「Pure☆Colors」 第二話  新学年が始まって一週間。朝の起床騒ぎは相変わらずだが、学校生活自体はだいぶ落ち着いてきていた。今日は初の土曜日で、学校は半日で終わる。  授業が済むと、良子が港を昼飯に誘った。今日は朝から宝来庵の日だと決めていたらしく、それ以外の選択はすべて却下されている。 「おまえ、午後から部活だろ? のんびり飯を食いに行く時間あるのか?」 「だいじょうぶよ、その辺は考慮されてるし。優輝もいっしょよ」 「ああ、それなら安心だな」 「なにがよ?」 「いろいろとだ」  港は追求されないうちに、カバンを担いだ。 「コラ、何の話なのよ!」 「怪我をしない程度に良子をからかうのは、やっぱり楽しいな。度を越すとキレるから、そのへんのサジ加減がオレもうまくなったもんだ」 「……なんのサジ加減かしら」 「うぉ、もしかしてしゃべってたか?」 「蹴ってやる」  港は本気で逃げ出した。もし優輝との合流があと十秒遅れていたら、きっととんでもない目にあっていただろう。  宝来庵で飯を済ませ、港は家路につき、良子と優輝は学校に戻った。  足取りが軽かった。明日が日曜だからだ。もっとも、当の日曜になってしまうと休みが終わるという実感がわいてきて気分は下降していくのだから、実際には土曜の午後である今がもっとも楽しい時間であろう。 「て、足取りが軽いわけだ……」  港はがっくりした。自転車を忘れていたのに気づいたからだ。 「優輝と良子が歩いていたからうっかりしてたな」  誰も聞いていないのに言い訳がましくつぶやき、通学路をさかのぼる。  今日、三度目の校門をくぐった。  まっすぐ自転車置き場に向かおうとした港は、ふと中庭のベンチに見慣れた女子生徒を発見した。  優輝だった。 「よぉ」 「あれ、コウくん、どうしたの?」 「自転車を忘れて、取りに戻ったんだ」  「ああ」優輝は納得してうなずいた。 「ごめんね、お昼つきあわせちゃったからだね」 「あやまることはないだろ。オレのうっかりだ」  優輝は微笑で答えた。 「優輝こそ、なにしてんだ?」 「美術部の課題の絵を描いてるの。ほら、そこの花壇、きれいに咲いてるから」  だれが育てたかは知らないが、見事に春が咲いていた。  すぐに帰ろうと思っていた港だが、ここでのんびりするのもいいような気がしていた。 「コウくん、帰らないの?」 「ジャマでなければ、ここで昼寝でもしていきたいね」 「ジャマじゃないけど、帰らなくていいの?」 「別に約束があるわけでもないしな。そっちが終わったら、いっしょに帰ろうぜ」 「え、いいの?」 「なにがいいのかわからないけど、時間なら気にしなくていい。オレはどうせ寝てるから」  優輝は「うん」とうなずいた。  港はそれを確認すると、ベンチで横になる。優輝の髪の香りと春の風が、すぐに彼を眠りへといざなった。 「コウくん、起きて」 「ん?」  あたりはすっかり夕暮れだった。グラウンドでも運動部の影がまばらになってきている。 「絵、終わったわ。帰りましょう」 「そうか、んじゃ、いこうか」  優輝の片づけを待って、二人は自転車置き場に向かった。 「で、どんな絵になったんだ? 見せてくれよ」 「ダメ」 「なんで?」 「失敗しちゃったから、ダメなの」 「失敗してこんなに時間がかかるわけないだろ?」 「ダメったらダ〜メ。また今度、いいのが描けたら見せてあげる」 「なんだ、そりゃ?」  優輝は赤い顔をしていた。本当にうまく描けなかったのだろうと、港は納得した。  自転車のカギを解除し、カバンを籠にほうり込む。 「あれ、コウ、優輝、何してるの?」  数時間前に聞いた質問が再び発せられた。今度は良子だった。 「これだよ、これ。忘れたから取りに来たんだ」  自転車のハンドルを叩いてみせる。 「ああ、そういえば、乗ってなかったわね。ごくろうさま」  このへんが優輝と違ってかわいげがないところだ、と港は思ったが、とうぜん口にはしなかった。 「おまえもいっしょに帰るか?」 「そうね、ここで遇えてちょうど良かったわ」 「なんだ?」 「あんたのトコの冷蔵庫、もう空っぽだったのよ。ついでに買い物していきましょ」  三人と二台の自転車が商店街に影を伸ばしている。  