ファイブ・スクエア                  1  竜兵は見知らぬ街にいた。そこは風景だけでなく、時代も、歴史も、何もかも少年の世界とは異なっている。少年に与えられているのは、ラスターから得た予備知識と彼本人だけである。  竜兵の心は、パソコン上に創造された魔法世界グレストキアにある。肉体は部屋のベッドで、身じろぎ一つせずにおとなしく寝ていた。ファイブ・スクエアに参加するために、竜兵はラスターに導かれてやってきたのだ。  レンガ造りの街なみを眺め、行き交う人々の服装や荷物に視線を誘われ、東京とは比べものにならない澄明な空をあおぐ。竜兵の世界では真夜中だったのが、グレストキアは昼をまわったばかりであった。 「ラスター、質問がある」  竜兵は普段と変わらぬ口調で、となりを歩く戦士に尋ねた。ラスターは一瞥くれただけで、またにぎやかな人ごみへ注意をもどした。 「何だ?」 「まず、この世界を誰がつくったのか」 「この世界は神がつくった。動物も、植物も、人間も神によってつくられた。神は異世界の住人で、自分の世界からこの世界を操っているのだ」 「この世界は、現実なのか?」 「存在するのだから、現実だ」  意味が違う。竜兵にとってここは、パソコン上に展開されるゲーム世界なのだ。プログラムされたゲーム世界が、現実といえるのだろうか? いや、ラスターから見れば、彼らはここできちんと生活し、存在している。ましてや竜兵の世界に実体をもって現れたのだから、生きているといって間違いではない。 「……神ってのは、オレたちの世界にいるのか?」 「そうだ」  つまり、この世界がプログラムでできているなら、つくったプログラマーが神というわけだ。だがどんなに優れたプログラマーでも、実体を持たせるのは不可能だ。 「それは違う。異世界の神や君たちが、我らによって生まれたのだ。我らの信仰が神の存在を生み、神は神という立場であの世界にいる。我らが現実で、君たちの世界こそが創造されたもう一つの現実なのだ」 「つまり、この世界をつくったと思っているオレたちが、実は君たちに創られたと言いたいわけだな」  竜兵はため息をついた。 「……やめよう。このさいどっちが真実でもかまうもんか。とりあえず、ファイブ・スクエアで優勝すればいいんだよな」  ラスターはうなずいた。彼にとっても、それだけが今の願望だった。 「ラスターは、なぜファイブ・スクエアにでたいんだ?」 「神は歴史までゲームでつくる。オレはそれをとめにきた。暴走した神をとめるために」 「歴史?」  ファイブ・スクエアの優勝者には、望めば手に入らぬものはない。たとえ国だろうと、世界だろうと。かつての覇者の中に、野望に猛り、大陸を支配したものは幾人もいた。圧政をひくもの、善政を行なうもの、それぞれではあったが、歴史は確実にそれらを記録している。そして必ず次のファイブ・スクエアにより、英雄か愚帝が誕生するのだ。一〇年ごとに、ファイブ・スクエアが開かれるごとに、歴史は動いてきたのだ。 「それを影で操って楽しんでいるのが、“神”だ」 「だけど、それが本当なら危険分子であるおまえを、見逃すとは思えないけどな」 「だからゲームなんだ」  ラスターは怒りの感情を見せた。神の代理が勝つか、オレが勝つか。世界の命運を、ゲームで決めようとしている。オレはそれがゆるせない。神など、もう必要ないのだ。ラスターの叫びは静かだった。しかしそれだけに、内心で吼える憤りの強さが感じられた。  コロシアムが見えてきた。  コロシアムは、ローマのそれを模倣したようであった。竜兵は写真やテレビでしか知らないが、酷似しているように思えた。  入り口ではファイブ・スクエアの観戦に集まった一般客が、整理係を無視して中へなだれ込もうとしている。竜兵はどこも同じだなとあきれながら、ラスターに案内されて選手用の出入り口へ向かった。  石造りの控え室に入ると、電流ににた緊張感が場を満たした。竜兵たちが最終組なので、出場者が顔をそろえたというわけである。 「遅かったね、紫堂くん」 「赤倉……!」  どこで仕入れたものか、彼はこの世界にあわせた衣服をまとい、マントをつけていた。もっとも、服装が変わろうと冷笑している眼と口もと、それにメガネは初対面のときのままだ。  赤倉はラスターを視線でひとなめすると、自分の傭兵を呼んだ。