第五章 始動                  1  〈フェンリル〉改修工事が終了して、四日後の早朝、コックス中佐の一団は海を渡った。 メンバーには、クロガミとノーマン博士、その他の技術スタッフを数名と、一個中隊の〈月〉 軍人が従っていた。  彼らは縦に突き刺さる〈フェンリル〉艦内を、縦横に走る工事用の足場を伝って移動し、 各部署に散っていく。移動の不安を除けば、内部はすべて整備され、電気系統や空調も問 題なく機能していた。  コックス中佐の直属部隊は、ノーマンを引き連れ艦橋へ足を踏みいれた。かつてその場 所でバウアー提督が指揮をとり、歴史上初めて億単位の人間を消滅させたのである。当時 の通信記録は、バウアーの狂気じみた哄笑で満たされ、ついで恐怖と混乱と絶望の三重奏 が、最後の瞬間まで続いていた。  コックスは彼の轍を踏まぬよう、慎重に事を運んだ。  もはや意志のない人形となったクロガミは、専用の宇宙服を着せられ、指揮卓の背後に ある〈BIO〉用のシートに固定された。ヘルメットや服には多くのコードが接続されて いる。  中佐の指示で主動力炉に火が入れられ、世界を破滅させたオオカミは、五年ぶりに目を 光らせた。 「博士、クロガミの様子はどうですかな?」  ノーマンは〈BIO〉の管理コンピュータを前に、肩をふるわせていた。ついにこの日 が来てしまった。蘇らせてはならないモノを目覚めさせてしまった。フェラー博士の研究 資料さえ見つからなければ、この日を遅らせられたものを。 「ノーマン博士、クロガミはどうかと訊いているのです」 「……も、問題ない」  現場指揮官である中佐は、満足して顔をゆがめた。 「では、本格的な始動といきますか。クロガミをTモードに」  ノーマンのためらいも、コックスの楽しみの一つだった。〈フェンリル〉復活を断固と して反対していた男が、たかが小娘一人のために、葛藤しながらも手を貸している姿がお かしくて仕方なかった。しょせんはメッキだらけの平和主義者ではないか。多くの命を秤 にかけて選んだ道が、この状況とは、笑止であった。  震える声で、博士はクロガミの覚醒を命令した。  少年の黒い右眼と、新たな蒼い左眼が、断続的に光を放った。起動したてのコンピュー タのように、立ち上げ処理を音声で伝える。声には抑揚も、心もなかった。  一時間後、クロガミは〈フェンリル〉となった。  少年の皮膚はフェンリルの外装とつながり、右眼は全方位をカバーするカメラとなり、 脳は与えられる情報を管理・処理して、艦を効率よく運航するプログラムを瞬時に構築し、 左眼が実行命令を伝達する。主砲〈惑星破壊砲〉や千を越える砲塔・機銃はもちろん、小 さな窓の開閉に至るまで、すべてがクロガミの神経とつながっていた。 「それでは、〈フェンリル〉を立て直す。予定どおり不要な外装を切り離し、船首部分の 岩盤を爆破する。総員、身体を固定し、対ショック体勢を整えよ」  コックスは艦内放送をすますと、指揮卓につき、宇宙服をロックした。  各部署をしきる部隊長の報告が完了すると、カウントダウンがはじまった。  サブスクリーンの数字が『0』を並べた瞬間、強い振動が〈フェンリル〉の内外を暴れ まわり、固定のあまかった兵士を壁に天井に跳ね飛ばす。  何も知らない港町では、海底地震と勘違いし、津波を恐れて高台へと急ぐ者が多かった。 それは正確ではないものの、たしかに津波は発生し、漁船の大半が大破もしくは陸へのり あげ、海岸線に沿った民家も形を失っていた。  被害を逃れた市民が見た光景は、感動からもっともかけ離れた存在だった。地上の人間 すべてが望みはしない、ロキ級戦艦の復活である。  古い外装を脱ぎさり、新たなエンジンをうならせ、砲塔をせわしなく蠢動させる。周囲 をブロック単位で切り落としたので、ひとまわり小さくなったとはいえ、〈フェンリル〉 が破壊の象徴であるのはかわらない。〈地球〉側の誰が、歓迎できようか。  歓迎できる側の大将であるバリー総督は、〈フェンリル〉との間に回線を開いた。 「よくやったコックス中佐。これで我々に恐れるものはなくなったな」 「はい、閣下。あとは食料・弾薬を積みこみ、搭乗員を収容すれば、地上最強の戦艦とな るでしょう」 「……うむ」  総督は、副官の「地上最強」という修飾語が気に入らなかった。〈フェンリル〉はもう 宇宙戦艦ではない。どうあがいても二度と地球の重力を振りきって、大空へ駆け上がりは しないだろう。そして飛び立てない天上には、〈ヨルムンガルド〉がいる。それあるかぎ り、〈フェンリル〉は「地上最強」に留まらざるをえないのだ。