「知的生活をするための教育日記」2004年

 初稿・1989年4月3日。以来、360号。2002年ホームページ上で復稿、75号かきました。そして、2003年は96号で、目標としていた100号にはとどきませんでした。 あと2年間は続けます。

 本音で書いているため、「そんなこと書いて大丈夫?」と心配してくださる方もいます。でも、「そう考えている人間もいるのですよ」「教育って、懐の広い人間でなくちゃあ勤まらないよ」と言いたいんです。 だって、今の現場はあまりにひどいのですよ。

 ご意見・ご感想は、メールで nabetyan@mwb.biglobe.ne.jp

2004年

【69】 2004年12月27日 月曜日

 今日も午前中出勤しました。集中講義のレジュメづくりが遅れていたからです。これで、一応完了ということにしたいと思うのですが、理論編・実践編という組み立てでは、難くてつまらないから、理論と実践を交互に進め、最終的に系統立てれればいいのではないかと考えているのです。どんなものかなあ。 初日の5コマで何を準備していくのかな。 それが決まらないのです

【68】 2004年12月22日 水曜日

 本日が、2学期の終業式でした。もう終わりです。それで、集中講義のレジュメづくりに精を出しています。1コマ、3枚に押さえていますが、それでもかなりの印刷量になっています。本日だけでは、終わりませんでした。24日に続きをすることにしています。それに、もう少し、展開の仕方を練らないと一日一日が持ちそうにも ありませんからね。まだまだ冬休み中の仕事はあります。2月の広島での公開講座の件、20日の私学の授業改革フェスタの件。それに、校内の努力点研究のまとめもしなくてはね。 

【67】 2004年12月11日 土曜日

 今週、個人懇談会があり、それに合わせて、通知表の所見欄を書いてきたので、今日、珍しく早く通知表が出来上がってしまいました。 これで、お正月が迎えられれば、こんな幸せなことはありませんが、今年は、正月4日から、大学で集中講義をするチャンスをもらったので、その準備に大忙しです。恒例になっていた「海外でクリスマスイブを」という海外旅行も止めて、体調を整えることにしました。 正月から講義に出てくれる学生さんに失礼があっては申し訳ないですからね。 そうそう、懇談会中も、「学級通信」続けましたよ。

【66】 2004年12月5日 日曜日

 『学級通信』が2000号に達してしまいました。「退職までに2000号」を合言葉のようにしてきましたが、今年度30年ぶりに低学年の担任になったので、長年の夢であった『日刊』に挑戦したきたのです。ほんの数日お休みしただけでなんとかがんばってきたので、号数もどんどん増えた結果です。 さてさて、これからどうするかな? あまりにも忙しい日は休刊にして、プラスアルファとして出していくことにしましょうか。『日刊』に挑戦といっても、まだ4ヶ月近くあるのですからね。  明日から個人懇談会です。疲れるかな? 39人をいるからね。

【65】 2004年11月27日 土曜日

 1学期もまとめの段階になり、どの学級も追い込みである。「欠席者が多くて、テストができない」と いう教師のうめきが相変わらず多い。 しかし、今や、達成度評価、「何も一度くらいテストができなくたって、資料数が幾分減るだけで、どうってことないじゃないか」と思う。つまり、旧態のままの教師の資質なのです。ふだんから、達成度をチェックしているはずだから、なにもガタガタする必要はないということです。でもまあ、そんな私の態度に、妻はブツブツ言います。「あなたのように、家に帰っても、授業のことだけに、時間をかけられる人はいませんよ。もう少し、ガタガタしている人の立場も考えなさい」とね。 私は、黙って、教育論が通じない現場をさみしく思うのです。 そんな現場を去るのもあと1年ちょっとか。

【64】 2004年11月21日 日曜日

 学習発表会が終わりました(19日)。「学芸会や作品展をすべきだ」という主張も、私の在職中にはもはや叶わない状況となり、4月には30年間購読してきた『演劇と教育』も止めてしまいました。学芸会や作品展という取り組みが、子どもたちの学力保障に大いに貢献していたということを感じるのです。「学芸会や作品展」は、集中講義のようなものですが、それを行わなくなったために、子どもたちの表現力や絵画力が惨めなものなのです。授業をしない管理職の連中は「基礎・基本」を言いながら、さっぱり実態がつかめていないのです。日本の行く末はさみしいかぎりです。 そこで、今回の学習発表会では、授業の単なる延長みたいなことは止めて、“これぞ、学習発表会”というものにしてやろうと密かに目論みました。 悪戦苦闘でしたが、最終段階になって、やっとなんとかなりそうだなと思いかけた途端、学級内は《水疱瘡》の大流行。6人の欠席者。各グループの中心的な子たちがバタバタと出席停止。 お詫びのメールやら手紙も飛び交い、子どもたちも欠席者の分まで、がんばってくれましたが、ダメージは大きすぎました。最後は、グループの自己表現にかけていた分、ダメージはさらに大きくなったように思いました。 今後、文集の形で「まとめ」をつくりますが、学習発表会に一石を投ずることはできませんでした。  ああ、無情!

【63】 2004年11月15日 日曜日

 まちたんけん、取り組み情報  NO.11

 いよいよ学習発表会が今週となりました。 17日には、3年生の発表会を見せてもらい、19日には、1年生に発表の様子を見てもらいます。 ところが、2年生同士は見合うことはないのです。 私もうっかりしていましたが、2年生同士の学びあいがありません。確かに、グループで発表の準備をしていても、なかなか智恵を出し合い、力を出し合うことができていません。2年生には、まだ無理なのでしょうかね。そのため、ついつい教師が「こうしなさい」「こうやりなさい」と指示を出し、それをそつなくやり遂げることが目標となってしまっています。自己表現ではないのです。特に、『昨年度、2年生の発表会の評判が悪かった』という情報が流れていますからね。教師の側は、必死?なのです。各クラス、エスカレートしています。  でも、冷静に考えてみると、可笑しいです。 私は、初心に返って、『取り組み情報 NO.10』で示したように、紙芝居以降の取り組みは、子どもたちの学びあいを最大限に重視して、見つめていくことにしようと思います。

 つまり、2年生の他のクラスがどうであろうと、2組は、学習発表会を《子どもたちの自己表現活動の発表の場》とし、親たちに見てもらう。 クラスとして発表を見せ合う全体リハーサルはしない。19日に、他のグループがどんな風にやるのか、楽しみを残しておいた方が緊張感をもって発表し、聞くこともできると思うからです。

 今後の予定は、練習日として、月・火・水の5限と木曜日の3限を保障します。この4時間を使って、グループでよく話し合って、紙芝居+自己表現(劇・ぺープサート・クイズ・朗読など)の練習をします。時間が不足のときは、グループで相談して、授業後、居残りして、取り組むことになります。 4人が力を合わせて、精一杯の発表ができるようにしてもらいたいものです。 お父さん・お母さん方も「自己表現活動をどう工夫しているかな」という観点を忘れないで見てください。

 正直、すごく不安です。 いくつかのグループは、練習にも熱が入ってきましたが、いくつかのグループは依然協力関係ができず、うまく話し合うことができていないのです。話し合いに参加しよう、智恵を出し合い、よりよい発表にしようという気構えを無くした子が残念ながらいるのです。注意すると「ぼく、休むからいいもん」とか「こんなの勉強じゃないもん」「やらなくていいんだ」と憎まれ口を言い出す始末・・・・。 まだまだ、おじいちゃん先生の苦悶は続くのであります。

