モンスターコレクション・ノベル 12    第九章 草野駿(クサノシュン)                 1  かすかな雨音が、窓のむこうから聞こえていた。小さな小さな水玉が窓を絶え間なくノックし、きえていく。  少年は机の上のカードをケースにおさめると、大きく伸びをし、イスから立ちあがってカーテンをそっと開いた。  深い闇から舞いおりる銀糸の雨は、ときおり風に流されながら地面で跳ねていた。人通りもないアスファルトの道に、自らの存在意義を訴えるかのように音をたててはじける。  雨は当分、やみそうもなかった。  カーテンをしめなおして、デックケースを手にする。調整のすんだ彼の最高傑作が、明日の出番まで休息に入っていた。<アース・ドラゴン><エルフ魔法剣士団><コボルド・ライダーズ>……。多くの敵と戦い、多くの成果と経験を得て、ここまでやってきた仲間たち。少年は明日、彼らとともに御門と戦う。  真田洋平を越えた翌日、駿は御門に対戦を申しこんだ。拒否するだろうと予測していた少年だが、意外にも御門はあっさりと了承した。どうやら真田から話を聞いていたらしく、「資格を得たとしておこう」と駿に答えたのだった。 「明日は頼むぜ」  駿はカードたちに呼びかけた。少年は自分のデックと、能力とを信じている。だが信じればすべてが叶うほど甘くはない。だから緊張もするし、興奮もする。駿にとって御門との対戦は、タイトルマッチにも等しいのだ。かたや実績も実力もある王者、かたやゲームが好きなだけの少年。今のところその差は歴然だった。それでも駿は戦う意志を捨てないし、負けるのを覚悟して勝負にのぞむつもりもない。不安はあるが、それは勝負までの時間が気持ちを揺さぶるにすぎないのだ。心の奥底では、高揚する自分を抑えられないでいる。  そろえた教科書とともにデックケースをカバンにつめ、駿はベッドにもぐった。だが睡魔はまるで訪れない。それどころか胸は高鳴り、意識の覚醒をうながしていた。  少年の記憶回路は時を逆行し、なつかしいはじまりを思い出していた。  あれは1年半ほど前だ。クラスメイトの雨宮士郎が、おもしろいゲームがあるからと、駿を家に招待したのは。 「――で、こうなると駿の本陣がおちて、ボクの勝ちになるんだ」 「なるほど、わかったぜ。それで、このカードでデックってやつをつくればいいんだな?」  ゲームの説明をひととおり受けると、駿は興味に満ちた瞳で士郎のカード束を見つめた。  士郎はうなずき、余ったカードを駿にわたした。スターターの箱にして4つ分はある。 「いいよな、士郎は。オレと違ってこづかいたくさんもらえて」  カードを眺めながら、駿は冗談まじりの羨望のため息をついた。中学生には、「興味がある=実行できる」という式は成り立たない。能力、責任、そして財力。子供が子供であるためにはそれなりの条件があり、おおくの場合、本人たちにしてみればそれは足かせでしかない。ただ雨宮士郎は、3つめの条件を生まれながらにして満たせるようになっていた。  だが、士郎は駿こそうらやましいと思う。自由奔放なたくましさが、まぶしく瞳に映るのだ。今だって、心底からの楽しさがはっきりと見てとれる。まっすぐ前をみて、まっすぐに突き進む。自分にないものを持つ少年に、雨宮士郎は憧れていた。 「……よし、できた!」 「じゃ、ゲームをしてみよう」 「ああ、負けないぜ」  駿は自信にあふれた笑みをこぼしながら、士郎との初対決にのぞんだ。 「オレの先手か。じゃ、いくぜ、<エレファント>2体だ」  ……その冬の日から、春を越え、初夏の景色が彩られようとするころ、少年は転機を迎える。彼は強くなりたいと望んでいたが、現実がついてこなかった。自分なりに努力してデックを構成し、士郎とともにゲームの腕もみがいた。けれど限界が迫っていた。 「なんで勝てないのかなぁ……」  ため息をつく少年のまえに、一人の青年がほほえみかけた。 「君はまだ、知らないことがあるんだ」  驚く少年に、彼は道を示した。  真田洋平との出逢いである。  それから大杉巨史との対戦、冴木彰や美浦真夜との交流、クラスメイト・竜堂舞美の参加、海原源一郎との競い合い、鳥井哲也の参戦、そして高校受験を経て、御門シンの真理宣言……。  モンスターコレクションというカードゲームが草野駿にもたらしたものは、快楽だけではない。友人関係を含む環境、心理的影響と成長、少年がもっとも大切にしたいすべてが、このゲームからはじまったのである。  駿は夢を見ていた。  白銀のたてがみをなびかせる白い獅子の背にまたがり、草原を多くの獣たちとともに駆け抜ける。  空を見上げれば竜が舞い、それは一人の竜騎兵と舞美によって御されていた。  いつからだろう、竜堂舞美はいつも自分を見て笑ってくれている。モンコレをはじめる前の彼女を、駿はもう思い出せなかった。  ふと日が陰った。頭上を蒼い月が照らし、美しい女性がほほえんでいた。すぐそばに黒い翼を持つ赤毛の戦士が羽ばたき、一点を見つめている。その先に、冴木彰の紺の帽子があった。彼は、薄衣の金髪の天使と談笑していた。天使のまわりで踊っているカボチャ頭の精霊が、とても奇妙な感じだ。  草原を抜けると、眼前に海が広がる。  岬には黒髪をなびかせる女性がおり、海が大きな波音をたてるなか、最強の幻獣を召還していた。海竜はマスターたる美浦真夜の命を受け、七つの海の王子とともに沖へと向かう。そこには海原源一郎率いるクラーケンが、臨戦態勢をとって待っていた。  そのころ鳥井哲也は翼を休めていた。夜の闇の支配を、風はうけない。風は自由なのだ。何者にも束縛されず、ただ流れるのみである。  また陽がのぼる。赤き鎧をまとうオークたちが大地を駆け、天使が空を舞い、海竜が海を渡っていた。巨大な砂蟲が砂漠を潜り、雷雲のなかで嵐の魔神が吼え、湿地で蛇の化身が槍をかまえる。  