第5号 2005年9月30日
発行者:れんげ草の会(ハンセン病遺族・家族の会)
&ハンセン病市民学会家族部会
連絡先:〒860-0834熊本市江越1-17-12
菜の花法律事務所 TEL096-322-7731




活動報告

ハンセン病市民学会の設立と「家族部会」の発足

〜新たな活動の発展を願って〜

れんげ草の会副会長 新田 良子


■ 「れんげ草の会」の会員の皆様へ

 暑い日々も去り、秋めいてきましたが、みなさまお元気ですか。
 社会情勢もめまぐるしく変化しておりますが、ハンセン病問題も4年前の国賠訴勝利訟判決後、著しく変化して参りました。

 去る5月14日、国賠熊本訴訟判決4周年を迎え、その記念行事と同時に「ハンセン病市民学会」が設立されました。
 その第1回設立総会が行われ、会では5月14日、15日の2日間を通して、様々なことが議論されました。
 
 これまで専門家による国立及び私立療養所の検証が行われ、また家族も一部の人が検証に応じました。
 これからは、専門家だけではなく一般市民や学生も交えて、各園の入所者や退所者、非入所者、家族とともに「交流」「検証」「提言」を目的に「市民学会」が毎年1回行われることになったのです。
 来年は富山県で行われることが、早くも決まりました。

 はじめて開催された「市民学会」に、全国から500人以上の方々が集結されました。
 菊池恵楓園の集会場いっぱいの人々の集まりに、真実驚きを隠せない気持になりました。
 こんな時は怯えてしまうのが、私たち家族です。私もそれに漏れない心境にあります。
 でも、私たちをこのような立場に追いやったのは、他でもない、ハンセン病隔離政策を定めた法律です。「いつまでも、怯え、隠れていては進歩はない」と思い、意を決して市民学会に「家族部会」の立ち上げを要求しました。
 これからは市民学会においては「家族部会」も行われることになります。
 「家族部会」とは、病気のために家族の1人を療養所に奪われて、残された家族が受けた様々な痛みのことを、専門家(弁護士、学者)、市民、入所者や退所者、非入所者、そして家族を交えての「交流」と「検証」と「提言」の目的を持って考えていこうということです。

 今年の5月も、今までどおり、記念行事に合わせて行う「れんげ草の会」の総会は、5月15日午後に菊南ホテルで行いました。
 オブザーバーを入れて50人近くが参加した「れんげ草の会」には、新入会者もあり、また、アドバイザーも多く参加していただきました。
弁護士の国宗、神谷、大槻先生、学者の福岡先生、宗教界からからいつも参加して下さいます大屋様、そして、元衆議院議員の瀬古先生の参加で、「れんげ草の会」はかってない活発な意見交換が行われました。
 内容については、これから討議を重ねて解決していかなければならないことばかりです。ですから、「家族部会」が必要なのです。
 「家族の問題が解決しなければ、ハンセン病問題は終わりではない」と学者の先生が提言がなされました。裁判の勝利判決で解決できなかったこと、そのほとんどは「家族」の問題ではないでしょうか。
 「交流」「検証」「提言」。家族の問題を共に考えて行きましょう。
 これからは、上記しましたように多くのアドバイザーの助言を頂きながらの前進です。

 「れんげ草の会」はそのまま存続いたしますが、「家族部会」にも入会してください。
 今回参加されました「れんげ草の会」の方々は「家族部会」の趣旨を充分理解されましたので即入会の意志を表明されました。
 多くの家族が参加してくださることを祈っています。

■ 役員改選のお知らせ

 これまで「れんげ草の会」副代表として御尽力していただきました中修一さんは「ハンセン病市民学会」の方で、その準備段階から御夫婦で活躍して下さっています。今後も引き続き「ハンセン病市民学会」の方に御尽力されるので「れんげ草の会」の副代表を降りたいとの意向を示されました。
 ご多忙なので無理には引き留められませんでしたが、今後も会員として残っていただきましたので、「れんげ草の会」の発展のために私たちを陰ながら助けていただきたいと思っています。

 そして、これからのために新副代表を2名選出いたしましたのでご了承ください。
 「れんげ草の会」は九州だけの会ではありません。全国に広がっています。そのため関西地区と関東地区に各1名の副会長を置き、今後会員の拡大を計りたいと思います。