【62】 2004年11月6日 土曜日

 アメリカの大統領が誰になろうが、米帝国主義が終焉するわけではない。ただ、ブッシュ再選は、いよいよ日本国内でテロが起きる可能性が強まっただけのことである。日本が米追随であることは、世界の周知ごと、日本人だけだそう思っていないだけである(イタリアでも8割の人がブーイングなのだそうだ)。アメリカでもテロの起きそうな州はケリーが勝っている。見事な色分けである。 

 このテロが、愛知万博を標的にしているという噂がある。名古屋市の子どもたちはすべて動員されるが、テロ対策のために「缶・瓶・ペットボトルなどの飲料水は容器に危険物資が入れられる恐れがある」ので「持ち込み禁止」です。「中学生以上は金属探知機を通過すること」なっているのです。そんな危険が高まってしまった大統領選でした。民間人の香田さんが犠牲になり、次はいよいよ・・・・。 来年6月が無事に過ぎますように・・・・・・。

【61】 2004年11月3日 水曜日

 週5日制に、すっかり体は馴染んでしまい、週のまん中に休日があろうものなら、ほっとするようになってしまった。 でも、どこかへ遊びに行くことはない。 少しばかり大学での集中講義の準備を進めたり、明日の「おにまんじゅう」づくりの下準備で、サツマイモを切っていました(水ぶくれができてしまいました)。

 さて、新聞によれば、文科省は「全国学力テスト」を実施することにしたらしい。《日本を学力世界一》に復帰させたいがためだそうな。 でも、戦後の教育史を知るものなら、身の毛もよだつような事態が再び起こることになる。 ただ、このようなファッショ的な反動的施策をとっても、現場の教師は『ほうれんそう教師』ばかりで、子どもたちの健全な学力保障のために、抵抗する教師はいないでしょう。 すんなり・・・・。  これが、日本の教師の実態です。 もっと、教師は問題意識をもって、自己を高める研鑚をしなければいけないのです。 

【60】 2004年10月31日 日曜日

 早くも、10月が終わり、学校では、19日の学習発表会に向けて一直線と行きたい所ですが、わがクラスは全く見通しが立っていません。この2日間、グループのまとめの原稿を見ていましたが、「どうなっているのだ」と言いたくなるだけでなく、頭まで痛くなってくるのです。もう明日からは、最終段階に入る予定でいるのですが、コメントのつけようがないほど遅れているグループがいくつもあるのです。この1週間は2時間ずつ時間をつぎ込まねば、ならないでしょうね。 仕方ないかな?  本当に、学芸会や作品展の方がねらいが明確でいいね。 時間の無駄にもなりませんよ。

【59】 2004年10月24日 日曜日

 今年は、やはりおかしいですね。20日には、今年10回目の台風か上陸しました。最大級の規模、先回のは最強の台風というのですからね。20日は、登校した子どもたちをすぐ下校させました。そして、昨日は、新潟地方の地震はすさまじいものです(東日本はあんなにゆれているのに、名古屋は全然でした。フォッサマグマの関係なのでしょうか)。 天災で、これほど痛めつけられているのです。 国は、日本人民に対して、人道支援すべきでしょう。このような天災を防ぐために、もっと力を入れるべきではないのでしょうかね。アメリカにどこまで媚びへつらい続けるのでしょうか。 まあ「アメリカ追随が、なぜ悪い」と、平然の言う首相は見たことがありませんけどね。

【58】 2004年10月16日 土曜日

 乱太郎の授業書『正しく報告するのだの段』と『みんなで、まじめに作るのだの段』を一気に進めました(『みんなで、まじめに作るのだの段』はまだ少し残っていますが)。 「1あたり量」という難題に挑戦しているのですから、もっとじっくり進めるべきでしょうが、どんどん進めてしまいました。 もちろん、「1あたり量」がつかみきれているわけではありません。 「1あたり量」探しをしても、ずいぶんチンプンカンプンの発言がありましたからね。授業書を回収して、チェックをしていても、まだまだです。『みんなで、まじめに作るのだの段』は、式を作る課題なのですが、ディメンジョン表示も、残念ながら学ぶ意欲のない子は聞いていてくれませんから、なかなか定着しません。ひどい子は「塾でやるからいいもん」と2年生なのにぬかしおる。 「このようなことは、塾でも教えてやくれないぞ」 という脅しはききません。 さてさて、どうしたものですかね。 『かけ算九九練習器』の作成はかどっていますよ。 

【57】 2004年10月11日 月曜日

 体調回復には、この3連休は大助かり。 たまっている仕事にも手をつけ始めました。それに、教室で は、いよいよ「かけ算」の実践が始まります。 何時間かかるかわかりませんが、かけ算の意味指導に全力をつぎこもうと思います。子どもたちは、「かけ算、知ってる。知ってる」「もう、九九 言えるよ」と、自慢下に話しています。 「本当に、わかっているの?」と言いたいのですがね。ですから、こうした分かっていると思っている子達に、 意味理解をどうさせていくのかは、至難の技かもしれません。 「1あたり量」の考えは、親も苦手でしょうからね。  でも、着々と準備は進めています。 基本的には、服部さんと水野さんの実践を合体させ(ここだけで、プリントは100ページを超える)、九九の習熟は、大阪の何森さんの、この夏教えてもらった「計算練習器」と、私が30年来あたためている「かけ算カルタ」を活用する予定です。 さあ、がんばりまっせ!!

【56】 2004年10月9日 土曜日

 ちょっとした油断、気の緩みなのでしょう。5日の朝、登校後、教室で机の整頓をしていたら、キヤッときました。「やばいな」と思いつつも、雨の中、登校指導に立ちました(この日は、交通指導員さんがお休みなのを聞いていましたしね)。その後、時間を追うごとに腰の調子が悪くなり、子ども達が帰った後は、日記を見て、保健室で休んでいました。帰宅する時は、カバンなどは学校にのこし、身だけを傘を杖にして帰りました。 6日は遠足。5日よりはよくなっていましたが、地下鉄はしんどいので、車で通勤しました。 「遠足の引率は、ちと難しいので、代替をお願いしました」。まあ、東山には腰の悪い人は多いので、理解がありました。教頭が交代してくれたので、子どもたちを送り出して、日記を見て、すぐに休暇をとり帰宅したのです。おかげで、その後、快調とは言えませんが、そこそこにやっています。よかったです。 考えてみれば、毎年のように、この時期 重い軽いはありますが、痛めている事を思い出しました。 やはり歳です。油断は禁物ですね。

【55】 2004年10月2日 土曜日

 衣替えの季節。私も、止む無くネクタイはめて、スーツを着て、登校することにした。今年度も早くも 後半に入るわけだから、身を引き締め、少しは、先の明るい見通しを持ちたいものだと思うが、なんだか、この一週間、疲れてしまった。その因のひとつは、妻が27日より海外旅行に出かけ、さみしく愛犬のイブと過ごしているからでしょう。食事のこと・犬の世話、殊のほかたいへんです。散歩に行こうにも、まともに行くことができない。叱っていると、動物虐待かと見間違えられはしないかと思えるほどの無様な散歩です。一日の疲れがどっと出てしまいます。まあ、あとは、例の「クラス意見交換会」のことかな。 ここでは、他のクラスの親御さんもたくさんこのホームページを見ていてくださるので、書きませんが、波紋は予想以上に大きくなりました。 “雨降って、地固まる”となれば、幸いです。 もちろん、そうなっていかなくては、教師なんてやってられません。 それにしても、多くのてがみ・メールをいただき、感動しました。 