その中心に、駿が憧れる青年がいた。真田洋平のほうも少年に気づいたらしい。彼はいつもどおりの笑顔で、駿に言うのである。 「さぁ、ゲームをしよう」  ……アナログなベルの音が、少年の耳をつんざく。頭のすみで騒音を感知し、目覚まし時計を殴るようにとめた。半分寝ぼけてはいるが、駿はまぶたにかかる光を知り、無理やり上体を起こした。  朝。御門との勝負の日。それと気づくと、少年の頭は完全なる覚醒をとげた。夢心地は追い払われ、現実感が身体をひきしめていく。 「……」  駿はカバンをあけた。デックを取りだし、カードを眺める。 「……そうだな」  ひとりごち、机のすみに置かれていた50枚のカード束を手にした。駿の思い出の結晶である。この50枚から、すべてははじまったのだ。  駿はなつかしく一枚いちまいを確認し、力強くうなずくと、デックケースにおさめた。ついでカバンにおしこめ、ファスナーを閉める。  準備は整った。  カーテンの向こうに、雨はなかった。                 2  駿と御門は、その時間まで一言の会話もなかった。竜堂舞美が観るかぎり、授業中や休み時間の草野少年の様子は、普段とかわらなかった。意識的に御門をさけているわけでもなく、あいかわらず取り巻きに囲まれている彼に、近づく機会も理由もなかっただけだ。  放課後、清掃の時間を終え、駿はC校舎2階の一室へはいった。御門が今対戦のために特別に用意した部屋だ。部室として使われる予定らしいのだが、今のところ所有者は不在のため、会議用の折りたたみテーブルとパイプイスが、所在なげに壁際につまれている。  御門はすでに待っていた。曇り空から差すわずかな淡い陽の光が、少年とカードを浮かびあがらせ、幻想的なおもむきをたたえていた。芸術的センスがとぼしい駿でさえ、絵になる姿だと思ったほどだ。しかし彼は少年の感傷を無視するように一瞥さえくれず、優美な動作でカードをシャッフルしていた。表情は真剣であり、険しい。  駿は机をはさんで彼の正面に腰かけ、カバンからデックをとりだした。コバルトのマットに1枚ずつカードを並べ、10枚単位の束を5つ作り、またまとめてきる。  おたがいがカードの交換をし、軽く混ぜる。ふたたびデックが所有者に戻ると、本陣を置き、手札を6枚取った。  ここまでが無言と静寂のなかで行なわれたのだが、不意のノックが沈黙を奪った。  「だれだ?」御門は扉のむこうにいる人物を突き刺すように、鋭い眼光と声を放った。見えない反対側で、相手はちゅうちょしたのだろうか。しばらくの間があき、それからゆっくりと扉が開かれた。  竜堂舞美だった。 「招待した覚えはないが?」  御門の言葉は冷たい。少女は萎縮する以外、どうにもできなかった。  だが、もう一方の当事者は彼の対極にあった。 「いいじゃん、別に。竜堂、後ろからイスを持ってきなよ」  御門は駿をにらみつけた。しかしそれだけだった。心のなかでは何か悪態をついたかも知れないが、駿は実態のないものに興味はひかれない。 「御門、ダイスは?」  舞美が二人の横顔を眺めるように席につき、さていよいよ勝負開始となって、駿はテーブル上にあるべき存在がないのに気づいた。 「ああ、そういえばボクは持っていなかったな」  当然のように、驚きながら疑問を口にする駿に、御門はモンコレをインターネット上でのプレイ経験しかないと言った。ゆえにダイスなど持っていないと。  竜堂舞美が御門の返答にあわせて、カバンをかきまわす。紫色のクリスタルダイスを発見すると、「はい」と御門にわたした。  御門は「借りるよ」といっただけで、礼は口にしなかった。 「じゃ、いくぜ」  駿は力をこめて6つの数字がかかれた立方体を投げ、御門は軽く宙に踊らせた。  先手・御門シン。  御門は迷う必要を認めなかった。手札を確認した瞬間から行動を起こした。R1に地形<雷が鳴る前に>を配置、召還フェイズで<アクアマリン・バックラー><七つの海の王子><ギルマン海賊団>を本陣に。4枚補充して終了。 「おまえのデックって、水系だったのか?」  駿も舞美もはじめて御門のデックを見たのである。意外にも、奇をてらわない構成のように思えた。 「キミに合わせたんだよ。これぐらいでちょうどいいだろう」  御門は美しい眉を微妙にかたむけて、うすくわらう。反感を覚えた駿だが、声を荒げたりはしなかった。 「御門、それを負けた言い訳にはするなよ。おまえがそれを選んだんだからな」 「ボクが負ける? ありえないことだ」 「わからないぜ」  駿は答えながら自分の本陣に仲間たちを呼んだ。<エレファント><ジャングル・クロコダイル><サーベル・タイガー><シルバー・ファルコン>である。  御門の表情がわずかに曇る。彼は、以前に見た<アース・ドラゴン>主体のデックで来るものだと思っていたのだ。そのためにデックを合わせたというわけではないのだが、予想を裏切られたのはたしかだった。 「草野くん、それって……」  竜堂舞美にはすぐにわかった。意表をつかれ驚きつつも、つい笑みがこぼれた。彼は真田に会って、忘れかけていたものを取り戻したのだろう。少女はそれに気づき、嬉しく思ったのである。 「今のオレなら、使いこなせると思う」  4枚のカードを山札からひきながら、少年は自信に満ちた笑みでこたえた。  困惑を胸に隠しつつ、御門は無言のまま手を動かしはじめる。  本陣のバックラーと海賊団をR1<雷が鳴る前に>へ移動。<ギルマン海賊船長><ナーガ><ポイズン・トード>を召還して終わる。 「すでにコンボ完成か……。カードまわりはよさそうだな」  敵に感心しつつも、駿は恐れない。C3に地形<砦>を、R3に地形<魔法陣「泉」>を置き、C3<砦>にエレファント、Jクロコダイル、Sファルコンを進軍させる。本陣に<ジャングル・エイプ><百獣の王>を呼び出して、また4枚を補充した。 