白銀の鎧をまとった剣士で、ラスターと同等の身長であったが、筋力はわずかながらうわまわるだろう。年齢はラスターより若く見え、好感のもてる顔立ちをしている。その彼の足もとを、尾の長い奇妙な動物がじゃれつくように走り回っていた。  魔法剣士のエンダー。赤倉は彼をそう紹介した。対して竜兵は、ラスターの名前だけを教える。 「余裕がないな、キミは。それではボクのエンダーと当たる前に消えてしまうよ」  竜兵はあと一歩で殴りかかるところだった。察したラスターが「かまうな」とささやかなければ、赤倉の顔にこぶしがとんでいただろう。  気分を害したまま、竜兵は部屋の奥に腰をおろした。見渡せば、選手一六人、マスター一六人。この中で一組だけが、覇者となるのである。  ふと、一組だけ異質な存在があった。女性のコンビである。  片方はどう見ても学校の制服らしきブレザー姿で、パートナーは歳も近そうな金髪の少女だった。なめし革でつくった軽めの鎧と腰の短剣は、とても猛者を相手する装備とは思えなかった。 「トラップ屋だな。はやさで勝負というわけだ。……むこうは魔術師か。武器すら持っていない」  ラスターの視線の先に、白いひげをのばした老人がいた。おちつきはらった表情は、歳のためか余裕のためか、ともかく竜兵を緊張させた。 「どうやら一芸に秀でたヤツらばかりらしい。中途半端な対策は、かえって不利に働くな」  ラスターは淡々と話すが、竜兵は胃が痛い。彼の選んだ魔法やアイテムは、多くのパターンに対応できるようになっている。それだけに同じ戦法で攻め続けられると、対処できなくなるのだ。 「今さら悩んでもしかたがない。オレはオレを信じるしかないんだ」  竜兵は立ち上がった。遠くから戦いのはじまりを告げる、銅鑼の音が聞こえてきた。扉が大きく開かれ、案内役の大男が先頭にたって歩きはじめる。少年はラスターをともない、部屋をでた。  たいまつに照らされた寒い通路のさきに、光と音があふれていた。  全身につきさす太陽を、鼓膜に人々の喚声を受け、少年は戦場に立った。  一六組三二人がでそろうと、長々とあいさつが行なわれ、観客はいらだちと興奮の絶叫をあげる。熱狂がコロシアムをつつみ、暴発まで秒読みといったところで、第一試合がはじまった。  緒戦は、例の女性チームと槍使いの戦士によって飾られている。  戦う選手以外は控え室へ戻され、自分たちの順番を待つ。竜兵は先ほどと同じ場所を確保し、のどを潤しながらトーナメント表を眺めた。 「オレたちの試合は次か……。相手は、あの魔法使いのじいさんだ」  ラスターは黙ってうなずいた。対戦相手の名は“賢者”ホウ。マスターは相模照平、大学生だという。 「どう戦うか――」  ラスターと相談しかけた竜兵は、自分の声の大きさに驚いた。いや、周囲が静かすぎた。顔を上げてみると、控え室は重い空気に支配されていた。それも当然だ。対戦相手と同じ部屋につめられ、落ち着いてなどいられるわけがない。もしこれが単なるカードゲームであるなら、竜兵は気軽に話をするだろう。だが、今回は――  怒号のような喚声が、控え室に届いた。 「第一試合が終わったようだ」 「あの娘、勝ったのかな?」 「……勝ったとしても、次の試合はないだろうな」  竜兵が疑問を口にしかけたとき、控え室の扉が開かれた。竜兵とラスター、相模とホウは、名を呼ばれると立ちあがり、さきほどと同じ案内役に率いられて戦場へ向かった。 「第一試合の結果はどうなったんだ?」  竜兵は、先頭の大男に声をかけた。 「女どもが勝った。だが、相手の首をはねなかったために、規定を無視したとして失格になった」 「首をはねるだって?」 「“敗者には死を”それがルールだ」  竜兵は困惑し、ラスターを見上げる。隻眼の男は、少年のつまらない感傷を破り捨てるように、死神の言葉を吐き出した。 「オレは斬る。勝たねばならないからな」 「いい心がけだ」  案内役の男は、にやりと笑った。  竜兵は何もいえず、ただ男についていくだけだった。                  2  狂気の戦場で、少年は戦いの開始をきいた。  ファイブ・スクエアの戦場は、わずか二五メートル四方ほどの空間しかない。マスターである竜兵と相模は、高台から二人の傭兵を見下ろしている。仲間との会話は耳につけた魔法のイヤリングで可能であり、アイテムなどはカードに封印して持たせてあった。  先手をとったのはホウだ。