勝利の喜びに思う ーハンセン病国賠訴訟熊本地裁勝利判決に寄せてー 國宗 直 ハンセン病国賠訴訟について熊本地裁は11日、国のハンセン病政策が憲法違反であり、犯罪性と人権蹂躙であることを明確に認めました。さらに加えて「らい予防法」を放置してきた国会の責任も認める画期的な判断を示しました。すばらしい勝利の判決でした。 この画期的な判決を確定させ、平均74歳という高齢化した原告・療養者を早急に救済することは人道的な課題です。 この判決の後多くの人々から「良かった」という声と同時に、ハンセン病について「人ごとのように生きてきた」「あまり手を貸すことがなかったことは不甲斐ない感じ」と自責の念に駆られている人や、「こんな重大な問題があるとは知らなかった」「これまで無関心だった」人たちがこの判決で改めて事の重大性に気づかれた方も多いようです。 子供の頃からいろんな形でハンセン病に接し、原告の中にも長くつきあいのあった人がいる私にとって、そんなに長い間原告や療養者たちの人権問題にまで思い至らなかったことにより深い責任を感じています。療養所に収容された人たちの血を吐くような苦しみ、嘆き、悲しみについて、1世紀にわたる国の人権無視の隔離政策について、いくつかの事実について聞いていながら、人間としての尊厳の回復になんの力にもなれなかったことを反省しています。 たまたま今回の国賠訴訟が提起され、この訴訟に勝利することがこれまでの罪滅ぼしでもあろうかと、微力を尽くしてきました。 私はクリスチャンホームに育ち、こどものころから教会に通っていました。教会ではリデル・ライト(おふたりとも英国聖公会宣教師)がはじめたらい病院回春病院(現在はリデル・ライト記念館となっている:黒髪町)との交流もあり、日曜学校の生徒の頃から回春病院や、恵楓園などに花を持ってお見舞いに行ったりしたことを覚えています。 しかしそのころは伝染する病気だと聞かされ、患者さんに近づくことは禁じられ、怖い思いをしました。恵楓園に教会がありましたがその教会の中にはいると、真ん中に患者さんが座る場所があり、回りに観覧席のように健常者が座る場所がありました。教会ではその当時から「救らい」事業や運動をしていたのですが、まだらいに対する有効な治療薬もなく、患者さんは病院に収容されることがしあわせなのだ、不治の病に悩む人たちは神を信じることによってのみ救われるのだと思っていました。 戦後プロミンという有効な治療薬が普及し治る病気だと聞かされましたが、政府の隔離政策は引き続き行われ、一般的にはまだまだハンセン病に対する偏見が色濃く残っていました。 学生時代学生演劇で市民文化祭に上演した「検察官ーゴーゴリ作」をもって恵楓園を慰問に訪れたこともありましたが、直接療養者と接触するチャンスはありませんでした。 1959年ウィーンで開かれた世界青年学生平和友好祭の報告集会が恵楓園の青年グループの手で開かれ、日本代表の一員として参加した私に報告の依頼がありました。このときにほんとに初めて療養者の青年と握手しました。このことを未だに覚えていることは、自分自身握手することに勇気が必要だったといえるでしょう。このときから私の中にあったハンセン病に対する偏見とおそれを克服することができたように思います。 その後いろいろな運動のなかで療養者の人々との交流が始まったのは、熊本市会議員に当選した頃からでした。恵楓園のなかの住宅にも何回となく訪問して話し合う機会もありました。そのころ交流のあった人たちが今度の裁判の原告として立ちあがったのでした。 いま国会では超党派の「ハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会」が原告・弁護団と共に総理大臣、厚生労働大臣、法務大臣に「控訴するな」と申し入れを続けており、衆議院運営委員会理事懇談会は、「立法上の不作為」の責任があると指摘された衆議院として、決議を採択する事で合意しています。 いま、関係大臣に手紙、はがき、FAX、メールなどを集中して、解決へ力を尽くす必要があります。多くの皆さんのご支援を宜しくお願いします。 2001年5月17日 |
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ハンセン病国賠訴訟の勝利について 熊本芳友会 國宗 直(71歳) 国の「控訴断念」により、ハンセン病国家賠償訴訟での熊本地裁の国と国会の不作為の違法判決が確定しました。1世紀の長い間人権を奪われ、ありとあらゆる苦難の中に過ごさなければならなかった、原告・元患者の喜びは言葉に尽くせないものがありました。 わたしは、この歴史的判決の日幸運にも傍聴のくじに当たり、この耳で判決を聞くことができ、大変感動に包まれました。 しかしこの判決が確定するまでの12日間、まさに息の詰まるような気持ちで政府の出方を見守ってきました。この間に国民の中に急速に「控訴するな」の声が広がりました。「熊本の判決が全国を走り回っている」という世論の広がりを経験しました。政府に対する控訴断念のFAX、メールによる要請行動もどんどん広がりました。 「政府は控訴して、和解に持ち込むことを決定した」との報道が流れる中で、控訴ゆるさずの国会を囲む原告・元患者と支援団体の闘いも国民世論の多くの支持を得ました。この力がついに政府を「控訴断念」に追い込みました。 この裁判の弁護団の事務局長をしていた私の娘は、「東京でみんなと一緒に控訴断念のためにたたかっていました。今日お昼に原告と一緒に東京から戻り、さっきまで恵楓園にいました。判決で勝ったときよりも、何倍もうれしかった。判決は判定勝ちだけれど、昨日のは力でもぎとったKOだものね。」と喜びのメールをおくってきました。 それにしてもこの「控訴断念」の報道は、朝日も熊日も一面に患者と会見した小泉総理の写真が大きくでて、いかにも小泉総理の決断を賛美するかのような報道になっていたのには怒りを禁じ得ませんでした。さすがに「しんぶん赤旗」は勝利を喜ぶ原告らの写真を一面に大きく取り上げました。 その中で一面ではありませんでしたが、「読売」が掲載した一枚の写真が、大変感動的だったのでご紹介します。 原告と抱き合っている女性は私の娘,國宗直子です。 最近一番うれしかったことでした。 2001年6月10日 |
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