優輝と良子は仲良く話をしていたが、港だけが憮然とした顔で後方を歩いていた。  良子の買い物というのが港の食料のことで、そこまで仕切られるのに納得がいかないのである。   不満がつのり、港は口にした。 「あのな良子、起こしてくれんのはまだしも、メシはいい。帰りにパンでも買っていけばいいんだ」 「ダ〜メ。あんた昼もパンでしょ? 栄養、かたよるわよ。それにおばさんから頼まれてるし、ほっとけないでしょ?」 「ほっといてほしいな……」 「それとも、あたしの作るものは、まずくて食べられないとでもいうの?」 「……まずくはないな」 「あんた、ホントにあたしだけは素直に褒めないわね」  良子はため息をつきつつも、顔は笑っていた。つきあいが長いため、彼がいちおう褒めているのがわかっているのだ。 「良子ちゃん、コウくんのご飯、作ってるの?」  優輝が怪訝そうに港の幼なじみを見つめると、良子も何となくバツの悪そうな顔になった。 「朝だけね。だって、ホントにギリギリまで起きないし、何の用意もしてないんだもん。ご飯食べないともたないでしょ」  言い訳がましく答える良子。悪いことをしているわけでもないのに、及び腰だった。 「それは、そうね……」 「でしょ?」 「コウくん、あんまり良子ちゃんに迷惑かけないようにね」 「そうそう」 「ぐあ、結託した!」 「ホント、朝が弱くてね、こないだなんか――」  矛先が完全に港へ向き、二人は彼を肴に盛り上がりだした。 「ね、コウ?」  買い物が終わり、優輝と分かれてすぐに良子がまじめな顔を港に向けた。 「コウは、迷惑?」 「あ?」 「あたしがご飯作るの」 「ああ……」  港が返事をしたのは、十数秒の沈黙を挟んでからだ。冗談で流すには、少しだけ雰囲気を重い。 「言いたかないが――」  それでも言う決心がつきかね、もう一拍。 「ちょっとだけ、わずかに、ほんの少し、微量に、5%くらい――助かってるかなと思ったりしてるような気がする」 「そう!」  良子は港の答えに満足したのか、表情を和らげた。彼女がこれだけ嬉しそうにするのも珍しかった。自分の面倒をみて、何が楽しいのか。この幼なじみにはもっと……もっと、なんだろう……? 港は答えの出ない疑問に、歯がゆかった。  プルルルルルルル……  プルルルルルルル……  電話が鳴っていた。かれこれ十数回コールしている。  港もうっすらとした意識の中でそれに気づき、不愉快になっていた。 「日曜くらいゆっくり寝かせてくれよ……」  プルルルルルルル……  なおも電話は続く。  しかたなく手探りで電話をとり、そして―― 「もしもし、カメよカメさんよ〜」 『あ?』 「世界のうちで、おまえほど〜」 『おい、コウ。寝ぼけてんのか?』 「なんだ、セイギか」 『おまえ、いつもあんなふうに電話とるのか? もしオレでなかったら、電話きってるぞ』 「安心しろ、あんなしつこく鳴らすヤツはおまえ以外いない。確信をもっておまえだと思っていた」 『ほんとかよ?』  ウソである。 『……まぁ、いい。ところで、今日ヒマか?』 「時間的余裕はあるが、おまえとつきあうほどのヒマはない」 『つれないヤツだな。たまにはつきあえよ』 「わかったわかった。で、何があるんだ?」 『森林公園に室内プールができたのは知ってるよな? 今日までの入場券があるから、行こうぜ』  港は大きく息をためこみ、一気に吐ききる勢いで受話器にふきかけた。もはやため息ではなかった。 「……おまえなぁ、なにが悲しくて、男ふたりでプールいかなきゃならんのだ? 女の子でも誘えばいいだろ」  正義は一瞬言葉につまり、それから『いいじゃないか、たまには男の友情を深めてもよ』と口早に言いはなった。 「そういうところをみると、すっぽかされたな、おまえ?」 『ギクッ!』 「図星か? だれを誘ったんだよ?」 『良子ちゃん』 「……はぁ?」  港は呆れてしまい、素で返していた。 『本当は優輝ちゃんだ』 「……そうか、ごくろう」  港は受話器を置こうとした。 『うわ、待て待て、冗談だ!』 「……わかってる。むしろ本当に誘っていたなら褒めてやるところだ」 『ほっといてくれ。で、やっぱり行かないのか?』 「まぁ、ヒマと言えばヒマだしな。