ホウの数値上のデータは、レベル=4、LP=5、MP=一五、攻撃力=2、防御力=2である。特殊能力は<アンチ・マジック>、魔法の効果をいっさい受けない能力である。  A1に立っていたホウは、ふところから二枚のカードをとりだした。一枚を自分の足もとに、もう一枚をB2に投げる。A1に置かれたのは地形<隠された道>、B2のは地形<壁>だった。<壁>は排除されないかぎり、いかなるユニットも侵入できなくなる効果がある。  ホウは次のカードを天につき上げた。 「紫堂くんといったね、対抗するか?」  相模の問いに、竜兵は肯定を表わそうとした。だが、答える前にラスターからの提案が聞こえた。 「これを利用すれば、次のターンで終わらせられるぞ。あれを使え」 「……!」  竜兵の脳裏に、通路での会話が思い出される。 “敗者には死を” 「マスター!」  竜兵のためらいが、ラスターの行動を妨げた。1レベル攻撃魔法<マジックアロー>が空に舞いあがり、D3にいるラスターめがけて堕ちる。魔法の矢は回避も打ち消しもされず、大鎌の戦士に傷をおわせた。ラスターのLPは残り一三。 「しっかりしろ、これでは勝てる相手にも勝てん!」  「すまない……」竜兵は自分のあまさを痛感しつつも、とどめをさす行為を思うとやはり怖かった。相手を倒すというのは、すなわち殺すのである。ゲームでは何度となくしてきた行いを、実践せねばならないのだ。  竜兵は考えがまとまらないまま、B3へラスターを進ませた。そしてA2に<壁>をはるよう命じる。こうすることで、ホウの逃げ道をふさいでいく。 「あまいな」  相模は一人つぶやくと、ホウをB1へ移動させ、C2にも<壁>をたてた。<壁>カードはデック無制限なので、相模はそれを利用しようとしていた。 「また魔法を使う。どうする?」 「……」  竜兵はまたも、無抵抗であった。ラスターは何もできぬ我が身をのろい、マスターである竜兵に歯がみした。  レベル3攻撃魔法<サンダー>が発動される。天空より雷を召還し、任意の場所におとす魔法である。ダメージはユニットレベル分で、防御力によって軽減はできない。  ダメージは4点。ラスターの生命力、残り9。 「無抵抗のままやられるつもりか! オレが死ねばおまえも死ぬんだぞ!」 「わかってる!」  竜兵はラスターの意志を尊重するように、B3からD2へ移動させる。ホウとの距離は、わずか2ブロック。  相模はあわてず、魔法カードを提示した。  竜兵は対抗しない。  ラスターは攻撃魔法を予期したのだが、それはおとずれなかった。気がつくと、ホウはA5の位置に転移していた。レベル3魔法<テレポート>により、任意の場所に移ったのである。 「<隠された道>を配置」  <隠された道>は、単体では役に立たない。二つ以上フィールドに存在してこそ効果を発揮する。この地形の上にいるユニットは、ユニットレベル分の行動力を消費することで、戦場に存在する他の<隠された道>に移動できるのだ。ちなみに<隠された道>は、デックに三枚制限である。 「これでヌシはワシをつかまえられんぞ。あとは魔法でゆっくり倒してやるわい」  ホウはひげに隠された口を大きく開き、声にして笑った。 「……竜兵、オレはおまえをマスターとは思わん。オレの好きにさせてもらう」 「……」  竜兵はうつむき、こぶしを握った。この期に及んでも、少年には戦う意志がわいてこなかった。  ラスターはB1に陣どり、行動を終了した。できればA1の地形<隠された道>を別のものにかえたいところだが、身体が動かなかった。 「さて、魔法の時間だ」  相模は攻撃魔法を選び、竜兵を見た。相手には魔法対抗がない。あれば今まで一度くらい対抗したはずだ。相模はそう確信し、「この勝負もらったな」と口の中でつぶやいた。 「対抗するか?」  ルールにしたがって、相模は尋ねる。「ない」という答えを待つためだけに。  相模の期待は、沈黙をもって報われた。 「<ファイア・ボール>」  レベル4攻撃魔法である<ファイア・ボール>は、2×2ブロックのユニットにレベル分のダメージを与える。この魔法は防御力により軽減され、範囲内のトラップを破壊する効果がある。  ダメージは4。ラスターの防御力が1なので、残りLPは6点。  ラスターは行動ができるようになると、ボロボロの身体をひきずりながら、1レベル回復魔法<ヒーリング>で傷をなおし、A1の地形を<回復の泉>に張りかえた。