潜入                  1  竜兵は屋敷を見上げた。街はずれというより、街から疎外された場所に建つそれは、豪壮ではあったが、不気味な気配しか感じられない。赤倉はここで何を思い、何をしようというのか、そしてラスターは何のためにここへ来たのだろうか。 「アカクラはファイブ・スクエアに行ってるから、中には誰もいないよ」 「そのほうが好都合だ。忍びこもうぜ」  赤倉がいたとしても、竜兵はそのつもりだった。たとえ彼が屋敷にいて、ラスターについて尋ねたとしても、きっと答えまい。  竜兵は、真夜にどこかで待っているよう告げた。だが彼女は、どう説得しても承諾しなかった。 「大丈夫だよ、あたしがついてるからさ」  アイシャの無責任な言葉を、竜兵は信用するしかなかった。  アイシャは話が決まると、近くの草むらにカードを投げた。それは大きく広がり、妖しげな光をはなつ円を描く。地形<隠された道>だ。  もう一枚、今度は屋敷をとりかこむ壁のむこうに投げいれる。これでふたつの<隠された道>はつながった。 「ホント、地形は便利だね。しかもファイブ・スクエアじゃないから、カードは使い放題だし」  アイシャは笑いながら、竜兵と真夜を<隠された道>に招きいれた。せつな、三人は屋敷の庭に転移していた。  三人はまず、手近な窓に忍びよった。厨房のようだが、人の姿は見えない。どうやらアイシャの情報どおり、召し使いの一人もいないらしい。  窓には鍵がかかっておらず、無用心な家に簡単に侵入できた。 「どこを探す?」  金髪の少女はタルにつめられていた果物を、おいしそうに食べている。注意しようした竜兵だが、自分にもわたされると、文句どころかお礼を言ってそれをかじった。 「手当たりしだいしかないだろうな。ラスターがいるともかぎらないし、もしいるならどこにいるか見当がつかない」  三人はアイシャを先頭に部屋を出た。草色の服の少女には、<トラップ・マスター>という特殊能力があり、トラップの発見と解除ができるのである。また戦闘力も竜兵や真夜より優れているので、当然の隊列だった。 「さっそく発見」  アイシャは毛の長い絨毯に埋もれる細い糸を見つけた。床の高さギリギリにはわせてあり、常人では発見不可能だろう。  糸は壁の小さな穴にのびていた。その穴のそばにもう一つ大きめのものがあり、アイシャは<ポイズン・ニードル>と判断した。  罠は残しておくと面倒、という理由で彼女はそれを解除する。やり方はごく簡単で、遠くから棒で糸を叩き、トラップを発動させるのだ。糸が床に押さえこまれると、壁の穴からボウガンの矢が飛びだした。だが目標が見つからず、反対の壁につき刺さる。 「一度作動させればもう大丈夫」 「でも、これを解除とはいわないだろ?」 「細かいことは気にしないの」  アイシャはさっそく自分が役にたて、機嫌がよかった。調子にのっているのか、彼女は次つぎとトラップを発見し、解除していく。だが本来の目的であるラスターは見つからなかった。 「二階にいってみましょう」  一階を歩きまわって得たものは、厨房から持ってきた果物と二一個のトラップだけだ。大小あわせて一六の部屋をのぞいたのだが、ほこりに埋もれた場所がほとんどだった。  二階も同様だった。トラップだけはひんぱんに遭遇したが、人の生活している様子はなかった。このブロックだけ見れば、廃墟である。 「アイシャのおかげでトラップにはかからないけど、いちいち解除するのは面倒だな」 「あれが使えれば、便利なんだけど……」  竜兵は真夜がいいたいものがすぐにわかった。竜兵のデックにも組みこまれている、トリックカード<リバース>である。<リバース>は1ターンの間、フィールドに存在するカードをすべて反転させるもので、トラップカードなら表になるわけである。これでトラップの場所と内容を確認できるのだ。 「ラスターがいれば、使えるんだけどね」  口にしてから、バカらしいことに気づいた。竜兵は、まじめにラスター捜しを再開した。  最後は三階だ。ここには人のにおいがあった。壁の燭台には燃えかけのろうそくがあり、絨毯にはドロらしきものが見える。窓もいくつか開けられ、空気の循環がなされていた。 「トラップがないわ……」  アイシャが必死に探しても、仕掛けはでてこなかった。唯一の仕事をとられたのがつまらないのか、頬をふくらませている。  