「知的生活をするための教育日記」

 初稿・1989年4月3日。以来、360号。2002年ホームページ上で復稿。現在、4年目。

 本音で書いているため、「そんなこと書いて大丈夫?」と心配してくださる方もいます。でも、「そう考えている人間もいるのですよ」「教育って、懐の広い人間でなくちゃあ勤まらないよ」と言いたいんです。 だって、今の現場はあまりにひどいのですよ。官僚の一人でも、現場の声に目を傾けようとする人がいれば、ずいぶん日本の教育も変わると思いますよ。

2005年

≪106≫ 12月29日 木曜日
 11月の学習発表会の発表原稿をやっとパソコンでうちました。30ページほどの「まとめ」になります。印刷はいつしようかな? 冬休み中にした方がいいかな? 大学にシラバスも送ったし、一応年内にやる予定のことは終えることができました。 さて、あとは、年初めからの集中講義の準備ですが、ゆっくり本も読まないとね。まずは、習熟度別や少人数問題と、フィンランドの教育事情関連を整理しなくちゃあ。   いずれにしても、この「教育日記」も2005年は終わりとしましょうか。 良いお年をお迎えください。

≪105≫ 12月27日 火曜日
 2月に行く社会見学の下見に行ってきました。明治村です。もう何度も行き、まあ下見の必要なんて感じないのですが、お付き合いというところです。そこで、電車内での明治村の宣伝に乗っかってやろうと考えました。つまり「明治を、食べつくしませう」です。7品あります。でも、半数しか食べられませんでした。そんな楽しみ方をしながら下見をしたわけですが、少し不愉快な思いを持ちました。
だって、2月の明治村って、寒いに決まっています。子どもたちには、ばっちりと防寒対策をさせねば、体調を崩す子が続出するでしょう。なのに、カイロは持たすべきではない、学年「禁止」の同一歩調をとらねばならないとね。 まあ、カイロ愛用者の私への当てつけ・いじめなのです。 寒空に子どもたちをほおり出すことが、子どもを鍛えることだと思っているのでしょう。 止めてほしいですね。 人権問題だと思いますよ。 防寒対策として、持っていきたい子は持っていけばいいのです。 強引に「禁止」を押し付けてきたら、私は当日、欠席することにしましょうかね。そして、「たばこ暴露」の行動に出ることにしましょうか。  くだらぬことでエネルギーを使いたくないけどねえ。

≪104≫ 12月26日 月曜日 
 25・26日と、大雪の北陸数教協の合宿研究会に行ってきました。うまく行けるか心配でしたが、10分程度の遅れでした(帰りは25分遅れた。ここでも、新幹線中心のダイヤ編成であることを思い知らされました)。 無事、粟津温泉・おびし荘に着くことができました。そして、武隈さんの「子どもたちと生きて」の講演、分科会のすべての日程に参加しました。 武隈さんも今年で退職、私とは古い付き合いの富山の先生です。講演を聞いて、改めて彼に対する共感を覚えました。もう20年ほど前、全国大会で同室になった時の出来事、和倉の大会の時、共に速報係をしたトリ年3人組の思い出・・・
いろいろあるのです。 分科会では、いつも女の人のパワーに圧倒されるのです。東海地区なんて、男ばかりです。いやいや、全国的にみても数教協の小学校は、女性パワーです。東海地区が異常なだけかもしれません。それに、今回の会の世話をしているのは、藤崎さん。福井の校長先生です。校長先生が、こうした自主的な研究会を催しているなんて、愛知では考えられませんね。


≪103≫ 12月22日 木曜日
 暴風雪警報が出るかもしれないという中で、2学期の終業式を迎えました。集団下校の最中に雪が勢いよく舞ってきましたが、無事下校させることができました。
 さて、2学期、予想以上に学習のペースが上がりませんでした。私が、焦れば焦るほど、子どもたちの学習意欲は減退していくように思えました。手ごたえが感じられなかったのです。本来なら、一番充実した学びの姿がかもし出されねばならない時なのに、子どもたちの眼の輝きはどよんとしたままでした。 発展教材的に最先端の教材・資料を与えても、教科書レベル(受験学力)から一向に脱却しようとしない子どもたち。 確かに、次々と与えすぎのハイペースであったとは思いますが、子どもたちから溢れ出る学ぶ喜びの姿は・・・・・。 ニュートン誌を喜んで読み、読書に耽り、難問・奇問に挑戦していた6年前の子どもたちの姿とは、全く違います。 放課中はカードに夢中、読書といえばマンガの域を脱却できないのです。
 私に残された日数はあと3ヶ月。 発達の最近接領域を徹底的に耕しておきたいという願い、なんとしても実現させたい。 そうでなくちゃあ、悔いを残すだけ、やりきれないねえ。 冬休み中にしっかり策を立てないと・・・・・・・・。

≪102≫ 12月19日 月曜日
 名古屋も、58年ぶりとやらの大雪で23センチ積もりました。大雪警報ですが、そんなものは全く想定されていませんから、若干の混乱がありました。「遅れてきた児童を遅刻扱いにする」というのです。驚きました。だって、Pの地域委員さんが「お休み」とか言ったために、家に帰ってしまって遅れたのです(隣接校は、自宅待機という指示を出しているのですから)。それを遅刻扱いにする必要もないし、してはいけないのです。 だって、坂道の多い通学の安全を考慮して、P委員さんは指示を出したのです。もし、それを「遅刻扱い」にしたら、すべてP委員さんの責任となるのです。地域との連携が急務となっている昨今、どうして恥ずかしげもなく「遅刻扱い」などと馬鹿げた声が出てくるのでしょうかね。 学校は、一日でどれだけ賢くなったかで、出席を決めればいいのですよ。 遅れてきた子どもたちが教室に到着する前に、どれ程の学習をしていたのでしょうかね。 もっと言えば、大雪警報の時は、どうすればよいのかきちんと指示を出していなかった教委の責任なんですよ。

≪101≫ 12月17日 土曜日
 今から合宿研究会に出かけるのですが、ちょっと準備不足です。忙しくなることは分かっていましたから、それなりの心積もりはしていたのですが、通知表作成・卒業文集作成・中学入試調査書など、いろいろありましたからね。 まあ、夏の全国大会で「習熟論」はやったとか、仲間内の研究会だという安心感があったのも確かです。 でも、退職後も、少しは算数教育に関わった形でいくことになりそうですから、しっかりしないといけませんねえ。 25・26日と、北陸へも行くことにしましたが。

≪100≫ 12月15日 木曜日
 日本中の学校が「うちだけは大丈夫」と言っておられず、下校時も校外まで巡視に歩く。わが校も例外ではなく、子どもたちを残して・・・・ということも完全にできなくなった。 私も、順番で校外まで出かけて様子を見た。 まあ、やかましく言い続けていた効果か子どもたちはそそくさと帰る。そこまではよかったのですが、高学年も下校した後、トワイライトスクールの低学年の子たちが、ふらふらと帰ってくるではありませんか。 トワイライトの子たちも、わが校の子たちです。 どうでもよいというわけにはいかないでしょう。 学校もトワイライトも教委の管轄下でしょうに・・・。 このお粗末さにあきれてしまいました。 こんなザルでは、折角 巡視をしたところで、無駄骨ですよ。 「災害時の緊急参集訓練をします」「冬休み中に、自宅から徒歩・自転車・バイクのいずれかで出勤してください」などと、形ばかりを繕ってみたって、危機管理ができているとは思えませんね。

≪99≫ 12月12日 月曜日
 それにしても、次々に子どもをめぐる事件が起きるものである。しかも、次々殺されているのだ。今回の塾講師の塾内でも準備周到な殺人事件は末期症状かな? ただ、塾講師の殺したくなった気持ちも分からぬではない。マスコミでのコメンテイターの言は、現場の実態・昨今の子ども事情を知らない者も発言でしかないと思っている。 高学年ともなれば、教師をバカにしたような、耐え難い暴言をいうのは日常茶飯事なのだ。 私も何度もムカッとしたことはある。「これは、親の影響じゃろう」「世相の所為じゃろう」と耐えている。 塾講師の気持ちもよくわかるが、やっぱり、大人ですからね。犯してはいけない一線があることぐらい分からなくちゃあねえ。 
 いよいよ我が校も集団で下校させるだけでは、おさまりがつかなくなったらしい。下校時、教員は地域まで出かけて警戒にあたれということなった。 わたしゃ、学校で仕事がしたいよ。教材研究の時間がほしいよ。楽しい授業づくりがしたいよ。 もっと魅力ある学校づくりを目指さなくてはならないはずなのに、現実は、どんどん遠ざかっていきますね。  ますます、公教育は、学習塾に乗っ取られるよ。

≪98≫ 12月11日 日曜日
 個人懇談会が終わって、ほっとする間もなく、通知表を仕上げ、卒業文集をやらねばならない。毎度のことではあるのだが、本当に『師走』です。今日も朝から、文集の下書きのチェックをしていた。やはり、何を書いてもよいというものの、卒業文集に相応しい内容でなくては、書き直しを要求しなくては、ご本人はよくても、他の子たちに迷惑がかかります。また、今日になって気付いたのであるが、清書用紙は方眼形式であった。「どうして、原稿形式でないのか」、こうした文集では、当たり前だと思っていたが、方眼形式とはね。 素人さんの編集だわいと改めて思ってしまった。 「こうした卒業文集をなぜ作るのか」を、いや日頃文集づくりをしない教師ばかりになってしまった現場の意識レベルの低下の表れといえようか。 生活綴り方教育が忘れ去られようとしている。だから、子どもの荒れはちっとも無くならないのです。 本当に、綴り方を通して、生活指導のあり方を論議した時代がなつかしい。

≪97≫ 12月10日 土曜日
 このところきな臭さを感じて仕方がない。 8日は真珠湾を攻撃して、太平洋戦争の始まった日だなあ。不戦の誓いをしないといけないよねなんて思っていたら、政府は「イラク派遣延長」をわざわざ8日に合わせて決定する。民主党の前原も口裏を合わせたかのように、演説を行う。 憲法改憲論者ののさばり様は各国の脅威であろうに、日本人は相変わらずノホホンとしている。救いようもなく平和ボケ。 『教え子を再び戦場に送るな』と頑張っていた日教組も民主党の意のまま。戦場に子どもたちを送ろうと企んでいるのですから、もう日本はだめですねえ。 さてさて、どうしたものでしょうか。

≪96≫ 12月4日 日曜日
 土・日と2学期の評価のまとめをしました。実は、明日から個人懇談会があるのです。個別の資料も作らねばならないのですが、結局は、例年のごとく、学習の到達度(1・2学期を10段階評価で比較)学習日記や書き取りの取り組みの1学期との比較資料だけ。あとは、私のお頭の中というわけです。まあ、10〜15分程度の限られた時間しかありませんからね。  それにしても、個人懇談会もこれで最後というわけですが、わざわざ学校まで足を運んでもらって、どれほど有用な話し合いができたであろうか。 今までにも、“1学期末がよいか、2学期末がよいか”と話し合われたこともあるが、教師側の都合でしかなかったように思う。子どもたちの指導に関わっての話し合いではなかったなあと反省している。 最後、充実した1週間にしたい!

≪95≫ 12月2日 金曜日
 重苦しい1週間が過ぎた。 なんとまあイヤな雰囲気でしょうか。 私の堪忍袋も切れる一歩手前で休みとなったようなものです。 「学校は、学び舎」であることを互いに確認しあえないものでしょうか。 教師は、子どもたちに最高レベルの内容の授業を提供すべく奮闘しなくては、その職責を果たしたことにならないでしょうものを、教科書べったり、一歩も踏み出すことなく、いや踏み出すだけの教材研究も、意欲もない。 寂しい限りです。 教師は、創造的で、革新的でなくては、社会の進歩に貢献できないと思うのですけれど、現実は・・・・・・・。 今は、この学年から離れたい気持ちでいっぱいなのです。 まあ、いい年をして、職員室で当り散らすわけにもいかず、我慢したまま職場を去ることになるのでしょうね。 ああ、無情!!!!

