モンスターコレクション・ノベル 11    第8章 双璧相い討つ(ソウヘキアイウツ)                 1  午後6時00分、チャイムが鳴った。部活動の終了、つまり学校での一日を終える合図が、聞きなれたメロディーとして少女の耳に届く。茜色がさしこむ窓のむこうに、鳥の群れが風をつかんで飛んでいた。  竜堂舞美は自然が描く一瞬の絵画から自分をとりもどし、スケッチブックを閉じて専用の棚におさめた。周囲でも帰り支度がはじまっており、今までの静寂にたえかねたように、部員たちのおしゃべりが美術室をつつんでいた。  舞美は窓の鍵を確認しようとしたが、ふと校庭よりさらに奥まった場所に眼をむけてしまった。サッカー部専用のグラウンドだ。部員がボールの片付けやコートの整備に走りまわり、雑用のない上級生が部室へとひきあげていた。  中学のころはもっと近くで見られたのにな。舞美は窓に手をあてて、どうにか人間と確認できる広いコートを見つめた。だが、残念には感じるが、現在と過去を交換したいとは、彼女は思わなかった。ただ遠くでうらやましく見ていたあのころと、現在を比較すれば、圧倒的にこのままのほうがいいに決まっている。 「舞美〜、帰ろうよぉ」  呼びかけられてハッとし、少女はふりかえった。舞美が知るかぎり、草野駿をこえる明るさと脳天気さを持つ人物は、この声の主以外いなかった。  1年F組・畑野聡子である。舞美とは中学時代からともに美術部員として絵を描き続けていたのだが、二人が友人となったのは中学校生活三年目の、おろしたての夏服にそでを通したころだった。二人はクラスメイトでもあったが、それまで舞美は人とのつきあいが苦手であり、聡子は影の薄い彼女にさして興味を持たなかった。二人がはじめて会話をしたのは、ほんの小さなきっかけが、いくつか交わった結果である。  舞美はその日を、鮮明に覚えていた。 「ねぇ、竜堂さんて、ちょっと変わったよね」  放課後、聡子と舞美は二人きりであった。美術部顧問よりのありがたい指示で、美術準備室の掃除を任されていた。絵の具や粘土などのにおいに混じり、梅雨の湿っぽさとほこりが鼻を突く場所での、しかも掃除などという面倒きまわりない作業は、聡子にとって拷問にも等しかった。ゆえにその質問は、退屈な時間を楽しく過ごすためのものであったが、このところ舞美個人にわずかだが関心がわいてもいた。  それまで聡子からみた舞美の印象は、「つまらない」の一言だった。いつも独りで、静かに、さみしそうに絵を描いている姿しか思い出せなかった。ときおり窓の外を眺めて、ため息がこぼれそうな表情をする。何の楽しみもなさそうな、悲しそうな横顔しか聡子は知らない。いや、知らなかった。つい一週間ほど前までは。 「え? そ、そうかな……」  舞美はそれまで親しくはなかった人物から意外な言葉を聞き、対処に困惑した。 「そうだよぉ、ついこの前まで陰気を背負って教室のすみに埋もれてるような感じだったのに、なんかときどき楽しそうな顔してるもの」  聡子に悪気はない。ただ「神経」と「遠慮」と「謙虚」を同時期に喪失しており、いまだ発見されていないだけだ。だが舞美はそんな彼女の性格を知らないので、快くはいられなかった。  聡子はそれと気づきあわてて謝罪したが、顔は笑っていた。 「ごめん、ごめん。あたしよく無神経って言われるの。だから気にしないでね。……で、話を戻すけど、いいことでもあったの?」  舞美は聡子のキャラクターを瞬時に理解した。彼女がようやく友達となれたクラスメイト、草野駿に似ているのだ。明るくて、活発で、邪気がない。舞美が憧れる、まぶしい輝きを持った少女だった。 「いっつも寂しそうに校庭を見てたのに、最近は嬉しそうにしてるでしょ? だからちょっと気になったの」 「あ……、うん……」  舞美は話そうかな、と思った。けれど戸惑いも皆無ではなかったので、言葉につまってしまった。 「もしかして、校庭に気になる人がいるとか……」  聡子としては話題のうちきりが、現実の退屈を意味する。断固阻止が彼女の望みであった。そして、望みはかなえられる。  舞美は「えぇ!?」と聡子の記憶にない声をあげ、てきめんにうろたえた。  見逃しようもない態度に、美しい黒髪を持つ少女の目が輝いた。 「そっか、そっか。なるほど、う〜ん、いいわねぇ」  どれをとっても意味不明なうなずきに、舞美は赤面するしかなかった。きっと追い打ちをかけてくるだろうと気分が下降する少女に、だが聡子は別の話を持ちだした。 「竜堂さんさぁ、いい絵、描くよね。こないだのコンクールで入賞した絵、あたし好きよ」 「え?」 