「知的生活をするための教育日記」2003年

 初稿・1989年4月3日。以来、360号。2002年ホームページ上で復稿、75号かきました。そして、2003年は96号で、目標としていた100号にはとどきませんでした。 あと2年間は続けます。

 本音で書いているため、「そんなこと書いて大丈夫?」と心配してくださる方もいます。でも、「そう考えている人間もいるのですよ」「教育って、懐の広い人間でなくちゃあ勤まらないよ」と言いたいんです。 だって、今の現場はあまりにひどいのですよ。

 NEW ご意見・ご感想は、メールで nabetyan@mwb.biglobe.ne.jp

[96] 2003年12月31日 水曜日

 22日に終業式を終え、23日からニューヨークへ行ってきました。芸術三昧のツアーです。メトロポリタン、グテェンハイム、フリックコレクション、モア美術館の4つと、ブロードウェイで「オペラ座の怪人」「美女と野獣」の2つのミュージカルを観るツアーです。まあ、その間に、ニューヨークの「グランド・ゼロ」や国連、摩天楼、クリスマスのナイトツアーなどの市内観光もありました。 存分に楽しんできました。ただ、テロ危険度2が出されていたこともあり、警戒態勢の異様さを感じました。 「平和」というものは、決して力によって得られるものではないことを実感しました。 でも、日本のアホな政治家たちは、戦争によって、日本の不況を乗り切ろうとしているのでしょう。昭和初期と変わらないレベルの政策しかとれないようです。まあ、それに気づかない日本人もアホだと思いますけどね。 それにしても、この1年間はめちゃくちゃな1年でした。

[95] 2003年12月21日 日曜日

 19日に各種書類もほぼ仕上げて、あとは22日の終業式を迎える段階まで来たが、20・21日と来年度全国大会の準備の会議がありました。ごちゃごちゃといろんな意見が出ていたが、私は、全国大会の準備に参加するのは、なんと3回目なのです。 年をとったものです。 準備のほかに、小・中・高の実践交流会もありました。中学の選択数学でやったそうだが、「一筆がき」は興味深かった。数楽クラブで扱うには少しむつかしそう。説明を受けて「なるほどね」とは思ったが、「証明しろ」と言っても、私にはできません。 でも、きれいなカベかざりができていました。 そうそう内田さんが、わが孫の為に組み木でお雛様を作ってプレゼントしてくれました。

[94] 2003年12月17日 水曜日 

 2ヶ月程前の地域パトロールのとき、「折角、みんなが頑張ってやっているのに、他の学区ばかりが取り上げられている。もっとマスコミに売り込んだほうが、防犯上も効果があるのではないですかね」と、区政の委員長さんにボソッと言ったためなのか知らないが、大々的なキャンペーンが企画された。かなり学校側が突き上げられたらしく、ちょっと管理職から恨みを買う事態となってしまったが、1〜2年生の子が「一日署員」に任命され、パトカー2台・警察官15人に護衛されてのパレードも なかなかのものでしたよ。

 まあ、区政や地域との付き合い方を管理職は研究してもらいたいね。 教員が授業をつかさどるのが仕事。授業に集中できるように考えてもらいたいものです。 いま、授業実践に対して、全く目がいっていないのです。つまり、赤ペンのインキがなくなっても、画用紙がなくなっても、ましてや色画用紙・工作用紙など、さっぱり・・・。 自腹で調達をしなくてはならないのです。 経費が大幅に削減されているのはわかります。でも、授業で使いたいなと思ってもないのです。他の学校の話を聞いても、そんなところは一つもありません。 校内を見渡すと、ガスストーブの新品が15台も積んである。 お金の使い方が可笑しいのではないですかね。 なにしろ、信じられないことばかりが起きている。

[93] 2003年12月16日 火曜日

 インターネットがおかしくなちゃったよ。どうしようかな。

[92] 2003年12月13日 土曜日

 なんとかかんとか通知表の所見欄も書き上げたので、大口町の町民劇団の「秀じいと山の子たち」と いうミュージカルを見に出かけた。実は友人の天野くんが秀じい役で出演するので「是非、身に来てほしい」と言われていたのです。天野くんは、私と同期の小学校教師で、今、演劇に夢中なのです。

 この劇は、もう20年も前になるでしょうか、自主制作映画「ふるさと」(加藤嘉とか竹下景子が出ていたっけ) と同じ徳山ダムが舞台のようでした。 なんだか、秀じいがとっても身近な存在にみえ、考えさせられてしまいました。天野くんも熱演でした。 見に行ってよかったです。 近頃、笠木透の「私の子どもたち」をよく口ずさんでいますが、なんだか、共通するものを感じました。

[91] 2003年12月6日 土曜日

 ヒラ教員にとっては、超多忙な日々が続く。 評価は授業につきものだとは言え、通知表となると、評価の意味合いも違ってくる。近頃の名古屋市の通知表は、観点項目も、要録と同じで、関心意欲・思考・技能・知識理解と並んでいるだけ。全く味気ないものだ。(信じられない話ですが、名古屋市では、通知表な学校独自のものと言いつつも、教委の作成した通知表を全校に押し付けている)。 さらに、B5判をA4判に拡大したから、記入欄だけ大きくなった感じである。 1.5cm×16.5cmのますに、私は3行、総合的な学習の時間と所見で3行ずつ6行分書いているのですが、結構手間がかかります(さらに3学期には、特活欄2行分も増える)。 まあ、計画的にやることにして、今やっと総合欄の記入を終えた。所見欄は来週の個人懇談会で済んだ子から順次記入していく予定でいるが、計画どおりにいくかな?

[90] 2003年11月30日 日曜日

 とうとう起こってしまいました。「イラクで、日本人外交官2名射殺」。「予告は単なる脅しではないぞ」と言うことを内外に示すねらいがあるのでしょう。どうするのでしょうかね。でも、この機に至っても、相変わらず小泉は「アメリカとの友好→国際貢献」なのです。国際貢献が前にくることはありません。アメリカ追随と言われても仕方ありません。そして、アメリカ追随が、日本人の安全を脅かしていることに気づいていません。国民の安全を守れないような首相では困ります。 さあ、何人犠牲にしたら気がすむのでしょうかね。 

[89] 2003年11月29日 土曜日

 先週に終わった学習発表会の親のアンケートが回覧されてきた。印象に残ったのは、「今回のような学習発表会なら、授業参観でもできるのではないか」「学芸会をやるべきである」という意見が少なからずあったことだ。 全くそのとおり。 学校行事になっていないのです。 教師の側の手抜きにほかならないのです。そして、最大の問題点は「学び合い」が欠落していたことです。他学年との交流がなく、子どもたちの「〇〇年生になると、あんなことをするんだ。よ〜しがんばろう」という気持ち。「あんなことができるのだ」という技術の学びあいができなかったことです。 ですから、学校行事に値しないのです。 若い教師にしたって、自分の学年のみで広く教師としての力量を学ぶ場が「他学年との交流」がないために持てなかったのです。 管理職の大きな怠慢です。 そういう点、親はよく見抜いていると思いましたね。  しかし、教師の側は、残念ながら、そう感じていない。相変わらずの教育学の存在しない体質です。

[88] 2003年11月24日 月曜日

 「家永さんを偲ぶ愛知の会」がありました。 家永三郎さんが亡くなって早1年(2002.11.29)。「教科書裁判・終結のつどい」(1998.8)からも5年。 そこで、偲ぶ会が計画された。講演として、安川寿之輔さんが「家 永三郎と丸山真男」、鈴木正さんが「思想史家としての家永三郎」と題して話してくれた。時間は短かったが、話の内容は濃かった。  ところで、私は、個人的に家永三郎さんと話したことはない。遠くで拝聴する程度のことであった。また、家永さんの著書もそれほど読んでいるわけではない。ただ、裁判支援の会の県連委員として20年ほど活動しただけであるが、この20年ほどが、私の教師人生を形成する決定的要因となっているのです。私を育ててくれたのは、教科書裁判支援に関わる市民活動家のお母ちゃんたちなのです(今じゃ、おばあちゃんですけど)。もう亡くなられた大沢一子さん・神保登代さん、今回も出席されていた斉藤といさん・山田ことぢさん・瀬戸暢 子さん・堀川道子さん、そうそう山科まみさんの義母・田淵あいさん、・・・それはそれは、すごい方々ばかりです。正直、教師2〜3年目で、そんなに勉強してもいないのに講演にいくのですから、しんどい話です。当然、必死に勉強しました。教科書の内容分析だけではなく、「労旬新書」の本は片っ端から読みました。教育法のこと、組合活動のこと・・・。 まあ、そんな未熟者の私を支えてくれたのは、このお母さんパワーだったのです。 

 家永三郎=教科書裁判支援は、私の人生を大きく変えたのです。その中で、どれほど多くの人たちと知り合いになれたことでしょうか。教師の世界にこもらず、少し足元を広げることができたのです(教育の世界からは踏み出せていませんが)。幸せなことです。

[87] 2003年11月23日 日曜日

 昨日は、久しぶりに愛知教科研の例会に出かけた。報告が「教育評価についての教師の権限」についてであったからだ。本当に現場と言うものは、主体性がない。昨年度、あれだけ評価基準についてガタガタ言っていたのに、もう冷めてしまったのかさっぱりだ。今や「形式的な押し付けは止めろ」と言っていた私だけが『評価基準表』を自主的に作っているだけではないか。 本当に、何のために取り組むのかを考える習性をなくした教師ってロボットです。 かつて金沢嘉市が好んで使った《人間教師》なんて、いなくなってしまいました。

[86] 2003年11月20日 木曜日

 「学芸会」を止めて、学習発表会になった。この変更に強固に反対していたが、今年度、反対する場を奪われた結果である。では、学芸会に変わるだけの意義ある取り組みがなされ、子どもたちに還元されたであろうか。私には疑問が残っている。そんな気持ちでの取り組みであった(学芸会がやりたかったのだ)。 まあ、学習発表会には、いろいろ考えて取り組みましたよ。 『東山自然図鑑づくり』という学年テーマを忠実に遂行したのです。個人テーマを『絵本』にまとめ、それを基にグループを決め、ポスターセッションを行う。他のクラスはやらなかったが、『絵本』はなかなかのものができあがった。実は、ここまでにエネルギーを使い果たし、あとは、おまけみたな取り組みでした。 でも、第2部のイベントは大賑わい。子どもたちの企画は大成功でした。

[85] 2003年11月17日 月曜日

 やはり、アルカイダから、標的国として日本は名指しをされたらしい。「自衛隊をイラクに送り込むなら、東京の中心部に攻撃をかける」とね。いよいよ日本も戦争に巻き込まれるか。政治家は、国民の安全を守る義務があるのではないのか。国民を危険にさらすような施策をとってはいけないのではないのか。ところが、今の政府は、どんどん危険な状態にしている。さっぱりわかっていないのだ。どうしたら、国民を安全にできるのか。 憲法の精神なのです。 しかし、この憲法を変えようとする連中に国民は投票をする。何を考えているのでしょうかね。生活の向上は平和であってこそ成り立つものですよ。それが分からぬ馬鹿な国民よ! どうするかね。

