第七章 想い                  1  「敵艦隊、全滅しました!」  オペレーターの興奮した声が、艦橋を包んだ。報告するまでもなく、スクリーンに映る 敵の姿はすでになかった。 「すばらしい。たった一〇パーセントの力でこれほどとは!」 「成功おめでとうございます、閣下。これで勝利は間違いないでしょう」  コックスの讃辞に、バリーは大きくうなずいた。 「次は地上のウジ虫どもにも喰らわせてやる。発射準備いそげ」 「はい」  中佐はクロガミに指令を与えようと、〈BIO〉のいるシートに近づいた。彼が眼にし たのは、身体中から汗を流し、痙攣している少年の姿だった。 「閣下、クロガミの様子がヘンです」  バリー総督は血相を変えて、指揮卓から離れ、少年をのぞき込んだ。コックスは彼に道 を譲りつつ、ノーマン博士の監視をしている兵士に連絡をとった。 「……おかしい、通じないぞ」  何度呼びかけても返答がないのをいぶかしみ、コックスは直接ノーマンのもとへ兵士を 派遣した。  一分後、艦橋へ連絡が入った。 「中佐、ノーマン博士が脱走しました。見張りの兵によれば、潜入した敵がいるようです」 「探せ、外には出られないはずだ!」  命令に突き動かされ、彼らは艦内を走りまわった。後続として予備兵から四〇〇名が増 員されたが、人手はとても足りない。緊急警報と放送で艦内全員に注意をうながしても、 全部をフォローするには不足なのだ。 「中佐、どうするのかね?」  危機対処能力の著しく欠落する上官に、唾棄したい気持ちを必死でおさえて、クロガミ を一時休ませるよう勧めた。  バリーは「任せる」と責任転嫁のような了承をし、副官の行動を見守った。  Tモードを解除されると、クロガミは脱力し、シートにもたれた。荒い呼吸が繰り返さ れ、水を求めるように手を伸ばした。  与えるべきか悩んでいるところに、最高責任者のヒステリックな声があがった。 「どうするんだね、戦いはまだ終わっていないんだぞ。艦隊は全滅したとはいえ、このま までは基地が奪われかねんぞ」 「大丈夫です。あれくらいの戦力では陥落しません。もしそうなっても、他の駐屯基地か らはすでに援軍が出ています。いつでも取り返せますよ」  「本当かね?」と食いさがる上官に、コックスは嫌気が差しながらも、説得して安心さ せた。  信頼する部下の保証に、総督は安堵して、クッションのきいたシートに全体重をあずけ る。のどが渇いたので、従卒に冷たい水を頼んだ。  一〇秒を待たずして総督に差し出されたのは、氷の浮かんだガラスコップと、一丁の拳 銃だった。  バリーがのどをつまらせながら、伸びている手の出所を横目で確認すると、明らかに従 卒ではない青年が口もとに笑みをひらめかせていた。 「ほら飲めよ、バリー閣下」  バリーは大量の汗をふきだし、身体をかためる。周囲の味方に助けを求めようにも、声 が出ない有様だった。 「きさま、何者だ!」  コックスがようやく気づいたときには、総督の太い首は青年の腕のなかにあった。 「おっと、動かないようにな。総督の頭が吹っ飛ぶぞ」 「何が目的だ?」 「話が早いな。とりあえず、あんた以外は出ていってもらおうか。話をするにも、どうも この大将は役に立ちそうにないしな」  敵とおぼしき男に捕まり、ただ怯えて震える上官に、コックスはいらだった。語気荒く 部下の退出を命令したのも、敵に対してではなく、バリーのふがいなさが原因だった。  艦橋には、ラッシュとクロガミ、バリーとコックスだけが残された。出入り口の施錠を コックスにさせ、話しあいの場は完成した。 「きさまとはさっき逢ったな。どこの所属だ? ただのネズミとは思えん」 「オレはジャック・バン・ラッシュ。ゲリラ部隊キャメル隊元隊長だ」 「キャメル隊? 聞いたことはある。だが、ゲリラがこんなところまで何のようだ?」 「元隊長って言ったろ。今日は友人を助けにきたのさ」  ラッシュはあごをしゃくり、クロガミを示した。  意外な返答に、明敏な副官も数瞬だけ思考を空回りさせた。総督の暗殺や、〈フェンリ ル〉の爆破などの答えを、当然のように期待していたのだ。 「……クロガミと、どういう関係だ?」 「質問が多すぎるな。今度はこっちの番だ。ロジィって娘がいるらしいが、どこにいる?」  「今度はあの小娘か」コックスはのどの奥で笑った。 「ロジィなら基地の地下室だ。ここにはいない」 「そうか、ではもう用はない。おまえらはさっさと海にでも飛びこむんだな」  ラッシュの拳銃が総督のこめかみに押しつけられると、被害者は情けない悲鳴をあげ、 副官に助けを求めた。  コックスの眉間が、深いシワを刻んだ。 「甘いなゲリラ。閣下は人質になるくらいなら、自決を覚悟するお方だ」  副官は腰のホルスターから拳銃を抜き、ラッシュに狙いを定めた。 「ま、待てコックス! ワシにそんな気はないぞ。