いいぜ」 『それじゃ、今すぐ来いよ』 「おい!」  電話はこれ以上の反論を許さぬように切れた。  人影の少ない森林公園のなかに、真新しい白いドーム状の建物があった。  四段ほどの階段を上り、ガラスの大扉をくぐるとエントランス・ホールへ出る。  喫茶室へ足をむけてみると、正義がコーヒーをすすっていた。 「ずいぶん遅かったな」 「寝ていた人間を起こしたやつのセリフか? 来てやっただけありがたく思え」  二人は悪態の応酬をしながら、プールへと足をふみ入れた。 「意外と広いな。競泳用と子供用、そしてスライダーつきの流れるプールか」 「コウ、話が違うぜ。女の子なんか、ぜんぜんいないじゃないかよ」 「何の話だ」  「……いや待て」港の質問は聞き流し、正義の視線はとある一点に注がれた。 「あそこにけっこうカワイイ娘がいるぜ」 「どこだよ? ……ああ、あのポニーテールか?」  歳は二人と同じくらいだろうか。けれど、その娘は子供用プールの前をウロウロしていた。連れの子供でもいるのだろうかと見回したが、それらしい影はない。  そのうち彼女はプールサイドに座りこみ、身体に水をかけはじめた。だが、妙に不自然だった。 「コウ、声をかけてこいよ」 「なんでオレが?」 「だっておまえ、なんかじっと見てるからさ」 「いや、あの娘、ヘンじゃないか?」 「どこが? ちょっと童顔っぽいけど、顔もスタイルも悪くないと思うがな」 「そうじゃなくて――」  女の子が、プールに飛びこもうとしていた。  次の瞬間、水しぶきがあがるだろうと予期していた二人だが、いっこうに起きなかった。  彼女は身体全体が硬直したように動かなかった。心なしか青ざめているように見える。 「あ……」  彼女は飛ぶように水から離れ、更衣室にむけて走り去った。 「チェ、帰っちまったな。ほかの娘、捜そうぜ」  正義の関心はそれで終わったが、港は不自然すぎる違和感に顔を曇らせていた。  久しぶりのプールで遊び疲れ、自宅に戻って休んでいると既に寝る時間になっていた。また明日から学校である。港は学校自体は嫌いではなかったが、月曜は嫌いな教科が並んでいた。せめていい夢でもみて、朝を向かえたいところだった。 「コウ、学校よ学校! ほら、さっさと起きる!」 「良子か……。うう、もう少し寝かせてくれよぉ……」 「起きないと耳に赤汁流すわよ!」 「や、やめてくれぇ〜!」  港はあまりの恐怖に飛び起きた。が、周囲は暗く、誰もいなかった。 「ゆ、夢か……」  汗をふき、もう一度眠りについた。 「起・き・て、コウくん。起きないと、遅刻しちゃうよ」 「はい!」  頬に触れてきた優輝の指に興奮を覚えて、港は再度、飛び起きた。  周囲はかわらず真っ暗だった。  「いかん、アホなことやってないでちゃんとさっさと寝なくては」  三度布団をかぶる。 「コウ、学校よ学校! ほら、さっさと起きる!」 「良子か……。うう、もう少し寝かせてくれよぉ……」 「起きないと耳に赤汁流すわよ!」 「その夢はもういい……」 「ホントに流すわよ!」  返事はない。 「まったく……」  トポトポトポ、という音が港の耳の近く、物凄く近くに聞こえた。 「ヒョエェェェェェェ!!!!!」  強制的に意識を覚醒させるだけの威力に、港は飛び起きるどころではなかった。半狂乱だった。 「うわぁぁぁ! 耳からヘンな液体があふれてるぅ!」 「赤汁よ、赤汁」  聞き覚えのある声に気づき、わきに目をむけると、しれっとした顔の良子がいた。 「良子、おまえまたオレの夢に現れやがったな! しかもホントに赤汁を流すとは!」 「夢? なに寝ぼけてんのよ」 「ウソだ、現実の良子だったら、鬼のような形相で天井にはりつき、人の生き血をすすってるはずだ!」 「妖怪か、あたしは!」 「ムム、そのツッコミ、もしや本物か?」  港はいまだ半信半疑なため、ためしに良子の頬をつねってみた。 「なにすんのよ!」  良子のスクリューブロウが炸裂し、彼の鼻を砕いた。 「冗談もそこまでにして、さっさと起きなさい。学校行くわよ」  「ああ」とうなずきかけた港は、時計を見て驚いた。 「まだ6時じゃねぇか!」 「そうよ。だって、あたし朝練があるんだもん」 「オレを巻きこむな!」 