だが、彼女のもう一つの仕事が、音を立てて近づいてきた。  それをはじめに発見したのは真夜だ。竜兵の袖をひき、指を差す。 「マネキンが、動いてる……?」  廊下のさきから歩いてくるのは、木で彫られた原寸大の人形だった。それが三体。木目におおわれた身体を鳴らし、手にした剣を掲げてゆっくりと近寄ってくる。侵入者に対し、勧告もなしに暴力にうったえるつもりらしい。 「安いオモチャよ。まかせて」  アイシャは唇を一度なめると、真夜や竜兵の声を無視して自分から木兵に向かっていった。  カードを二枚投げる。それは木兵の足もとにすべりこみ、不細工なマネキンがふみつけると、カードからツルらしきものが伸びて二体に巻きついた。トラップカード<ネット>である。  残った一体が、アイシャを射程におさめた。アイシャは短剣で相手の一撃を受けると、木兵のかたい腹部を思いきり蹴りつけた。倒れこむマネキンに追い打ちをかけ、一番もろい首に短剣をつきたてる。だが首は簡単にはもげず、反撃をおそれたアイシャはのどに短剣を残したまま、いったん離れた。  木兵はぎこちなく立ちあがると、さきほどとかわらず剣をかまえた。武器を手ばなしたアイシャは、後手にまわらざるをえない。  そこに竜兵の声がとぶ。 「アイシャ、伏せろ!」  金髪の少女は、意味も確認せずに身体を縮めた。その上を彼女の頭より大きい花瓶がとび、木兵に直撃。バランスを崩したところへ、アイシャが木目しかない敵の顔にまわし蹴りをはなった。  短剣で傷がついていたため、首はきれいに割れた。まずは一体。 「あぶない!」  安心したのもつかの間、アイシャは前方に跳んだ。<ネット>の効果時間がきれ、二体の木兵が襲いかかってきたのだ。  アイシャはそのまま跳ねつづけ、十分な距離をとると振り返る。と、同時に彼女の短剣が絨毯を転がってきた。竜兵が拾って、投げたのである。  だが代償ははらわねばならない。アイシャが距離をとったため、木兵の目標が彼にきりかわったのだ。  竜兵は、一体目の攻撃をかろうじて避けた。が、二体目がその隙をついて動いた。少年の頭を叩きわるため、剣がふりおろされる。  竜兵に、かわす時間はない。 「竜兵!」  アイシャは瞬発力のすべてを発揮し、彼の援護に向かおうとした。だが、間に合うとは思えなかった。  竜兵は迫りくる刃をスローモーションのように見ていた。身体は動かず、ただ網膜に死ぬ瞬間を焼きつけておくしかできなかった。木兵の後ろを流れる、銀の閃光がやけに美しく思えた。 「!」  砕かれる音がした。しかし竜兵に痛みはなく、正面を確認すると木兵はいなかった。かわりに、汗にはりついたブラウンの髪と潤んだ瞳が見えた。 「だ、大丈夫?」 「あ、ああ……」  呆ける竜兵に、真夜はほほえんだ。 「まだ終わってないよ!」  アイシャが短剣をかまえ、おどりこんでくる。彼女は無傷の二体目に、体重をかけて短剣をおしあてる。そのまま木兵を押し倒し、首を切断した。  竜兵は視線を走らせ、三体目を探す。それはなぜか、胴体部分が深くえぐれ、うつぶせに倒れていた。  真夜は一体目から奪った剣を両手でにぎり、勢いと気合いをこめて相手の首にたたきつけた。これで三体目も活動を停止した。  アイシャは、喜びいさんで真夜に飛びついた。 「真夜、すごいじゃない!」 「これでもわたし、剣道の段位もちよ」  真夜はかたい表情で笑った。怖くてしかたなかったのだが、飛び出してみれば七年間の成果がきちんと身を守ってくれたようだ。  竜兵は汗をぬぐい、大きく息をはいた。 「ありがと、助かったよ……」 「おたがいさまよ。……でも、わたしがいてよかったでしょ?」 「はいはい」  竜兵には反論しようがなかった。それに、彼女が軽口をたたくのも悪くないと思えた。きっと本当の彼女は、もっと活発でおもしろい娘なのだろう。今度はぜひ、もとの世界で会ってみたかった。 「……なに?」  竜兵の視線が気になったのか、真夜は恥ずかしそうに尋ねた。 「いや、はじめてあったときと印象違うなぁと思って……」 「一人でいるときの女の子はね、誰だって弱々しくかわいく見えるものよ。……でも今は、二人がいるから、元気になれる」 「……剣をかついで言うセリフじゃないな」 「それも愛敬よ」  真夜は目を細め、気をゆるせる仲間を見た。一人ではない嬉しさが、胸の奥で輝いていた。状況はけしてよいとはいえないが、きっと絶望だけはない。