さっさとこの場から消えろ。……ラッ シュとか言ったな、ワシの命と引きかえに、おまえら二人は無事にここから出してやる。 そうだ、ロジィもくれてやろう。だから――」  ラッシュが呆気にとられるほど、バリーは自己保身に懸命となっていた。 「おやめなさい閣下、それでも〈月〉の大将ですか」 「黙れ、キツネめ! きさまこの機会に、ワシを殺すつもりだろう?」  「なに?」コックスとラッシュの声が重なる。 「知らんとでも思っていたのか? きさまはワシに隠れて、総統となにやら密談していた だろう。従順な副官のフリをして、ワシを監視していたことなど、とっくに見抜いておっ たわ」 「な、何をおっしゃいます、閣下」 「ワシはな、ここまで登りつめるのに、きさまのようなヤツを幾人も観てきたのだ。きさ まはワシを踏み台にし、最後には総統までも手にかけるような男だ。きさまが〈フェンリ ル〉の改修を勧め、さらに総統に対する反旗を示唆したときから、ワシにはわかっていた。 こいつはいつか、総統になるつもりだ、とな」  中佐はなにも言わなくなった。銃をもつ手が震え、眼光が鋭くなり、頬をヒクつかせて いる。脂汗が首に、背中に滴るのもかまわず、ただ一点だけを睨んでいた。  対照的に、バリー総督は状況を忘れ、おちつきはらっていた。捨て駒であると認識し、 覚悟を決めた強さであるのか、開き直りであるのかは本人にも判然としない。はっきりし ているのは、副官に自分を助ける意志はなく、総統からも見放されているという事実。彼 に残っているのは、生命だけであった。だから彼は、残されたモノを必死で護りたかった。 「きさまはワシにそっくりだ。人を踏み台にして生きていく、寄生虫だ」  高らかに笑う総督は、次の瞬間を予測していたであろうか。 「わたしは、きさまのような無能力者ではない!」  連続して放たれた三発の銃弾が、バリーの腹部を貫通し、シートにめり込んだのである。                  2  クロガミはかすむ意識の中で、総督の死を目撃した。仲間である男によって殺されるの を、義眼に映して。  ロジィの記憶をかいま見た今、人の死を、彼は簡単に容認できなかった。  この戦いに、本当に意味があるのだろうか?  こんなこと、誰が喜ぶのだろうか?  死んでいき、満足なのだろうか?  フェラー博士は、五年前、重傷から目覚めた少年に言った。 『みんなを助けてあげなさい。きみにはその力がある。そしてきみも生きなさい。きみに は生きる権利がある』  少年は自分の身体が生身でないのを知り、嘆き苦しみ、怒りを爆発させた。命の恩人で あるフェラー博士に対して、殺意まで秘めた。  しかしクロガミは博士の深い悲しみにふれ、憎しみを消した。そして〈惑星破壊砲〉を 消滅させたいという博士の願いを受けて、戦闘艇ヴィーザルの操縦訓練を開始した。  時が流れ、クロガミは〈フェンリル〉と対峙する。  少年は『敵』から発せられたロジィの声にとまどい、任務を失敗した。  歴史は独裁者を許し、世界を壊した。  今、少年はすべてをやり直すために、自分の成すべきことをはじめる。  フェラー博士が望んだ世界を、とりもどすために。  クロガミは自らの意志で、Tモードを起動させた。〈フェンリル〉のすべてが彼の心を 縛ろうとするが、かまわずに左眼から信号を送った。  信号は〈フェンリル〉のレーザー通信によって、駐屯基地へ発信された。受信先は、少 年と同じ能力を持つ少女の紅い右眼である。 「聞こえるか、ロジィ」  「くろがみ……?」ロジィは周囲を見渡した。基地の屋上にいた少女には、戦乱と空と 海しか見つけられなかった。 「頼みがある。基地の通信システムに介入して、オレが送る映像を戦争してるバカどもに 見せてやってくれ」 「ヤリカタ、ワカラナイ」 「どこでもいい、通信室に入れ。あとはオレがやる」 「ワタシハ、イラナイノ?」 「おまえの記憶が、必要なんだ。おまえが見てきたものや感じたこと、それを伝えたいん だ」 「コワイカラ、イヤ。ムカシハ、コワイヨ……」  ロジィは想像しただけで、足のふるえを感じた。  クロガミには、少女の気持ちが痛いほどわかった。かつて心を壊すまでに至った過去を 掘り返し、もう一度再現しなければならないのは、苦痛という表現では生ぬるい。今度は、 心を閉ざすくらいではすまないかも知れない。  それでも少年の意志はかわらず、フェラー博士の言葉を代弁した。みんなを助けてあげ なさい。きみにはその力がある。そしてきみは生きなさい。きみには生きる権利がある。 「辛いのはわかっている。だからオレがおまえを助けてやる。そのかわりおまえも、誰か を助けてやってくれ。みんな、生きるべきなんだ」 「イキル、ベキ……」  クロガミの叫びを、ロジィはすべて理解したわけではない。