#16 Pocket Rockets の行方 - そのとき、AA はいかにして操られたか -


WSOP メインイベントのファイナルテーブル、あなたを含めて残りは4人。bb にいるあなたに配られた手札、AA。UTG がオールイン、続いてボタンがオールイン、さらには sb もオールイン。チップ量はみな同じ、優勝者には150万ドル、準優勝者には100万ドル、3位と4位はそれぞれ75万ドルと50万ドル。さあ、あなたならどうするか。
これは、bluejay さんの「独り言」(123回)でも取り上げられたことのある数年前の Q's Question 1) の一節である。わたしがここでわざわざ数年も前のバックナンバーを引っ張り出してきたのは、単にこれ自体をもっと多くのプレイヤーに知ってほしかったからではなく、ポーカーというゲームの底知れぬ深さを、一見して色あせたようにみえるこの話題が端的に示してくれると感じたからである。そしてこれが、今回のコラムのテーマにもつながる。
たしかに、Q's Question をめぐる一連の議論そのものを主軸にし、それぞれの理由を挙げていく、さらには自分の考えを述べるという作業も、コラムとして有意義であるとは思う。何もせずに大金が転がり込んでくるのだから降りるのが当然だとか、勝つためにテーブルに座っているのならば、いくべき時にいかずしてどうするのだとか、そもそも bb にくるまでにオールインなら、普通は手札など見ずにマックするとか、それぞれの言い分があり、それらは至極もっともではある。事実、トッププレイヤーたちの意見は真っ二つに割れた。しかし、ここではコールかマックかどちらがよいかという議論には立ち入らない。
このケースを含め、ポーカーでは難しい判断が常に迫られる。ライブでもそうであるから、ノーリミットのトーナメントではなおさらであろう。それこそ、ひとたび足を踏み外せば奈落の底へ真っ逆さまの世界である。
今回は、トッププロがいかにしてそうした難しい局面を打破してきたか、或いは救われなかったかを、彼らのプレーを例にとりながら示していくことにする。その中から、もしかしたらプレー上達のヒントを掬い取れるかもしれない。 Q's Question の答えをどちらか決めかねているあなたなら、きっとプレー上達の道はあるはずだ。自分の考えが正しいと思い込むことほど救いのない状態はない。なぜなら、ポーカーは常に変化するゲームであり、それに即した柔軟な対応を求められるものだからである。


メジャートーナメントのプレー記録をざっと眺めてみると、この札を信じて栄光を手にしたプレイヤーは数多くいるように思われる。戦略書に目を移してみても、AA や KK といったハンドのプレーについて論じている箇所は、AK や AQ といったハンドのそれとは比べものにならないほど少ない。
AA の威力について語るとき、わたしはまず 2001年 WPC 2) 優勝者の Mike Laing 3) 、97年 WSOP メイン2位の John Strzemp 4) のプレーを取り上げることにしている。2001年 WPC で迎えた Bill Eichel 5) とのヘッズアップ。両者拮抗したスタックで Mike が sb からジャストコール。相手からのレイズに、待ってましたとばかり AA を隠し持つ彼がリレイズオールイン。このときの Bill の手札、AJ だったという。事実上、この一手が明暗を分けた。Mike からのオールインに対してなされた Bill のコールという選択に対しては、他のトッププロならどうしたかとちょっぴり思う。
97年といえば、今は亡き Stuey こと Stu Ungar 6) が衝撃的なガッツショットを決めて3度目の優勝をさらった年だが、John の AA によってブラフのタイミングを間違え後味の悪い敗北を喫した Ron Stanley 7) のプレーも印象深いものだった。初手、Ron からのポジションレイズに bb からスムースコールした彼。これを高めのポケットペアと読み切れなかった Ron は、ガッツショットドローでブラフレイズオールインしてしまう。
また、96年のファイナル序盤では、Huck Seed 8) のプリフロップからのリレイズにさらにかぶせてオールインした An Tran 9) のプレーが記録に残されている 10) 。こうした AA プレーはよく見かけるものだ。プリフロップで決着をつけようとしたケースとしてほかに取り上げたいのは、2003年 Four Queens Poker Classic 11) での Daniel Negreanu 12) のプレーである。ファイナルテーブルで残り7人、彼はほぼトーナメントリーダーに近い状態で AA が入る。UTG のレイズにリレイズ。彼は結果として、リレイズオールインした相手がフロップセットを完成させたことによって少なからず痛手を被るのだが、こういう試合を見るにつけ、勝っても負けても AA の破壊力というものがいかに大きいかを思い知らされる。


