終わらせるもの                  1  竜兵にせかされて、赤倉はパソコンの操作をしていた。出場者の家々と結ばれていた“扉”を、再び開く作業をしているのだ。力を失ったとはいえ彼が所有者であるのはかわりなく、また消えてしまった神の妨害もないので、赤倉は一〇分で仕事を終えた。  竜兵とラスター、それに赤倉を残して、他の出場者たちはさきに自分たちの故郷へと帰った。彼らはもうこの件に関わるつもりはなく、月浦真夜に義理もなかった。竜兵は腹立たしく感じたが、どうせ役に立つまいとラスターに言われ、納得した。  赤倉は水晶のイヤリングを竜兵にわたした。出口が異なる以上、連絡手段は決めておかねばならない。 「それと紫堂くん、ひとつ、気になることがあるんだ」 「なんだよ?」 「もしかすると、“ゼロ”がでてくるかもしれない」  竜兵は整理していたカードをおとした。“ゼロ”はラスターの鎌で一刀両断され、カードはここにあるではないか。ゼロは一枚のみのレアカードだから、もう存在するわけがない。 「“ゼロ”というのは、試作カードにつけられた名前なんだ。たしかに従魔の“ゼロ”はここにあるけど、まだユニットの“ゼロ”が残ってる」 「ユニットの“ゼロ”? そんなの、聞いたことねぇぞ」 「作ってすぐに紛失したからね。開発グループでも、初期のメンバーしか知らないんだ」 「……聞きたくねぇけど、能力教えてくれ」  竜兵は深いため息をついた。従魔でさえてこずったものが、ユニットになったらどうなるのだろう。気が遠くなりそうだった。  赤倉はパソコンから、ユニット“ゼロ”を検索した。  レベル=0、LP=三〇、MP=一〇、攻撃力=7、防御力=7。特殊能力は固定で、魔法/アイテム/トラップ/地形の効果をうけない。行動力2点消費することで、相手の防御力を無視して2点のダメージを与えられる。 「おい、この数値はなんだよ。しかも地形の効果もうけないのか?」 「しかたないよ、試作品なんだから。ゲームバランスをとるまえだから、バカみたいに強いんだ。それに初期のころは地形がきついものばかりだったから、こんな能力までつけておいたんだよ」 「……くわしいな、おまえ」  だが赤倉がいくら情報を持っていようと、勝てないものは勝てない。「攻撃」が通用するのが、唯一の救いといえるか。 「あ、それと、こいつには追加行動力による攻撃はきかないんだ。そのルールができたのはかなりあとになってからだから、たぶん無効だよ」 「バカヤロ、勝てねぇよ!」  絶妙のタイミングで怒る竜兵に、赤倉はふきだしそうになった。彼といると楽しかった。本当はこんな形でなく、普通のゲーム仲間として友達になりたかった。けれど自分からそれを放棄し、迷惑をかけてしまったのだ。そのつぐないがすむまで、いやつぐなったとしても、ゆるされないのだろう。 「おい、ラスターのデータの書きかえはできないのかよ。そうすりゃ、無敵にだってできるだろ?」  赤倉は首をふった。ラスターはボクの心が創りだしたもの。神の力が抜けたいま、それはできない。  竜兵は舌打ちすると、もとの世界に戻ろうとうながした。解決策がないのなら、考えるだけ無駄である。それに、真夜だってなにごともなく、無事でいるかもしれない。  あまい考えながら、少年はそうであってほしいと願った。 「そうだ、これを持っていって」  赤倉は一枚のカードを竜兵にさしだした。3レベルトリックカード<ミラージュ>と書かれている。試作カードで、次の上級ルールで使われる予定だという。  竜兵は軽く礼をいい、ポケットにしまいこむ。準備が整ったので、ラスターに“扉”をひらかせた。 「先にいく。情報があったら教えてくれ」  赤倉の返事を待たずに、竜兵は“扉”をくぐった。そのさきの世界では、彼の祈りを踏みにじる現実が、彼を待っていた。                  2  深夜三時、竜兵は真夜と同様、病院のベッドで目覚めた。