≪94≫ 11月30日 水曜日
 先週に続いて、またまた事件がありました。子どもたちの「荒れ」が最高潮に達したのかな?(これが、最高ならばよいのですがね)。 「学年で、学校全体で、支えあうべきだ」「あなたは、非協力的だ」と、非難ごうごうとは言わないまでも、私に対する風当たりは強い。私は、管理主義教育は嫌いなんです。だから、今の指導方針に対して、何も言いません。言えば、教師集団が対立するだけですからね。 私にすれば、学習発表会の前から、「こんなことをしていたら、ガタガタになりますよ」と予告したのですが、無視されたのですから、今、発言しないようにすることが、一番協力的な態度だと考えているのです。 子どもたちへの生活指導は、いくら監視を強め、力で押さえ込もうとしても、できるものではありません。子どもたちに“考えさせる”ことが大切です。決して、教師の考えを押し付けちゃあね。教師も自分の弱点をさらけ出して、人間的な付き合いをしていきたいものです。 教師がプライドを捨てるところから、本音での話し合いは始まると思うのですが・・・・。 もうしばらくは、静観していくつもりです。

≪93≫ 11月26日 土曜日
 2学期もあと19日の授業日を残すだけになっています。本当に月日はどんどん過ぎていきます。心配をかけていた『学級通信』も一応再開しました(ただし、当面は休日明けの発行だけです)。 授業の方も、素早く切り替えて、集中した取り組みにと思いつつも、2学期の評価のために、チェックできていない項目の補充的テストが多くなってねえ。あまりほめられたものではありませんけど、最善を尽くした評価をするためには仕方ないですよね。 それにしても、パソコンによる数字化に抵抗して評価をするのもあと2回だけか。 教育現場から、評価をどうしようかと悩む教師の姿はすっかり消えていく。 小学校でも、通知表が変わったにも関わらず、到達度評価の観点でテストを行わず、相も変わらず「中間テスト」「期末テスト」の発想しかない。 日本の子どもたちに「考える力」がないという前に、教師の「意欲・関心・態度」を高めないとどうしようもありませんね。でも、無理。教育界ほど「出る杭は打たれる」ところはありませんからね。 身に沁みて体験させてもらいましたから。

≪92≫ 11月22日 火曜日
 本日は、学習発表会でした。準備に、予定していた15時間を5時間もオ-バーした20時間をつぎ込んだことになります。20時間に値する内容であれば、問題がないのですが、さてどうでしょうかね。私は、かなり消化不良のやりがいの持てない学習発表会でした。正直つまらなかったです。
 というのは、我がクラスの子にほとんどタッチできず、学習発表会を通して、どんな力をつけてやったのかと問われたら、「何もありません」と答えるより仕方ないからです。つまり、日常の学習の成果を発表できていないからです。 まあ、子どもたちは、アンケートに満足したような感想を書いていますが、どう解釈したらよいのでしょうかね。 今回のようなスタイルでの取り組み方は、まちがっていると思いますね。 このところの子どもたちの荒れの原因は、まさにここにあると考えるのです。 子どもたちは、本当のワルではないのです。 だって、本番では、教師側の心配をよそにちゃんとやったではないですか。 そんな点も見てやれる教師でありたいものです。
 私も、職員室の雰囲気に流されて、子どもたちの見る眼がどんどん濁ってきてしまったようです。

≪91≫ 11月20日 日曜日
 昨日は、サークルの例会日。 いつもの仲間が集まって、ワイワイガヤガヤと授業のこと・教室のこと・教育のことなどを話しまくった。 本音でしゃべっても全く気にしなくてもよい長い付き合いの仲間です。 30年以上、毎月、こうしてエネルギーを補給しているのです。 ここでの補給がなければ、漫然とした教員生活を送っていたことでしょう。 もう退職まで、4ヶ月ほどになりましたが、やりたいことがいっぱいあるのです。
 でも、子どもたちに「先生、月曜日はよく怒るねえ」と言われるほど、私は月曜日が不調です。 というのも、土・日曜に〔この1週間には、これだけのことをやりきるぞ〕と思い、準備万端でかけるのですが、教室へ入ると、ぐったりとした子どもたちの姿が目に入ることが多くなり、ムラムラときちゃうのです。 まだまだ浅はかなのです。 まあ、これは、直りません。 また、1週間が始まります。 平和な1週間、意義ある1週間でありたいものです。

≪90≫ 11月18日 金曜日
 またまた騒ぎがありました。まあ、私も幼児園から低学年の頃、よく学校から脱走しましたので、それなりに気持ちは分かります。ただ、少し周りが「友人で心配しているんだ」と囃し立てると、脱走した者は、引っ込みがつかなくなるものです。これを理解してやらないとねえ。 いくらお説教染みた講話をしたところで解決にはならないでしょう。
 かつて、中学校が荒れまくった時代。力で抑えようとした学校は、総スカンを食ったことを思い出すべきです。教師が教師としての価値を示せるのは授業です。学習塾が、学校教師への不信感を煽り立てている現状では、学習塾以上の価値ある学びを子どもたちに提供することが、解決のポイントではないかと考えるのです。「授業で子どもたちを納得させる」という命題に、教師は挑戦し続けねばなりません。 だって、荒れている子達は、学ぶ意欲のある子達ばかりなのですから・・・。

≪89≫ 11月16日 水曜日
 昨日の騒ぎは、小休止かな? まあ平和なことはよいことです。平和でなくちゃあ、学習活動ははかどりません。この大切な時期をわけの分からぬ学習発表会に没頭するわけにはいきません。ほどほどにいきたいと思うのですが、今日も1時間、供出させられてしまいました。 正直、学校行事としての取り組みなのに、これほど、今までの流れ(私は、この流れに反対し続けてきた者ですが)が無視されて進められてよいものでしょうかね。理解に苦しみます。 これも昨今の政治世界・小泉流の反映でしょうかね。 

≪88≫ 11月15日 火曜日
 どんどんと日は過ぎていく。『あゆみ』を再開してという声は、確かに日増しに強くなってきている。うれしいことである。もともとこんなに長期間休止することになるとは思ってもいなかった。せいぜい1週間もすれば、学級の動きに変化が起きるきっかけになるであろうと予測していたが、甘かったのだ。 そんな淡い予測などどこ吹く風。休止したことが、かえって一部の連中を増長させたかと思われるほど、学年全体の突風が2組に入り込んできた感もある。そうした荒れ狂っている連中には、実は共通するつながりがあるのだ。このつながりを断ち切ることは至難に近いのは確かだ。 (まあ、これ以上、ここには書けませんけどね) 正義派があまりにも小さい。 しかし、ここでほっぽり出すわけにもいかない。 やはり、『あゆみ』は、個人懇談会で親との話し合いが終わるまで出しちゃあ、だめですよね。

≪87≫ 11月12日 土曜日
 10日に、三重県のO小学校に行ってきました。授業を見せてもらい、事後検討会に参加し、少し話もさせてもらいました。充実した1日になりました。本当は、自分の職場でもそうあらねばならないのに、他校へ出かけて研修を深め合うなんて寂しい話です。それが、名古屋の教育の現状なのです。こうした研修実態は、とうとう私の在職中には変わらなかったということです。
 さて、5年生の「面積の求め方を考えよう」の授業でした。学力差のある高学年での授業のあり方について、学ぶべきことがありました。わからないことも平気で口に出せる温かい雰囲気があり、一生懸命説明してあげようと言う「異質協同」の学習がありました。これは、今の我がクラスに欠けている点であり、負けました(ここ4年ほど、この地域に関わらせてもらっていますが、いつも感じることなのです。私の授業論・『授業の三角形』に「集団」を入れることにしたのも、ここでの関わりからなのです)。 また、この学校には、教材研究にしても自由な雰囲気があり、教科書べったりの授業展開ではありません。「よいものはよいもの」として、受け入れる雰囲気が確かにあります。まあ貴重な存在の学校といった方がよいのかもしれませんが、こうした教師集団の研修の積み重ねこそが、昨今の『学力低下問題』への突破口になると思うのです。お仕着せのTTプランや習熟度別では必ず破綻します(破綻することが分かっているのに、文科省・教委は強行する。後々の日本に誰が責任を持つのじゃ)。教師は、ラジカルな教材体系(量の体系)を持ち、実践に臨まねばなりません。「基礎学力と基本学力と分けて、教材分析をし、評価基準を立てるようにする」心意気を持つべきです。それが、プロ教師なのです。 いろいろ考えてみる機会になりました。 O小の皆さん、竹中校長先生に感謝!

≪86≫11月6日 日曜日
 日頃の気分転換の意味もあり、息子のキウイフルーツの収穫に狩り出され、掛川まで出かけてきました。ダンボールに5箱ほど収穫しました。まあ、それだけの話ではあるのですが、その施設は、自然との触れ合いができ、なかなかのものでした。農園内にウサギやヤギ、ぶたなどの小動物が放し飼いにしてあったり、ウマや孔雀、にわとりなども居る。みかん、かきなど様々な品種の果樹もある。茶畑も冒険の森もある。地層もみえる。もちろん、キウイは食べ放題です。孫の手を引いて、山の中の散策路を1時間ほど歩きました。曇っていて、残念ながら富士山は見えませんでしたが、お薦めの場所でした。

≪85≫ 11月5日 土曜日 
 校内で、6年生の評判はすこぶる悪い。職員室内にくすぶっている感じだ。管理主義的な指導がのさばりはじめている。管理主義教育批判を続けている私も、「もう、2学期だから、今までの担任の責任ではなく、現担任の責任だ」と批判も受けた。確かに、私もそういう言い方で他の人を批判したこともある。まさか、そんな立場になろうとはね。でも、我がクラスの子たちの言動も6年の他のクラスに負けず劣らずの状態だから甘んじて受けねばならない。『10歳のカベ』を乗り越えていると思えない子の割合が多すぎるのだ。自立・自律できていないから、学級に知的雰囲気が乏しい。教師の想いは伝わらない。 まあ、悪循環です。早く転換のきっかけをつかみたいものだ。
 停止している『学級通信』に対して、「再開して・・・・」と言う声も多く聞くようになったけど、まだ書こうという気にはならない。書いても、今 伝わるのは、ほんの一部の子と親だけでしょうからね。 できれば、今学期中に 私のやる気が奮い起こされるといいですけどね。 2〜3人の子たちの様子・態度をじっくりみていきましょうか。

≪84≫ 11月2日 水曜日
 大関松三郎から始まって、様々な詩を鑑賞させました。そして、「連のある詩」「対句のある詩」を作ってみようと言って、詩を今年度初めて書かせました。そしたら、予想以上に力作が出来上がりました。そこで、今年度 すっかりサボっている文集づくりですが、「詩集」を作ることにしました。
 まあ、そこまではよかったのですが、ファックス用紙に清書させようとしたら、もう大混乱。ウソ〜ッと思ってしまいました。 それにしても、この子達は、この6年間 教科書に載っている狭い範囲のことだけしか経験させてもらっていないのでしょう。だから、学びの発想がとても貧弱です。点数にこだわり、仲間を仲間と思わず、相手を中傷し、相手を蹴落とそうとする言ばかりが飛び交います。確かに、私の勤務校は以前から、中学受験は多いのですが、こんな現象にめぐり合ったことはありません。 私学出身の私にはショックです。「私学教育をなんと心得ているのか!」とむかついてきます。もしも、私学がこのような子達の集まりであるとしたならば、私は我が子を私学には進めなかったでしょう。我が子を私学に入れたことを悔いなければなりません。 いやいや、これは、子どもたちではなく、親の考え方の反映でしょうね。 親が古臭い受験体制に毒されているのでしょう。

