モンスターコレクション・ノベル 3    第三章 美浦真夜(ミウラマヤ)                 1  まったく緊張しないといえばウソになる。誰でもはじめの一歩は怖いのだ。ただ、自分の場合は性別上のリスクがある。いや、本当はそんなものはなく、自分で縛っているだけかも知れない。けれどこの一歩が、高揚感に包まれたものではなく、ただの畏怖であったのはたしかであった。  ――なんて、思うわけがない。彼女・美浦真夜は、そんなものを何千光年も彼方の顔見知りていどにしか扱っていない。男/女、若い/老い、有名/無名など関係ない。勝てば官軍・負ければ賊軍、それがゲームのいいところだ。  ここ、秋葉原の片隅にあるゲーマーのための店に、はじめて現れたときから彼女はそういう女の子だったようだ。“ようだ”とつくのは、それに気づいた者が皆無であったためだ。  外見は、年齢に逆らわない高校生そのまま。大人の気配をごくごくまれに見せる以外は、明るさと活発さを武器に、自分の席を確保している。物おじしない性格と、場をなごやかにする雰囲気が好かれ、彼女のまわりはつねに賑やかだった。ただし、それが彼女のすべてでないのは、人が人を知りうることの難しさを、証明するがごとくである。 「わたしの勝ちね。じゃ、本陣はもらうわよ」  魅惑というにはいま三つの微笑で、彼女は相手の本陣を手にした。確認し、失望以上・不満未満の表情を浮かべる。つまり、持っていて損のないていどのカードだった。  彼女は少々うっとうしくなってきた髪を後ろへ流し、手にしたカードをため息まじりにケースにおさめた。コンプリートへの道は、果てしなく遠く、険しい。  モンスターコレクションをはじめたきっかけなど、考えてみればいくらでもあった。ゲームが好き。マンガが好き。絵が好き。物語が好き。仲間と遊ぶのが好き……。そしてその過程――もしくは結果――で、モンスターコレクションに惹かれたのである。さらに精確さを必要とするなら、その中の一枚<セルフ・ポートレイト>のイラストに魅せられたのだ。  今では、そのカードは手に入れている。しかしそうなると、他のすべても集めたくなるのが人情だ。それに、この場所の雰囲気とゲームが嫌いではなかった。  そういった理由で、真夜は二週間に一度の割合で、独り、ここへきていた。できるなら学友たちと楽しく交換なり、対戦なりしたいのだが、彼女たちは相手にしてくれなかった。なかには、メ○テンやポ○モンをしている者だっているのに……。 「あとクラブカード18枚か、ほど遠いな……」  真夜はぼやいた。当初ここへきたときは、女性が珍しいのか、皆がちやほやしてくれた。頼まれもしないのに、カードをくれた人もいた。なんで男ってのは、と思ったりもしたものだが、今ではちょっと懐かしかった。  ともかくカードのフル・コンプリートを目指す。それが目標なのだが、もっとも効率のよい方法を彼女は行使できなかった。つまり自分で「買う」だ。  高校生のこづかいなど、たかが知れている。だからといってアルバイトは校則で禁止されており、またその時間も惜しい。他にもほしいものはたくさんあるし、遊びにだって行きたい。となると、トレードしかないのだが、すでにそのタネもつきていた。クラブカードは、ほとんど1種類1枚しかなく、複数あるものは交換にはだしたくないカードだった。  そうした消去法の結果、ルールに則ってカードをいただく方法にいたったのである。けれど、この道はさらに厳しく、勝率の63%は自分でも大したものだと思うのだが、いかんせん手に入るカードが思惑どおりにいかなかった。ぜいたくは言わない。クラブカードであればいい。だが、運がよかったのは、ただの一度きりだ。その<クラーケン>も、今は<ゴースト>に成長――彼女の主観によれば――している。  本日三戦目を終えて、一息ついているとき、軽薄男がやってきた。 「よ、調子はどうだい」 「収穫ゼロ。気分は誰かのせいで最悪」  帽子の上から頭をかきながら、冴木彰は彼女の前に座った。真夜は、本気で彼を嫌っているわけではない。ただ、つかみどころのない男ゆえに、やりにくいだけだ。どこまで本気か、どこまで冗談か、彼女の眼力では計れないから対処に困る。簡単いえば、手の内を知るのは好きだが、知られるのは不快なのだ。  ふと、彼の異名を思いだした。それは“サギ師”である。真夜の目から見て、彰は強くなかった。勝率が二割という数字からもはっきりしている。だが不思議なことに、彼が勝つときは決まって、ワン・チャンスで勝利をもぎ取るのである。つまり彼が敵陣へ攻めこむのはたった一度。99%負けていても、1%の勝機を見逃さず、しかも手にいれるのだ。その様子はあたかも魔法のようで、見物客をわかせる。だが、それゆえ負けた対戦者にとっては、サギにかかったようにしか思えないようだ。そして、好評より、悪評が広まるのが世のつねで、いつの間にか陰で「秋葉原のサギ師」と呼ばれるようになったのである。それについて、本人に自覚があるのかないのか不分別だが、案外この男はそうやって楽しんでいるのかも知れない。一度でも対戦してみれば本質がわかるのだろうが、真夜はどうも生理的に戦いたくなかった。  しかし、それも過去のこだわりになりそうである。 「それじゃ、そのおわびをするよ。……ここに、<黒い翼の天使>がある。これを本陣において、残りの49枚をきってくれ」 「本陣をあかしたうえで、勝負をいどむの?」 「こうでもしないと、キミは相手をしてくれないからね。……どうする?」  さわやかな笑顔を浮かべる彰だが、真夜は知っている。彼の本陣が天使であったときは、絶対に負けないという信じられない戦績を。もっとも、<黒い翼の天使>は「デーモン」であるのだが。  おもしろい! 