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○「図説、日中戦争」河出書房 P44 (中国軍の)1個師は1万足らず。 P55 (中国軍の)1個師は5000〜1万程度。日本軍の1個師団より小規模で、員数もバラバラのケースが多かった。
○「わかりやすい日中戦争」光人社 P87(要約)中国軍の1個師は日本軍1個師団の30%〜40%。 P87(要約)正確な兵員数は把握できないが、中国軍60個師なら40万人程度であろう。
『第十六師団参謀長・中沢三夫大佐の手記』 (基本部隊は)計8〜9師、当時の1師は5千位 のものなるへきも是等は首都防衛なる故かく甚しき損害を受けぬ前に充たしたと見るへく1万ありしものとすれは、8〜9万。以前(上海派遣軍)軍第二課の調査によれは、以上の師団等を併せ20師に上がりるも、是等は各所より敗退し来たりて以上の基本部隊中に入りしものなるへし、之か10師分ある故2〜3千と見て2〜3万、総計10〜13万の守備兵力なるへし。
「第16師団関係綴」(防衛庁防衛研究所戦史部所蔵)の第16師団参謀長中沢三夫大佐の手記。 「南京大虐殺の研究」P249より
南京戦当時の中国軍一ケ師は、大体5000人ぐらいで、首都防衛軍という事で定員を充たしていれば一万人くらいというのが日本側参謀の見解です。
外国側から見た「南京防衛軍」
1937年12月22日 NYタイムス(ダーディン) 「少なくとも3万3000と数えられる兵力が殲滅された。これは南京防衛軍のおよそ2/3にあたるもので,このうち2万名が死刑に処せられた」 〜中略3500文字〜 「南京防衛戦には16個師団が参加したという。この数字は正確とみなされる。中国軍の師団は平時においてさえも平均してわずか5000名編制にしかすぎない。南京を防衛して痛撃を蒙った師団は、少なくとも場合によってはそれぞれ、2〜3000名の編成であったこともありうる。約5万の軍が南京防衛に参加し袋のネズミになったといっても間違いは無い」
(日中戦争史資料集9 英文関係資料編 P284〜287)
1937年12月17日 マンチェスター・ガーディアン・ウィークリー 首尾よく上海から退却したと思われる中国軍30万のうち、7万5000強の兵が実際に南京付近に駐屯したとするのは疑わしい。最強の正規部隊は陥落前のある時期に退却が終了しており、長江を渡河する兵士や西方に逃亡する兵士の群れは、陥落直前まで絶え間なく見られた。また、最終攻撃には、たかだか2万の中国軍と戦ったこと、それも南京防衛軍の兵士ではなく、鎮江からの撤退組であったことを日本の公式声明が発表しなかったのは、頷けない。
(南京事件資料集アメリカ関係資料編P524)
アメリカ大使館報告 ○「12/10後の主な報告」 南京の陥落を前にして、人口のおよそ4/5が市を脱出し、主要な部隊は武器、装備もろとも撤退していった。南京市の防衛はわずかに5万人の兵士に任されていた。
(南京事件資料集 アメリカ関係資料編 P239)
○外国人は「南京軍を5万程度」と見ていたようです。
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