記憶  わたしは星のなかに浮かんでいた。  たくさんの輝きが見える。  近くに、遠くに。  このまま漂っていたかった。  それがわたしの幸せなんだと思ったから。  けれど、わたしは感じていた。  すぐ側に、『敵』がいるのを。  「敵機確認」誰かがそう言った。いえ、わたしが口にしたようだ。  見える。青灰色に染められた戦闘艇が。『敵』の兵器が。 「撃墜せよ」  わたしの耳にそんな言葉が入った。わたしは「了解」と応えていた。  三〇機ほどの戦闘艇がわたしの身体をとりかこみ、火器を使用する。肌に軽 い痛みが走るが、叫ぶほどではなかった。  わたしはおちついて『敵』の動きを観察し、そして「撃て」と命令した。  わたしの身体から数えきれないほどの光条がとんだ。それにふれた『敵』が、 はじけて消えていく。  キレイだとは思わなかった。不快でもなかった。何も感じなかった。  二度目の命令で、わたしのまわりは静まり返った。 「さすが〈フェンリル〉。これで我々の勝利は確実だな」  わたしの側で、誰かが笑った。わたしには意味がわからなかった。 「時間だ、主砲開け」  わたしはまた「了解」と応えた。目前の青い星にむかって、両手をいっぱい に伸ばす。  掌が熱くなっていく。  わたしは初めて不快になった。  この掌に集まる『力』は、胸をかきむしり、嘔吐感をひきおこす。  はやく手ばなしたい!  しかしわたしの気持ちとは裏腹に、『力』はさらに強まり、比例して気持ち が悪くなっていった。 「未確認体接近」  わたしはわたしを突き放すような冷静な声で、そうつぶやいていた。今まで とは違う機体、記憶にない外観だった。 「照合データなし」 「データにない機体か。では、『敵』だ」  わたしはそれを受けて、前方から単独で向かってくるモノを『敵』と認識し た。『敵』は排除せねばならない。 『目標確認』  知らない声が聞こえた。わたしだけに聞こえた。  だれ?  答えはなかった。  かわりに、わたしの側で「かまうな」という叫びと、「主砲撃て」という命 令が響いた。  わたしはやはり、「了解」と口走っていた。  掌から赤い光が、眼下の青い星にむかってのびていった。  それと前後して、『敵』から四発の砲弾が放たれた。でもわたしに痛みはな かった。  『敵』はわたしの光に巻きこまれ、墜ちていった。  光は静まることなく地表に突き刺さった。それだけでは飽きたらず、わたし の腕の動きをトレースするように、地面をえぐりながら這いずりまわった。砕 き、削り、壊し、吹き飛ばし、有ったものを無へかえした。  掌の熱さがきえ、気分が落ち着いたときには、地表は巨大な蛇がのたうちま わったような傷痕を残していた。  わたしは呆然とし、それから指示を受けて被害状況を確認した。  何もなかった。  黒く焼けこげた地面が何百キロと続き、街は消失し、命の鼓動は停止してい た。  直撃を逃れた場所は、さらにひどかった。生と死の狭間をかろうじてさまよ う光景が、地平線まで埋めつくしている。  吐き気がした。これがわたしのしたことの結果だと知り、よけい苦しくなっ た。  わたしは叫んだ。絶叫した。大きくかぶりを振り、現実を拒否した。  血塗れで、あえぐ子供が見えた。わたしは必死で手を伸ばした。助けてあげ たかった。 「どうした、とまれ!」 「ダメです、暴走しています!」 「何とかしろ!」  わたしの側で幾人もの声が入り乱れている。でもわたしは気にかけなかった。 それよりも、わたしの眼に映る人々を救ってあげたかった。  わたしは墜ちていった。  暗い闇を裂いて。  熱い風をきって。  白い霧を抜けて。  青い海に向かって――  そして、わたしの記憶はとぎれた。    第一章 クロガミ                  1  少年は海岸線に沿って歩いていた。  街を出てすでに三日が過ぎている。情報では次の街が近いはずなのだが、右 眼はその影を映さなかった。  彼は『少年』と言うには大人びて見えるが、『青年』と呼ぶには無理がある 年頃だった。体格は年相応で、大きくもなく細すぎもしない。黒い髪は太陽と 砂になぶられてボサボサで、その奥には少々鋭すぎる眼光を放つ瞳があった。 しかしそれは右側だけで、左眼は眼帯でふさがれていた。義眼の発達している 現在、隻眼でいる理由などない。実際、彼の右眼は義眼だった。