[84] 2003年11月16日 日曜日

 「平和」のありがたさから、日本人は逃れようとするのか。何故、危険な方へ行くのか。イラクでは次々とテロが起き、まさにベトナム戦争と同じ様相を呈してきた。 オサマビンラディンの予告どおり、標的国に指名された国で、攻撃をうけていない国は日本とオーストラリアだけとなった。そこへ自衛隊派遣を強行しようというのですからね。きっとそこには、自衛隊が軍隊として世界に認知させたい。そのためにも、戦闘下で死者が出ることを願っているのでしょう。 恐ろしい政策です。  それにしても、教師は『教え子を戦場に送るな』をいう信念をなくし、傍観するだけ。 日本の教師は、再び血に飢えた教師と化している。軍国の仮面をかぶった教師とは付き合いたくないね。

[83] 2003年11月12日 水曜日

 京都府が来年度から、FA制度を導入すると言う。FAなんていうと聞こえはよいが、なんのことはない、校長の人事権を拡大することによって、ヒラメ教師・ほうれんそう教師を増やし、教員管理を強めようと言うだけのことである。 まさか京教組がそんな策略に気づかないわけはないと思うが、これを拡大していけば、教育の世界は30〜40年逆戻りすることになろう。東京の主幹制度といい、構造改革とは何の事はない、30〜40年さかのぼって、教育政策をやり直そうと言うだけのことである。

 また、「2007年までに、障害児学級を無くし、すべての障害児を通常学級に在籍させ、どうしようもない一部の時間だけ特別支援教室に突っ込む」という計画が密かに進められているそうだ。 驚くべき施策である。まさに「知能の高い子だけに教育を施せばよい」という江崎玲於奈路線なのだ。 いよいよ日本も行き着くべきところに一直線ですね。 どうしてそんなことが、見通せないのでしょうかね。

[82] 2003年11月9日 日曜日

 選挙に行って来ました。でも、なんだか空しい気持ちです。事前の世論調査によれば、争点は、景気・年金なんだそうです。イラク・戦争・平和の問題は、票にはならないらしい。 本当に、日本人って、おかしいのじゃないですか。国会議員の7割は、憲法改正賛成論者なんだそうです。 どうして、そんなに戦争がしたいのでしょうかね。 テレビゲームの世界じゃないのにねえ。空想と現実の世界の区別もつかない大人。馬鹿としかいいようがありません。 人間の良心が大切にされる世の中でありたいね。

 ところで、投票所。相変わらず、秘密が守られているかわかりませんね。 だって、投票をしているところは、立会人から丸見えですよ。国民審査だって、長く向かっている人は、×をつけていることぐらいすぐわかるようになっているのですからね。 これでは、日本には民主主義は永遠に根付きません。 公教育の場でも、根付かせようという取り組みはなされていない。しなくなっているのです。 

[81] 2003年11月8日 土曜日

 例年の「学芸会」が廃止になって、「学習発表会」となったが、私には何をやろうとしているのか、さっぱりわからない。「こういうのを時間の無駄、授業をないがしろにしている」と言うのだろうと思っている。私のわずかな抵抗については別な機会に触れるとしても、日本の教育は崩壊してしまいました。私の孫は、こんな学校にはいれたくありません。 教師も骨がありません。(先日の大阪の大学生と高校生が両親殺傷事件で逮捕された女子高校生の両親は、またまた教師でしたよね)。世の中、おかしくなっているのです。 実際、子どもと直接接している教師にとって、子どもたちのできなさ加減は深刻なものなのです。もは や、そんなこと(学力のこと)を気にするようでは教師は勤まらない状況です。役人や担任を持たない教師の言うことなんて、現実ばなれしているのです。 つまり、公教育は保育所化してしまったのです。教育の民営化とは、国民の教育権を保障するという憲法・教育基本法を骨抜きにすることに他なりません。   明日の選挙で、またまた日本人は戦争の道を選択することになるのでしょうか。

[80] 2003年11月3日 月曜日

 近頃、月に1度は、二男夫婦が孫を連れてくる。もう6ヶ月。つかまり立ちもできるほどにしっかりしてきた。そして、じっと見つめてはニコッと笑う愛嬌のよさ。すっかり爺さまになってしまうのです。泣く声が聞こえようものなら仕事をしていても気になってしようがない。我が子の時には、考えられない光景で、わが妻から嫌味を言われっぱなしなのです。 でも、妻もでれでれなんですよ。 まあ、よくあるパターンです。  新聞に、新1年生用の机の広告に「おじいちゃん、新しい机が出ましたよ」というのを見て、つい二ヤリとしてしまいました。

[79] 2003年11月2日 日曜日

 学校支援ボランティアなる取り組みが、各校でも進んでいる。私の勤務校でもPTA活動とも連携して、「PTAコーラス」が授業時間と関わって行われた。読み聞かせにしても合唱にしてもとてもよいことであると思っているのだが、やり方が納得できない。つまり、担任は何も介さない。[73]でも指摘したが、やっぱり「児童集会の時間を4分間ください」のように急に言うのです。 児童集会にしても子どもたちが準備をしているのです。 折角の取り組みも台無しである。 コーラスをする親も、見つめる教師もしっくりしないでいて、どうしてボランティアといえるのでしょうか。 これでは、学校と家庭・地域の連携なんてできやしません。 何を考えているのでしょうかね。

[78] 2003年11月1日 土曜日

 いたずらっ子が多いクラスで、自由に楽しい雰囲気で過ごしたいという私の学級経営は、時として、 いたずらっ子を増長させてしまうことがある。思ったことをずばずば言うものだから、相手を傷つけるようなことも言う。 でも言った本人は気づいていない。悪循環が続くと、「いじめじゃないか」となる。そして、親が「あの子が悪い」と言いかけると収拾がつかなくなる。この2〜3日久しぶりにそんな状態だった。双方の親に言い分はありますからね。 一先ずは、区切りを付けたが、他にも火種はいっぱいある。 もう今から来年度の学級編成をどうしようか頭が痛いね。

[77] 2003年10月23日 木曜日

 本日で、低・中・高学年部会の授業がすんだ。 16日・20日・23日とたて続きに行われた。テーマは「聞くこと・話すこと」であったが、国語科にこだわって考えてみたいと思った。 しかし、国語の教科書から題材をとってはいるが、国語科にこだわっているかと問えば、「????」となる。 また、各年での達成目標を明確にしたいという雰囲気が強くあるが、であるならば、16日・20日・23日と授業を過密にやるべきではないのである。  いずれにしても、私も係ではあったが、それほど熱心に取り組んできたわけではないので、期待すること事態無理ですが、授業研究のとらえ方・授業分析の仕方を従来と変えようと考えたが、大して変わらなかった。 城北のときのように、強力に支援してくれる人がいないと、なかなかむずかしい。 まあ、これでお役御免ではなく、研修のあり方について問い掛けていくことをしていきたいと思うのだが・・・・。 

[76] 2003年10月19日 日曜日

 志談塾の例会に出て、考古学の話でも聞こうかなと考えていたが、岐阜県博物館の「きのこ・薬草展」に出かけた。11月の学習発表会のイメージがもうひとつはっきりしないでいるので、何かヒントになることでもないのかな?という思惑があったのです。 場所は百年公園。 そうです。かつて楠西小時代に全校遠足を企画したときに選んだ場所です。 企画した私はこっそり下見に行く。尻込みする教務もこっそり下見に行く。そうした中で全校遠足を成功させた思い出の場所です。もう25年ほども前のことです。その当時、博物館なんてありませんでした。ずいぶん変わっていましたが、緑いっぱいの広大な公園であることには変わりはありませんでした。 さて特別展の「きのこ・薬草展」にもアイデアいっぱいの展示がありましたが、やはり常設展示のやり方かなあと思いましたが、子どもたちはどう考えてくれるでしょうかね。

[75] 2003年10月13日 月曜日

 今日は「体育の日」。体育の日は快晴と決まっていたのに、朝から荒れ模様。つまり、10月10日ならば、天気もよかったのに、くだらぬ祝日改正をするから、おかしくなるのです。指導要領にしても、改定2年目にして、早くもいじらなくてはならない。全く見通しのない改革が続いている。 まあ改革でなく、改悪ばかり。アンチのアンチでは、結局戦前に戻ってしまうことぐらい、常識人ならば、気づこうというものだが、 今の日本人は気づかない。1925年と同じ事になったときでは遅すぎるのです。

 まあ私は、この3連休中、来年の全国大会準備のために、東京へ行かねばならないのを、孫の子守りを理由に欠席しましたから、あまり大きなことは言えないけれど、孫の世代が平和な世の中であってほしいと思いますからね。

[74] 2003年10月10日 金曜日

 学年の合同体育の時間に、“全員リレー”をやっている。(合同体育なんてない方がよいのだが、学級数が多く、単独で運動場は使えないのだ。子どもたちの運動量は下がる)。 1学期にもやったが、1学期にはわがクラスは一度も勝てなかった。 クラスの子までに「先生、年なのに、どうしてそんなに燃えるの?」と言われながらも、ハッパをかけ続けた結果、ついに先週から1位にのし上がった。 だんとつの1位となった。今週は、他クラスからリベンジと挑戦を受ける立場になったが、今週もだんとつの1位で逃げ切った。 実力がついたものである。 走り方やバトンパスの仕方についてはいろいろ指導・助言をしたが、まあ、放課中(業間) 運動場を駆け回っている子が増えた成果ではないかと思う。 子どもたちも俄然やる気になり、上学年に全員リレーの挑戦を申し込んでいる。 さてさて、どうなるかな?????

 今後も、走って(全員リレー)、跳んで(大縄跳び・8の字)、投げて(ドッジボール) と、いろんな対戦がなされることでしょう。 楽しみでもあるけど、燃えすぎないようにしよう!