ポーカーが永遠にギャンブルであり続ける限り、霧はいつまでも不快に視界を曇らせ、決して晴れることはない。次に、世界戦で闇を見たあまたのプレイヤーからとくに印象深いものを2、3。すぐさま思い出されるのが、79年の Bobby Hoff 13)、2001年の Dewey Tomko 14) といったプレイヤーの悲劇である。
79年の世界戦は、初めてアマチュアがメインイベントを制した年として、多くのプレイヤーたちに記憶されている。そのアマチュア、 Hal Fowler 15) と優勝を争った人物である Bobby Hoff は、かの T.J. Cloutier 16) をして「ベストノーリミットプレイヤー」と言わしめたほどの腕前をもつ人物。しかし、彼は負けた。 相手に 2-to-1 のチップリードを許していたこと、そしてなにより、Hal が「常識的な」プレーをするプロではなく、アマチュアだったこと。Pocket Rockets という最大の武器でその身を焼き焦がされた原因は、まさしくこの2点にある。初手レイズにコールした Hal の手札はいったい何だったか。ミドルかローのポケットペア? 否。Ax? 否。コネクタスーツ? 否々。76のオフスーツだったのである。
2001年のヘッズアップは、今なお記憶に新しい。Dewey の AA に対する Carlos Mortensen 17) の KQs 。その前の年と同じく、赤いカード9がぷいと確率を裏切った。


さて、長いトーナメントの歴史の中では、AA の効力を一瞬にして殺してしまった忘れがたいプレーも存在する。99年のTOC 18) 。この記号に対して David Chiu 19) と Louis Asmo 20) との一戦を連想した人は、もう立派なポーカーオタクである。
この日、David のタイミングはすべてが上手くいっていた。現在、ポーカーコミュニティの間で1、2を争う terrific laydown として知られている彼のプレーは、まだまだわが国では十分に伝えられていない。ファイナルテーブルでチップリードを保っていた David に KK が配られたのが、UTGからのリンパー − ここからのリンプは時に注意を要する − を含むボタンの位置。レイズをすれば Louis が信じられない額でのオールイン。このとき Louis によって隠されていたのが紛れもない AA 。
もしもここで負けてしまえば、チップリーダーから転落してしまうだけでなく、優勝すら危うくなる。平凡なプレイヤーであっても、そう考えるのはさほど難しいことではない。そして、一瞬受け止めるのを躊躇するかもしれない。それでも、実際にフォールドを選べるであろうか。コールしても飛ぶ心配はない中での KK マックは、やはり彼の非凡さが成せる技である。このプレーのおかげで、折角の AA は Louis にとってゴミ同然となってしまった。もちろん、それを素晴らしい AA の勝利として称える人は殆んどいない。
David をはじめ、ここで挙げたようなプレイヤーは、それ以外の記録にも注目してみる価値がある。たしかに、個々の驚くべきプレーを知ることは楽しいが、これだけでは実りは少ない。それらはこれまでにクリアしてきた数え切れないほどの tough spots のひとつとしてとらえるべきだと思う。こうした人たちのプレー記録は、きっとどのようなぶ厚くいかめしい戦略書よりも、向上を望むあなたの役に立ってくれるはずである。ある程度「お気に入り」を決め、的を絞って注目していくのがよい、ともつけ加えておこう。


AA が配られるのを待ち望むあなたがいる。映画「ラウンダーズ」で AA に敗れたマイク役の Matt Damon は、98年の世界戦でも Doyle Brunson 21) の AA に飛び込んで負けている。その一方で、それを拒むあなたがいる。テーブル数、自分とテーブルとのチップ量、ポジション、リンパーやレイザーの数、プレイヤーからの評判に至るまで、すべてが自分にとってうまくはたらいたとき、AA はまばゆいほどの輝きを放ち始める。

その輝きに目を細める日はくるのだろうか。




[ 註 ]