【54】 2004年9月25日 土曜日

 実は、21日から私の身分は小学校と大学の2つにあることになった。別に、まだ出講するわけではないが、書類上はそういうことらしい。 「本務に支障のないかぎり」において、兼業が承認されたのであるから、ビシッと勤め上げねばならないのに、子どもたちの様子をみていると、イライラしどおしである。 まあ、6月以降、続いていた5本の報告も今日で一段落したので、少しは余裕をもって過ごせるかな? やっと、集中講義の準備に入れるかな?  先日・23日に、大阪で教師をしている大学時代の友だちと話していて、子どもたちの状態は格段によいこともわかった。 労働条件はよくないが、教師として「教育活動らしきことができる」喜びを味わえる幸せを感じた次第である。 

【53】 2004年9月18日 土曜日

 昨日、特定のクラスに「クラス意見交流会」開催の案内を配布するように指示があった。各クラスの親たちが集まり、意見交換をする会であるらしい。「あるらしい」と言うのは、どんな主旨で行うのか、教師には何の説明もないからである。「クラス意見交流会」には、担任教師は出席しないそうであるから、担任教師のいないところで、クラスの評定でもしようというのかな? クラスの親たちの親睦会ならば、すでに多くのクラスで行われているから、担任教師は疑心暗鬼。これでは、教師と親との協力・信頼関係は築けないのではないのかなあ。 何故、学級懇談会の内容や回数を増やすなどの発展的方策ではいけないのであろうか。 親と教師の腹をわった率直な意見交換こそが、「教育」を「共育」とするのである。 担任不在の意見交換では、圧力にしかならないと思いますね。そこに、管理職が介在するとなれば、もはやヒラ教員は完全に死に体同然です。 「おまえのクラスでは、こういう意見が出ておる。生意気なこと言うな」とね。 親は担任教師と手を結び、教師のやる気を育てようとする視点をもってほしいものですね。 今後、どう進んでいくのでしょうか????

【52】 2004年9月12日 日曜日

 そう言えば、昨日は、9.11でした。 もう3年も経つのですね。この前の年末、グランドゼロの地に立ったことをすっかり忘れていました。なにしろ、この間、世界からテロがなくなるどころか、ますますひどくなり、世界各地に広がるばかりです。 力で押さえつけることなどできやしないのに、強行する権力者のために、庶民が犠牲になる。憲法9条の意義が高まっているのに、改正しようとする政府与党。 ここで、教育の世界に目を向けてみると、こうした政策に異議を唱える者を抹殺する施策が着々と打たれている恐ろしさ。 10年後には、日本は、軍事国家へと見事な?変身を遂げていることでしょう。 「戦争反対!」を唱える教師はいなくなり、子どもたちもゲーム感覚でしか戦争を考えないでしょう。 そんな戦前と同じ教育が施せるように、手が打たれています。 今の文科大臣は要注意ではないでしょうか。

【51】 2004年9月11日 土曜日

 「夏休みボケ」なんて言葉は死語になったようです。「ボケ」なんて言うと、いい感じはしませんが、ゆったりした雰囲気がかつてはあったように思いますが、今や“即”です。暑さ対策の短縮授業も減り、年間2期制の学校も増えているからでしょうか、私も『夏の生活(日誌)』は3日間で見終わり返却しました。そんなあわただしさが教育的がどうかはわかりませんが、心のゆとりがなくなってしまっているのは確かです。 2学期が始まって10日あまりですが、職場の雰囲気が例年以上にしっとりと落ち着きのある状態ではないように感じます。 どんな展開になるのでしょうかね。

 まあ、中日ドラゴンズが優勝する年は、何か政治上で異変が起きるというのは昔から言われることですから、私は、ゆったりと大きく構えて取り組んでいきたいです。

【50】 2004年9月3日 金曜日

 教育の場がますます教育から遠ざかっていく。もはや教員の資格なんて意味ないのです。というのは、 名古屋市の「情報あんしん条例」が作られ、情報漏れを防ぐという話である。そのため、学校で使うパソコンは校長の管理下に置くというわけだ。ところが、ノートパソコンはすべて教師個人の持ち物であるが、校長の許可の下に持ち込み使用している建て前だそうな。また、テストなども管理下におくわけだから、私のように家で作成しているのも管理下。個人の財産にまで踏み込んできているのだ。  個人の財産に踏み込まれるのを防ぐには、家庭で仕事をしないことだ。 教師は残業手当もでないから、すっぱりと家庭に仕事を持ち込むなということだが、それで責務が果たせる仕事ではないのは明らかですがね。 このような条例を作って「あんしん」できるのはお役所。責任逃れに過ぎないのです。 教育的見地はゼロですね。 要は、パソコンなんて使わず、手づくりでいけば、何の心配もありません。

 それと、「飲酒運転で事故れば、クビなのは、以前からそうでしたが、今後は飲酒運転だけでも覚悟をしてください」という話があった。 当たり前の話ですが、守っていない人も多いですからね。 どうぞ、しっかりやってください。また、環境問題からの、校内での喫煙もしっかり取り締まって欲しいものです。全然、守られていませんよね。教委は知っているのかな? 告発すると、村八分にされそうだから、今のところ言わないだけですけどね。

【49】 2004年8月30日 月曜日

 30・31日とプール指導があり、私の夏休みは終わりました。 本日は一日出勤のつもりでしたが、台風16 号のためプール指導が中止になったので、半暇をとって、早く帰宅しました。だって、交通機関が止まっちゃたら困ってしまいますからね。 帰ってから、『授業づくり通信』の発送をしました。ちょっと中味は薄いけれど、久しぶりに月末発送ができました。9月1日か2日に着くと思います。 全国大会での「少人数指導」の件と桑名教研での学力向上フロンティア校の取り組みから感じての資料提供です。 最近の状況から、少人数指導が、個別化指導の流れに乗せていくのも、能力別=差別指導に対抗する一つの方法かなとも思えてきたのです。 「指導の個別化」「学習の個性化」論については、10年前にTTを導入するとき、学習してみたことではあるのですが、もう少し追究してみようと思います。

【48】 2004年8月23日 月曜日

 夏休みも残り少なくなってきました。全国大会のこと、そのまとめ原稿・総括文もやり終えました。また、講師やレポーターの方もなんとか責任を果たし、あとは、組合教研の助言の仕事だけになったはずです(民研の方は正式依頼はないので無視)。 いよいよ2学期に向けた準備に入ることになります。 がんばらなくちゃあ。 なにに、どこに、ポイントをおいていくかな?