それでも自分ができること を与えられ、自分を支えてくれる少年と出会い、少女は恐怖に立ちむかう勇気を手にいれ た。 「くろがみ、ヤッテミルヨ」  少女はほほえんだ。                  3  ラッシュは事態を予測できた。できていながら、阻止できなかった。  上官を殺した男は、荒い息の中で何事かつぶやき、状況を最大限に利用する思案をして いた。  銃声を聞きつけたのだろう。扉が、外の兵士によって荒々しく叩かれた。 「中佐、何が起きたのでありますか!」  コックスは計算したのか、咄嗟だったのか、銃口をラッシュに向けて叫んだ。 「賊がバリー閣下を殺害した! わたしは閣下の仇をとる。そちらは速やかにノーマン博 士の身柄を拘束せよ」  矛盾を含む指示であったが、兵士たちも困惑していたのか、疑いもなくノーマンの捕縛 に散った。事実、ラッシュが人質のバリーを殺害したのなら、扉を破壊してでも突入する よう命令するのが当然だ。だが現実が異なる以上、バリーの腹部に残された三つの穴を見 られるわけにはいかなかった。少なくとも、犯人となるラッシュが死ぬまでは。 「あくどいな、コックス中佐」  危険な相手と戦うのは慣れていたが、ラッシュは冷や汗をおさえきれない。ここで相手 を殺すの簡単であるが、そのさきの脱出は難しくなるだろう。かといって生け捕りはさら に難儀だ。しかもクロガミはまったく動く気配がない。不利もいいところだった。  おたがいの銃口が、おたがいの心臓を狙ったまま、時はゆっくりと流れていた。小さな きっかけで釣りっていた天秤が傾いたとき、運命は二人に、どのような未来を用意してい るのだろうか。  ラッシュは「運命の女神」とかいう都合のいい女が本当にいるなら、声をかけておくべ きだったと後悔していた。緊張による思考の低下が呼び起こした冗談だが、笑うには少な からず労力を要した。せいぜい乾いた笑みを漏らすのがやっとだった。  それに比べれば、コックス中佐はまだ正しい記憶と認識力を持っていた。 「きみとは、以前どこかで逢っているな。……そう、〈月〉の、研究所で」 「……よくご存じで」  ラッシュのかたい笑みに、コックスは満足した。  T型〈BIO〉の適性試験で、中佐はブルックナーとともに研究所に訪れていた。最終 まで残った人間はわずか六名しかおらず、彼の記憶力にかかれば造作もなく頭のファイル へしまいこめた。 「その黒い瞳は、クロガミの物か?」 「……」 「どうせきさまには扱えまい。無能者が」 「無能者で結構。おかげでオレはおまえらのオモチャにならなくてすんだ」  両者が相手の動揺を誘いたい心境であった。にらみ合ったままでは、ラチがあかない。  突破口を開く会話は続いた。 「きさまはたしか、フェラー博士の担当だったな?」 「それがどうした?」 「聞きたくないかね、フェラー博士の死の真相を」  「なに?」ラッシュの右手に、必要以上の力が加わった。危うく狙いがずれ、コックス に隙をさらすところであった。 「彼はわたしが殺した!」 「!」  コックスの身体が、ラッシュの視界から消えた。同時に、右上腕部に、熱い痛みが駆け めぐる。  銃弾は腕をそれただけだが、唯一の武器は床に転がった。  次の銃声が響く。  武器をあきらめてそばの机に身を隠さなければ、命まで亡くしていただろう。 「くそ、充分予測できたのによ」  机の影で、ラッシュは忌々しく吐き捨てた。ありきたりな誘いにのって、動揺した自分 が情けなかった。ともかく状況が変化した以上、時間を稼ぐ必要があった。クロガミさえ 目覚めれば、逆転の機会はあるのだから。 「おい、クロガミよぉ! いいかげん起きろ。友達が困ってるぞ!」 「ムダだ、クロガミに自我はない。今はただのシステムだ」  オペレーターの机の影を逃げまわるネズミを、中佐は猟師のように追いつめた。左右の 手に、拳銃を握りしめて。 「思えば、こいつもずいぶん役立ってくれた。〈フェンリル〉を墜とし損ねたのを除けば な」 「どういうことだ?」 「話す必要はない。さっさと死んでもらおう」  逃げ場を失ったラッシュは、奥歯をかんだ。逆転の時間を与えるほど、敵は甘くなかっ たようだ。  引き金が悪意によって機能しようとしたとき、艦橋のすべてのモニターに映像が流れた。 「これは――!」  二人のつぶやきに、二人は答えられなかった。                  4  ロジィの記憶は、戦場を駆けめぐった。五年前の大戦、〈月〉第五都市の空襲、死んで いく両親や友人、改造される身体。  イタイヨ、コワイヨ……。  ロジィの悲痛な叫びが、半径一〇〇キロ以内のテレビ、ラジオ、無線、ディスプレイ、 電話と、あらゆるスピーカーから流れた。  人は突然の出来事に我を忘れ、戦いを忘れた。  〈フェンリル〉内でのバウアーと部下の会話、迎撃された〈地球〉軍宇宙戦闘艇、迫り 来るクロガミのヴィーザル。  