バリーには、それが口惜 しいのである。  上官の心情を知ってか知らずか、コックスは何事もなかったように、搬入作業へ移ると 報告した。  通信を切ると、コックスの前にノーマンが立った。  長時間の〈フェンリル〉との接続は、クロガミに悪影響を及ぼす可能性がある。初めて でもあり、同調率もけして良好ではないのだから、無理はさせないほうがいい。彼に忠告 され、中佐は良い顔をしなかったが、他のスタッフからも賛同があったので許可を出した。  ノーマンと少年は艦橋を離れ、別々の部屋へわけられて休息をとった。扉の外には監視 がいるだろうが、神経を休める場所に戻れたのはささやかな幸福だった。  ノーマンは届けられたコーヒーでのどを潤した。香りも味も悪い、苦いだけの黒いお湯 だったが、頭の活動には支障なかった。  物資の積み込みが完了するまで、早くとも二〇日はかかるだろう。軍事物資だけを優先 しても、一週間は必要だ。それまでに、クロガミが教えてくれたキャメル隊と連絡が取り たかったが、望みは薄かった。彼はハンドコンピュータの所持さえ認められず、部屋にも 簡易ベッド以外のものはなかった。  どうするか。ベッドに倒れて、窓もない部屋を眺めやる。しかし答えを手にする前に、 博士は全身の脱力を感じ、現実を拒否するように眠りへといざなわれていった。                  2  同日深夜、港町に潜入した四人の青年が、人気のない崖上から双眼鏡を覗いていた。暗 い闇と、黒い海の狭間に、当面の最大の『敵』となる〈フェンリル〉が眠っていた。大型 貨物船からの荷物の搬入を無関心で受けいれながら、尊大に横たわっている。 「やれやれ、情報は正確に願いたいものだな」  ラッシュはあきれながら、左手の携帯食を噛みきった。ノーマンよりの〈フェンリル〉 復活情報から、まだ一週間を数えない。それなのに眼前では、すでに出撃準備を整えてい るではないか。もっとも、正規軍ですら〈フェンリル〉は過去の戦艦として無視していた のだから、いいかげんさでは同レベルだ。唯一の救いは、搬入にかなりの時間を要する点 だろう。昼夜問わずおこなわれても、街よりも大きな戦艦を満載にするには、並大抵の量 ではなく、比例して時間もかかる。 「シャンド、本隊へ連絡に行け」  キャメル隊隊長は、側にいた三人の仲間から、一人を指名した。 「隊長はどうなさるおつもりですか?」 「オレはここに残る」 「なにを言ってるんですか! 隊長がいなければ、キャメル隊はどうなるんです? そも そも隊長自ら偵察に来るなんて、おかしいですよ」  シャンドの意見はもっともだと、ラッシュも思う。しかし〈フェンリル〉が絡んでいる 以上、彼も平静ではいられなかった。 「すまないが、キャメル隊はおまえに任せる。正規軍に参加するのもよし、解散するのも 自由だ。個人の意思を尊重して、行動してくれ」  三人の隊員は、予想外のセリフに絶句した。  隊長は続けた。〈フェンリル〉が活動状態になった以上、我々に勝ち目はない。基地を 攻略するのでさえ戦力不足であるのに、あれを相手にできるわけがない。幸いキャメル隊 は正規の軍ではなく、〈月〉に対する局地的な武装勢力の一派でしかない。戦争に参加し なくとも、責任はないはずだ。負けるだけならともかく、死ぬとわかっている戦いをする 理由はない。  隊員たちは隊長の、選択の正しさを認めた。が、理屈で割りきれない気持ちも、確かに あるのだ。 「ですが隊長、今までやってきたことが無駄になるんですよ。今まで死んだ仲間が、無駄 死になってしまうんですよ」 「わかっている。オレは戦いをやめるわけじゃない。方法を変えるんだ」 「方法を?」 「ああ。外からドンパチやってもラチがあかねぇ。だから内部に侵入する」 「無茶ですよ! よしんば侵入できたとして、何をしようというんです?」 「これを使って、内部を混乱させる」  ラッシュは前髪をかきあげた。金髪に隠れていた双眸は、異なる色で光っている。右は 碧眼、左眼は漆黒だった。  驚く隊員に、ラッシュはいつもの人の悪い笑みをひらめかせた。 「クロガミの忘れ物をちょいと修理したのさ。使いこなせる自信はないが、やってみるさ。 ……もっと早く直れば、クロガミに渡せたんだがな。それにオレは、あいつを助けなきゃ いけないんだ」  シャンドは、仲間でもない少年に必要以上の肩入れをするラッシュに、懸念を抱いてい た。他の隊員は、単に面白がっていると観ていたようだが、彼の目にはそうは映っていな かった。 「隊長、あいつはいったい何者なんです? 隊長はご存じなのでしょう?」 