けれど彼は、 左眼を黒いプラスチックの板のような物で完全に隠していた。少年が少年らし くとらえられないのは、その左眼と、能面とも思える表情の少なさゆえだろう。  太陽が頂点にさしかかる頃、少年は今まで気づかなかったものを発見した。  彼の前には、陽光を浴び、銀の輝きをまとう海が視界を埋めるほど広がって いた。感情を持ち合わせる者ならば、瞳に映る景色にわきあがるものがあった だろう。が、少年にはあたたかな感慨はなく、逆の意味で心をたぎらせていた。 「〈フェンリル〉……!」  少年の視線のさきに、海を貫いて突き刺さる物体があった。〈月〉で建造さ れた、全長一〇キロにも及ぶ巨大戦艦の船尾である。大地を灼き、多くの命を 奪い、現在の世界をつくったモノだ。  そう、あの日、あの一撃が、現在をつくったのである――  澄みきった空に、小さな黒いシミが見えた。陽の光で、輪郭を揺らがせてい るそれは、優雅に漂うただの飛行船だろうと、地上にある者は思った。むしろ 存在すら気づかなかった者のほうが、多数を占めていた。  それが一斉に注目されるようになったのは、テレビの臨時放送が世界を駆け めぐったからだ。  人々はざわめき、恐慌にとらわれながら天を仰ぐ。  巨大な人工建造物の正体は、史上最大の船であり、類を見ない兵器であった。 報道により〈フェンリル〉という艦名と、〈月〉側の最新鋭戦艦だと明らかに された。さらにその艦が持つ圧倒的な力が各情報メディアから流れると、地上 人は混乱の渦へと自ら飛びこんでいった。  核兵器の廃絶が行われて二〇年、レーダーなどの索敵システムがほぼ無効化 されて一五年、戦争の形は旧時代にさかのぼっていた。近距離レーザー通信以 外の情報伝達方法は意味をなさず、戦闘は艦隊と航空機や戦車などによって行 われ、索敵は目視が基本となっていた。人類は宇宙へと足を伸ばし、〈月〉へ 生活圏を求め、〈木星〉で資源を採掘しているというのに、戦争だけは制空権 の高さを馬鹿らしいほどスケールアップしただけだと論評する者もいる。艦隊 と艦隊が宇宙でぶつかり、宇宙戦闘機が現実にドッグファイトするなど、映画 レベルの話であると。しかしそれが現実であり、戦争を切り捨てられない人類 の姿だった。  地上と、新天地となった〈月〉との抗争がはじまって、半年が過ぎていた。 発端は資源の所有権や月での生活物資の不足、それにともなう経済問題、環境 不適応者の強行的な地球回帰運動など、いくつかの説が流れたが、正確なとこ ろはわかっていない。すべてが運悪く積み重なっていったとも考えられるし、 もしかすると別の原因が隠されているのかも知れない。わかっているのは、こ の争いが今や世界中を巻きこんでおり、情勢は〈月〉側有利で進み、さらに新 たな兵器が持ち出したということだけだった。  〈フェンリル〉艦橋で指揮をとる〈月〉側総司令官バウアーは、地上からの あらゆる抵抗を払いのけ、歴史を決定づける一撃を定刻どおり解き放った。  その威力は人々を沈黙させた。  敵は萎縮し、艦隊の動きをとめた。降伏勧告を出せば、すぐにも応えるだろ う。それほど強圧で凶悪な暴力の具現化であった。  その後、時代をもたらすはずであった〈フェンリル〉が突如暴走をはじめ、 海に激突するという事故があったが、勝勢は動かなかった。〈フェンリル〉の 同型二番艦を改良した〈ヨルムンガルド〉と新司令官ラルフ・ブルックナーに より、〈月〉側の意志は貫徹されたのである。  なお、余談ではあるが、バウアー司令官を含む〈フェンリル〉搭乗員の半数 以上は死亡し、残りは脱出後、捕虜となった。逃亡に成功した者も若干存在す るという情報もあるが、定かではない。  ……あの日、地球上の人口の何割かが失われ、都市は消え、多くの国は歴史 となった。人々が豊かになるべく造りあげた文明は停滞どころか退化を強制さ れ、戦争の爪痕が悲しい時代を到来させた。  戦争終結後、〈月〉の総司令だったブルックナーは軍事独裁政権を確立し、 〈地球〉を植民地化していたが、資源の枯渇した惑星に興味を持たないのか、 圧政をひかないかわりに善政も行わず、『野放し』という表現が正鵠を射た状 態であった。地上は地球方面総督ルイス・バリー大将に一任し、「総統」とな ったブルックナーは、〈月〉で掌の上の青い星を眺め、ほくそ笑んでいた。  あれから五年、現在も地球上には以前の活気はない。未だ食料と医師は不足 し、時代遅れの山賊と海賊が街を荒らしている。