死体はどれぐらい存在したか?

死体はどれぐらいあったのか?
 

 
◎まず最初に「死体がなければ埋葬できない」ということは自明の理でしょうから1937〜1938年当時、南京の人々は死体の数をどのように考えていたのかを検証してみましょう。





安全区国際委員会「ベイツ教授」


『南京事件資料集』 アメリカ関係資料編P174
「南京における救済状況」 1938年2月14 (ベイツ)
 当初から委員会は、中国赤十字社の地方組織と大きな無料食堂の運営において、素晴らしい協力を行ってきた。そして紅卍字会とは二つの大きな無料食堂の活動と死体埋葬活動において、協力を行ってきた。この後者の役目は簡単なものではなかった。彼らが一日に200体埋葬しても、まだ、埋葬すべき3万体があることがわかっている(ほとんどが下関)


■2月中旬の段階で、埋葬されていない死体が「3万」でその大半が下関に存在していたという認識です。つまりこの段階では8万とか20万といった膨大な死体が存在すると言う認識はされていないと考えてよいでしょう。






安全区国際委員会委員長・ジーメンス中国支社長「ラーベ」

『南京の真実』P291 ラーベ日記 2月15日
 委員会の報告には公開できないものがいくつかあるのだが、いちばんショックを受けたのは、紅卍字会が埋葬していない死体があと三万もあるということだ。今まで毎日200人も埋葬してきたのに。そのほとんどは下関にある。この数は下関に殺到したものの、船が無かったために揚子江を渡れなかった最後の中国軍部隊が全滅したということを物語っている。




『南京の真実』P362 ヒットラーへの上申書 
 中国側の申し立てによりますと、十万人の民間人が殺されたとの事ですが、これはいくらか多すぎるのではないでしょうか。 我々外国人はおよそ五万から六万とみていま。 遺体の埋葬をした紅卍字会によりますと、一日2百体は 無理だったそうですが、が南京を去った2月22日には三万の死体が埋葬できないまま、郊外の下関に放されていたといいます。


■以上のように1938年2月中旬現在で、埋葬されていない死体は「約3万体」と言うのが安全区委員会外国人らの見解と考えてよいでしょう。この「残り3万体」というのは当時埋葬作業をしていた紅卍字会からの情報と考えられます。紅卍字会は東京裁判提出記録によれば、2月末までに「約3万体」の埋葬を終了しています。











南京特務機関報告(2月、3月)


『華中宣撫工作資料』P153
「紅卍字会屍体埋葬隊(隊員約六百名)は一月上旬来特務機関の指導の下に城内外に渉り連日屍体の埋葬に当たり2月末現在に於いて約5千に達する屍体を埋葬し著大の成績をあげつつあり」

『南京大虐殺否定論13のウソ』P129 より




『華中宣撫工作資料』P164
「尚各城外地区に散在せる屍体も尠なからず、然して積極的に作業に取りかかりたる結果、著大の成績を挙げ3月15日現在を持ってすでに城内より1.793、城外より29.998 計31.791体を城外下関地区並上新河地区方面の指定地に収容せり」

『南京大虐殺否定論13のウソ』P125 より



東京裁判提出の紅卍字会の埋葬記録によれば、
2月末までの埋葬記録は30.382体
(特務機関報告では約5000)

3月15日までの埋葬記録は36.892体
(特務機関報告では、31.791体)


 特務機関報告を比較すれば、2月末から3月15日までの間に2万5000体の埋葬を行った計算になりますが、これは紅卍字会の埋葬記録からみる作業の進行状況とは食い違いがあるようです。さらに、紅卍字会の埋葬記録についても、資料により細かい差があるので、この点は現在調査中です。(南京事件資料集・中国関係資料編と、東京裁判資料の数字が一致しない部分がある)
 










当時の新聞報道


日中戦争史資料集8 極東国際軍事裁判資料集P393
(旧漢字、カナ使いは現代語に訂正した)

 3 昭和十三、四、十六『大阪朝日新聞』北支版より抜粋
 「弁証二六九〇」
 南京便り第五章衛生の巻 林田特派員

 仕事は死体整理
  悪疫の猖獗期をひかえて
    防疫委員会も大活躍

 戦いのあとの南京でまず整理しなければならないものは敵の遺棄死体であった。濠を埋め、小川に山となって重なっている幾万とも知れない死体、これを捨ておくことは、衛生的にいっても人心安定の上からいっても害悪が多い。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 そこで紅卍会と自治委員会と日本山妙法寺に属する我が僧侶等が手を握って片付けはじめた。腐敗したのをお題目とともにトラックに乗せ一定の場所に埋葬するのであるが、相当の費用と人力がかかる。人の忌む悪臭をついて日一日の作業はつづき、最近まで城内で、一千七百九十三体、城外で三万三百十一体を片付けた。約一万一千円の入費となっている。苦力も延べ五,、六万は働いている。しかしなお城外の山のかげなどに相当数残っているので、さらに八千円ほど金を出して真夏に入るまでにはなんとか処置を終わる予定である。


 これは、4月16日の新聞記事です。城内で1.793体、城外で30.311体合計で3万2104体の埋葬が行われ、その費用として1万1000円必要だったということでしょう。この記事から計算すると、死体の埋葬単価は「1万1000円÷32104体=単価0.34円」すなわち「34銭」という計算になります。すると、残りの死体の埋葬料金見積もりが8000円ですから「8000円÷単価0.34円=23529体」ということになります。



 合計すると「埋葬済み32.104体+未埋葬23.529体=約5万6000体の死体が存在すると考えられていたということになります。日本側の南京陥落後の発表では遺棄死体数について、12月27日の東京日日新聞が53、874体、12月30日の朝日新聞が84.000体、と報道(いずれも上海派遣軍発表)しているので、数を少なく見せようというような意図は存在するはずもなく、約5万6000体という数字はそのまま、日本側の見積もりと考えてよいでしょう。




 つまり、南京城近郊の山かげなども含めても10万とか20万という死体が存在したと言う認識は存在しなかったようです。少なくとも安全区の外国人も、日本側でもそういう認識はしていないし、また、防疫の観点からも10万単位の死体の存在を見過ごすこともできないでしょう。死体数を隠蔽する理由は日本側には存在しませんし、仮に隠蔽するなら、軍が密かに埋葬を行うか、又は資金を援助して口止めを図るかといった手法を取ると考えるのが自然ですが、そういった形跡(証言・資料など)はないようです。


 

 
 





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