口をおおうマスクも点滴も乱暴にはずし、ベッドから跳び起きる。が、やはり身体はなまりきっており、ラスターが支えなければ転倒するところであった。 「自分の身体がこんなに重いとはしらなかったぜ」  竜兵はラスターから薬をもらうと、まずさにたえながら飲みほした。体力がわずかだが回復し、どうにか歩けるくらいにはなった。  <テレポート>で病院をぬけだし、気づかれないように家に忍びこむ。服を着替えてサイフとカバンを装備すると、再び外へ飛びだした。念のため手紙をおいてきたが、かえって怪しまれそうだとあとになって思った。 「ラスター、月浦さんかアイシャの気配は感じないか?」 「二人の気配はない。だが、強大な魔力は感じる」 「それだ。いくぞ」  <テレポート>を駆使して、竜兵とラスターはその地点を目指した。ラスターの魔力が底をつきかけるギリギリで、目的地にたどりついた。  東京の臨海地区だ。深夜だというのに、湾岸にそってはしる高速道路では車の音と光の波は休むことを知らず、かと思えば闇をたたえる海は静寂の中からにごった潮と風をはこんでくる。竜兵はその両者の中間に建てられている、巨大なイベント会場にいた。  竜兵はこの場所の意味を知っている。ここは、二日後にひらかれるファイブ・スクエア全日本大会・本選の会場だった。  竜兵は迷わず会場予定のホールにむかった。クツ音が反響し、自動販売機の光がむなしく通路を照らしている。警備の人間がいるはずだが、誰にも遭遇しなかった。  ラスターが鎌を手にした。 「よく来たね、紫堂くん。さぁ、決着のときだ」  ホールのライトが一斉にスイッチをいれ、何もない広い空間を竜兵にさらす。  二人の前にはブラウンの髪と瞳をした、目つきの鋭い女性が冷笑を浮かべていた。竜兵が魅力的だと思った女の子は、そこにはいなかった。 「おまえ、神様なんだろ? 赤倉のマネごとなんかやめて、自分の世界にかえれよ」 「ボクはボクだ。ボクを倒さないかぎり、何も終わらないのさ」 「……どうやら、そうらしいな」  「だったら――」竜兵はポケットからカードの束をとりだした。 「ファイブ・スクエアだ!」 「そうだ、それでいい」  真夜もポケットから一枚のカードひきぬき、目の前にほうった。それはとたんに大きく広がり、二五メートル四方の戦場に変わった。  さらにもう一枚がフィールドに投げられる。  カードから、宝石のように輝く甲胄が現れた。サファイア色の円楯、ルビーを鍛えたような長剣を装備してる。一見、無機物の塊かとも思えたが、フルフェイスのかぶとからは、生気にみちた双眸がのぞいていた。 「ユニット“ゼロ”。これがボクの兵隊さ」  真夜が自慢げに紹介するのを、竜兵はゆるせなかった。“ゼロ”の使用はもちろんのこと、なによりも彼女の表情をゆがませる赤倉の思念が、ガマンできなかった。 「真夜はかえしてもらうからな」 「やってみるがいい。だが、あいかわらずラスターとは、勝負にならないな。手加減だ、ボクは“ゼロ”以外、カードは使わない」 「チッ、ありがてぇや。……ラスター、これでほんとに最後だ。頼むぜ」 「竜兵、信じてるぞ」  ラスターは最高の相棒に、背をむけたまま軽く手をふった。竜兵は、死神も柔らかくなったもんだと思いつつ、親指をたてる。 「ファイブ・スクエア、スタート!」  真夜と竜兵の声がかぶさると同時に、ダイヤモンドの騎士“ゼロ”が動きだした。従魔“ゼロ”とかわらず、無敵の高機動力で戦場を駆ける。  ゼロの長剣がうなりをあげ、炎の残像を残しラスターに斬りつける。隻眼の死神は大鎌でうけるが、パワーとスピードののった斬撃はとてもおさえられるものではない。ゼロはラスターへの攻撃を完了すると、そのままもとの地点に戻った。 「さすが、強い……。たった一撃でラスターの身体を三割もダメにしやがった」  竜兵はうなる。赤倉のデータどおりの性能のようだ。こんなのに、どうやって勝てというのか。  ラスターもそれを感じているのだろう。