民族・宗教問題による地域的 な紛争もあいかわらず絶えず、さらに異常気象も世界の混乱に拍車をかけてい た。ゆいいつ安定した生活が保障されていたのは、〈月〉の駐屯基地がおかれ た街くらいなものだ。それにしても『支配下の自由』であり、物質面をのぞけ ばけして安寧ではない。  それでも残された人々は協力しあい、各地に都市を造りだしていた。行政府 を開設し、治安維持隊を配備し、各都市との貿易も行っている。小さな幸せの ために、人は精一杯生きていた。  少年の右眼には、世界を変えてしまったあの日の〈フェンリル〉が焼きつい ていた。彼個人にしても、左眼を奪われ、長い年月を刈りとられた忌まわしい 存在だった。  少年は半分だけ水没している〈フェンリル〉をにらみつけ、何かをふりきる ように街へと急いだ。  彼にはまだ、五年前の戦争は終わっていないのだ。                  2  暗い深淵に、わたしは独りでいた。  星の中とは違う、でもとても似ている闇の底。  静かで、冷たいけれど、心がおちつく。  あのときを思い出すくらいなら、わたしはここでずっと眠っていたい。  たくさんのものを壊してしまった。  たくさんのものを奪ってしまった。  だからわたしは、独りでいたい……。  少女は大きく目を見開いた。いつもより浅い眠りだった。夢を見たような気 もしたが、覚えてはいなかった。  視界に映ったのは、紺とオレンジのグラデーションに、目立たぬ光の瞬きだ った。それで少女は、自分が砂浜で海を眺めていたのを思い出した。  少女には正確な時間を知るすべがなかったが、夜が近いのはわかった。  帰ろうと思い立ち上がると、『センセイ』に買ってもらった白いワンピース から砂がこぼれた。まだしつこく残る砂を払うそぶりもなく、少女は海に背を 向ける。  だが、彼女は一歩を踏み出せなかった。  少女の眼前に、わざとらしくターンをかけて急停車した車があった。旧式の 軍用ジープだ。整備不良のエンジンが大きくうなり声をあげ、砂煙が少女に覆 い被さった。  ジープには〈月〉側の軍服を着た三人の男が乗っており、もっとも年長と思 われる男が、助手席から身を乗りだした。 「よぉ、こんなところで何してんだい?」  つくられた親しみにあふれた声と表情で質問をすると、三人の男は少女の値 踏みをはじめた。  年の頃は一〇代半ば、肉感的にも女性を感じさせず、かといって子供のよう な闊達さにも欠け、まるで人形のようだった。独特のルビーのような瞳は何を 映しているのか、まっすぐ向いたまま動こうとはしなかった。  男たちは、奇妙に思いながらも絶好の獲物と認定した。歳や態度に問題はあ るが、それなりには楽しめるだろう。彼らはいつもどおり、自らの欲求を満た すため、悪意を潜ませてまた尋ねた。 「家はどこだい? 乗せてやるぜ」  少女はやはり解答せず、彼らを無視して通り過ぎようとした。 「待てよ、おい!」  その手を男が捕まえた。必要以上に力を込めたのは、脅しの効果を狙ったか らだ。  少女は鈍い痛みを感じると、原因箇所を確認し、原因となる人物を見つめた。 「ハナシテ」  抑揚のない声が発せられた。  男たちは、この状況に緊張感を示さない少女に強い不審を抱いたが、欲望は おさまるものではなかった。「イヤだね」と答え、小さな身体を車へひっぱり こむと、運転席の男に車を出すよう命令した。  しかし車は走り出そうとして、すぐに急ブレーキを踏んだ。今度は少女の時 とは反対に、ジープの前に人が立っていたのだ。 「なんだ、ガキじゃねぇか。さっさとどけ!」  運転手がわめくのを冷然と無視し、隻眼の少年は三人の男たちの眼を凝視し た。そして後部座席を一人で占領している男を指さした。 「あんた、義眼だな?」  眼を合わされた男は軽いとまどいを受け、硬直した。 「確認する。それを貸せ」 「な――!」  後部座席へとまわり、右手を差しだす少年に、男たちは言葉を失った。 「素直に従え。でなければ、実力行使に出る」 「ふざけるな!」  彼の命令は、男たちを刺激するには充分だった。三人の右手は同時に腰へと すべり、ホルスターから得物を引き抜く。そして少年に対して、銃口を向けた。 「ガキが。金を置いてさっさといくんだな。命だけは見逃してやる」  大人としての譲歩なのか、それとも有利な立場にいる余裕なのか、男は嘲笑 した。  