「同じ教室で絵を描く人間としては、悔しいけどね。かたや入賞、かたや予選落ちっていうの。……でも、あの絵、いいなと思った。絵に心をこめることができるとしたら、きっとあれがそうなんだろうなって」 「……」 「でも、なぜか、嬉しそうじゃなかったよね。相変わらず自信のかけらもない顔で、下をむいてた。それなのに、最近の竜堂さんて――」 「……友達、できたから」  「え?」続けるべき言葉をさえぎられた聡子は、窓際でほほえむ少女を見つめた。茜色が染める柔らかな肌に、小さな自信と勇気と優しさを含んだ輝きがあった。それはまさに、人を魅入る微笑であった。 「友達が、できたから」  舞美はくりかえした。聡子はしばらく呆然と少女に見とれていたが、彼女の言葉の意味と気持ちの深さを感じとり、自然と笑顔になった。 「じゃ、あたしも仲間に入れてもらおうかな? いい、舞美?」  そのときのあふれんばかりの感動を、舞美は今も心のなかで大切に護っていた。そして聡子は変わらず、舞美にいきいきとした顔しか見せないでいる……。  「舞美、帰ろうよぉ」  聡子はもう一度、ごねるような表情で友人をうながした。舞美はうなずき、カバンをかついだ。 「最近、草野も舞美も元気ないね。ケンカでもした?」  聡子は心配しているのか、からかっているのか不分別に少女をのぞきこんでくる。舞美がいつもどおり「聡子ちゃん!」と訴えてくれば、彼女としては安心できるのだが、今回にかぎってはそうもいかないようであった。 「どうしたの? もしかして、けっこう深刻?」 「……うん」 「なにをしたのアイツ。なんならあたしが――」  「ちがうの」舞美は腕まくりをする聡子に、無理なほほえみをつくった。 「わたし――ううん、草野くんたちにちょっとした悩みが出てね。わたしは平気なんだけど、見てるとちょっと……」 「悩みって?」 「ごめんなさい。聡子ちゃんには、わからない話だから。ごめんなさい」  問いつめたい聡子だが、舞美が話さないというのは本当に自分には理解できない問題なのだろう。彼女は納得し、昔のようにうつむく舞美に、気休めを気休めらしく言った。 「大丈夫よ。草野だってたまには悩まないと、脳が腐っちゃうからね。それに悩み慣れてないんだから、そのうちあきるって」  そういう問題だろうか。舞美は胸中のツッコミは音声化せず、それでも気持ちはいくらか和らいでいた。 「……うん、草野くんなら、大丈夫よね」  かすかな笑顔が重い雲の合間からのぞいていた。聡子はそのかわいらしさを見つけると、つい悪意のない悪意をもたげてしまうのである。今回は、頭の後ろで腕を組み、わざとらしい吐息をもらした。 「あ〜ぁ、のろけられてる気がする」 「聡子ちゃん!」  明日は日曜日。また、秋葉原での一日が待っていた。                 2  草野駿の脳裏から、御門シンの言葉は離れなかった。それは苛烈でも高圧でもなく、強くなるため、うまくなるための真実を、言語化しただけのものであった。だが、求めていた答えを眼前につきつけられたとき、少年は鋭気を刺激され喜んだりはしなかった。これまでのすべてが否定され、幸福と思えた日常に陰りを感じたのである。  少年は学んできたはずであった。自らの意志で強くなる道を選び、思考錯誤し、結果を積み重ねて成長してきたはずであった。しかし今の少年の目に映る景色は暗く狭い迷路であり、心は出口を求めてあがいていた。  「御門の真理宣言」から、二週間が過ぎた。駿は学校内でも何度か御門に声をかけたが、彼は一度だけ「強くなってから来るがいい」とにらみつけ、それ以降は冷然と無視した。真田との関係も、“アイツ”と呼ぶ人物も、勝負へのこだわりも、なにもわからぬまま時だけがながれていた。  駿の心はくすぶる。出口どころかはけ口さえ見つからず、自分を元気づけようとしてくれる舞美に、応えてやる余裕もなかった。  駿がこのありさまである以上、他のメンバーが明るいわけもない。鳥井哲也はあれから秋葉原に姿を見せなくなり、海原源一郎は無愛想に輪をかけていた。美浦真夜はテーブルにほおづえをつき、ときおり考えこむように吐息している。 「おいおい、いったいどうしたってんだ?」  三週間ぶりにあった仲間の様子に、冴木彰はとまどった。いつもなら冗談と騒乱の二重奏が、モンコレ・カードを楽器にして奏でられるというのに、演奏者はむしろ楽器をわずらわしげに扱っていた。 「……いろいろあってね」  真夜は先ほどからずっと自分のデックをながめていた。彼女が戦うために選んだカード、勝つために求めたカード、ウソのない喜びと悔しさを感じたカード。