真夜にはそう、思えた。                  2  三階の片隅に、書斎があった。罠までほどこしたカギがかかっていたが、アイシャが解除し、三人は中へ入った。  世界が変わった。書斎は、竜兵や真夜にとって見なれた機器によって満たされていた。パソコン、モニター、プリンター、エアコン、MDコンポ、蛍光灯、電気ポット。壁は本棚で埋められ、SFやホラー、推理小説がおさめられている。 「赤倉の部屋だな。でも、電気もなくてパソコンが動くのか?」  竜兵がパソコンの電源をいれる。すると、モニターに文字が浮かびあがった。  マウスを操作し、“ファイブ・スクエア関連データ”という項目をクリックしてみた。  ファイブ・スクエア出場者リストだった。竜兵と真夜も登録されていた。 「あれ、こいつオレが予選で戦ったやつだぜ。……こっちもそうだな」 「わたしの戦った人もでてるわ」  データにはプロフィールの他に、デック構成や基本戦略、対戦成績など細かく調べてあった。ページをかえると、対応策が一人につき二パターン以上書きこまれていた。 「見て、赤倉くんのデック構成」 「……“ゼロ”? あのゼロがいるのか? どこで手にいれたんだ、あんなの。どうやっても勝ち目はないじゃないか!」 「わたしたち結局、赤倉くんのゲームにのせられただけなのね。さっさと失格になってよかったわ」  竜兵は舌打ちし、ページをめくってみた。対応策でも書いてあればと期待したのだが、さすがにありえなかった。  あきらめて次の項目へ。開いたのは、いま行なわれている、この世界のファイブ・スクエアの情報だ。  ためしにラスターのデータを検索してみる。  彼のプロフィールが一覧された。だが、肝心と思える項目はすべて空欄であった。掲載されているのは竜兵でも知っているパラメータのみで、生年月日や出生地すらふれられていない。 「ヘンだな、アイシャやホウのデータはちゃんとあるのに、なんでラスターのはないんだ?」 「調べていないのか、調べようがないのか。もしくは――」 「調べる必要がない?」 「うん、可能性としてね。……ほら、エンダーという赤倉くんのパートナーのもないでしょ? 相手のものならともかく、自分のパートナーを調べないなんてことあるかしら?」  さまざまなデータを収集している赤倉が、正体不明の男をつかうわけがない。だとすれば、この空白は何を意味するのだろう。 「とりあえず、赤倉くんの住所はひかえたわ。むこうの世界へ戻れたら、調べてみる必要がありそうね」 「そうだな。そのためにも、ラスターを捜さなきゃ」  竜兵がパソコンの電源をおとそうとしたとき、突然メロディが流れ、メッセージがあらわれた。 “ファイブ・スクエア第一一試合、ノダ・タダシ死亡”  竜兵と真夜は目をみはった。電源スイッチにのばしかけた手を、マウスに戻す。 「試合結果がリアルタイムで送られてくるんだわ。どこかにデータをためているはずよ、調べてみて」 「あった、これだ! 出場者一六名中、生存者四名、死亡者一〇名、失格者二名……。くそ、一〇人も死んでるぞ。どうすりゃいいんだよ」  竜兵は机を叩いた。何もできないはがゆさが、くやしくてしかたなかった。  真夜はそんな彼を見ながら、ひっかかるものを感じていた。リアルタイムで転送される理由、ラスターが語った本来の世界にいるという神の存在、パソコンを通じてここへ来たこと……。 「……もしかして!」  真夜は唐突に大声をあげて、キーボードに指をあてた。 「どうしたの、急に?」 「死亡データを取り消してみるの。わたしの考えが正しければ、それでみんな生き返るわ」 「なんで?」  真夜は手をとめずに語った。ラスターはわたしたちの世界に神がいると言った。では、この世界とは何でつながっているのか? 答えはパソコン。これが世界をつなぐ扉。だからこの扉が操作できれば、もとの世界にだって帰れるし、うまくいけば死者だってすくえる。ためしてみる価値はあると思う。  だが、真夜は失望した。書き込みができないのである。書きこもうとすると、“実行不能”メッセージが表示されるのだ。 「ダメ……。もしかすると、赤倉くんしか動かせないのかも……」 「しかたない、とりあえずそれはあとにしてラスターを捜そう。あいつなら何か知ってるだろうし」  「そうね……」とアイシャを目にした真夜は、こわばった表情をゆるめた。  