[73] 2003年10月7日 火曜日

 PTA『お話の会』のボランティアで、子どもたちに読み聞かせをしていただけた。読書好きな子どもたちを増やすにはいい機会であると期待していたことではある。 なにしろ、校内で“読書活動に力を入れよう”との提案も、あっさり否決してしまうような職場である。 親たちが様々な機会をとらえて働きかけをしない限り、読書の大切さに目を振り向けられない職場である。 だから、今回の企画は貴重なものであるのだが、実は担任は一切知らないところで進められた。担任には「1時間を放出せよ」という按配である。授業時間をとられたという感覚しかのこらないおかしな話だったのです。 昨年度まで、東山タイムという授業時間外に行われていた活動とは位置付けが違うことが、認識されていないのです。そのためか、子どもたちを連れて行くと「聞きたくない子は、他の本を読んでいてもいいですよ」という指示があったそうだ。親たちにそう言わせたのだそうだ。 後で、その話を聞いて、びっくりした。 子どもたちに、本の世界・本のすばらしさを味わわせてやろうという観点が、管理職には皆無なのです。 『お話の会』の人たちの実力はかなり高い。それを生かさない手はないじゃないですか。 近頃の子どもたちが本を読まなくなっているのは、本を読まなくなった教師に原因があるのです。

[72] 2003年10月4日 土曜日

 早くも年度の後半に入った。 職場は、相変わらず魅力のない状態であるが、先日、志段塾の野田さんからTELがあったとき、尾張藩林業奉行の税徴収法の根拠について話が弾んだ(円の面積=円周×円周÷12.5)。学生時代の古文書で悪戦していたころが思い出された。 でも、近頃の子たちは、ゲームばかりで、授業中さまざまな話をするのだが、全く興味関心を示さない。「ムダ話」とさえ言う。 教科書のことだけやって満足していたら、どうなってしまうのか。ちょっとは考えてほしいものだ。 

[71] 2003年9月29日 月曜日

 27・28日の2日間は、研究会に出かける予定であったが、じっと家にこもっていた。そうしたら、江口圭一さんが亡くなられたとの知らせが入った。まだ、71歳である。 江口さんとはそれほどお付き合いがあるわけではないが、教科書訴訟支援の代表委員をやっておられた関係から、講演などは何度も拝聴いたことがある。 ちょぴり半身の姿勢で、ちょっぴりきざっぽく・・・。 京大卒のおぼちゃまでしたからね。 いやいや江口さんの魅力は、近現代史の第一人者であること、その語りの切れ味鋭いことでしょう。  今の勤務校の学区内に住んでおられたので、一度は現職教育で呼びたいと思っていたが、かなわぬこととなった。 

【70】 2003年9月23日 火曜日

 久しぶりにドライブに出かけた。訪問先は京都の美山町です。名古屋から飛ばしても3時間半くらいかかりますが、美山町のように日本の昔が残っている所でほっとしたいのです。美山町=かやぶきの里です。考えてみれば、そうした家に今も住んでいるのですから、住人からすれば、迷惑なことのように感じますが、のんびり散策を楽しみました。 若い頃は街の中に住みたいと思うものですが、年をとると、郷愁のなせるところなのかひかれるのです。 

 しかし、世の動きはのんびりしたものではありませんね。今度の組閣をみるとタカ派と称される人物ばかり。でも、お目出度い日本人は気づかない。 戦争を起こしたあのアメリカやイギリスの国内世論は厳しいのに、日本では、相変わらず加担した責任を追及する世論が起きない。やはり、日本人は民主主義や人権意識が希薄だからでしょうね。教育の責任かな? まあ、教師の世界ではいじめの横行が容認されていますから、無理ないですね。

[69] 2003年9月18日 木曜日

 現職教育として、「伝達講習」がありました。これで、伝達・伝え合うと言えるのかとあきれてしまう内容でした。どこまで、教師の世界は腐敗堕落してしまったのだろうかと、感じていたのは私だけかもしれません。だって、管理職はこの研修を称して「わずか26分で終わった」と絶賛しました(1科2分の報告でした)。ヒラ教員がついこぼすなら分かりますよ。とても管理職が全職員の前で言う話ではありません。こんな研修でよいのでしょうか。本当に学校現場から 「知」の雰囲気は消え去ってしまいました。私の勤務校ではそうです。そういう学校運営方針なのです。 まあ、それを許している私を含めた教師もだらしないのは明らかですけどね。

[68] 2003年9月13日 土曜日

 連日教室の温度計は朝から34℃を指しています(窓側ならば、36℃は下らないでしょう)。この中で授業を進めようとするのも酷な話ですが、毎朝“授業をきちんと進めているか”をチェックしているのでしょうか廊下を管理職が必ず歩いていきます。教委からの指令かもしれません。 廊下ではなく、教室内で1時間共に学び合えばもっと大変さが理解できるというものです(教室内に1時間も居られちゃあ迷惑ですが)。 まあ25℃に設定した職員室の中にいるだけでは、子どものことも教師ことも理解できないでしょう。特に、名古屋市は授業から離れること・子どもから離れることが出世と考えられているから始末が悪い。名古屋市以外では、教頭が授業を持つのは当たり前なのですから、問題行動のある子に対しても、レッテルはりばかりしないのです。レッテルはりを指導と勘違いしていては情けないという他ありません。

[67] 2003年9月5日 金曜日

 昨日、校内研修(授業研究)について、初めて提案しました。係にはなっていたのですが、その機会はゼロでした。 提案したことは、前任校での研究指定校のおり、取り組んできたことの一端です。事後検討会の形式(円卓協議会方式)と指導案の書き方(研究主題とのかかわり・授業の視点)です。 何故そうすべきかという議論もなく一応通りました。そりゃあ、松原市長が教育長の時に発表したことばかりですから、当然のことですが、その後の名古屋市の研修体制に影響を及ぼしているわけではありません。 市の研修体制は、旧態のまま今日まできているのです。教育内容や方法も含めて、なにも改革されてきていないのです。まあ、官制研究会の側に改革するだけの理論家が存在しないからでしょう。 本当に、現場に根付いた理論家・実践家が見当たらなくなってしまいました。 状況は深刻です。

[66] 2003年9月3日 水曜日

 「なんだこの暑さは!」とうなりたくるような猛暑。子どもたちに「集中しろよ」というのも酷な話。でも、授業はあります。 2学期を過ごすための学級体制も整ってはきましたが、職場の雰囲気は、どんどん子どもたちに視点を置かない部分での改革話ばかり。教師にゆとりがなくて、子どもの側に立った教育ができるのでしょうかね。 教師を信頼できない、しようとしない気持ちも分からぬではないけれど、締め付けとえこひいきでは、よい結果は期待できないことくらい子どもに真面目に接しようとしてきた教師ならばわかると思うのですが、現実はちがいます。 これでは、日本の教育に未来はありません。 さみしいことです。

[65] 2003年8月30日 土曜日

 車に乗ろうとドアを開けたら、あちこち物色した跡がありました。現金などは一切置いてないので、 何の被害もなかったとは思いますが、家の敷地内に駐車してあるのですから、夜中に、他人の車を触っていくのでしょうね。車のカギが壊されてもいませんから、私がロックし忘れたのでしょうか。それを偶然見つけて、物色。 それにしても、いつも他人の家に侵入している輩がいるとは物騒な世の中ですね。 もう少し、安全対策を立てないといけません。 本当に乱れた世の中になってきたものです。

[64] 2003年8月28日 木曜日

 この日も自主研修です。三重県の支部教研に助言者として参加して来ました。スーツを着て、私にしてはカッコをつけて出かけました。まあ助言者というタイプではありませんから、依頼に反して、途中でもどんどんしゃべりました。その方が討議も盛り上がってよいと思いますしね。シーンとしていては、教研じゃないと思いますからね。 10時20分から4時30分(本当は5時)は長かったよ。首にネクタイがあると、生きた心地がしないのです。 でも、楽しく研修できました。

[63] 2003年8月26日  火曜日

 午前中、区役所主催の自然探索会に出ることに昨日交渉が成立していました。小雨決行となっていましたが、とても小雨とは言えない状態でしたがありました。 ところが、出発をすると、ますますひどく、土砂降りと言っても可笑しくない降り方。もうびしょぬれです。尾根へ通ずる坂道は、土石流のように石ころを押し流してきます。谷へ落ちる水を追って崖を下ります。「傘を閉じて」「さあ気を付けて」という具合、冒険です。木々や草、虫のことも調べましたが、探検です。子どもたちは生き生き。私のクラスの子も参加していましたが、すっかり見直してしまいました。 自然のとらえ方が全く違いました。 理科の授業だけでなく、総合の学習も今一度考え直してみようと思いました。 24日の野鳥の会の人の話。26日の自然観察会の人との出会い。 夏休みらしい研修ができました。すべて自主研修です。 学校の援助はありません。

[62] 2003年8月24日  日曜日

 22日・23日と地区協の研究会、24日は愛知民教連の集会に出かけて、学習してきました。あと1週間 で学校も始まりますし、もうボケボケしているわけにはいきません。28日は桑名の教研に出かけますが、あとは毎日出勤です。今年の夏休みは終わりました。 

[61] 2003年8月17日 日曜日

 先週のお盆休みの時は、11日から15日まで息子夫婦が来ました。 もちろん孫の梨桜ちゃんもです。生まれて4ヶ月です。ちょっと見ないうちに首もしっかりして、表情も出てきました。すごい成長です。じっと見ていても飽きることはありません。こんな表情豊かな子どもたちが、学校へ入る頃になると、どうして・・・。 ルソーの“子どもは、社会の子である”の言は、さっぱり守られていない。 一人の教師として、どう教育活動をしていくのか。 あの荻野末の語った「血に飢えた狼のごとき教師」にならぬためにも、ぼけぼけしておられませんね。 

[60] 2003年8月14日 木曜日

 もう夏休みも半分を過ぎている。後半は、結構出校する予定なので、ゆっくり家に居られるのはもう数日しかない。まだ、科学館や博物館など行きたい所が数多くあるのですが、時間がとてもなさそうだ。本当に、かつては、ふらりと訪問して研修を深めることが出来たが、今は 何でもかんでも計画をし、「許可を得なさい」と言う。 つまり、決められた研修でしかなく、人との触れ合いを求めることができなくなった。 「心の教育」を叫びながら、それをさせない政策の意味するところは明らかです。 

[59] 2003年8月11日 月曜日

 ロシア旅行の感想は『授業づくり通信』に書きました(9月号に載せます)。さて、札幌の方は、8日の出発便が台風のため欠航となり、朝から大騒動。でも違う便に乗ることが出来、なんとか大会に参加できました。9日は、 渡辺恵津子さんの話を聞きました。夏休みになり、名古屋・富山で2度ほど聞くチャンスはあったのですが、やっと北海道で実現したというわけです。 10日は分科会で、メインレポーターの役を仰せつかっていたので疲れました。まあ大阪の亀谷さんに助けられた形でなんとか終わりました。11日は香川の石原さんの元気のいい話を聞きました。 近頃、職場でも元気さを失っているので、2学期からはビシバシやらないといけないなあと思いましたね。 ただ、今年の大会は会場が大学のため、夜、交流する場がなくて、物足りませんでした。それに、速報がなかったからね。

[58] 2003年7月28日 月曜日

 本日から旅行に出ます。5日の夕方には帰って来る予定です。また、8日から11日までは札幌です。今年は夏休でも、家で一日中居ることはお盆の頃だけです。そのお盆の頃は、孫のお守りかな?