≪83≫ 10月29日 土曜日
 昨夜は、恒例の「楠西会」がありました。だいたい、こうした会には出ないことにしているのですが、
「楠西会」には近頃ず〜と出ています。毎年、30年前の人たちに会えるからです。まあ、郷愁に浸る年になったということでもあるのです。
 ところで、私は1学期から続いていた『学級通信』を今ストップさせています。学級経営上の様々な出来事から書くのを止めたですが、本当に楽ができます。「しかしねえ・・・・」と思うのは、この間に「修学旅行だ」「学習発表会だ」と大騒ぎだし、「単位あたり量」や「比例」の授業プランが何十枚と渡っている為かもしれませんが、寂しいことに、不思議と「先生、あゆみはどうなっているのですか」の声はありませんでした。昨年度なんかは、3〜4日止まっただけでも大騒ぎ、親が学校まで飛んできましたけどね。ただやっと、子供たちがこっそりと「どうなっているんですか。おかあさん、楽しみにしているのですけど・・・・」と言ってくる子が、ちらほら出てきましたけどね。 私も『学級通信』に想いを込め過ぎていたのかもしれません。読んで、こんなことを考えてほしいなとの思いが出すぎていたのでしょうかね。 もっと気楽に取り組んでいくべきでしょうか。 私にはあと5ヶ月しかないのです。 やるたいこと・やっておかねばならないことが、いっぱいあるのです。 だから、学校運営に対しても、言いたいことがいっぱいあるけど、そちらにエネルギーをとられたくありませんから、我慢しているのですけどね。  健康に悪いかな?????   


≪82≫ 10月26日 水曜日
 24日の月曜日から、やっと学習発表会の準備態勢に入りました。実は、まだ修学旅行のまとめができていないのですが、やり始めないと間に合わないからです(学級ごとの取り組みならば、6年生ですから追い込み体制でなんとでもなるのですが、学級を解体しての取り組みで行うことになってしまったのです)。 このままでは、修学旅行も学習発表会も虻蜂取らずになってしまうことをとても恐れるのです。本来なら、「後進にポストを譲れ」と責任ある仕事を奪われて、窓際に押しやられている私がそんなことを心配することもないのですがね。 しがない教師根性が為せるのでしょうか、教師生活最後を「有終の美」で飾りたいとうずくのでしょうか。でもまあ、悔いを残さぬようにしたいものです。 群読劇「象列車がやってきた」担当の私は、ついに原作者・小出隆司さんにサポートしてもらえるように話をつけたのであります。

≪81≫ 10月22日 土曜日
 とうとう今週は、学習発表会の体制で出発できませんでした。しかし、学級を解体した形で事が進むことになったので、準備日程の調整をしました。4週間で最大18時間(予定は15時間)とることになりました。一応総合の時間が12時間あるので、なんとか少しの食い込みで抑えられそうですが、まだ実際にはスタートしていませんので、なんとも言えません。でも少しホッとしました。 私は「ぞうれっしゃがやってきた」の群読劇を担当することになりましたが、我がクラスは、修学旅行のグループ研究が圧倒的に多いのです。本来の主旨にのっているので、ほめてやらなくてはいけないのですが、私の担当する群読にさっぱり来てくれないので、がっくり!

≪80≫ 10月16日 日曜日
 修学旅行のまとめをどうするか。とても「文集」にしたりする余裕はない。本来は、学習発表会で行う構想であったのだが、なにやら可笑しな雰囲気で、そうした方向で学習発表会の準備は進んでいない。各クラスが知恵をしぼって行えばよいものを、同一歩調ばかりが強調される。全くもう低学年じゃあるまいに。高学年ならば、学級の独自色を出すことが、子どもの考えを尊重するということになると思いますけどね。 
 いずれにしても、こんな悠長なことでは、最高学年に相応しい学習発表会にはなりませぬ。さてさてどうしたものでしょうか。私は、できるところから、どんどん進めます。待ったなしです。
 来週には、学年ごとのプログラムを親に発送しなくてはならないのにね。

≪79≫ 10月13日 木曜日
 雨対策をバッチリしていったので、雨は逃げていきました。そうなのです、修学旅行は雨に降られませんでした。至極順調でした。計画通り、いやタイムテーブルはうまく行き過ぎでしたが、帰路に着いたとたん交通渋滞に巻き込まれてしまいました。げんなり、1時間以上、学校への到着が遅れましたが、まあ、バス酔いする子もなく、無事帰ることができました。
 さて、ちょっとしたアクシデントはありましたが、我がクラスの子たちは、学年の共通ルールがよく守っていました。「仏像鑑賞で懐中電灯が必要だ」ということも拒否されていましたが、他のクラスでは持ってきているとか、「刀は買わない」の約束を破ったのは、我がクラスではありません。子どもたちの良識に任せればよい部分を「共通理解」として、制限した以上は守ってもらわなくてはね。我がクラスの子達に対して、示しがつきませんよ。
 ところで、分散学習に関して、ひとつ思いました。ほぼ、時間内に到着してきました。よかったと思うのですが、ひとつの傾向として、タイムテーブル内に到着しようとする必死さを感じませんでした。確かに、中間チェックを必ず通ることは強調し、あとは経過時刻を見て、訪問するかどうかを判断するばよいと指示しましたが、実にあっさり切っているのですね。それは、よいことかどうかを一概に結論づけられませんが、私などは限界まで粘ってほしいなあと考えるのですが、要領よく立ち回れることの方が役立つ力かもしれませんね。
 いずれにしても、修学旅行の教育的位置づけが教師によって相変わらず違うものだと思いながら、私の最後の修学旅行は、無事終わりました。 

≪78≫ 10月10日 月曜日
 明日から修学旅行ですが、どうもお天気の方は最悪。雨じゃあ、分散も悲劇です。仕方ないから、私は、雨傘・折りたたみ傘・合羽、そして、靴下や下着も余分に用意しました。全くやってられないよね。今まで、修学旅行には10数回行っているけど、雨に降られた記憶はないのにねえ。そうそう、私が小学生の時、雨だったようです。合羽を着て写真を撮っているものね。 まあ、無事に行きたいものです。 

≪77≫ 10月8日 土曜日
 3連休のあとは、修学旅行です。いろいろ準備をしてきたつもりですが、時間切れ。あとは、子どもたちに託すしかないのですが、いつになく不安な状態です。この1週間を見ても、子どもたちに全く緊張感はありません。緊張感がないのも結構なことですが、今 自分たちが取り組もうとしていることの意味がわかっていないために 緊張感がない。 この2〜3日 いらいらしていました。K君が言いました「授業が長く感じる」と。私は「そうだよね。授業をしていて、ちっとも楽しくない。教師が楽しくないから、みんなも楽しくなくて、長く感じるのだよ」」  最悪の1週間でした。 修学旅行を転機にしたいねえ。

≪76≫ 10月2日 日曜日
 もう10月です。実は、24日から、妻が海外旅行に出かけていたので、私は、愛犬のイブの世話をしながら、一人身でしたが、本日 妻が帰って来て、ほっとしています。本当に一人身というのはつらいものです。
 さて、修学旅行まで あと1週間となり、この土・日曜は、分散学習のための資料作りに大忙し、必死でした。東山小が京都で分散学習をするようになって、7回目ですが、教師側は、その意義を理解することもないため、過重労働的捉え方になってきているようです(職員室での、他学年の市内分散実施の雰囲気から感じるのです)。 まあ、子どもと教師の信頼関係が、教育実践の場に築かれていないから、教師が負担に感じるだけなのです。 信頼関係がないから、「あれはダメ」「これもダメ」と、約束事ばかりが横行し、管理が先行するのです。 これでは、子どもたちが、自分を見つめ、変革する機会にはなり得ません。 修学旅行が楽しいものになるはずもありません。 教師は、何事も教師を乗り越えるように、指導すべきものでしょうにね。 教師自身の変革が、日本の教育を救うのです。

≪75≫ 9月24日 土曜日
 まあ、次々と苛立つことが出てきます。ひとつは、修学旅行での分散学習。7年前に取り組みかけ、見知らぬ土地(京都)で行います。そのために、低学年の時からきちんと積み上げをし、その集大成として、京都での分散が位置づけられているはずだとばかり思っていました。ところが、ここ数年下学年を担任していて気づかなかったら(2年前から、運営委員もはずされていますから、その動きはわかりません)、その積み上げがガタガタ。行われていないのです。そのため、子どもたちが分散の計画をうまく立てられないのです。いや、分散の意義は、実地です。その積み上げがないのに・・・・。どうなるのでしょうかね。 全くいい加減な学校運営です。そのとばっちりや尻拭いをやらせられるなんて、頭にきます。
 それに、学習発表会もなんなんだ。「学芸会を続けるべきだ」という教師をはずし、強行に学習発表会の形式にしておいて、いまや「なんでもあり」。うたい文句の「学習の成果の発表」もどこかへとんでしまい、担任の指導も入らない。学級は解体させ、準備・練習は合同。どれだけ、時間数に食い込むことでしょう。 2月に、猛烈な学年経営批判が出てくることでしょう。そりゃあ、学習の追い込み時期に「学力低下」を招くようなことを平気で行おうとしているのですからね。これじゃあ、教師不信が増幅しますよ。 そもそも学習発表会の形式にすれば、準備・練習の時間を減らすことができることだったんでしょ。


≪74≫ 9月17日 土曜日
 昨日、子どもたちと地層観察に行きました。平和公園周辺の地層についてはかなり調査され、報告も出ています。そうした資料をいろいろ集め、子どもたちにも紹介してあるのですが、実際に地層を見てもうまく見えるものではありません。ましてや30〜40分も子どもたちに説明できません。でも、シャベルで表土を削っていったら、シルト層が見事に現れました。また、地層がぐっと下がっている(沈んでいる)ことがよくわかりました。 同行した教頭さんと私だけが感動していただけかもしれませんが、猫が洞池を地形との関わりで話したりしていたら、1時間ほどかかり、結局2時限分使ってしまいました。 子どもたち、本当に知らないのです。 いや、教える側の教師もさっぱり知らないんだよ。もっとしっかりしなくちゃあ、公務員批判は強まりばかりだよ。

≪73≫ 9月11日 日曜日
 今日は、5年前の東海集中豪雨の日であり、米でのテロの日でもあります。そして、我がドラゴンズが昨日負けて、もう逆転優勝の芽は無くなったと思った日でもあるのです。そのことは、中日が優勝する年は、必ず政変があるというジンクスがありますから、本日の総選挙の結果もほぼ予想できるのです。それにしても、どうしてこんなに公務員へも風当たりが強いのでしょうか。公務員批判を展開する議員も官僚出身者が多いのをお忘れなく・・・・・・。 
 さて、この2学期は、「考える授業」がテーマでしょうか。ついついしゃべりすぎる私には難題ですが、努力していかなくてはね。 まあ、早くぺースに乗りたいね。

≪72≫ 9月7日 水曜日
 昨晩から台風の進路は、かなり東海地方から遠ざかっているようなので、暴風警報は出ないだろうと思っていたら、午前6時時点でも出ているではありませんか。学校は臨時休校です。しかし、公務員である教師は出校しなくてはなりません。まあ、名鉄電車も動いていて、普段どおりに家を出ました。普段どおりに学校へ着きました。列車は学生が居ない分、空いていました。
 さて、子どもの居ない学校では、よく仕事ができます。たまっている仕事をずいぶん片付けました。午後には、学区巡視の足を延ばして、平和公園まで出かけ、地層探しをしました。理科の教材研究です。地域に根ざした地層学習ができそうです。 臨時休校の一日を有効に使いました。よい1日でした。