アイシャは本棚によりかかって眠っていた。退屈だったのか、疲れたのか、どちらにしても気持ちよさそうな寝顔だった。  真夜はアイシャを優しく揺すって起こす。少女は大きくのびをし、立ちあがりかけたところで不意にそれが目についた。 「なんだこれ?」  同じ背表紙がならぶなかで、その本だけが異質だった。  アイシャは不思議に思い、その本を抜こうとした。だが、まったく動かない。まさか仕掛けがあるなんてことは、と冗談半分でおしてみると、本は壁にのまれていった。  歯車の音が響き、その本棚が横にスライドする。わずかに人が通れるほどの階段が、暗闇の中にのびていた。 「隠し階段か……。いってみるしかないな」  発言者の竜兵は、じつは気味が悪いので調べたくはなかった。だが妖しい以上、いかねばならないだろう。  アイシャは楽しみのようだ。秘密の部屋というのは、彼女の好奇心を刺激するらしい。  真夜は竜兵と同じで、「しかたないから行く」と義務感だけで賛同した。  廊下の燭台を手にして、三人はゆっくりと階段をおりていく。階段もまた一人が通るのでせいぜいなほど狭かった。カビくさく、ジメジメとしているのも、気分を悪くする要素だ。  三分ほどくだると、道が開けた。左右の壁に扉が並び、奥からかすかな風が流れてきた。どこかに通風口でもあるのだろう。  竜兵は壁のたいまつに火をつけ、通路を照らした。手近な扉を開けてみたが、中には何もない。ただ、頑丈な扉と場所からして、地下牢だと判断はついた。 「ここだけカギがついてるよ」 「開けてみよう」  アイシャは錠を器用にはずし、針金を短剣にもちかえて扉を蹴りあける。  暗く狭い部屋に、人間が倒れていた。黒服に黒髪、青いバンダナ。痩身で隻眼。 「ラスター!」  竜兵は彼に飛びつき、上体を起こした。 「……竜兵か。よく、ここがわかったな……」 「大丈夫なのか?」 「たいしたことはない……。それより、力を貸してくれ。ヤツを倒すには、おまえの力が必要だ」 「オレだっておまえの力がいるんだ。……とにかく、これを飲め」  竜兵は、アイシャからわたされた<回復の泉>の水をラスターに飲ませ、また身体にかけて傷を治した。  ラスターはおちつくと、赤倉とのやりとりを竜兵にきかせた。そしてもう一度、赤倉を倒すために力を貸してほしいと申しでた。 「……あいつが、神様だってのか? 月浦さんの推測どおり、あのパソコンで歴史をつくってるのかよ」 「手法はしらんが、神であるのは間違いない」 「だったら、いっそのことあのパソコンを壊すか? そのほうがはやいぜ」  竜兵の案は、ラスターと真夜に反対された。それを実行したら、この世界にどんな影響があるかわからない。  竜兵はさらに反論する。赤倉を倒しても、同じではないかと。  ラスターは首をふった。 「いや、神は死んでも人は残る。邪魔なのは神であり、世界ではない」 「わかったよ。……だけど、実際問題として“ゼロ”はどうやっても倒せないぜ」  ラスターは口をつぐんだ。彼をして、“ゼロ”は脅威の存在であった。対抗策が見いだせないのである。  竜兵としても彼を困らせるつもりはないので、問題をとりかえた。自分はともかく、月浦真夜をもとの世界に帰せないだろうか。 「わたしだけ一人で帰れないわ。それに、死んだ人を生き返らせなきゃ」 「でも、あのパソコンはオレたちじゃ動かせない。生きているうちに、君は帰るべきだ」  真夜は少年の厚意に拒絶を示したかったが、説得する言葉が思い浮かばなかった。 「ともかく、そのパソコンというのを見せてくれないか?」  ラスターの提案は、結果的に竜兵と真夜の気持ちを救うこととなった。                  3  四人は同じ経路をたどり、赤倉の書斎に戻った。  竜兵にうながされ、ラスターはパソコンと呼ばれる奇妙な箱を眺めまわした。「……なるほど、これに情報を教えると、それが現実になるのだな?」 「たぶんね。それを試したいんだけど、普通の操作じゃ受けつけてくれないんだ」 「だろうな。魔法がかかっている」  ラスターは魔力を感知した。それがどのような効果までは判別できないが、それを解除しなければ書き込み操作はまず不可能だろう。  ラスターは消去魔法<ディスペル>のカードを出し、パソコンにあてる。しかし、カードが効果を発揮しても、パソコンのガードはとけなかった。 