そのままそこに落ち着き、身体を癒す。LPは+3点。 「いくら回復しても無駄じゃよ。あと二回も魔法をくらえば、死んでしまうさ」  ホウは余裕の表情であった。相模もその意見に賛同らしく、魔法対抗を持たない愚かな相手に次の魔法をはなった。  だが。 「……待ってたぜ」 「なに?」  驚く相模にかまわず、ラスターは計画どおり一枚のカードを地面にたたきつけた。光があふれ、隻眼の死神の姿が消える。  ホウの魔法はラスターがいた場所に着弾するが、目標は存在していなかった。 「ど、どこに消えた?」  「ここだ」慌てふためくホウの斜め前方(C4)に、鎌を背負った男が立っていた。 「対抗の<テレポート>だ。これでおまえは逃げられない」 「ヒッ!」 「覚悟しろ」  その後の数ターン、ホウは最後のあがきで魔法を使い、慣れない攻撃もしたが、すべて対抗によって無意味とされた。 「終わりだ」  大鎌がふりおろされ、ラスターの半分ほどしかない老人は全身から血をふきだしながら大地によこたわった。 「まだ死んでないぞ。とどめをさせ!」  観客の一人が叫ぶと、それにつられるように人々は「殺せ!」と連呼する。ラスターはそれに応えるように、鎌をもう一度振りあげた。 「や、やめてくれ……。オレ…、オレが死んじまう……」  相模照平だった。外傷はないものの、すでに息は荒く、顔は真っ青だった。 「おまえがオレの立場なら、武器を捨てるか?」 「も、もちろんだ。オレだって人殺しはいやだ!」  「ウソだな」ラスターは相模を敢然とつっぱねた。ラスターには勝たねばならない理由があり、そのためには多少の犠牲は問題外だった。なおつけ加えるならば、死にたくなければファイブ・スクエアに出場しなければ良かったのだ。  大鎌が、二度目の血を吸う準備をはじめた。 「死ね」  血の味は、鎌だけが知っている。                  3  小さな窓からさす月光は、意外にも明るい。何もない、狭く汚い部屋では、それだけが唯一のインテリアかも知れない。竜兵は石でできたベッドで横になりながら、はれあがった頬をおさえた。痛みはそこだけではなく、寝返りをうとうとするたびに、全身に苦痛をおぼえた。  これで良かったんだ。竜兵は自分に納得した。たとえこんな牢屋にほうりこまれても、殴られても、自分は間違ってはいないと思う。  少年はホウを殺せなかった。すんでのところでラスターをとめた。その結果、竜兵は失格となり、大会運営者から非難とリンチを受け、今は牢獄にほうりこまれている。また、少年は第一試合の勝者であり、試合を放棄した月浦真夜をかばい、彼女が負うはずのケガまで肩代わりしていた。自分でもバカだったと、少々後悔した。 「面会だ、小僧」  鉄格子ごしに、シルエットが浮かぶ。牢番がつれてきたのは、赤倉真一だった。 「敗者も殺せず失格になるとは……。キミはいったい、何をしているんだ」 「おまえには関係ない」 「関係あるさ。ボクのエンダーは、キミのラスターと戦うはずだったんだ。それが崇高なる神の意志だったのさ」  竜兵はかなり皮肉な気分になっていた。それに赤倉という人間に対し、優しくあろうなどという気持ちは、かけらもなかった。 「神が偉大で全能なら、オレを失格になんかしなかっただろう。そうなったってことは、神は無能なんだよ」 「神はキミの愚かさまでは計算できなかったのさ。その点では、全能ではないな。だが、それは批判すべき問題ではない」  竜兵は、赤倉と話すのが苦痛だった。この男は、なにが狙いなのだろう。なぜ執拗に自分にかまうのか。 「……キミたちの処分が決まった」  赤倉の唐突の言葉に、竜兵は思わず身をのりだしていた。 「ファイブ・スクエアでは、敗者には肉体的、もしくは精神的に死んでもらうルールだ。キミは肉体が生き残っている。よって精神的に消滅してもらう」 「どういう、意味だ……?」 「忘れたのか、この世界はボクたちの世界ではない。意識がこのままこの世界にとどまれば――」  竜兵の身体は、竜兵の部屋にある。もしこのまま意識体の竜兵が戻らなければ、肉体は永遠に目覚めはしない。つまり、脳死状態として扱われるだろう。 「明日には釈放されるそうだ。この世界で、一生すごすといい」  呆然としている竜兵を残し、赤倉は嘲笑とともに消えていった。  