しかし彼女のなかで、感動は薄れはじめていた。  真夜がそれ以上語らないのを見て、彰は帽子のうえから頭をかき、となりのテーブルで、やはりカードと「にらめっこ」している少年の前におちついた。そして「なにがあったんだ?」と、めずらしく真剣な顔でたずねた。  駿はため息をついてカードをかき集め、あの日の出来事を思い出せるかぎり正確に話した。最後に、「結局、ムダな努力だったのかなぁ」という覇気のないつぶやきを添えて。  うつむく少年を前に、彰は緊張感をといて言い放った。 「くっっっっだらねぇ」  彼は全身でため息をつくという芸当をやってのけ、まじめに聞いて損したとばかりに、大きく身体をのばした。 「おまえらな、それくらいでなんで落ちこむんだ? そのクソガキが真田さんの名前を出して、偉そうに当たり前のことを言っただけじゃねぇか」  そばにいる駿と舞美だけでなく、となりのテーブルにいる真夜と海原にも、冴木彰のあきれはてた声はとどいていた。四人は顔をあげ、端正な容姿の青年に視線を集中した。  “当たり前”  それこそが四人の心をつつむ黒い霧であった。彼らは知っていたはずだった。さまざまなデックと戦うことが経験につながり、ひいては強く、うまくなるのだと。しかし、いつのころからか、納得のいく“ゲーム”を求めるようになっていた。なるべく対等に、できるかぎり正々堂々と戦う暗黙の了解をつくって。それは弱者を救う手段にはなっても、強者を産みだす母体とはならないというのに……。  真夜たちは御門の宣言に、おのれの甘さと弱さを同時に貫かれたのだ。その痛みは、若い彼女たちにはきつい。 「でもわたしたち、バランスをくずすカードは極力使わないようにしてるし、デックの構成だってあるていど決まってる。そんなんじゃ、たしかに強くなれないわよ」 「だから?」 「だ、だから、わたしたちなんて、大して強くないんじゃないかと……」  だんだんと沈んでいく真夜の姿に、彰は帽子をとって頭をかきむしった。反論は山ほどあるのだが、言葉としてまとまらないもどかしさが、彼をいらだたせた。 「とにかく、そのクソガキと勝負してみろよ。勝てるかどうかなんて、運しだいなんだからよ」 「運で勝っても、しかたないでしょ?」 「いや、そうじゃなくて――ああ、どう言やいいんだぁ」  うっとうしい前髪をかきあげ、奥歯を強くかみ、眉根をよせて彰はわめく。楽しいはずの一日が、なぜこうも崩れてしまったのだろう。彰は真夜の笑顔が、駿の真剣な姿が、舞美の妹のようなかわいらしさが、海原とのゲームが、鳥井との談笑が好きだった。かわらない休日であるはずが、終わってしまった。無性に腹立たしく、悔しかった。 「チッ……」  しばらくしておちついた彰は、帽子のつばをおろして席を立った。よどんだ気持ちを整理するため、外気にふれて一人で考えたかった。  だれも彼をひきとめなかった。彰はまた舌打ちして、ちょうどよくあがってきたエレベータに乗りこもうとした。が、よほど意識が拡散していたようで、降りる人間の存在に気がまわらず、彼は一人の青年にぶつかってしまった。 「ああ、わりぃ」 「いえ」  相手の青年は、生来のものであろう微笑を浮かべて、彰の非礼を受けとめた。  店を出た彰は空を見上げ、ひと雨きそうな雲の厚さにため息をこぼした。彼が声をかけたのは、そのときである。 「彰」  ふりむいた彰の前には、彼とともに“秋葉原の双璧”と謳われた男がいた。 「哲也……」  呆然とする彰を前に、鳥井哲也は凝り固まった、威圧する瞳を光らせた。 「ちょうどいい。彰、オレと戦ってくれ」  雨が一粒、アスファルトを湿した。                 3  スーツ姿の青年は、穏和な顔に温かなまなざしで少年に呼びかけた。聞きなれた声に、駿だけでなく真夜も舞美も海原も彼の姿を確認した。 「真田さん!」  彼はゆっくりと駿のテーブルにつき、カバンからデックを取り出した。「ゲームをしよう」と誘うときも、いつもと変わらない彼がいた。  駿は困惑の大きさを感じながらも、おさえられない欲求の一部を口にした。 「……ヨーヘイさん、御門って知ってる?」  少年の質問は、真田に大きなショックをもたらしたりはしなかった。かすかに反応したとすれば、駿の様子と彼が御門を知っている事実に対してであろう。真田はカードをシャッフルしながら、肯定した。インターネットで知り合い、モンコレの通信対戦をやっていると。  パズルのかけらが、ようやく組み合わさろうとしていた。駿は鼓動の強さを自覚しつつ、“裏”トーナメントと戦績についてたずねる。