「もはや確定だな。ジャングル・デックか……。<ジャングル・キング>を使って戦うということか。だが、それでボクに勝とうなどと」  御門は<魔力のスクロール>を捨て、かわりの1枚を手にする。それにより、今後の方針が定まったようだ。  本陣の海賊船長をR1<雷が鳴る前に>へ移動。すぐに召還フェイズへ移行し、<ギルマン・ライダーズ>を本陣においた。  早々とターンを譲られると、駿は手札と戦場を確認した。このデックは先攻をとってこそ力を発揮できる。それに<砦>も必要だ。さて、どうしたものか……。  駿は30秒ほどうなり、指を鳴らした。 「C3の<砦>を<魔法陣「泉」>にはりかえる。そして<砦>を手札に戻してからC2に配置。そこにエレファントだけを進軍」  <砦>を使った基本的テクニックを披露し、御門と舞美にちょっとした刺激を与えると、少年は次の行動へ移った。  C3<泉>のSファルコンをR3の<泉>へ、本陣のライオンとSタイガーがC3<泉>の防衛に向かう。薄くなった本陣に<ジャングル・クロコダイル>を召還してようやく終了。 「……」  御門は選択を迫られた。ここはもう戦わざるを得ない状況である。戦略上、手札のなかの1枚はまだ使いたくはないのだが、使用せねば<砦>の効果によりきっとアレが出てくるだろう。そうなればやっかいである。  しかたない、と思いつつ、御門はそのカードを抜いた。 「C2の<砦>を<吹き抜け>、トード、ナーガ、ギルマンライダーズで進軍」  駿は<砦>を手札に戻したが、吹き抜けられたことに対して落胆はしなかった。3レベルユニットが手札にいなかったためである。  ともかく、御門と駿の初戦闘がはじまった。駿は、<シルバー・イーグル><グレイ・ウルフ><ウルヴァリン>を即時召還し、隊列を決める。  二人はダイスをにぎり、さきほどと同じような形でイニシアチブを決定した。  数値は両者ともが「4」を示す。トードの「−1」が、駿に先攻をゆるした。 「殴る」  明瞭で、簡潔な命令であった。  御門はごく普通の対抗を用いる。すなわちナーガとトードのコンビが象を喰う、だ。 「それでもまだ6発あるぜ」 「ナーガがトードに<クォーター・スタッフ>」 「じゃ、カエルだけ倒してディフェンダーで全滅だな」  できればナーガまでは倒したかった駿ではあるが、うまくいってもおもしろくない。なにしろ相手は御門なのだから。そう思うと、少年の口もとはついほころんでしまう。 「なにをニヤついている」 「いや、楽しくてさ」 「負けて楽しい? ボクには理解できない」  御門の指は手札を経由して、自軍本陣に向かって伸びた。<ウォーター・ドラゴン>と<ダークエルフ拷問隊>が召還された。 「草野くん、きついね」 「う〜ん、でもいいかげん、ウォータードラゴンには慣れたよ。真夜姉ェが使ってるから」  駿はそのときの経験を活かすべく脳細胞を回転させるが、ともかく目前のナーガとギルマンライダーズを破ってからのことだ。  猛獣使いの少年が、進軍を宣言した。C3<泉>からJクロコダイルとサーベルタイガー、即時召還で<シルバー・ファルコン>ともう1体<サーベル・タイガー>を呼ぶ。  御門がなぜか即時召還をしなかったので、隊列変更タイミングへ。駿は、タイガー、クロコダイル、タイガー、ファルコン。御門はギルマンライダーズ、ナーガの順である。  被害を最小に抑えるために、御門としては先手がほしかった。が、どうもうまくいかないようだ。  駿の攻撃命令が下されると、御門は舌打ちしつつ手札から<滅びの粉塵>を出した。それによりクロコダイルが消滅したものの、残り9点ダメージは防ぎようもなかった。  次にWドラゴンがひかえていようとも、戦場で勝てれば嬉しいものだ。駿は意気揚々とC2<吹き抜ける風>を再び<砦>にはりかえようとする。 「それは認めない」  御門の手が滑り込んできた。<風と共に去りぬ>だ。 「この場合、<砦>は戻せないんだよな。キツイなぁ」  <砦>を捨て山に移し、打って変わって意気消沈する少年だが、勝負を投げ出すほどのショックはない。本陣のJエイプをC3<泉>へ、C3のライオンをR3<泉>へと一つずつずらし、召還にはいる。本陣に<マンモス>が登場だ。  ターンがかわり、御門は女性のようなつややかな爪を持った指で、失った手札を補充した。 「ウォータードラゴンが進軍する」  御門の本陣のそれが、C2<風と共に去りぬ>に重なった。駿の軍勢はSタイガーが2体とシルバーファルコンである。先攻をとり、かつ、対抗「津波」のダイス目が「1」なら倒せなくもない。  だが、結果は大方の予想どおりとなる。先攻をとったまではいいが、1/6の確率はそううまくはいかないものだ。  御門は当然といわんばかりの冷静な態度で召還にはいった。<ギルマン海賊団>と<ギルマン・ライダーズ>が、彼の軍勢を強化する。補充されたカードで、一瞬だけ笑みが浮かんだ。  駿にとって第一の試練である。Wドラゴンを倒すには、硬いユニットで「津波」を耐えるか、相手の攻撃をしのいでディフェンダーで反撃するしかない。今回選んだ方法は、後者のほうであった。戦場にはそれをこなす2体がいるのだから、考えるまでもないだろう。  まずC3<泉>を<砦>に交換し、本陣のマンモスをJエイプと合流させた。これでもまだ2レベル分の余裕があるので、何とかなりそうだ。  召還は本陣に<エレファント>、R3<泉>に<名馬「ワールウィンド」>である。 「補充して終わりだ。いいぜ」 「ああ」  御門は手札を確認しながら作戦を練っていた。C3にいる2体だけなら何とか倒せる。しかし相手の即時召還によっては、占拠は不可能となるだろう。もし進軍に失敗すれば、こちらの即時召還ユニットは破棄せねばならなくなる。それはかなりの痛手であった。  彼にしてはめずらしく長考であった。