[57] 2003年7月27日 日曜日

 22日から25日まで、しっかりと出勤しました。おかげで?たくさんの仕事ができましたが、読書三昧で過ごすとか、真に研修するとか、いうには、環境が整っていません。少なくとも、私の家の方ができる環境になっていると思います。 まあ、自腹を切ることも少なくなって、わが家の電気代も助かるとでもしておきましょうか。  

 また、三重の方から、講師要請があり、「なぜ、研修免にならないのか?」と問われました。そうなのです。相変わらず、愛知は、教育委員会を通ってない依頼は認めようとしないのです。 今でも思い出します。私が、NHKに出演することになった時、教頭が「どうして、渡辺さんがNHKですか」というのです。そんな石頭ばかりの管理職ですから、学校改革なんてできるはずないですよ。

[56] 2003年7月23日 水曜日

 昨日、今日と出勤しました。今年度から、8時15分までに出校し、5時まで勤務し、研修に励めというのだ。「世間の目」が厳しいからだそうだ。 教師って、そんなにやましいことをしているのですかね。 まあ、教委に出向く輩は、何がしかのやましさを持っていないと、出世できないのが教員の世界ですからね。でも、いくら自分がそうであったからと言って、それを押し付けないでほしいものだ。 (おかげで、教室に7時間ほどこもっていましたから、ずいぶん能率があがりましたが、2日間とも涼しかったからできたまでのことです)

 家に帰ったら、教科書裁判支援の同士である荻野さんから手紙が届いていた。封を切って驚きました。シャンソンリサイタルを開くから来てくれというのだ。昨年退職されたのは知っていたが、そんな才能をお持ちだったなんて・・・。 でも、うらやましい限りだ。 退職後も打ち込めることがあるなんてね。今の私には何もない。 弟子入りしたくてもシャンソンなんて無理ですしね。 

[55] 2003年7月21日 月曜日

 3連休の3日目ですが、夏休みの始まりでもあります。土曜日はサークルで、全国大会の準備をした。比の指導のネタとして、スライムを提起するための予備実験。 実は、私は初めて作るのです。子どもたちにどうして人気があるのか、よくわかっていないのですが、感触かな?  ただ、比の導入としては、面白いけど、いまいちかななんて思っていました。 そして、昨日は、メインレポートづくり。5時間半もあるのですからね。 量だけは結構なものになりましたが、実践記録が不満。でも、遅くともあと2〜3日中には印刷しないと間に合いません。 今日も一日頑張るとするか。

[54] 2003年7月18日 金曜日

 やっと1学期が済みました。 正直、久しぶりに学習意欲のない子たちに出会った感じで、「いらい らのしどおしであった」と言ったら語弊があるであろうか。 だってねえ・・・。 

 ところが、ナビゲーターかな? 7:30のNHKで絵本の威力みたいなことをしていた。 読書の大切さです。読書好きな子は、相手の立場に立って考えられるようになることを強調していた。 その通りだと思う。 ただ、わが教室の様子を見ていると、学級の雰囲気を壊すような行為をとる子の方が、よく読書をしている傾向がある。 これはどうしたものであろうか。 どう解釈したものであろうか。 妻との結論は「きっと、大きくなると、大変革するんだよ」「静かに見守っていくべきだろう」「ガマン、ガマン」と言うことになった。 やはり、この1学期、焦りすぎだったかな?

[53] 2003年7月17日 木曜日

 学区の近くの城山神社の祭礼が15・16・17日にあった。毎年、教頭と分担してパトロールに出ているが、今年は、校長・教務・副生活指導主任も出ることになった(そういう割り振りがあった)。 そのように人員が多くなったのは結構だが、細かな打ち合わせは何もなく、私は例年どおり5時半ころから8時までいた。まあ、いろいろな子とも会えるしね。一番の楽しみは卒業生との再会でしょうか。ただし、記憶力の悪い私は、子どもの顔は分かっても名前が思い出せないことがよくある。ちょっと失礼だが、許してもらっている。だって、高校生くらいになった女の子が変身していますからね。〇〇ちゃんにも、△△ちゃんにも会えたし、まあいっか。

 ところが、15日の青少年育成協以来、地域と学校側がえらく対立しているらしい。そんなこととは知らない私は学級懇談会の席で、地域・家庭・学校の連携がない。信頼関係にない。そんなことでは、健全育成はできやしないとぶち上げていた。 締め上げられた校長・教頭からは、私がクッションになれと言わんばかりであるが、私は私の道を行くだけです。 学習環境が整えば、何も私は発言しません。「学校は非協力的だ」と言われているようだが、私にはそれほど協力的だとも思えませんからね。なにしろ、「楽になることだ、楽になることだ、とばかり提案をするな」と校長に食って掛かったのは私なのです。必死になっているときほど、活力ってみなぎりますからね。

[52] 2003年7月12日 土曜日

 1学期の通知表作成という大仕事が一段落した。11日が、その提出日だったのです。多くの学校は連休明けの14日提出でしょうから、慌てさせられたのです。 ところが、あわてさせておいて、11日に点検作業がなされるはずが、勝手に延期しているのです。ちょっと可笑しいじゃありませんかね。 まあ、正直なところ、身勝手な学校運営です。  

 ところで、わがクラスも親から苦情がきました。「いじめられている。何とかせい!」というわけです。学級通信で、学級の状態を知らせて、「考えていかないとだめですよ」と訴え、日記にもどんどん書いていくように指示して、チェックをしているのにね。 やっぱり伝わっていないのですね。 管理職は、親から1本電話がはいったものだから、もうパニックみたいに、「親にあやまれ!」とでも言いたげ。 そういう解決でいじめはなくなりはしませ ん。子どもたち自身の変革をどう促していくかが大切でしょう。  時あたかも、長崎の幼児殺傷事件に対して、「加害者の親も、市中引き回しの上、打ち首にしろ」とのたまう大臣のいる国です(学校、担任も同罪だとも言ったそうな)。 いたずらっ子のいる学級担任なんてやっていられません。私たちに、学級の子どもを選ぶ権利はありません。 まあ、こうした論が蔓延るようでは、日本中恐怖政治・管理が横行することになるのでしょう。  

[51] 2003年7月9日 火曜日

 昨日、いきなり学校支援ボランティアとして、「お話の会」にやってもらいますから、受けたい日にちを出してくださいという用紙が回覧されてきた。 3年生の担任は寝耳に水、「どういうこと?」とぶつぶつ。誰もが、「1時間をボランティアのために放出せよ」という命令のように受け止めた。 ここでも、管理職の教育的見地が疑われるのだ。「バカか」としか言いようがない。 つまり、交通訓練でのボランティアとは意味が違うでしょうに。 国語教育の中の読書指導として、各担任が1年間を見通して取り組んでいるわけだから、「お話の会」にお出まし願うにしても、担任の指導のねらいとの打ち合わせ・話し合いがあってしかるべきことなのです。 まあ、この程度しか、授業のことを考えていないのです。ましてや、東山小の教師は、全校で読書運動を進めようという提案を昨年度末に否決しているのです。読書教育のことなんて考えていないのですから、1時間放出するのも「楽でいい」ということかもしれませんね。  もともと、「お話の会」の活動に関心を持っている私としては、こんなボランティア支援の形では、「お話の会」の方々自身が、不本意な形でしか進まないように思いますね。 本好きな人の発想ではない。こんなことで、本好きな子は増えない。

[50]  2003年7月6日 日曜日

 この1週間は、毎年の事とはいえ、忙しかったです。 しかし、「評価」の問題はどれだけ現場での改革が進んでいるのであろうか。私の見る限りにおいては、変わっていない。変わったのは、パソコンで一覧表を作る人が増えたくらいのことでしょう。 データに関わるテストなどのでやり方、考え方は何も変わっていないのです。 評価規準だけを決め、何の疑問ももたず、達成度の配分を設定していたりするのですから、もうお話になりません。 簡単に言えば、教師の不勉強なのです。不勉強ばかりの教師集団のときどうなるか。不正義がそのまま、あたかも正義のように通るのです。 それにしても、いつの間に、人間をモノとして扱う教師が増えたのでしょうか。 やはり、パソコンの影響ではないでしょうか。

 最近、各地で食料だけでなく仏像まで盗まれる事件が続いています。盗んだものはインターネット上のオークションにかけ、さばかれるのだそうです。 パソコン社会の安易さを諌める教育をすべきでしょうが、パソコンに毒された教師ばかりで困ります。せめて『コンピュータに育てられた子どもたち』というアメリカでの5年間の報告書くらい読んでほしいものですね。 

[49] 2003年6月29日 日曜日

 あれだけ騒ぎ立てていた「評価規準」は、どうなってしまったのであろうか。「規準」(ノリジュン)が「基準」 (モトジュン)らしく扱われるようになったと捉えておいていいのかな?と考えると、現実は、前年度作成したものを引き継いで終わりなのです。まあ、忙しい最前線の教師には、ごちゃごちゃ蒸し返さないで、「前年度のものがあるから、今年度新たに作成する必要はないね」ハイ!シャンシャンと手を打ったほうがよいのでしょうが、新たな教育実践を進めようとするものにとっては、足かせになりかねないのです。つまり、学校や学年状況によっては、評価規準の枠内での授業づくりしかできないことに陥るからです。

 本来は、学年集団で、教材研究をし、新たな評価基準を創り出して、実践を進めるのが本筋ですが、そんな雰囲気は今の現場にはさっぱりありません。(私の勤務校でも、特色ある学校づくりの一貫ですが、午前5時間制や1コマ85分授業などの試みがなされていましたが、私を含め、推進派の教師は学校運営から見事にはちき出され、廃止されました。東山タイムや学芸会などの文化行事もばっさり切られたのです。唖然とする学校運営が横行しています)。

 評価基準の導入は、授業改革につながるべきものだと考えるのですが、今 推進されているのは、評価のパソコン化だけです。そういう教育レベルなのです。そのための評価規準なのですから、教師としてのプライドも尊厳もありません。「人間教育」の喪失なのです。 評価基準のもつ教育的意義を、教師はしっかり学ばなくちゃあね。 私が「教育現場に教育学がない」とか「公教育は、学習塾に負けた」とわめくのは、現場からの悲痛な叫びなのです。    ※教育書が売れず、書店からも教育書売り場がどんどん消えているのは、現場に教育学がないからなのです。

[48] 2003年6月28日 土曜日

1学期の評価をしなければならない時期になった。 1学期を振り返った時、何ができてきたのか。これを振り返ってみようと思います。正直なところ、久しぶりの学年ということもあって、見通しをもった取り組みであったとは、お世辞にも言えたものでないことはよく承知しています。

[国 語] ・ 書く力=表現力を伸ばしたいとの思いは強く、今年も「日記」を宿題としました。提出率は、80数%くらいですが、内容は惨めです。今年からB5にした「学級通信」の裏面に「日記を載せる」と宣言したのですが、載せるに値する内容のものは少なく、6月頃より「題をつけて日記を書きなさい」との指示を出しました。書くタネのない生活を送っている子が多いというわけです。赤ペンを入れるのがしんどいです。いずれにしても、短作文に陥っていて、じっくりと作文指導に取り組めていないのは明らか、大いに反省して、今後の実践計画を立てる必要があります。