【47】 2004年8月19日 木曜日

 お盆明けから、学校へ行きかけましたが、なんとかレポートの印刷も終えたので、今日は休暇にしました。でも、聾学校では何を話せばよいのか、全然まとまりません。言葉を通してのコミュニケーションなんて、なんて楽ことだろうか。「話す」という媒体が使えないとき、日頃、私の実践ネタは極度に制約されてしまうことを改めて思い知らされました。「おしゃべり症候群」だなんてブツブツ言うこと自体、贅沢な話だと痛感しています。障害児教育にこそ「原数学」があると言われるのも納得できます。 まあ、出かけていけば、何か得るものがあるでしょう。

 さて、わが家の愛犬イブがやっと完治しました。7月12日に事故に遭ってから続いた病院通いもこれで一段落と言えそうです。

【46】 2004年8月11日 水曜日

 私の夏休みは、今週くらいのもので、後はいろいろスケジュールがあります。それらのスケジュールに 向けてのレポートづくりに忙しいのです。まあ、この暑い夏休みに、引っ張り出されて、つまらぬ話を聞かされるのも嫌なものですからね。 近頃の学校は、出校日があると何かしら、研修会を開いたりするのですね。「けしからんことだ」と思っているのに、その私が話をしに行くというのも、可笑しなことかもね。 楽しくやりたいものです。

【45】 2004年8月9日 月曜日

 数教協の全国大会の実行委員として、前々泊から現地に入りました。5日間、大した仕事はなかったけれど(開会行事とAMIサロンのコーディネイトと会場の掲示でした)、何となく疲れました。精神的なものかな?と思っていたのですが、帰名後、腰が痛い状態が続いています。 でも、AMIサロンの感想文、約100通をパソコンに打ちました。おかげで、こんなにじっくり感想を読んだのは初めてです。とっても、参加者の気持ちがわかりました。少し時間をかけただけの収穫はありました。 次は、これに基づいて、『数学教室』用の原稿を創らねばなりません。 「痛い! 痛い!」とばかり唸っておられません。やることが、やらねばならないことが、いっぱいあるということは幸せなことなのでしょうね。

【44】 2004年7月30日 金曜日

 夏休みに入ってからも、半日ずつ学校へ出かけて仕事をしていましたが、本日からお盆過ぎまでは出校しません(今日は出勤しなかったけれど、家で分団名簿の作成をしていました。そのプリントの数は45枚ですから、学校でやればいいものを、なんて思いますね)。 さて、8月3日からは、全国大会。前々泊で現地に入らなければなりません。まあ、年寄りにはきついですけど、最後のご奉公と思って出かけることにしますかね。

【43】 2004年7月26日 月曜日

 昨日は、私の結婚記念日でした。妻に、ちくりと言われました。もう、33年目に入るわけです。今年から、妻が初めて、私の扶養家族になったわけです。手当ては、月15100円です。安いですね。 考えてみれば、共働きだったから、自由にいろんなことができたのかもしれません。 感謝しなくてはね。

【42】 2004年7月24日 土曜日

 今から教科研の例会へ出かけ、「中学の国語教育の学力問題」について考えてきますが、20日終業式、21日と23日は午前中勤務として、あとは休暇としました。今年も一段と厳しく「自宅研修」を全く認めなくなったからです。 管理職になる人とか、多くの教師は、家庭で教材研究や教育に関わる仕事をしないのでしょうか ね。夏休みをボッーとすごしているのでしょうかね。そういう教師が正統だとは露知らずに過ごしていました。 私などは、劣悪な仕事環境を自腹を切って、家庭にコピー機を始め、あらゆる文具・機材を買い込み、家庭に仕事場を作る。学校よりもうんと環境はよく、能率もあがります。自宅研修はばっちりできます。 しかし、「学校に出てくれば、働いている」という感覚は呆れます。 そんな理不尽に怒りを覚えながらも、闘いにエネルギーを使うよりも、休暇をどんどんとることにしました。 こんなことで教育改革ができると思っているのでしょうかね。 だから、公教育は学習塾に負けるのです。 

【41】 2004年7月19日 月曜日

 この1週間は忙しく過ごしました。それは、先週、黒ラヴのイヴが車に跳ねられてから、毎日病院通いが続いているからです。木・金の夜は、パトロールや反省会があったため、暇をとって一度家へ帰り、病院に行き、再び出向くというぐわいでした。やっと、顔の傷と右の足の傷は治ってきましたが、左足の傷と骨折はまだまだです。当分病院通いは続きます。

 さて、明日は終業式で、いよいよ夏休みに入ります。旅行等の計画はさっぱりですが、研修計画はバッ チリと詰まっています。ありがたいことですが、ちと しんどい夏休みになりそうです。 なんだか、以前のペースに戻ってしまった感じです。 

【40】 2004年7月12日 月曜日

 家へ帰って、ホッとしていると、妻から電話。何事かと思いきや、犬の散歩中に交通事故に合って、病院にいるとのこと。驚いて駆けつけてみると、愛犬のイヴがはねられて足を骨折、体のあちこちが傷付いていました。命には別条無いようですが、無残な姿でした。 家に戻ってからも痛々しい姿はとてもかわいそうです。 はねた車は行ってしまったのです。「車の番号くらい覚えておけよ」と思ったのですが、どうやら妻は動転してしまって、それどころではなかったみたいです。  まあ、そんなひどい奴がいるかと思えば、親切に病院まで運んでくれた人もいました。 事故現場に行って、車の破損した部品らしきものを拾い集めてきたのですが、犯人捜しは難しそうですね。

【39】 2004年7月7日 水曜日

 「星の集い」がありました。例年と違って、どのように進められるのか、進められているのか、さっぱり分かりませんでした。若い教師たちにやらせるのもよいのですが、学校行事として、取り組む以上、全校に分かるように進めるよう管理職は指導すべきでしょう。 「星の集い」後の職員室はなかなかよかったです。S先生が批判をしました。「管理職の連中の願いは何だ。子どもたちが、平和や戦争、命のことなどを書いているのに、“ゴルフがうまくなりたい”“3億円があたりたい”とは・・・。そういう姿勢だから、東山の教育はおかしくなるのだ」云々。 その通りなのです。 未だに校内でタバコはプカプカ。 教委が4月から校内禁煙を打ち出したのに、平気で約束を破っているのです。 少し前のH校校長の飲酒運転事故、常習者だそうな。きっと、社会のルールを破るのが大物とでも錯覚しているのでしょう。 これでは、名古屋の教育はだめになるだけです。 これじゃあ親たちにどうのこうのは言えません。  「恥を知れ、成敗!」と、何時いきましょうか。

【38】 2004年6月26日 土曜日

  今週の水曜日に、学校開放日がありました。時間割どおりに公開するのを信条としているので、時間割どおりやることにしました。実は、4時間目は音楽です。でも、12時くらいには親も帰るであろうと考えて、音楽をしたのです。ところが、4時間目になると参観者が一番増えてくるのです。 給食のため、10分ほど前に授業を打ち切ったりしているのですが、そんなわけにもいかず、時間いっぱいすることになりました。「今日の音楽では、ハローソングにあわせて、旗をあげます。かえるの合唱の輪唱をします。リズム打ちに挑戦します」と学級通信で報告がしてあるのですが、その展開に自信があろうはずがありません。本当に長い45分でした。こんなに疲れを感じたのは久しぶりです。 そして、木曜日には、プールもあり、低学年なので、私もプールに入る。 こんなで、疲れた1週間でしたが、土曜は、恒例の日本福祉大学での講義。 なんかはつらつとした気分にならないまま終わってしまいました。 結構よい感想を書いてくれたので、ほっとはしましたが、私としては、「うーん、いまいちだな」と反省しています。逆に言えば、あんなので「よし」とするならば、他の方の講義はよほどつまらないのかなあと思ってしまいます。

【37】 2004年6月20日 日曜日

 なんとなく冴えない日々が続いている間に、やらなければならない仕事がたまっていく。 いつも「引き受けなければよかった」なんて後悔ばかりしている。でも、原稿依頼がくるのも、現職のうちだけのことでしょうから、もうちょっと気を引き締めて、がんばることにしましょうか。  

 夏休みまでに、26日は日福大。10日「数学教室」原稿締め切り。15日「子どもと教育」原稿締め切り。この間に、全国大会の開会行事のコーディネイト。そしてそして学期末の成績処理。 大丈夫かねえ。 