アナタハ、ダレ?  クロガミの記憶が、ロジィの記憶と混線する。  クロガミの思い浮かべる風景は、フェラー博士からはじまる。 「みんなを助けてあげなさい。きみにはその力がある。そしてきみは生きなさい。きみに は生きる権利がある」  他の〈BIO〉とは異なり、内密に造られた少年は、博士の願いを聞き入れ〈惑星破壊 砲〉の破壊を引き受けた。  ある日、秘密はブルックナー大将に漏れた。  ブルックナーは、〈惑星破壊砲〉の危険性を訴えるフェラー博士に賛同した。バウアー に気づかれぬように、新たな施設を提供し、対〈フェンリル〉用特殊戦闘艇ヴィーザルの 改造にも積極的に資金を援助した。  しかしこれはすべて、バウアーの独裁権力を手に入れるための、ブルックナーの策略で あった。ブルックナーにしてみれば、〈フェンリル〉による全面攻撃が成功されては、バ ウアーの功績は無視できなくなる。そこに現れたフェラー博士の秘蔵品は、彼にとって渡 りに船だった。  フェラーがブルックナーの野望に気づいたときはすでに遅く、クロガミは彼らにとって 都合よく洗脳され、〈フェンリル〉撃墜へむかったのである。  ラッシュは、モニターに映し出される過去の記録に拳をふるわせた。フェラー博士の意 志、クロガミの任務へのこだわり、ロジィという少女の苦しみ。それが戦乱をくぐり抜け た青年にも、強く伝わっていた。 「コックス、博士を殺したのはおまえだったな」  「ああ、そうだ」自失していた中佐は、ラッシュの怒りに満ちた声で正気を取り戻した。 「いろいろと知っている博士がジャマになったのでな。この手で銃殺にしたよ」 「きさま……!」  コックスは銃口をあげ、動くなと命令した。ラッシュにはあらがう術がなく、壁に向け て怒りを発散した。不利な戦局を打開しなければならない。コックスがこの異常な状況に とまどっている間に、どうにかするのだ。彼は視線だけを巡らせて、策を練った。 「……しかし、これはどうしたことだ? まさかクロガミが暴走しているわけでもあるま いが」  独語するコックスが、ラッシュに起死回生の機会を与えた。そうだ、左眼を使えば打破 できる。イチかバチかの要素しかない、きわめて無茶な賭けだが。  それでも彼は、実行した。  映像は再び、クロガミの視点からロジィのものになった。  〈フェンリル〉が艦首を開き、〈惑星破壊砲〉のエネルギーをためる。  キモチワルイ、ハキケガスル、ハヤクテバナシタイ……!  少女の訴えを無視し、バウアーは恍惚とした表情で目標たる〈地球〉を睨んでいた。  少女の掌から、悪意と破壊の息吹が放たれた。  地表は灼け、人は溶け、生命は死に包まれる。  かろうじて生き残った者の嘆きが大地にこだまし、焼けこげた身体でのたうち、失った 手足を求め、ずり落ちる内蔵をかき集める。  阿鼻叫喚の地獄絵図が、画面に広がった。  ロジィは叫んだ。自分のした出来事に怖れ、嫌い、憎み、悲しんだ。  そのなかで、彼女は泣きもだえる子供を見つけた。手を伸ばせば届く。今、いってあげ る。ロジィは泣きながら走った。〈フェンリル〉となった少女は、小さな生命を助けたか った。  ロジィは手を差し出して、そして、壊れた。  戦争の悲劇と、少女のはかない想いが、兵士たちの心を揺さぶった。血に染まったナイ フを捨て、熱くなった機銃をおろし、キャタピラは沈黙した。  基地の一室を前に、数人の兵士が少女への銃口をおろした。 「……これは、本当なのか?」  一人の士官が少女に問いかけた。  通信室で泣き崩れるロジィは、誰かの支えがなくては立ち上がれなかった。 「そう。これが真実。これが、わたしのしたこと……」  ゆっくりと、自分に言い聞かせるように、少女はつぶやいた。 「ダイジョウブ?」 「平気。ぜんぶ思い出せたから……。辛いことも、悲しいことも、楽しかったことも、わ たしの全部が思い出せたから、もう、大丈夫だよ……」 「イキテ、イコウネ」 「うん……」  ロジィのなかで生まれたもう一人のロジィは、二度と姿を現さなかった。  コックス中佐は、改めて銃をかまえなおした。 「フン、とんだ茶番劇だ。過去を振り返ってどうなるというのだ」 「あんたには、この戦争で犠牲になった者の気持ちは、一生わからないんだな」 「わからんね。愚民など、もっとも優れた者に導かれ、それなりの平和に浸っていればい いのだ。それすらできないなら、死んでしまえ!」 「死ねなんて、簡単に言うなぁ!」  コックスが引き金に力を込めた瞬間、彼の周囲にあった端末が火花を散らし、爆発した。  ラッシュの黒い左眼は、彼の想いと同調した。端末にアクセスし、電気信号を逆流する ことで、ショートさせたのである。爆発の規模は小さいが、敵の動きを掣肘するには充分 だった。  中佐は殴り飛ばされ、床にたたきつけられた。  