「いいじゃない。あんた一人だと心配だし、学校で寝てなさいよ」 「あー、はいはい……。どうせなに言ってもムダなんだよな、おまえには」 「うん、さすがコウ、わかってる」  なにが嬉しいのか、良子は笑っている。 「メシはどうしたんだ、おまえ?」 「途中でコンビニによるつもり。食べるのは朝練の後だけどね」 「それじゃ、オレも買っていくか」  コンビニで朝飯を買い学校につくと、二人は自転車置き場で別れた。  教室に向かう港は、半分眠りながら惰性で歩いていた。だが、あくびと同時に空を見上げたとき、眠気から一瞬で解放され、寒気に覆われた。  屋上から、何か堕ちてくる!  あれは――  人?  自殺!  動転する彼の眼前に、女の子が堕ちてきた。  いや、降り立った!  屋上からたしかに堕ちてきたのに、彼女は何事もなかったように着地し、立ち上がったのである。 「あ……」  二人の目があった。  彼女は真紅の衣で身をつつみ、頭も同色の頭巾で覆っている。まるで忍者のような格好だった。しかし頭巾は風圧でずれたのか、顔がはっきりと見えた。  だがそれ以上に驚いたのは、港は彼女を知っていたからだ。プールにいた、あの女の子だった。 「み、見られた……」  彼女はつぶやくと、背をむけ、一目散に走り去った。  迅い!  声をかける間もなく、彼女は消えていた。 「あの娘が、ウワサの赤い影の正体か?」  港は赤頭巾のくノ一に、がぜん興味を覚えた。  昼休みに入り、港はいつもどおりパンを買いに行こうと立ち上がった。 「セイギ、パン買いにいこうぜ」 「ワリィ、今日はめずらしく弁当なんだ。一人でいってくれ」 「なんだ、そうなのか?」  しかたなく彼は一人でパンを買いに行き、教室に戻ろうとした。 「待てよ……、周りが弁当でオレだけパンだと、なんかむなしいよな。……屋上でも行くか」  そう思い、教室のある階をそのまま飛ばして屋上へ出る。春の陽だまりにつつまれて、さわやかな温かさが満ちていた。  ふと周囲に視線を走らせれば、今日も奥のベンチにヘッドホンの女の子がいた。  むこうも港に気づいたようだが、意識するふうもなくせんべいをかじっている。 「早いな、あの娘。もうメシ食ったのか……」  かつて「早食いユウちゃん」と呼ばれていた港にとっては、少々口惜しいところだった。パンを買いに行くというハンデがあったとしても、これで二回連続である。 「次回を見ていろよ」  港は一人、ライバル心を燃やしていた。  放課後、月曜のしんどさを振り切るように大きく伸びをしていると、廊下に今朝見たポニーテールが目についた。  彼はすべてを無視して教室を飛び出していた。 「待て、そこのポニーテール!」  彼の叫びを聞きつけた全員が、一斉にこちらを注目した。その中には、むろん、あの娘もいる。 「逃げるなよ、そこを動くな!」  ビクッと肩を振るわせた彼女は、港の予想外の行動にでた。  なんと、逃げ出したのだ!  「なぜだ?」港は疑問符を一ダースほど浮かべながら、あとを追った。 「なぜ逃げる! 逃げると捕まえるぞ!」  港自身としては見事な論理的説得を試みたが、ポニーテールの速度は逆にあがっていた。  階段を飛び降りる彼女。  階段を転げ堕ちる港。  窓から脱出する彼女。  窓を破壊する港。  壁を走る彼女。  壁にぶつかる港。  天井を渡る彼女。  天井を舐める港……。  それは決死の追跡行であった。  しかし、二五分五三秒、激闘は第三者の干渉により、終止符がうたれた。 「コラぁ、廊下を走るな!」  それは体育教師・愛称ゴラちゃん三七才独身の声だった。 「「はい!」」  二人はその場でビタッと硬直した。 「気をつけるように!」  教師がその一言で遠ざかると、二人は同時に一息ついた。 「ふぅ、さすがに疲れたな。もう、逃げないでくれるか?」 「……はい」  彼女は素直にうなずいた。あれだけ走って息がきれていない。 「オレは――」 「2年B組の結城港さん。成績は中の中、運動能力はやや高く、趣味は寝ることで、好きな食べ物はとくになく極めて雑食。現在、ご両親は出張中で、同じクラスで幼なじみの天草良子さんに毎朝起こされている……」  彼女は港のデータを、気恥ずかしそうにポソポソとつぶやいた。