≪71≫ 9月5日 月曜日
 外の気温は30度に達していないのに、教室内の温度は朝から33度〜34度もあるのですから、もう汗びっしょりです。格別汗かきの私は、気迫が空回りという感じです。 で、教科書にはなかなか入れませんが、夏休み中の自由研究(本当はやらせたくなかったのですが、学年の意向で)の発表会を計画しました。「1人3分程度でね」と言ってあったのですが、みんながんばって発表しています。「話す」機会にしたいと考えての取り組みなのですが、まだまだだなあと思う反面、内容はなかなかいいのです。ちと鍛え甲斐があります。 まあそんなクラスでなくちゃあファイトもでてきませんからね。
 今日、2学期にやりたいことの資料を大量に印刷しました。 いくぜ!!!!
 ただ、「夏の生活」に目を通しましたが、コメントが書いてありません。ちと気乗りしなくてね。でも、今週中には書きます。

≪70≫ 9月3日 土曜日
 新学期が始まったと思ったら、またまた暑さがぶり返した感じです。1週間だけは「午前中授業」、いわゆる短縮授業なのですが、教室は35℃もあって、能率はあがりません。まあ例年のことではありますが、学習環境を整えもしないで、授業時間の確保を叫ぶ官僚は、現場知らずと批判されても仕方ないでしょう。例えば、「学力向上」を図ろうとするのはいいでしょうが、その手立ては、決まって押し付けがましいものばかりです。 結局は、信頼しあうという人間関係の観点が欠落しているのでしょうね。 信頼していないから、管理!管理!となる。 百マス計算にしたって、教師と子どもに信頼関係がないから、競争原理で子どもたちを煽り立てるのです。 私にとっては、現場で授業のことを考えるラストチャンスです(3学期は、6年では落ち着きませんからね)。 ゆっくり急ごう!!!

≪69≫ 8月31日 水曜日
 いよいよ明日から2学期です。午後は、四季の『ライオンキング』を観てきました。ストーリーは単純ですが、その衣装・設備には圧倒されました。なかなかチケットがとれないのに、中京高の野球部の30〜40人が観劇に来ていました。昨今の不祥事のようにならないように、中京は心の学びをやっているのでしょうかね。意外にさえ思ったのは、私だけでしょうかね。 でも、あの明徳と苫小牧に対する高野連の裁定はおかしいと思います。「教師と子ども」と「子どもと子ども」では、どちらの暴力がよりいけないのでしょうかね。私は、「教師と子ども」という苫小牧の方が、格段に問題であると思います。しかし、裁定は、明らかに明徳の子たちの方がかわいそうですよ。青少年法の趣旨が生かされていないですよ。

≪68≫ 8月28日 日曜日
 昨日の夜、1年半ぶりに「W会」をしました。前任校の親たちとの懇親会です。もう10年続いています。子どもたちもいよいよ就職活動をしかけているらしく、おしゃべりをしながら、互いの絆を深め、親としての悩みなども出しあっているのです。本当に珍しい集まりです。まあ、「W会」とはいうものの、私は単なるダミーみたいなものです。でも、なんとなく引き寄せられ、楽しんでします。 現任校での様々なストレスは、この会で発散させられるのです。 とかく孤立化しがちな昨今、本当にありがたい集まりです。

≪67≫ 8月25日 木曜日
 1日90分×5コマを3日間行う集中講義もなんとかすみました。学生さんの中には体調をくずしている子もいて、とてもつらそうでしたが、無事終了しました。まあ、まとめのレポートを読んでいると、真面目に算数教育のことを考えるきっかけにはなったようです。習熟度に対しても、しっかりと問題点をつかんでくれたようです。今後、教員管理がますます厳しくなっていく状況では、よほど教育学を身につけていないで、現場に入れば、たちどころにつぶされ『ほうれんそう教師』に成り下がることは必定です。「なんのために教師をしているのか?」それが「生活のため」とは正直な返答かもしれないが、それじゃあ子どもは浮かばれません。心の通じ合う人間教師であってほしいのです。 本当に今の教育現場は、教育学の通じない、人間味の欠けた教師ばかりになってしまいました。 ああ無情!

≪66≫ 8月21日 日曜日
 明日から大学での集中講義が始まるので、今年の夏休みも実質的には今日で終わりのようなものだ。 そこで、「金子みすず展」に出かけた。会期は明日までのせいか非常に混みあっていた。以前から、長門市まで出かけたいと思っていたが、結局 行く機会を失ったままであった。それのしても、中年以降の婦人が多かった。意外と子どもたちの姿が少ないように見えた。なぜだろうか。金子みすずの作風がそうさせるのであろうか。私の一番気を引いたのは、みすずの一人娘の上村ふさえさんと矢崎節夫氏の対談であった。 人生なんてそうしたものだろうとね。

≪65≫ 8月19日 金曜日
 今回の衆議院選は日本の選挙制度の矛盾が噴出してきた感じだ。もともとの中選挙区制を小選挙区制にしたのはなぜなのか。今回のように、全く地元と関係ない人物を落下傘候補者(刺客)として送り込むことがいとも簡単にできるとは知らなかった。これならば、全選挙区比例制にした方がましでありますね。 でも、そうした候補者でも言われた通りに投票する人が多いのでしょう。考えない日本人が多い証拠なのです。 それにしても、政党所属の議員というのは、自分の考えを持てないのでしょうか。 いずれにしても、昨今の政治状況は、日本には民主主義が全く根づいていないことを示していますね。 戦後60年の教育とはなんだったのでしょうか。 日本の教師たちは、何をしていたのでしょうか。 責任を問う必要がありそうですね。

≪64≫ 8月15日 月曜日
 8月15日 今年も靖国参拝が注目されていたが、小泉はまだ動いていない(まだ、行くかもしれないけどね)。その自民党は、郵政を踏み絵にして、ファッショの道へ突き進もうとしているが、靖国も踏み絵にしていることを見過ごしてはならない。マスコミは、敗戦60年を意識してかさまざまな特集をしている。私などはとても興味深く視聴したりしているが、国民にどれほど伝わっていることであろうか。 だって、東京の杉並区では「つくる会」の教科書を採択したという。尋常なことではない。それほど、戦争をしたがっている大人がいるのだ。以前から、口先では「戦争反対」を誰しも言うだけはしていたのに、今や戦争への道に目に見える形で行動を起こしているのである。 再び、教師たちは血に飢えた狼のごとく、子どもたちを戦場へ送り込む役割を担うことになる。 
 政界は、やくざの世界。 刺客を送り込むことに躍起になっている。 日本には、民主主義はないことがはっきりした。

≪63≫ 8月12日 金曜日 
 またまた昨日のことです。朝から曇っていたので、愛知万博へ家族で行くことになりました。万博誘致に反対していた私に、「そう言ってても、きっと孫を連れて出かけるに決まっているさ」と予想した息子夫婦と孫と妻の5人連れです。天気予報と異なって、太陽も出ていてくれて、あつかったです。マンゴウアイスクリームや岩塩アイスクリームがおいしかったです。途中、規制していたので、なんだろうと思ったら、秋篠宮の家族が来ていたのでした。暑いのにご苦労さんなことです(新聞には全然ついていませんでした。お忍びに近かったのかな)。 夜、8時過ぎまでいましたが、企業パビリオンなどは全く見れませんでした。
 さて、本日 NHKスペシャルで「象列車がやってくる」をやりました。学級通信にも書いておいたけど、何人くらいの子が見てくれたかな? 
 本日 家でしたことは、『俳諧かるた』を1枚1枚組みなおして、18セットを作りました。1学期取り組むうちにカードがごちゃごちゃになっていたのです。ちょっとたいへんでした。

≪62≫ 8月11日 木曜日
 夏休みも半分過ぎました。昨日は、広島15:00発ののぞみに乗り、17:24着名古屋。そして、中央線28分発の快速に乗り、大曽根で地下鉄に乗り換え、平安通17:58発 の犬山行きに乗り、味鋺駅には18:03に着きました。3時間ちょっとで広島から帰宅できたのです。速いものですね。
 さて、今年は、AMIサロンのレポートだけでしたから、ゆったり気分で、自分の今後に関する分科会に参加していました。8日の講座は「量の理論」にしました。大学での講義でもするのですが、いまひとつ楽しく展開できないので、いいアイデアはないものかと考えての参加です。午後の「碑めぐり」は、25年ぶり。平和公園も装いも新たになっていたというのが実感です。原爆の伝承ということも、なかなか難しいと感じてしまいました。9日の「公開授業」はサークルの関係で1年生を見ました。午後は、「単位あたり量・比例」の分科会で、2学期の実践のアイデアを探りました。10日は「AMIサロン」で出番です。2時間話をしようかなと思っていましたが、1時間であとは討論にしたいということで、あっという間に2時間が過ぎてしまいました。 疲れたけれど、充実した4日間でした。

≪61≫ 8月6日 土曜日
 今日は、お施餓鬼であった。久しぶりに兄貴が来たので、初めて連れ立って行ってきました。兄も今年退職し、暇に任せて、あちこち歩き回っているらしい。高校時代から、鉄道に乗って、一人旅をしていたからね。まあ、私の退職後の生き方の参考にしましょうか。
 さて、明日からは広島での全国大会に出かけます。朝、テレビで平和式典を見ていて、25年前のちくさ母親学級の『広島の旅』を思い出した。 その時の感想文集に書いた文面を思い返した。
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<戦争を知らない教師として>
 ボクの年代は、もはや戦争の真の姿を知らない。でも、戦争を考えるとき 忘れることのできないことがある。もう8年も前になる。
 「十五年戦争という表現は、不適切だ」
 「国民を盲目的にし戦場に狩り出すというが、国民は盲目ではなかった」
 「厳しい戦時中の教育をなつかしむ人も多いから、一方的な表現はまずい」
 「大和魂は大切だ。竹槍訓練も意義がある」
 「君が代・神社参拝の否定は ふさわしくない」
 「戦争の敗北というのは まずい」
 「戦後の混乱期ではなく、過渡期の教育という方がよい」 等
校長室に呼ばれ、こんなことをK校長(教頭も同席)が述べ、開校百年記念誌記述の書き換えを強要された。なぜ書き換えねばならないのか理由も基準も明らかにされず、東京や中津川(恵那)の教育とはちがう、岩波新書はポピラーな書物ではない。  そうしたやりとりの結末は、戦争の『残虐性』は『悲惨性』に、日本人は子どもに戦争体験を正しく語り伝え平和を希求する人間をそだてることを『誓う』を『願う』と変えるから了承せよと言う。戦後『教え子を再び戦場に送るな』のスローガンのかげで、平然とこうした教師が大手をふっている現実に はらわたがにえくりかえる思いがしたものだ。
 その後、教師であることの意味を問い続けてきたボクは、今回の“広島にまなぶ”旅での原爆老人養護ホームのおばあさんたちの体験談、高橋先生の説得力ある話、そして、高校生のひたむきな姿にほっとしたものを感じたというのが 正直な心境なのです。
 真実を伝える人間の生きた眼、事実を教えようとする自信に満ちた人間の声、平和の意味を学び語ろうとする決意あふれる人間の態度は、ひとりの教師として人間として、戦争反対を教えること自体がたたかいとなっているボクに 今こそ何をすべきか、何をこそやらねばならないかを教えてくれました。  ぼけぼけしていないで、がんばらなくちゃあ!!