このとき御門は、C3での戦闘だけでなく、駿の本陣での戦いもシミュレートしていた。予想される戦力と戦術、ダイスの動き、期待できる手札、それらを経験と思慮によって導こうとしていたのだ。  しかし結局は、予測の範疇を越えるものではない。駿はそれを証明した。  御門のウォータードラゴンがC3<砦>へ進軍。即時召還は<ダークエルフ拷問隊>で、駿の方は<サイレント・シープ>である。  御門はさすがに意表をつかれた。長くモンコレをプレイしてきたが、このユニットと対戦するのは初めてであった。 「驚いただろ、御門。魔法は封じさせてもらうぜ」 「先攻をとれてから言うことだ」 「じゃあ、いくぜ」  二つのクリスタルダイスが、西日を反射させた。半透明な紫と赤い光がコバルトの戦場に影をのばす。舞美が御門に貸したそれは、まるで彼女の想いをつめたように駿の味方をした。非現実的ながら、御門は意識の片隅でそう思った。 「<サイレント・シープ>がドラゴンのスペルを奪うぜ」  御門は手札を探り、<ミラー・イメージ>を場に出した。  少年はあからさまに落胆した。まさかこのデックを相手に、それをにぎりこんでいるなどとは思いもしなかった。 「どんなカードも、いつか使いみちがあるのさ」 「まいったな、オレの負けか?」  御門は「ああ」とうなずき、2枚の手札を公開した。<ポリモルフ>と<滅びの粉塵>である。それでマンモスなりJエイプなりを破棄し、残り攻撃をドラゴンが防ぐ。後攻タイミングで拷問隊がシープを倒し、あとは攻撃。 「C3は<代理地形>に。それから――」  C2<風と共に去りぬ>へ本陣のダークエルフ拷問隊とギルマンライダーズが移動。召還はなく、第2手札調整で4枚補充する。  今度は駿が考えどころである。現在手札は地形が1枚――<代理地形>にかえられた<砦>――と、2レベル以下のユニットしかなかった。確実にWドラゴンが倒せるものならC3へ進軍したいところだが、保証はまったくない状況だった。本陣はすでに召還されているエレファントとJクロコダイルにまかせ、さらに将来の保険をかけておくべきかもしれない。少年はそう判断し、R3<泉>にいるシルバーファルコンをC2<風と共に去りぬ>へと進軍させた。 「即時召還は<ウィンター・ウルフ>2体と<グレイ・ウルフ><名馬「ワールウィンド」>。そっちはあと1レベル呼べるけど?」  御門は首を振った。駿の隊列が決まると、彼はギルマンライダーズの上に拷問隊を重ねた。  先攻はイニシアチブ修正+2の効果により、辛うじて駿がとった。  グレイウルフにワールウィンドがチャージを与え、攻撃。 「対抗はない」  御門は自軍の2体のユニットを捨て山においた。もし、駿がチャージを与えずにそのまま攻撃命令を出していたなら、御門は1枚のカードをもってライダーズを助けられたであろう。攻撃点1点の差に、御門は敗れたのだ。  勝ったとはいえ、駿に喜びの色は見えない。少年の本陣の前には強敵ウォータードラゴンがおり、今のところ勝てる要素が薄い。C2の地形を<砦>にかえたところで、次の御門のターンでゲームが終わってしまう可能性だってある。御門はこのチャンスを見逃したりはしないだろう。  だから駿は、残った1枚の手札を捨ててでも、起死回生のユニットを欲するのだった。 (頼む、まだ終わりたくないんだ。きてくれ!)  駿の純粋な祈りがデックに通じたのかどうか、この時点では当人以外にはわからない。  ターン終了を告げる声が、やけに静かだったと舞美は思った。 「ボクのターン。これで終わりだな」  美しい顔に笑みをたたえ、御門は手札を2枚捨て、新たに補充した。彼は言葉どおり終わらせるつもりだった。 「ウォータードラゴンと拷問隊が進軍。即時召還は<ギルマン海賊団>」  手札を見るかぎり、先攻でも後攻でも負けはしないだろう。欲を言えば<七つの海の王子>が手にはいればよかったのだが、これくらいはハンデとしておこう。 「草野くん……」 「大丈夫、運がよければなんとかなるさ」  駿は手札から2枚のカードを引き抜いた。<ラー>と<コカトリス>だった。 「こわいのは同時攻撃だけだな。隊列はギルマン、ドラゴン、拷問隊」 「こっちはクロコダイル、コカトリス、ラー、象の順だ」  「がんばって」という舞美のかすかな声は、駿には聞こえなかった。少年は想いのすべてをこめて、ダイスをふるっていた。  先攻、草野駿。 「まずコカトリスが拷問隊に石化。……よし、4だ」 「ギルマンが<封印>する」 「<ミラー・イメージ>かと思ったけど、違ったか……」  駿は予想をはずされ少々驚いたが、御門はそれ以上に自分の計算違いに腹立たしかった。その理由は、すぐに判明する。  対する駿のほうは、そんな相手の心情がわかるはずもない。少年の頭のなかには、ドラゴンの持つ水魔法3つに考えが集中していた。その結果、もっとも恐いのが<タイダルウェイヴ>か<シェルトラップ>。<ブルースプラッシュ>の確率も否定できない。また、<プロテクション>や<フォッグ>でもこのさいはいいのだ。そうなると、すでに勝つ見込みは「0」のようだ。だが御門が相手の行動を待つのは、確実な勝利がありえないからではないか? ならばやってみるほかない。 「攻撃!」  御門はすぐさま反応を示した。 「象に<タイダル>」  駿は舌打ちした。まさに予測が的中したのだ。だが、まだ戦える。 「象にラーが発動。攻撃がとまるだけ」  今度は御門が口惜しそうに唇をかむ。御門の手札には、これ以上の対抗はない。もう一つのアイテムと<タイダルウェイヴ>を正しく組み合わせれば、本陣陥落は間違いなかったのである。同時攻撃をおそれて、ギルマンを楯にした自分の弱気がアダになったのだ。もし覚悟を決めて戦いにのぞんでいたなら……。 「……では津波を使う。これで4以上を出せば、ボクの勝ちだ」  確率は1/2。