「……オレの力では無理だな。魔力の差が圧倒的だ」 「この世界じゃ、神の力は絶対ってことか……」  竜兵とラスターはパソコンをにらみつけたまま、沈黙した。  三人は考える。彼らの望みは赤倉を倒し、死んだ人を生き返らせ、もとの世界に帰る、という三つだ。一つめはゼロを倒す策がなく、二つめは――推測として――パソコンを動かすしかない。三つめは、すべてが終わってからである。  静寂と思考の時間が、無意味に流れていく。もうしばらく、時が必要だった。  そして真夜が、ようやく意味ある時を動かした。 「……逆転の発想をしてみない?」 「どういうこと?」 「うん、たとえば――」  最初にもとの世界に帰る。赤倉がむこうの世界でこの世界を創ったなら、むこうにも同じパソコンが存在するはず。だから、そっちを操作してみる。うまくいけば死者の蘇生ができるかもしれない。そして、赤倉を倒す。むこうの世界ならゼロの情報だってあるはずだから、対抗策が見つかるだろう……。  竜兵とラスターは、得心した顔になった。理論的に不可能ではなく、かつ試みる価値のある提案だった。 「ラスター、もとの世界へは帰れるか?」 「オレたちがきた道はふさがれてしまったが、これがむこうとつながっていれば――」 「よし、それじゃ行こうぜ」 「アイシャは、どうする?」  真夜は複雑な表情でパートナーを見つめた。彼女はこの世界の住人であり、ここへ戻れる保証もない。だが真夜は、できるならいっしょに来てほしかった。  アイシャは真夜と視線をそらせ、困った表情で頭をかいた。  少女はチラリと真夜を見る。  視線を戻す。  二度繰り返すと、短い困惑をおき、そして笑顔になった。 「行く」 「アイシャ!」 「悩んでもしょうがないや。興味はあるし、真夜は好きだし、いいよ」  真夜はアイシャに抱きつき、何度も感謝した。真夜にとって、この世界でのはじめての友達であり、生死をともにした仲間である。まだもうしばらく、彼女とすごしたかったのだ。 「二人にはカードとなってもらう」  ラスターは真夜とアイシャに白紙のカードを見せた。竜兵は問題ないが、二人が空間をこえるためには必要な処置だという。女性たちはラスターを信用し、おとなしくカードに封印された。  ふと、外で馬車の音が聞こえた。竜兵が窓に近づき、下をのぞく。 「急げラスター、赤倉たちが帰ってきた!」  ラスターは二人のカードを竜兵にあずけると、次をとりだした。パソコンにむけて示し、呪文をつむぐ。  パソコンのモニターから光があふれ、扉が開いた――かと思われた。 「クッ、またしても防衛魔法が発動したか!」  通常ならば直径二メートルほどに広がるはずの“異界の扉”は、ごくわずな亀裂しか生じなかった。かろうじて手がいれられる程度で、とても人がくぐれる大きさではない。 「なんとかなんないのかよ!」 「無理だ……。これが、限界、だ……」  ラスターは全力で“扉”を拡大しようとする。だが、心持ち大きくなっただけで、解決にはいたらなかった。  足音が聞こえてきた。もうそばまで、赤倉とエンダーが来ている。 「しかたねぇ、こうなったら……!」  竜兵はポケットにおさめた二枚のカードを、小さな小さな“扉”に投げた。 「二人だけでもいってくれれば、なんとかなるだろう」 「そうだな、誰もいかないよりはましだ」  ラスターは“扉”を固定している右手はそのままに、左手で何かをとりだした。それを“扉”にはなつと、力を抜いた。  “扉”は急速に縮み、ついには消滅した。 「ラスター、脱出だ!」  竜兵はラスターに肩をかす。隻眼の死神は荒い息づかいのまま、一枚のカードを床にたたきつけた。  赤倉が勢いよく書斎の扉を開けたとき、そこには誰もいなかった。 「……逃げたか。まぁ、いい。ゲームはまだまだ楽しめそうだ」  赤倉はパソコンの前に座ると、侵入者の目的と逃げ場所を調べはじめた。結果をえた彼は、ほんの少しだけ顔を曇らせる。だが、むこうの世界に戻ったのがラスターでなければ問題あるまい。少年の顔をした神は、冷笑を浮かべた。    真夜の闘い                  1  真夜の正面には見慣れぬ天井があった。身体が重く感じられ、無性にだるかった。気になったので、口をふさいでいる奇妙なものをはずした。酸素供給用マスクだった。  薄闇の中で身体をおこし、あたりをうかがう。