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 う〜〜ん、25年前と 状況は変わっていやしないじゃないか。 レポートのこともあるけど、この4日間、平和のことも考えたい。

≪60≫ 8月4日 木曜日
 昨日は、日直(代表勤務)でした。実は、もう私は退職までに回ってきません。教師生活最後の日直でもあったのです。5年生が中津川の野外学習から帰って来ることだけで、平穏な一日でした。そこで、いっぱいレポートを印刷しました。集中講義のレジュメで、3000枚近く印刷しました。
 本日は、昨日の印刷でミスがあったので、一部やり直しに出かけたりもしましたが、ただただ一日紙を折り続けていました。 やりながら、「来年度からは、印刷をどうしようかな?」と考えましたね。つまり、今コピー機が故障しているけど、コピー機を買いなおすか、印刷機を買うか、迷いますねえ。

 ≪59≫ 8月1日 月曜日
 午後、急に思い立って、アルバムの整理をしました。学級写真です。もうここ10数年整理してないのです。初めて教育実習に出かけた1966年から、今年度までに出会った子どもたちの写真です。
 (ところが、H5年度だけ写真がないのです。どこに紛れ込んだのか、家を転居した年のため紛失したのか、今になってはねえ。ただ、今も親と同窓会を続けている学年ではありますが・・・・)
 学級写真を見ながら、しばし思いに耽っていました。 ほとんどの年は、写真に対応して名前も書いてあるのですが、抜けている年もあります。それと、写真屋の技術もよくわかりますねえ。 学級写真はどうあるべきか、一言 言い残しておきたいですけどね。 でもまあ、全部、学級写真を残している教師なんていないかな。

≪58≫ 8月1日 月曜日
 今、売れまくっている斉藤孝が、教師の資質、特に小学校の教師の資質を問題にし、教員採用の仕組みにおいて、「いわゆる有名大学では小学校の教員免許状を取得できないことです。勉強ができた人、勉強を好きな人が、小学校教員への道を閉ざされている。これが実情です。」 と言う。日本の子どもたちに考える力がつかないのは、2・3流大学を出た連中が教師をしているからだと言うのです。 ちょっとアジるのは勝手ですけど、金儲けに奔走する教育学者に言われたくないですね。
 私は、まだ彼の講演を聞いたことはないけれど、簡単明瞭にずばりと話し、聞き手をうまく引き込んでしまうそうだ。 これ、向山洋一の話し振りと似ているようですね。

 ところで、「教師は、なぜ勉強しないのか」。確かに、言われたことをするだけで、自覚的に学ぶ教師にはすっかり出会わなくなってしまいました。 ですから、自分から考えもしない教師の言うことを、子どもたちが信用するはずはありません。「考える力のない日本の子どもたち」という結論については、私も斉藤孝と同じです。しかし、「教師が、勉強しない」のは、現場がそうさせられているからです。名古屋では、相変わらず、部活動に従事させ、「家に仕事を持ち帰るな」「校内で処理せよ」と実態離れした指示を出す。若き教師たちを錯乱状態に貶め、自信ややる気をなくさせ、言うがままの従順な教師に仕立て上げているのです。まさに体育会系の論理を貫徹させている。考えない教師・考えない子どもが出てきて当たり前なのです。 個性豊かな教師が生まれるはずありません。 教員管理ばかりが強くなっては、豊かな実践は生まれません。 出てくるのは、管理教育の典型・100マス計算、音読なのです。

≪57≫ 7月31日 日曜日

 夏休みの勤務も、代表勤務の1日だけです。あとは、休暇扱いにしましたので、のんびりと過ごしたいと思っていますが、やりたい事はいろいろあります。印刷も、あと3000枚くらいをすることになりましょうか。 でも、久しぶりにジグソーパズルもやりたいなあ。だって、この2年間時間が無くてやれなかったもんね。読書もいっぱいしたいです。

≪56≫ 7月28日 木曜日
 夏休みに入り、26・27日は修学旅行の下見に行ってきました。26日は京都、27日は奈良です。正直、とっても真面目な下見でした。とかく生き抜きも兼ねて行くものですが、分散行動もありますから、できる限りのチェックはしておかないとね。まあ、四人で行ったのですが、2人は引率が初めてですから、丁寧に見ておくことになるのは当たり前でしょう。それと、法隆寺では、「法隆寺夏季大学」とやらで、ふだん見られないところまで見ることができました。法隆寺だけの下見で2時間もかかりました。でも得をした感じです。 いずれにしても、ごった返した状態での見学とはうって変わって、東大寺や法隆寺でもこんな静かな時があるのだとご満悦で帰ってきました。
 そして、今日・明日と2日間はプール指導です。

≪55≫  7月25日 月曜日
 休みに入って、レポートづくりで忙しいですね。こんなのも今年限りかな?と思っていますが、なかなか思うようには進みません。つまらなくなると、ふわっと出かけるという具合です。出かけるといっても、パチンコやなどへ行くのではありません。午前中出勤するのです。子どものいない学校を、息抜きの場としているのです。 のんびりとやり、予定していたことが終われば、サッサと帰宅です。 
 でも、明日から修学旅行の下見に行くことになっていますが、台風が接近しています。もろに
ぶち当たる感じ。ちょっといやですね。 なんとかならないものですかね。

≪54≫ 7月21日 木曜日
 昨日は、終業式でした。一波乱ありそうな雰囲気でしたが、なんとか収まりました。それは、近頃の子どもたちの集中力のない態度に端を発しているのは確かです。ですから、集会もなかなか盛り上がりません。ざわついているからです。かつての東山には見られない傾向です。
 そこで、教師の側からのお触れならぬお小言が連発されます。型にはめようとする古臭いお小言です。なんの効果もありません。 例えば、終業式ですから、団扇をぱたぱたやっているのはおかしいです(私は、集会ならば許されると思っていますが)。止めさせるべきでしょう。でも、頭ごなしにするのは問題だと、私は注意するのに反対の態度をとりました。 だって、教師がぱたぱたやっているのですから、子どもたちが納得するはずはありません。「教師を注意してから、子どもたちに注意すべきだ」と。 案の定、教師たちは団扇を持っていました。 ということは、子どもたちの乱れの原因は、教師集団にあるというわけです。  まあ、最大の掟破りは、たばこでしょうね。タバコを吸わない私が告発すると、しっぺ返しがくるのは分かっていますからね。 私が、職場をさようならする時までは我慢しようかと思っていますが・・・。

≪53≫ 7月16日 土曜日
 今日から3連休。そして、19日・20日の終業式です。何も、20日の海の日を移動させる必要はないのです。そう思いませんか。別に、3連休になると遊びに出かけ、2連休では遊びに行かないなんて、誰が決めたのでしょうかね。近年は、学校があれば、旅行を控える時代ではないでしょう。国内の、机の周りだけの生活では、視野が狭く、国際化に立ち遅れると考えるのは常識でしょう。ごちゃごちゃ言っているのは、教師だけなのです。井の中の蛙である教師は、体制に順応するのみ。自らの考えは持たない種族です。 
 教育草創期の教師たちは、どこの国でも革新的でした。だから、世の中、進歩・発展したのです。周りがどう変わろうと、自分の体験したことを繰り返すだけでは、進歩はありません。教育の退歩・溶解が進むだけ・・・・・。
 さあ、私は猛烈にレポートづくりに励まなくては、報告が間に合いません。

≪52≫ 7月10日 日曜日
 この1週間は、学級通信『あゆみ』の発行も休止して、通知表の作成をしていました。でも、なんとなく空しさが残るのです。それは、通知表から人間臭さがどんどん無くなっていくからです。
所見もパソコン・・・・。 字がへただってかまわないじゃないですか。手書きのよさ=ぬくもりですよね。 こうしたところから、心が通じ合っていくものでしょうに・・・・・・。 パソコンを使って、データ処理し、所見も書き込む。 まあ、これが、偏差値教育の中で、育ってきた教師や親の感覚なのでしょう。何も疑問に思わないのです。 もっと言えば、教師なんて、偏差値教育に痛めつけられてきたレベルの層なんでしょう。 なのに、仕返しのようにデータ処理に現を抜かすのでしょうかね。教員の資質でしょうか。 こんなだから、日本の教育には、夢もロマンもなく、未来が見えてこないのです。 どうしようもないですね。


≪51≫ 7月3日 日曜日
 1学期も大詰めとなり、通知表の季節となりました。 昨日・今日と累積手簿とにらめっこしていました。 毎度の事ではあるのですが、ばっちりチェックがしてあったつもりが、集計してみると、少しデータ不足を感じる項目が出てきます。また、予想外の集計結果が出てきてしまうこともあります。つまり、厳密に到達度評価の立場に立てないのです。 学校ぐるみ・学年ぐるみでの取り組みができていないためであること明らかですが、今“学校ぐるみ・学年ぐるみで”ということは考えていません。それは、今以上に「到達度評価の立場」から遠ざかることになるからです。
昭和43年に「到達度評価」が提起されて以来、ず〜とこだわってきたことを変えるつもりはありません。 ただただ、到達度評価の理解者が私の周囲に増えなかったことが残念です。


≪50≫ 7月2日 土曜日
 久しぶりに社会科の授業研究がありました。しかも、6年の歴史・近世史・幕藩構造に関わる地域の掘り起こしとくれば、私の胸が騒がぬはずはありません。 だって、実は、私の大学の卒業論文は『尾張藩における百姓普請役の研究』なのです。 でも、歴史学的な観点は抜けた授業展開でした。 残念ながら、新学力観による指導がなされたのでしょう。 これが、今の日本の歴史教育の実態かもしれません。 こうした歴史教育であるかぎり昨今の中国や韓国との歴史教科書問題は永遠に解決しないでしょうね。 たとえ小学生であっても、教育と学問とを分断させてはいけないし、地域の掘り起こしとは、決して地域を這い回ることではないと思いますがね。

《49》 6月26日 日曜日
 F大の講義も終わり、次は全国大会のAMIサロンのレポートを真面目に考える番になりましたが、もちろん本務である小学校教師としての学期末の成績処理をしなければなりません。まあそこそこ資料はとってあるからガタガタはしませんが、1学期はやはり資料不足は否めませんからね。  でも、私の評価法は、時代の流れの最先端をいくものと信じていましたが(教育目標・評価学会でも報告したのにね)、結局東山では広がりませんでした。みなさん、相対評価から全然足を踏み出そうとされませんからね。孤独なたたかいでした。

≪48≫ 6月24日 金曜日
 明日は、F大に赴き、「教師入門=教師の仕事、その生きがい・働きがい」について講義をすることになっている。その初回は、なんと1993年に始まるのだが、「生きがい・働きがい」はわかっているようで、実は明快な答えを用意できずにいる。ただはっきりしていることは、生涯ヒラ教員を貫くにはきわめて厳しい状況となっていることでしょうか。働きにくくなっているのです。だから、働きがいの面も含めて、私は「公教育は、学習塾に負けた」と述べたのですね。まあいろいろ話してみようと思います。 若い学生さんたちは、どう思っているのでしょうかね。

≪47≫ 6月19日 日曜日
 文科省の「総合的学習の時間」のアンケート結果が報道された。案の定、親は歓迎の方向だが、教員は多忙化につながっているとして、否定的な見解が多かったそうである。予想されていることではあるが、教育的見地が欠けているように思う。 なぜ、現場教師は、否定的であるのか。それは、「総合的な学習」と言っても、教師の裁量を認めようとしない学校が多いからだ。押し付けがましく、テーマを設定してしまうから、教師の創意工夫もかなわず、面白い展開ができないのである。 「日本の教師は、考えない」とよく指摘されるが、考える余地を与えない教員管理がなされていることを忘れてはならない。 教師一人ひとりの個性を尊重する学校運営がなされてきたならば、日本の戦後教育は、もっと生き生きした活気あるものとなったであろう。
 今や、跳ね上がっていると批判されながらも、民間教育運動の旗の下で頑張ってきた教師もどんどん現場を去っている。物言わぬ教師ばかりである。 教育学が死滅する。 ああ、無情!