周囲の人間も、自然、真田の解答に胸を高鳴らせていた。 「残念だけど、わたしはトーナメントには出ていないんだ。仕事の都合があってね。それと戦績は、はっきりとわからないけど、五分五分かな」 「じゃあ、“アイツ”は? 御門がしきりに気にする“アイツ”って知ってる?」 「アイツ……? さぁ、誰のことだか。わたしは彼とはゲーム以外では面識がないんだ。わたしのほうが逆に聞きたい。御門くんがどんな人なのか、それに君たちがどうしてそんなに暗い顔をしているのか……」  少年は冴木彰にした話を、もう一度くりかえした。胸中では、真田と互角の勝負をする御門に対する憧憬と嫉妬、また、トーナメント優勝者や“アイツ”に関する興味が渦巻いていた。  「御門くんらしいね」真田は苦笑ぎみに破願し、自分をとりかこむ四人を見回した。 「それで、みんなそんな顔をしてるのか。……うん、それじゃ、ゲームをしようか」 「……!」  駿たちは真田のアドバイスを期待していた。けれど、彼は導いてはくれなかった。シャッフルを終えたカードの束を少年の前にさしだし、かわって相手のデックをきりはじめる。 「ヨーヘイさん、なにも言ってくれないの?」 「なにをだい?」 「なにって……、御門が言ったことについてとか……」 「駿くんにはもう、教えることはないよ。だからこれからは、自分で考えるんだよ」  「ヨーヘイさん……」真田の笑顔の後ろに、自分を突きはなす冷たい感触があった。すくなくとも駿はそう感じ、泣きたい気持ちがあふれていた。  少年の憧れであった青年は、そんな若者に気づいてやれなかった。山札をセットし、本陣をおき、手札をそろえ、ダイスを放る。 「どうした、駿くん? ゲーム開始だよ」 「……」  駿はマットにおかれた自分の知力の結晶を、黙って見下ろしていた。とてもゲームを楽しめる心理状態ではなかった。 「やる、やらないは自由だよ。勝つか負けるかも、結局、自分の意志だ」 「!」  駿は驚いて顔をあげた。真田の声が、言葉が、表情が、少年の心に遠い昔を、いや実際はほんの一年ほど前を思い出させた。あの日、あのときの真田との交流が、はっきりとわきあがっていた。 「駿くん、自分の意志で、決めるんだよ」 「……そうか、そうだった」  少年の瞳に、光が戻りはじめた。 「じゃ、ゲームをしよう」 「……うん!」  駿は身体中がふるえるのを感じた。なつかしい興奮があるのを感じた。カードをめくる一瞬の緊張と、ダイスに一喜一憂する気持ちを思い出した。  勝つ・負けるは、勝敗をさすのではなく、“意志”をさすのだ。真田はそれを、ふたたび駿に教えたのである。勝負に勝ち、満足して初心を貫く意志をなくすか、それとも意志を忘れず高見を目指すのか。勝負に敗れ、自分の限界にみきりをつけてあきらめてしまうのか、それとも強い意志で立ちむかうのか――。決めるのは自身であり、自由であり、意志の強さである。草野駿に誰にも負けないものがあるとすれば、それこそが「強くなりたい」という“意志”であった。冴木彰が少年に技術を教えるのも、美浦真夜が弟のようにかわいがるのも、海原源一郎が少年と戦うのも、鳥井哲也がカードを与えるのも、真田洋平が少年を導くのも、すべて草野駿の強い意志を知り、認めているからであった。強い純粋な意志の力は、少年に与えられた誰にも負けない宝石なのだ。光を放ち、周囲を惹きつけ、皆の光をも吸収して、さらに輝くのである。  そしてその光をずっと見つめ続けてきた少女がおり、彼女だけは曇りかけた宝石が、いつか再びきらめくのを信じていたのだった。 「よ〜し、ヨーヘイさん、勝負!」  まるで太陽のように光と熱とエネルギーを放ちはじめた少年に、舞美は目頭が熱くなった。大好きな少年が、大好きな姿をとりもどしたのだ。問題はまだ解決したわけではないが、それこそ問題ではない。草野駿が草野駿であれば、竜堂舞美には何もかもが許せるのだった。  急激に元気をとりもどす少年と、それを喜びあふれる顔で見守る少女、そして絶えないほほえみを与える青年。三人を眺める真夜と海原は、怪訝をおもてにだしていた。だが同時に、心の氷塊に陽があたるのを感じた。駿の太陽が、二人にも“元気”というエネルギーをそそぎはじめていたのだ。  駿の本陣に、<アース・ドラゴン>が召還された。                 4  突き刺すように降りはじめた雨のなか、冴木彰と鳥井哲也は秋葉原駅前にいた。駿たちをさけるため、別の対戦スペースがある店へ足をむけたのである。  れっきとした電気店の店舗がつめこまれたビルであったが、昨今は、ホビー商品を扱う店が多く開業していた。