・     書き取りをいつものペースで始めましたが、驚くほど無残です。平均点は6点くらい。ひどく書けない子・練習をして来ない子が目立つのです。書けなくても平気なのです。3年生段階でこんな状態ではこの先思いやられます。強制しないとダメなようです。

・     漢字プリントを準備し、新出漢字の学習をします。中学年担任ではいつもやることにしていますが、毎日の宿題として、やらせています。プリントの基は、麦の芽の出していた『切り取り書き取り漢字』です。

・ 読書も朝の会に「10分間読書」させ、ブックリストも作り、推薦図書を紹介し、我が家からも50冊ほど持ち込みました。まあ、不満はあるものの読んでいる子が多いと言えましょう。ただ、整頓のできない子が多く、本はぐちゃぐちゃです。傷みもはげしく、頭にきますが、怒って本を引き上げたらそれまで。我慢の日々が続きます。

・ 努力点と関わって、話す力に力を入れたいのですが、1分間スピーチをやるのが精一杯。その声も実に小さく、おしゃべり症候群の面影なんてさっぱりです。2年生の時もやっていたというけれど、「それほんとう?」なんていう疑りの気持ちを押さえるのに一苦労です。

・ 肝心の教科書ですが、読み物教材がどんどん減っている為か、読みとりも表面的で、言葉に対するこだわりをもって読む子はほとんどいません。読みを深める討論にならないのです。国語としての一番の骨ができていないのは深刻です。止む無く、ワークシートなども使って、授業を進めているのですが、授業がせりあがることなんて この1学期間味わうことができませんでした。国語の真の楽しさを味わうことができなかったのですから、寂しい限りです。しかし、ここをなんとしても克服しないと、国語を学んだことにはなりません。頑張らなくっちゃあ。

[社 会]

・ 3年から始まる社会科。興味・関心を持たせたいと勢い込んで始めましたが、内容がねえ。「私たちの学校のまわり」は、2年の生活科でやっているのとほとんど同じ。むしろ、お店を訪問して、お店の人に聞いたりする生活科での取り組みのほうが魅力的です。そこで、「地図つくり」にポイントをおくことにしました。学年としての学区探検はお付き合い程度にして、極地研の古いテキストを引っ張り出してやりました。でも、今の子は恐ろしく方向感覚の無いことも分かりましたが、低学年社会科に問題はあったにしろ全くやっていないのですから仕方ありません。

・ 「市のようす」については、名古屋市の区を暗記させることから始めました。区のシンボルマークを参考にしてもなかなか覚えられないのです。特に東山は転勤族が多く、親が「すぐ転校するから覚えなくてもいいよ」なんて態度ですから、覚えさせるのも困難を極めます。しかし、市の様子や土地の使われ方、特色をつかむには区名くらい知っててほしいものです。 あとで、テストをしても、情けない結果でした。常識だと思うのですがね。

・ こうした実態の中で、派手に分散学習をしている意味は何なのか?と首を傾げたくなります。また、地域のことを知らずに授業をする教師の側の問題も浮き上がってきます。学区パトロールで、地域ボスと話していることから学ぶことは想像以上に多い。

[算 数]

・ 算数については、先回も一部書きました。まあ、一番のこだわりは、3けたまでの加減の筆算を、4けたまで扱うことです。ところが、おじいさん型まではよくても、ひいおじいさん型になると、ガクンと出来が悪いのです。 やはり アルゴリズムがよくつかめていないのでしょう。結局、やっていることと言えば、3年生ですが、内容はかっての2年生、いやそれ以下のことであるため、つい私の方が指導に力が入っていなかったのではないかと反省しています。細かなことは、別の機会にまとめなくてはならないでしょう。

[理 科]

・ チョウをやって、オクラとホウセンカの栽培。とてもつまらない内容です。とても、生物学習の入口とはいきません。理科という学習を初めて取り組む3年生の子たちには、殊のほか理科学習の面白さ・楽しさを味わわせるようにしないと、ますます「理科離れ」は進んでしまいます。であるのに、科学の面白さを伝えようとしない教材群では・・・・。そこで、動物と植物の見分け方や動物の進化にも触れながら進めようと考えました。だって、栽培や飼育はあなた任せですから、時間配当どおりには進みません。そのすき間の時間に、意欲を燃やしたのに、子どもたちはさっぱり興味を示さないのです。ただ教科書の丸暗記こそが「学び」だと考えているようでした。モンシロチョウのたまごでも、私のクラスだけちっとも届きませんでした。

・ 実は、オクラとホウセンカの栽培も失敗でした。他のクラスにこっそりわがクラスだけ肥料をやっていたのですが、それで成長したのは雑草だけでした。見事にわがクラスの畝だけ猛烈に雑草が伸びるのです。イヤになっちゃいます。

[音 楽]

・ すったもんだで始まった音楽。あわてて指導のネタ集めをしました。最大の努力をするつもりでね。朝の会や授業の初めには「今月の歌」を歌うことにしました。4月5月は『ハローソング』、6月からは『森から森へ』にしています。伴奏は弾けないからCD頼りです。覚悟を決めてやっていると、急に加配があり、TTとして音楽の時間に入ってもらえることになりました。素直には喜べません。あくまでも私がやる。正直 苦痛な時間と化しました。 本当は、あるクラスのように白旗を挙げ、やってもらえば簡単かもしれません。その方が子どももしあわせかもしれません。でも、授業づくりを研究課題としている私にとっては、TTを無視するわけにもいきません。模索だけが続いています。

・ リコーダーについては、学年として購入したワークに加えて、さらに『リコーダー練習帳』を準備して、こつこつ取り組んでいます。音楽の配当時間をオーバーしていますが、まだまだ練習させないとね。

[図 工]

・     「好きな科目はなに?」と聞いたら、図工が一番でした。でも、とてもそう思えません。そこで、線画として、酒井式をまずやりました。絵の具の導入では、「三原色からの色づくり(キミ子方式)」「混色=色のものさしづくり(新しい絵の会)」「水でのうすめかた(武田式)」と、私の知識の総動員でやっています。学校開放日にも2時間図工をしました。でも、導入の段階にしても、なかなか満足のいく結果にはなっていません。次々と新たな課題が出てくるのです。「基本の基」とは何かと追究していかねばなりません。

[体 育]

・ 1学期は3時間あるが、1時間は4年5学級の合体・1時間は4年との併用。そして、1時間は体育館である。思い切って動き回るにはちと不都合である。「1単位時間のうちで20分間動かすことができれば、いい授業である」との教えを頑なに実行するようにしてきたが、合体の時はほとんど達成できていない。

・ 集合・整列に時間がかかり、集まってもじっとしていられない。なかなか場に応じた行動ができず、注意だけでは効果がないという現実。周りにもう少し目をやれるといいのにねえ。

・ この学期、特色ある取り組みができなかったね。運動会での短距離走では参加31人中、1位になった子が11人、2位になった子も11人と大健闘でしたが、綱引きはいろいろアドバイスを送ったが、効果なく惨敗であった。

[道 徳]

・ 学級常備の『明るい心』、そして文科省配布の『心のノート』が届いたのが6月下旬。学校側も結構いい加減ですねえ。 ですから、私はのんびり仮説の『ぼくはニワトリ』や筑波の渡辺さんの追試、テキスト『考える練習をしよう』などをやっていました。 いつもなら、TV視聴15分ですますのですが、今度は時間帯が合わない。わざわざビデオに撮る気もないというので、あれこれ見繕ってやっているというわけです。

[総 合]

・「ケナフはやめよう」で一致したものの、その先がありませんでした。はじめは「地産地消」をテーマに取り組んでみたいと問い掛けてみたが、色よい反応はなく、「自然」を取り上げてみることになった。まあ「自然」はいいけれど、間口が広すぎて何をしたいのか不明確なまま時は過ぎていく。地域にこだわるべきだとして「東山自然図鑑づくり」というタイトルを掲げることになった。

 ただ、子どもたちは何を課題としてとりあげ、どう学習を進めていくのか、難行している。それは、11月の学習発表会(従来の学芸会廃止が強行された)がどう変えられるのか分からないからだ。

・ いずれにしても、平和公園に関する資料集めで1学期は終わってしまう感がある。まあ、教師の側が <地域>を知らなさ過ぎるということだけははっきりしている。

・ 学級独自の『総合』としては、ハローソングを歌ったり、九九カルタを行う程度で、特色ある取り組みがさっぱりできませんでした。

[47] 2003年6月21日 土曜日

 サークルで話し合ってても、「学力低下」は深刻だ。昨年度は、逆移行措置の関係もあり、低下の状況はあまり噴出することはなかったが、今年度はそうはいかない。ところが、授業をもたない(持っても責任もない形で)管理職には、その様がつかめず、トンチンカンなことばかり言っている。 いかに、自分が授業を大切にせず、出世?ばかりを夢見ていたかに気づかないから、性質が悪い。 音楽にしても「CDを聴かせておけばよい」「リコーダーの掃除でもさせておけ」とか、常軌を逸した発言を平気でする。 まあ学力低下が起きても当然。 本当は、任せておいたら日本は滅びるのです。

[46] 2003年6月15日 日曜日

 やっと愛知県教委も[禁煙]に乗り出すらしい。是非、そうしてもらいたいものであるが、名古屋市長はやる気がないという発言をしている。わが勤務校は、分煙には努力して、寒い冬でも校舎の外で吸ってお見えになりましたが、昨年度から、ひどい状態です。 1年ほど前、「換気扇のある場所で吸いますから、男子更衣室の一部で吸わせてください」との話があった。あまり無碍にもできないので「あっ、そうですか」と言ったのが間違いでした。 その後、応接セット・テレビ・冷蔵庫などが運び込まれ、立派な喫煙室、いや第二職員室となりました。子どもたちも掃除終了などの報告に来るようになっています。 分煙→禁煙という流れに逆行したことが平気で行われているのです。  あまりのひどさに、今年度になって抗議した方がいるのですが、一向に直す気配はありません。 「教委に直訴する時には、私も連名でいいですよ」と言ってあるのですが、本当にふざけた学校運営がなされているのです。  先日にも主事訪問があったのですが、主事は何を見ていったのでしょうかね。あきれてしまいます。  

 昨日も、妻が言いました。「東山の教員がいかに形ばかりを考えているかがわかった」 「主事が来ても普段着のままを見せるのに、東山から来たMさんはさっと黒のスーツに変えてきた。異様だったよ。でも、東山では普通の行為なんだね」とね。 

[45] 2003年6月14日 土曜日

 本日、日本福祉大での特別講義を終えました。このところ、ずっとやっていることですがやっぱり緊張するのか疲れます(多分、スーツを着てやるのでね。私、ネクタイなんて締めて授業なんてしたことないからね)。それにしても、福祉大の学生さんは真面目です。わが学級よりもうんと行儀もいいのですよ。