【36】 2004年6月12日 土曜日

 佐世保の事件以後、関係機関は神経質になっています。おかげで、私の周辺でも「児童虐待ではありませんか」「いじめではないですか」などとの問い合わせがいくつかあった。確かに、4月以降、自由を謳歌している子どもたちの行動はエスカレートし始めている。自制することができないのだ。厳しく管理されないと行動できないようでは人間として情けないことだと思いつつも、すぐ たたいたり、けったりする子どもたちを目にすれば、注意しなければね。 それと、命に対して、なんとも感じないのか、「死ね」とか「殺す」という言葉が聞かれる。テレビゲームなどのシュミレイションの世界と現実世界との区別がつかなくなっているのでしょう。 困った世の中になったものです。 今週は、本当に疲れました。

【35】 2004年6月6日 日曜日

 土・日曜日と、地区合宿研究会があり参加してきました。 ただ、中心は今夏の全国大会の準備に多くが費やされました。 いろいろと、仕事をもらってきました。 東海地区が全国大会を受けるのは、蒲郡・長良川・高山と3度目となります。ついこの前のことのように思いますが・・・・・。 

 さて、この間、佐世保で小6の女子が同級生を殺害するというショッキングな事件が起きました(2日)。 その後様々な報道がありますが、どうやら、高学年でよくある仲間外れ=シカトに対する逆上のようですね。近頃の高学年ではよくある現象ですが、相手を殺してしまってはねえ。  きっと、そうした交友関係については担任さんも気づいていたと思いますね(担任は、一切マスコミの前に出てきませんね)。 それにしても、こうしたシカト現象を、弁護士さんたち分かっているのでしょうか。 なんだか不安にお見受けしました。

【34】 2004年5月29日 土曜日

 昨晩は、京大の伊藤君が泊まりに来てくれた。15〜16年ぶりに会うことができた。文化人類学をやっていてエチオピアの現地調査をしているそうである。たくましく成長したものである。なかなか冒険心の弱い名古屋人としては、うらやましい限りである。 それに、朝7時に自転車で京都を出て、名古屋に来ているそのエネルギーは、確かに小学校時代からあった。 若さを実感しましたね。 初対面の妻の評判もよかったね。 彼のお姉さんにも会いたいが、彼女はボストンにいて、家族に対しても、もう英語だそうな。 すっかり変わったでしょうね。

 【33】 2004年5月24日 月曜日

 22日の土曜日に、運動会があり、今日は その代休でお休みです。 運動会後、今年は腰痛は出てい ません。三年前、入場門の設営を仰せつかり、くい打ちをやったのがまずかった。日頃の運動不足がたたり、腰痛が日に日に悪化。わずかな階段も上がれなくなり、とうとう尾てい骨に注射。一発で直るという荒療治。その後も気をつけているのですが、一昨年は、応援に力が入りすぎて疲れが腰にきました。昨年は、ラジオ体操をはりきってやりすぎて腰にギクッと、毎年のように運動会後がダメです。 今年も、心配していましたが、ほどほどにしていましたから、今のところ大丈夫です。 ほどほどと言っても、わがクラスの勝利のためにいろいろと秘策はねりましたよ。おかげで、白組が勝ちました。   ただ、近頃の運動会の位置付けについては、不満があるので、運動会後の反省会には出ないで、さっさと教科研の例会に出かけました。 わずかな時間しか出られませんでしたが、国語の「学力」問題について考えてきました。

【32】 2004年5月16日 日曜日

 妻が3月に退職し、今 海外へ家出(旅行)中。私は、1人で過ごしています。子犬も(室内に)飼っているので、それ はそれはたいへんです。朝は、5時半に起き、犬の世話・朝食の準備・・・・、帰宅後もね。一番大変なのが、犬の世話。だって、まだ しつけができていなくて、トイレのことから、散歩まで 大騒動なのです。悪戦苦闘疲れてしまいます。 そう、今日も、朝は犬に餌をやらなくちゃあなりませんから、遅くまでゆったり寝てはいられません。 毎度のこととはいえ、家事労働のたいへんさを思い知らされます。

【31】 2004年5月14日 金曜日

 今週は、家庭訪問で大忙し。頑として『家庭訪問は徒歩ですべし』を守り続けている私も、年々疲れるようになりました。でも、子どもたちがどう歩いて登校しているのかなを知るには歩かなくては・・・・。まあ、若い教師に限って車で訪問している。教育的意義を考えてやっているのですかね。 管理職は、しっかり指導すべきだと思いますね。 そんなことを思っているところ、またまた 唖然とする出来事があった。 眼科検診があったのだが、養護が「以前お願いしたように、1年生から順番にお願いします。 ただ、どうしても都合の悪い時には申し出てください。配慮します」と言った。そうしたら、6年が「私たちの貴重な体育の時間にかかりますので、6年を1番にしてください」としゃあしゃあとのたまわれた。 どの学年だって、都合があり、食い込む部分をどうしようかと考えているのだ。 私は、カチッときて周りを見回した。 校長もそのあつかましさに苦笑いしているように見えたので、発言は控えた。 そもそもこうした全校的なとき、6年が一番我慢をするのが通例でしょうに。 こんなんだから、東山の職員集団はまとまらない。 図々しさだけが、支配しているのだ。    そうそう、4月から校内全面禁煙になったはずなのに、ある場所には吸殻があるのはどうしてでしょうね。 「きまりは破るためにある」というのが、校風らしい。 

【30】 2004年5月5日 水曜日

 5連休とは言うものの、結局は落ち着いては何もできませんでした。まあ、家庭に仕事を持ち込む典型的な人間には、なんとなく落ち着かない日々でした。 孫のリオちゃんのことは気になるし、黒ラブ犬のイブのことも気になるし・・・、 また「おじいちゃんは、すぐ食べさせてしまう」と叱られるし・・・、てんやわんやの5日間でした。 でも、テストやプリントはそこそこに作りました。 図工のクレパス指導の資料も考えてみました。 NHKの文化センターの夏休み算数教室の話は、かなり進んでいましたが、日程がうまくいかず、最終的には断ることにしました。 あまり兼業届を出してばかりいると、嫌われますからね。

【29】 2004年5月1日 土曜日

 大型連休が始まりました。息子夫婦は29日から休みで、30日に帰宅したら、もう来ていました。福井へ遊びに行く途中の我が家は宿泊地なのです。 楽しんでいますね。

 さてさて、本日は、私の誕生日。いやになるほど年を重ねてきたものです。 学生の頃は「俺の誕生日は、将来 国民の祝日となり、いや世界中の労働者が祝ってくれるようになるのだ」なんて思っていましたが、今や そのようになる可能性はかぎりなくゼロパーセントになりました。いや、憲法改正派が過半数を超えるというご時世です。 布団の上で安らかに死ねるかどうかも怪しくなってきたのです。 戦争大好き人間がいっぱいになってしまいました。 子どもたちのちょっとしたいたずらにも目くじらを立てるくせに、国家の目に余るいたずらには何も感じない日本人の感性は異常です。 先のイラクで拉致された人たちへの罵声・「自己責任論」。あのアメリカでさえ首を傾げているのです。 結局、日本には民主主義は根付かずに、再び 戦前に逆戻りということのようですね。    ああ、情けなや!