動こうとはせず、地形<回復の泉>をはり、回復アイテム<ポーション>を飲んで傷を癒した。無駄だろうが、目の前にトラップを仕掛けておく。 「トラップなどきかぬぞ。たとえ作動したとして、“ゼロ”は殺せない」  真夜のさげすみを、竜兵は甘受するしかなかった。くやしいが、あの化け物のような生命力の前には、多少の罠や攻撃など意味を持たない。地道にダメージを与えたとしても、相手には一発でかえせる大技と、どこにでも逃げられるスピードがあるのだ。  ゼロが再び動いた。またしても閃光のような一撃を残して、ラスターの射程から消えていく。ラスターのほうは防御に専念し、<シールド>の魔法をかけてダメージをおさえていた。  ラスターは自分のまわりを<壁>でかこみ、<ヒーリング>で傷口をふさぐ。  ゼロはその壁さえもこえて、真上から強襲する。  ラスターもさすがに驚き、<テレポート>を使ってさらに上に逃げた。  ゼロは目標を失い泉につっこみ、そして残念そうに戦場の角にもどった。  ラスターにはもう回復する魔法もアイテムもないので、泉の水で力をたくわえるしかなかった。  ゼロはもうとまらない。死神の名をラスターから奪うつもりか、ダイヤモンドの騎士はまったくちゅうちょなく彼に突進をかけた。  ラスターははね飛ばされ、地面にたたきつけられた。全身から血を流し、骨を砕かれ、意識が遠ざかろうとする。  それでも、彼は立った。 「あと、一撃……。あと一撃くらったら、終わりだ……」 「すまない、ラスター。<ミラージュ>を使えば一度はもちこたえられる。だけど、反撃の術がない……」 「いや、オレは信じてるぞ……。おまえは……、オレのマスターだ!」  ラスターは竜兵の命令をいつでも、どんなものでも実行できるように、残りのカードすべてを出し、得物をかまえた。 「ラスター……」  竜兵の胸に熱いものがこみあげ、あふれる。だが、気持ちだけでは彼の期待に応えることはできない。真夜を救うことはできない。それはとても、どうしようもないほど、くやしいことだった。 「フン、いくら信じようと勝てぬものは勝てぬ。……夜明けと同時に殺してやる。それまで、つかのまの友情ゴッコを楽しむがいい」  ゼロはラスターの前にたちはだかった。こちらも剣を頭上にかかげ、真夜の合図を待っていた。 「ダメだ……。今回ばかりは、もう――」 「いや、“ゼロ”は倒せる!」  竜兵とラスター、そして真夜は入口に視線をむけた。そこには脇にノート型パソコンをかかえ、息をきらせて走りこんでくる男がいた。 「赤倉!」  三人は同時に彼の名を叫んだ。 「君たちなら勝てる。ボクは、それを教えにきたんだ」 「まだ、間に合うのか?」 「大丈夫、布陣はすでに完成している。あとは――」  赤倉の声は、そこでとぎれた。真夜の右腕が前方にさしだされ、まるで何かをしめるように指が閉じられていく。  いや、事実しめられていた。赤倉はのどをおさえ、よだれと鼻水をたれ流しながらもがいている。 「ボクが、ボクの邪魔をするのか? ゆるさないぞ。これはおまえが望んだ戦いだろうが」  真夜は手をひるがえして、赤倉を投げ出した。赤倉は長い時間むせたあと、真夜をにらんだ。 「ボクは、こんな戦いを望んでない。ボクはただ、友達がほしかっただけなんだ! みんなとゲームがしたかった……。楽しみたかっただけなんだ!」 「紫堂竜兵のシミュレーションに負けて、くやしがったのは誰だ?」 「負ければくやしいに決まってる。だからボクは、強くなりたかったんだ」 「だからボクが勝ってやるといってるんだ!」  いかずちのような眼光に射ぬかれると、赤倉はなにも言えなくなった。気の弱い自分に、彼はまたも負けたのである。  竜兵は、赤倉のさびしさを知った。負けられない理由が、もうひとつできてしまった。 「……赤倉、勝てる可能性があるとわかれば十分だ。あとはまかせろ」 「ああ、君ならきっと答えに気づく。