 そう言えば、昨日、「夏休み特集号は止めにします。紙を倹約しましょう」だって。まあ、私は、学級通信で作るからいいようなものの、捉え方によっては、かなり問題があると思う。文科省が「学力低下を防ぐための方策として、夏休みの短縮の検討に入った」との報道もあるように、夏休みの過ごし方は今一度考えてみることは大切なことでしょう。それを、紙の倹約で済ませてよいものでしょうかね。 まあ、「学年だより」に価値がないと認めるのであれば、今後、行事予定などは「学校だより」として一本化して「学年だより」は廃止すればよいのです。 もちろん、そうなっても「学級通信」の意義は変わりません。 それにしても、東山で学級通信を出す人はめっきり減りましたね。 そんなことでは、子どもたちの書く力も育たないでしょう。 ほんと、迫力のない職場です。

[44] 2003年6月7日 土曜日

 6日にやっと自然観察に出かけた。「総合」として取り組むわけだから、見通しもなくては生活科の自然観察とかわらなくなってしまう。 ところが、子どもたちは自由ならば、どうでもよいのです。秋の学習発表会のことがちらつく教師だけがイライラしているだけ。 まあ、学年でもイメージが全然違っているようだから、学年そろって平和公園まで出かけることも無駄骨のように思えてくる。 「総合」の本質に立ち、担任が自由に取り組めるようにしていきたい。 やる以上は価値ある取り組みにしたいものだ。

[43] 2003年6月5 日 木曜日

 とうとうと言うか、職員会議へのパソコンが強行導入されました。管理職への忠誠度を図る取り組みです。結局は半数にも満たなかったようです。また、パソコン導入がどれほど職員会議の運営に役立ったというのかさっぱり分からぬ1日でした。つまりは、いかに教職員の間に溝を作り出し、ひいては子どもたちの指導に悪影響が出てくるのかを考えない管理職ですから、今後も、圧力をかけてくることでしょう。 そうした場合、私は徹底して非協力の立場を貫くつもりです。 学級の子どもたちの立場に立ち、仕事をするつもりです。 ふつうは、東山小のような強硬な手段はとらないものです。だって、職員間に対立を生むことは教育上最悪の事態なのですからね。  ああ、無情!! 

 それにしても、昨日の主事訪問で、「東山では授業が行われている」と評されたそうだ。確かに、以前よりは教師が教室へ出向くのは早くなったと思うが、中教審で出ている教師の資質の指標のひとつはますますひどくなっている。そりゃあ主事の来る時はいつもと違いますからね。 まあ、こんな状況が早く改善されるといいですけどね。

[42] 2003年6月2日 月曜日

 今日は月曜日ですが、土曜日の振り替えの休日です。それで、初孫のお宮参りを予定していました。  昨日から息子夫婦も来て、私も赤ちゃんを抱っこして・・・・。  それにしても、息子を見ていて、「まあよく世話をするなあ」と感心してしまいました。私なんか、正直に言うと、我が子を抱っこをしてあやしたりしたし記憶があまりないのです。 でも、孫は結構抱いてあやし、その表情をとくと観察していました。 改めて、命の不思議さを感じました。 (結構、うまくあやしていましたぞ。「じいちゃんに、抱っこしてもらえ」とひやかされて、もう・・・)  わがクラスの子を見る眼も違ってきそうです。 なんだか忘れかけていた“優しさ”をよみがえさせられてきたようです。 これ、東山の教師に一番欠けていることのように思いますね。

[41] 2003年6月1日 日曜日

 HPの更新ができなくなって、約1ヶ月。本日、嫁の手によって普及しました。私はこの間、孫を抱き、あやしていました。 子守りのお駄賃で、無事復旧しました。この間、「どうなっちゃったの」といろいろ聞かれましたが、私のパソコンの技量がそうさせていたわけです。 これから、再び情報公開?の取り組みをしていきましょうか。 指摘したいことは、山とありますから・・・・。先ずは、復旧のお知らせです。

[40] 2003年5月11日 日曜日

 たいへんでした。7日にADSLへの切り替え工事をしました。ところが、電話が通じなくなるは・・・、LANケーブルにはつながらない・・・、インターネットもメールもダメになってしまいました。なんとかならないかと、悪戦苦闘すること3日。援助の手をあちこちに出しました。そして、11日に、やっと回復しました。5日間です。もう疲れましたね。原因は、恥ずかしくて言えないようなところにあったのです。 これは、パソコンに対する基礎知識がないところにあるということがはっきりしましたね。 まあ、どんなことにも通じることを改めて学んだように思いました。

[39] 2003年5月4日 日曜日

 ゴールデンウィークと言っても、なんだか今年はそんな気分はしない。昨日は、夜の明治村に行って来ました。入場量は半額で、特別の催し物をしていました。ザビエル天主堂でのコンサートを聴いて来ました。無料でしたから、大したものでないだろうと思っていましたが、40分間も聴かせてくれ、本格的なものでした。  さて、実は、この3日間は頭をひねっています。5月中旬締め切りで、夏の全国大会の大会要項の原稿、18日の研究会のレポート、『数学教室』の原稿とたまってしまっているのです。以前から、承知していたものですが、ほとんど構想も練っていなかったものですから、たいへんです。

[38] 2003年4月26日 土曜日

 この週の間に、授業参観・学級懇談会があった(遠足も予定されていたが、雨のため延期)が、3年生が全校で一番授業数が多いという現象もあり、馬力をかけた。でも、子どもたちの落ち着きのなさはひどく、規律づくりに追われたという感じが強い。「まだ、こんな程度だよね」という気持ちと「いや、最初が肝心だよ」という気持ちが交錯している。でも、私のやる気は徐々に燃え上がりつつある。学級通信も8号までだした。100号以上出せそうだ。   こっそり言いますが、17日に孫が無事誕生しました。初孫です。

[37] 2003年4月20日 日曜日

 考えれば考えるほど、東山の学校運営は、教育という観点の欠落した異常さである。ところが、それに気付かないのだから、話にならない。大学時代・就職して以来、どういう学びをしてきたのであろうか。プロ教師としてのプライドはないのでしょうかね。 観点は違うが、文科省がブツブツいうのも変に理解できてしまう。 こんなだったら、大学において、教育学部なんて、いらないのではありませんかね。 

[36] 2003年4月15日 火曜日

 事務の効率化を図るために、パソコンの導入も結構なことでしょう。 しかし、授業の効率化と称してパソコンを導入することには慎重であるべきです。 パソコンを導入すれば、教師の仕事が楽になるという論は警戒しなくてはなりません。 本日も「週案をパソコンで処理すればよい」という。「えっ、それを管理職が認めるの」と驚いてしまった。 「週案って、そんな程度のものなのですかね」「週案を提出しないと、担任をはずすぞ」と脅しつづけてきたのは何だったのかね。 週案の強要に反対しつづけてきた私が、何故「おかしいじゃないか」と詰め寄らねばならないのでしょうかね。 「週案の意義なんて、何も考えていなかったのでしょうね。つまりは、授業なんてどうでもよいのでしょう。 こういう管理職では、岩下君が現代教育科学誌で「10年研の講師を勤められる力量のある管理職はいない」と断言したのもうなずける。

[35] 2003年4月13日 日曜日

 金曜日にも職員会議がありましたが(これも、私は通り魔対策の会議があって後半少ししか出られなかった。つまり、発言できなかった)、4月以降、強行方針がどんどん職員会で伝達されます。職員会の時、誰も聞いていないのか知りませんが、みなさん至って平静。私だけがカリカリ。 だって、新任校長の言うことと、教頭の言うこととが、全く相反する教育観なのです。見事なほど異なるのですが、ご本人様たち気付いていないのではないでしょうか。まあ、その程度のレベルの話ではありますが、今後、職員の輪は破壊され、子どもたちに影響が出てくるであろうことは目に見えています。 いやな、学校ですね。

[34] 2003年4月8日 火曜日

 なんと強引な学校運営であろうか。どこでどう決まったのか知らないが、教務も校務も全く無視されている。民主的な学校運営がなされていない。それに誰も異議を唱えない。 私は、もう切れる寸前であることは回りにほのめかしているが、例えば、昨年度末にCDの窓として「学年だより」は作らないと言ったのに、「4月号から入れてください」「来年度から楽になります」「日時を変えるだけで済みますから」。 そんなたよりなら出す必要もない。たよりって、何のために作るでしょうかね。 教師が楽をすることだけを考え始めたら、もうそこには教育なんて存在しません。 東山は危機に瀕しているのです。 東山が地域に発するものは、名古屋市最低です。 教育委員会は、査察に入らねばいけません。

[33] 2003年4月6日 日曜日

 まだまだ続くであろう一連の教師いじめは、転任してきた校長の知らぬところでの出来事でしょう。 それを気付くかどうかは校長が教育を真面目に考える人であるかどうかによるのですが。 期待はしない方がよいでしょう。(しかるべき時に、人権擁護等の機関に訴えることにします)。 やぬをえず、先ずは、新しい学級をどうするかを考え始めました。おかげで、例年以上にこの2日間で進みました。

[32] 2003年4月5日 土曜日

 「新たなる挑戦」とは「特色ある学校づくり」であると思っていたら、次々出てくるのは、「東山タイムを止める」「午前5時間制を止める」「学芸会を止める」「交流集会を縮小する」「児童集会を縮小する」「学習発表会を学校開放日にあてる」など、全くあきれ果てた方針である。こうした方針に対する抵抗勢力の筆頭と目されている私は、事前に排除されてしまいましたから、遠吠えにしかなりません。「この方針でお願いします」の一辺倒。  まあ、この底流に流れているのは、《共育》の観点の欠如でしょう。抵抗勢力となる教師・PTAとは触れ合わないということです。 このことを親たちが見抜けるかどうか。黙ってしまうのでしょうかね。

[31] 2003年4月2日 水曜日

 本日やっと担任発表がありました。予想とおりというか、やっぱりというか、人事権を持つ側に都合のよい配置になっている。しかし、裏を返せば、子どもたちをどう育てるのか、どう学力保障をしていくのか、という観点はすっぽり抜け落ちているとしか思えない。「50才以上は窓際族」という扱いでは、学校運営もうまくいくものではない。新しい校長は「新たなる挑戦」と言っていたが、そうなるような雰囲気づくりが大切ですよ。 「50才以上は窓際族」という扱いをしていて挑戦はないでしょう。 50才パワーを示しましょうかね。

[30] 2003年3月31日 月曜日

 修了式以来初めて登校したら、「50才以上の人は、主任から降りていただくことになりましたので、よろしく。ただし、○○さんは来たばかりなので残りますが」と教頭から言われました。リストラということでしょう。また、東山小に長くいる者の追い出し策ということでしょうね。まあ、東山で培われてきたものを払拭するには「後進に道を譲れ」という理由付けはうまく考えたものです。 こうすることによって、東山小の教育水準が上がるのでしょうかね。 4年前に角校長が打ち出した教育改革構想(東山タイム・午前5時間制)は、これで早くも消滅することになりました。 今後は、パソコン処理という非人間的なことばかりが吹き荒れる職場になりそうです。 学年だよりも、テストも、成績処理も・・・・  手作りというものが東山からなくなるのでしょう。  さ〜て、明日4月1日からどうするかな。 たたかれればたたかれるほど、人間は強くなるのですよ。 おわかりかな。 