しかし少年は動じない。 「もう一度言う。義眼を貸せ」 「おまえ、自分の立場がわかってるのか?」 「三度目はない」  少年は一歩踏みだし、車の下に右のつま先を引っかけた。  何をする気だ、と男たちが改めて銃をかまえなおしたとき、鋭いモーター音 とともに車が横転した。  少年が蹴り上げたのである。  混乱しながらも車から這いでる男たちを、一人は殴りとばし、二人目を蹴り つけ、最後の義眼の男は片手で吊しあげた。 「わ、悪かった。義眼だな? 貸せばいいんだな?」 「もういい」  少年はあいている右手で、おびえる男から義眼をえぐり出した。さほどの痛 みは伴わないものの、無理やり眼球を奪われるという行為に、男は絶叫をあげ た。  用のなくなった男の身体を、彼はゴミを捨てるように砂浜へ投げだした。そ のショックで気絶したのは、男にとってむしろ良かったのかもしれない。  少年は手に入れた二つの眼球を、何度も確認した。しかし求める物とは違う と知り、指先で砕いた。  少年の背後から、第四の動体反応があった。彼はふりかえり、身構える。  そこにはジープから這いだす少女がいた。何事もなかったように立ちあがり、 少年をかえりみることなく通り過ぎる。  少年が呆気にとられたとすれば、今回がはじめてであったろう。  数秒の自失ののち、少年は声をかけた。彼女を巻きこむのを承知でジープを 蹴り飛ばしたのだが、こうまで無視されると逆に気にかかった。 「おい、大丈夫か?」 「……ヘイキ」  言葉をつむぐ間だけ振り向き、彼女はまた歩きだす。  彼はわずか三〇秒の間に、二度も呆然とさせられるという貴重な体験をした。  そして少年は、さらに驚くべき出来事に遭遇する。  少女は、義眼だった。しかも彼が欲する、あの特殊なタイプかも知れない。 彼の右眼は、そう感じた。 「……とまれ」  少年は、激しく鼓動する自分の心臓にも訴えかけるように口走った。  少女は足をとめ、再びきびすを返した。 「おまえの義眼、貸してくれ」 「……イタイカライヤデス」  正論だがどこかずれている彼女の解答に、少年は辛抱強くもう一度繰り返し た。しかし彼女の返事も、まったく変化がなかった。 「三度目はない。悪いが無理にでもいただく」  少年は遠慮なく少女に襲いかかった。左手を伸ばし、さきほどの男と同様に 吊しあげるつもりだった。  が、あと数センチの距離で少年の手はとまった。いや、全身の動きがとめら れていた。  少女は、その奇妙な光景をごく当然のようにとらえ、彼に対して寂しげな笑 みを浮かべた。 「……イタイノハイヤ。ナンデ、ワカッテクレナイノ?」 「お、おまえ、いったい……?」 「ワタシ? ワタシハ『ろじぃ』。アナタハ、ダレ?」 「オレは――」  少年はなぜか素直に答えようとしていた。わからない。自分の意志ではない はずなのに、少女には逆らえなかった。 「オレは、『クロガミ』と呼ばれていた。だが、本当の名前じゃない」 「ホントウジャナイ? ソレジャ、アナタハナンテヨバレタイノ?」 「好きに呼べ。オレには名前などいらない」  「ドウシテ?」と尋ねるロジィの言葉は、不意の呼びかけによって消された。  少女を呼んだのは、四〇代前半のメガネをかけた男だ。車を路上でとめ、二 人のそばに駆けよってくる。  ロジィは少年から視線を移し、「センセイ」とつぶやいた。その瞬間、クロ ガミは身体が自由になったのを知り、「次はいただく」と言葉を残してその場 から走り去った。  周囲で横転している車や、のびている軍人たちを目にして、『センセイ』は とまどった表情を浮かべた。 「何があったんだ?」 「ヨクワカラナイ。クルマニノセラレテ、くろがみガタオシテ、ギガンヲクレ ッテ」 「あの少年は?」 「くろがみ」 「クロガミ……?」  彼はその名に、引っかかるものがあった。                  3  クロガミは港のはずれに古い倉庫を見つけ、一夜を過ごそうと忍びこんだ。 かなりの年月放置されていたようで、割れたガラスや腐り朽ちたコンテナなど が散乱している。少年は倉庫の隅を占拠して、携帯食料の乾燥肉と乾パンでエ ネルギーを補給した。  するべき作業を終え、彼は横になった。  とたんに、ロジィという少女が思い出された。  彼女についての疑問が三つ浮かぶ。一つに義眼を持つこと。次に身体が動か なくなったこと。