御門は初めて、ダイスに祈るという非建設的で無意味な行為をした。 「オレはまだ、負けられない!」  駿は御門の手ににぎられた、紫色のダイスを凝視した。となりの舞美もまた、少年と同じ想いをぶつけている。 「ボクが勝つ!」 「頼む、出るな!」 (お願い!)  ダイスは宙を舞い、マットではねた。  はじけた。  滑り、とまった。 「よし!」  ダイスという運命の女神は、乱数を導くためにいるはずである。だが、彼女は民主的な多数決を好むのであろうか。「1対2」というごく少数の多数決により、運命は戦いの延長を望んだのだ。 「……首の皮が一枚つながっただけだ。次のボクのターンで、今度こそ終わらせる」  御門は死亡したギルマンを戦場からどかし、駿はラーとエレファント――津波によってラーが死亡したためタイダルを受ける――を墓場へ送った。  後攻普通タイミングで拷問隊が自分に<クォーター・スタッフ>を用い、クロコダイルに「拷問」を執行する。駿の本陣には、もうコカトリスしか存在していない。 「どうだ御門、おもしろいだろ?」  普段はあれほど沈着な彼が、ダイスの目に本気で悔しがっている。駿にはその姿が、とても好ましく映っていた。昔の自分と同様に――いや今も違いはないのだが――、ダイス目ひとつに一喜一憂する。それがこのゲームの楽しさなのだ。御門がすこしずつ、それに気づいてくれればいいと思う。 「……!」  御門は感情的になっていた自分が恥ずかしく、反動できつい表情をつくった。本陣に<ウォーター・ドラゴン>を召還し、無言でターンを終える。 「まいったな、挟まれちゃったぜ」  頭をかく少年だが、表情はウソをついていた。本陣はおとされなかったのだから、もう一度くらいチャンスはあるはずだ。まったく根拠のない自信を、駿はいだいていた。  C2<砦>のウィンターウルフ2体とグレイウルフ、それにR3<泉>のライオンと名馬「ワールウィンド」でC3<代理地形>へ進軍。おたがい即時召還はないので、駿は隊列をウィンター、ワールウィンド、ライオン、ウィンター、グレイウルフと決め、御門は拷問隊、ウォータードラゴンの順とした。  イニシアチブは、+2修正を持つ駿が有利だった。が、それは「津波」で全滅するおそれさえある、両刃の剣である。しかし駿は、やらねばならなかったし、なんとかなるだろうとも思った。冴木彰の悪いクセでもうつったように、なにも考えていなかったのだ。  それが妙な結果をもたらす。 「同時攻撃?」 「御門くんが4で、草野くんが2でしょ? 同時よ」  御門はやりきれない。今対戦すべてがやりきれない。おかしい。仕組まれている。そもそもこのダイスが、自分に味方しないではないか。 「このダイスが――」  「悪い」と言いかけて、自分がとんでもなく非論理的憤りを感じているのに気づいた。たかがゲームではないか。そう言い聞かせようとして、それもまた自分の考えを否定しているといらだつ。理論と思考が勝利を約束する勝負であるはずなのだ。それがなぜこうも計算が狂う。つまらないミスを犯す! 「落ちこんでるところ悪いけどさ、地形かえるぜ?」  草野駿は<砦>カードをちらつかせ、御門の返事を待っていた。御門は「好きにしたまえ」と、つまらぬ敗北をしたドラゴンとダークエルフをどかした。 「さて、もう1体、ウォータードラゴンがいるんだよな」 「……そうか、ボクにはまだ、こいつがいた」 「そうそう、そいつ。しかも<ナナウミ>までいるんだもんな。まいっちゃうよ」  本陣を眺め、いつもの顔に戻る御門に比べ、駿は深くため息をついていた。それでもとまるわけにはいかないので、本陣のコカトリスをC3<砦>に進ませ、同時攻撃を生き延びたグレイウルフとウィンターウルフに合流させる。本陣には<ジャングル・コンドル><ジャングル・エイプ><ジャングル・タイガー>を召還した。  ターン終了宣言と同時に、御門の指が手札を3枚はじき、新たな3枚をおさめる。クセのあるカードばかりだが、利用価値がないわけでもなかった。  本陣のWドラゴンと七つの海の王子がC2へ、即時召還で<鏡蟲>が出され、あからさまに楯となった。  駿としては逆にやりやすい。魔法はなく、また、御門が第1手札できったカードに<ロマンシング・ストーン>があったからだ。これはチャンスである。 「御門、後攻とればオレの勝ちだぜ」  駿は<百獣の王>と、3レベルのエイプを戦場へ送った。 「うわぁ、なつかしい」  竜堂舞美が感嘆の声をあげた。かつてこのユニットで、美浦真夜や海原源一郎のウォータードラゴンを破ってきたのだ。信頼度は高い。  御門はその<ロック・バブーン>を認識し、何度目かの舌打ちをかすかにもらした。 「運命はすべてダイスしだいだぜ」  駿はひったくるようにダイスをつかむと、高くはねあげた。それが数度のバウンドののち着地すると、御門の六面体もまた、数値を表にしていた。 「ボクにはこれしかない。チャージを与え、攻撃!」 「いくぜ、対抗!」  2Dの結果が5以下なら御門の、6以上ならば駿の無傷の勝利である。  一投目は、平均を下回る「2」。 「さっきと逆になっちまったな。今度はオレが4以上で勝つわけだ」 「……」 「信じてるぜ、オレのダイス」  駿はダイスをとった手で、鼻をこすった。緊張に汗がにじんでいた。 「いけ!」 「でるものか!」 (4以上、出て!)  くしくも――いや必然だが――、さきほどの願いを裏がえした言葉が三人から発せられる。御門は今までにない真摯な思いで、勝敗をにぎる物体を見つめていた。  だが、半透明の赤い輝きをはなつ女神は、持ち主の魂をあらわすように素直であった。 「なぜ、ボクがこうまで負けるんだ……?」  ドラゴン、王子、鏡蟲。3体の死亡を認めて捨て山へ飛ばす。口惜しさがはっきりと見てとれるほど、なめらかな美しい手がふるえていた。 