《46》 6月18日 土曜日
 ちょっと間があいてしまいました。この間に、妻の外国旅行あり、地区大会あり、万博見学あり・・・で、愛犬のイブとの2人暮らし、疲れていました。 教室でも、いらいら。やはりゆとりのある生活でないと、よい教育活動はできないと改めて思いました。 子どもたちも荒れます。 ただ、こうした現象があると、すぐ「学年全体で指導をする」「無記名でチクリのアンケートをとる」などとなるのでしょうか。なんとも古臭い管理主義の生活指導です。 それにしても、各クラスは、ある程度の見通しを持って、指導しないのでしょうか。学級経営の問題です。 場当たり的な指導で子どもたちに何を得させようとするのでしょうか。 これだから、教員の資質が問われることになってしまうのです。 「学ぶとは、真実を胸に刻むこと。教育とは、共に未来を語ること」 教師のがんばりどこだと思いますね。 

≪45≫ 6月7日 火曜日
 どんどんと管理体制が進んできます。水泳指導について、体育部会より、徹底すべきことが命令された。つまり、体温の測ってない者・親の印鑑のない者・記入漏れのある者・水泳帽のない者は、プールへの入水を禁止することを徹底するとの話だ。 昨年までは、「親がいい」と言えば、体温の記入もしなくてもよいことにしたのに、今年はやたら「安全、安全」の一点張りだ。そりゃあ、入れなければ、事故は防げます。でもね、プールに入れないで、どうして指導ができますか。子どもあっての教師です。なぜ、入れないように、入れないように決まりを増やすのですかね。あとは、学校でのプール指導を止めるという選択肢しか残されていませんよ。 哀れな学校。公教育の終焉は近い。 入れない子は2時間もプールサイドにほっておくのでしょうか。
 こんなこと 守らなくても済んでたけれど、今年は、私への監視も殊の外強くてねえ。うちのクラスだけは・・・というわけにいかなくなっています。 構内禁煙ルールを平然と破っていても、子どもには許さない。  ああ、ソクラテスの心境ですね。  


≪44≫ 6月6日 月曜日
 私のプライドに衝撃が走りました。「他人の記録にケチをつけることしか考えない」と書きましたが、職員室で聞けば、「わがクラスの連中が一番ケチをつけていた」とのことです。担任には言えず、他の先生にはブツブツ言うらしい。「なんじゃこいつら」、他人の記録にケチをつけると、自分の記録が上がるとでも思っているのかねえ。もう頭にきてしまいました。 私が“スポーツテスト廃止論者”であることを知らぬのか。 あのトロプスのO君と同一歩調をとっていたのですぞ。
それにしても、不愉快な一日でした。


《43》 6月4日 土曜日
 体力・運動能力調査という名のスポーツテストが、名古屋では必死の思いで取り組まれるのです。 体育としてではなく、学校行事としてです。この集計用紙は、愛知では小1から高3まで受け継がれるシステムになっています(他県ではないのはどうしてなのかをふと振り返れば、もう少し子どもに対する対応も変わってくるものを、周りに目の行かない教師群ではただただエキサイトするばかりです)。 そのため、子どもたちは、他人の記録にケチをつけることしか考えない。 スポーツマンにもあるまじきことですよね。あきれてしまいます。 こんなに実施後ごちゃごちゃするのは初めてです。 私は事前に「これは、体育の成績とは関係ない。成績には、入れていけないことになっている。 自分の体力・運動能力を知り、今後の自分の健康を考えられるようにするために行うのじゃ」とご口上をたれておいたから、わがクラスはどうってことないのですが、学年の雰囲気がなせるのでしょうかね。 ボール投げは再度やりなおすのだそうです。 こういうことは、大多数の精一杯がんばった者にとっては、我慢できないことですよね。 

《42》 5月31日 火曜日
 月末で出席簿の整理をしました。そしたら、もう今年度になって、36日が過ぎたことに気づきました。1年間が200日前後の出校ですから、私に残された日数は、あと164日ほどしかありません。ぼけぼけしてはおられません。 ただ、その気持ちが、資料の爆弾となって、子どもたちに渡ります。 でも、いくら残りが少ないといっても、子どもたちが消化不良じゃあ何にもならないね。それに、勉強好きな子はどうも少ない。親や周りから、強制されて仕方なくやっている感じの子が多いんですもの。これは、致命傷になりかねないね。 “ゆっくり、急ごう”を実行しなくちゃあ。 歯痒いんだよね。

《41》 5月29日 日曜日
 6月のF大での講義「教師の仕事・生きがいと働きがい」について考え始めたが、振り返ってみると、本当に働きにくくなっている。 単なるトシの所為ではない。教師が“夢とロマン”を語ることがなくなっているからだ。語る雰囲気はない。早く退職した人たちが、「早く退職してよかった」としか語れない教育界は、深刻である。 それにしても、私のようなデモシカ教師でなく、「教師になりたかった」と語る教師たちは、今現在、何を考えているのであろうか。今の現場が、彼らの望んでいたものであろうか。理想と違えば、理想に向かって闘えばよいのに、今年度に入ってからも、教師の自殺が何件もあった。理想とのギャップがそうさせたとみれば、自殺した教師は純粋な教師であり、やる気のあった教師と言えるであろうが、人間としては弱い。 まあ、自身を振り返ってみれば、「授業づくり」に逃げ込んでいるとみられてもしょうがないな

《40》 5月26日 木曜日
 学年会で、今年の水泳指導をどうするかを話し合いました。結局、私の意見は受け入れられませんでした。指導の教師が 3人以上居なければ、子どもたちの安全は確保できないというのです。そりゃあ、154人を同時に入れれば、2人では目が届かないでしょうが、その半数ならば、最低限の安全は確保できます。2クラスずつ入れることにより、より泳ぐチャンスを増やしてやろうという意見が通らなかったのは、教員生活30数年にして初めてです。まあ、それだけ頭の固い学年ということでしょうかね。「入る回数が増えるのは女性にとってつらいことです」と言われれば、どうしようもありません。 まあ、これで、今年の水泳指導では「異質共同の学び」はできなくなりました。 2組の子どもたちには申し訳ないが、がまんしてちょうだい。私は、何も申しません。 

《39》 5月21日 土曜日
 無事、運動会が終わりました。私の運動会もこれが最後ということで、子どもたちは「白組の勝利」というプレゼントを贈ってくれました。
 さて、30年ほど前でしょうか、恵那の苗木小学校の運動会を見に行きました(その後も2〜3度見に出かけました)。子どもたちが主役の運動会でした。教師は裏方に徹していました。その様子が、ず〜っと私の脳裏に焼きついているのです。集団訓練の場としての運動会は、一時、岡崎勝君の奮闘によって、運動会がスポーツフェスティバルと変えられたことがありましたが、恵那の運動会の趣旨とは違います。結局、夢で終わってしまいました。 私がこだわったことといえば、集団演技の「マスゲーム」や「組み体操」。あとは、学級の雰囲気を盛り上げるために、得点競争に勝つ秘策を練ることでしょうか。 東山小でも「組み体操の復活」を画策してみましたが、猛反対にあい、実現には至りませんでした。親子で行う「ふれあい種目」もつぶされ、今はクラスが勝利することだけを願っているという有様です。 まあ、最後は(も)白組勝利でしたから、めでたし!めでたし!ということにしておきましょうか。 
 そうそう、運動会のあとかたずけをしていたら、「先生、腰 大丈夫か」と言って、卒業生がどんどん手伝ってくれました。他の先生や中学でよく注意されてるらしいけど、みんな素直な子たちばかりです。


《38》 5月20日 金曜日
 明日は、運動会です。練習はいつも通りなのですが、天気のよかった分、いつもより多く練習できたということです。 でも、多く練習するということは、教師が“見栄え”を気にするようになり、管理主義が横行するようになるのです。管理主義が横行すると、子どもたちの心は卑屈になるのです。それは、先のJR西日本の事故、運転手をそこまで追い詰めたのは、日勤教育という名の管理体制です。子どもたちを生き生きとさせるべき運動も、子どもたちの心を蝕んでいくだけなのです。  それにしても、「体操座り」という苦行はすっかり現場に定着しました。子どもたちが、砂をいじらないようにするための苦行を、誰が考え出したのか。決して、指導要領にも書いてなのです。なのに、なにも考えず、現場教師は使っています。教師の思考停止はどこまで進むのでしょうか。

《37》 5月15日 日曜日
 同僚が、組合教研でレポートを出すべく苦労している。地域との関わりがテーマであるが、なかなかうまくいかない。そんな折、織部灯篭が見つかった。ちょうど木曜の坂東英二リサーチで、西区に織部の茶室があり、古田織部は隠れキリシタンであったことをはっきり述べていた。そうなのです。学区にある織部灯篭も、キリシタン灯篭なのですが、学区の灯篭の持ち主は、強く否定されるのだそうな。 話としては、とても興味深いことになってきたのであるが、これ以上,追究すると、地域との関わりを深めるべきテーマが、地域との関わりをこじれさせかねない状況となってきた。 やはり、宗教がからんでくるとややこしくなってきますね。 でもね、折角の掘り出しネタなのに、誰も知らないまま埋もれさせるのはもったいないねえ。 

《36》 5月13日 金曜日
 家庭訪問が終わりました。一時、家庭訪問をしない学校が増えましたが、近頃は再びする所が多くなりました。ただ、「何のためにするのか」が不明確のままです。家を見るだけならば、車で訪問しようが、どうでもいいでしょう。私は、今回が最後でしたが、頑なに徒歩で貫きました。学区を知るには、車で動いていてはわかるはずありません。確かに、私の学区はとても広いし、山あり、坂あり、一日、何万歩歩いたことでしょう。でも、徒歩でやるべきです。疲れてもね。 まあ、そうした教師も、今年度でいなくなれば、学校側はほっとするのでしょうね。家庭訪問は、全員車で統一、同一歩調?????

《35》 5月9日 月曜日
 学力低下の原因を、教師の資質とする論がよく見られようになった。その資質とは、日本の教師には独創性がなく、教材研究も浅いという国際調査を根拠にしている。しかし、そのように教師から独創性を奪ってきたのは誰だ。自由な教材研究を弾圧してきたのは誰だ。そんなことは明々白々のことである。なのに、あの斉藤孝は「有名大学では小学校免許を取得できないからだ」と言う。やっぱり、あの斉藤メソッドの底知れぬ浅さを感じますねえ。教育学の欠如。それが斉藤メソッドであり、陰山メソッドなのです。

《34》 5月8日 日曜日
 またまたちと腰が痛いです。明日から,家庭訪問週間で、歩き回らねばならないというのに・・・・・。こういう点、やっぱりトシだなあと思いますね。
 さて、先だってのJR西日本の鉄道事故。その体質に対する批判がすごいですね。もはや「1億総懺悔」の様相を示しています。私は、国鉄民営化のごり押しがもたらしたものであり、今の郵政民営化も同じ道をたどることになるだろうと予測するのです。また、教育界も同じことです。「ほうれんそう教師」ばかりに仕立てておいて、「教師に独創性がない」「やる気がない」「資質が低い」と批判する。「するな」と指導し、すれば弾圧を繰り返しておいて、総懺悔もないものですよ。


《33》 5月6日 金曜日
 やっとパソコンの切り替えが完了しました(あと一つ、やり残していることがありますが)。
 さてさて、ゴールデンウィークも終わり、今日から学校です。今日のメインは「わたしの町」というテーマの風景画です。今年度の子たちの絵の実力を初めて見ました。遠近法をどう描くかが勝負どころですが、それ以前の筆の使い方・色の出し方など基本的部分で、ちとご機嫌ななめでした。まあ、近年の図工は、本当に描くという取り組みをさせていないのですから、水彩画の基本がわかっていないのもやむを得ないことですが、「ぼく、嫌い!」と決め付けたような子、「うまく表現できない」とあきらめてしまっている子・・・・の存在が気になりました。 嫌いと思ちゃあお終いですぞ。


《32》 5月5日 木曜日
 息子夫婦のご指導によって、どうやらHPが開通したようです。でも、ちょっとやり方が難しそうですが、慣れればいいかな。先ずは、その練習です。

《31》 5月4日 水曜日
 今日も、試しに書いているのです。まだ、うまく転送できないのです。転送完了は出るのに、HP上の書き換えはできていないのです。どういうことなのでしょうか。転送完了として、送った記事はどこへ送られたのでしょうかね。わかんねえな?