【28】 2004年4月27日 火曜日

 昨日の職員会議で、早くも学期末の成績処理、つまり、通知表のことが提案された。もちろん、もう学習活動は行われているのですから、『指導と評価の一体化』は当然のことです。ところが、意味不明な異議が出された。「教師にとって、つけにくい」「もっと、差が明確になるようなものにすべきだ」という意見に聞こえたが、評価論からすれば、逸脱したような話の展開となって、我慢しきれなくなって発言したのであるが、どうもねえ。 もっと、評価について勉強しないといけないですよ。 これじゃあ、「教師の評価権」なんて主張できやしないです。校長が子どもを評定することになる。担任教師はロボットにすぎないのです。 しっかりしなくては、子どもにいい教育はできないぜ。

【27】 2004年4月23日 金曜日

 『日本教育新聞』全国版に名古屋市の駐車場の代金とりたての記事が載っている。例えば、私で言えば、月額4500円の通勤手当をもらっていましたが、昨年度からは月額3500円とられるようになりました。ガソリン代の保障は1000円ということです。 それで、職員の駐車場所はくじで決めることになり、長年の功労?でとてもよい場所に止めていた私は、とても条件の悪い場所に変えられました。 ところが、今年度 「昨年の場所を踏襲させる」との提案がなされました。私は「私は車通勤を止めましたが、その提案は理に適わない。おかしな話だ」と意見をのべましたら、「再検討します」ときた。ところが、今度は「希望をとります。希望が重なった時は話し合いで決めます」と言う。ちょっと意見が言いたかったが、車通勤ではないのでやめた。 この提案は、一件民主的なようで、前近代的な発想である。つまり、“今止めている人の場所に希望を出せますか”  本当に一部の人が利するような提案が許されるのでしょうかね。 すべて同じように駐車料金を払っているのにね。こうなれば、料金に差をつけるのが道理でしょう。それが、資本主義というものです。 いずれにしても、こんな汚いやり方をする、許すところに教師の見識が疑われる基がある。

【26】 2004年4月18日 日曜日

 10 日が経ちました。毎年のことですが、年度始めの異常さは、学級の子どもたちをほっぽり出して進む感じがします。でも、誰も文句を言わないのです。従順な教師ばかりです。自分の考え、意見というものがないのでしょうかね。つまるところは、教育観の欠如なのです。 どうして、こんなことになってしまったのでしょうかね。教育が革新的でなかったら、その国の活力は生まれないと思うのですが・・・。   さて、この1週間は、実は割と充実しています。学級通信『あゆみ』も毎日出してきました。「先生、ずっと出してね」と言われもしますが、そんなわけにはいきません。私、去年よりも校務分掌が増えてしまったのです。ぼつぼつ日記指導も始めなくてはいけませんしね。それにしても、子どもたちってよく見ています。そんな会話がいっぱいなので、『あゆみ』もどんどん出せるのです。   ※「2000号終了説」だと、今年度で達成してしまいそうです。 さて、どうするかな?

【25】 2004年4月10日 土曜日

 連日、会議・会議、書類・書類で大騒動。毎年のことですが、今年は殊のほか、ガタガタしています。そんな中、昨日 運動会の提案がありました。春に移行したため、ちと盛り上がりに欠けたので、全校での大玉送りと学級対抗リレーを入れたいとの提案がありましたが、学級対抗リレーは見事に否決されました。運営委員会を通ってきているのに、「是非、やりたい」と言ったのは、27学級中1クラスだけ・私だけでした。 「紅白リレーはよし」というのは、私に言わしめれば、選手をおくりだすだけのこと、担任として何の指導をする必要がないのです。しかし、学級対抗リレーとなれば、担任の指導にかかってきます。指導をすれば、それなりの成果がでます。つまし、教師の怠慢なのです。いかに理屈をつけようと、プロ教師としての自覚の欠如、楽をしたいだけのことです。 まあそれが、わが校の体質なのです。  ああ、無情!!

【24】 2004年4月6日 火曜日

入学式がありました。一先ず、1年生だけはちゃんと迎えてやらなくてはなりません。当たり前の話なのですが、今年はスッタモンダがありすぎます。職員室の中は、例年にも増して、カリカリ。校内における人事を含めた適材適所がなされていないこともありますが、教委の怠慢もあります。チョロチョロとやる人事。つまり、お手盛り人事をやるものだから、学校の体制が固まらない。時間割が決められない。TT,少人数加配を「今日は1人、次の日にもまた1人・・・」これじゃあね。 それにしても、TT加配を算数にするのであるが、本当に実効があがるのでしょうかね。私にははなはだ疑問に思います。学級を乱すようなTTなんて まっぴらごめんです。

【23】 2004年4月3日 土曜日

 1日から出勤しています。しかも、車通勤を止めて、公共機関(名鉄・地下鉄)を使っての出勤です。まあ、気分一心、新たな気持ちでこの1年を過ごすにはよいことだと思っています。 ところが、1日に担任発表がありました。予想はしていましたが、第一希望ではなく、来年度やりたいと考えていた学年でした。 いやではありませんし、31年ぶりですが、私が教師として頑張ろうという気持ちにさせてくれた印象深い学年ですから、実はやる気満々です。私のペースでやっていきます。  しかし、全校的な視野で見てみると、どういう人事なのかと呆れてしまいます。教師のやる気・教師の心を全くつかんでいない人事というより他ありません。これでは、特色ある学校にも、活気ある学校にもなりません。まあ、そういう元気のある学校にしようという気迫がないのです。そう考えるいくつかの根拠がありますが、ここに書いてしまうと、週刊文春事件のようになりかねませんので、別な場所で。 人権に関わることが、少なくとも、3件あります。 もっと、人の心を考えなくちゃあ。これで、子どもの心が、親の心がつかめるのですかね。 それにしても、こうした問題は、ある教師の「わがまま」と言うことではなく、組合が「人権問題」として、とりあげなくちゃあおかしいのです。 組合の執行委員がいるにものかかわらず、何の行動もないというところに組合の腐敗がある。 私は、非組ですので、いえませんけどね。

 まあ、私は、全校的な仕事が増えてしまいましたが、学級のことに集中。そして、今年は、2つの大学に教えに行くことになりそう。 充実した1年にしていきますぞ。

【22】 2004年3月30日 火曜日

 このところ行っていた海外旅行も、妻が今年度をもって退職するので、うまく日程がとれなくて行くことができなかった。また、例年ある数教協の小学校集会も中止だったので、春休みは全くフリーになった。休み中は全部休暇扱いにしたけれど、学校へほとんど顔を出すようなこととなった。 その休みもあと1日しかない。しかも、4月からは車通勤を止めて、公共機関を使っての出勤となる。 そのためもあって、教室に溜め込んである資料をかなり家に持ちかえったのです。 でも、今度は我が家の方の整理がたいへんなのです。4月下旬には法事をしなくちゃあなりませんからね。

【21】 2004年3月24日 水曜日

 修了式でした。また1年が過ぎてしまいました。久しぶりの3年生担任で少々お疲れ気味でしたが、「3 年生でどこまで可能かな」といろいろ挑戦させてみました。 『百人一首』は燃え上がるまでに時間がかかりましたが、暗記力は十分。百首全部覚えた子も何人かでました。『読みの力試し』も予想以上に読めるようになりました。早期教育も可能とは思いますが、語彙力にはあまりつまがらないように思います。 『作家論』にも挑戦させました。まだまだという感じもしますが、一風変わった読書感想文になりました。やらせてよかったです。 なんらかの形でまとめてみたいです。