「……知ってるようで知らない。これは本当だ。オレはあいつに借りがあるわけじゃない。 あいつの影にいるヤツに、借りがあるだけだ。だがそいつには二度と返せないから、クロ ガミを助けるのさ」 「話しては、もらえませんか?」 「悪いな、つまらない話をする気はない。時間もないしな。……シャンド、みんなを頼む」  キャメル隊元隊長ジャック・バン・ラッシュは、バイクにまたがり、独り闇へと消えた。  残された隊員は、すべてを託されたシャンドへ視線を集めた。  シャンドはすでに決意を固めていた。迷いなどなかった。歩んだ道に意味と意義を持た せるためには、選択肢などないのだから。 「本隊に合流する。我々は、我々の戦いをしよう」  男たちは、心をふるわせた。                  3  地上がせわしなく動きはじめた頃、〈月〉と〈地球〉のあいだに浮かぶ「史上最強」の 戦艦内では、人類を軍靴の下に征服した男が、タンブラーを揺らしていた。ラルフ・ブル ックナーというのが彼の名で、「総統」と呼ばれる身分を、ごく当たり前のように頭上に 飾っていた。  五年前、彼のライバルであったバウアー提督が不慮の事故で世を去ると、彼は時流にの って運を引き寄せ、実力を行使し、人脈を利用し、財産をばらまき、現在の地位を手に入 れた。今や彼の上には何者も存在せず、彼の下にだけ人は生きる権利を与えられているの だった。  彼は私室で、もっとも信頼のおける部下と会話を楽しんでいた。 「そうか、〈フェンリル〉は好調か。海上での運航も差し支えなかったわけだな」 「はい。操艦プログラムの重力下用への変更に手間取りましたが、ノーマン博士の協力で、 無事クリアしました」  総統の会話相手は、「ノーマン博士の協力」を、皮肉をこめて強調した。 「明日は火器のテストを予定しています。標的として、旧式の戦闘艦を一〇、戦闘機を三 〇機ほど使用しますが、よろしいでしょうか?」 「かまわん、好きなだけ使うがいい」 「ありがとうございます」 「で、あれも試すのか?」  タンブラーの中の氷を、ブルックナーは軽快に響かせた。 「残念ながら、地上でのテストは危険なので見送りました。実戦での働きにご期待くださ い」 「ほう、実戦か」 「はい。近々、かならず……」 「わかった、楽しみにしていよう。……ところで、バリーはどうしている?」  総統とつながる通信スクリーンの前で、中佐の階級章を持つ男は一拍おいて答えた。彼 の報告は直属の上官を語るにはあまりにも毒で満たされ、感想より願望の色が強かった。 「そうか。いざというときの判断はきみにゆだねる」 「わかりました」  中佐は敬礼し、通信を閉ざした。  時代は流れている。中佐は歴史の奔流に身をゆだねるつもりはなく、本流をつくるのが 自分だと確信していた。過去に縛れた者は利用し、自己の才をわきまえない者は踏み台と し、権力にしがみつく者は蹴落とし、人類の征服者として君臨する。それが彼の究極であ った。  計画は順調に進んでおり、〈地球〉との再戦が終了する頃には、彼は地球方面総督とな っている予定だった。そしてさらに数年後には、目的は完遂されるだろう。  こらえきれない興奮が、中佐を哄笑させた。暗く密閉された室内に、黒い声がこだます る。  長い時が過ぎたとき、彼は外に見せる仮面を再びかぶり、仕事へかえった。だがそれは 誰でもない、自己の栄達のために、彼は責務を果たすのである。                  4  〈フェンリル〉の実戦訓練と物資搬入が平行しておこなれるなか、〈地球〉正規軍は作 戦を開始した。  移動する軍事基地とも言える〈フェンリル〉が起動した以上、難敵を攻略するより、補 給基地となる軍事拠点をつぶし、オオカミを餓死させてしまおう――と、作戦参謀は計画 の変更を提案した。  〈地球〉軍総司令エルネスト・ザイツはこれを認め、いくつかの修正案を加えて実行に 移した。  艦隊および潜水艦隊は、〈フェンリル〉の射程ギリギリを確保し、ミサイルによる攻撃 を断続的に行う。〈フェンリル〉が艦隊に向かってくるようならば、そのまま基地から引 き離し、包囲殲滅する。ただし他の〈月〉軍戦闘艦隊が援軍に来たときは、速やかに散開 し、無理な戦闘を極力回避する。  地上部隊と航空機隊は、総督府軍事基地の壊滅を目的とし、バリー総督の身柄を確保す る強襲隊の結成もされていた。  陸上での戦力比は僅差でしかないが、〈月〉軍には有利な点が二つ備わっていた。  一つは兵器の能力差である。〈地球〉正規軍の兵器は過去の遺物でしかなく、敵は最新 鋭ではないにせよ、少なくとも〈地球〉側より進んだ技術が使われていた。