彼女は生来の勝負師だった。それと気付いたのはここへ通うようになってからだが、本気の勝負はつねに彼女を熱くさせた。  真夜の目に輝きを見いだすと、彰は帽子のつばをはねあげ、ダイスを取りだした。  カードマットがひかれ、紺の戦場が用意される。  おたがいのカードがよくきられ、山札位置にセット。  勝負開始。  真夜は学校や平時にみせる女の子の一面を捨て、一人の召還術師へと変貌した。「りりしく、雄々しく、たくましく」などと冗談まじりに彰が評する、将軍の顔だ。  先手・彰。ユニットに恵まれないのか、<羽虫の群れ>と<エルフ魔法剣士団>を召還してターン終了。  後手・真夜。本陣・C4に<ヒドラ>と<マーブルビートル>、<マーブルスパイダー>を呼びだす。 「お、“鉄壁”の本領がもう登場かい?」  “鉄壁”とは、彼女の異名である。彼女のデックは護りに徹底したもので、それをうちやぶる難しさからそんな名がついた。難局に強く、また理にかなった戦術を使うので、彼女に興味本位で戦いをいどんで後悔した男はいくらでもいる。 「やめてよ、その名前!」  当然、彼女はそれを歓迎していない。どうせなら“疾風”とか“魔術師”などの単語なら、いくばくかセンスが刺激されただろう。それが、よりによって“鉄壁”である。だが、彼女はこのデックを崩すつもりはなかった。自分にあったデックを破棄するのは、最高の部下をみずから殺す愚将である。  彰は軽くあやまると、第一手札調整フェイズで<カウンターリチュアル>を捨て、一枚補充した。それからC2に<代理地形>をおき、エルフ魔法剣士団と羽虫の群れを進ませた。本陣・C1に<空に舞う天使>と<ジャックオーランタン>を召還して終わる。  なぜ、ランタンまで召還したのだろう? 真夜は考察してみた。  1、手札に即時召還ユニットが多い。  2、同じく、魔法およびアイテムが多い。  3、ランタンを召還したということは、炎系スペルはない。ただし、エルフ魔法剣士団がいる以上、確定ではない。  4、自分がヒドラを進ませるのが目に見えているはずだから、それを打ち破れるほどのユニット、もしくは魔法がある。  5、「4」に続くものとして、即死コンボの可能性がある。ただし即時召還できる即死コンボとなると、<セイレーン>などだろうか?  6、手札に<魔力のスクロール>があるので、「5」の可能性に対して用心の必要はない。だが、対抗に対抗を重ねられた場合はその限りではないが。  そこまで考えて、真夜は自分でも納得できない顔をした。なにより相手はあの“サギ師”と誉れ高い男である。ましてや一部では、将来はさらに成長して、“結婚サギ師”になる男として目されているほどだ。 “結婚サギ師”!  これほどこの男の天職はないだろう。真夜は自分が横道にそれているのを自覚しつつ、笑いをとめられなかった。 「おいおい、なに笑ってるんだ?」 「……アキさんの将来に、思いはせていたのよ」  真夜は皆と同様、彰を「アキさん」と呼ぶ。やはり一部で、“飽きっぽいアキさん”などと呼ばれているのだが、これも彼は知っているのだろうか。いや、知っていても気にするようなタイプではない。真夜は勝手に結論づけていたが、彼も否定しないだろう。  いぶかしむ未来の“結婚サギ師”にかまわず、真夜はC3に<代理地形>をおいて、マーブルビートルとマーブルスパイダーを先鋒として送った。何があるかわからない以上、様子を見なければならない。  本陣には<ギルマン・ライダーズ>と<スライム>をおいてターン終了。 「用心深いなぁ、真夜ちゃんは」 「なれなれしく呼ばないで」 「じゃ、オレのこともなれなれしく呼ばないで」 「小学生じゃないんだから……」  真夜はガックリと肩を落とす。彼女の弟分・草野駿は、彰のカッコイイところをしきりに説明してくれた。誰も勝てなかった相手を、例の“魅せる”試合で葬ったというのだ。しかも決めゼリフまではくという、おまけつきで。だが、真夜はそんな彰をウワサの中でしか知らない。ちょっと興味があるのだが、目の前にいる男にそれを求めるのは、きっと間違いなのだろう。  そんな考えにひたるうちに、彰はC3・代理地形に進軍していた。  <エルフ魔法剣士団>、<羽虫の群れ>、<サキュバス>、<ブラウニーズ>が、彰の兵隊だ。  対する真夜は、<マーブルビートル>、<マーブルスパイダー>、<ギルマン・サーファーズ>である。  おたがいが顔を曇らせ、ダイスを振った。 「それじゃ、まずサキュバスがギルマン・サーファーズを――とやめて、ブラウニーズをつけてマーブルビートルを破棄する」  真夜は内心でホッとしながらも、表面では顔をしかめてビートルを捨て山へ移動させた。  その後、サキュバスが<ファイアボール>を唱えるが、サーファーズの<魔力のスクロール>に打ち消され、あまつさえダイスの女神の気まぐれにより死亡。  残りは攻撃。マーブルスパイダーがエルフの攻撃をおさえ、それ以上の被害なく彰のタイミングは終わる。  そしてディフェンダーで殴られ、あえなく全滅。 「さすが鉄壁」  彰はそう褒めたが、真夜には釈然としないものがあった。あの“サギ師”が、こんなに簡単にやられるのだろうか、手加減でもしているのではないか、と、どうしても疑ってしまう。「本気でやってる?」と、つい口を滑らせたのも、そのためだった。 「なんで? オレが手抜きして意味があるのか? こっちは<黒天>がかかってんだぜ」 「でも、ウワサにきくサギ師が、こんなあっさりと……」  誰がサギ師だ、と応じたうえで、彰は帽子のつばをさげた。 「……シナリオは、すでにできている」  視線を落としたまま、彼は<空に舞う天使>と<ジャックオーランタン>をC2・代理地形に、本陣に<ラミア>、<エレファント>を召還する。  