 そうそう朝の打ち合わせのとき、急に「来年度も、児童会は直接選挙で行いたいと思います」と話があっ た。年度末の児童集会でクラス発表をやらせるかどうかのドタバタ劇と言い、少なくともこの1年間 教師は東山の子たちのよさをどう見てきたのか、どう見ていたのか、と首を傾げたくなるようなことばかりが起きていた。 何でもかんでも止めてしまえのごとき、教師の側の「楽をしたい」という貧弱な発想。それに乗っかった学校運営につくづく嫌気が差している。 でも、いまさら転勤希望を出すわけにもいかず、イライラが募るだけで、ときどき「おかしいじゃないか」と遠吠えするだけ。 なぜ、デモしか教師である私がわめいて阻止をはからねばならないのか。 子どもの側に立とうとする教師が、なぜいないのか。 また、来年度も続くのかなあ。 私は私で行くとしようかな。

【20】 2004年3月20日 土曜日

 猛烈にがんばって、指導要領の総合の所見も書き上げてしまいました。あとは、出席日数を入れるだけになりました。今年度の仕事も一段落という感じです。さて、教室も家のほうも整理をしないとね。近頃は、長期休業といっても、自宅研修を認めようとしないから、いろんな書類・雑誌がたまって、整理できないままになっています。 なんとかしないといけないとはわかっていても、「捨てる」という決断がつかなくて、床のあちこちにうずたかく積もっています。  でも、今日 サークルはちゃんとしました。 ぶつぶつしゃべりあっていただけでしたが、ストレス解消にはなります。

【19】 2004年3月19日 金曜日

 卒業式がありました。6年担任でない私には、どのように準備が進められているのか全くわかっていません。わずかに「先生、四部合唱をするから聞いてね」と子どもたちが言ってくれることだけでした。確かに、子どもたちは例年どおりすばらしい合唱を聞かせてくれました。 でも、着々と子ども主体の卒業式から、儀式としての卒業式への地固めがなされている感じがしました。 まあ、そう感じた教師がどれだけ居たかは知りません。 話題は、P会長さんの語り掛けに終始している感じでしたから・・・・。  それにしても、4年・5年時に担任してた子が、49人居ました。6年の3学期に転入していた犬塚さんは4年の時、10日ほど私のクラスに体験入学していましたから、それも含めれば、50人です。 本当に感謝です。 この1年、活躍してくれましたからね。私学受験では渡辺学級出身者ばかりが難関突破ですからね。 そうそう先だっての区の造形展の6年出展者3名も渡辺学級出身者だったのです。本当に印象深い6年生でした。  こんな卒業式も、形からも内容からも できなくなるのでしょうね。世は、ここまできているのです。 ああ無情!

【18】 2004年3月15日 月曜日

 今日は、音楽の時間に、合奏をやろうという予定です。「ミッキ―マウスマーチ」です。初めてにしては、なかなかの上達。テープにも入れました。少しご機嫌でした。それにしても、なんとかなるもんですね。9つの楽器がわずかな時間で様になるなんて・・・。まあ、子どもが優秀なのでしょう。私に、音楽の素養があるとは考えにくいですからねえ。でも、よかった。うまくいって・・・・

【17】 2004年3月13日 土曜日

 3月の『授業づくり通信』に書いたことが、どうやら波紋を広げているようです。本日、Mさんから反論がきました。 でも、その前に、幾人もの人から賛成や激励の文が届いています。 今、最前線から退いている人たちも気に しているのですね。ちと、どろどろしたものもありますが、数教協運動の方向性にかかわることになりそうです。今度のサークルでも話し合うことになっています。

【16】 2004年3月7日 日曜日

 3月1日に、教室の桜は見事に咲きました。本当に暖かいのですね。ところが、先週はすっかり寒さが戻って、教室の桜もびっくりと言うわけでした。 この間、パソコンの調子がいまいち、いやになりますね。

【15】 2004年2月26日 木曜日

  やはり今年は暖かいのでしょうね。教室に1枝おいてある桜が、明日にでも咲きそうなくらい芽が膨らみ、ピンクの花びらがのぞいているようになりました。おそくとも、来週には咲くでしょう。予定より2週間も早く咲きそうです。まあ、今年度もそこまで来たと言うことでしょうね。

【14】 2004年2月22日 日曜日

 明日から、人間ドックへ行きます。二泊三日のコースで、3回目のドック入りです(但し、今回は2日目に帰りますが)。  妻に「あんたも好きねえ」なんて言われますが、先回の時、大腸ポリープが見つかって、「2年くらいしたら、また検診した方がいいでしょう」と言われていますからね。まあ、のんびりした気分で行こうと思っていますが、今 あまり体調もよくないので、結果は芳しくないでしょうが、見てもらっておきたいと思うのです。

【13】 2004年2月21日 土曜日

 先週の金曜日[13日]に、ラブラドールの子犬[生後50日くらい・2003年12月28日生]をもらい、再び犬を飼うことになりました。以前は、大人の犬でしたが、今回は赤ちゃん、しつけも何もありません。本当は、妻が退職する4月以降にと考えていたのですが、大きくなりすぎてからよりは今の時期からの方がよいらしいのですが、子犬を育てるのはど素人なのでこの1週間は大騒動。生活のリズムもすっかり狂ってしまいました。 それにしても、教室で見ている3年生の行動が子犬とだぶついて仕方ありません。人間も犬も同じじゃないかと。 でも、一番戸惑っているのは犬かな?  付けられていた「イブ」と言われたり、前の犬の「モモ」と言われたり、果ては孫の「りおちゃん」と言われたり・・・  どんな名犬[迷犬]に育ってくれるかな。

【12】 2004年2月16日 月曜日

 本日、校内研修のまとめの会がありました。各学年8分程度で報告をお願いしていましたが、どの学年も10分以上の報告をされたので、全体討論の時間がなくなってしまいました。まあ、全体討論というようなおこがましい形の討論は成立するはずはないと思ってはいましたが、やっぱり真の研究となるためには討論がなくては深まりはありません。報告会だけでは、「冊子を見れば、わかること」なのです。ちょっとさみしいですね。

【11】 2004年2月8日 日曜日

 土曜・全国委員会、日曜・全国研究会議があり、東京で缶詰めになっていました。延々と続く会議にぐっ たりとして、帰ってきました(土日と孫が帰って来ていましたから、焦ってもどってきました)。収穫は、量×量VS量×数について、もやもやしていたのが、すっきりとしたことでしょうか。『授業づくり通信』にまとめ、私の見解を明らかにしていこうと思います。これからしばらく知的活動ができそうです。

【10】 2004年1月31日 土曜日

 昨日は、1年に1度の「楠西会」があった。教員の同窓会である。私はあまり出ない性質だが、楠西会だけはかなり出ている。まあ、創立期からいた一番の古株で、いろいろな実践の出発点となった学校ですからね。ただ、この学校の初代校長、2代 校長もなくなってしまい、当時の取り組みが忘れ去られ歪められているなあと思いましたが、致し方ないでしょうかね。  参加者を見れば、創立30年で、思い出深い時期の参加者が多い。つまり、私のように初期のもの。次には平成13年の東海洪水で学区が冠水した時期の人たちである。さすが、私の家の辺りがこの冠水のおかげ?で被害を免れたことは話せなかったが、楠西の歴史的な話は伝えておかねば・・・とは感じました。私が書いた『水騒動』の脚本を見てくれれば、わかるのにね。私が大切だと思うことは案外伝わっていないね。まあ、そんなものでしょう。