■ 「れんげ草の会」の活動
 
 ただいま韓国小鹿島(ソロクト)と台湾楽生院の裁判中です。会員も裁判傍聴に参加しております。
 7月19日はソロクトの結審、8月29日は楽生院の結審と、原告団から多数の参加が呼びかけられましたので、「れんげ草の会」からも5名ほどが参加いたしました。
 
 また、東京地裁では家族の認知裁判が行われています。傍聴に参加して裁判されている遺族と出会い、励ましております。

■ これから

 他の病気や、その他の家族会はもっと身近に手を繋ぎ合って苦難を乗り越えようとされています。
 でも私たちハンセン病の家族だけは、そのようなこともできず、長い間を家族単位で、あるいはひとりで苦しんで怯えて生きてきました。
 このたび裁判で出会うことの出来た家族がどれ程喜びを得ることができたか、その喜びをみんなで分かち合いましょう。
 そのために「れんげ草の会」があり、そして私たちがこれから、怯えることなく堂々と生きていくために「家族部会」で解決方法を見いだしていかなければならないと思います。

 ハンセン病に対する市民の偏見・差別も、まだ残存していると思いますが、その一方では市民の皆さんの積極的な支援活動も行われています。
 要望に応じて講演会などへ話に行くことも多くなっています。学生との交流も行っています。
 一人でも多くの人が、ハンセン病を正しく理解して間違った隔離政策のために起こった多くの問題に耳を傾けて欲しいと思って頑張っています。

※ これまで「宮野原里子」と名乗っておられた副会長の新田良子さんは、家族部会の部会長を引き受けられると同時に本名を公表されました。今回からこの紙面でも、本名を記載します。


■■■5月15日 れんげ草の会総会報告■■■

 5月15日に開かれた、れんげ草の会の総会は、いつもより多くのみなさんの参加を得て、活況を呈しました。市民学会との併せての開催であったためか、オブザーバーで参加された家族以外の人の参加も目立ちました。発言もいつもより活発でした。大きなテーマになったのは、市民学会の中に「家族部会」を作ろう、という提起です。これは、残されている課題としての、政府の家族への謝罪や、除斥期間を経過している人についての問題を進めていくためにも、もっと家族の被害を明らかにしていく必要が痛感されてきたからではないでしょうか? 

 「れんげ草の会」は遺族や家族の会です。しかし、「家族部会」は家族の被害を明らかにし、提言を行っていくための、誰もが入れる集まりです。学者や弁護士だけでなく、一般の市民も参加できます。両方の会の特色を生かしながら協同した取り組みができるようになればと思います。

 総会で確認されたのは、以下の事項です。

1 5月14日に設立されたハンセン病市民学会に「家族部会」を設置し、「れんげ草の会」の会員は積極的に「家族部会」に参加する。

2 除斥期間にかかっているために国賠請求のできない遺族のささやかな要求についても、 実現が図れるよう政治的な課題にあげて努力していく。

3 家族の被害の検証作業や要求の実現についても、家族部会と協同した取り組みを行っていく。

4 新役員
  会長 赤塚(留任)
  副会長 新田(留任)、SI、TN
  理事 AS、SR、MT、YD、YK5 

<次回の集まり>
   2006年1月28日〜29日(土・日) 交流会
   (場所・時間の詳細はまたお知らせします)

<会計から>
   TNさんから会へ50万円のカンパをいただきました。ありがとうございました。

(筆:国宗) 





「ハンセン病遺族・認知請求訴訟」傍聴記
ハンセン病市民学会「家族部会」 黒坂愛衣
 2005年9月6日(火曜日)――きょうは午後3時から,ハンセン病遺族・認知請求訴訟の「第2回弁論」(東京高裁第813号法廷)があった。これは,原告の山川エイさん(=裁判用の仮名,50代なかばの女性)が,ハンセン病療養所入所者であった父親の「死後認知」を求める控訴審である。

