21514 名古屋通信 名古屋支局の渡り 2004/06/06 23:44Sun
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先週の週末に信州渡り旅をした。名古屋駅の名鉄バスセンターから高速バスで2時間揺られ南信州の城下町飯田市へ。
30初めて行った飯田のまちは昔ながらの商店街がちゃんと健在で高いビルがない。古着屋や古美術店などが繁華街の
中心にちゃんとあり地酒をメインにしているいい雰囲気の飲み屋も結構あって、街を歩いて気持ちが落ち着くって久
しぶりの体験でした。飯田市は信州でも陸の孤島みたいなところがいいんでしょうね。翌日は高速バスで3時間かけて
長野市へ。そこから電車で上田市へいきました。上田といえばここも城下町で殿様は真田幸村であります。駅から登り
坂の道が唯一のメインストリート。坂を上りきる手前を右折すると細い道が唯一の夜の飲み屋街で真ん中ぐらいに昭和
30年代を思わせる映画館が奇跡的に営業している。隣は「ようき楼」って名前の唯一の風俗店があったり時間が止ま
ったような空間が存在していたのです。

21326 名古屋通信 名古屋支局の渡り 2004/05/13 02:20Thu
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名古屋栄の100メートル道路沿いにあったヘラルド映画ビルがいつの間にかなくなってしまっていた。
郊外型シネコンに押されてか今、街の映画館は大苦戦である。ヘラルド系列の名古屋駅近くの笹島にある
ゴールド、シルバー劇場はとりあえず生き残った。スターキャツト(ケーブルテレビの会社)に身売りして。

そのゴールド劇場で「25時」という映画をみた。ニューヨークのチンピラの物語、密告されて捕まった
麻薬の売人モンティが収監されるまでの一日を描いた映画だ。期待していなかったが、何故か?不思議と
泣けてしまう映画だった。
それはドラックディーラーと英語教師と株式ブローカーの3人の友情物語に泣けた?あるいは株式ブローカーの
住むマンションのすぐ下が「グランド・ゼロ」
だったから?モンティの上がりでバーを経営するアル中のおやじとの父子愛?
さまざまな物語が淡々と展開されながら絶望感?だけは少しずつ確実に増長しつづける。
最近のニューヨークものの中では傑作だろう。「真夜中のカーボーイ」
に共通したよさも感じた。

昶さん、5月14日上京します。とりあえず14時に支局ということでよろしく
お願いします。
21307 名古屋通信 名古屋支局の渡り 2004/05/10 02:12Mon
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昨日は雨のショボ降る名古屋駅から名鉄電車で西尾に向かう。半年振りの大河内よしはるさん宅に。
今日の目的はルポライターの小林篤さんに会うことだ。
小林さんは元々「月刊現代」の記者だった。1994年11月27日西尾市の
東部中学2年生大河内清輝君が遺書を残して自宅の裏庭の柿木で首吊り自殺した
清輝君の残した遺書から両親は初めて息子が残虐ないじめを受けていたことを知る。
ところが学校は、なしのつぶてだ。思い余った両親は清輝君の遺書を地元中日新聞に公開。
このことが日本全国に衝撃を走らせる事件として一躍有名に、中央のマスコミ達が西尾の大河内宅に集結し、
小林さんも「月刊現代」の記者として指令を受けてたくさんのマスコミ陣のひとりとして大河内宅に向かったのだが
・・・。以来今年で清輝君が自死して10年、今でも彼は清輝事件を取材しつづけているのだ。
講談社から単行本を出す予定も延ばしに延ばしまだでていない。
現在まで取材した人は1000人を超えるという。深みにはまってしまったのだ。
でも当然大河内一家からの信頼も厚く今や家族同然。そして小林さんは三宅島に自宅があるのだが
現在は取材の関係で岡崎市に住んでしまっているほど。そんな小林さんは小生に4時間以上熱弁をふるってくれたのでした。

昶さん、14日金曜日よろしくお願いします。

21293 名古屋通信 名古屋支局の渡り 2004/05/06 21:45Thu
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連休の最後の日、シンガーソングライターさかうえけんいち氏を伴い、市内徳川町にある喫茶店
「パントマイム」に出かけた。友人の岩崎里香さんの木版展が開かれていたからだ。
岩崎さんはイラストレーターの仕事から現在は木版を中心とした作家活動をしている。
3年前に結婚してしまい現在は常滑に住んでいる。
70年代の雰囲気そのままのパントマイムの壁に、岩崎さんの作品が展示されていた。
彼女の作品は昔から好きだったが、それは単純に尋常でない絵の暗さが魅力的だからだ。
今回もそれは健在だ。絵の暗さにも磨きがかかり奥行きも増した感じで、また木版という
選択肢も成功していると思う。今の時代貴重な絵描きだろう。現在も常滑の長屋で食うや
食わずの暮らしをしながら作品を描いている。
常滑と言う町には30年代の長屋がまだ多く存在しているらしい。長屋はダニが多くて
困るとか、あとは陶芸家の旦那が働かなくて困るとか、でも幸せそうだった。なお個展は
31日まで行なわれている。パントマイムは徳川美術館北の信号機のすぐそばである。
運がよければ岩崎さん本人にあえるかもしれない。
昶さん、上野さん、昔の永島慎司の漫画のヒロインみたいな里香さんに一度お会いする
ことだけでもお勧めしたいです。ちなみにさかうえけんいち氏も彼女にイチコロみたいでした。