「オレの運がいいからさ」  駿の表情は真剣だった。それゆえに御門は反感をいだく。 「運だけで、勝てるものか!」 「あたりまえさ。おまえが負けるとすれば、それはおまえがオレを甘く見ているからだ」 「当然だろう、何の実績もない者などに……」 「それが甘く見てるっていうのさ。はじめから実績を持ってるやつが、どこにいるってんだ」 「……!」 「おまえが強いのは認める。でもオレだって負けない。おまえは、そういう気持ちにならないのかよ?」  沈黙が生まれる。それは闇を呼び、太陽を深い雲で隠した。窓に一粒の雨があたり、風が吹き抜けていく。  竜堂舞美は静かにイスをひき、窓を閉めた。暗さの増す教室に明かりをともし、風に飛ばされた御門の捨て札を拾う。  御門が、吐息した。 「……そうだな。アイツがキミを自慢するのも、わかる気がする」 「え?」  御門はカードを拾い集めてくれた舞美に「ありがとう」といい、2体のユニットを本陣に召還した。<ナーガ>と<七つの海の王子>だ。それに以前から存在するギルマン海賊団が、御門の最後の防衛線である。 (ボクは負けられない。アイツが認める彼にだけは、絶対に負けられない)  目の輝きが変わった。相手を萎縮させる支配者の眼ではない。断固たる決意があふれた、挑戦者の眼である。 (そのためにも、本陣は護らねばならない。カードよ、きてくれ)  一枚いちまい確認するようにカードをひき、大きくうなずく姿に、駿は御門の変化を知った。こうなればあとはもう、戦うだけである。 「進軍、百獣の王、バブーン、シルバーファルコン、ワールウィンド。即召は<グレイ・ウルフ>。もし先攻がとれれば、チャージをつけて攻撃力は14だ」 「ボクの方は――」  「<鉄と鋼の王>と<鏡蟲>を召還する」御門は七つの海の王子を最後におき、ダイスをとった。 「先攻をとれば、オレの勝ちじゃないのか?」 「ううん、<滅びの粉塵>があると思うけど……」  二人の会話に、御門は内心で笑った。「そんなものはない」と、自分にあざけたのだ。  ダイスは自らの行為を知っているのだろうか。その結果が追いつめられた者を、さらに一方的に痛めつける、業のごとき行為であると。  猛獣を操る少年のチャージ付与命令、そして突撃命令。それは圧倒的な暴力の具現化である。牙と爪とが大地と海を血に染め、多くの命を奪っていく。倒すものと倒されるものの境界はくっきりと別れ、身を凍らす惨劇が視界をうめるのだった。  だが、彼らは耐えたのである。 「そうか、ナーガの種族変更があったか!」  鏡蟲はドワーフと化し、鋼の王を護る楯となる。それでも攻撃はおさまらぬが、海を疾駆する王子だけは、仲間の犠牲によりその身を救われたのである。 「さすが御門、ねばるな」 「次はキミが苦しむ番だ」  予言めいた言葉に疑問をいだきながら、無傷の駿の軍勢はC2<砦>へと戻った。C3<砦>のコカトリス、ウィンターウルフ、グレイウルフはR3<泉>へと移動し、本陣のJクロコダイル、Jタイガー、JエイプがC3<砦>へ移る。その後の召還フェイズで、本陣に<エレファント>と<プレイン・ランナー>が登場した。 「これで勝敗は決する」  御門は2枚のカードをC2とC3の下へすべりこませた。<吹き抜ける風>が、<砦>を建造主の手にかえしていく。 「レベルオーバー分を破棄しろってことか。でも、勝敗を決するほどのダメージじゃないぜ」 「続きがあるのさ。キミは儀式スペルを使わない。だから、ボクもこの地形はいらない」  御門の人差し指と中指に挟まれた1枚のカードは、R1<雷が鳴る前に>の下に流れた。それと同時に大地は鳴動し、火柱があがり、すべてを灼きつくす。  王都は炎上した。  森も草原も川さえも火の海と化し、動物たちは逃げまわる。駿の仲間たちのおよそ1割が、この大火によって失われた。  大地を焦土となさしめた当人は、手薄となった本陣の防備を固めていた。<ポイズン・トード>と、最後の<ウォーター・ドラゴン>によって。 「こちらの山札はもうない。さぁ、来るがいい。それとも判定勝ちで勝負をやめるか?」  駿は判定勝ちになど逃げるつもりはない。8枚になった手札の2枚を捨て、C3とC2に再び<砦>を配置し、戦場をつなぐ。本陣からエレファントとプレインランナーが、R3からコカトリスがC3に集結し、ウォータードラゴンを待ちかまえる。本陣には<マンモス>と<プレイン・ランナー>がおかれ、最終決戦の準備を終える。  御門は静かだった。音もなくドラゴンをC2<砦>に進ませ、本陣に<ナーガ>を召還する。無言のターン終了である。 「どのみちもう最後だ」  駿はC3のエレファントを進軍させた。即時召還は<百獣の王>と<サーベル・タイガー>。御門には何もいない。  少年が隊列を決めると、ダイスが二つ、音をたてた。  獣たちの咆哮、突進。 「こいつらを倒すには、5以上をださなきゃいけないんだぜ」 「ボクはキミに勝ちたいんだ」  御門の声は強くも大きくもない。しかし込められた覇気と決意は、駿と舞美の心に響く。  彼は一度かたくダイスをにぎり、はなった。願いを吸いこみ、運命は走る。 「で、出た……」  確率1/3。不可能な数値ではないが、認めたくないものだった。  駿は大きくため息をはき、善戦した3体を葬った。それからC3のコカトリスとプレインランナーを本陣に戻し、かわりにマンモスをC3<砦>へ送った。カードを補充し、終了。これで駿も山札がつきた。 「最後のターンだ。ウォータードラゴン進軍。即時召還は<七つの海の王子>」  御門は最後の最後で最高のパートナーを召還した。しかし、駿も切り札を残していた。 「オレは<ジャングル・エイプ><ラー><ウルヴァリン>」  召還が終わると、隊列変更タイミングだ。御門は王子、ドラゴンの順、駿はなぜかマンモス、ラー、ウルヴァリン、エイプとおいた。  