遠距離の索敵 システムがほぼ無効化されている現在、個々の能力差はより大きな問題となるだろう。せ めてもの救いは、それらの無効化によって、衛星を中継した〈月〉側の情報サポートを遮 断できることだ。〈地球〉軍には、敗戦後の軍事衛星除去のため、頼るべき天空の眼がな かったのである。  第二に、宇宙からの援護だ。〈地球〉側にはすでに宇宙軍は存在せず、従って宇宙戦艦 や宇宙要塞などもありはしない。対して敵には〈ヨルムンガルド〉をはじめとする艦隊が そろい、いざとなれば〈惑星破壊砲〉の一撃で勝敗は決するのである。しかし総人口の半 数ちかくを死に至らしめた一撃は、敵軍をして寒気を覚える出来事であり、〈惑星破壊砲〉 の使用は人心の乖離をうながすであろう。それを差し引いても、宇宙からの援護がない事 実は変わらないのだが。  不利な状況ばかりが目立つが、〈地球〉軍にもわずかな光はあった。  〈フェンリル〉の物資を補給するために、基地内部のそれが不足がちとなり、基地守備 部隊の士気と戦力が下降気味であること。航空機のほとんどが、〈フェンリル〉を発進基 地に変更していること。兵員の半数が、やはり海上の移動基地に移ってしまっていること などがあげられる。それらの情報が正しいならば、艦隊が〈フェンリル〉をおさえられれ ば、地上基地は制圧が可能と思えた。いや、〈地球〉軍の誰もが信じたかった。  その日、〈地球〉軍「全戦力」対〈月〉軍「地球方面主力」の戦端が、二時三〇分、月 明かりのもとで開かれた。                  5  開戦後四分、砲火の最初の犠牲者は、〈月〉軍第三七陸戦隊所属装甲車の搭乗員三名だ った。〈月〉側は敵の攻撃をすでに察知しており、全員が持ち場について準備を整えてい た。装甲車搭乗員は、警報と敵戦闘機の接近を聞きながら、敵影の確認と迎撃を急いだ。 望遠カメラで捕らえ、照準が重なった瞬間、彼らは爆発に包まれ即死していた。  次の炎がたち、建物が煙を噴きあげる。車輌が破壊される。兵士が死への恐怖に叫ぶ。  〈地球〉軍戦闘機隊は、緒戦において大きな戦果を挙げた。上空へ舞い上がり、第二次 攻撃をかけるべく、旋回する。  同時に、地上部隊も基地へむけて突撃を敢行した。  敵は混乱しており、前線は未だまともな反撃を見せていない。好機と観た地上部隊司令 官エッケルトは、早くも第二陣まで動かした。  しかし彼らの歓声も、それまでだった。  〈月〉の戦闘機が、〈フェンリル〉から飛びたち、フォーメーションを組んで襲ってき たのだ。地上からの援護を巧みに利用し、〈地球〉軍を包囲して撃墜する。基地に近づく 戦車は撃ちぬき、灼きつくす。  〈月〉軍地上部隊も、前線に戦車隊による壁をつくり、後方の援護を受けて反撃をはじ めた。有利に進むかと思われた〈地球〉軍の動きは、止まった。  エッケルトは口惜しさに指揮卓を叩き、第二陣を後退させ、戦線の立てなおしを計った。  これまでのところ、戦況は痛みわけであった。  海上での戦闘は、地上ほど激しくはなかった。〈地球〉軍が慎重に過ぎるためか、〈フ ェンリル〉は微動だにせず、敵の護衛艦だけが突出している。戦闘機のすがたもほとんど なく、地上の混沌がウソのように静かだった。  〈地球〉艦隊総司令官ザイツは、参謀長の具申を取り入れ、護衛艦への徹底抗戦を行っ た。逐一とどけられる情報は、地上軍の戦線膠着を知らせており、戦局を動かすためにも 〈フェンリル〉に手を出す必要があったのだ。  〈地球〉軍が唯一、敵を上回る数をそろえていたのが潜水艦だった。海中に隠すことで 廃棄を免れた艦が多く、その数は五〇隻を上回る。海上の艦隊をわざとらしく接近させ相 手の注意をひき、海中から潜水艦による攻撃でしとめる。単純だが効果はてきめんで、〈フ ェンリル〉の護衛は一時間もせずに一割の損害を出していた。  総大将たるバリー総督が、おもしろかろうはずもなかった。  居城を〈フェンリル〉の艦橋へ移し、余興とも言える戦闘を眺めていた彼は、怒気をひ らめかせた。 「〈フェンリル〉始動! 敵艦隊を葬れ!」  まだ早いとは思いつつ、副官のコックス中佐はクロガミを戦術サポーター――Tモード ――に覚醒させた。少年の黒と蒼の瞳が、戦闘を喜ぶように光り輝く。 「敵は〈地球〉艦隊。撃破せよ」 「了解。敵を撃破する」  頼もしき〈BIO〉の姿に、バリーの顔はゆるんだ。  クロガミの右眼からは、〈フェンリル〉のカメラを通して、敵の情報が脳へ送られてい た。敵影をキャッチし、外観から艦艇を識別。