ベッドと壁、それにさまざまな医療機具が置かれている。 「病院、みたいね……」  考えてみればわかる。自分はグレストキアという世界に三日間いたのだ。その間肉体は眠りつづけており、意識が戻らなければ病院へ運ぶだろう。この規模からして、集中治療室にいれられたのかも知れない。  ハッとして、もう一度周囲を見回す。 「よかった……」  床に、アイシャが転がっていた。寝息が聞こえるので、問題ないだろう。  アイシャを起こそうと、真夜はベッドをでようとした。だが、身体は意志を無視するように緩慢だ。それでも床に足をつけ、立ち上がる。ふらつくが、筋肉じたいがすり減っているわけではないので、バランスさえとれば大丈夫だった。  ふと、ベッドから何かが落ちた。 「これは……」  真夜は拾いあげると、常夜灯にすかした。水晶のイヤリングだ。大会で、アイシャとの会話をするために支給されたものと同じ形だった。真夜はためしにつけてみた。 「聞こえるか? お〜い、聞こえるか?」 「紫堂くん?」  間違えようのない彼の声だった。真夜は安心した。彼とラスターがむこうの世界に残ったのが、カードの中にいても見えていたのだ。あのあと赤倉につかまりはしなかったか心配だったのだが、どうやら無事なようだ。 「よかった、ちゃんと身体に戻れたみたいだね。こっちはしばらく隠れてるつもりだから、何かわかったら教えてくれ」 「うん。そっちも気をつけてね」  竜兵の「了解」という返事で、会話は終了した。  真夜は行動するために、まずアイシャを起こそうとした。しかし彼女の眠りは深く、何度ゆすっても目覚める気配がない。  真夜はため息をついたが、自分も疲れているのを知っていた。身体はふらつき、力が入らない。意識はもうろうとし、眠りを欲している。真夜はその力にたえきれず、ベッドに倒れた。眠りにおちるのに、一〇秒を必要としなかった。  次に目覚めたのは、騒々しい人の気配によってだ。まぶしい光が部屋に差し、周囲をあわただしく白衣姿の男女がかけまわっている。 「気がつきました。月浦さんが目をさましましたよ」  年配の看護婦が真夜をのぞきこんだ。少しずつ意識がはっきりとし、状況を思い出せた。 「アイシャは!」  急激に身体を起こしたため、脳が貧血になった。医者や看護婦が彼女をなだめ、もう一度寝かせる。 「君は三日間、眠りっぱなしだったんだよ。無理はいかん」 「わたしはもう平気です。退院させてください」 「何を言ってるんだ。精密検査をして、健康と判断できるまで退院なんて無理だよ」  真夜は内心で文句をならべたてたが、表面上は素直にうなずいておいた。 「それにしても、全国で一〇人以上が君と同じ症状をおこしている。しかもそれまで健康だった人たちばかりだそうだ。……君は、何かおぼえているかい?」  真夜は答えなかった。話したところで理解してもらえるわけがない。彼女が口にしたのは、質問だった。その人たちは全員生きているのかと。  医師はうなずき、昏睡状態であると述べた。  それなら助かると、真夜は安堵した。むこうでの死が、こちらでの死に直結していなくてよかった。それならばパソコンに介入して、むこうの世界の死亡を取り消しさえすれば、復活が可能だろう。  医師は真夜にもう少し眠るよう指示すると、看護婦と部屋をでていった。 「真夜!」  アイシャの声である。真夜は部屋を見回すが、愛らしい顔は発見できなかった。  「ここだよ」と、アイシャはベッドの下から飛びだした。 「よかったアイシャ、見つかったんじゃないかって、心配したのよ」 「そんなドジじゃないよ。……さ、はやくこんなところ出よう」  真夜は首をふった。かってに抜け出すとよけい面倒になる。ここはきちんと退院して、両親の許可をえて赤倉の家がある東京にいきたい。  アイシャは反対だったが、真夜がいなければこの世界では何もできない。渋面をつくって認めるしかなかった。 「大丈夫よ、二・三日で出られるわ」  アイシャを安心させようとした真夜であるが、その後彼女は自分の読みがあまかったことを悟る。真夜が退院をゆるされたのは、それから一週間ものちであった。                  2  東京へは、もとより行く予定があった。ファイブ・スクエア全日本大会・本選への出場のためだ。そのおりには東京の親戚に世話になると決まっていたので、真夜は日程をはやめて退院したその日に電車にとびのった。