《30》 5月3日 火曜日
 うまくいくと信じていたパソコンですが、転送したはずなのに、HPの方は、ちっとも書き換えがなされません。「ディフォルトのメールクライアントが設定されていない」らしいのですが、どうしたらよいのか さっぱりわかりません。困りました。

《29》 5月2日 月曜日
 パソコンの切り替えが、息子夫婦の奮闘により、ほぼ完了しました。それからの初めての日記です。それにしても、私は、パソコンの構造を知らないのだなあと改めて思いました。まあ、これからも、息子夫婦という心強い協力者がいるので、きっと覚えることもないでしょうが、退職して時間ができたら、少しは挑戦してみたいものです。
 さて、3連休・3連休・2連休と続く今年のゴールデンウィーク。前半は、パソコンの切り替えと、私の還暦パーティーで過ぎました。後半は、たまった仕事に精を出すかな?


《28》 4月23日 土曜日

 昨年度はスッといったのに、今年度はなんだかごちゃごちゃして「うっとおしいなあ」と思っていた『兼業届』の件もやっと解決して正直ほっとしました。
 さて、この1週間 子どもたちの実態をつかむのに力を注いでいました。『1分間スピーチ』の中身は なかなか充実しています。しっかりと記事を集め報告していて、手抜きをしているなと思える子は1人もいません。真面目そのものです。『音読』も順調ですが、表現読みの段階が甘く、実りある取り組みとなるかどうかは疑わしいです。もう少し徹底させないと惰性でやっている感じになりかねません。『読書』はすごく熱心に取り組んでいま す。読書好きな子も多そうです。3学期には「作家論」も展開できるかも。期待は膨らみます。ただ、読書内容のチェックを早急にした方がいいかもね。そして『学習日記』も正式にスタートです。もうすでにやっている子もいますが、まだまだ「自由勉強」的色彩が強いです。授業と真正面に向き合った『日記』を書けるようにしていかねばなりません。 気になることといえば、授業への切り替えが遅いことでしょうか。 でもまあ、おりこうさ んなクラスでございます。

《27》 4月17日 日曜日

 今年度、取り組みべき構想もほど固まってきた。 もちろん、学級のことが一番であるが、やはりどこ かでその報告をする機会があるということは、ひとつの目標となって、日々の取り組みにも張りが出てくるものだ。 6月F大、8月広島、A大、11月O小、1月A大、2月A大、3月大阪。このほかにサークルもあるから、結構過密かな?  でも 頑張るぜ!!!!

《26》 4月16日 土曜日

 新しいパソコンが届きました。それへの切り替えをしなくてはなりませんが、実は息子たよりで、5月の連休まで難しそうです。

 さて、この1週間も快調にやっていたのですが、木曜日に「万博」の下見に出かけ、外国(国名を出すのは控えます)の料理を食べたのですが、帰宅後、嘔吐・下痢になってしまいました。熱も傷みも何もないのです が、気持ちが悪くて、みんなもどしてしまいました。金曜日は、絶不調でしたが、下痢止めを飲んで出勤しました。 とんだ目に遇ってしまいました。 そうそう、冷凍マンモスも見ましたが、何時間も待って、わずか1分間くらい。感動もしませんでした。

《25》 4月11日 月曜日

 本当にパソコンがおかしいです。 もちろん、今は動いているから、書き込みをしているのですが、今日も、始動せず、3度・4度と停止してしまい、強制終了して、やっとなのです。でも、今もゲームなどはできません。   さて、教室の方は、学びを始めました。びゅんびゅんとやっています。 ちょっと、学年の方からは、ブレーキをかけるような声も聞かれますが、あまり気にしないでやっています。だって、私は、「今回は、我慢して、同一歩調をとりましょう」というわけにはいきません。2度とできないのですからね。それに、学力向上の範を示すような実践を積み上げなくちゃあ、退職後の生活にもひびきますからね(これは、冗談気味)。 まあ、悔いを残さないように努力しましょうか。  そうそう、今日「ニュートンの雑誌をあげてもいいよ」と言ったら、100冊ほどをあっという間に子ども達は持ち帰りました。 少し、考えていたことと違いましたが、まあいいか!

《24》 4月10日 日曜日

 昨日、インターネットセキュリティの有効期限が切れるので、インストールし直した。前のを「アンインストールせよ」とか、いろんな指示があり、悪戦。やっとできたかと思えば、なんだかパソコン全体が不調になってしまった。今日になっても、おかしいのです。 まあ、今 新たなパソコンが発注してあるので(5月の連休中に、息子夫婦に、HPほかを移してもらう計画)、しばらくは休眠状態になるかもしれません。 それにしても、パソコンが思い通りに使いこなせることができたらいいのにね。 5月の連休明けからは、心機一転したいね。

《23》 4月9日 土曜日

 7日 始業式。 8日「新入生を迎える会」。ここ2年は、知らん振りをして過ごしていましたが、6年担任ともなると、そういうわけにもいきません。まあ、学習活動はできなかった2日間でしたが、順調なすべりだしと言えましょうか。 でも、少し張り切りすぎたのか、早くも腰がちょっと痛いのです。自重すべきかな。 だって、現職の中で信頼する数少ない校長さんの一人・三重の竹中校長から、「校内研修に来てくれないか」との依頼が合ったのです。5年前の多度西小での出会いから、真の教育活動のあり方を感じさせてもらった方です。まだ、覚えていていただいたのかと光栄に思いました。 ファイトがますます沸いてきたのです。何をおいても飛んでいきますぞ!

《22》 4月6日 水曜日

 入学式がありました。6クラスもあり、学級増は1つですが、新3年が160になり、もしあと1人来ると、5クラスになるという境目なのです。もし、明日来て1クラス増ということになれば、学校中大騒ぎ。4月1日から出勤して準備してきたことは、すべてパー。 まあ1クラス40人はしんどいけど、我慢してやってもらうしかねえ(ちと、傍観者的発言でした)。 さて、明日は、始業式。子どもたちと出会います。小学校教師生活最後の担任となります。 準備もかなり進んでいますが、あまりハイピッチにならないように気をつけていきたいと思います。

《21》 4月2日 土曜日

 一応、担任発表とか校務分掌があった。なにしろ、新規採用者5名・転任者10名と、恐ろしいほどの移動でした。今まで担任だった2年生の人数がついに159名にまでなって、あと2名で5クラス編成となる。ひょっとするとひょっとしかねない状況だ。 まあ、それはさておき、私の希望は、不思議なことに全面的に受け入れられた感じだ。「担当学年」も「校務分掌をはずせ!」もそっくりとね。だから、学級のことに集中できることになる。毎朝、7年間立ちつづけた校門ともおさらばだ。 もう、帰宅後、大整理を始めた。 “さて、この1年間に何をしようか”“どんなことまでできるか”と考えてて、興奮してたのか、夜 ぐっすり眠られませんでした。

《20》 3月31日 木曜日 

 今年の春休みと言っても、全く出勤しなかったのは本日だけ。明日からは新学期です。 今年も、学級数が定まらなくて、暫定的な担任発表があるでしょうが、どんな仕打ちをしてくるのかな。小学校の教員生活の最後の年ですから、よい印象・楽しく過ごしたいものです。学級が荒れ、定年前に退職に追い込まれる教師があとを立たな い昨今、そんな状態で教師生活を終わるとしたら、「なんのために教師をやってきたのか」と悔やんでも悔やみきれないことだろうか。 しかし、そういう状態に追い込めようとするのが、教師の社会なのだ。 親や子どもたちの前では、きれいごとばかりを言うのだが、その内実のきたないこと。ルールは守らない・えこひいきをするは・・・・・、これが、私の学んだ教師の世界。 期待はしない方がよろしかろう。 徹底して、信念を曲げず、受け持ちの決まった子達に、私の持てるものすべてを与えていくことにしたい。 

《19》 3月30日 水曜日

 朝刊で、教員の移動が載った。近頃は、移動の欄よりも、退職者の欄に知っている名前が多いのだ。今 年も「あの人も、この人までやめてしまうのか」という気持ちが強く出る。まあ、それも仕方がないなあと思うけれども、なんとなくさみしいね。  でも、私は、やるしかない。 猛烈な1年にしたいと思う。 悔いのない1年にするには、あくまでも初志貫徹だ。 

《18》 3月28日 月曜日

 今日も教室の後片付けのため出勤。 4時間あまりやりましたが、なかなか片付きません。まだ半分くらいかな? 明日、一日中やれば、片付くかなあ。 まあよくたまったものです。 つい懐かしくボ〜ッと見ているものだから進みませんね。

《17》 3月25日 金曜日

 春休みが始まった。教室の後片付けをするためにほぼ午前中は出勤することにした。今回は、今の教室が来年度の1年生の教室になるということなので、新たな教室が決まるまで、私物の荷物の置き場所がない。格別、荷物の多い私はピンチだ。 そこで、退職まであと1年なので、私物の荷物の多くを今回引き上げることにした。潔く教室をすっきりさせ、すっきりした気分で1年間を過ごした方がきっとよい成果をもたらすであろうと考えたのです。  今日、1回目の引き上げをしました。  明日・明後日は、小学校集会のため、川崎まで出向き、新しきネタ探しに行ってきます。

《16》 3月24日 木曜日

 今日は修了式でした。早くも1年が過ぎてしまいました。なんとも言えないため息が出てしまいます。 十分な成果をあげられないうちに終わってしまった虚しさです。例えば、実際には授業日数198日中178回で終わってしまいましたが、学級通信の日刊に初めて挑戦しました。努力したつもりですが、「製本してあげるから、持ってらっしゃい」と言ったら、持って来た子の少ないこと、39人中22人でした。今年なんか4月の段階で「学年末に製本しますからね」と言って予告してあったのに・・・・・。昨年なんか、予告もしてないのに33人中29人が持って来ました。 どう表現したらよいのでしょうかね。 正直 ショックでした。 以前なんて、1号でも紛失していたら大騒ぎ。コピーして持ってくるくらいでしたのにね。 時代は、大きく様変わりしているのでしょうかね。

《15》 3月19日 土曜日

 教科研の例会に出かけました。本当は、第3で、算数サークルの日ですが、来週 全国小学校集会もあることから、急遽取り止めにしてもらって出かけたのです。 報告者は、子安さんで『OECD学習到達度調査の結果と“学力低下”』でした。日頃の鋭く厳しい論を聞き、私の寝むりかけた脳を活性化しようと考えたのです。 以前から、「なんとなく違うんだよね」と思っていた『学力』問題については、よくわかりました。また、今年の全国大会で受け持つことになっている「習熟のあり方」へもヒントを得た感じです。 ちと、ファイトが沸いてきました。

