小字を国宗というのではないかと考えた。
 本家は県道からまた山の方へ登ることになるが、その登り口に打穴里−国宗、亀甲という道路標識が立っていた。その坂を登り詰めたところに、本家があった。かつて来たときとは家も建て代わり、昔の面影はほとんどなかった。
 30年前に津山まで迎えに来てくれた本家の当主は、私より若かったが3年前に病死しており、その奥さんが出迎えてくれた。
 父の残してくれた国宗家の系図が本家にもあり、それを眺めながら話を進めた。この話の中で初めてわかったが、本家でも国宗家は岡山と熊本の分家だけだと思っていたら、数年前千葉県に住む分家が本家を訪ねてきて、千葉、埼玉付近にも国宗一族がいることがわかったというのである。帰ったら早速文通し、系図を交換しようと話し合った。


國宗姓
の由来
 この本家への登り口に従来の国宗坂と別に、新しく大きな道が谷の向こうからのびてきており、この谷に新しい橋が架けられていた。本家の話によると地名だけでなく谷の名前も国宗谷、そこを流れる谷川も国宗川と呼ばれていたとのことである。そこで架けられた橋の名も国宗橋となったという。また、谷の入り口に建てられた、集会所も国宗コミュニティセンターと呼ばれるようになったとのことである。
しかし、この地域で国宗の姓を名乗っている家は他にはないとのことである。
 全国的に珍しい苗字である国宗もルーツを訪ねれば国宗だらけだったことが新しい発見であった。
 今回はお目にかからなかったが、本家には「美作国 国宗」と銘のある刀があった。広辞苑をひくと国宗の項に「備前の刀鍛冶の名前」と書いてあるとは長女の話しであり、なにか刀鍛冶に由来のありそうな名前でもあるが、定かではない。
 そういえば私の名の直(ただし)というのには、国宗家の高祖の直(あたえ)氏からとったもので、国宗家には直の字を使った名前が多いのだと父から聞いていた。この機会に系図を見てみると確かに多い。曾祖父の親は松三郎直鎮、曾祖父とその兄弟は友三郎直道,清四郎直一。祖父は治郎左衛門直基、その兄弟には直高、直幸、父の兄姉には直(なお[女])直賢、直次という叔父、叔母がいる。私の名もその意味で国宗家の由緒ある名である。そこで私の長女が生まれたときに「直子」と名付けることに父が積極的に賛成した意味が分かるような気がする。
本家の裏山に江戸時代から続く祖先の墓所があり、墓参りをすませ再会を約して帰途についた。
 帰りの車の中で、岡山の国宗家のほかに四国、大分にも国宗家があるということがわかっており、このルーツも尋ねながら「国宗家サミット」でも開いたらと新しい夢を語り合ったものだ。
   1998年7月27日
                          國宗  直


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