視線もあわせようとはせず、怯える子猫のような印象だった。 「詳しいな。なんでだ?」 「あの……、わたしは、二年E組の東みなみ(アズマミナミ)といいます。バレてしまってるのであかしてしまいますが、代々、忍者をやってます……」 「ふむ、代々やってるのか。それはご苦労様――じゃなくて、なんでオレのことに詳しいか訊いたんだけど?」 「ええと、その……、わたし、SSS(スリーエス)なんです。だから生徒の情報には、詳しいんです……」 「すりーえす? なんだ、それ?」 「知りませんか? 生徒会特殊部隊。そのアルファベットの頭文字をとって、スリーエスというのですが……」 「聞いたこともない」 「あの……、学校内でなにか事件が起きたときに、陰で捜査するのが、わたしたちSSSなんです……」 「なるほど、君は忍者だからうってつけなわけだ」 「はい、そうです」 「じゃ、あの赤い忍者装束も、遊びじゃなく仕事のためだったのか」 「あの、結城さん、わたしがSSSのメンバーだというのは、他の人に黙っていてください。一応、規則ですから……」 「ああ、無理に聞いたオレも悪かったしな」 「ありがとうございます」 「ただし条件がある」 「え?」  彼女はてきめんにうろたえた。泣きそうな顔で、彼の言葉を待っていた。 「今度から、話しかけても逃げないこと」 「え……?」 「せっかく知り合えたんだから、友達になろうぜ。みなみちゃん」 「で…、でも、わ…、わたし、人と話すの、苦手で……」 「そんなの関係ないだろ。友達って、そんなつまらないモンじゃない」 「あ……!」 「いいじゃないか、今は苦手でも。そのうち慣れるって」 「……はい!」  彼女はこのときはじめて笑顔を見せた。はにかむような、小さくあたたかい笑みだった。 「それじゃ、おちかづきのしるしに、いっしょに帰ろうぜ」 「あ、すみません、今日はダメなんです。これからSSSの会議があるので」 「そっか、残念。また今度な」 「はい。では、失礼します」  言葉が終わると同時に、彼女の姿は消えていた。残されるほうは無性に寂しい気持ちになるほど、瞬間的なことだった。  港は聞こえるはずのない「がんばれよ」を言い残し、学校をあとにした。 「あれ、でも赤い影の正体がみなみちゃんだとしたら、盗難事件の犯人ってことか? ……いや、ありえないよな。どうみてもそんなことできるようには見えない」  港は考えに浸っていたので、それに気づくのに数秒かかった。  彼の脇を一人の女子生徒が通り過ぎた。  怪しい毒マスクのようなものと、ゴーグルをつけていたのである。 「……!」  バッと振り返ると、彼女はとある部室に入っていった。 「またしても美術造形部か!」  港は扉を開けたい衝動にかられた。 「いやいや、珍しがるな、ここではそれくらい日常だ。そう、日常なんだ」  彼の苦悩は家に帰るまで続いた。  朝。いつものように良子に起こされた港は、彼女と共に自転車にまたがった。  が、港が自転車置き場を出たのに、良子は後ろからついてこなかった。  戻ってみると、良子は困りはてた顔をしていた。 「どうした?」 「ん……、おかしいの」  良子は一生懸命ペダルを回したが、自転車は左右に揺れるだけで進もうとはしなかった。 「さっきヘンな音がしたろ? たぶんチェーンがはずれたんだな」 「どうしよう……」 「おまえの自転車はカバーをはずさなきゃ直せないから、時間かかるぞ」  良子はため息をついて自転車をおり、スタンドをかけた。 「走って行くしかないわね。時間ギリギリだけど」 「オレの後ろに乗ってけばいいだろ」 「え!」 「昔はよくやったろ? ほら、さっさとしろよ」 「う、うん……」  良子はカバンを前のカゴにのせ、後ろの荷台に腰かける。だが、手のやり場に困ってるようだ。 「良子、とばすから、ちゃんとしがみつけよ」 「だ、だって……!」 「はやくしろって。間にあわねぇぞ」 「ん……」 「おお?」 「……なに感動してんのよ、あんた?」 「い、いやぁ、良子も成長したなぁと」 「バカ、さっさといけ!」  「ゴフゥ!」良子の頭突きが背中に電気を走らせる。  大通りに出ると、同じ方向に向かう生徒の流れにぶつかる。