どうやら彼は本気らしい。ラミアとエレファントのコンビなど、その証拠として充分だ。真夜は納得して、次の戦いにむけて準備をはじめる。  本陣からC3・泉にギルマンライダーズを移動。後攻がとれれば、サーファーズともども強い攻撃力がえられる。それに「天使+ランタン」コンボがきても、<封印の札>があり、くわえて魔力のスクロールもまた手にいれている。完璧だ。  本陣には、もう一体<スライム>が登場。防御力14+aは、どうやっても破れまい。こちらも問題なしだ。 「いいわよ、アキちゃん」  自信が高揚を呼び、高揚が彼女の用兵家としてのメガネを曇らせる。いや、本来の彼女がこうなのだ。感情に素直な、不安定な女の子という姿が。 「今度は“ちゃん”づけか? なんからしくないな……。集中してないぜ。そんなんじゃ、倒しがいがない」 「ヘェー、倒せるつもりなんだぁ」  ゲーム中はめったに見せない、素顔の笑みだった。  自分でも、いつもと違うような気がした。緊張感がまるでなく、ただ純粋に楽しいと思う。それがいいのか悪いのか判然としないが、これもたぶん「冴木彰」という対戦者の雰囲気に巻きこまれているせいだろう。これで勝てれば爽快だろうが、負けたときはどれほど悔やむのだろうか……。  彰は考えてしまった。このまま“勝ってしまって”いいのかどうか。負けるつもりなどさらさらないのだが、こんなにも楽しそうな彼女を、一気にどん底にたたきつける権利が自分にはあるのだろうか。相手は年下で、しかも女の子だ。それを……。 「どうしたのよ?」 「……悪い、勝たせてもらう」 「!?」  真夜の心臓が、高鳴りはじめた。  彰は第一手札調整フェイズで、3枚を捨てた。ここで取る3枚のうち、一枚でもレベル2以下のユニットで、かつ攻撃力が1以上あると、彰は勝ってしまうのである。  一枚目。レベル1、属性・土、攻撃力0! <ブラウニーズ>  二枚目。アイテム、消耗品! <魔力のスクロール>  三枚目……。  彰は祈っていたのかも知れない。ここで、目的のユニットがでないことを。  しかし、冷徹で、奇抜で、卑劣な戦略家がつくったデックは、彼の期待をけして裏切らないのである。 「……シナリオが、完成したぜ」  真夜の心と身体が、動きをとめた。  彰は、4枚のカードをテーブルに投げだした。ダイスを振るまでも、隊列を決めるまでもなく、勝負は決まった。  その4枚は、<リザードマン突撃隊>、<ジャックオーランタン>、<ディスペルマジック>、そして<リザードマン斬込隊>だった。  真夜は、はじめのうちは意味がわからなかった。だが、戦場を見渡し、自分の本陣と、C2にいる<空に舞う天使>をみたとき、すべてを了解した。 「な…なんだ……、ホントに、強かったんだ……」  真夜はうつむいたまま乾いたように笑い、それから本陣をさしだした。<鉄と鋼の王>だった。 「いつでも取り返しにきな」 「……当然よ」  そう、それでこそやりがいがある。美浦真夜には、カード・コンプリートという目的と、打倒・冴木彰という目標ができたのだ。当分、退屈しないですみそうだ。真夜は、心の芯から興奮していた。 「今度は、負けないからね」  顔をあげた真夜の頬と耳が、赤くほてっていた。だが、彰はそれにはふれず、ただ帽子のつばをはねあげて、ひとこと―― 「がんばりな」 「いわれなくても!」  真夜はさわやかな気分で、さっそく今回の敗因について研究をはじめようと思った。                 2  真夜がデックの調整を終わらせると同時に、男が声をかけてきた。 「“鉄壁”のお姉さんですか?」  真夜は思いきり「違う!」と叫びたかったが、その前に彰が「そのとおり、この方こそ“鉄壁”のお姉さんだ」と胸をはって答えたものだから、彼女は赤面するしかなかった。いったい誰が“鉄壁”などと言いだしたのか、犯人を捜してやりたかった。 「で、君は?」  “鉄壁”の名づけ親である彰は、そんな彼女の気持ちも知らずに応対している。 「前川っていいます。ここに守り主体のデックを作ってる人がいるって聞いたものだから、一度戦ってみたくて……。相手してくれますか?」  前川と名のるその男は、年のころは20歳前後、大肉中背。やや油っぽく、眉の形とメガネのセンスが威圧感をあたえるほかは、それほど悪くはないような気がする。第一印象は、オタク以上・変態未満といったところか。ただ、敬語を使っていても、口調はわずかながら高圧的だった。 「この姉さんは硬いぞぉ」  彰はそう冷やかしながら、前川青年に席を譲った。  「やるとはいってないのに……」とぼやきながらも、真夜はカードをきりはじめる。 「いっとくけど、本陣賭けよ」 「ええ、いいですよ。なんなら、お好きなのをどうぞ」  前川はデックとは別のカードの束を、真夜に見せつけた。カードの種類もさることながら、彼の表情がもっとも真夜の気をひいた。  負けるつもりがない笑み。人を値踏みする笑み。皮肉の笑み。真夜はいつの間にか、奥歯をかんでいた。 「……オレ、むこう行くわ」 「ありがとう」  このやりとりを、前川はどう見ただろう。彰は、真夜につまらない男と勝負させてしまった自分を後悔した。こうして彼が退いたのも、謝罪の意味がこもっている。自分がそばにいると、さきの試合のようになってしまうのではないかと危惧したのだ。ああいう相手には、お姫様ではなく、冷徹な将軍であるべきだ。彰は真夜に、態度でメッセージを送ったのである。 「準備はいいわね」  真夜の声は氷のようにするどく冷たい。  自分が女だからと、興味本位で勝負を挑んできた男たちはたくさんいた。人の身体をなめるような視線でみまわし、自分が男だから強いというような言葉をしらふで吐きだす、偏狭で浅慮で狭量な男たちが。