ボクは信じてる」 「ラスターと同じこと言いやがって……」  竜兵は小さく笑みをもらすと、ラスターのカードを凝視した。答えは、この中にある。  竜兵は一枚いちまいカードを見つめ、内容を確認した。魔法、アイテム、地形、トラップ、トリック。この中で有効なのはトリックカードのみ。そのトリックカードは、次の五枚だ。  3レベル・トリックカード<チェンジ>  3レベル・トリックカード<ミラージュ>  3レベル・トリックカード<リバース>  4レベル・トリックカード<スライド>  4レベル・トリックカード<エスケープ>  竜兵は脂汗をながし、あごに手をあててじっと考える。少年には、自分の心臓の音までがはっきり聞こえていた。何拍うったかもわからないほどの時がたち、汗が手からしたたりおちても、竜兵は何もできなかった。  夜明けが、やってきた。 「……さて、時間だ」  真夜が赤倉の声で、形相で、指をならす。ゼロは一度剣をうならせ、そしてラスターめがけてふるった。  ラスターは、彫像のように動かなかった。信じるといった以上、竜兵を待つ。それがマスターと認めた男への忠義だ。たとえ、それで死のうとも。 「竜兵、オレは信じている!」  ラスターの叫びが、竜兵を目覚めさせた。 「<ミラージュ>だ!」  ラスターは得心し、左手のカードをかかげてミラージュを発動させた。  <ミラージュ>は、魔法/アイテム/トラップ/地形/トリック/攻撃と、あらゆる効果をうけなくなるトリックカードだ。  ラスターの身体はぼやけはじめ、真夜や赤倉には二重にも三重にも見える。  ゼロも幻影に惑わされたのか、朱い滝を彷彿させた剣は床を叩いただけであった。 「ク、しょせんは少し命がのびただけだ。ボクは負けてはいない」 「ラスター、<リバース>!」 「了解!」  ラスターの瞳も輝きをみせはじめた。まったく疑っていない、死神らしからぬ眼であった。  <リバース>がかけられると、戦場にしかけられた地形・トラップなどが一時的に逆さとなる。地形なら効果を失い、トラップならばその中身がさらされるのだ。 「キサマ、ヤケをおこしたか? それがなんの役にたつというんだ」 「<リバース>をなめるな。このカードはな、“戦場に存在するすべて”が対象となるんだ。もちろん、ゼロも例外じゃない」  真夜はビクリとしたが、やはり瞬間的なものだ。だからどうしたというのか、何がしたいのか、理解できなかった。 「オレのラスターは<ミラージュ>のおかげでこの効果はうけない。だがおまえのゼロは違う。……いいか、反転するというのは、ゼロのあらわれていた能力が消えてしまい、すべての能力を発揮できないということなんだぜ」 「な、なに……?」 「おまえのゼロは今、トラップの上にいる。オレの仕掛けたトラップの上にな。そして能力を失ったゼロは――」  ゼロは足もとからのびる触手に、脚を、腕を、身体を巻きとられていった。 「こうなるんだ」  竜兵は勝利を確信した笑みを浮かべて、真夜を指さした。 「しかも<リバース>の効果はこれからが本番だ。覚悟しろ、“ゼロ”」   3  “ゼロ”はもう、動けなかった。トラップの<ネット>にからまれて、行動不能におちいっていた。その眼前に立つラスターは、大鎌をふりあげ、いつでも斬りつけられる体勢をととのえていた。 「<リバース>の怖さはここからだ。いかに分厚い装甲をほこるゼロといえど、中の人間がでてくれば一撃で殺せる。これが<ミラージュ>と<リバース>を使った、新しいコンボだぜ」  竜兵は勝利をもはや疑っていない。ラスターも、赤倉もそう思っていた。ただ一人、月浦真夜の姿をした赤倉だけが勝利を否定していた。  真夜は笑いだした。  自暴自棄の嗤いではない、心のそこから楽しんでいる笑いだった。  竜兵もあまりのことに、対処ができなかった。 「さすがだ、何度も言うがキミはやはりいいよ。でも、ボクの勝ちは動かない。……いや、ボクはもう何もできないさ。