良子は恥ずかしくて、顔を港の背中に隠すようにしていた。彼の部屋と同じ匂いがする。当たり前のことなのだが、新鮮な発見のような気がした。 「良子……」 「なに、コウ?」  良子はかすかに顔を上げた。 「重い」  ゴンッ! 「ゲフッ!」  港はオヤクソクは忘れない人間だった。  昼休みのチャイムが鳴り響く。 「フフフ、ようやく来たぜ、この時間が。今日こそあのせんべい娘に勝ってやる!」  終了のあいさつと同時に、港はダッシュをかけた。 「コウ、パン買いに――」 「キサマにかまってるヒマはない!」  なみいるライバルたちをけちらし、速攻で「焼き鳥プリンパン」と「納豆カルビパン」をゲットし、屋上へと駆けあがる。  バン!と、屋上の扉をいきおいよく開けると、そこには誰もいなかった。 「やった、勝ったぞ! オレは『早食いユウちゃん』の二つ名を護ったのだ!」  だが、喜び勇んだのもつかの間、頭上より声が聞こえた。 「ねぇねぇ、なにひとりで騒いでんの?」  振りあおげば、貯水タンクのそばに例のヘッドホンせんべい少女がいた。彼女はすでにせんべいをかじり、午後のひとときを満喫していたようだ。 「また負けたのか、オレは……」 「なになに? なんの話?」 「オレはまた、勝負に負けたんだ。今日で三日目、君はオレよりはやく昼メシを終えている……。今日こそはと思ったんだが……」 「はぁ……?」  彼女はマンガ的とも思えるほど、呆けた顔をした。 「なに言ってんの、キミ。あたしまだ御飯の途中だよ」 「え?」 「あがってきなよ」  彼女にうながされるまま、港は貯水タンクの置かれた高台にのぼった。風が暖かかった。 「いい景色だな」 「そうでしょ? あたしも初めて上がったんだけど、気持ちいいね」  自分が褒められたように、彼女は笑みを浮かべた。持参したらしい固焼きせんべいとMDプレイヤーを脇におき、彼が座る場所を確保する。  「で、メシの途中って、ないじゃん。まさかMDプレイヤー型弁当箱ってことはないよな」 「これこれ」 「堅焼きせんべい?」 「うんうん」 「もしかして、これが昼?」 「そう、これがあたしのお昼ゴハン」 「……からかってんのか?」  彼女は不本意そうに息をはいた。 「なんでキミにウソをつかなきゃいけないのよ。おせんべいがお昼じゃいけないとでも言うの?」 「いや、そうじゃないけど、あまりにビックリしたもんだからな……」 「ホント? ホントにそう思っただけ? バカにしてない?」 「してないしてない。だいたい、オレだって人に自慢できる昼メシじゃないしさ」  港がパンを振って見せると、「うんうん、たしかに」と彼女は納得した。 「ま、今日のところは許してあげる。……あ、そうそう、自己紹介まだだったね。あたしは、二年C組の津川うるち(ツガワウルチ)。キミは?」 「二−Bの結城港」 「B組のコウくん?」 「オレを知ってるのか?」 「1年のとき、ちょっとウワサになったじゃん。ユウキミナトとミナトユウキって」 「ああ、そうか」 「ね、あたしも『コウくん』て呼んでいい?」 「いいけど、オレも『うるちちゃん』て呼ぶぜ」 「『うるち』でいいよ」  彼女はせんべいをかみ砕いた。 「じゃ、オレも『コウ』でいいよ、うるち」 「うんうん」  バリバリと、せんべいを破砕しながら彼女はうなずいた。 「ところで、なんで屋上でひとりで食べてんだ? つまんないだろ?」 「だって(バリバリ)、しょうが(バキバキ)ないじゃ(ガリガリ)ない(ゴックン)。こんな大きな音をたてて昼ゴハン食べると、みんなに迷惑かかるから」 「なら、普通の弁当にするとか、パンを買うとか……」 「ときどきはそうするよ。でもやっぱり、あたしおせんべい好きなの」 「好きならしかたないか」  港は紙パックのグレープフルーツ・ジュースにストローを差し、パンの袋を開けた。 「コウは(ガサガサ)いつも(バキッ!)パンなの?(ボリボリ)」 「そうだな、親が出張から帰るまでは、ずっとパンだろうな。学食もいいけど、パンより高くつくしな」 「ふ〜ん……(カリッ)。お弁当(コリコリ)、作ってくれる人(シャク)、いないんだ(パリパリ)」 「いないねぇ」  ふと良子の顔が浮かんだが、慌てて否定する。頼む気は毛頭なかった。 