二人が入った場所も有名カード・ショップの支店であり、彼らは家路につく前に、よくここでモンスターコレクションのシングル・カードを物色していた。  “双璧”は奥のスペースを借り、無言のままデックをとりだした。彰は彼と話し合いからはじめたかった。が、それを拒絶する意志が鳥井の両眼に宿っているのを知り、まず戦うことを選んだ。 「いくぜ」  先手・鳥井哲也はR1に地形<ストーン・サークル>を、L1に地形<十字路にそびえる塔>を配置し、召還フェイズに入る。本陣に<現在の女神ベルダンディ>と<どくろの騎士>が現れた。 「いい手札まわりだな」  彰は苦笑まじりに強力な陣容を感嘆したが、鳥井は一言もなく、真剣なまなざしで新たな手札を見つめていた。  当然、彰としてはおもしろくない。以前なら真剣勝負でありながらも、軽口とハッタリの応酬があり、どのような結果でもおたがいを高めていたと思えた。しかし20日ほど時をへだてて再会した彼は、翼を折られ、見えない鎖につながれもがく鷹のようであった。大空をはばたけない、見上げることすらできない鷹が、鷹でありえるのだろうか。彰は友として、好敵手として、彼を解放しなければならなかった。  彰は帽子を目深にかぶりなおし、手札を次々とテーブルに並べていった。L4に地形<雷が鳴る前に>を、そのまま召還として本陣に<虹を紡ぐ天使>と<アクアマリン・バックラー>と<空に舞う天使>をおいた。 「おまえも、儀式を使うようになったか」  鳥井ははじめて口もとをひらめかせた。 「なに言ってんだ? このデックは1年くらい前からあったぜ。おまえの知り合いの、大杉を倒したときのやつさ。まぁ、すこしは手をくわえたけどな」 「……」 「哲也、どっかのクソガキに何か言われたらしいが、気にすることはないぜ。たしかにオレたちにはオレたちのルールがあった。だけど、だからといってオレたちが弱いという証拠にはならないだろ? よく考えてみろよ、モンコレっていうのは――」 「口より手を動かせよ。ターンは終わったのか?」  鳥井は聞く耳を持たなかった。相手がそういう態度である以上、彰もつっぱらざるをえない。 「終わったよ」  彰は舌打ちして、手札を補充した。  第3ターン。鳥井はまず第1手札調整で<どくろの騎士>と<クォーター・スタッフ>を切り、2枚を手札にくわえた。うち1枚を、L4の下に差しこむ。<吹き抜ける風>だった。  C2に地形<雲ひとつない空>が配置され、どくろの騎士が進軍。ベルダンディはR1<ストーンサークル>へ。儀式でカードをまわすかに思えたが、鳥井は本陣に3体目の<どくろの騎士>と<虹の雫の精霊>を召還し、C2の騎士に<シューティング・スター>を装備させて、「いいぜ」とつぶやいた。  本陣を射程におさめられた彰としては、今のうちにどくろの騎士をつぶしておきたかった。少しでもいい条件で戦うために、手札を3枚破棄し、勝負をかける。 「とりあえず虹天(虹を紡ぐ天使)とバックラーをとなり(L4)にやっておいて、空に舞う天使がC2へ進軍。即時召還は<コボルド・ライダーズ>と<ウィル・オー・ウィスプ>」  対する鳥井は<ゴブリン盗賊団>を呼び、<黄金のマトック>を装備させた。隊列は盗賊団が前である。  イニシアチブ決定ダイスがふられ、机の上で一度はじけてとまった。  先攻・冴木彰軍。  天使は雲ひとつない青空高くから、倒すべき宿敵よりさきに、障害となりうるゴブリンの一団にむけて<裁きの光>をぶつけようとした。だが、宿敵・どくろの騎士はあろうことか天空へと舞い上がり、雷をまとう矢を絞った。  天使はあわてて目標をかえ、不浄なるものを滅する<ターン・アンデット>の能力を行使した。  しかしそれすらも、素早い矢継ぎで放たれた<トルクメンの矢>に阻止されそうであった。 『<ウィンド・カッター>』  天使は叫び、強烈な風の刃により、敵を斬りさく。  どくろの騎士は勝ち誇った。昏い深淵をうつす双眸がかすかに光と熱をおび、肉のない口が薄く開かれる。 『<ジャスティス>』  本来、聖なるものにだけ与えられる<裁き>の力だった。魔軍最強の騎士は、それすらもたやすく扱えるのだ。 「まだだ!」  その声は天使たちを召還し、支配しているマスターのものだった。彼は天使とどくろの騎士の戦いにおびえるコボルドたちに、一本の巻物を広げるように命じた。  もしこれがもう少しはやく発動していたなら、天使は死をのがれたであろう。だが、星の弓を掲げるどくろの騎士は、風をまとう矢をすでに射ていた。  すべては終わり、どくろの騎士は声もなく笑う。