[29] 2003年3月30日 日曜日

 24日の午前に修了式を終わり、午後から28日まで休暇をとって、ニュージーランドまで行ってきました。行き帰りの飛行機では天気はあまりよくありませんでしたが、観光に関しては申し分のないすばらしい天気に恵まれました。タスマン氷河への着陸も成功しました。詳しくは「通信」に書くことにします。そして、29・30日は京都での小学校集会にでかけました。収穫はずいぶんあり、来年度の実践の意欲も湧いてきましたが、またまた新たな研究テーマをもらってしまいました。うれしい悲鳴です。もうこれ以上は引き受けないぞ。

[28] 2003年3月22日 土曜日

 歴教協で名大の松井芳郎氏が「21世紀世界秩序の危機と展望・・一方的武力行使を中心として」との講演をするので、出かけた。出かけたのはよいが、カーナビで電話検索をして出かけたのですが、目的地に旅館がない。どういうことかと探し回っているうちに時間はどんどん過ぎてしまう。 お手上げ。 しょんぼり帰った。  このカーナビは、暴力国家アメリカのトマホークとやらより劣るわい。

[27] 2003年3月20日 木曜日

 今年は、明日から3連休なので、24日の修了式を残すのみとなった。そして、24日の午後にはニュージーランドへ飛ぶことにしている。関係書類もすべてやり終えたのです。うきうき気分なのですが、遂にアメリカ帝国主義はイラク攻撃を始めた。国連を無視するようになっては地球上に第3次世界大戦の起きるのも近くなったように思える。枢軸国はアメリカ・イギリス、そして、日本だ。 結果は明らかだ。困った首相を祭り上げている日本は、困った事態になるのです。おめでたい日本ですね。

[26] 2003年3月19日 水曜日

 今日、卒業式がありました。4年の時、担任していた学年なので、殊のほか、関心が深かった。本当は、あのことがなければ、5年・6年と担任している学年です。それほど、愛着がありました。その子達の悪口を耳にする度に、「もっとしっかり指導してやってくれよ」と怒鳴りたくなったものでした。 それにしても、6年生の「門出の言葉」は最高のできでした。本番が一番のできでした。なのに、学校側は、長年やってきた資料としてのビデオを撮りませんでした。 愛情の欠如ではないでしょうかね。 もちろん、5年生のきれいな歌声も残りません。(予行演習のとき、私がこっそり撮ったものだけです)  こうしたちょっとした人としての心遣いが大切にされる学校であってほしいものです。 

[25] 2003年3月15日 土曜日

 一昨日から、民間校長が自殺をしたということで話題になっている。「うまくいかない」「教員が挨拶もしない」「言う通りにしない、口ごたえする教師がいる」・・・・・。そして、組合員教師が悪いと攻撃するのは、昔から教委・マスコミ報道の常套手段です。 現場の実態を知らないと言うのは、文科省も同じ事なのです。 現場を知らないで行われる方策が、教師を板ばさみにする。板ばさみになったとき、かっては組合が守ってくれたが、今や御用組合化してしまい、守ってくれはしない。 だから、「自殺した・・・」なんていうのは、「気楽なものだよね」と私は思ってしまうのです。  最前線の教師は、今の文科省・教委のやり方にあきれかえっているのです。 

[24] 2003年3月6日 水曜日

 朝の体育集会を私のクラスは楽しみにしているのです。ペースランニングです。週にたった1度なのですが、毎年、私も一生懸命走っています。でも、毎年、あれこれ理由をつけて中止されます。今年も、3学期の取り組みのはずですが、まだ3回しかやっていません。そして本日。ところが、「本日は40分授業であわただしいから中止します」。始業前の取り組みです。中止の理由になりません。だって、中止して、早く教室へ出向いた教師はいません。 全くお恥ずかしい話です。 笑えちゃうね。

[23] 2003年3月5日  火曜日

 学区の育成協というのがあった。まあ地域ボスとも言える人たちの集まりであり、学校と地域が共育を推進するためには欠くことのできない団体でしょう。よきにつけ悪しきにつけ協力を願わねばなりません。 その中で、とても耳の痛い話があったのです。「学校の先生たちは挨拶をしない」。そうかもね、愛想悪いよね。子どもには挨拶をしなさいと言うのに、子どもの鑑になっていないということです。どう答えたらよいのでしょうか。 本音は、鋭く見ぬいているなあと感心しています。

[22] 2003年3月3日 月曜日

 運営委員会がありましたが、相変わらず、文書処理をパソコンで打ち、保存をするように徹底しようというのです。まあ、モノによってはその方がよいのですが、「学年たよりやテストも残せ」というのです。つまり、「たよりは月日を変えるだけで使えるから」。なんと寂しい話でしょうか。そんなものなら、全校統一で1枚日程表を印刷して配れば事足れりです。味気ない話であるばかりか、いやになってしまいます。テストにしてもそうです。 「テストはパソコンで作成して保存をしましょう」「また、使えるから」。 もうこうした論議では、教育学はありません。教師なんて必要ありません。 みんなリストラです。 授業をなんと心得ているのか。 本当にあきれて、まじまじと顔を見つめるだけで、声も出ませんでした。年度末反省会で、「教師の道徳的モラルが著しく低下している」という指摘があったが、まさに東山の教育的モラルが疑われます。

[21] 2003年3月2日 日曜日

 土曜日は、西三サークルの公開講座に顔を出しました。出口さんの話が聞きたかったからです(日生連の梅原さんの学力論も聞きたかったけれど)。雨の所為もあり、岡崎まで予想以上に時間がかかりました。話の内容は、落体運動についてであり、5年の理科「ふりこの動きとおもりのはたらき」をどう発展させるのか、いいヒントになりました。総合学習に使えます。

 日曜日は、法事。私が教員になるとき保証人になってもらった太一氏の17回忌・昨年卒業式当日の朝亡くなった昭彦氏の1周忌でした。早いものですね。いろいろな想いが錯綜しました。

[20] 2003年2月24日 月曜日

 年度末反省(学校評価)の3回目がありました。一定の来年度の学校運営に関することが示されました。 私は、もっとヒラ教員の声を聞いてからにしてほしいと思っているので、内心、不満なのですが、そう要求したホウレンソウ教師がいますので仕方ないです。 その中で、唖然としたことがあります。 「読書タイム」についてです。「月1回取り組むというのではなく、取り組み方はいろいろある」と意見を述べたのですが、「読書タイムは必要ない」と平然と述べる人が1人や2人ではなかったからです。こんなだから、東山の職場では、学力のことが話題になることも、教科指導のあり方が話題になることもないのだと思いました。 本当に恐ろしい教師たちです。 もしこんなことを親として知ったら、我が子を学校へ出したくないです。

[19] 2003年2月21日 金曜日

 年度末反省(学校評価)の2回目は、木曜日でした。正直ガッカリしました。例年よりは意見も多く出されたように感じましたが、とても建設的とは思えませんでした。相変わらず教師の傲慢さが気になりました。東山タイムを多数決で、つまり 「教師は反対」と親に突きつけて、廃止に持っていこうとしていたのでしょうね。結論は出されませんでしたが、さみしい声ばかりでした。特に、授業改革という視点からの意見がでないのが東山の特徴なのです。校長が「なにごとも大前提は、基礎・基本の重視だ」との声も空しく響く。本当に、教科指導にもっと力を入れなくては、ますます子どもたちの心は学習塾へ行ってしまいます。

[18] 2003年2月17日 月曜日

 年度末反省(学校評価)の1回目があった。たくさんの項目の中から、6項目にしぼって話し合いたいとの提起があった。まあ それはよいにしても 変更したい部分の補強的な意見をだしてほしいのだなと思いました。その裏打ち合わせがあったかしらないが、教師の都合により後退させようとする意図が感じられました。今、学校教育への信頼が極度に落ちている時に、教師の側の都合を優先させて対応することは、どんなものでしょうかね。 しんどさを望むのではないが、教師の側から打って出るような気迫がほしいものです。東山タイムを止めよう、午前5時間制はしんどい・・・・なんて言って、わずかな東山の特色さえなくそうというのですから、あきれてしまいます。   そう思ったりしているからかなのか、朝、教員になって初めて、教頭から「渡辺さんは、文科省寄りですね」と言われました。 びっくりしましたねえ。

[17] 2003年2月16日 日曜日

 昨日、サークルをした。夏の全国大会をどうするかである。一応、私がメインレポートに値するものを書くことで一件落着という感じになった。私は、以前『わかる教え方6年』の「倍と比」の項を分担して書いている手前、そうあっさり断るのもね。 ただ、Mさんは図形の方に興味があるようで、「比」のレポートを書いてくれるかわかりませんけど、まあ、地区協として責任を果たすことにしました。

 これらのレポートは、『授業づくり通信』の形をとる予定なので、3月号は小学校集会向け。4月号 は春の集会向け。8月号は全国大会向け となります。

[16] 2003年2月13日 木曜日

 本日、校内研究の報告会があった(「努力点研究」という)。 相も変わらぬ形式的なもので、学年5分で報告なのです。しかも、「総合的な学習」を中心としたものだから、取り上げるべき取り組みはいろいろある。でも、具体的な報告はできない。質問をしたくても、土台無理な話。 「学年10ページほどのまとめ、ごくろうさん」で 終わりなのです。 もう、そのような報告会は止めて、論点をたてて議論すべき時代でしょうにね。それでは、講評するという管理職の存在感がなくなってしまうかな。  ところで、大好きな学習スキルに対して、「情報教育のカリ案を考えた方が身になるのでは・・・・」とほのめかしながらと資料を手渡したら、その反応の悪いこと。 東山では、情報教育としてのパソコンは広がらないと思いました。

[15] 2003年2月11日 火曜日

 息子夫婦が来ている。4月に子が生まれる(私にとっては初孫)。名前をどうするかとか、もう準備おこたりなしという感じでやっている。私は飛んで歩いていて(市長選の最中でもあって)、妻にしなかったので、ちと心くるしいのです。まあ、今の若夫婦はそんなものかなと思っている。

 ところで、昨日は、水野さんから「倍・分布・比」の分科会を断わり図形にしようかという話。「いや、倍でいこうよ」とごちゃごちゃ、結論はでなかった。今日、東京の増島さんからは、全国研究会議のことで議論したいとの連絡。なんか、面白くもなってきたね。