銃を取り落とし、不利を悟ったコックスは、扉のロックを解除して廊下へ飛び出した。  ラッシュがあとを追おうとするのを、別の声がとめた。 「追う必要はない。もう、あいつについていくヤツはいない」  少年はヘルメットを外し、熱い息をはいた。 「クロガミ!」 「こんなところに何しに来た」 「おまえな、せっかく助けにきてやれば、なんだその言いぐさは」 「オレは助けられていない」 「だから、これから助けるところだったんだ」  いいわけがましく独語するラッシュに、少年は少年の顔をした。色の異なる瞳が、優し げに輝いている。 「……なんかおまえ、感じが変わったな」 「昔の記憶が、すこしだけ思い出せたからな」  ラッシュが持っていた少年の印象は、ガラスの剣のような鋭さと危うさだった。誰もよ せつけない強さの裏に、些細な衝撃で崩れそうな弱さを隠した、そんな少年だった。それ が今は、ギラギラした光が柔らかくなり、他人に対してわずかだが心を開いているようだ った。  艦橋の画面は、コックスとバリー、それにラッシュのやりとりが流れていた。クロガミ が艦内カメラで撮影しておいたのを、繰り返し放送しているのである。 「一つ聞いていいか? おまえ、実は意識があったんじゃないのか?」 「ああ」  「ふざけんな」ラッシュは少年の首を、ひきしまった筋肉の腕で絞めた。  少年は初めて、笑った。    第八章 〈ヨルムンガルド〉                  1  戦闘は一時中断された。  〈地球〉軍による敵本拠地への突貫は、深く厚みのある敵軍にはばまれ失敗し、乱戦に なりかけたところで、クロガミとロジィの放送が流れた。戦闘意欲を失った敵に、攻勢を かけるべく指示を出すエッケルトだが、兵士は従わなかった。もしザイツ提督なら、率先 して軍をひいたであろう。エッケルトとザイツの差はまさにこれであり、総司令官にエッ ケルトが推挙されなかったのも、同様の理由だ。  〈フェンリル〉艦橋にいすわる二人の若者のもとへ、〈月〉軍地球方面第一艦隊司令官 ガロア中将がノーマン博士を連行して現れたのは、コックスが逃亡して三〇分後だった。 彼の任務は〈フェンリル〉をのぞく第一艦隊――〈フェンリル〉護衛艦隊――の司令官で ある。彼は五年前の大戦の裏側が放送され、真実の確認のため〈フェンリル〉へとやって きたのである。途中、ノーマン博士を拘束したのは、偶然に過ぎない。  ノーマン博士を背後の兵士にまかせ、彼は二人に銃を突きつけた。 「バリー総督の死は、本当にコックス中佐によるものか?」 「ああ」  クロガミは端的に答えた。ラッシュが、艦内放送のとおりだと付け加える。 「では、あの〈地球〉の惨事も……?」  年齢的には、中将はラッシュより二つ上の世代だった。だが彼は、若者たちに対して高 圧ではなかった。また、クロガミとラッシュにしても、銃を向けられてはいるが、彼を『敵』 とは断定しなかった。少なくともバリーやコックスのように、自己の利益を追求するタイ プには見えなかった。  そもそも、三人は生まれたときからの敵ではない。年齢こそ差はあるが、同じ〈月〉に 生まれ、同じ風景を見て育ったのである。敵対する関係となったのは、少年は強制され、 青年は真実を見出すため、壮年は自国の正義を信じて疑わなかったからだ。道は、戦争を きっかけに交わりをやめたのである。 「事実だ。あんたら軍人は数字でしか結果をみないから、今でも〈フェンリル〉をありが たがるんだ。あんなのを見たら、まともな人間なら本気で平和を考えるぜ」  ラッシュは吐き捨てた。彼の記憶が神経を高ぶらせ、澱んでいた思いのすべてをぶちま けさせた。 「あんたはそうして銃を突きつけるが、オレもこいつも、あの娘だって、同じ〈月〉の人 間なんだぜ。それでもあんたらとは敵ということらしい。……わかるか、このバカらしさ が。倒すべき敵なんて、はじめからいないのによ」  〈月〉軍兵士は、激昂するラッシュから視線をはずせなかった。彼は衝動に突き動かさ れるまま、言葉を続けた。フェラー博士が何を望んだのか、いいかげん気づけ。おまえら は本当に〈地球〉に住む人間を支配したいのか? 奴隷のようにこき使い、見下して、虫 ケラのように殺したいのか? それほど〈月〉の人間は、〈地球〉の人間より偉いのか!  ラッシュがキャメル隊を組織したのは、勝利者以外に吼える権利はあたえられないとい うバカらしい決まりを、バカらしい方法でしか打倒できなかったからだ。〈月〉への空襲 で死にかけた青年は、フェラー博士によって生命を救われ、〈月〉艦隊に所属し、〈フェ ンリル〉の一撃を間近にした。だが、人を殺した報復を、より多くの人を殺すことで解決 するやり方に、彼は賛同できなかった。その後〈地球〉に降りたラッシュは、惨状をじか に確認し、決意をかためてキャメル隊をつくったのである。  