ただ、キミたちも何もできないだろうけど」  問いつめようとする竜兵に、ラスターの声があがる。少年は戦場に眼をむけた。 「そんな……!」  竜兵の眼に映ったのは、ゼロだった。ゼロの中身だった。<リバース>によって現れた、ゼロのダイヤモンドの甲胄のなかには、アイシャがいた。 「さぁ、斬るがいい。今なら一撃で殺せる。……どうした、斬らんのか? ぐずぐずしてると、<ネット>の効果がきれてしまうぞ」 「おまえは、どこまできたないんだ!」  竜兵はガマンできず、真夜のもとに走った。こぶしを振りあげ、殴ろうとする。が、できるわけがなかった。 「ラスター、アイシャをひきだせないのか?」 「無理だ無理。アイシャをひきだすためにはネットを斬らねばならない。そんな時間はないよ」 「竜兵、そいつの言うとおりだ。もはやそんな時間はない。どうする?」  「ちくしょう!」竜兵は真夜に向き直った。こうなったら真夜をもとに戻し、アイシャを救うしかない。 「しっかりしろ、月浦真夜! こんなクズにのっとられてていいのか? おまえはそんなに弱くないはずだ。アイシャを助けるんだよ。アイシャは友達だろうが。頼むからもとに戻ってくれよ!」  竜兵は激しく真夜のからだをゆさぶり、うったえかける。けれどブラウンの瞳は、温かさをとり戻してはくれなかった。 「……奇跡はおきないよ。あきらめることだね」 「うるせぇ、オレは真夜を助けるって決めたんだ。アイシャも……、ラスターも……、みんな助けたいんだよ!」  少年の絶叫には気持ちがあった。だが、想いは、必ずしも伝わるものではない。届かない想いのほうが、圧倒的に多いのだ。だからもし、気持ちが伝わったとしたら、人はそれを“奇跡”と呼ぶのだ。  そう、奇跡である。 「……発想の転換よ、竜兵くん。きみなら、わかるよね……」  竜兵の耳に、たしかに真夜の声が聞こえた。だが現実の真夜は、呆然とする竜兵に眉根をよせていた。真夜の肉体には、聞こえていなかったのである。 「発想の、転換……」  竜兵はつぶやく。つぶやいたさきに、答えがあった。 「ラスター、<スライド>だ。急げ!」 「わかった」  ラスターは鎌を捨て、トリックカード<スライド>を行使する。これは一つのトラップか地形を、任意の方向に1ブロック動かす効果を持つ。竜兵の指示は、ゼロのかかっている<ネット>を左にずらすというものだった。 「ゼロが動く前にアイシャをひきだせ!」  ラスターはすでにその作業を実行していた。まるで大根をぬくかのように乱暴に少女をひっぱり、投げだす。時間がないので、多少のケガはあきらめてもらいたかった。 「ラスター!」 「わかっている」  隻眼の死神はその象徴たる大鎌を拾いあげ、さきほど<スライド>させたトラップの上にとぶ。空中で次のトリックカードを出し、動きだそうとするゼロに向けた。ラスターの<ミラージュ>が、ちょうどきれたときである。  トラップ<ネット>が、着地するラスターを捕らえようとする瞬間、<チェンジ>が効果を発した。  ラスターはゼロのいた石畳に舞いおり、かわりにトラップにはまったのは抜け殻となったゼロだった。 「バカな……」  真夜はあぜんと、一瞬の奇跡を見ていた。 「ラスター、しあげだ」 「了解、マスター」  ラスターは大きく鎌をふりかぶり、“ゼロ”を一閃した。ダイヤモンドの鎧は砕かれ、ただの石となり、砂塵と化した。無敵のユニットと呼ばれた“ゼロ”は、滅びたのである。  真夜は、呆然とするほかなかった。 「ごくろうさん、ラスター」  ラスターは、鎌とアイシャをかついで戦場からおりてきた。 「あいかわらず大道芸だな」 「ゲームの基本は、楽しむことだぜ」  竜兵とラスターは声にして笑った。ラスターの笑い声は、竜兵には気持よかった。 「ボクが、負けた……。完璧な兵士、完璧な作戦、完璧な……、完璧な――!」  真夜は頭をかかえて絶叫を続けた。  竜兵は一歩ふみだす。 「ゲーム・オーバーだ。