《14》 3月18日 金曜日

 卒業式がありました。子どもたちの歌声はいつもの年よりもちょっと声量がないなあと思いましたが、 相変わらずきれいな声でした。校長さんの式辞は、少しピンときませんでしたが、PTA会長さんの祝辞はユニークでよかったです。あの笠木透の『私の子どもたちへ』を壇上から独唱したのです。この曲を知っていた教員はどれだけいたでしょうか。私以外にあと1〜2人というさみしい実態ですが、「知るひとぞ知る」この曲。 真に自然環境を考えるならば、大人の役割を教えてくれるはずです。 でも、今の職場には、そんな知的環境はないのです。 親が、学校に学力保障を求めなくなっていることをいいことに、学校は、全く対応しようとしていません。

《13》 3月17日 木曜日

 まとめの取り組みが遅れているところに、再びインフルエンザ。今度はA型だ。1人の子が、B型をやって、A型もやるなんてことを初めて知ったのですが、そんなことより、『思い出文集』の清書はできず、ストップ。『漢字カードつづり』『書き取りつづり』『作文つづり』、そして『学級通信・あゆみ』の簡易製本と、間に合いませんね。それにしても、1年分のストックを持ってくると、親の姿勢も分かりすぎるくらい見えてきます。怖いくらいです。「あの子のだらしなさ、なんとかならないか」なんて思っていると、ビチッと整えて『漢字カードつづり』『学級通信・あゆみ』を持ってくる。もちろん、その反対の例もある。人さまざまというところかな?  ところで、製本をしようと“大型ホッチキス”を捜したが、どこかへ消えちゃって大騒ぎ。もはや、製本なんて誰もしないのでしょうかね。 確かに、『文集づくり』をする教師を見かけなくなったねえ。

《12》 3月12日 土曜日

 現役教師として、とても忙しい時期ですが、計画的に仕事を進めれば、どうということもないはずだ。  そう思って長年過ごしてきた。ところが、今年は、なかなか通知表の所見が書き進まなかった。気乗りしないのです。いつも10段階で到達度を出し、評価をしているのであるが、世の現場は、パソコンばやり。所見欄もパソコンで打つことが、評価の最先端をいくかのごとき雰囲気。「評価とはなんぞや」なんて、全く議論なし。 パソコンで所見を書く技術なんて、塾に任せておけばよい。教師は、心をこめて一字一字書くべきなのです。字が少々下手だっていいじゃないですか。教師と子どものつながりを大事にすべきなのです。 昨今の教師は、馬鹿げた機械化に、教師としての心を失っているのです。それに気づかないで施策を進めようとする文科省・教委は、日本をダメにするだけです。 本当にさみしい限りです。

《11》 3月6日 日曜日

 先日、奈良の谷山先生から『学びの園』の最終号が送られてきました。19年間、毎月地域文集をまとめてこられたのです。欠かさず、送っていただきました。私からは『法則化批判通信』や『授業づくり通信』を送りましたが、どう比べても、私が得をしていた感じで、いつか実践としてお返ししなくてはと思っているうちに月日は過ぎてしまいました。19年の間にお目にかかったのは、名古屋で「日本作文の会」の全国大会が開かれた時の一度だけです。なのに、ずーっと、『学びの園』を拝読させてもらってきたのです。とても、さみしい気がします。どうしたらよいのでしょうか。 私も、あと1年で退職です。 その後の生き方を示唆していただいたものと思っています。

《10》 2月26日 土曜日

 やはりかなりの疲労がたまっていたのでしょう。めったに風邪なんて映らないし、医者に行くこともないのに、今回ばかりはダメでした。水曜日の朝、首筋が痛いなあと思ったのですが、これは前の日に「さすまた」講習会に行き、ちょっとやりすぎかからであろうと思っていたのです。ところが、昼ぐらいから、立っているのもしんどくなりましたが、授業はやりました。早退すると、熱は37.6度でした。久しぶりです。食欲もあるし、寝て休養しました。翌日になると、熱は下がっていたので、勤務しましたが、昼頃になると、薬が切れてくるのか、つらい状態で、また早退しました。 風邪で医者に行くのは1991年以来でした。家に帰っても、カバンを置くだけで、翌日 そのまま持っていくだけです。 昨日は、全市一斉の「愛・地球博」のためのクリーンキャンぺーン・授業参観・懇談会でしたから、休むわけにも行かず、出勤しました。まあ、行っただけみたいなもので、私には、何ら気力・余力はありませんでしたからね。懇談会も、教員になってから初めて、予定時間よりも早く終わらせてもらいました。 たいへん有難く感謝しています。

《9》 2月20日 日曜日

 この1週間は、ゆっくりペースでいけるかなと思っていたら、大間違い。欠席者は延べ30人にもなりました。「欠席者が少ない」ことを自負してきた私には、なんともつらいことになりました。あまり「休みたかったら、休めばいいじゃん」と軽々しく言えなくなりました。「毎朝、教師は窓を開け、気持ちのよい空気と入れ替えて、子どもたちを迎えるべきだ」という主張の一理も崩れてしまいました。 

 それに、「ああ、教師として、信頼されていないのだなあ」と思えるある事件が起きて(いつか明らかにしますが)、振り回されました。 内心は、なんでこんなことまで教師が引き受けねばならないのかという腹立たしさはありますが、仕方ありません。 学級に対する愛が、急速に萎える事件でした。

 19日 サークル。 20日 授業改革フェス、東山の小学生も集中講義の時の学生さんも4人来ていました。 これからも、頑張らなくちゃあ。

《8》 2月13日 日曜日

 7日〜10日の夜間集中講義をなんとか乗り越えました。さすが、慣れないものですから疲れましたが、いい勉強ができました。昼間働きながらも、なお教員免許を単位をとりたいとがんばっている学生さんたちですから、学びの姿勢が違うのをひしひしと感じました。 学級の子どもたちにも感じさせたい雰囲気でした。 結論は、こうした人たちが教員になれば、日本も捨てたものじゃないなあということです。 翌11日からは、広島での公開講座・研究会議に出向きました。また、詳しくはどこかで報告しますが、ちょっと、私の問題意識とのズレを感じました。 「今、数教協運動で大切なことは何なのか」 数教協は少数派なのです。そこでできることは・・・・・・。 だから、公開講座での私の進め方は、主催者の意図とは違っていたようにも思いました。また、「習熟」や「百マス」の批判の論点も、提案者とは随分違っていて、あまり面白くありませんでした。

《7》 2月5日 土曜日

 愛知歴教協の春の合宿研究集会に少しだけ顔を出してきました。東京の渡辺賢二氏が『今、歴史教育に求められること』と題して講演しました。少し疎くなっている社会科について、いい刺激になりました。確かに、現場の教師は、忙しさにかまけて教材研究を手抜きしています。社会がどのように動いているのかについても 目を向けようとしません。これでは、子どもたちの社会認識が育つはずありません。教師は、忙しいけれど、それを理由にしてはいけません。 苦境からしか闘いは生まれませんねえ。

  「足元を掘れ そこに泉が湧く」 ゲーテ

《6》 1月30日 日曜日

 中部国際空港(セントレア)の開港を間近に控え、空港施設が開店したらしい。いよいよですが、名古屋空港近くの我が家は、被害を蒙るのです。まず、出てきたのが、騒音のため、NHKの受信料が半額であったのが、「2月から減額しません」ときた。2月17日までの期間は無視である。騒音は、自衛隊基地化した方がやかましくなるのではないかなあ。かってに、減額廃止をしてもらちゃあ困ります。ブツブツ・・・・。  

《5》 1月22日 土曜日

 学童が『とんぼ親子寄席』を生協会館で開く。同じ時間帯・同じ場所で、教科研の例会がある。昨晩、教科研の事務局の佐藤さんに問い合わせた。「初耳だよ」「どうなっているの」という経緯もあったが、どちらか に出ればいいやと出かけた。例会は私教連の『大きな学力』についてであった。来月20日の「授業改革フェス」のこともあって、『大きな学力』の熱弁を聞いていた。 まあ、主張したいことはわかるが、なんとなく私の今の関心からはズレているような感じがした。 (だから、すき間からチラチラ見える『寄席』の様子も観察していました) 

《4》 1月16日 日曜日

 木曜日の職員会のとき「わが校の特色はなんだろうか」という話が校長からあった。「何もない。あえ て言えば、子ども達がまあ落ち着いている。でも、「これは家庭の教育力によるところが大きい。学校の特色と は言いにくい」。まあ、ここまでの分析は正しいと思いますが、「あえて言えば、先生方がしっかりしていることでしょうか」と言われた。ああ、こういうふうにゴマをするものかと感心していまった。  もう6〜7年前になりますか。毎日新聞に「85分授業のこと・東山タイムのこと」を特色として載せたことがあるが、それら特色ある校風をすべて無くしてしまっておいて、「特色がない」とは、どういうことでしょうかね。 85分授業にしても、授業改革につながるものであったのに、無くすような教師集団がしっかりしているとは・・・・・。覇気がないのですよ。それが、特色じゃないですかね。

《3》 1月14日 金曜日

 「鍛える」ということは、「しごく」ことではないはずです。でも、私の勤務校では、それが伝統的です。 先日も、「携帯カイロを持ってくるのを禁止にせよ」と言う。あるクラス(まあ、私のクラスを意識した発言なのですが) は許して、あるクラスが禁止では、学校の姿勢が問われる。 「○年生は、寒い中でも、短パン・半袖で授業をやっている。寒かろうが我慢させること大切だ」とね。 本当に思い出します。 水泳の時のゴーグルにしても、つい2年前にやっと許可制になったのだ。「水の中でも目を開けられるようにしなければならん。だから、ゴーグルはいかん」と、前近代的な発想ばかりなのです。 子ども達が震えている状態が体育の学習環境に相応しいのですかね。 全く呆れてしまいます。 そう、教室でも、教師はストーブを抱え込んでいれば、寒くないでしょうが、あのス トーブで教室全体は温まり、学習に相応しい環境が作り出されているのでしょうか。 教師の横暴です。 教師は温まっていて、子どもには禁止。 放課時、教師は菓子をパクパクやっていて、子どもは禁止。 教師は敷地内禁煙の条例を守らずスパスパやっていて、子どもにはきまりを守れ。 まあ、これじゃ、教育が成り立つはずありません。 学校が学習塾に負けるのも当然です。

《2》 1月9日 日曜日

 やりたいこと、やらねばならないことが、結構あるのにボッーとしていたら、ドドーンと地震がきた。  震度4くらいかな? 短時間であったが、揺れ方ははげしかった。 本当に、地球環境がおかしくなっています。 今、世界の最重要課題はここにあるのです。「郵政民営化」しか頭にない指導者では困るのです。どうして、世界の、地球の未来について考えようとしないのでしょうかね。 

 私の子どもたちへ 《笠木透》

    “生きている鳥たちが 生きて飛びまわれる空を 

       あなたに残しておいて やれるだろうか 父さんは 目を閉じてごらんなさい 

          こぶしの花が みえるでしょ ・・・・”

《1》 1月8日 土曜日

 1月4日から、90分講義を5コマずつやっていましたから、始業式までに「正月ボケ」なんて話ではありません。いいスタートになりました。(正月のおみくじが、久しぶりに「大吉」でしたからね) さてさて、今年はどんな年になるのでしょうかね。 世は、習熟度導入のニュースばかりです。 学力回復のための方策を、習熟度しかないかのように・・・・。 これが、いかに人間の心を破壊してしまうものであるかを考えないのでしょうね。 そうそう30年 ほど前、「通知表に《1》を無理してつけなくてもよいのではないか」と議論していた時、「《1》をつけてやれば、子どもは奮起してがんばようになる」と述べる教師がいったっけ。唖然としたけれど、根強い教育観ですよね。  今、救いは、中日新聞が、習熟度を導入するとどうなってしまうかを、批判的に連載していることかな。 世の親たちは、よーく注視していないと、子どもが学校の手によって虐待され、心のゆがんだ子にされかねない時代になっていることを知らねばならないでしょう。 『異質協同の授業』を追究していきたいね。 

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