武装をはじめ、移動速度、距離、有効な武 器の選択を瞬時に割りだし、左眼を作動させる。  敵艦を撃沈するデータが、コンマ数秒以下で〈フェンリル〉の火器管制へ届けられ、砲 塔を操作した。適切な弾頭が装填され、自動的に発射。回避や迎撃を予測し、六つの砲門 が煙をあげていた。  着弾までの数秒、敵駆逐艦の人間は何を思っただろうか。逃げることか、抵抗すること か、祈ることか、死の覚悟か……。いずれの者にも、公平な出来事が待っていた。肉体の 消滅である。 「退がれ! 〈フェンリル〉の射程をはずれるのだ!」  ザイツ艦隊司令は、僚艦の沈む様を間近で確認していた。それだけに正確な砲撃と、破 壊力を恐れたのである。  司令官の命令は遵守され、艦隊は一時後退した。  こうして海上でも、戦線は膠着したのである。    第六章 〈惑星破壊砲〉                  1  地上も海上も大きな戦いのうねりは生じなかったが、空中の戦闘機隊の争いは留まらな かった。おたがいが戦局を有利に進めるよう、制空権確保を賭けて死闘を繰り返していた のだ。  数の上で不利を悟らずにはいられない〈地球〉軍は、敵を自軍の地上部隊へと誘導し、 挟撃を加えて戦力差を補っていた。敵の目的が基地の死守である以上、地上部隊の進撃は まずありえないので、作戦としては効率も能率もよかった。  〈月〉側は敵の罠を知ると、被害が拡大せぬうちに戦闘機隊を後退させ、一時的な休戦 状態をつくった。両軍の指揮官は燃料・弾薬の補充と、機体の整備、パイロットの食事と 休息を指示し、その間に新たな作戦の立案に迫られていた。  〈地球〉正規軍のテントでは、地上部隊司令官エッケルトが、指先で神経質にテーブル を叩いていた。 「敵は他の駐屯基地からの援軍を待ち、我々を包囲するつもりです。敵の一番近い基地か らなら、二四時間もあれば我らの後背を捕らえるでしょう」  参謀の一人が、敵の準備が整っていれば、という条件を付加したが、今回の対応の早さ といい、出撃準備はできているとみてよいだろう。となれば、当初の作戦どおり短期決戦 に挑まねばならない。 「凸型陣による一点突破。その後、敵基地を背後にして展開。これしかありませんかな?」  周囲では賛同とも反対ともとれるため息があふれた。実のところ、海上の戦力があてに できない今、制空権をとるか、一発逆転の新兵器でも持ち出さないかぎり、作戦の選択は ないのである。航空隊は善戦してはいるが勝利は見えず、逆転の新兵器に至っては、造る 技術も予算も時間も発想すらもなかった。  エッケルト司令官はまずそうにコーヒーをすすると、ふと思い出したように、末席に立 つ傭兵隊指揮官に目を向けた。 「そういえば、〈フェンリル〉の情報を持ってきた外部隊はどうしたね?」 「キャメル隊ですか? 作戦には参加しておりますが、隊長のジャック・バン・ラッシュ の姿はありませんでした」 「あの部隊は、今まで多くの戦果をあげてきたらしいじゃないか。その隊長がどうしたと いうのだ」 「さあ、自分にはわかりかねます」  傭兵隊指揮官は、失礼にならない程度に肩をすくめた。  エッケルトは鼻をならし、つまらない雑談をうち切った。少しはマシな情報が得られる かとも思ったが、時間の無駄だったらしい。やはり頼るべきは正規の軍人だな。司令官は 目の前のまずいコーヒーを、まずそうに飲み下した。一〇〇キロを隔て、くしゃみをして いる人物になど、彼は気づきもしなかった。 「明け方は冷えるよな」  ラッシュは軍服の襟のホックを閉め、辺りをうかがった。どうやら誰もいない。  反〈月〉勢力武装ゲリラ・キャメル隊元隊長は、〈フェンリル〉の内部をさまよってい た。仲間に告げたとおり、クロガミの救出に来たのだが、艦の無意味な広さに辟易してい たところだった。侵入を果たしたのは三日も前であるにも関わらず、得た物といえば敵の 軍服と食料だけで、不慣れで複雑な場所を案内図もなしに歩き続けていた。  だいたい、一〇キロという大きさが正気ではない。いくら〈惑星破壊砲〉の実装を可能 にするとはいえ、何も戦艦でなくてもいいだろうに。要塞でも建造して、宇宙にプカプカ 浮かべとけばかわいげもあるのだ。いやそれよりも、こんな艦を建造するより、地球の土 地を買ったほうが早いのではないか。ラッシュの愚痴は、日ごとに皮肉より悪意が強まっ ていた。  彼の知らぬところだが、〈フェンリル〉も〈ヨルムンガルド〉も、元をたどると戦艦で はない。火星や木星の資源採集用の拠点となる移動基地として建造され、実際に一年間は 目的を果たしていたのだ。