〈月〉の士官は銃をおろした。目の前の青年が絶対的な正義ではない。しかし人道的に 考えれば、人の死を歓迎する世界よりは、よりよい未来が見えた。絶対的な正義がない現 実だからこそ、せめてすべての人が幸せになれる世界を模索するべきだ。彼もまた、それ に気づいたのだ。 「博士を解放しろ」  背後の下士官は、素直に命令に従った。ノーマンが自由を手にすると、中将は言った。 「バリー総督亡き今、艦隊の最高級士官はわたしだ。したがって軍規により、この艦はわ たしが仕切らせてもらう。さしあたり、我々は基地からの指示があるまで艦内で待機する。 民間人は、はやく退艦するように」  中将には、これが最大限の厚意であった。  ラッシュとノーマンは喜んで、指示に従おうとした。 「どうした、クロガミ?」 「オレはまだ、やることがある」 「おいおい、もう戦争は終わりだぜ。バリーも死んで、地上は平和さ」 「何を言ってる。まだこの艦が残っている。それに――」  少年の口からは、言葉ではなくうめきが漏れた。  頭を抱えるクロガミに、ラッシュとノーマンは駆けよった。 「来るぞ!」  クロガミの予告にあわせて、強烈な光の束が轟音とともに降りそそぎ、地面を揺らし、 海を荒らした。 「なんだ、今のは!」 「〈惑星破壊砲〉……」  呼気荒くつぶやく少年に、視線が集まった。 「〈ヨルムンガルド〉だ」                  2  すべては強欲な権力者による、策略と謀略がもたらした結果でしかない。  少年たちの住む世界を生み出したのは、戦争を利用して地位を高め、私腹を肥やし、軍 隊という力を手に入れた、一部の人間の業である。人ひとはそうした者の手で、気づかぬ うちに舞台へのぼらされ、知らぬ間に退場していた。明敏な者は主役となるべく自ら壇上 に登場したが、脚本は書き換えられ、望まぬ結末へたどりついた。それが繰り返され、い ま舞台を演出しているのは、ラルフ・ブルックナーという稀代のペテン師だった。彼は軍 内部の地歩をほぼ固めたライバルのバウアーを、フェラー博士の理想を利用して蹴落とし、 地上で野心を燃やすバリーを、副官として推挙したコックスを操作し殺させ、自分はつね に安全な場所で最大の利益をあげてきた。クロガミは、任務だからでも、フェラー博士の 仇だからでもなく、個人としてブルックナーを許せなかった。 「〈地球〉軍の地上部隊が全滅した」  〈フェンリル〉を通して得た情報を、クロガミは報告した。その他の地域については被 害はないようで、第二射の気配もなかった。  それでも用心を考えたのか、〈月〉軍中将ガロアは、基地の残存兵を〈フェンリル〉へ と移乗するよう連絡した。基地には守備部隊をあずかる将官がいるが、ガロア提督と同階 級と聞いたので、うまくまとめてくれるだろうとラッシュは期待した。クロガミはそうし た問題には無関心で、掣肘する動きがあれば排除するつもりだった。  ノーマンはロジィを心配しつつも、目前の議題をうながした。 「どうする、クロガミくん。〈ヨルムンガルド〉ははるか頭上だ」  ノーマンの問いかけには直接答えず、少年はヘルメット越しにラッシュを見た。 「ヴィーザルはどうした?」 「直しておいてやったぜ。感謝しな」 「そうか。あとは大気圏突破用のシャトルと打上基地の確保だな」  〈フェンリル〉のデータベースで検索しようとしたクロガミを、ラッシュは陽気な声で 〈地球〉軍の打上基地へすでに運んであると告げ、親指を立ててウィンクした。  少年は、めずらしく即答できなかった。 「……そうか」 「そうかですますな。……まぁ、こうなるって予想はできたからな。装備もバッチリだぜ」  クロガミはヘルメットを脱ぎ、〈フェンリル〉の中枢回路から離れた。 「ただなぁ、問題が一つあるぞ」 「なんだ?」 「その基地まで四〇〇キロはある」 「外の戦闘機を借りる」  眼でガロア提督に是非を問い、彼は嘆息して了承した。彼にはクロガミたちと争う意志 はなく、むしろ協力はおしまないつもりだった。 「いや、問題はそれじゃない。直線で進むと、途中で〈月〉の駐屯基地にぶつかるんだ」 「突破するだけだ」  「そうかがんばれ」と投げやりに応じたいのを辛抱し、ラッシュは自分もついていくと 申し出た。  クロガミは反論を口にしかけて、やめた。「勝手にしろ」そう言い放ち、艦橋をあとに しようとした。  次に少年の足をとめさせたのは、ノーマンだった。博士は、宇宙へ行くのを留めるつも りはなかった。だが宇宙で待ちかまえる艦隊、とくに〈惑星破壊砲〉を装備した〈ヨルム ンガルド〉に、何の策もなく立ち向かって勝てるのか。また、打上中のシャトルは回避行 動がとれないのだから、狙撃されたら終わりではないか。  ノーマンの正しさを認め、クロガミはきびすを返した。  