月はだいぶ傾いていた。赤倉と話していたときは、まだ頂点にさしかかったころではなかったか。それと気付いたのは、となりの牢から聞こえるすすり泣く声によってだ。  コロシアムで行なわれた一回戦の敗者は、すべて死亡したという。とどめを刺さなかったホウも、竜兵がリンチを受けている間に公開処刑がされたらしい。おそらく第一試合の敗者も、同じ運命をたどっているのだろう。  竜兵はとなりに少しでも近づくため、壁に背中をつけた。 「泣いてもしょうがねぇぞ。あした、いっしょに考えようぜ」  泣き声がやんだ。 「紫堂くん? ごめんね……」  月浦真夜。第一試合の勝者で、竜兵と同様の理由で閉じこめられている。彼女があやまったのは、泣いていたからか、彼女をかばって竜兵が殴られたからか、判断はつかなかった。 「寝とこうぜ。どうせ他に、やることないんだし」 「うん……」  二人はそれ以上の会話を持たなかった。竜兵は頭を使うことにつかれ、真夜はそばに人がいる安心感に恐怖が消えたからだ。  眠るのに、障害はなかった。    “ゼロ”                  1  竜兵と真夜は、正午の鐘とともに牢からだされた。役人はなに一つ聞かず、話さず、事務的に二人を追い出した。少年と少女はかえって不安を感じたが、わざわざ危険をおかすまねはしなかった。  街を歩いていても、一人として竜兵たちに注目するものはいなかった。昨日の試合内容に文句をつけられる覚悟をしていたのだが、拍子抜けだった。  二人は街の中心にある公園へと入った。お金がないので、休める場所を選べなかったためだ。  真夜はハンカチを濡らし、はれあがっていた竜兵の顔にあてた。 「大丈夫?」 「うん、まぁ。……ありがと」  月浦真夜は、竜兵より一つ年上の一八歳だった。竜兵でさえ知っている有名女子校に通っている。彼女が着ている服は、その制服だ。ブラウスに映える明るめの赤いタイが、彼女自身のワンポイントのように似合っていた。なにより天然のブラウンの髪と瞳の輝きが、深く印象に残る。  木陰で一息つくと、真夜は不安を表情にだした。もとの世界へかえる術はなく、ここで暮らしていく自信もない。なぜこんなことになってしまったのだろう。これからどうなってしまうのだろう。心配の種はつきなかった。 「とにかくラスターを捜すしかないな。あいつなら、どうにかしてくれるだろう」 「紫堂くんのパートナー? ……そういえば、アイシャはどうしたかな」  おたがいに、牢屋に捕らえられてからのパートナーの行方は知らない。手掛かりがあるとすれば、出会った場所だけだった。ないよりましの手掛かりだが、二人は思案より行動がほしかった。夕方におちあう約束をして、それぞれの出会いの場へ二人は向かった。  竜兵は痛む身体をおして、裏路地奥の酒場をめざした。勝てた勝負を投げ捨ててしまったのを、ラスターはゆるしてくれないだろう。それでも竜兵はラスターに頼るしかなかったし、面識のある顔を一つでも多く見たかった。  腐りかけた木の扉を開く。中はかわらず静かで薄暗い。視線が酒場を急ぎ駆けまわるが、隻眼の死神はいなかった。  酒場の主人にラスターの行方を尋ねてみたが、彼は首をふった。客に対しても質問したが、全員が否定で答える。  竜兵はあきらめて公園に戻り、真夜の帰りを待った。動くことが辛かった。無理をしたためか、身体中の打撲がうずく。痛みは痛みを呼び、ついに少年は気を失った。  少年は幻想を見ていた。全日本大会の決勝で、赤倉をかんぷなきなでに倒し、優勝を決めた。真夜が称賛し、観客が拍手の雨をふらせる。竜兵は相棒となったラスターのカードを誇らしげに掲げ、何度も勝利のおたけびをあげる。そのうちカードが実体化して、ラスターは少年に手をさしのべるのだった。竜兵は、照れくさそうにその手をにぎった。  竜兵が眼をさますと、空は明るさを失っていた。月が冷たい光をおとし、かすかにあたりを照らしている。頭を巡らすと、もう一つの明かりが映った。炎の色、焚火のまたたきだ。 「起きた、紫堂くん?」  真夜は竜兵に気付き、水をさしだした。上体を起こし一息で飲みほすと、気分も身体も軽くなった。 「身体の痛みが消えていく……」 「<回復の泉>の水を飲んだからよ。便利ね、地形って」  真夜が笑ったのを、竜兵ははじめて見た。昼間とはずいぶん印象が違っていた。