その鳥肌たつ気持ち悪さと不快感は、加害者はけして知ることがない。  彼女はそれを、男に教えなければならない。  このゲームには腕力や気迫、美しさや優しさなどいらないはずだ。ただ己の知略とひらめき、ダイスの気まぐれを操作する運があればいいだけだと。それを“女性”という個体への興味だけで戦いを挑み、“女性ゆえに弱い”と考えるような男に、たたきこまねばならないのだ。  前川は、突然変貌をとげた目前の女性に、息をのんだ。ようやく自分が、危険な相手と戦おうとしていることに気づいたのである。  先手は真夜。C1・本陣に<スライム>、<ギルマン・サーファーズ>、<マーブルビートル>を召還してターン終了。  後手の前川は、真夜のユニットを見て、人心地がついた。 「なんだ、“鉄壁”とかいうから、どんなユニットかと思ったら――」 「“たいしたことなさそうだ”?」  真夜の口調は柔らかかったが、目はさめきっていた。前川は直視できず、口をつぐむとカードに視線を落とした。  前川の本陣・C4には、<ケンタウロス騎兵隊>と<エレファント>がおかれた。  第3ターン。真夜はC2に<代理地形>を配し、敵のエレファントを見てからスライムとマーブルビートルを移動させた。そして本陣に<ヒドラ>を召還する。  前川はニヤリとし、C3に真夜と同様<代理地形>をおき、エレファントを進め、本陣に<ファイアドラゴン>を呼び出す。 「炎のブレス!」  真夜に、怒り以外の感情がはじめてあらわれた。しかし頭の中で計算を立て、カードと見比べると、再び表情をかくした。  真夜はC3・<代理地形>にスライムとビートルで進軍。即時召還で<ギルマン・サーファーズ>をおいた。後攻になれば、防御点は12だ。  前川はほくそ笑むと、<リザードマン突撃隊>と<リザードマン斬込隊>を呼んだ。 「イニシアチブを取っても取らなくても、オレの勝ちだね」  脂ぎった頬が、皮肉を形づくる。  真夜は反論しかけてやめ、いさぎよくダイスを振った。  結果は、彼女の予想をまったく裏切らず、最悪の形で報われた。  真夜は全滅した部隊に、いつまでも落ち込んではいられなかった。C2へとヒドラとギルマン・サーファーズを送り、本陣に<ウォーター・ドラゴン>と<ナーガ>を召還した。  この2体は、まさしく彼女のかなめだった。前者は細かい敵の一掃のため、後者は唯一の「対抗即死コンボ」を構成する片割れである。 「ナーガ・コンボか……。細かいので叩けば問題ないな」  前川はメガネの位置をなおし、その手でユニットを進軍させた。  C2・代理地形に、C3のメンバー――エレファント、リザードマン突撃隊、斬込隊――がそのまま移動。対する真夜の部隊は、ヒドラとギルマンサーファーズ、それに<アクアマリンバックラー>を先頭に召還した。  こういうタイプの男は、儀式スペルはいれない。それは長い経験からえた、たしかな洞察力のたまものである。たぶんこの男のデックには、攻撃力が高いユニットが数多く存在し、力で押しきるつもりなのだろう。わざわざ“鉄壁”デックを狙ってきたのも、それを打ち破って優越感にひたりたいからだ。  それは偏見にみちてはいたが、結果的に間違ってはいなかった。前川のユニットのほとんどが、チャージかイニシアチブ修正を持っていたのだ。 「儀式対策を即時召還か。ま、オレのデックにはそんなものはないから、判断は正しい。……いや、単にユニットがないだけかな?」 「自分のデックをばらすとは余裕ね」  真夜の皮肉も、前川の厚い肉には突き刺さらなかったらしい。平然とダイスを振り、先攻を確認すると攻撃を命じてきた。  真夜はここで負けるわけにはいかなかった。なんとか戦場を維持したかった。 「カードを4枚捨てて、サーファーズだけ残すわ。……そして、反撃!」 「チッ、カードを捨てるとは思わなかった。じゃ、象と突撃隊が死亡か。……隊列を間違えたな」  わざと悔しがる前川に、真夜はもう何の感慨もない。彼は今まで戦ってきた七割以上の男と、同列なのだ。過敏に反応する必要も義理もない。  前川のFドラゴンが、進軍を失敗した斬込隊とC3で合流。本陣に<スレイプニール>と<ギルマン海賊団>を召還して終了する。  真夜ははじめに手札を補充すると、C2・<代理地形>にウォータードラゴンを、R2に地形・<雷が鳴る前に>をおき、ギルマンサーファーズを移動させた。本陣には、1ターン目と同じ<スライム>と<マーブルビートル>が姿を見せた。 「なんだ、R2にはそれ一体か? ……いや、即時召還で何かあるのかもな。だが、先攻を取ればオレの勝ちは決まりだ。めざわりなヤツは倒しておくにかぎる」  いったい誰と話しているのだろう? 真夜はため息をつきたい気分だったが、それ以上にむなしさを覚えて、無視を決めこんだ。  R2・<雷が鳴る前に>へファイアドラゴンが進軍。即時召還は、<羽虫の群れ>だ。  真夜は<ポイズン・トード>を呼び出す。  前川の小さな舌打ちが聞こえ、真夜は内心でほくそ笑んだ。真夜は相手の即時召還が羽虫であったことを、感謝したかった。それまで彼女には勝てる見込みが1%もなかったのだ。それが、存外な幸運が彼女にはあったらしい。ただし、彼女の運が本物であるためには、この男に、あるていどのまともな戦術眼があり、かつ、相手に先攻を取ってもらわなければならないのだが。  彼女の幸運は、第一段階はかなえられた。 「先攻か……。殴ると羽虫がカエルに食われるわけだな。……なら、ドラゴンがブレスを使うぜ。これならカエルの対抗は使えないからな」  自分の用兵に勝ちほこる男に、真夜は今度こそ口もとをゆるめた。 「そのブレスは、無効よ」  真夜の手からカードが飛び、<封印の札>がさらされる。前川の笑顔が、硬直した。 