ハンセン病を理由に認知しなかった父

 ハンセン病に罹患した父は,母とのあいだに法的な婚姻関係を結ばず,ふたりのあいだに生まれたエイさんは戸籍のうえで「非嫡出子」とされたまま育った。父親が栗生楽泉園に入所後,母親は,まだ幼いエイさんを置いて家を出てしまう。エイさんは,ほかに身を寄せる場所もなく,栗生楽泉園の「未感染児童保育所」で子ども時代の数年を過ごす。やがて保育所の閉鎖がきまり,その後エイさんは,関東地方の児童養護施設を転々とした。成人し,子どもができたあとも,エイさんは,楽泉園に暮らす父親をよく見舞っていた。父親の生前,認知してくれるよう求めたけれど,父親は「ハンセン病であること」を理由に断ったという。父親は1998年に亡くなる。エイさんは,それから6年後,2004年5月に,父親の「死後認知」を家庭裁判所に訴え出た。民法では,死後認知の出訴期間を「死後3年以内」と制限しており,「やむをえない事情」がある場合にかぎり例外として認めるとしている。一審は,エイさんの出訴が遅れたのは「死後3年以内」という期間制限を知らなかったためであり,これは「やむをえない事情」にはあたらないとして,2005年3月,エイさんの訴えを退けた。

前回の第1回弁論
 前回の「第1回弁論」(6月21日)は,今後の先行きが心配されるような展開だった。鬼頭裁判長は,原告側にたいし,証人を出すようなこともないでしょう,次回で結審するかも,というようなことをポソッと言った。さらには,鬼頭裁判長のむかって右側に座る裁判官は,原告側の豊田弁護士が意見陳述しているあいだじゅう,ニヤニヤ笑いを隠さなかった。裁判所のこうしたようすから,原告側の弁護団や支援者たちは,このまま議論が掘り下げられないで終わってしまうのではないか,と心配していたのだった。(弁護団や支援者のひとたちは,裁判官の表情や言葉の意味を,必死に読み取ろうとする。裁判の傍聴が初体験のわたしには,とうぜん,こんなふうに法廷の場を観察し解釈する力はない。法廷が終わったあとの弁護団による説明会,また,エイさんをまじえて,支援者たちがコーヒーを飲みながらおしゃべりする場面のなかで,法廷での,いろんなやりとりの意味が,ちょっとずつわかってくる。)

第2回弁論までの原告の主張
 きょうの「第2回弁論」までに,原告側は,以下のような主張を展開した。

 @ ひとつめは,エイさんが「死後3年以内」に出訴しなかったのは,出訴期間制限を「知らなかったため」というよりも,その背景にハンセン病問題をめぐるさまざまな事情があったためであり,これは「やむをえない事情」にあてはまるはずだ,ということ。
 エイさんは,差別を恐れ,みずからの身を守るために長年,自分の経歴――父親がハンセン病元患者であること,自分もかつて「未感染児童保育所」にいたこと――を周囲に隠して,生活してきた。生前に,認知してくれるよう頼んだとき,父親は,ハンセン病元患者であることを理由に断った。父の子であることは,同時に,自分が「らいの子」であることを意味してしまう。エイさんは,このとき父親に断られることで,「やっぱり,認知はしないほうがいいのか」という思いをふかくしたという。
 父親が生前に認知するのであれば,栗生楽泉園内の担当部署に行けばすむことだった。しかし,死後認知は,家庭裁判所への「訴訟」である。弁護士にくわしく自分の経歴を話さねばならず,そのうえ,それが法廷であきらかにされてしまう。差別を恐れ,経歴を隠し続けて生活していたエイさんが,死後認知の手続きをとろうと決心するまでには,2001年5月の熊本地裁判決を待たねばならなかったし,さらに多くの時間を必要としたのだ。
 そもそも,これにいたるまでにエイさん父子の親子関係を破壊し続けたのは,国のハンセン病隔離政策と,それによって煽られた日本社会の厳しい差別であった。ハンセン病であった父親が母親と婚姻関係になかったこと,ふたりのあいだに生まれたエイさんが「非嫡出子」となったこと,そして父親が死ぬまでエイさんを認知しようとしなかったことは,すべて,ここに起因している。
 国は,みずからの不法行為によってエイさん父子の親子関係を破壊し,認知の機会を奪っておきながら,さらに今回,「出訴期間制限」というかたちで,エイさんの死後認知を求める権利までを奪おうとしている。