弱々しい“少女”というイメージが、“女性”という形にかわってみえる。  そうなった答えは、もう一人のためだ。彼女がいるから、真夜は安心して本来の姿に戻れたのだろう。 「よぉ、メシ食うか?」  振りむきながら正体不明の串焼きを突きつける少女が、真夜のパートナーのアイシャである。猫のような眼とフワフワした金髪が特徴のトラップマスターだ。 「アイシャは見つかったんだ」 「彼女のほうでもわたしを捜してくれてたから、すぐにあえたわ」 「ラスターはダメだった。……まぁ、たとえ見つかっても、力は貸してもらえないだろうしな」  竜兵は鉄串から肉をかみきった。何肉だか知るよしもないが、よけいなグチをもらすより有効的に口を使っていると思う。ともかく空腹を満たす作業が、何よりも優先されるべきであろう。落ちこんでいても、腹はふくれないし、名案も浮かばない。  真夜もアイシャも反対するつもりはなく、竜兵に誘われるようにそれぞれの胃袋に活力をあたえはじめた。  食事がすむと、竜兵はアイシャに単刀直入に尋ねた。もとの世界へかえれるだろうかと。  金髪の少女は、困惑の猫の顔になった。 「さぁ、あたしにはわかんないよ。だってあたしは別の世界があるのだって知らなかったんだもん。真夜と逢ったのもほんの偶然だし、魔法だって使えないし……」 「それじゃ、どうやって月浦さんはこっちへ来たんだ?」 「パソコンでゲームをはじめたら、突然ひきこまれたの。そしたらあのアドレスをくれた赤倉とかいう人が現れて、もとの世界に帰りたければファイブ・スクエアで優勝しろって……」  竜兵は驚いた。皆、自分とラスターのような出会いをし、自分の意志でこちらに来たものと思っていた。それならば、ラスターがダメでもアイシャを通じて帰れると期待していたのだが。  竜兵は考えのあまさを実感しながら、ラスターと自分についての説明をする。今度は、二人の女性が驚く番だった。  そうして情報をできるかぎり交換した結果、対策は一つ。“ラスターを捜す”しかなかった。  その死神は今、“ゼロ”と対峙していた。                  2  「いいかげん、出てきたらどうだ」  赤倉真一は、街のはずれにある屋敷のテラスで本を読んでいた。彼本来の世界から持ちこんだ推理小説だ。半分も読まぬうちに犯人とトリックが知れてしまい、興ざめしたところだった。  赤倉は本をテーブルにおき、庭に繁る木々に注視した。  木がざわめいた。だがそれは長く続かず、原因となる黒い影が飛びだす。風がうなり、鎌を背負う長身の男が、一瞬で赤倉の眼前に迫った。 「殺す」 「なぜだ? キミは負けたんだ。ボクと戦う前に、無能なマスターによってね」  赤倉のあいさつは、ラスターの胸に響いた。だが、死神はかすかにも表情にださなかった。 「キサマを斬れば、それで終わる」 「無理だね。ボクが神だ。ボクがこの世界を創ったんだ。おまえも、ボクが創ったんだ。だからボクを殺せない」  首筋に刃があてられても、赤倉は冷笑をやめなかった。 「退屈なんだ、ボクの思いどおりに動く歴史が。だからおまえを創り、部外者をとりこんだんだ。……だが、思ったよりつまらなかった。誰もボクには勝てないんだから」 「思いあがるな。竜兵がバカなまねをしなければ、オレはかならずおまえの首をおとした」 「そのマスターを選んだ時点で、キミは負けたのさ」  赤倉の眼光に、ラスターは異質なものを感じた。これが竜兵と同じ人間なのだろうか。ただ狂気にかられているだけなのだろうか。  二人の視線はぶつかったまま、しばしの時をおいた。 「ラスター、キミにもう一度チャンスをやろう」  さりげなく死神の鎌を払いのけると、赤倉は立ちあがった。 「ここでエンダーと戦うがいい。ファイブ・スクエアだ」 「なんだと?」 「退屈なんだよ。ゲームが終わっては、せっかく盛りあがりかけたボクの気持ちがおさまらないんだ。……どうする?」  ラスターに拒絶する理由はない。エンダーを倒せば、マスターである赤倉が、ひいては神が死ぬのだ。神の死によって、歴史は幕を閉じるのかも知れない。だがゲームで動く世界など、ラスターにはいらなかった。存在すらが無意味であった。  赤倉は庭におりると、カードを取り出した。そのうちの一枚がエンダーとなり、もう一枚が角の生えた銀色の動物になった。  ラスターは、エンダーと距離をおいて武器をかまえる。 「エンダーの特殊能力は、<ドールマスター>。