「オレが<フラッシュ・デトネイター>を持ってないのをいいことに……!」  無論、真夜はそんな事情を知るはずがない。親切に教えてくれた彼に、「ありがとう」とでも答えてやろうと思ったが、この男にはもったいないような気がしたのでやめた。  ともかく、ブレスは封じられ、羽虫は食われ、ドラゴンはディフェンダーで殴り倒され、前川8レベルの軍は、たった4レベルに惨敗した。  前川の表情が厳しくなった。さっきまでは真夜の雰囲気にのまれ、気後れした様子が見えたものだが、今の彼は違った。自分より弱いはずの相手がこざかしく抵抗し、すばらしい用兵を台なしにしたのだ。それは彼の自尊心を刺激するには、充分な理由となりえた。 「……これで負けられなくなった。そんなデックで、“鉄壁”だと思ってるような相手にはね」 「わたしは“鉄壁”だなんて思ったことは一度もないわよ。でもね、人が懸命に作ったものをけなすような男に、わたしだって負けられないわ」 「……それじゃ、証明してもらおうじゃないか」  前川はC3のリザードマン斬込隊を、C2・代理地形のWドラゴンのもとに送った。そして<碧鱗の王>と、<リザードマン伏兵隊>を即時召還する。  真夜はこのパーティー構成を見て、先攻をとる必然性にかられた。  ダイスが振られ、真夜は斬込隊の+1に泣いた。 「伏兵隊に、碧鱗の王が攻撃力を付与する。それから、斬込隊がアイテム<トリカブト>を使う。そして、伏兵隊の急襲だ!」  “急襲”は、攻撃ではない。ウォータードラゴンの津波は使えなかった。  真夜は一枚のカードを見る。なるべくならまだ温存しておきたかったのだが、このさいしかたないだろう。 「対抗がないなら、おとなしく――」 「<ミラー・イメージ>」 「え?」  前川は、またもがく然とする。 「ウォータードラゴンにミラーイメージ。常識よ」  冷淡にいい放つ真夜に、彼は悔しそうにリザードマン部隊を破棄する。反撃されて死ぬのが目に見えているからだ。  だが、前川の目は、まだ輝きを失っていなかった。  C4・本陣のケンタウロス騎兵隊とスレイプニール、それにギルマン海賊団をC3へ進ませた。  そして、彼の口もとがゆがむ。  本陣に1体だけ召還されたのは、単体で最高の攻撃力と防御力を持つ、あのユニットだった。 「<大砂蟲>?」  真夜は脅威を感じなかった。なにせ、ナーガとポイズントードがすでに戦場に登場しているので、2体を組み合わせれば恐れる必要がないのだ。  真夜のターン。C3・<代理地形>にウォータードラゴンが侵入。先の三人組と戦闘となり、イニシアチブに+2修正がある前川が先攻。  攻撃に対し、Wドラゴンは津波を使うが、<封印の札>により無効。ミラーイメージも手元にないため、おとなしく死亡する。  C2・<代理地形>にスライムとナーガ、ポイズントードが終結する。その一方、R2・<雷が鳴る前に>にはマーブルビートルがギルマンサーファーズと合流している。普通召還は<ギルマンライダーズ>と<ウォータードラゴン>である。  “コンボは細かいユニットで崩せ”。それがモンコレにおける常識である。  前川は、それをきちんと修得している試合巧者だった。  だが、それを実行する前に、前川はR3に<代理地形>をおき、ケンタウロス騎兵隊とスレイプニールを移動させておく。これから起きることへの布石らしい。  そして改めて、C2・<代理地形>へ進軍。C3からギルマン海賊団が単独で移動し、<コボルトライダーズ>、<リザードマン突撃隊>、<リザードマン伏兵隊>が即時召還された。  先攻は相変わらず前川だ。 「伏兵隊がナーガに急襲」  真夜はこれに対して「ナーガ+トード」の対抗即死コンボを用いるしかなかった。これにより伏兵隊が“インセクト”に変えられ、カエルに食われる。  だが、その後の攻撃によって、真夜の軍はナーガを残して死亡した。 「片割れが死ねば、あとは怖くない」  進軍に失敗した前川の部隊は、C2へと帰った。さきにスレイプニールらをどかしておいたため、即時召還ユニットを破棄せずにすんだのである。  大砂蟲が移動できなかったため、普通召還はなく、カードを補充してターン終了。  真夜はナーガをR2へ移動させ、ウォータードラゴンをC2へ。本陣に<ヒドラ>と<マーブルスパイダー>を召還しておしまいだ。  前川は狙いをつけて、一気に大砂蟲をWドラゴンのいるC2・<代理地形>に送った。  勝利を疑わない前川に、だが、真夜はまったく動じない。  先攻の真夜の攻撃は、やはり砂蟲に致命傷を与えるほどにはいたらない。  それを見とどけ、前川の反撃! 「<タイダルウェイヴ>」 「な! まだそんな手を残していたのか!?」  前川は予想外の展開に、色をなした。 「当然でしょ? わたしは勝てない勝負はしないわ」 「じゃあ、こっちならどうだ!」  R3のケンタウロス、スレイプニールと即時召還ユニットの<コボルトライダーズ>が、R2・<雷が鳴る前に>のマーブルビートル、ナーガ、ギルマンサーファーズに襲いかかる。  “鉄壁”美浦真夜は、勝てる算段をつけると、隊列の最前列にマーブルビートルをおいた。  先攻・前川。突撃命令がくだされ、それぞれが、それぞれの“馬”に乗って大地を疾駆する。 「騎兵隊に<極楽鳥の卵>!」 「そんなのは予想済み! コボルドが<滅びの粉塵>!」 「そのコボルドに<滅びの粉塵>、そしてナーガの種族変更で魔法生物に!」 「なんだってんだ、それは!」  前川の絶叫が、フロアにこだまする。まわりの客が、彼に視線を集中した。  その様子を遠くから見守っていた彰は、笑いをこらえている。  鼻息を荒くしていた真夜の対戦相手は、周囲の状況をさとって落ち着いた。まだ負けたわけではない。ああしてカードを使わせてしまえば、もう対抗はできないのだ。