21283 名古屋通信 名古屋支局の渡り 2004/05/05 18:55Wed
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久しぶりに本を買って読んだ。岩波新書「人生を肯定するもの、それが音楽」
小室等著である。同じ棚に永六輔著「伝言」があり、でも立ち読みで済む程度の
ものだったので、我がフォークソング界の大御所というか元締めというか小室等
先生の著書を選んだのだ。しかしこれが全然面白くない。言葉の師「谷川俊太郎
に始まって音楽の師「渡辺貞夫」以下坂田明、林英哲、中村八大、永六輔、
そして武満徹との交友・・・。でもでもでも結局自分はこんなに凄いいろんな
芸術のジャンルの超一流の人達と深い親交あり彼らに認められてるだ。
というメッセージしか伝わってこないのだ。読後の感想は「小室さん、
すごい方々と親交ですごいっすね」でも小生にしたら吉田拓郎を世に出し
井上陽水を含め多くのシンガーから相談役として尊敬されている小室さんは
雲の上の人なのに、なんかこの本読んで小室株が少し下がってしまった感じです。
ようするにお勉強なんですよね。小室さんの音楽は。そこがいまひとつ小生が
小室さんに今まで興味をもてなかった点ですね。小生はお勉強は苦手です。
歌でも詩でもお勉強したくて接しているわけじゃなんんです。
だから昨日書いた早川義夫のこういう文章に惹かれます。

技術と卒業の否定

音楽を分類したり、生まれをたどったりするのは、まとめるためだけの事で、
音楽を聞く時の作業ではないはずなのに、あれは、コンチとかパンチとか洋服の
種類分けと同じ次元でしょう。僕にはどうしても、音楽を聞く時や、
音楽が生まれる時に、何々を卒業したとか、何々の技術をもっているなど必要ないと考えます
。だって、歌い出すことの出発点は歌いたいことがあったからなのであって、
音楽のお勉強をしたからではないからです。
(ラブゼネレーション早川義夫著より)

早川義夫は70年初頭でさっさと現役を引退し本屋のおやじになった。でも世の
ハッピーエンドブームと共にやってきたジャックス(このリーダーだった)
ブームにおされて伝説の人は45歳を過ぎてシンガーとして25年ぶりぐらいに現役復帰してしまった。
確かこんな歌をピアノの弾き語りで歌っている。
「ガンガンやって早く飽きてね。ガンガンやって早く飽きてね。
 体と歌だけの関係でいよう。ガンガンやって早く飽きてね・・・・歌だけが残る。
歌だけが残る・・・」確か「体と歌だけの関係」っていう歌だ。理性派の小室さんはこういう歌は
一生うたわないだろう。
21275 名古屋通信 名古屋支局の渡り 2004/05/04 13:03Tue
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これまでの数々の失敗は、すべて力んでしまったことが原因だ。力を入れると力が出るのでなく、
力を出すには力を抜かなければならなかったのだ。歌も文章もスポーツも生き方も同じだ。
ひとつを学べば他が見えてくる。
(早川義夫のポケットから朝日新聞5月2日朝刊)

以前は今週の名言なんてラジオやテレビでよくあったが、早川さんの発言は
昔から名言や迷言が多かった。たとえば(60年代の発言だけど)
「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」なんてのがあるし
「美人喫茶に美人なんかいないのと同じように、フォークコンサートにフォーク
ソングなぞない。むろん、ロックコンサートでもそうだし、当然、歌謡番組でも
歌謡曲なぞ聞けない。歌は歌のないところから聞こえてくる」とかね。

そうだよね。たとえば音楽雑誌読んでも、ライブハウス行っても返って
創作意欲なくなることってあるもんな。
「とかく音楽好きの方は、音楽的にものごとを考え、また評価する。
しかし音楽のめざすものは音楽ではない」とか。

で長くなったがこの朝日のコラムで久々の早川節を読んだ。少し前ふりすると最近、
出川哲郎って女性雑誌のアンケートでいつも、抱かれたくない男のナンバーワンを
飾るお笑い系のタレントがすごい美人のハートを射止めたって、もてない男達の
希望の星になるような事があったみたいです。
「いい演奏や歌が生まれる瞬間というのは、自分の力でなく誰かの力を借りて
いるような気がする。そうでなければ、能力以上のものが出て来るはずがない。
 最近、最も感動した音楽は、「ロンドンハーツ」というテレビ番組で、
出川哲郎が弾いた「星に願いを」であった。場所がローマ。プロポーズをするために
練習した3分弱のピアノ演奏だが、これを超える音楽を僕は知らない。
芸術は思ってもみないところにある。」(早川義夫同コラムより)
21140 名古屋通信 名古屋支局の渡り 2004/04/13 16:27Tue
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今日の名古屋は快晴の一日です。久しぶりに書きます。
イラクの人質にとられた3人のこと、そして家族の声をテレビなどで聞くたびに
小生も上野さんと同じで、イラクのことは勿論なにを書いても空しい気がするのです。
でも小生の今まで書いてきたアプローチで言うと、我々は「コイズミ」を本当に超える
ことができるのか?というテーマが今、我々自身に問われている気がするのです。
すべての諸悪の根源はコイズミであるといえば簡単なんでしょうが、
依然高い支持率なわけですよね。結局我々はおのおののなかに居る内なる
コイズミを否定できないのではないんのでしょうか?冬月さんの言葉を借りれば
テロ=悪、コイズミ=善という図式を結局認めているわけで。