バウアーが〈惑星破壊砲〉の実装を計画したとき、機動と補給 と耐久を考慮し、かつ迅速に完成させるために、この採掘拠点基地を利用したのである。 名前についても、戦艦として生まれ変わってからつけられたものだ。現在は使われていな いが、〈フェンリル〉の側面にある〈リニア式質量加速器〉は、コンテナ搬出用に造られ たものであり、採掘拠点基地の名残である。 「クロガミがこれに連れ込まれたのは確からしいが、いったいどこだ……?」  ラッシュは軍服を着ている安心から、平然と胸をはって艦内を歩いていた。バンダナは 目立つのではずしていたが、敵艦の中で堂々としていられるのは、神経の異常な太さのな せるワザだろうか。  それでも不意に扉が開けば、彼とて半瞬の驚きに襲われる。身を隠す場もなく、ラッシ ュは直立不動で相手を待った。  小太りで陰気な眼をした、襟に大将の階級章をつけた男だ。ラッシュはすぐに思い当た った。バリー総督である。彼に続き、数名の士官が部屋を出てくる。どうやら作戦室だっ たようだ。  敵大将と思わぬ遭遇を果たしたラッシュは、だが冷静であった。ここで騒ぎを起こして も殺されるだけだ。ならば機会を得るまで観察し、ついでクロガミの居所を確認しよう。 キャメル隊隊長として培われた経験と分析力は、彼をよりよい有効な行動へと導いた。  敬礼するラッシュを、バリーの背後につく中佐がひと睨みした。ニセの〈月〉軍人は、 視線をそらすようにさらに胸をはり、身体をかたくした。  コックス中佐は何かを言いかけたが、総督に話しかけられ、注意の対象をかえた。  そのまま一団が通路の奥に消えると、ラッシュは安堵して、静かにあとを追いはじめた。                  2  朝日が大地を公平に照らしだした頃、エッケルトは指令した。 「全軍突貫!」  地上部隊は全戦力で、全力をもって、敵陣に突撃を開始した。土煙と轟音と砲身の焼け る臭いを引きつれて、戦闘車輌は荒野を駆ける。  弾幕が視界を埋め、炎は柱となり、大量の死を生産していく。死にたくないと願う人間 も、勝ちたいと猛る人間も、思いを無視されて人生という舞台を退場させられていった。 残された者はただ、志なかばで散った仲間を踏み越えて、走り続けた。 「隊長の言ったとおりだ。死んでどうなるんだ!」  キャメル隊を任されたシャンドは、戦場へと飛び出していく他の部隊を横目に唾棄した。 総督のバリーが基地にいるというならまだ試す価値はあろうが、あの男はもっとも安全な 場所――〈フェンリル〉――で戦争ゲームを楽しんでいるだろう。総督の身柄でも確保で きないかぎり、基地の占領に成功しても、今度は我々が包囲され、補給も援軍もないまま 壊滅させられるだけではないか。  シャンドは意を決し、キャメル隊のみに通信を送った。 「我が隊は後退する。キャメル隊は後退だ!」  部隊の車輌は急ブレーキを余儀なくされ、幾人かは反感と反論に怒鳴った。 「ここまで来て逃げる気かよ! それに後退といっても、行くところなんざねぇぞ!」 「身を隠せればいい。ラッシュ隊長が戻るまで、わずかな戦力でも残しておかなければな らないのだ」  それ以上、怒気を発する者はキャメル隊にはいなかった。周囲の部隊が戦場へ向かうと、 彼らは気づかれぬように以前の隠れ家へと戻っていった。  後日、彼らの行動は、批判と称賛を受けることとなる。  同時刻、海上の〈地球〉艦隊も、再度攻撃をはじめた。ザイツ提督の用兵はたくみで、 潜水艦の長所と短所をきちんと見極め、艦隊の援護を的確に指示し、護衛艦隊を確実にし とめていく。  〈月〉側もやられてばかりではない。〈フェンリル〉はいぜん動かなかったが、迎撃の 砲火は衰えず、また少ない潜水艦をうまく誘導して、戦局を保っていた。  〈フェンリル〉は未だ全力ではないが、〈地球〉側にしてみれば善戦と賞していいだろ う。  両軍ともに四隻の艦を失ったところで、バリーの忍耐も底をついた。負けているわけで はないのだが、圧倒的戦力を持ちながら、意外なほど抵抗を受けるのが気にさわったらし い。実戦指揮の経験が薄い司令官にとっては、被害のでる戦いが好ましくなかったのだ。 「中佐、あれの用意だ」  コックスは耳を疑った。『あれ』が指すモノが何かを心得ているだけに、時期尚早と驚 いたのだ。敵は密集してるでもなく、距離も砲弾が届き、戦局は少なくとも負けてはいな い。それなのに、作戦でもなく使用するというのか。  副官は皮肉ともとれる具申を、オブラートで何重にもくるんで口にした。  地上でもっとも権力を有する者は、部下をにらみつけた。 