そのそばには、雷をまとう矢を回収するゴブリンの姿があった。  冴木彰は初戦の敗北を認めた。手札に残った最後のカード、<黒い翼の天使>を召還し、手札を補充した。 「!」  鳥井は驚いた。同時攻撃発生ユニットと怖れられる、あの墮天使が舞い降りたのである。両軍がなにも考えずに激突すれば、コンボを主体としているこちらが不利であり、せっかくの弓さえ使えない。1/2の確率で同時攻撃をさけられはするものの、だが、鳥井は勝負をかける気にはならなかった。 (あれが手に入れば、いけるんだが……)  鳥井は補充する手札に期待し、それによって敵本陣突入を実行しようとした。  今回の勝負における彼のカード運のよさは、異常とも言えた。数すくないユニットがおり、儀式スペルも充実し、最もほしかったアイテムすらその手にあった。だが進軍するとして、矢の数が不足しているのは否めない。また、相手の即時召還をたたくユニットもほしいところだ。決戦を前に、より勝利へと近づく準備をはじめよう。勝つために、オレはこのデックをつくったのだから。 「<コール・ライトニング>をバックラーのところに使うぜ」  鳥井がダイスを振る。バックラーと虹を紡ぐ天使が、何度か死ねる値だった。 「<ジャック・オー・ランタン>を捨てて、なかったことにする」 「オッケー。次は同じ場所に<ファイア・ストーム>」  またダイスを振る。「3」と「1」。出目は低いが、2体を倒すには充分だった。 「あまいな、<カウンター・リチュアル>。<雲ひとつ>のところだ」  あせったのは鳥井である。彼はそれに対抗する手段がなかったのだ。  「死ね」冴木彰は先ほどの天使の敵討ちとばかりに“運命”を振るう。しかし―― 「2ゾロか……。助かったぜ、先頭のゴブリンだけだ」  鳥井が心からの安堵を手に入れ、ゴブリン盗賊団と黄金のマトックを捨て山に移すと、かたい表情をやわらかい笑みへと変化させていた。  彰はそれに気づき、ダイスへの恨み言をやめてほほえみをつくった。結局、人がそんなに簡単に変われるわけはないのだ。こうしてダイス目に一喜一憂する姿は、以前と同じではないか。  今度は鳥井が彰の様子を認め、気持ちをひきしめなおした。まだ勝負の途中であり、完全勝利への一歩手前なのだ。彰に勝ち、真田をこえ、あの生意気な御門を倒す。それまで気をゆるめてはならない。自分が目指すもののために。  彼は不必要な<ストーン・サークル>をR2に、<雲ひとつない空>をL2に配置してから、<ファーマシー>を提示した。彰は認める以外ないので、鳥井の手札が10枚になるのを黙ってみていた。  次に<フォーチュン>でさらに3枚補充。  そして<ロケート・オブジェクト>を唱え、<トルクメンの矢>と<テルブレットの矢>を回収する。 「さて、仕上げといくか」  ひとり納得する彼の手には、13枚のカードがあった。彰の手札が4枚である以上、対抗勝負で負けることはない。 「進軍、どくろの騎士が本陣へ!」  自信に満ちた声だった。100パーセント勝利を確信した、活力にあふれた宣言であった。  冴木彰は、帽子のつばをおろした。表情を隠し、肩をふるわせた。“秋葉原の双璧”と呼ばれる以前から、彼は勝率が低いわりにゲームのうまさに定評があり、人望もあった。その彼をして、“仲間”という束縛から解放された――彰から見れば結束から逃げ出した――鳥井にはかなわなかった。  ――というのは、どうやらウソのようであった。  彰は笑っていたのである。鳥井が真剣になればなるほど、彼は明るさを武器にするのだ。 「なにがおかしいんだ? オレはまじめにやってんだぞ」 「オレだってまじめさ。でもよ、自分がそうだからって、他人にそれを強要するのはいいことじゃないぜ」  彰は手札を一枚抜いた。それが戦場に現れたとき、鳥井は思い出した。“双璧”と謳われる以前の、冴木彰の異名を。  “秋葉原のサギ師”は、今もなお健在であった。彼は、進軍してくる<どくろの騎士>を吹き飛ばしてしまったのだ。  <カオス・ディメンション>という、混沌の渦へと。                 5  草野駿に快挙の日が訪れる。少年は真田洋平の軍を見事に撃退し、本陣を陥落させた。しかも今までと異なるのは、真田が用いたデックが試合のためにつくられた、いわば一軍であったこと。これは鳥井も真夜も海原も、まだ為しえていない、大金星なのだった。 「そうじゃない、これが駿くんの実力なんだよ」  真田はほほえみながら言ったものだ。  駿は謙虚に「本陣決戦前の同時攻撃のおかげ」と否定するが、勝てた喜びを隠すには顔が正直すぎた。  