 A ふたつめは,「出訴期間制限」は日本国憲法に違反している,とする憲法論だ(「橋本意見書」)。
 (1)「母の子」とくらべたとき,「父の子」は,法的な身分関係の確認を求める権利が,著しく制限されている。これは憲法第14条「法の下の平等」に違反するものである。――「母の子」は,まさに母の体から生まれるものであるために,法的な身分関係の確認は,母の死後何十年たとうと,いつまでも可能である。これにたいし「父の子」は,父の死後,たった3年で,法的な身分関係の確認を求める権利が奪われてしまう。技術的には,父親が死んで肉体がなくなってしまっている場合でも,親族の協力が得られれば,DNA鑑定によって,科学的に親子関係を調べることができるにもかかわらず,である。
 (2) 出訴期間の制限は,婚外子差別でもあり,この意味でも憲法第14条に違反している。――「赤ん坊のとりちがえ」など,両親が法的な婚姻関係にある「嫡出子」が死後認知を求めた場合には,出訴期間の制限はない。婚外子の場合にのみ,これを制限されてしまう。
 (3) 父の子であることを法的に認めてもらうことは,本人にとって,みずからのアイデンティティに深くかかわることであり,自己実現にかかわる。これは憲法第13条でいうところの「幸福追求権」であり,基本的人権として保障されなければならない事柄である。

第2回弁論
 きょうの「第2回弁論」では,鬼頭裁判長のようすは,やや変化していた。原告側の内藤弁護士が意見陳述するあいだ,裁判長は,耳を傾けて,じいっと聞いているようすであった。そして,「いろいろな気持ちがこちらにも伝わってきやすいように」と,山川エイさん本人が自筆で書いた陳述書を提出するよう,原告側に求めたのだった。さらに,国側が反論するための準備期間が必要だとして,次回法廷までに,3ヵ月ちかくの時間をあけた(次回は12月6日)。これは,憲法論を展開する「橋本意見書」が無視できない内容をもち,今後の議論にじゅうぶん時間をかけるつもりであることを示しているのだ(と,閉廷後,原告側の水野弁護士が説明した)。結審するかも,と言っていた前回からすると,おおきな前進である。――とはいえ油断はできない。ハンセン病元患者とその家族がどんな状況に置かれ続けてきたのか,裁判所は,まだまだ理解しているとはいえないように思われる(というのが,この裁判の支援に来ている「退所者の会」「ハンセン病遺族家族の会(れんげ草の会)」のひとたちの,一致した意見だ)。

あなただけじゃない!
 周囲に経歴が知れることを恐れるあまりに,原告のエイさんは,死後認知を求める裁判を起こしたあとも支援を求めず,支援を拒否して闘い続け,一審で負けてしまった。そして,弁護団からの説得と勇気づけにより,この控訴審からは,支援を求めはじめた。第1回弁論では,傍聴に来た支援者は9人。そして今回は21人を数える。エイさんはきょうも,にこにこと笑い,そして涙を流していた。
 「れんげ草の会」副代表のNさんは九州地方に住んでいるのだが,昨晩は0時過ぎに家を出て,10時間も電車に乗って――台風のため飛行機が飛ばなかった!――この裁判にかけつけた。Nさんは,エイさんとおなじく,ハンセン病隔離政策のために親子関係を破壊された者として,この控訴審に陳述書を提出している。きょうは,Nさんを含めて3人,「れんげ草の会」のメンバーが,エイさんに会うためにやってきている。
Nさんはエイさんに声をかける。
「あなただけじゃない。わたしたちも,ずうっと言えないで,隠してきたの。だけど,ここのひとたちには,いろんっな気持ち,言っていいんだよ。おんなじ立場なんだからね」
と。


ハンセン病市民学会入会のお願い
 ハンセン病市民学会へ是非入会してください。
 「れんげ草の会」の会員の皆様へは、入会申込書(郵便振替用紙)を同封します。これには、「家族部会」の参加希望を記入してあります。この申込書で入会を申し込んでくださいますと、自動的に家族部会への参加として取り扱うことができます。
 ハンセン病市民学会のみなさんと一緒に、遺族・家族との「交流」を図りながら、まだ十分には明らかになっていない家族の被害についての「検証」や「提言」を行っていきたいと思います。
ソロクト・楽生院裁判判決行動への参加のお願い
 「れんげ草の会」の皆様には、ソロクト・楽生院裁判の傍聴に度々参加していただいており、深く感謝しております。ソロクト・楽生院裁判は、いよいよ10月25日に判決が出されます。東京での判決行動に皆様が参加してくださいますようお願い申し上げます。
<判決行動>
10月24日 18:30 勝訴を勝ち取り、控訴させない集会
            (日本教育会館一橋ホール)
10月25日 10:00 ソロクト判決(東京地裁103号法廷)
       10:30 楽生院判決(東京地裁103号法廷)
       12:00 厚生労働省要請行動(厚生労働省前)
       18:30 判決報告集会(星陵会館)