「ワシの命令は聞こえたかね、中佐?」 「……わかりました。ただちに準備します」  コックス中佐は内心で舌打ちしながら、クロガミに指示した。 「〈惑星破壊砲〉用意」 「了解」  クロガミは、命令に従った。                  3  バリーの追跡によって艦橋へたどり着いたラッシュだが、侵入の不可能を知り、緊急通 路か大きな通風口でもないものか探し歩いていた。目的物発見を急ぐ彼は、途中、まった く別の大発見に遭遇する。  ある一室の前に、兵士が一人立っていた。あくびをかみ殺し、任務の遂行に尽力してい る。  あからさまのおかしさに、ラッシュはクロガミが監禁されていると睨んだ。見張りを実 力行使で退場ねがい、所持していたカードキーで扉を開く。が、部屋には見知らぬ壮年の 男がいるだけだった。 「なんだ、クロガミじゃねぇのか」  中の男は奇妙な〈月〉軍人に、とまどいつつも質問した。 「きみ、クロガミを知っているのかね?」 「まぁな。で、あんたは誰だ?」  男が「アーサー・ノーマン」と名乗ると、今度はラッシュが声を上げた。 「あんたが情報の送り主か? オレはキャメル隊元隊長ジャック・バン・ラッシュ。わけ あって侵入したんだが、ちょっと困ってたところだ。手を貸してもらうぜ」  ノーマンにことわる理由はなかった。二人は廊下でのびてる兵士を部屋に閉じこめると、 誰も来ないブロックへ身を潜めた。 「……そうか、クロガミが〈フェンリル〉を」  ラッシュは予想より厄介になりはじめた展開に、頭をかいた。彼が面倒を感じたときの クセである。 「驚かないのかね?」 「ああ、クロガミがT型だってのは知ってたからな。捕まったと聞いて、もしやとは思っ ていた」 「きみは、いったい? それにその左眼は、クロガミくんの義眼では?」  ラッシュは無言で左眼を外し、ノーマンに手渡した。  博士は自分の疑問の正しさに、球体と彼を交互に見つめた。 「オレも、T型さ」 「!」 「……もっとも、最終候補でおわったがな」 「それじゃ、きみも――?」  「ああ」ラッシュはおどけた笑顔で言った。 「第五都市の空襲で、死にかけた一人さ」  ノーマンは沈黙した。空襲を受けた彼を気遣ったわけではなく、その後の自分たちがし た行いに、胸が痛んだのだ。  ラッシュは沈みこむ博士の肩を、軽く叩いた。 「おいおい、オレは感謝してるんだぜ。あんたらのおかげで、こうして生きてられるんだ からよ。そりゃ、クロガミみたいになってたら許さなかっただろうが、少なくともオレは オレでいられてる。だからオレに関しては、責任を感じるこたぁねぇ」  だから不憫なクロガミを助けるために、力を貸してくれ。T型〈BIO〉になりかけた 青年の笑顔は、ノーマンの心の氷塊を、ほんのすこし溶かした。 「さっそくだが、どうすればクロガミを元に戻せる?」 「きみがこの左眼を扱えるならば、クロガミの〈BIOS〉に接触して、脳の記憶中枢を 刺激すればいい」 「具体的には、どんな信号を送ればいいんだ?」 「難しく考える必要はない。記憶が戻るよう念じれば、〈BIOS〉が勝手に処理してく れる」  感心するラッシュだが、ノーマンには安心できない要素があった。ラッシュのT型〈B IO〉としての適性である。  もし適性者であるなら、彼はクロガミやロジィのようになっていたはずで、そうでない から、彼は今こうしていられるのである。 「オレも気にはなっていたが、状況が状況だ。できるだけやってみるさ」  ラッシュとノーマンは互いにうなずきあい、一蓮托生の決意をかためた。  「あとで迎えに来る」このさき足手まといとなるだろう博士を残し、青年はクロガミの 待つ艦橋へ向かおうとした。  ゴ、ゴゴゴ……。  〈フェンリル〉が突然揺れた。続いて大量の水が騒ぐ音と、波の発生がおきた。  二人はあわてて外を覗いた。  艦首部分が三つに分離し、花が咲くように大きく開く。中心部からは巨大なレンズが顔 をのぞかせ、別れた艦首の先端からは放電が起きていた。 「〈惑星破壊砲〉!」 「今からクロガミの救助にいってたら間にあわねぇ! 博士、何とかなんねぇか?」 「……あるとすれば、きみの左眼しかない。そこの艦内通話パネルから、クロガミくんか 〈惑星破壊砲〉にアクセスして動きをとめるしかない」  ラッシュは駆けより、同時に義眼をTモードへ移行させた。五年前、強制的に覚えさせ られた風景を、彼はおぼろに思いだした。 「おい、自分ではアクセスしてるつもりなのに、結果が返ってこねぇぞ!」 「きみの右眼がT型ではないからだ。ともかく信号を送り続けてくれ」  ラッシュは舌打ちし、クロガミを呼び続けた。