「じゃ、自分で作るとか?」 「そんな時間があるなら寝てる」 「プッ、キャハハハ…。あたしとおんなじ!」 「それが基本だろう」  二人は同意を固めるように、大きくうなずきあった。  意気投合した彼らは、誰にも邪魔されず、その後も昼食について誇り高く語りあった。  放課後。クラブに向かった良子と優輝を見送ってから、港はのんびりと帰り支度をはじめた。 「そういえば、良子のヤツ、自転車が壊れてたんだよな。帰りが大変だろうし待っててやるか」  しかし部活が終わるまでずいぶん時間がある。考えた挙句、時間つぶしに校内をぶらつくことにした。 「みんな、けっこう帰るのが早いもんだな」  二年の教室を眺めながら歩く。廊下にも人通りはほとんどない。皆それぞれの行く先があるのだろう。港には少し、うらやましかった。  階段を降り、例の美術造形部のあたりに足を伸ばしかけたとき、赤い風が吹き抜けていった。  思考が追いつくより先に、彼は叫んでいた。 「みなみちゃん!」 「はい?」  すでに距離はだいぶ離れていたが、彼女は気づいてとまった。 「あ、結城さん! こんにちは」  彼が近づくと、みなみは笑顔で迎えた。人見知りはするが、知り合いには普通に接せるのだろう。 「急いでたけど、なにかあった?」 「いえ、今は別に。ただこの格好だと目立つから、走り抜けていただけです」  たしかに学校で真紅の忍び装束は目立つ。今はまわりに誰もいないが、人がきたらどうするつもりなのか。きっと気づかせもせずに走り抜けるのだろう。 「そういや訊きたかったんだけど――」 「はい?」 「みなみちゃんて、流派はなに?」 「わたしは、三元流です……」 「サンゲンリュウ……?」  彼が首をかしげると、みなみは縮こまりながら小声で説明した。 「中国から伝わった特殊武術・三元流をもとに、わたしのご先祖が開いた流派なんです。だから忍術よりも体術のほうが優れてまして、昔から諜報活動より護衛や暗殺のほうで活躍していたそうです」 「じゃ、みなみちゃんも格闘技、強いんだ?」 「た、たぶん、それなりに、強いとは、思います……」  彼女は自慢するどころか、顔を真っ赤にしながらさらに小さくなった。 「……あ、あの、わたし急ぎますので、これで!」  「あ!」と、いう間に消える。 「……みなみちゃんには、あまり緊張させないほうがいいな。逃げられたら、オレじゃ絶対つかまえられん。しかし、みなみちゃんて、ホントに強いのか?」 「あ、コウ発見!」  考える暇もなく、港は振り返る。そこには、せんべいとヘッドホンが日本一似合う女の子がいた。 「うるちか」 「何、そのイヤそうな顔。昼休みぶりにあたしに会えて嬉しいと思ったのに」 「あー、嬉しい嬉しい。嬉しすぎて顔が歪んでるんだ」 「嬉しくて顔が歪むなんて、コウ、変わってるね」 「素で返すな!」 「キャハハハ!」  とても今日初めて話したばかりとは思えない馴染みかたに、港は苦笑した。だが、さっぱりしていて悪い気はしなかった。 「で、コウは帰るところ?」 「いや、ちょっと時間を潰しているんだ。待ち合わせ……う〜む、まぁ待ち合わせしてるってことで」 「よくわかんないけど、時間つぶしならいい方法があるよ」 「ホントか?」 「うん、コウは自転車通学って言ってたよね」 「ああ、そうだけど?」 「それじゃ――」 「おい、これがいい時間潰しか?」 「だよ。けっこういいと思わない?」 「思わん! 何だってオレが、うるちを自転車の後ろに乗せて商店街まで走らにゃならんのだ!」  そう言いつつ、港はペダルをこぐのをやめない。 「それと、人の頭のうえでせんべい食うな」  うるちはスカートのまま後部荷台に立ち乗りをし、せんべいをかじっている。女としての自覚がないのかとすら、彼は問いただしたかった。  対する答えが、それを肯定しているのかもしれない。 「いーじゃない(ガリガリ)。コウも(バキャバキャ)食べる?(グゥワリグゥワリ)」  彼はもう、反論するのも面倒くさくなっていた。 「……くれ」 「ほい」  うるちは器用に袋からせんべいをとりだし、右手で彼の口まで運んだ。 「かんでー」  バキッ!  うるちははみ出ている部分を持っていたが、欠片が路上に落ちていく。 