なんといっても、こちらにはまだ2体、あいつがいるのだから。  前川はここでの敗北は認め、スレイプニールたちを墓に埋めた。  C3のコボルドライダーズ、リザードマン突撃隊、ギルマン海賊団はR3へ移り、本陣に召還をはじめた。  <ファイアドラゴン>と<オーク騎兵隊>だった。  ターンが譲られると、真夜はウォータードラゴンをC3・<代理地形>にいかせ、C2には本陣からのヒドラとギルマンライダーズが移動する。  本陣に<スライム>、<エレファント>を呼んで、終了。  前川は、ここで考えこむ。手札があまりよくないのだ。普通召還しかできないユニットとアイテムばかりでは戦闘にならない。だが、戦闘をしかけ、陣地を確保しなければ召還もできない。 「イニシアチブ勝負だな」  前川は、R3のギルマン海賊団とリザードマン突撃隊、コボルドライダーズをR2・<雷が鳴る前に>に進軍させた。敵はマーブルビートル、ナーガ、ギルマンサーファーズだ。  真夜はため息をつきながらそれに応じる。隊列もぞんざいなのは、彼女のほうにも気のきいたアイテムがなかったためだ。  前川は見える形で、真夜は内に秘めながら、気合いをいれてダイスを振る。  真夜は先攻がとれて安堵し、前川は舌打ちしたものの、本来の目的であるユニットの移動ができるのでよしとした。  空いたR3に、ファイアドラゴンが舞いおりる。本陣に残っているオーク騎兵隊は、ジャマなのでC3のWドラゴンに倒してもらった。もし魔法でも使ってくれたなら、逆に倒せるチャンスがあったのだが。  キレイサッパリかたづいた本陣に、前川の主力が再び戦場を震撼させる。 「<大砂蟲>、登場」  真夜の顔はほんの少し曇ったが、それだけだった。倒す手だては、まだ残っている。彼女は頭の中で計算し、完璧なシナリオをえると、とりあえずファイアドラゴンの排除へ向かった。  意味もなく<吹き抜ける風>でR3の地形を変え、R2からR3へとナーガとマーブルビートルを進軍させる。そして口もとをゆるめながら、即時召還で<ポイズン・トード>を呼び出す。  前川は「ふざけんなよ」とグチをこぼし、即時召還もせずに、負けるためにダイスを振った。 「よし、ラッキィィ!」 「ウソ……」  その言葉はたがいの口からこぼれたが、片方は死人から生者への、片方は天国から地獄の表情だった。  真夜にとって、起きてはならない同時攻撃だった。しかも、勝利は見えていたので、隊列がぞんざいだったのがさらに事態を悪くした。  前川のファイアドラゴンは死亡。  真夜は、ナーガとトードのコンビを失ったのである。  さすがに真夜は焦った。まだ一枚ずつナーガとトードがあるはずだが、それは山札の中か、もしくは本陣・代理地形になっているのかも知れない。どちらにせよ、今のままで大砂蟲と戦うのは不可能だった。 (せめてカエルだけでもでてくれれば、まだ……)  まだ一枚もでていない、あの魔法に頼ることもできるのだ。 「早くしろよ」  嬉々とした前川の声にハッとし、真夜は戦場に集中した。彼が得心した顔で見ていたのに、彼女は気づかなかった。  C2・<代理地形>へ、R2に残っていたギルマンサーファーズを移動させ、C2のヒドラをR2・<雷が鳴る前に>に進ませる。本陣のマーブルスパイダーもC2へ。これでC2・<代理地形>には、ギルマンライダーズ、サーファーズ、マーブルスパイダーが終結したことになる。あとは戦闘で後攻がとれれば、なんとか大砂蟲は倒せる。だが、確率は五分五分……いや、同時攻撃が発生しても負けるので、真夜は気休めていどにしか考えなかった。  普通召還で、<ドワーフ王国警備隊>をおき、第二手札調整フェイズで2枚捨て、4枚補充した。その中に、彼女の期待する魔法があった。  いけそうだ、と思った真夜に、前川の勝ちほこった声が届く。 「召還がそれとは、ユニットが切れてきたようだね。さて、そろそろ決着をつけにいくか」  その手が大砂蟲をつかみ、1ブロックだけ前へ移動した。そこにいるのは、彼女のかなめのウォータードラゴンだった。 「ま、待っ――!」  真夜は自分の口をふさいだ。勝負である以上、そして相手が好かない人間である以上、こびるわけにはいかなかった。  前川はそれで確信したようだった。このドラゴンさえ倒せば、あとは問題ないと。  やるだけ無駄の勝負だった。イニシアチブで先攻をとれたとしても、何ら喜びはない。  2体目のドラゴンは、砂蟲にのまれて死んだ。 「さ、どうする。まだ続ける?」 「も、もちろんよ。まいったなんて、絶対に言わないわ」  「これでも?」前川は、本陣にファイアドラゴンをおいた。それからわざとらしく、手札の<大砂蟲>を見せる。  3体目!  真夜はもう、勝つ自信が持てなかった。ウォータードラゴンが死んだ今、魔法があっても使えるユニットがいないのだ。いや、いるにはいるのだが、たった1体しかデックにはいっていないので、期待はできなかった。やはりナーガとポイズントードが、うまくでてくれるのを祈るしかなかった。 「手札を全部捨てて、6枚とるわ」  彼女にとっては、ラストチャンスだった。たとえその2体がそろっても、敵は大砂蟲だけではない。まだ攻撃力の高く、細かいユニットたちが残っている。それらを倒し、敵・本陣を落とすには、この第一手札調整フェイズのうちに、ナーガとトードを手にいれなければならない。  彼女は祈りながら、6枚のカードをひいた。山札は、もう10枚も残っていない。 「どう、あきらめる決心がついた? いさぎよく投了しなよ。……惜しいことをしたねぇ。キミが勝ったら、本陣とは別に、好きなカードをあげたのに」  はたさずにすむ約束でなら、人はいくらでも気前よくなれる。このときの前川も、精神的に高揚していたのだろう。つい余裕を見せたくなったようだ。