れんげ草の季節に始まったれんげ草の会。蓮華の季節が終わっても、れんげ草の会の季節は華やかに続きます・・・
5月の「れんげ草の会」
「れんげ草の会」代表 宮野原里子
5月30日、れんげ草の会を開催いたしました。会員8人の集まりでした。
天候の悪い中、遠くは沖縄、徳之島、奄美大島から参加いただき、会員の皆さんの会に対する想いに感動いたしました。
会は今、一歩を踏みだしたばかりで、互いに語り合うだけではありますが、それでも、これまで語れなかった人生に比べれば大きな飛躍ではないかと思います。
今後、この会をどのように方向づけて行くのかが大切なことだと思っていますので、次回は、更に多くの方が集まってくださることを期待しています。
岡山ではすでに遺族会が二度もたれ、予想を超えて多くの人が集まったと聞いています。
たくさんの仲間が集まって、苦しみを分かち合おうではありませんか。
そして次のステップへと力を合わせて進んで行きたいと思うのです。
H.Yさんは意見陳述で最後に次のように述べています。
「 私は、この裁判に参加することで初めて、今まで誰にも話したことのない過去を振り返るようになりました。―略―
私は裁判をきっかけに、初めて自分の被害と向き合うことができたように、遺族のすべてが過去と向き合い被害の歴史をとらえなおして、自分を肯定し、明日を生きる力にしてくれることをこころから祈ります。そのために、国にはすべての遺族が、そして、家族が、胸を張って生きることのできる社会を早く実現させてほしいと思います。」
まさに私たち遺族が今おかれた立場であり、進むべき方向ではないでしょうか。
私たちは、何故、ハンセン病の家族がいることを否定し、さらにそのことに怯えながら生きなければならなかったのでしょうか。私はせめて残された人生を怯えないで生きて生きたい。
それが親の人生を認め、ひいては自分自身の生きてきた証となると思います。
次回のれんげ草の会の集まりを楽しみにしています。
れんげ草たちのおしゃべり
〜5月のれんげ草の会から〜
Tさんはちょっと落ち込んでいた。ある偶然のことで自分とハンセン病とのかかわりが、知り合いの人に知られそうになってしまった。何とか口先の嘘でごまかしてみたものの、ごまかしてしまった自分にも自己嫌悪。「だって言えないもの」。落ち込んだら体調まで悪くなってしまって、会の二日前にはついに倒れてしまった。
「でも、今日はど〜〜おしても行かなきゃいけないところがあるからって、お医者さんに点滴うってもらって来たんだよ。」
それだけ、Tさんにとって大切な会になった「れんげ草の会」。今日の集まりで少し元気になってくれただろうか。少なくとも、今日集まったみんなは、Tさんの思いに元気をもらったよ。
里子さんは勢い込んで話し始めた。
「A市の市役所に乗り込んでいったのよ。だってねハンセン病の講演会が市内であるというのに、私の身近な人は誰も知らないのだもの。自分はこういう者だって名乗ったの。そして、啓発はどうなっているんだって。林力先生の著書やら10冊くらいを抱えて読みなさいって。」
裁判に参加してはじめて父や母のことを話して、やっと解放された気持ちになった里子さん。それでもまだまだ本名を公表できない里子さんだけれど、里子さんはこうして少しずつ自分の殻を破り始めている。みんなは、里子さんの勢いに少々気圧されながら目をまんまるにして聞いていた。
Yさんは、この前NHKのテレビに出た。熊本のテレビだったらいいや、と思った。顔だけは映さないように頼んだけれど声はそのままだった。テレビカメラと一緒に何十年ぶりに訪れた竜田寮。いくつもの記憶がよみがえってきた。取材を受けて良かったと思っていた。ところが、知らないうちに自分の県でも放映されていた。知り合いの人にはすぐにHさんだとわかって電話がかかってきた。
「主人と息子に、ごめん、ごめんってあやまったのよ。そしたら息子がね、『母ちゃん、俺たちは母ちゃんが熊本に行くのを楽しみにしてるのを何にも言わないだろ。母ちゃんの気持ちはわかってる。やるんなら堂々とやれ。顔も名前も隠すな。』って言ってくれたよ。嬉しかったよ。」
さてさて、これから「れんげ草の会」の活動をどんな風に進めていきましょうか?
地元で福祉関係の親の会に携わっているAさん。
「いつまでも弁護団にお世話になっていてもいけない。自分達が責任を持って永続的にこの会を続けていくためには会費制の会にする必要がある。」
20年の除斥期間に阻まれて原告になれなかったSさん。
「法律上損害賠償の請求ができないのは致し方ないとしても、遺族の自分達の気持ちは何年たっても少しも癒されない。訴えても訴えきれない哀しみがある。何かなくなった人たちの無念の思いに報いられるような方策をみんなで考えていきたい。自分達の声も国に届くようにしたい。」
はじめて参加したHさん。
「こんな活動がずっと続けていけたらいい。まだまだ地域にはハンセン病のことを正しく知らない人が多い。知らせていくためにもこんな会を大きくしていきたい。」
口々に語られたいろんな思い。
「ハンセン病の子として生まれてこのまま死ぬのかって思う。」
「人に言えない悩みを抱えてきた。人に知られたらいじめられると小さくなってきた。」
「こんな会があるから、辛かった過去もようやく話していける。同じ体験をしたもの同士だから分かり合える。」
「この会をもっと広く人に知らせよう。」
「もっとたくさんの遺族に集まってもらおう。」
「熊本だけでなくほかの場所でも会を開いていこう。」
「原告団の会議にも出席しようね。」
「私たちの意志で会を続けていこう。」
次の会では、これからの活動について話し合うことになった。
次回れんげ草の会
7月18日(金)
午後1時30分からの熊本地裁での弁論に参加します。
午後1時には熊本地裁の前にお集まりください。
午後4時〜 「れんげ草の会」の会議(遺族会員のみ)
場所:銀染コアビル 6階A室(水道町交差点鶴屋側角)
(熊本市手取本町11−1 TEL096−322−7315)
午後6時〜 「れんげ草の会」交流会
場所:酒亭倶楽部(銀染コアビルから歩いてすぐです)
(熊本市安政町2−23−2F TEL096-352-3553)
参加予定の方は菜の花法律事務所までお知らせください。
場所の地図がほしい方にはFAXでお送りします。申し出てください。