「スワァンキュー(バリバリ)」 「次いくよー」  バキッ!  ガリガリ……。 「はい次ー」  バキッ!  ゴリゴリ……。  二枚のせんべいがなくなるころには、商店街についていた。 「夕方は人通りが多いな。うるち、あぶないから降りたほうがいいぜ」 「そだね」 「で、商店街で何をするんだ?」 「うん? ウチに帰るだけだよ」 「おまえン家? 駅は向こうだぞ」 「なに言ってんの、そこに見えてるじゃん」  と、うるちは指差した。そのさきに小さな瓦ぶきの店があった。年期のこもっていそうな看板には、見事な書体で『せんべい・あられ 津川屋』と書かれている。 「せんべい屋なのか、うるちの家……」 「そうよ。寄ってく?」 「いや、また今度にするよ」 「そ。じゃ、ありがとね。バイバイ」 「ああ、じゃあな」  せんべい屋の娘だから、せんべい好きなのか。意外に単純な理由だったな。港はひとり納得して、また学校へと戻った。  結局、残りの待ち時間は昼寝をして過ごした。 「うあ〜、よく寝た。……ちょうど六時。道場に顔を出してみるか」  港はまず駐輪場に寄り、愛車を手にいれてから道場へ向かった。  ちょうどいいタイミングだったようだ。剣道部員が部室から着替えて出てきている。その中に、部員らしき女子生徒と雑談している良子の姿もあった。 「良子」 「あら、何してるのあんた? こんな時間まで」 「気まぐれがおきてな、おまえを待ってたんだ」 「え?」 「おまえ、自転車ないだろ? 後ろ乗ってけよ」 「……おこづかい、足りないの?」 「小学生か、オレは!」 「じゃ、なにをたくらんでるのよ?」 「たくらんでない!」  港はとてつもなくバカらしくなってきた。 「もういい、じゃあな」 「ああ、ウソウソ、冗談よぉ」  良子は港の制服をつかんで、走りだそうとした自転車をとめた。 「コウがあたしを待ってるなんて今までなかったから、ちょっと疑っただけよ」 「冗談じゃないじゃないか」 「まぁまぁ、乗ってあげるから怒んないの」 「立場が逆だ!」 「気にしない気にしない。……じゃね」  最後のあいさつは、いっしょにいた友達にむけたものだ。良子が彼の後ろに乗ったとたん、彼女たちははやしたてる。  彼も良子も、もう今さら気にはしない。だが、やかましいのは好きではなかった。港は一気に速度を上げ、学校を離れた。 「……コウ?」 「なんだよ」 「ありがと」  良子の腕が、さっきより強く絡みついた。 「……誠意はメシで返してもらうさ」 「うん」  二人にそれ以上の会話はなかった。  家につき、夕食を終えて一休みすると、港はベランダから工具箱を持ち出した。ヘッドマウントの懐中電灯も忘れない。  階段を降りて駐輪場へ。良子の赤い自転車は、直されることなく佇んでいた。  今さらだが、放課後のあいた時間に修理をしておけばよかったと、肌寒さに震えながら思う。 「ぼやいてもしかたない。はじめるか」  暗い手元を照らし、ドライバーをたくみに使ってカバーを外す。  内部にたまっていた汚れを落とし、ドライバーでチェーンを伸ばしてギアにかませる。変速機がないのでチェーンを伸ばすのはキツめだが、構造が単純なだけ力任せで何とかなった。  油を注して、カバーをかぶせる。ネジ止め前にペダルをチェック。 「……フゥ、終わったぁ」 「ありがと」 「うわぁ!」  突然の女の声に、彼はビックリして振り返った。 「なんだ、良子か……。脅かすなよ」 「自転車、直してくれたんだ」 「まぁな。明日もおまえを乗せるのはさすがにキツイからな」 「うん、だよね」  すべてお見通しと言わんばかりの眼で、良子は港を見ていた。その視線に、彼は堪えられそうになかった。いつの間にか、幼なじみの視線から逃げるクセがついていた。 「さて、終わったから寝るか。身体がすっかり冷えちまった」 「コウ――」 「良子もはやく寝たほうがいいぞ。おやすみ!」  彼は振り向きもせず、良子をおいて階段をあがった。  良子自身も気づいていた。肝心なとき、自分が避けられているということに。真剣になればなるほど、彼は必死にごまかそうとしていた。 「でも、もうあたしにはコウは必要ないんだよ」  それは寂しさしか込められていない呟きだった。