だがそれもしかたあるまい。なにせ、真夜の姿は悲痛を極めていたのだから。 (これじゃ勝てない)  真夜は手にしたカードを何度も眺める。ユニットが3体。魔法が1つ。アイテムが2個。もちろんユニットはナーガでも、ポイズントードでもない。しかもスペルは、いま捨てたばかりのものだった。気休めだろうか、スペルが使える唯一のユニットもいたが、スペルじたいに問題がある。むしろ、その特殊能力のほうが、先手さえとれれば使えそうだ。たいして慰めにはならなかったが。  投了するしかないの? ……いやだ、負けたくない。でも、とてもじゃないけど大砂蟲は倒せない。よほど運がよくなきゃ、勝てっこない! そのうえ、相手の本陣をおとさなきゃならないのよ。どうすればいいの? 本当に、あきらめるしかないの? いやだ、勝ちたい。わたしは負けたくない! 真夜は歯を食いしばり、己の葛藤と戦っていた。  彰はそのとき、離れたところから彼女の手札と、戦場を見比べていた。たしかに前川はおしていた。だが、真夜が負けているとは思えなかった。しかし彼は、それを教えたりはしない。シナリオは、自分で完成させてこそ意味がある。もし自分が手をさしのべたりすれば、それは彼女の勝利ではなくなるからだ。彰はただ見守る。帽子を目深にかぶり、誰にも表情を見せぬように。 「……まだ悩んでるのか? いいかげん、あきらめようぜ。どうせディフェンダーで殴るしか能のないデックでは、勝ってこないんだから」  真夜が鋭い視線をむけたのは、そのときだった。 「……二度もバカにしたわね。わたしががんばって作ったものを、二度も!」  前川は、ゲーム当初の感覚を呼び起こされた。さめた表情、ドライアイスのような眼光、圧倒する気迫、それらが前川という物体にすべてぶつけられ、危うく彼はイスから転げ落ちるところだった。 「意地でも負けない!」  真夜の頭脳が復活をとげた。策略、計略、謀略。いずれを用いてでも、彼女は勝利を手にするつもりだった。そのために戦場を見渡し、状況を分析してみる。その結果、今まで考えもしなかった“ワンチャンス”をそこに見つけた。  チャンスは一度。相手に即時召還が2体以上なく、かつ先手をとること。そうすれば、本陣はおとせる。もし後攻になったら、相手もバカではない以上、確実に負ける。 「いくわ!」  真夜は、R3のマーブルビートルを敵・本陣へ突入させた。即時召還で、手札にあるユニットすべてを吐き出す。 「<サキュバス>に<ドワーフ王国警備隊>、それに<鉄と鋼の王>か……。先手をとり、かつ即時召還ユニットが1体だけなら勝てるというわけだな」 「……そのとおりよ。わたしには、このワンチャンスに賭けるしかない」  真夜は氷の仮面の下で、汗をながしていた。サキュバスが即時召還ユニットを破棄し、残りがファイアドラゴンを殴る。それが真夜の描いたシナリオだった。 「残念だね。そのワンチャンスも、ムダだったよ」  前川は唇を一度なめて、手札からカードを出した。<リザードマン突撃隊>を、そして、<碧鱗の王>を。 「即召ユニットは2体だ。どうだい、これであきらめがついたかな?」 「……最後まで、やるだけやるわ」  真夜にとって、最大の虚勢だった。これで本当に勝つ見込みはなくなった。どうあがいても、ワンチャンスは手の届かないところに飛んでいってしまったのだ。 「……オレの先攻か。隊列は、警備隊、ビートル、鋼の王、サキュバスと。こっちの攻撃力は6+4+4で14だな。これだと貫通か? いや、ドワーフには鋼の王が防御力+4を与えるから、鋼とサキュバスが残るのか。……それでもいいんだけど、<タイダルウェイヴ>があるとまずいな。さっきはそれで大砂蟲がやられたわけだし。じゃぁ、ブレスをはいて、サキュバスと鋼の王を殺して、そのあと殴って警備隊を倒すと、反撃はビートルの6点だけになる……。そのほうがましかな? いや、でも、<封印の札>があったりしたら、やばいぞ」  この男はいつまで考えているのだろう。真夜はいいかげん腹が立ってきた。こっちはやられる決心をつけているというのに、勝手な妄想で迷っている。 「さっさとしてよ。こっちには<封印の札>なんかないんだから。ついでに<ウィンドカッター>もね。魔法は水系が一個だけよ。つかえない水系がね」  “<タイダルウェイヴ>ではない”と言わなかったのは、そこまで親切にしてやる義理がなかったからだ。そしてこれが真夜にできる、最後の“いやがらせ”だった。 「本当に<封印の札>はないんだな? <ウィンドカッター>も?」 「しつこいわね。……だからもてないのよ」  後半のささやきは偏見にもとづくものであったが、どうやら的を射ていたらしい。前川は不機嫌な顔で、異性を睨んだ。 「もし持ってたら、責任とってくれよ。……じゃあ、ブレスだ!」  勝負をしているのに、しかも負けているのに、なぜ責任を追及されねばならないのか? 納得いかないが、ともかく彼女も無抵抗でやられるつもりはなく、できるかぎりのことをはじめようとした。 「まず、鉄と鋼の王が――」  いいかけて、真夜の動作がとまった。心臓の高鳴りが、体内を通じてだけでなく、大気を伝わって耳にも届いていた。気のせいかも知れないが、彼女はたしかにそれを感じるだけの事実に思いいたったのである。  ブレスがやんだあと、戦場には真夜の軍勢がまだ残っていた。鋼の王によって防御力+4の修正をえた<ドワーフ王国警備隊>と、後攻のため攻撃力と防御力が3倍になっている<マーブルビートル>だ。そして―― 「な、なんで3体も生き残っているんだ? そうか、ミラーイメージだな? だからドワーフが生きているんだ! ……クソォ、だまされた! ……だ、だが警備隊を助けたから、行動完了になっているはず。