真田はさらに首を振った。本陣前まで攻めたのは実力であり、同時攻撃後のチャンスを逃さなかったのも用兵のうまさだ。それに、デックの相性がよほど悪くないかぎり、勝敗は相対的なものだ。  “相対的”という言葉を、駿や真夜は何度となく聞いた。しかし具体的な要素は、いったい何なのであろうか? 「一番問題になるのは、二つの乱数要素、そう、“ダイス”と“山札の順番”だよ。いくら強いデックを用いても、この二つに見放されたらどうしても勝てやしないんだ。たとえば――」  <欲深き皇帝>率いるオーク部隊でも先攻をとれないときはあるし、ウォータードラゴンの「津波」で「1」を振ってしまうこともあるだろう。また儀式スペルが使いたいのにストーンサークルが出てこない、矢を撃ちたいのに弓がない――などの状況は起こりえるのだ。だから二つのランダム要素さえうまくかみ合えば、勝てそうにない相手にだって勝てるし、逆にかみ合わないと負けてしまう。モンコレが“ゲーム”であるゆえんさ。真田は真夜への解答をそう結んだ。 「それって結局、オレの運がよかったから勝ったってことじゃん」 「どの要素も、片方だけが不利になるというわけじゃない。両者が同じ条件なんだよ。だからダイスにふりまされないように魔法を入れるとか、カードまわりをよくするために大きなユニットを減らすとか、戦略を練るんだ。駿くんだって、そうしてるだろ?」  たしかに少年のデックは、先攻・後攻にこだわらない造りであるし、ユニットや魔法の数も考えて入れてあった。 「どんなに完璧だと思っても、絶対に勝てるとはかぎらない。わたしのデックだって実は儀式に弱いという欠点があるし、<鏡蟲>のいる弓矢・アイテムデックは今でも苦手だ。……でも、それでいいんだよ。自分がつくりたいものを形にして、ゲームをして、勝てればそれだけで嬉しい。みんなだって、はじめはそうじゃなかったのかい?」 「あ……」  駿と舞美、海原と真夜は、忘れかけていた大切なものを、記憶の奥から見つけた。それは子供のころのおもちゃ箱のような、楽しさだけを詰めこんだ自分だけの夢の世界だった。 「強くなるための手段なんて人それぞれだし、楽しさの基準も人それぞれだ。それを知っていれば、ゲームはいつだって楽しいものだよ」  これからさき、幾度となく彼から勝利し、幾度となく彼が褒めてくれても、駿はやはり真田洋平には勝てないと思った。駿にとって、真田は道しるべなのだ。迷ったとき、困ったとき、辛いとき、いつも出口に導いてくれるのは、穏和で絶えず優しくほほえんでいる、この青年なのだ。 「……ヨーヘイさん、オレ、御門と戦ってみる」  決意に満ちた少年の声を、黒髪の青年は真正面から受けとめた。「君なら勝てるよ」とは言わない。「がんばれ」とも言わない。真田はただ、うなずくだけである。  草野駿は、それが嬉しかった。                 6  第12ターン。彰の召還した2体目の<黒い翼の天使>が、ベルダンディのみを守護神とした鳥井の本陣へ足を踏みいれた。  ダイスを振ったのは、鳥井なりの意地だったのかも知れない。彰に言わせれば、「ムダなあがき」とニベもなく一刀両断にされてしまうのだが。 「負けたのは、おまえが弱いからじゃないぜ。もちろんオレが強かったわけでもない。ただちょっと運がよかっただけさ。オレがあそこでたった一枚のカードを持っていた、その差だけなんだ」  勝者の慰めなど、敗者には屈辱でしかない。そう感じるのも、鳥井が本気だったからだ。 「これが“ゲーム”ってものさ。“ゲーム”だからおまえを倒せたし、“ゲーム”だから『またやろうぜ』て言えるんだ」 「彰……」  目の前に、子供のような笑顔を浮かべる男がいた。友人であり、好敵手である、底抜けに陽気な男だった。 「勝ち負けは相対的なモン、といったのは誰だっけか? ……ま、とにかくモンコレはそういうゲームなんだ。だからよ、楽しけりゃいいじゃん」  何も考えていなさそうで、本当に何も考えていない者のセリフだった。けれど鳥井は彰らしいと思い、ついふきだした。 「な、なに笑ってんだよ、ヘンなやつだな」  帽子のつばをおろす彰に、「おまえに言われたかない」と、鳥井は爆笑をむりやり口内におしこめた。 「……メシ、いくか? おごってやる」  嬉しい誘いを、彰がことわるはずがなかった。二人はカードをしまうと、立ちあがり、並んで店を出た。いつもとかわらない風景が、そこにあった。  闇がはらわれ、“秋葉原の双璧”が、また、光を放ちはじめた。  モンスターコレクション・ノベル  第8章・あとがき  約束どおりなるべく早く書きあげました第8章、いかがでしょうか。