もちろん両親は反対したが、彼女にはもう時間がなかった。明後日には、むこうの世界のファイブ・スクエア決勝がはじまってしまうからだ。できれば、赤倉が優勝を決める前になんとかしたかった。 「間にあうかな?」  アイシャはおちつきなく身体を揺すっている。焦っているのか、はじめて乗る電車にワクワクしているのか、はなはだ不分別であった。 「大丈夫よ、きっと。……それよりごめんね。一週間も野宿させて」 「ううん、けっこうおもしろかったよ。とくに――」  アイシャは言いかけてやめた。話せばきっと真夜は怒るだろうから。  真夜も追究はしなかった。彼女の相手を満足にしてやれなかったことに、責任を感じていたのだ。すべてが終わって時間があったら、いっしょに東京見物をして、ディズニーランドへいこう。真夜は、鎧を脱いだ普通の女の子姿のアイシャに、心の中で約束した。  二時間の旅を終え、東京駅についた二人は、さっそく赤倉の家に向かった。  真夜は中学卒業まで東京にすんでいたので、迷わず次の電車に乗りこむ。アイシャは真夜につれまわされながら、人の多さと空気の悪さに辟易していた。しかし、泣き言をいっているひまはなかった。  小さな移動をくりかえし、二人は夕方を前にして赤倉の家にたどりついた。二四階建ての、高層かつ高級マンションだ。JRの駅やバスの停留所、大型スーパーや学校も近い、至便な環境であった。 「ここの二〇五号室ね」  真夜はアイシャと中へ入り、階段を登った。エレベーターを使わなかったのは、アイシャの反応が怖かったからだ。  問題の部屋の前で、真夜は安心の吐息をした。表札には赤倉真一の名前しかなかったからだ。彼が、ここで独り暮らしをしている証だ。家族がいたらどうするか考えものだったが、とりこし苦労で助かった。  真夜はアイシャにカギあけを頼んだ。彼女自身は歩哨となり、神経をとがらせる。  はじめて挑戦するカギでとまどったものの、アイシャは任務を無事はたした。  次の行動はごく簡単で、何に入るだけだ。 「……わたしの部屋と大違い。お金あるのね」  真夜は嘆息した。2DKのマンションに、外国製の家具・調度品。光ももらさない分厚いカーテンに、腐るほどの本。個人の部屋にはパソコンのモニターを含めてテレビが三台。当然のようにビデオ、LD、DVD、MDコンポに各種ゲーム機がならんでいる。机には、ファイブ・スクエアの全カードを収集したファイルが五つもあった。真夜はあやうく魔がさすところだった。  アイシャは冷蔵庫を開けている。めぼしいものが見当たらなくて、持ってきたのは缶ジュースだけだった。彼女はいつおぼえたのか、缶の開けかたを知っていた。どうやら炭酸ジュースがお気に入りらしい。  真夜はアイシャに休息をあたえると、仕事にかかった。パソコンを立ちあげ、つい最近動作させたソフトをよびだす。思ったとおり、ファイブ・スクエアのロゴがあらわれた。 「個人データを呼び出して、死亡リストを検索。……準決勝も終わっちゃったみたいだから、全部で一二名ね。いちおうパートナーのほうもなおしたほうがいいかな」  画面に死亡者リストを表示させ、二四人の名前の確認すると、真夜はなれた手つきで<死亡>を<正常>に書きかえた。 「そして、実行」  実行キーがおされると、ハードディスクがあわただしく回転をはじめた。モニターには“しばらくお待ちください”と表示され、二分ほどかたずをのんで見守っていると、完了メッセージが出た。 「やった、成功したわ!」  真夜はすぐに、竜兵に知らせた。  赤倉はのぼろうとする朝日を横顔に受けながら、モニターを黙ってみていた。よくできました、と心の中で拍手する。そうでなくてはつまらない。ボクの退屈はまぎれない。 「よろしいのですか? これではせっかく倒した者たちが、よみがえってしまいます」 「かまわん。生き返ったところで、何もできはしない。ここまでがんばったあいつらに、褒美をくれたと思えばいい。だが――」  赤倉は楽しそうにキーボードを叩いた。 「ここまでだ」  真夜は竜兵と喜びを交換していた。だが、画面にとつぜん文字列があらわれ、その内容を理解すると、凍結したように硬直した。 「……紫堂くん、赤倉くんはわたしがここにいるのを知っているわ。メッセージがきてる……」  震える声でうったえる真夜の前で、パソコンの電源が強制的にきれた。