戦場に従魔を召還し、自在に動かせる。従魔名は“ゼロ”」  ラスターの記憶に、“ゼロ”という名の従魔は刻まれていなかった。だが恐れはない。従魔はそれほど強いものではなく、攻撃か防御にかたよった存在だ。倒すのに苦労はなかった。 「ゼロには、エンダーから最低限の生命力を与える。エンダーとゼロを倒せば、キミの勝ちだ」  ラスターとエンダー、そしてゼロが配置につくと、赤倉は戦闘開始を告げた。  口火をきったのはエンダーだ。白銀の剣士はフィールドの角で、自分の周囲にトラップを配置した。戦闘はゼロにまかせ、自分は援護だけするつもりなのだろう。  その攻撃の起点であるゼロが動いた。ゼロは四つの足で大地を駆り、ラスターに牙をむく。 「迅い!」  ゼロは一瞬でラスターとの間合いをつめ、額の角で身体を引き裂く。ラスターが痛みにたえている間に、銀色の獣はもとの場所へ戻っていた。 「バカな、なぜそこまで動ける?」  ゼロは往復で一〇ブロックは移動していた。どんな手を使っても、不可能のはずだった。 「見たかい、“ゼロ”の力。従魔のテスト用に生み出され、あまりの強さに破棄された、ファイブ・スクエアでは伝説となっている世界でたった一匹の従魔さ」  赤倉は悦にはいって説明を続けた。 「レベル0。ゆえに“ゼロ”。移動力の制限を受けず、鎧を無視してかならずダメージを与え、魔法もアイテムも、攻撃さえも受けつけない。つまり絶対に死ぬことのない、最強の駒なのだ」 「ならば、トラップならどうだ」  ラスターはカードを投げ、自分の正面にトラップをひいた。両脇は<壁>でかこみ、まわりこまれないようにする。 「無駄だ」  ゼロが走る。ラスターの正面だ。だが、罠は発動しなかった。 「ゼロにはトラップもきかない。すべてが無効。エンダーを倒しても、エンダーの生命力をもらっているゼロを殺さないかぎり、負けはないのだ」 「ならばトリックを使うまで!」 「それも無駄だ」  ラスターはトリックを封じたカードを取りだした。だが、能力は発動しなかった。驚愕する隻眼の死神に、悪魔の微笑を赤倉はくれた。 「特殊な力は、マスターが与えるもの。マスターのいない今のおまえには、<トリック・スター>はないのさ」  ラスターは、万策つきたことを知った。                  3  夜があけると、竜兵と真夜は王立図書館へ歩を進めた。ラスター捜しは地理にあかるいアイシャにまかせ、二人はできる範囲で調べものをするつもりだった。  一般的に、図書館というのはデートスポットでも、日常それほど利用する場所でもない。ましてや朝一番ともなれば人の出入りはなく、竜兵と真夜は二人きりで本の森をさまよっていた。  竜兵はラスターの言葉を思い出すように、歴史書を手にとった。年表は驚くほど簡潔で、十年単位で大きな事件がおきている。簡単に言えば戦争と平和のくりかえしで、まさにゲーム感覚で歴史がつづられていた。 「一番古い歴史は、五〇〇〇年前になってるな。創世記だってさ」 「世界の誕生からすぐに人間の歴史があるのは、やっぱりヘンね」 「神が実在し、創世ととも人間をつくったならおかしくはないけど……」  竜兵は本をめくってみる。各時代の支配者とその政治、各国の勢力図や軍事記録などがながながと書かれていた。興味がないので、さきにおくる。 「ないわね、ファイブ・スクエアの発祥……」  二人は手当たりしだいに本をあさるが、肝心のファイブ・スクエアについては情報が得られなかった。 「都合の悪いものを公共施設におかないのは、どこも同じか」 「いちおう辞書に一行だけ説明があるわ。“長い戦争に倦み、恒久的な平和にも退屈していた人類に、神が授けたゲーム”だって。……でも、ファイブ・スクエアって、戦争の引き金になってるのよね。どうしてやめないんだろ?」  「それが人間の意志だからだ」  赤倉は立ちあがる力すら持たないラスターに、話し続けた。 「ファイブ・スクエアの覇者には望むものを与える。それを希望として人は生き、そして戦う。すばらしいだろう? ただ強ければ、それだけで何でも手に入るんだ」 「大陸の支配権までは、気前がよすぎる」 「なぜだ? 覇者はそれだけの力を持っている。チャンスはすべての人に平等であり、それをつかんだ者がすべてを支配してなにが悪い」 「だが、世界を統治する能力ではない」 「そうさ、だからおもしろい」  赤倉は笑みを強めた。 