これで気がすんだだろ?」 「ボクが、負けた……?」 「そう、負けたんだ。いいかげん認めろ。おまえは負けたんだよ」  真夜は苦悶し、泣き声のようなうめきを発しながらひざをついた。  その身体から、けむりがあふれた。赤倉の思念は蒸発していき、何も語らないガスだけが残った。  それはいかなる形もとらず、いかなる色も持たない。いかなる意志もなく、いかなる行動もとらない。“真無きモノ”の本体であった。  赤倉はノートパソコンを開け、コマンドを入力する。するとけむりは、パソコンの中に消えていった。  竜兵は気を失っている真夜をかかえあげ、呼びかけながら揺り起こす。  真夜は少年の知るきれいな瞳に、彼を映した。 「……やったね、竜兵くん。見てたよ、ちゃんと」 「と…、当然の結果さ。オレが、ファイブ・スクエアで負けるわけないじゃん」  少年は照れくさくて、つい強がってしまった。もっと気のきいたセリフがあったのだが、彼女のほほえみに負けてしまったのである。  彼が本当の言葉をのみこんだのは、真夜にもわかった。だが真夜は、それが竜兵らしいと思う。だから彼女も、自分らしくあった。 「だれのおかげかしら?」  真夜は意地のわるい笑みを浮かべた。  「そ、それは……」竜兵が言葉をつまらせると、真夜は、今度はすなおな笑い声をたてた。 「真夜!」  ラスターに介抱されていたアイシャは、目覚めると同時に彼女にとびついた。  二人の感激をじゃましまいと、竜兵はそこからはなれる。  隻眼の死神が、少年に近づいた。 「……そろそろ、お別れだ。オレはもう、存在理由がなくなった。もうすぐ、消える……」  死神の言葉は、竜兵の魂を刈りとるような衝撃をあたえた。 「なんでだよ……。オレのそばにいろよ!」  ラスターは首をふった。自分でも否定したかったが、身体はそれを知っていた。自分が赤倉によって創られた存在であると。  エンダーと同時期、赤倉が神として狂いはじめたころ、自分をとめるために創ったのがラスターだった。“最後まで”赤倉に従い・まもる戦士エンダーと、その対極に位置し、赤倉の暴走を“終わらせる”ラスター。二人の役目は、もう終わったのだ。 「なんとか、なんとかなんねぇのかよ? せっかく目的を果たしたんじゃないか……。今度は、自分のために生きろよ……」  ラスターは口を閉ざしたままだった。 「つまんねぇじゃねぇかよ、そんなの……。ゲームに勝ったって、楽しくねぇよ……」  ラスターは、ふるえる竜兵の肩に手をおいた。  そして、最高の笑顔を、少年にささげた。 「おまえがマスターで、よかった」 「……!」  竜兵はこのときはじめて、泣いた。    付記  真夏の日差しも夕刻をむかえると、大地をやくのに疲れたのか、その力をおさえはじめた。しかし日中の間にいためつけられた大地が、傷口から熱をはきだしているため、暑さにさほど変化はなかった。海を眺めていても、気分的な涼しさすらない。  竜兵と真夜は、公園のベンチで、行き来する船を見ていた。貨物船や客船、水上バスが海をかきわけて進んでいく。ときおり手をふってくる水上バスの子供に、真夜は笑顔をむけた。  今年の最高気温を記録したこの日は、竜兵が待ち望んでいたときであった。二〇数枚のカードを武器に、自分の知略とひらめきを競う戦いがくりひろげられたのだ。  ファイブ・スクエア全日本大会。あれから、二日しかたっていない。 「勝負で熱くなれなかったのは、はじめてだな……」 「やっぱり、さびしい?」  「まぁ」竜兵はあいまいに答えた。 「そっちこそ、アイシャがいなくなってどうなんだよ?」  アイシャは、ラスターがもとの世界へつれていった。真夜とアイシャは何度も再会を誓って、泣きながらわかれたのである。 「わたしは平気。きっとまた、会えるもの。そしたら遊園地いって、おいしいもの食べ歩いて、彼女ににあう服を探してあげるんだ。……約束、だからね」 「そっか、約束だもんな。