現在の〈地球〉軍にはもちろん、〈月〉軍地上部隊にさえ、宇宙へ届く兵器はない。〈月〉 軍からすれば、宇宙から落とすのはありえるが、打ち上げる必然はまったくないからだ。 「さっきの情報を、わたしたちに見せたように、他の基地や宇宙軍にも流してはどうだ?」  背後に立っていた、ガロア中将の意見だった。 「ロジィやクロガミの記憶をか? それで心変わりしてくれれば、たしかに楽だな。試す 価値はありそうだが……?」  ラッシュのうながしに、クロガミは首を振った。ある程度なら効果はあるだろう。だが、 長距離通信は衛星を中継しなければならない。あれは宇宙軍が管理しており、なにより宇 宙はブルックナーの完全な支配下だ。情報そのものがもみ消される可能性が高い。 「そうだな。やはりじかに〈ヨルムンガルド〉を黙らせるしかないか」  艦橋にいる数名は、しばし沈黙の中で思案を続けた。  三分の静寂のあと、声があがったのは打開策が思いついたからではなかった。 「失礼します。基地守備部隊指令、バード中将が到着しました」  伝令に続き、大柄な筋肉質の男が現れた。五〇がらみで、頭髪の半分は白く、精悍な顔 つきである。軍人の生きた見本のようであった。 「ガロア提督、どういうことか説明――」  中将の視線が、クロガミら三人を映した。拘束されているわけでもなく、平然と艦橋に 溶けこんでいた。  彼の右手が、腰のホルスターへ伸びる。  「悪いが忙しい」クロガミは一瞬で彼のふところへもぐり、みぞおちに拳をめりこませ た。機械の腕は、一〇〇キロをこえる男を簡単に三メートルほどふきとばした。「手加減 はした」と少年は言うが、守備部隊指令官はそのまま医務室の住人となった。  その光景を目撃したあとで、少年に挑む者はなかった。また、兵士の大半は争いを望ま ず、ガロア提督の仲介もあって、争乱は未然に防がれた。地上部隊はバード中将にかわり、 副司令官の少将に統率が任された。彼もまた、ガロア中将と意志を等しくする者だった。  司令官を代行する少将の最初の仕事は、ロジィを賓客として艦橋へ迎える指示だった。  二人の兵士に案内されてきたロジィは、だれの眼からも違う人間に映った。  恐るおそる一同のまえへ進み、深ぶかと頭をさげ、ノーマンをためらいつつ「先生」と 呼び、クロガミは『さん』付けだった。 「どうしたんだ、ロジィ?」  安心させるように、ノーマンは笑ってみせた。ロジィの変化は唐突で、博士はとまどっ ていた。まるで彼女は、感情を持ったように行動をしているではないか。 「思い出したのか?」  そっけないクロガミに対し、少女は「はい」とうなずいた。 「よかったな」 「はい」  ロジィは初めて、クロガミをまっすぐに見つめた。 「クロガミさんが、いてくれたからです。それとわたしを護ってくれた、もう一人のわた しのおかげです」  涙がこぼれる。ぬぐってもとぎれずに、心の水晶はあふれ続けた。 「誰かのために泣いてやれるのは、そいつが自分にとってかけがいがないからだ。きみは 泣いてやれる人がいるだけ、幸せなんだぜ」  ラッシュが優しく肩を叩いた。  それをきっかけに、少女は消えてしまった少女のために、声をあげて泣いた。  誰かのために泣ける少女を、たいせつな少女を見守ってきたノーマンを、命をかけて自 分を救出に来たラッシュを、クロガミは護ってやりたかった。フェラー博士の願いを、か なえてやりたかった。クロガミはロジィと異なり、すべての過去を引きだしてはいなかっ た。それでも彼は誰かのために動こうとしていた。まるで昔の自分が、急きたてるかのよ うに。無限にある選択肢の中から、命令でも懇願でもなく、クロガミという一人の少年の 意志が、道を選んだのである。 「……提督、航空機は地上へ移してくれ」 「おいおい、なにすんだよクロガミ?」 「宇宙へ届く兵器が、一つだけあった」  全員が注目するなか、クロガミは〈BIO〉用のシートに着いた。 「まさか――」 「〈惑星破壊砲〉だ」                  3  クロガミに反論したのは、やはりラッシュが最初であった。 「たしかに届くだろうが、ここは宇宙じゃない。真上の敵をどうやって撃つんだよ」 「艦首を上に向ければいい」 「だからどうやって?」  〈フェンリル〉と再度融合すると、クロガミは艦内データを取りだした。  資源採掘用基地として設計された〈フェンリル〉――正しくは武装前の船――は、一六 〇〇ほどのブロックに分けられ製造され、結合して一つの船を形成していた。万一の事故 のおり、不必要なブロックを切り離し、全体を守れるようになっていたのだ。  クロガミはそれに目をつけ、艦首側の不必要なブロックは排除して軽くし、後部には海 水を流しこんで重くするつもりだった。さらに軌道調整用ロケットエンジンをバランスよ く作動させれば、〈フェンリル〉は天を仰ぐだろう。 