「王たる器なき者が世界を支配し、平和な地をも乱す。世界は混沌とし、戦乱がはじまる。歴史が動き、ボクはそれを眺める。……楽しいぞ。人間がゲームの駒のように走り、意味もなく殺しあうんだ。正義もなく、悪もなく、ただ生きるために戦う。そして戦争を終わらせようと、神に頼んでまたファイブ・スクエアが開かれる……。くりかえしさ。バカみたいに歴史をくりかえすのさ。おもしろいだろう?」 「キサマ……!」  声だかに嘲笑する赤倉に、ラスターは力をふりしぼって立ちあがり、大鎌をかまえた。だが足が震え、腕がしびれ、すぐにひざをついてしまう。けれども眼光は力を失わなかった。 「ほう、いい眼だ。そうだ、それでいい……。おまえはそのために創ったのだ。ボクにさからい、ボクを殺すことだけを考えて動く人形なんだ」 「違う! オレは、オレの意志で戦っている!」  ラスターの絶叫も、赤倉には心地よい遠吠えだった。だが、それを楽しむ時間はもうなかった。ファイブ・スクエアの第二回戦に行かなければならない。  身動きできぬ反逆者を地下牢へかたづけ、赤倉はエンダーをともなってコロシアムを目指した。ラスターがいない今、大会に意味はない。だが同じ世界からの客人を相手するのも、退屈しのぎにはなるだろう。本当に、ささいな遊びていどには。  竜兵は、ラスターがなぜファイブ・スクエアで勝ちたかったのか、ようやくわかった。彼はファイブ・スクエアそのものを廃止したかったのである。もちろん“神”の正体を知っているなら、直接そちらを狙うだろう。それができない状況だったからこそ、優勝するしかなかったのだ。しかしその願いは、少年によって果たされることはなくなった。  竜兵は彼のためにも、できるかぎり何かをしなければならない。ファイブ・スクエアをやめさせるか、“神”を倒すか、ともかく彼を見つけて行動をともにしたかった。 「いたいた」  アイシャは本の山にかこまれている二人を見つけると、柔らかい金髪を揺らせながら駆けよってきた。真夜は「ごくろうさま」とハンカチを貸す。 「ラスターの居場所、わかったよ」 「本当か?」  竜兵が勢いよくつめよると、アイシャは暑苦しいと押しかえす。一息つくと、街でしいれた情報を二人にきかせた。それによると、昨夜遅くラスターらしい男が、街はずれの屋敷のまわりをうろついていたらしい。 「だれの屋敷なんだ、それ?」 「アカクラの屋敷だってさ」 「赤倉の?」  竜兵は顔を曇らせた。ラスターが赤倉に、何の用があるのだろうか。 「……とにかく、行ってみよう」  三人は図書館を出ると、太陽に背をむけて走りだした。                  4  コロシアムでは、第二回戦が順調に消化されていた。それはすなわち、確実に一人の戦士と一人のマスターが死んでいくのを意味している。すでに四人が棺桶で眠り、予定の残り二人を葬儀屋が待っていた。 「か、勝てるわけがねぇ……。“ゼロ”だとぉ……。そんなのに勝てるかぁ!」  無精ひげにまみれた二十歳前後の男は、自分の傭兵に迫る、銀色の悪魔に震えがとまらなかった。百戦練磨の戦士も、いかなる攻撃もうけつけない化け物に戦意を喪失していた。 「なら、死ね」  赤倉真一は心から楽しそうに嗤った。ゼロは1ターンごとに確実に相手の生命力を削り、相手が降参しようが泣きわめこうが耳を貸さず、なぶり殺した。  観客の声援はひときわ大きい。ショーは残酷なほど人を興奮させ、喜ばれる。  控え室に戻った赤倉に、生き残った三人のマスターが待っていた。 「おい、ゼロはきたねぇぞ。それはテスト用の従魔で、しかもたった一匹のレアものじゃないか。そんなの使うなんて反則だぜ」  三人の中でもっとも人相の悪い男が、赤倉の胸ぐらをつかんだ。他の二人は腕力でこそうったえなかったものの、表情では脅迫していた。  赤倉はため息をついた。 「……わかった、ゼロはもう使わない。ボクもゲームが成り立たなくて、つまらなかったんだ。手加減する」 「手加減とはなんだぁ!」  男の右こぶしが、生意気な少年めがけてふるわれる。しかしそれは、エンダーの掌によってとめられた。 「マスターに手をだしたな?」 「やめろ、エンダー。殺すのはゲームのときでいい」  赤倉は男の手をはじき、控え室を出た。ラスターと竜兵のいないゲームも、それなりに楽しくなりそうであった。