……あいつけっこう義理がたいし、実現するよ」 「竜兵くん……」  竜兵には約束がなかった。ラスターは帰ったのではなく、還ったのだ。彼は生まれたのではなく、創られたのだから。存在自体が、もうなかった。  彼は神の支配から世界を解放し、ファイブ・スクエアを廃止した。歴史は神の手をはなれ、人の手にわたったのである。  隻眼の死神は、その歴史の中にしか名をとどめない。それは、意味がないことだと竜兵は思う。歴史の価値を知るのは未来の人間でいい。現在の人間は、現在を大切にすればいいのだ。ラスターには、現在をあたえたかった。 「紫堂くん」  思いはせる竜兵に、赤倉が声をかけた。手にした缶ジュースを二人にわたし、ベンチの角を占領した。 「あの世界とつながる扉は、ぜんぶ閉じたよ」  赤倉の言葉に竜兵はうなずいた。 「でも結局、あの世界って現実なの?」 「存在しているんだから、現実さ」  竜兵はラスターとのやりとりを思いだした。奇跡でも、偶然でも、気まぐれでも何でもいい。彼らは実在し、ともに戦ったという記憶こそが大切だった。  しばらく三人は、黙って海を眺めていた。だが、網膜には景色は映っていなかった。 「さて、ボクはさきにいくよ。……紫堂くん、また勝負しよう。今度は、ボクが勝つ」 「いつでも相手になるぜ」  二人は軽く握手した。  カバンをかつぎ、竜兵と真夜に背をむけた赤倉は、ふと思い出した。 「そうだ、これ……」  赤倉は、カバンからカードを二枚とりだした。  ラスターとアイシャのゲームカードだった。アイシャの絵柄は、写真をとりこんだかのように元気な姿で笑っていた。 「扉を閉じるときに、アイシャから頼まれたんだ。……ラスターのは、オリジナルだよ」  竜兵は無言で、真夜は感激して受けとり、二人はじっとそれを見つめた。 「……ところで紫堂くん。お願いはした?」 「お願い? なんの?」  竜兵は視線をあげた。  赤倉の笑みは、意地のわるいものだった。 「ファイブ・スクエアの勝者は、たった一つ、願いがかなうんだぜ」 「……!」  竜兵は赤倉を、それから真夜のブラウンの輝きを瞳にうつした。  ほほえむ二人を前に、少年はカードを見た。  死神が、笑っていた。    「ファイブ・スクエア」カードリスト ☆ユニットカード ○ラスター  レベル=3 LP=一五 MP=5 攻撃力=3 防御力=1 ○アイシャ  レベル=2 LP=二〇 MP=0 攻撃力=2 防御力=2 ○ホウ  レベル=4 LP=5 MP=一〇 攻撃力=2 防御力=2 ○ゼロ  レベル=0 LP=三〇 MP=一〇 攻撃力=7 防御力=7  特殊能力 魔法/アイテム/トラップ/地形の効果を受けない。       行動力2点消費することで、防御力を無視して2点のダメージ。 ○ギガント  レベル=5 LP=二〇 MP=0 攻撃力=5 防御力=5  特殊能力 1ゲーム中一度だけ、攻撃力2倍の攻撃ができる。       ただし次のターンは行動不能状態になる。 ☆特殊能力カード ○トリック・スター  トリックカードが使えるようになる。 ○ドール・マスター  従魔を1体使役できる。 ○トラップ・マスター  トラップのレベル分の行動力を消費することで、トラップを除外できる。 ○アンチ・マジック  魔法の効果を受けない。 ○ナックル・ピット(ギガント専用)  トラップカード<ピット>を、デックに何枚でも組み込める。 ☆魔法カード ○マジック・アロー  レベル=1 タイミング=通常  効果 任意の地点にいる相手に、防御力を無視して2点のダメージ。 ○パワー  レベル=1 タイミング=通常/対抗  効果 使用されたターンの間だけ、攻撃力+2。 ○シールド  レベル=1 タイミング=通常/対抗  効果 使用されたターンの間だけ、防御力+2。 ○ヒーリング  レベル=1 タイミング=通常/対抗  効果 LPを2点回復させる。 ○ディスペル  レベル=1 タイミング=通常/対抗  効果 魔法の効果を打ち消す。 ○サンダー  レベル=3 タイミング=通常  効果 任意の地点にいる相手に、防御力を無視してレベル分のダメージ。 ○テレポート  レベル=3 タイミング=通常/対抗  効果 使用ユニットを任意の地点に移動させる。 ○ファイアボール  レベル=4 タイミング=通常  効果 2×2ブロックのトラップとユニット/従魔に効果。     レベル分のダメージを与える。これは防御力により軽減される。     トラップをすべて除外する。 ☆アイテムカード ○ポーション  レベル=1 タイミング=通常/対抗  効果 LPを2点回復させる。 ○魔封印  レベル=1 タイミング=通常/対抗  効果 魔法の効果を打ち消す。 ○マトック  レベル=1 タイミング=通常  効果 地形を除外する。 ○マジックストーン  レベル=1 タイミング=通常/対抗  効果 MPを1点回復させる。 ○消滅の薬  レベル=1 タイミング=通常/対抗  効果 アイテムの効果を打ち消す。 ○アンチ・ドート  レベル=2 タイミング=通常/対抗  効果 解毒する。 ○トラップバスター  レベル=4 タイミング=通常  効果 トラップを除外する。 ☆地形カード・1 ○新たなる道  効果なし ○回復の泉  占拠しているユニット/従魔は、自軍ターンの終わりごとにLPを1点回復。 ○隠された道  レベル分の行動力を消費することで、別の<隠された道>に移動できる。 ☆地形カード・2 ○壁  ユニット/従魔はこの地形には侵入できない。 ○蜃気楼  戦場内に存在する地形を、この地形に強制的にはりかえることができる。 ○沈黙の丘  この上にいるユニット/従魔は、魔法を使えず、魔法の効果を受けない。 ○腐臭の池  自軍ターンが終わるごとに、LPが1点失われる。 ☆従魔カード ○ゼロ  レベル=0 攻撃力=0 防御力=0  特殊能力 魔法/アイテム/トラップ/攻撃の効果を受けない。       行動力1点で、防御力を無視して1ダメージあたえる。       行動力4点で、防御力を無視して2ダメージあたえる。       ただし両者とも「攻撃」扱いとする。       従魔からのあらゆるダメージを受けない。 ○ボムスター  レベル=1 攻撃力=1 防御力=0  特殊能力 死亡したとき、隣接するすべてのユニットに2ダメージ。 ○アイアンシールド  レベル=1 攻撃力=0 防御力=1  特殊能力 行動力2点消費することで、隣接するユニット1体の防御力+2。       これは“対抗”で使用できる。 ☆トラップカード ○ポイズン・ニードル(レベル2)  自軍ターン終了ごとに「毒」のためLP1点失う。 ○ピット(レベル3)  レベル分のダメージを受ける。防御力による軽減はできない。  次の自軍ターンまで行動不能状態になる。 ○ネット(レベル3)  かかったターンから次の次の自軍ターンまで行動不能状態になる。 ☆トリックカード ○チェンジ  レベル=3 タイミング=通常/対抗(トラップ時は無効)  隣接するユニット/従魔と位置を交換する。 ○ミラージュ  レベル=3 タイミング=通常/対抗  使用したターンの間、魔法/アイテム/トラップ/地形/トリック/攻撃の効果を受けない。 ○リバース  レベル=3 タイミング=通常/対抗  戦場に存在するすべてのカードを、使用したターンの間だけ反転させる。  効果が表示されていないカードは、その効果を失う。  使用したユニットは、このターンのあいだ行動不能状態になる。 ○スライド  レベル=4 タイミング=通常/対抗  戦場に存在するトラップ/地形を一つ、1ブロック移動させる。  移動したときに効果が発揮される条件がそろっていれば、効果を発揮する。 ○エスケープ  レベル=4 タイミング=通常/対抗  使用したユニットを任意の地点に移動させる。