最後に、彼女の質問にあらがえなかったことだ。  あの義眼は、もし彼が望む物だったとしたら、なぜ彼女が持っているのだろ う? アレは普通の義眼ではないのだ。少年の知るかぎり、世界に数えるほど しかないはずだった。軍人ならともかく、民間人の少女がなぜ、何のために必 要なのか、理解しがたい。 「もしかして、あいつも――」  少年ははじきだした結論に頭を振った。推測どおりならば、残り二つの疑問 も納得できる。しかしそれを認めるのは、彼には苦痛だった。それがなぜであ るのか、彼自身、諒解できなかった。  ……ガタ  それは本当にかすかな音だった。通常、人の耳には届かない距離で発せられ たものだ。  音をつむぐ発生源は、徐々に数を増し、距離を縮めた。  少年は右眼の調整をし、荷物を手早くリュックへかたづけた。今や彼の目に は、『敵』の輪郭がはっきりと見えていた。  武装をしており、歩調とクセに統一性がある。  軍人だ。数は断定はできなかったが、二〇人ほど。  少年はポンチョと荷物をまとうと、足音を立てずに出口へ進んだ。  扉に背をあずけ、そっと外をうかがう。正面に配置された敵は、六人。草む らのなかで発砲体勢をとっている。 「さて、どうする――?」  疑問に解答はいらなかった。さきほどまで少年がいた奥の部屋と、両側面の 窓が同時に爆風で吹き飛ばされたのだ。激しい機銃の絶叫、たちのぼる煙、踏 みこむ敵兵士の群れ。  少年は退路を断たれ、強制的に二択を迫られた。降伏か、死か。  決まっている、彼は戦うためにここまで来たのだ。第三の選択肢を、切り開 くのみだ。  クロガミは脚部に命令を伝達し、正面で待ちかまえる六人へと飛びだした。  予想はしていたであろう軍人たちも、彼の速さまでは予測しきれていなかっ たようだ。引き金をひく間もなく、二人が瞬時に殴りとばされ、残りは浮き足 だった。 「正面、援軍――!」  三人目は、言葉を終えずに倒れた。  作戦実行前、「殺すつもりでやれ」と言われたのを、彼らは等しく想起して いた。しかしいまさら後悔しても、時は戻らない。  最後の一人が戦闘力を失うのに、それから三〇秒を必要としなかった。  突入部隊が仲間のもとへ合流したとき、少年の姿はすでに闇へと溶けこんで いた。  それにしても早い。クロガミは『敵』の行動の迅速さに舌打ちを禁じ得なか った。装備と服装から、〈月〉側の人間だと断定できた。しかしなぜ居場所が 知れたのだろう。まさか夕刻の一件からだとは思えないが……。  クロガミの拘束に失敗した部隊長は、口惜しさに震えながら上官への連絡を 行った。対して通話相手の声には落胆の色はなく、撤収の指示を下しただけだ った。彼には結果が見えていたのである。今回はその手始めであり、いわばテ ストのようなものだ。無線を切った彼の顔には、笑みさえ浮かんでいた。 「どうやら本物らしい。これで計画が進みそうだ……」  クロガミの生存を喜ぶように、男はグラスを掲げた。    第二章 〈BIO〉                  1  あの声、どこで聞いたのだろう?  なんとなく懐かしかった。  怒っているみたいだったけど、キライじゃない。  そうだ、あのときの声だ。  わたしが星の中にいたとき、叫んでいた。  あのときあの人は、わたしを憎んでいた。  今もそうなのかな?  そうだったら、悲しいな……。  ロジィは静かに瞳をあけ、光を受けとめた。  上体をゆっくりベッドから起こす。粗末な家具と統一性を欠く調度品にかこ まれた、見慣れた家の中だった。不思議な夢の余韻が残っているのか、しばら く窓の外を意識せずに眺めていると、壊れたままの扉の奥から声が届いた。 「おはようロジィ、よく眠れたかな?」 「オハヨウゴザイマス、センセイ。ユメヲミマシタ」  「どんな?」彼は驚いてロジィの枕元に立ち、反問した。彼女が夢を見たと いう話は、今までになかったのだ。 「ヨクオボエテナイ。デモ、ウレシクテカナシイ」  ロジィは言葉で説明するのが苦手だった。口数も少なく、ごく親しい者にで も質問に対する解答以外はほとんど話さなかった。今でこそロジィに『センセ イ』と呼ばれている彼――アーサー・ノーマン――だが、彼女との会話が成立 したのは、ともに暮らすようになって三ヶ月後である。だからもしノーマンが、 昨日のクロガミとロジィのやりとりを目撃していたなら、驚くだけではすまな かっただろう。  