けっきょく攻撃してくるのはビートルだけだな? よし、もう負けはないぜ」  荒れたり納得したりと忙しい前川に、真夜はゆっくり首をふる。女将軍の笑みで。 「<ミラーイメージ>なんて持ってないわ。それに、警備隊は自分の力で助かったのよ。そして、最後のユニットは、ドワーフだけど鋼の王じゃないわ」 「な、なんだそりゃ? 何が起きたっていうんだ?」  真夜はかまわず、最後に残った手札を捨てた。<魔力のスクロール>だ。手にいれたカードのなかで、唯一使われなかったのが、これだった。 「説明しろよ。どうなってんだよ?」 「あんたが負けたんだよ」  真夜の背後から、彰の声が割りこんできた。 「オレが負けた? そんなはずない!」  声を荒げる前川に、彰は一つだけ質問した。魔法はあるか、と。あれば、おまえの勝ちだと付け加えて。  前川は、首をふった。  彼はそれを聞くと帽子のつばをはねあげ、真夜は冷笑ではないすてきな輝きを彰に向けた。  真夜はまだ納得しきれない前川に、2枚のカードを見せた。 「<強靭の薬>と……、ポ、<ポリモルフ>!?」  前川は、頭を抱えて悩みだしたが、さすがに経験は豊富で戦術眼もある男だった。すべてを了解し、乾いた笑いをもらしはじめた。  ふと戦場を見れば、彼のリザードマンたちはマーブルビートルの突進によってはね飛ばされ、ファイアドラゴンはあまい夢のなかで崩壊していた。 「シナリオは、完成ね」  真夜は彰に笑いかけ、彰は安堵のため息をついて帽子のつばをおろす。後攻をとらなければ勝てなかったではないか、と言ってやりたかったが、それは無理だった。彼女の笑顔があまりに輝いていたため、彼は、帽子のつばをあげられなかったのである。  モンスターコレクション・ノベル  第三章・あとがき  ようやくヒロインが登場の第三章。これで男くさい世界から脱出できたわけですが、次の活躍がいつかは皆目見当つかず。出てはくるだろうが今回のような大勝負はしないのではないか、というのがもっぱらのウワサです。  さて、恒例キャラクター紹介です。  “鉄壁”「美浦真夜(ミウラマヤ)」は、多くの人が気付いたと思いますが、あの有名小説の“鉄壁”さんから名前を拝借し、デックを持たせました。ただし人格的には似ておらず、こちらの設定どおりに仕上げました。  ゲームの腕はたしかで、計算もはやく、つねに冷静でいられたら上位グループに入れる“うまさ”があります。逆に冷静さをかくと視野が極端に狭くなり、またデック構成のあまさが歯止めになるときがあります。でも、完璧なデックがないのと同様、完璧な人間もいないので、真夜は今のままで、これいじょう成長させるつもりはありません。  容姿については深く表現しませんでしたが、好きに想像してください。  つぎに大勝負をするときは、もっと冷淡で鋭利な戦いぶりを見せられるようにしたいと思っています。  今回の悪役クン、「前川進(マエカワススム)」氏は、たぶんどこにでもいるような偏狭な人間です。悪い意味でのマニア系で、自分の領域しか見えない男にしました。多少、筆者の性格が混じっているようで、ときどき苦笑しながら彼のセリフを書いていました。前回の「大杉巨史」と似ているように感じるのは、気のせいにしておいてください。  ゲームはうまいのだが、人を見下すようなところがあるので、強いデックは作らず、ある程度のデックで戦うという“なめた”まねをします。構成については以降で。  ……ところで、前川進にはモデルがいるわけではないのですが、以前、某所で筆者はある人と対戦しました。ゲームはうまく、デック構成もムダのない、筆者では少々かなわない相手でした。その人が、なぜか弱いデックを持ち出して、筆者と勝負をしたのです。  わたしはいくらなんでも初心者ではないので、勝つことができました。しかしそのとき彼は、こう言ったのです。 「このデックに勝てなかったら、“モンコレをやめろ”と言うところでしたよ」  わたしは、もう二度と彼に関わるつもりはありません。勝負や実力より、まず人格に問題ある人間に、わたしは親しくあるべき理由を持たないからです。  彼は冗談のつもりだったのかも知れません。ですがわたしも頑固で、偏狭な人間ですので、許せませんでした。  みなさんは、初対面・初心者の人とは楽しくゲームをしてください。そのほうが、まわりの人もまた、楽しいはずですから。  ……脱線しすぎましたが、本編に戻ってデックについて。  “鉄壁”デックは、硬くて、守って、対抗して、反撃するデックです。構成については本文を読めばだいたいわかると思います。ただしこのデックは、真夜のカード運と、戦術能力があればこそであり、他人には使い心地はよくないでしょう。  <サキュバス>が一枚だけ入っていましたが、あれは彰にとられた<鉄と鋼の王>のかわりに組み込んだものです。ですから鋼の王が戻りしだい、サキュバスはいなくなります。たぶん。……もしかすると今回のことに味をしめて、逆に増えているかも知れませんが。  前川進のデックは、「チャージで殴ろう」デックです。登場はしませんでしたが、<鏡蟲>や<魔力のスクロール>などの魔法対抗があり、アイテムを使って戦います。構成はリザードマンを全種類と、イニシアチブ修正を持つもの、攻撃力の高いユニットで作られています。キーカード(かなめのカード)は当然<大砂蟲>です。  次回以降について。  とりあえずデックのネタはまだいくつか残っているので、それにあった主人公を決めねばなりません。登場予定デックは、“誘拐”と“竜騎兵”です。どうも楽しいだけの試合になりそうですが、それも一興。書くほうも楽しみです。  では、第四章でお会いしましょう。                  1998年5月26日  筆者  これが勝利の鍵だ!……<這いずるもの>