端末を通して、〈フェンリル〉の中枢に いる少年に「正気に戻れ」と声をかける。実際に願いは届いているのか、それ以前にTモ ードは正常に機能しているのか、青年にはわからなかった。  不安な精神状態が、良い結果をもたらす例はない。彼の想いとは裏腹に、〈惑星破壊砲〉 は力を蓄えていった。  「ダメだ!」ラッシュは通信パネルを殴りつけ、「直接ブリッジへ行く」と言い残し、 博士に振り返ることなく走り去った。  しかしオオカミの咆吼は、誰にも止められなかった。  悪しき歴史が、新たな一ページを刻んだ。                  4  来る。  恐怖が、  憎悪が、  消滅が。  もう二度と、おきてはいけなかったのに。  もう二度と、おこしてはいけなかったのに。  なんで、繰り返すの?  イタイノハ、イヤナノニ――  ロジィは監禁された地下室で、独り叫んでいた。薄暗い部屋で、風もそよがない部屋で、 冷たい部屋で、苦しみもだえていた。〈フェンリル〉の記憶が蘇り、全身を針でかきむし るような痛みが走る。 「タスケテ。タスケテ。タスケテェ……!」  絶叫する少女の脳裏に、ガラスが砕けるような音が響いた。次の瞬間、消え去っていた はずの、〈フェンリル〉よりも深い過去がはじけた。  あれは七歳の時。両親に連れられて、初めて〈地球〉へ降りた。太陽の熱さと、いろい ろな花の香りが忘れられない。でも、虫は嫌いだった。  あれは一〇歳の時。大好きだったペットのミル――雑種の猫――がいなくなった。もう 老年で、死期を悟ったからだとお父さんは言った。わたしは泣いた。  あれは一三歳の時。仲良しの友達と初めてケンカした。原因は好きな男の子をバカにさ れたからだった。次の日、彼女が謝ったので仲直りした。  あれは一五歳の時。空から無数の光が降ってきた。怖かった。痛かった。でも、それ以 後は覚えていない……。  ロジィは抱え込んでいた頭をあげて、部屋を見渡した。どこだろう、知らない場所だ。 何もないし、それに寒い。  立ち上がり、扉を目指す。さきほどから床が揺れている。地震だろうか? 「チガウヨ」  「だれ?」不意の声に、ロジィは視線を走らせた。誰もいない。 「ワタシハ『ろじぃ』。アナタハ、ダレ?」 「なに? いったい何なの? わたしがロジィよ。あなた誰なのよぉ!」 「アナタモ『ろじぃ』? ろじぃハナンデオビエテイルノ?」 「……やめて。誰よ! いったい何が目的なの? お願いだから、もうやめてよ!」 「モクテキナンテ、ナイヨ。ワタシハタダ、オハナシガシタイノ。アナタノコトガ、シリ タイノ」  部屋の隅にうずくまる少女は、初めて気がついた。その声が自分のものであることに。 自分の口が、発声していることに。 「い…、いやぁ!」  少女の精神は、そこでとぎれた。恐怖と混乱が、弱い心を支えきれなかったのだ。 「ワタシハ、ダレ? センセイ、オシエテ……」  ロジィは悲しげに、扉にふれた。                  5  掌に『力』があった。  強い、強すぎる『力』だ。  今は解放され、掌には『力』の残滓があるだけだった。  オレはこんなものは欲しくなかった。捨てさり、消滅させたかった。  そう願うオレの心は、すべてが終わったとき、蘇った。  オレの右眼に、あらぶる海が見える。海だけが見える。その場所には〈地球〉の艦隊が あり、砲火を交えていたはずだった。  消えている。人も、艦も、形さえ残さず、消えている。  オレは吼えた。胸がはり裂け、心が砕けそうなほど、絶叫した。  ――!  声が、重なった。  オレの叫びに呼応するように、女の悲鳴がこだました。同時に、えぐられた大地の映像 が頭に浮かび、人が溶けさり、死を迎える瞬間をコマ送りで焼きつけられた。  人の死の姿ではない。生命の本質ではない。あってはならない命への冒涜であった。  少女の嘆きはおさまらなかった。自分を責める、悲しみと苦しみの嗚咽だ。  聞き覚えのある、か細い声だった。  ロジィ。  かつて〈フェンリル〉を制御していた、T型〈BIO〉。  そうか、彼女はこうして、心を壊したのか。自我を切り捨てることで、自分を支えてい たのか。  オレよりも小さな少女は、オレよりも深い傷を負い、未だに死んでいるのだ。  あのときにオレが〈フェンリル〉を撃墜していたならば、彼女はもう少し救われていた だろう。強制された生を終え、静かに眠れただろう。  そのために、オレはいたはずだった。  フェラー博士は、それを望んでいた。  今なら思い出せる。あのとき、博士がいった言葉を――