ノーマンは意味をつかみきれなかったが、優しげにうなずいた。「食事にし よう」とうながし、キッチンへとさがった。  ロジィの食事は質素で、少量である。本日はバターを塗ったパンを一枚と、 小皿にのったサラダ、それに一杯のミルクである。それを彼女の倍以上のメニ ューをもつノーマンと、同じ時間をかけてゆっくりと食べる。これはことさら 彼がロジィを虐待しているわけではなく、今までの経験からノーマンがつくり あげた立派な献立だった。  最後のミルクをかむように飲んでいる少女に、彼は告げた。今日は往診の日 だから、夕刻まで帰らない。留守番を頼む、と。  ロジィはいつもどおり「ハイ」とうなずいた。  ノーマンは医師である。五年前、戦争の終結後、彼はこの街へとやってきた。 素性が知れない流れ者の医師は、一部では〈月〉の人間ではないかとのウワサ があったが、〈フェンリル〉よって大打撃を受けたこの地区には医者は貴重で あった。  彼は精力的に働いた。軍人も民間人も、〈月〉側の人間でも〈地球〉側でも、 隔たりなく医師としての責務を果たした。そのうちに人々は彼を認め、今では 街にとって最も重要な人物の一人となっていた。 「そうだロジィ。もしきのうの少年が来たら、待っててもらいなさい。フェラ ー博士について話したいからと」  『フェラー』という固有名詞に首をかしげたが、ロジィはまたうなずいた。  ノーマン医師は、満足げにほほえみ、出ていった。  扉を閉め、車のカギをポケットから取りだす。ドアロックを解除し、乗りこ もうとしたとき、背中から気配を感じた。  彼が振り向くのを待っていたように、〈月〉軍軍服を着た若い士官が声をか けた。その一歩後ろには、四名の兵士が銃をかかげている。 「バリー総督がお呼びです。お越し願います」  ノーマンは驚きはしなかった。『バリー』は知己であり、用件も予測がつい ていたからだ。それでも彼は、快い返事を持ち合わせてはいなかった。 「……わたしはもう、軍とは関係ないはずだが?」 「自分は命令を受けてお迎えにあがっただけです」  模範どおりの解答をされ、医師はため息をついた。これ以上の問答は無用だ ろう。彼らの銃は飾りではなく、ましてやオモチャの兵隊ではない。それにバ リーのやり口は良く心得ていた。 「自分の車で行くが、いいかね?」 「かまいません」 「それと中にいる――」 「お嬢さんには何もいたしません」  ノーマンの言葉を先回りし、柔和な表情を見せる士官だが、「あなたが従順 であれば」と言外で語っていた。  医師はあきらめて、先導する軍用車に従った。                  2  昨夜の襲撃をきりぬけ、町はずれの灯台に身をひそめて様子をうかがってい た少年は、三キロ先のノーマンの姿を義眼に捕らえた。彼は、ロジィという少 女を連れていった男だ。だとすれば、あの家にロジィがいるのだろう。  三台の車が、北部にある〈月〉軍事基地への道をとったのを確認すると、少 年は右眼の映像を標準モードへ移行した。望遠されていた画像が、通常の人間 と同じ距離感で像を結ぶ。そして、あの家へと向かって走りはじめた。  ロジィの家の周囲は、五年前の焼け跡――加えるなら〈フェンリル〉落下に よる津波の被害――から復帰しておらず、民家が少なかった。そのためクロガ ミは、人目につくことなく目的地にたどりついた。  壁に背をあて、一度だけの深呼吸。  窓が開け放たれているのを見てとり、音も立てずに進入を果たす。  狭い家である。少女が独り、ベッドに腰かけ外を眺めているのが目についた。 「ダレ?」  できるかぎり気配は消しているつもりだった。しかしロジィは、壁に隠れて いるクロガミを感知した。  クロガミは静かに、少女の前に歩み出た。 「くろがみ……」 「約束どおり、義眼をもらいに来た」 「ソレハイヤデス」  ロジィは悲しげに否定した。  クロガミは焦らず、少しずつ少女に近づいた。 「おまえは、〈BIO〉か?」 「〈びお〉?」  〈BIO〉とは、〈脳波感応操者〉の略称である。〈BIOS〉と呼ばれる 義手や義眼などの操作を、脳波で制御できるシステムを積んでいる者を指す。 このシステムのおかげで、人は失った身体を不足なく活動させることができる のだ  クロガミも、〈BIO〉である。 「いや、〈BIO〉であるのは確実だな。Tタイプの〈BIO〉か、と訊くべ きだな」 「ワカラナイ……」 「なぜわからない。