舞美が疑問に思いたずねてみると、「モンモスだけが残って<シェル・トラップ>をくらうのはイヤだ」と駿はこたえた。いったんは納得した舞美だが、ふと気づいて鋭いツッコミをいれた。 「でも、<シェル・トラップ>を持ってるなら、エイプにチャージをつけたら終わるわよ」 「あ、そうかぁ」  駿は頭をかいた。ならばウルヴァリン、マンモス、エイプ、ラーとすれば、相手が先攻をとったときにかぎり生き残るはずだ。もちろん、御門が<シェル・トラップ>以外の魔法なりアイテムなりを持っていないという条件を満たせばであるが。 「決まったかい?」 「あ、ごめんなさい……。わたし、口はさんじゃった……」 「気にすることはない。この勝負は、ボクが勝つと決まっている」  御門は険のとれた、穏やかな顔をしていた。 「つまりオレが勝つには同時しかないわけだな?」 「そういうことだ」 「なら奇跡を起こしてやるぜ」  最後のダイスロールである。二つが同じ地点でぶつかり合い、はじけ、それぞれが異なる面で天をあおいだ。 「ボクの先攻。ドラゴンにチャージをつけて攻撃」 「今のところ対抗はない」 「では、ジャングル・エイプに<ミラー・イメージ>。防御力は3点になる」 「そこで対抗、ラーがウォーターの攻撃力を下げる」  御門はわずかにトゲのある笑みをひらめかせ、手札を1枚公開した。  パーティ1つの攻撃力と防御力を入れ替える水魔法、<シェル・スクリーン>であった。 「ボクの勝ちだ」 「それを出されたらなぁ……。まいった、降参」  駿はいさぎよく負けを認めた。舞美はまるで我がことのように気落ちしたが、ふと目にとまった御門の表情が、重い心を軽くした。 「いや、ボクの負けだよ。キミは勝とうと思えば勝てたはずだ。だがキミは確実な勝利を捨ててまで、ボクの挑戦を受けてくれた。だから……、ボクの負けさ」 「あぁ、<王都炎上>のあとか? あれは違うぜ。オレ、判定勝ちに興味ないからああしたんだ。つまんねぇじゃん、逃げて勝つなんて」  御門は一瞬だけ呆然とし、そして、納得したようにうなずいた。 「御門」  駿の呼びかけに、優れた彫刻家でさえ造りえないような容姿を持つ少年は、柔らかな気持ちのまま顔をあげた。 「また、ゲームしようぜ」 「……ああ」  少年は、少年を受け入れた。  舞美には御門の心がわかった。彼女がはじめて草野駿と出逢ったときと、きっと同じであろうと。あたたかく、安心感で満たされたあのときの自分と同じように、少年はほほえんでいたから。きっと、そうだと思う……。 「雨、あがりそう」  舞美のつぶやきのさきに、かすかな光が見えた。                 3  その後、御門は人が変わったように素直で、天使を思わせるような少年になった――という事実はない。御門は御門であり、以前と同様、尊大な態度は改まらなかった。たとえば駿が秋葉原へ誘ったときなど、「あんな汚らしい場所は二度とごめんだ」と断り、では学校でやらないかといえば、「周囲がボクを解放してくれないものでね」と取り巻きの女生徒に微笑を送っていた。桑原大介などが、「あいつにときどき殺意を覚える」と物騒なセリフをはくほど、御門に変化はなかった。  しかし、人は変わるのである。  何かがきっかけで。  誰かがきっかけで――  御門との勝負をした次の日曜日、真田と出会った駿と舞美は、彼の話を聞かされた。 『勝てる勝負を捨ててまで楽しさを追究する愚者がいる。運だけで何とかなると思っている、脳天気な者がいる。そんな者に関わってゲームをしたボクもまた、バカ者だった』  真田とのインターネット対戦のあと、御門はそう言ったそうだ。だが駿は、落胆しなかった。なぜなら、その言葉のあとに逆接がつくのを知っていたからだ。それは願望ではない。確信だった。  真田は少年のまっすぐな瞳にこたえた。 『だが、ムダな時間ではなかった』  少年は照れくさそうにカードをきった。真田のデックをかえし、本陣と手札の準備をする。 「よかったね、草野くん」 「あいかわらず、素直じゃないよな、あいつ」 「でも、そのうち彼もここへ来るよ」  ダイスを転がしながら、真田は予言めいた発言をした。  駿は大きくうなずき、その日を楽しみに待つ。これで雨宮士郎が加われば、もっとおもしろいことになるだろう。そして二人をやっつけて、一番になるのはどんなに気持ちいいだろうか。……そういえば、ただひとつ残る疑問、御門がいう“アイツ”の正体は、いったい誰だったのだろう? 「草野くんの番だよ?」  竜堂舞美にうながされ、少年は現実へかえった。となりの少女は疑問符つきの微笑という、まれな表情を浮かべている。 「どうしたの?」 「うん、ちょっとね」  駿は相談しなかった。たぶんもう、御門に尋ねたりもしないだろう。御門が変わって、ともにモンコレを続けていけば、答えはいずれ見つかるはず。そのとき、みんなと現在を笑い話にでもできれば最高だ。だからそのときまで―― 「いっしょにいような、竜堂」 「えぇ!?」  少年の思考の軌跡を知るすべのない少女には、誤解するしかない言葉だった。  すっとんきょうな声をあげる舞美に駿はいぶかしみ、真田はなんとなく二人のすれちがいを感知し、笑った。  日曜日。  東京・秋葉原。  日常は、日常のように流れていく。  人と、季節の移りかわりをのせて――                  <モンスターコレクション・ノベル 完>  モンスターコレクション・ノベル  第九章・あとがき  第六章からはじまった「御門編」、ここに完結です。と、そんな大げさなものではありませんが、ひと心地ついた気分です。ついでに申しますと、モンコレ・ノベルも、とりあえずここで終了とします。キャラクター的には書きたい話があるのですが、モンコレ的には限界に近いのです。