[14] 2003年2月9日 日曜日

 朝、水野さんからTELが入った。東京からで、夏の全国大会で分科会をひとつ受け持たねば、来年の大会運営に支障を来たす。ついては、「倍・分布・比」しか残っていない。どうしようか」というものだ。結局は受けざろう得ないという結論を出したのであるが、さてさて、意識しての実践がない。どうした ものかな。でも、夏までの研究課題ができたのはよいことですから、せいぜいがんばるとするかな。 ぼけっと過ごしていてはロクなことはありませんからね。

[13] 2003年2月7日 金曜日

 なんとも憂鬱な日が続く。昨日は、職員クラブの幹事会があったが、一部の人に責任を押し付けるような発 言。会に出席しないのはけしからんとばかりに追及するのはどんなものでしょうかね。会の後、涙ぐんでおられたが、規約でしばり、出席を強要するかのごとき職員クラブではねえ。強制加入というところから検討しなおすべきでしょうね。いずれにしても、もっとやんわりとしなくては職員クラブじゃあないよ。 職場の人間関係が悪くては、よい教育もできません。情けない。

 そして本日の会は、各教師の教育活動をしばろうとする意図がみえみえ。子どもたちが東山の教育(学力保障をしない)に愛想をつかし、総なだれのように学習塾に行きかけている現状にも無頓着に、おめでたいと いうかなんというか言葉を失うが、学習スキルを確立しなくちゃあと、なぜ形ばかりを焦るのでしょうかね。 そんなものは何の役にも立たない気休めなのです。 今、一番力を入れるべきは、学力問題。授業をどうつくるか。教科指導に力を入れることです。その発達の最近接領域として「総合」を考えればよいのです。 学年の到達指標を押し付け、到達していない子どもを次学年に送ろうものならば責任追及になるに決まっている。「そういうことはすべきでない」というと「そんなつもりはない」というが、職員室で「今年の学年は〇〇もできない。苦労するわ」と大きな声で言うこと自体が、前担任への面当てであることにも気づかない鈍感さ。全く救われません。 職場の雰囲気はますます悪くなるばかり・・・・

[12] 2003年2月5日  水曜日

 昨日は、延びていた大縄大会がありました。学級対抗ですから、つい力が入ります。でも、近頃は悔いの残る結果ばかりですので、表面的には知らん振り。内心はなんとか勝てないかななんて思っているのです。でもやってくれました優勝です。3分間で、男210回・女258回、合計468回でした。女子は絶好調。ノーミスでした。練習の始めの頃は、さっぱりだったのに・・・。私の忠告も無視する頑固さで押し通したのですから、意地も合ったのでしょう。それにひきかえ、男子は練習中の最高記録に遠く及びませんでした。6年生のように500回を超えられたのにね。喜びも中くらいなりとしておきましょうか。

 山住さんが亡くなられた。15日の家永さんの「お別れの会」を目の前にして。 きっと15日には大活躍をされるはずであったろうに・・・・。 それにしても、次々と民主教育を支えてこられた人たちが亡くなってしまうねえ。骨太の教育学者がいなくなってしまうよ。 これから、どうなるのだ????

[11] 2003 年1月30日 木曜日

 1月も終わりに近づきましたが、今日は久しぶりに雪が2〜3cm積もりました。さて車で出かけようかと迷いましたが、やっぱり車。6時半に家を出ました。のろのろ運転。車を止めた人が多いのか、渋滞もなく、7時少し過ぎには学校へ着いてしまいました。 おかげで、いろいろ仕事もできました。 

 さて近頃、気になるのは、外国籍の子に対する日本語教育。以前は、6ヶ月もすれば、バッチリ話すようになったのに、今の指導の状況を垣間見ていると、「えー、あんなんで大丈夫なの」と思えてしまいます。日本語担当をはずした教委の責任は重いよ。 やっぱり国際化の観点は教委にはない。 日本の教育の恥だよ。 

[10]  2003年1月25日 土曜日

 今週は、たいへんでした。実は、妻がインフルエンザにかかりダウン。さあ、家事をさっぱりしない 私は窮地に陥ってしまいます。また、インフルエンザにかかるわけにはいきませんので、家庭内別居が続きました。要するに安眠出来ない日が続いたわけです。 その間、分散学習や観劇会がありましたからね。

 それにしても、私の学級は丈夫なのでしょうか。3学期になってから、休んだ子は1人だけ。無欠席が続いています。日頃、給食を異常に残すことで有名なわがクラスです。特に牛乳は10本以上残るのです(毎日10本以下にすることが目標というありさま)。10本ということは、2本・3本飲む子もいますから、クラスの半数近くが残しているのです。ですから、「たくさんの欠席者が出た時は、給食を食べないからだ。残させないぞ」と脅しをかけています。でも子どもたちは「牛乳を飲むかどうかなんて、関係ないのです」とシャアシャアとしたものです。 「牛乳を飲んでから、給食を食べるとダイエットになるんだって」と聞いた話をしてもちっとも効き目はありません。だんだん私の無節操な、非科学的な愚痴が増えるだけですねえ。

[9] 2003年1月22日 水曜日

 本日、市内分散学習をしました。地下鉄の一日乗車券を持たせて、あちこち学習に回らせるのです。   今回は他の方々に準備を進めていただいたので、ずいぶん楽をしました。 大きなトラブルもなく、無事終えることができましたが、教師の側は昼食を採る暇もなく、忙しかったです。私は、リサイクルセンター・下水道科学館・NHK・エコパル・科学館(12時10分から14時40分まで張りつき)・エコパルと動き回っていたのです。地下鉄も、本山・栄・上前津・名城公園・栄・伏見・本山を利用しました・他の方もフル回転。でも楽しかったです。

[8] 2003年1月19日 日曜日

 昨日18日にはサークル例会を開き、学力のこと・実践のあり方・外国のカリのことなどで結構話が盛り上がったのですが、この2日間 意欲的な学びはできませんでしたね。なんとなくお疲れ気味で、気持ちがシャッキとならないのです。風邪気味でもないのにね。 いくつかの原稿などが一段落ついたせいかな。

[7] 2003年1月15日 水曜日

 職員室でボーッとしていると、前のKさんがぐったりとした感じでいるのが目に入った。「どうしたの?」と声をかけると、「子どもがしゃべりってまくるので、疲れてしまう」と言う。「じゃあ、うちといっしょだよ」と言うと、遂 意気投合、子ども談義になった。 わがクラスも度が過ぎるのです。 けじめがついていないのです。 これでは、6年生に送り出すのは恥ずかしいよ。 厳しくすればちょっとだけ静まる。されなければ、いつまでたっても集中できないようでは情けない話です。 さてさて、どうしたものですかね?  3学期が始まってまだ10日ですが、授業はびしばし進んでいます。

[6] 2003年1月13日 月曜日

 たまっていた『日本教育新聞』を見ていたら、正月版の“基礎学力の充実ととそろばん教育の役割”という座談会に三重大の上垣さんが出ていた。「期待される新しい珠算教育」というには、ちょっと驚きである(上垣さんはそろばんについて触れた発言はしていないけど)。数感覚を培うのにそろばんが有効であることは、数教協で言われたことはないが、一時、そろばん塾の方が、5−2進法との関連を追究されたことがあり、私も、珠算指導ライセンスを取得して、そろばんの活用を考えてみたことがあるが、大した結論もなく、その後うやむやになっている。 ただ、この座談会の内容自体、紙面1ページを使っているが訴えるものは弱いように思った。 まあ、今の教育状況からは、「文化としてのそろばんの意義」を明確に出来ない限り 現場から消えていくのではないでしょうか。  

[5] 2003年1月11日 土曜日

 全教の教研集会が岐阜であると言う。まあ、組合員でもないから、情報が入らないのは仕方がないけど、本来の教研の主旨からすれば、広く人様に訴えていかねばなりませんからね。もちろん、名古屋市教委が施設使用を拒否するとか(前日10日になって、地裁の決定に従ったが)右翼の妨害行為に官憲が誠意をもって対処しないために、集会の宣伝ができないのでしょうけどね。  30年ほど前、日教組の教研が岐阜で開かれた時も分科会場がさっぱり分からず苦労して出かけたのを記憶している。当時は車で探したけれど、今回は車では動けないでしょうね。 全国教研では、機動隊に守られて、会場に入った経験が何度かあるけれど、久しぶりに緊張感がでて、いいかもね。 

[4] 2003年1月10日 金曜日

 3学期の1週目が終わった。まあ、普段なら、冬休みの宿題の事後処理でてんやわんやのところですが、私の学校では 今年度から『冬の生活』(俗に言う日誌)を廃止したので、その仕事がない。ですから、3学期の学習にさ〜と入ることができました。これは、とても重要なことで“冬休みのことをいつまでも引っ張らず、早く生活リズムを取り戻す”のに役立った。子どもにとっても教師にとってもよいことですが、親の中には「宿題がほしい」という声もある。

[3] 2003年1月7日 火曜日

 名古屋は今日が始業式です。昨日の積雪2cmもなんとか溶け、無事学校へ着きました。でも、立ち 番をしていると、本当に冷たいです。2〜3人の子が滑ってころんでいました。  さてさて、3学期の始まりです。ただ、「今日は、七草粥。食べてきた人ありますか」と聞いたら、1人しかいませんでした。春の七草の話をしたけど、関心度は極めて低かったです。でも、「春の七草の言える人」と言うと、手がパッと挙がるのです。これが、わが校の特色。ちょっと考えさせられます。 意地になって、書きぞめや左義長の話をしました。 私の話のレベルくらいのことは知り考える子になってほしいものだ。日本人なんだぜ。 初日から空しさいっぱいの日でした。

[2] 2003年1月6日 月曜日

 明日から3学期が始まります。どのような3学期にするのか構想は固まっていない(今日午後から出勤しますが)。ただ、予定表などは年末にすべて準備してしまったので、慌てることもないのだが、やはりスター トが大切ですからね。それに、今年度の冬休みは、「宿題なし」という学校方針でしたから、どんな反応なのか注目なのです。 さてさて、楽しんで3学期を過ごしたいものです。 

[1] 2003年1月3日 金曜日 

 1月1日に初詣に毎年出かけます。いつもは犬山の成田さんですが、今年は「羊神社」にしました。 二男に子どもが生まれるので、羊を意識してということです。 ところで、12年に1度 大賑わい する羊神社は、私が50年前通っていた徳風幼児園の近くにあります。味鋺から上飯田まで電車に乗り、通園していたのです。その電車も今年の3月に地下鉄に変わり、廃線になってしまいます。そうした懐かしさが「羊神社」にしたのです。(いやいや、本音は腰の具合いがよくなくて、成田さんの200〜300段の階段がしんどそうだからです)。 さてさて、すごく混んでいました。本当に小さな神社です。普段は社務所開いていないのですが、もう大騒動です。 12年後、私は〇〇才。生きているかな? 二男と妻は大吉でしたが、私は小吉。 今年1年 「平和」に過ごしたいです。

今年も続けます。100号は書きたいと思っています。 [2003年正月] 

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