「めちゃくちゃだな、おまえは」  ラッシュですら他の表現はできないほど呆れていたのだから、周囲から声が出るはずも なかった。 「まぁいい、それはいいだろう。だがよ、〈ヨルムンガルド〉を叩いたあと、〈フェンリ ル〉をどうやって戻すんだよ」 「戻しはしない。破壊する」 「……そうか。そういうつもりなら、のったぜ。〈ヨルムンガルド〉をぶっつぶし、〈フ ェンリル〉をへし折って、終わりにしようぜ」 「ああ」  二人の笑みで、作戦は決せられた。  ガロアは航空機の移動と艦内の通告に奔走し、ラッシュはクロガミのサポートとして〈フ ェンリル〉のオペレーター席に、ノーマンは宇宙へ出るクロガミの装備をそろえ、クロガ ミは〈ヨルムンガルド〉の位置を軍事衛星で確認して、傾斜角の計算と実行プログラムの 作成を急いだ。  ロジィは一人、仕事を与えられないままイスに座っていた。寂しいわけではないが、肩 身が狭かった。 「あの、クロガミさん、わたしにも手伝わせて」  本来のロジィにしては、勇気を出した発言だったが、少年はめんどうそうに「何もない」 と拒絶した。 「まだ〈フェンリル〉は怖いだろ。無理しなくていい」  「クロガミさん……」憤りかけた少女は、彼の気遣いを知り、口をつぐんだ。 「できればこの仕事はきみに任せて、オレは宇宙港へ行きたかった。そうすれば、〈フェ ンリル〉を囮にして、急襲できただろうしな」 「それじゃ、今からでも――」 「もうおまえに、人は殺させない」 「……!」  言葉につまった少女に、クロガミは視線すら向けなかった。ロジィはたった一度でいい から、右の義眼を使って、彼の心を覗いてみたいと思った。 「クロガミ、艦内の人間は、全員身体の固定をすませたぜ。航空機の移動も終わった」  報告を受け、クロガミはうなずいた。 「そっちはどうだ、〈ヨルムンガルド〉は捕まったか?」 「ああ。だが、艦を固定するのは難しいな。だから艦首を起こしながら、〈惑星破壊砲〉 を発射する」 「おい、そんなんで当たるのかよ」 「当てる」  毎度ではあるが、自信の出どころについて、ラッシュは少年にじっくり訊いてみたかっ た。 「五〇〇秒後、スタートする。艦内放送を頼む」  どうやら雑談をしている余裕はなさそうだ。オペレーターは肩をすくめ、自己の任務を 果たした。  サブスクリーンにはカウントが表示され、作戦までの時を確実に、同じリズムで刻んで いく。  クロガミの右眼は、軍事衛星を仲介して〈ヨルムンガルド〉を映しており、内部に潜む であろうブルックナーを凝視していた。宇宙だからと安心して、〈結界磁場〉を展開して いないのが運の尽きだ。今なら旧式のレーダーでも位置を捕らえられる。誘導ミサイルさ え、当てられる。 『きみ、だれ?』 「!」  クロガミは意識を〈フェンリル〉艦内へ戻した。「だれか呼んだか?」と一同を見渡す が、否定を返され眉根をよせた。 「クロガミさん、どうしたの?」 「声が聞こえたような気がした」 「声?」 「ああ、『きみ、だれ』てな」  ロジィはそれに、既視感を覚えた。クロガミとロジィの接触は、まさにその言葉からは じまったのではないか。ならば今度の声の主は―― 「クロガミさん、それは〈BIO〉よ。〈ヨルムンガルド〉のT型……」  ロジィの声は震えていたが、予測ではなく、断定していた。  クロガミも、言われて思い当たった。迂闊だった。座標確認でやめておくべきだったの だ。これでたぶん、むこうにもこちらの意図を悟られてしまっただろう。 「カウント中止だ! すぐに撃つぞ!」  驚く艦橋のメンバーに、説明している時間すらが惜しかった。  ラッシュが艦内放送で絶叫するなか、クロガミはプログラムを走らせた。  〈惑星破壊砲〉の準備がはじまり、艦首が三枚の花びらのように開いた。蓄えられたエ ネルギーを凝縮し、クロガミの掌に『力』が集まる感覚を与える。  発射が可能となると、艦首のよけいな部分が古い皮を脱ぎさるように剥がれ、後ろは外 界とつながる部分が解放され、海水を飲みこんでいった。  沈没するようにしか見えない艦を支えるのは、宇宙でこそ本領を発揮するロケットエン ジンである。微妙な操作によって、〈フェンリル〉の牙はじょじょに〈ヨルムンガルド〉 にむけられた。 「〈惑星破壊砲〉、撃て!」  クロガミの叫びに呼応して、〈フェンリル〉の光の咆吼は、天空へ伸びていった。その 間も艦は傾きを続け、海面に対して直角を目前にして固定された。 「やったか!」  光しか映らないメインスクリーンにいらだちながら、ラッシュはクロガミに訊いた。  〈フェンリル〉をつかさどる少年からは、奥歯をかむ音がもれた。 「護衛艦隊の大半が消滅……」 「そんなザコはいい。〈ヨルムンガルド〉はどうした!」 「〈ヨルムンガルド〉は、小破……」  ラッシュは天を仰いだ姿のまま、端末を殴りつけた。