彼女は再び立ちあげようとしたが、それは沈黙を守り続けた。 「目的は果たしたんだ。だったらもう部屋をでたほうがいい。赤倉だって、そっちの世界にはせいぜいパソコンにしか手がだせないはずだ」 「そ、そうね。じゃ、わたしはこれから“ゼロ”の情報を集めるから」  通信をきると、真夜はアイシャをせかせて部屋を出た。 「真夜、これからどうする?」  近くの公園に駆けこむと、アイシャは汗をぬぐいながら尋ねた。どうもこの暑さと湿気は気持ちが悪い。 「今日はもう日がくれるし、何もできないわね。親戚のおばさんのところへいって、ゆっくり休みましょう」 「あたしも行っていいんだよね」 「もちろん。友達もいっしょだって、連絡しておいたから」  アイシャは真夜の腕にしがみつき、喜びを表現した。真夜は笑顔を浮かべたが、それとは別に心残りがあった。せめて“ゼロ”のデータを書きかえたかった。そうすれば、竜兵とラスターに勝算がうまれるだろう。それが残念でならない。だからそのぶん、明日はできるかぎり“ゼロ”の情報を集めようと思った。                  3  一夜をむかえると、真夜はファイブ・スクエアのルールブックを手に、電話をかけた。“ゼロ”について、メーカーへ直接質問するためだ。  電話は二回のコールでつながった。真夜は緊張しながらも、冷静に用向きを伝える。二分ほど待たされたが、電話はとりついでもらえた。相手はファイブ・スクエアのデザイナーの一人で、安川と名のった。 「“ゼロ”について教えてほしいといわれても、あれはウチにもないんだ。完成品が発売される前に、紛失してね。もともとテスト用の冗談でつくったヤツだから、どうでもいいんだけどね。……え、倒しかたを教えろ? 無理むり、倒せないようにつくったんだから」  真夜は電話口で叫びたい心境だった。どんな冗談でそんなものをつくったというのか。彼女は声に二割ほどの怒りを混ぜながら、さらに問いつめた。  電話のむこうで、困惑のうめきが聞こえる。 「……悪いけど、どうしても知りたいなら、明日かけなおしてくれないかな。ファイブ・スクエアを企画した人に連絡とってみるから、彼に聞いてほしい」 「……わかりました。失礼します」  真夜は受話器をおくと、アイシャをつれて秋葉原にむかった。竜兵が紹介してくれたパソコンショップに、インターネットの体験コーナーが設けられているのだ。彼女はそこで、ネットを通して“ゼロ”の情報をさがすつもりだった。また、最寄りにカードショップがあるらしいので、そこにも足をのばす予定だ。  しかし、足を棒にし、暑さに疲れ、ナンパされるなど不快なおもいをしたにもかかわらず、情報はチリほどにも集まらなかった。  ようやく帰った叔母の家で風呂にはいり、ひと心地つくと、真夜は庭で夜風にあたりながら竜兵に連絡した。アイシャは叔母たちと、居間でテレビを見ながらスイカを食べている。 「ぜんぜんダメ。明日、もう一度開発さきに電話するから、それに期待するしかないわ」 「ごくろうさん。でも、その情報は間に合わないだろうな」  竜兵のしずんでいく表情が想像できるほど、それは重い口調だった。 「……君が寝ているころには、こっちでは決勝がはじまるんだ」 「ウソ、だって明日の正午からでしょ?」 「時差があるのを忘れてるな? こっちはもう、朝だよ」  真夜は衝撃をうけた。時差ぼけがなかったため、すっかり忘れていたのだ。 「どうするの、紫堂くん! まさか、対策もなしに戦うつもり?」 「……しかたないよ。今日やらなければ、決勝で戦う人はやられてしまう」 「だからって、そしたら紫堂くんが死んじゃうんだよ!」 「大丈夫……。オレは、ファイブ・スクエアでは、誰にも負けない」  竜兵はまぶしさを感じ、宿の窓から空を見上げる。そばに立つラスターも、同じ色を瞳に映した。そして二人は視線を交わすと、微笑をたたえた。  少年は、イヤリングをはずした。 「……紫堂くん? 聞いてる、紫堂くん? ねぇ、返事して!」  真夜の叫びは届かなかった。竜兵はすでに、隻眼の死神をつれて最後の決戦に向かっていた。  たった独り、もとの世界に帰された少女は、あふれだそうとする涙を歯をくいしばっておさえ、居間に駆けこんだ。 「アイシャ、行くわよ!」 「ど、どこに?」  真夜の迫力に圧倒されながらも、金髪の相棒は反問した。 「決まってるわ。……闘いによ!」