おまえはいったい、誰なんだ?」 「ワタシハ、『ろじぃ』」 「そうじゃない。おまえは、何を隠している?」 「ナニモカクシテナイ。ナニモワカラナイ。ワタシハセンセイノコ……」  ロジィは頭を抱えた。何かを思い出そうとすると、頭がひどく痛み、思考が 働かなかった。  少年は、手を伸ばせば少女に届く距離で、足をとめた。 「そのセンセイは、〈月〉のヤツらについていった。あいつは何者だ?」 「センセイハ、イシャ。ワタシヲタスケテクレタ。ナニモワカラナイ」  ロジィの苦しみはひどくなる一方だった。少年は無意識に彼女の髪にふれた。  頭にのせられた体温のない掌に、少女は安心を感じた。その感情が何かを、 彼女は知らない。 「わからないならもういい。だが、義眼はいただく」  ロジィは顔をあげ、「ナゼ?」と問い返した。苦痛の色は徐々におさまり、 ゆがんでいた表情もおちついていた。 「任務を果たすため」 「ニンム?」  ロジィの瞳に、きのうの強制力はなかった。だから少年は口をつぐみ、ひと 呼吸おいてから「確かめる」と、少女の義眼をのぞきこんだ。  クロガミとロジィの瞳の奥で、小さなレンズがいくつか回転し、焦点を収縮 させた。見えない光の信号が高速で交錯し、電気信号に変換され、脳に刺激を 与える。  わずか五秒のつながりののち、クロガミは少女から離れた。 「……オレにおまえの左眼があれば、おまえの忘れているものをすべて引きだ せる。その左義眼は、Tタイプだ」 「ワスレテイルモノ、スベテ……?」 「そしてオレの任務も、果たせる」  少年は掌をさしだした。 「おまえはオレと同じだ。だから暴力に訴えたくはない。素直に義眼を貸して くれ」 「……」 「任務が終わればかならず返す。それにおまえも過去を思い出したいだろ う?」  「カコ……」つぶやいた少女は、また強烈な頭痛に襲われた。ベッドの上で のたうち、悲鳴をあげる。  クロガミはあまりの変化にとまどい、手をさしのべようとした。だが、少年 の身体は意志を無視された。 「またか!」  少年は舌打ちし、少女を正気に戻すべく、声をかけ続けた。しかし少女の苦 しみは、いっこうにおさまらなかった。  クロガミの脳に、警告が走った。 「くそ、こんなときに『敵』か!」  かろうじて動く右眼を動かし、状況の確認を急ぐ。遅かった。すでに囲まれ ている!  軍服を着た男たちが、一斉になだれこんだ。  少年は最大級の舌打ちをする以外、反抗の術を持たなかった。が、奇妙なこ とに、『敵』兵士の義手を持つ者や通信機にも一部異常をきたし、混乱が起き た。 「〈BIO〉は退がれ。あの娘の暴走にまきこまれるぞ」  中佐の階級章をもつ男がさけび、該当者は屋外の警戒についた。それにより クロガミの包囲はゆるんだが、気休めにもならなかった。 「連行しろ」 「オレを、どうするつもりだ?」 「わたしに権限はない。バリー総督のもとへ連れていくだけだ」 「バリー中将?」 「今は大将だ」  中佐の命令をうけ、兵士たちは超硬度ワイヤーで少年を何重にも拘束し、家 から連れだした。ロジィから距離がおかれ、クロガミの機能は回復したが、彼 の力を持ってしても縛めは解けなかった。 「この娘はどういたしますか?」  兵士の一人が、ベッドで痙攣を起こしているロジィを視線でうながす。中佐 はつまらなそうに一瞥し、麻酔投与の後、連行しろと指示した。  ロジィは抵抗もなく、首筋に注射をうたれ、眠りにおちた。                  3  戦闘機の編隊が、轟音とともに大空を駆け抜けていく。現在の地上に、貨物 および旅客機以外の航空機は、〈月〉の軍事基地にしか存在しない。戦勝国で ある〈月〉の政府が取り決めた法は、地上の軍備を著しく制限していた。戦艦 と空母の廃棄、基地・演習場の縮小または閉鎖、兵員の削減等。今や地球上に、 〈月〉軍にあらがえる戦力はなかった。  唯一の強大な武力集団を満足げに眺めていたバリーは、連絡を受けて一人の 客を迎えいれた。 「ようこそ、ノーマン博士。久しぶりですな」  一〇歳は年下であろう客人に、総督は歓迎をみせた。  客のほうでは造られた愛想や部屋の主人に好意を示す意志がなかったので、 単刀直入にきりだした。 「わたしにいまさら何の用ですか?」 「これは素っ気ない。かつては同じ旗のもとで戦った同志ではないかね」 「今は違います。