とくに「外伝1」あたりから、ゲーム小説としてのレベル低下はいちじるしく、また、デックのアイデアもつきています。次の新カード「黄金樹の守護者」がよい刺激を与えてくれれば状況はまた変わるでしょうが、以前ほど“魅せる”試合展開をつくれる自信はありません。モンコレがゲームとして楽しいのはたしかですが、だからといってゲーム小説としておもしろくなるわけではないのです。ですから、ここで幕をひきたいと思います。  本編の話に戻り、「結局こういう展開になった」点については、やはり筆者がそれを望んでいたからで、後悔はしていません。元来わたしは、「ハッピーエンド」が好きな人間ですし、はっきりしない結末もイヤなのです。とくにモンコレは既成のゲームであり、楽しいものなのですから、楽しいエンディングが一番だと思いました。読者のかたにはまた違う観点がおありでしょうが、ひとつの答えとして認めていただければ幸いです。  御門のいう“アイツ”とトーナメント優勝者について。  これだけが最後に残った謎ですが、じつは謎でもなんでもありません。筆者のなかでは、出てきた当初から特定の人物が定まっていました。もし続きがありえるなら、登場する機会もあるでしょう。  草野駿と竜堂舞美について。  この小説をはじめた当初は予想もしていなかったのですが、いつの間にか二人が主役のような扱いになっていました。外野に畑野聡子やら桑原大介などが現れて、すっかり学園ラブコメです。筆者としては、けっこう楽しく書いていたのですが、読者にはどうみられていたのでしょうか。気になるところです。  ……参考とした「ガ○ード・○ン」と「テ○ファ・ア○ィール」には最後まで近づけませんでしたが――もとから違うというウワサもありますが――、やはり駿と舞美は二人をモデルにしているので、このさきも仲良くしていてほしいですね。ちなみに御門シンくんは、イメージ的に「カ○ス・ノ○ティ○ス」がはいっているつもりです。一部では「伊○院レ○」とも言われていますが……。  タイトルについて。  第一章が「草野駿」で、最終章(予定)の今回も「草野駿」としたのは、結局、この少年がいたからこの小説が成り立っていたと思ったからです。その昔のマンガ「ウ○ングマン」でも、第一話と最終話は同タイトル(「正義の味方」)でした。はじまって、終わって、またはじまる……。それがタイトルに込められているのでしょう。筆者もまた、同じ気持ちです。  ……しかしこんなことなら、第八章のタイトルも無理やり人物名にしておくべきでした。残念。  その他の人物について。  とくに語ることはありません。本当に今回が最終回とはかぎらないわけですし。ただ、冴木彰と美浦真夜は少しくらい出したかったな、と思いました。この二人のコンビも、なかなかにおもしろかったですから。  デックについて。  駿の「ジャングル」デックは、第一章のときのままです。<白いジャングル>などが入った改良版にしようとしたのですが、駿の決意から考えるとそぐわないので、当時のままとしました。もちろん<ジャングル・キング>などもなく、純粋な戦術だけを必要とするものです。少年は「今なら使いこなせると思う」といいました。これは真に戦術能力が問われるデックなのです。みなさんも、一度原点にかえってみてはいかがでしょうか?  御門のデックはありがちな<ウォータードラゴン>デックです。弓矢などのアイテムが恐いので、<ギルマン海賊船長>などがはいっています。かわったところでは<王都炎上>が組み込まれていますが、かなり戦えるデックですので遊んでみてください。  このデックを選んだ理由は、本編で御門が言ったように、彼が駿を軽視していたという設定だからです。それに最終章(予定)の勝負が、数ターンで終わってしまうような儀式デックでは、つまらないですしね。  試合展開について。  最後の<王都炎上>ですが、本来はC3だけを<吹き抜け>て、使用するべきだったかもしれません。けれど物語的には、あれでよかったと思っています。駿の潔さ、御門の心境の変化が出せたのですから。  小説エラッタ情報。  第二章「冴木彰」に、二ヵ所ほどルール的に間違いがあります。当時から発見されていたのですが、筆者の無精がたたり、今なお修正されていません。一つ目はともかく、二つ目はかなり書き直さなければならないので、申しわけないと思いつつも見てみぬふりを決めこんでいました。機会をみて修正するつもりですから、しばらくお持ちください(2001年現在・修正済)。  また、その他にも小さなミスや誤字・脱字がありましたので、並行して直していく予定です。かさねてお詫びいたします。  最後に。  まさかこれほど長く続くとは、筆者も思ってもみませんでした。筆者はいつも、「読み物としておもしろいもの」を読者のかたに提供できればいいと考えながら小説を書いているのですが、今回はいつのまにか筆者が楽しいだけのアマチュアらしい作品になってしまいました。ですがそれを後悔しているわけではありません。むしろアマチュア的だからこそ、キャラクターは活きていましたし、またここまで続けてこられたんだと思います。  そんな筆者のわがままな作品を応援してくださった読者のかたがたに、今はただ、お礼を申しあげるだけです。  ありがとうございました。  今度は対戦スペースでお会いしましょう。                  1999年7月30日  筆者・七雲ひろし  追伸:気まぐれで再開したときは、笑って迎えてください。  主題   「モンスターコレクションTCG」(富士見書房)  参考   「銀河英雄伝説」「創竜伝」「遊戯王」「機動新世紀ガンダムX」「新機   動戦記ガンダムW」「勇者王ガオガイガー」「真田十勇士」「ジョジョの   奇妙な冒険」「ときめきメモリアル」「餓狼伝説」「ワールドプロレスリ   ング」「刑事コロンボ」「ウイングマン」