【9】 2004年1月29日 木曜日

 早々と年度末反省会が行われた。これだけを聞くと「なんと意欲のある学校だな」と思うかもしれないが、私の受け止め方は、全く逆です。職員全体の意見を聞くという姿勢は破棄されました。もう2週間も前に、学年主任(中間管理層として位置付け)だけを集めて、学校評価委員会(年度末反省会)を行い、「本日は全職員の意見を聞く会です」と言っておきながら、もう来年度の方針案が配られているのです。「ちょっとやり方がおかしいんじゃありませんか」と言いたいのですが、本日の会は、報告会の位置付け・あなた方ヒラ教員の意見は聞きませんという姿勢の表れなのです。  先週にPTAの学年委員会から無理難題が吹っかけられているという話があったが、26日に配られた内容をみると、別に大したこともなく、「もっと、はっきり意見を出さんかい」と思うものであった。つまり、聞く耳を持たな い人には、何を言ってもダメなのです。 ですから、本日の反省会では発言をせず、無視した態度で通そうと考えていた。

 でもやっぱりちょっと黙っておれなくて発言してしまいました。(会が終わってみれば、一番しゃべっていたようです)。 @全校読書タイムのこと A総合学習のこと  B児童会選挙廃止のこと C学校予算のこと ・・・・・  本当はもっと言いたいことはいっぱいあったのですが、「言ってもしようがない」と思っていますからね。はっきり言って、すべて説明責任がなされていないのです。教師側の都合だけです。教師のプライドとしても、今頑張らずしてどうするのだという怒りもあります。 公教育崩壊の危機でしょうに! 何を考えて教師をしているのだとね。 まあ、これでは、親は学校に何も期待しない。信用もしないでしょう。 だれが、学校を信頼しますか。

【8】 2004年1月27日 火曜日

 日教組の教研集会で「教え子を再び戦場へ送るな」のスローガンを復活させたとの報道を見た。やっと、目覚めかけたのかな? そうだといいのですけどね。 このスローガンを日教組が降ろしたから、私は、この組合は性根が腐っていると見通し、脱退したのですからね。 荻野末の著作を見るまでもなく、「血に飢えた教師」と化してしまっては、教師と言えるのか。あとから、いくら謝罪しても許されるものではない。誰がなんと言おうと、貫かねばならない精神なのだ。 でも、そんな教師がどんどん教壇を去っていく。 ああ、日本って、どうなっていくのでしょうかねえ。

【7】 2004年1月25日 日曜日

 昨日、教科研の例会に参加するために、自衛隊の守山駐屯地の横を通っていて驚いた。以前にも「基地周辺を迷彩服を着て、行軍訓練をしているよ」とか「毎朝、トラックが5〜6台、(多分、小牧基地へ)走っていくよ」と書いたことがあるけど、後ろに荷台のつけたジープがずらりと50 ̄60台並んでいるではありませんか。その前日までは、駐屯地の中は見えないようになっていたはずです。それが、どうどうと・・・。異様な光景です。もはや、「隠しもしない軍隊ですぞ」と言わんばかりにね。金曜に「守山駐屯地にも戦車がある。ガイドウェイバスから見えるよ」という話を聞いたばかりでしたから、ショックでした。いよいよ今度は戦車がずらりと並んで“イラク派兵に反対する者”を威嚇してくるのでしょうね。 もはや、第2次大戦後、戦争をしていない貴重な国としての尊厳はなくなってしまった。 

【6】 2004年1月21日 水曜日

 このところ、比較的落ち着いて授業を楽しみ、執筆に勤しんでいました。第1週の頃のイライラはあきらめに変わったようです。だって、このような学校運営では「東山の子は浮かばれない」と。それは教師に愛校 心がないからです。 最初は馴染めな くても、その学校の歴史・伝統を見つめなおせば、そのよさもわかろうというも の。そのよさを伸ばしていくのが教育活動であろうに、ぶち壊すことしか考えない。楽をすることしか考 えない。 これじゃあ、小泉の構造改革よりも悪質だ。親が怒り、PTAが怒り、学区が怒るのも当然というものだ。 千葉の加藤くんが「教師であるほうが、まだ元気にやっていかれると思っていこう」とメールを送ってきた。まあ、“わが道を行く”としようか。東山の地域にはいい人もいっぱいいますからね。    

【5】 2004年1月12日 月曜日

 今日は成人式。前任校の成人式に参加してきました。3年前から、6年卒業時の担任も招かれることになったのです。私としては、2回目の参加です。今回は、成人式の後、同窓会をしました。子どもたちも20人ほど顔を出してくれました。(実は、この学年の親とは卒業後も年に2〜3回会を持っているのです)。8年ぶりに会う子もいて、とっても感激しました。とっても明るかったです。みんな素敵に成長していてくれました。しあわせ気分いっぱいです。

【4】 2004年1月10日 土曜日

 『 「どうして教員は、子どもの側に立って考えられないのか」「どうして教員は、子どものやる気を削ぐことをするのか」「どうして管理職は、自己の保身ばかりを考えるのか」・・・、今日の職員会議で、私はぶち切れ状態でした』と8日に書きました。そうしたら、翌9日の「学校だより」には、シャーシャーと「子どもたちが“のびやかに すこやかに”成長するように温かく見守り、支援したいと思います」と書いてある。前日、私が「学校運営の仕方がおかしい」と批判した時には、もう印刷してあったと思われます。なんたる恥さらしかとますます怒りは募るばかりである。全職員が「のびやかに すこやかに」を考えていたら、あのような発言が出るはずがない。教師の身勝手さばかりが目につきますね。どうしたものかな。

【3】 2004年1月8日 木曜日

 「どうして教員は、子どもの側に立って考えられないのか」「どうして教員は、子どものやる気を削ぐことをするのか」「どうして管理職は、自己の保身ばかりを考えるのか」・・・、今日の職員会議で、私はぶち切れ状態でした。「こんな連中と一緒にやってられるか」と思いましたが、あと定年までわずかですからね。 何故かはちょっとここには書くことができません。はっきりとした個人攻撃になってしまいますからね。でも、何かの機会には、はっきりと書きます。教委にも学校の実態を訴えてもよいと考えています。        

【2】 2004年1月6日 火曜日

 明日は始業式なので、本日午後から出勤して準備に入ります。いよいよ始動です。昨日まで、孫が来ていて、おじいちゃんをしていましたので、まだ10日締め切りの原稿がぜんぜんできていません。なのに、歴教協の小出さんからは「10日からの新春の合宿に顔を出してよ」とか、「12日の成人式の後、食事会をするからあけておいてね」と親から依頼があるし・・・。でも、原稿はなかなか書く気がしないのです。ちと、いけませんね。

【1】 2004年 1月2日 金曜日

 さて、今年は平和な年になるのでしょうか。と思っていたら、早速、日本の首相は近隣諸国を刺激すようなことをしました。元旦の初詣にかこつけて、「自衛隊員の諸君、戦地の赴き、戦死したら、靖国の英霊として祀ってあげるからね」とのメッセージととれる行動をとりました。そして、近隣諸国が「A級戦犯を祀っているとして靖国参拝を批判」するのをそらすこともねらっているのでしょう。元旦に靖国参拝を強行したのです。 波乱の幕開けとなりました。もはや、平和憲法なんてウソぱち、戦争への道まっしぐらなのです。 

 そうそう、私の年賀状には、以下のように国連の陰の写真を載せて、

  あけまして おめでとうございます

     本年もよろしくお願い申し上げます              2004年正月

   年末に、ニューヨークに行ってきました。国連本部横の地球儀に国連ビルが映っていました。なんだかもの悲しくさえ見えました。ポリス・軍隊の力で治安を保つ姿は“ペンは剣より強し”とは裏腹なアメリカ的自由を象徴しているように思えました。世界に平和がくるのはいつかな?

  「教え子を再び戦場に送るな」をかみしめて、今年1年間を過ごそうと思います。

                                            渡   辺   靖   敏

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