わたしは一介の医者に過ぎません」 「いやいや、わかっておる。今日、呼んだのは、昨日の謝罪のためだ」  〈月〉の若い兵士が、ロジィに対して乱暴を働こうとした一件である。彼ら は赴任して間もないため、ロジィとノーマンについて無知だったのだ。二人は 軍にとっても重要な人物であり、けして干渉してはならない規則があった。 「それなら以後気をつけてくだされば、わたしは何も言いません。話がそれだ けでしたら、わたしは失礼します。患者が待っておりますので」  きびすを返す相手の態度に、軟化の兆しがないのを感じ、バリーは神経質そ うな眼に鋭さを加えた。 「罪滅ぼしのつもりかね、博士。あなたがたの造ったTタイプ、あれは最高の 兵器だった」  ノーマンは沈黙したまま、見たくもない男に振り返った。 「あの〈BIO〉はどうしておる? 記憶は戻ったかね?」  バリーは地上の権力を掌握するイスに身体をしずめ、タバコに火をつけた。  煙の帯が、部屋に溶けこむ。  ノーマンがようやく口を開いた。 「……あの娘は治りません。心を壊したまま、一生を過ごすのです。できれば もう、かまわないでいただきたい。Tタイプとしては、何の役にも立たないの ですから」 「それは信じよう。だが、計画は進めるつもりだ。状況が変わったのでな」 「どういうことです?」 「アレが生きていたのだよ。むろん、博士もすでに承知と思うが」  ノーマンが眉をひそめると、バリーは口元を愉快げにゆがめた。 「知っているはずだな、フェラー博士の遺産は」 「ええ。だが、もしそれが本当だとして、どうするのです?」 「アレは危険だと思わんか?」  その点はノーマンも認めるところだった。しかし総督の眼は、さらに危険な 光に満ちていた。 「ロジィとか言ったな、博士が世話をしている〈BIO〉は。あれはもう使い 物にならない。しかし、フェラーの遺産は使える」 「まさか……」 「アレもT型の〈BIO〉のはずだ。敵にまわせば厄介だが――」  博士はバリーの眼前に立ち、感情にまかせて机を叩いた。 「何を考えている! いまさらあんな物を復活させるつもりか? わたしはそ んなことに手は貸さんぞ。だいたい、あなたがたはバウアーの強攻策に反対し ていたではないか。それを今度は、みずから行おうというのか!」  ノーマンの怒りの底に、当時の情景があった。戦争勃発から四週間後、バウ アーは〈地球〉との戦乱を早期に解決するため、地上に対して全面攻撃を提案 した。それには実験段階であった〈惑星破壊砲〉を実装する戦艦の製造と、そ れを制御する戦術サポーターとしての〈BIO〉――Tタイプ――の開発が示 されており、作戦内容も過激を極めていた。そのためブルックナー大将をはじ め、多くの反対意見が提示されたが、当時すでに独裁をほしいままにしていた バウアーの工作に、ついに計画は実施された。  その結果が、現在の世界である。 「しかも現在あなたたちがしている施政は、バウアーのときと何もかわってい ない。軍部の独裁が進み、対等の立場で〈地球〉と交流をなすという理想は消 え失せている。これでは〈地球〉と〈月〉の主権が変わっただけで、本質は同 じではないか。我々は〈地球〉を植民化するために、戦ったのではないはずだ!」  息苦しさを感じ、ノーマンは大きく息を吸った。今まで鬱積していた不満を すべて吐きだし、胸内は少しだけ濁りが消えていた。  バリー総督は、腕を組んだままの姿勢をくずさなかった。 「言いたいことはそれだけかね、博士」 「ああ、そうだ」 「〈BIO〉を造った当人が、よく言えたものだ」 「だからこそわたしは、もうあんな悲劇を繰り返したくないのだ」  「きれいごとだな」バリーの嘲笑は、心をかきむしるほど不快だった。  さらに言葉を続けようとした彼は、不意の電話に口を閉ざした。用件を聞き 終えると、「ご苦労」と答えて回線を切り、再びノーマンを見据えた。 「博士、あらためてお願いするが、我々の新しい計画に手を貸してくれんか?」 「お断りします」 「そうか、残念だよ」  バリーはイスごと身体を背けた。それが決別の意志とみたノーマンは、部屋 を出ていこうとした。  背後から、総督の悪意のあふれた声が流れた。 「フェラーの遺産は我が手に落ちたよ」 「なんですって?」 「そのついでに、記憶を失ったかわいそうな少女も、いっしょに連れてきてし まったそうだ」  ノーマンは言葉を忘れ、激昂した。