1) Q's Question については Card Player 誌 Vol.13/No.16 及び Vol.14/No.20 参照。後者はオンラインでも読める。とくに、オールインした場合の AA の勝率リストは必見。
2) World Poker Challenge が Reno Hilton で行われるようになってから久しい。Mike Laing は WPC の初代メインイベントチャンプ。なお、このときのプレー記録は Poker Digest 誌 Vol.4/No.5 による。
3) Mike Laing(マイク・レイン): プロポーカープレイヤー。
4) John Strzemp(ジョン・ストゥルゼンプ): 97年 WSOP メインイベント2位。最後のボードは、Ac-3h-5d BR(betting round) 3d 2s (Stu: Ah4c / Strzemp: As8c)
5) Bill Eichel(ビル・エイシェル): WSOP を含め、数々のメジャートーナメントで入賞経験あり。
6) Stu Ungar(ストゥー・アンガー): この年の優勝で、メインイベントを3度制するという偉業を成し遂げたギャンブラーだったが、翌年に突然の変死。大統領からの接見を断るなど、数多くの逸話を残す。2001年、殿堂入り。
7) Ron Stanley(ロン・スタンレー): Carolina Express の異名を持つプロポーカープレイヤー。Ron が John に降されたときのボードは、2d-7c-Tc BR 2h Ac (John: AsAh / Ron: Jh8d)
8) Huck Seed(ハック・シード): 96年 WSOP メインイベントチャンプ。
9) An Tran(アンソニー・トラン): プロポーカープレイヤー。WSOP オマハのタイトルホルダーでもある。
10)Conjelco の世界戦レポート による。Huck Seed のアクションにも注目。
11)この大会については、Debbie Burkhead によるイベントレポートDaniel 自身の記事 参照。
12) Daniel Negreanu(ダニエル・ネグレヌ): カナダ出身のプロポーカープレイヤー。活躍する若手先頭集団のひとり。
13) Bobby Hoff(ボビー・ホフ): プロポーカープレイヤー。79年の悔しさは相当のものだったらしい。そのあたりも含めて Interview With a Champ 参照。
14) Dewey Tomko(ドゥーイ・トムコ): 82年の WSOP メインイベントでもリバーに泣かされ2位に甘んじている。彼の壮絶な青春時代の一端は Interview With a Champ で垣間見られる。
15) Hal Fowler(ハル・ファウラー): 79年 WSOP メインイベント勝者。最後のボードは、3c-5h-Js BR 4s BR Td (Hal: 7s6d / Bobby: AcAh)
16) T.J.Cloutier(ティー・ジェイ・クルティエ): そのプレーには常に注目が集まる世界的に有名なプロポーカープレイヤーのひとり。世界戦メインイベントを除いて、あらゆるメジャートーナメントで多数のタイトルを持つ。トーナメント関連の著作にも定評がある。
17) Carlos Mortensen(カルロス・モーテンセン): スペイン出身の2001年 WSOP メインイベントチャンプ。最後のボードは、3c-Tc-Jd-3d-9d (Mortensen: KcQc / Dewey: AsAh)。Chris Ferguson が優勝した2000年のメインイベントでも、ラストカードは真っ赤な9だった。Andy Glazer によるイベントレポート参照。
18) オーリンズを舞台に繰り広げられた Tournament of Champions of Poker は、何らかの大会における勝者たちのみの参加認定、3種類の異なるゲームを順繰りに回しながらレベルを上げていくという独特のストラクチャなど、あらゆる点でこれまでのトーナメントの常識を覆す「祭典」であった。「国別の対抗戦」を持ちこんだことも、これまでにはなかった試みである。このように、TOC はポーカーの歴史に大きな軌跡を残したが、わずか3回で幕切れとなってしまう。なお、この大会ではわが国のプレイヤーも多数参戦し、好結果を残している。
19) David Chiu(デビッド・チュウ): プロポーカープレイヤー。99年の 第1回 TOC 覇者。最後のボードは、Ah-4s-5h-6s-8h (Chiu: KhJh / Louis: Ad8d)
20) Louis Asmo(ルイス・アズモ): 99年 TOC 2位。97年 WSOP 3000ドルリミットホールデムのタイトルホルダーでもある。
21) Doyle Brunson(ドイル・ブロンソン): 76、77年 WSOP メインイベントチャンプ。Texas Dolly のニックネームはあまりに有名。



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