まだ御門との決着がついていませんが、このステップを踏まないと先に進めなかったのでお許しください。次回はついに駿と御門の対決です。  さて今回、あのシリアス路線をどうしたらまとめられるか悩みました。なぜなら「御門の真理宣言」は、筆者の持つモンコレ論と、筆者自身のプレイ・スタイルの衝突だったからです。 「ルールに則り戦う以上、儀式スペルは反則ではない。(中略)戦略をたて、デックをバランスよく構築し、戦術で切り抜ける。その要素が一つかけても最強たりえない。強いデックをつくりたいならすべてのカードに眼をむけ、うまくなりたいなら多種多様なデックと戦え。(後略)」  これが筆者の持論であり、間違ってはいないと思います。けれどわたしは、儀式を使うことのつまらなさを知っていますし、一部の強力ユニットに頼った戦法もくだらないと思うのです。この矛盾する両者を整合し、かつ草野駿らに“今までを否定する必要はない”と教えるのは、難儀なことです。もしモンコレが将棋や囲碁のように定石を持つものならば、筆者には抗いようもありませんでした。しかし、モンコレは不確定要素を持つ“ゲーム”です。将棋や囲碁が純粋な知略の“勝負”に対して、モンコレは知略と運の“ゲーム”なのです。  そのわたしのもう一つの「モンコレ論」が、今回もっとも書きたかった点です。御門の「真理宣言」を肯定しつつ、真田の言う「勝敗・相対論」も証明し、「モンコレに最強はありえない」、「モンコレは“ゲーム”」であると伝えたかったのです。あいかわらず筆者の力量不足のせいで、本編では読みとれなかったかも知れませんが。  総括。たしかに強いデックは存在します。けれどデックの相性やダイス運、カードまわりによっては、勝敗は絶対のものとはなりません。それを知っていれば、楽しいゲームができるようになると思います。  次に冒頭の竜堂舞美と畑野聡子のシーンについて。  はっきりいえば蛇足であり、そぐわないはじまりでした。ですが竜堂舞美の気持ちがこのさいは必要でしたし、草野少年に対する信頼は彼女一人で支えられるものではなかったというのもはずせませんでした。駿がいて、聡子がいて、はじめて彼女は自分を見つめられるのです。「モンコレ小説」としては、まったく関係がないのでしょうが。  ともかく舞美と聡子のかけあい漫才や、駿の鋭いツッコミなども、筆者のお気に入りの一つですので、道楽だと思ってください。  今回のタイトルについて。  第7章まで、タイトルはすべて個人名でした(外伝はのぞく)。けれど今回、新キャラもなく、また個人名を使う状況ではなかったので、「双璧相い討つ」としました。今後は新キャラが登場しないかぎり、このようなごく普通のタイトルになると思います。筆者のこだわりだったのですが、少々残念です。  さてこのタイトル、というか作品全般に、某SF小説がからんでいるのにお気づきかも知れません。ですが筆者は完全に開き直っているので、読者のかたも発見したら憤激したりせず、独りでほくそ笑んでください。あくまで楽しむのが、この小説の目的なのですから。  ちなみに前回の最後にあった「“双璧”は意外な結末をむかえる」という一文ですが、狙ったようにむかえませんでした。いつものことですので気にしないでください。  デックについて。  鳥井のデックはかなり悩みました。ご存知のとおり、筆者は儀式スペル否定派ですから、いざ自分が使うとなると、どうしていいかわからないわけで、しかも鳥井のカラーを出さなければいけません。結局、強いデックにすればいいんだな、と一人納得して今回のものになりました。  内容は、儀式でカードをまわして一撃で相手を倒す、「オレは一人でゲームをしているんだよ」デックです。相手を無視した究極のつまらないデックですね。そのくせカードがまわらないと、「あ、ダメだ、投了」とあっさり負けを認める人が多いので、さらにムカツクわけです。  冴木彰のデックは、彼の言葉どおり対・大杉戦で使われたものを改良しており、あいかわらず<カウンター・リチュアル>がいい味を出しています。  <黒い翼の天使>は、彰のシンボルカードです。  最近のモンコレ業界について。  納得いかねー。  次回については、すでにお話ししたとおり、御門対駿をメインにすえます。これで「御門編」は終了予定ですが、やはり筆者は何も考えていないのでした。  次回は少し時間がかかると思いますので、ご了承ください。  今回もありがとうございました。では、次回までさようなら。                  1999年7月17日  筆者