本音で書いているため、「そんなこと書いて大丈夫?」と心配してくださる方もいます。でも、「そう考えている人間もいるのですよ」「教育って、懐の広い人間でなくちゃあ勤まらないよ」と言いたいんです。 だって、今の現場はあまりにひどいのですよ。
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《75》 2002年12月15日 日曜日
今学期は、何を思ったのか、通知表の所見も個人懇談会のペースと合わせて書き上げたので、13日に仕上がり、土日の連休はほっと一息でした。そこで、14日は本当に久しぶりに歴教協の学習例会に参加した。「教育基本法」についてであった。教育基本法改悪の動きが盛んではあるが、現場は全く無頓着。「教師って、何を考えているのか」「何のために教師をしているのか」とあきれ返るばかりであるが、びくとも しない。 「こんな学校に誰がしたのか」「こんな世の中に誰がしたのか」と問えば、わがクラスの子達は「50代のおとなが悪い」と言う。きっと親がそう言っているのであろうが、責任の擦り付け合いをしたって解決の方策は見えてこないでしょう。 ただ思うことは、民主主義の消えた教育現場からは、民主主義の理解できる子どもは育たない。そんな所へ子ども(孫)を通わせたくないなあということです。 21世紀が再び人殺しの時代になってはいけないということです。教師は、その戦列の先頭に立たなくてはいけないのです。 でも、誰も立ち上がろうとはしない。 日教組も堕落したもんだ。 さみしいね。
私、来週の今ごろは、シンガポールの戦跡を見ているでしょう。 日本軍の犯罪はきちんと謝罪しなくてはいけないのです。 北朝鮮の拉致問題でも結局はそこがネックなんですよ。 また、えひめ丸衝突の米軍艦の艦長が謝罪に訪れたという。しかし、学校側は列席しなかったそうだが、どうして謝罪を受け入れようとしないのですかね。私には理解できないのです。
《74》 2002年12月7日 土曜日
学力低下に対して、現場教師はどんな手を打つべきか。文科省も「指導要領・教科書は最低基準」と 言い、発展教材例まで出している。 しかし、現場では、何もしない。教科書どおりが美徳とされ、プラスアルファア の投げ込みをすると、教師も子どもも親もブーイング。「最低基準だけで結構です」という反応。そうなのです、まさに、文科省のねらいどおり。国民から共通教養をも奪い去る愚民政策が見事に浸透しかけている。 それを許すまいと、自称孤軍奮闘している私の学級も、反応が芳しくない。 「先生、そんなにプリント作らなくていいよ」だって。 「ものの重さ」を学ばないで、「てこ」をやったって、あってこにしか過ぎないのに・・・。全く嘆かわしい。
《73》 2002年12月2日 月曜日
29日に、とうとう家永三郎さんが亡くなったという報道が流れた。89歳であった。私にとって、はるか遠い方ではあったが、1970か71年に大阪まで講演を聞きに行ったのです。そして、この後、私の教科書研究が世に出たというか、人様に知られるようになり、教科書運動にのめりこんでいったのです。「心の師」とでも言うのでしょうが、あのひ弱な体からどうしてあのようなエネルギーが出てくるのでしょうか。どれだけ苦しくても絶対にくじけない精神力を学ばせてもらいました。 考えてみれば、近頃の職場が次々と戦後民主主義のなかで培われてきたものを葬り去り、教師は再び血に飢えた狼のごとく、子どもたちを・・・・・。しかし、無頓着な平和ボケした教師たちは、何も気付いていない恐ろしさ。全く尋常ではない。 「家永三郎」と言っても、知らない教師も多いのでしょうね。 ああ、無情!
《72》 2002年12月1日 日曜日
もう12月、2学期の成績処理をしなくてはならない。まあ、資料自体は結構集まっている。1学期以上にある。それは、今年度から、「絶対評価」に変わったからということではなく、もう長年到達度評価にこだわり、頑なに単元ごとのテストを主張し実施してきたからだ。だから、今年度からの成績処理のあり方について、過重になったとも思っていない。ごくごく自然なのですが、いざ始めるとなると、気が重いのは確かです。 子どもたちに口先では、「成績が下がったことを個人懇談会ではっきり言うよ」と脅してはいるが、そんなことは言いたくもないし、親だって聞きたくもないでしょう。でも、今週中には出さないとね。 まあがんばってやりますか。
そう言えば、金曜日に何気なく図書室の教員図書を見て、驚いた。以前からあるものがすっかり処分されているではないか。目を疑った。例えば、あの「斉藤喜博全集」も消えていた。教育学を学ぶものなら、知らぬものはいないでしょう。知らなければいけないのです。勉強していないとは恐ろしいことです。これで、東山小の教員の教育学的なレベルがわかります。 なんと恥ずかしいことでしょうか。 これでは、東山の教育レベルが落ちるのも当たり前でしょう。 教師もガリ勉せにゃいかんぜよ。
《71》 2002年11月30日 土曜日
本当に久しぶりに日本生活連盟の研究会に出かけた。行田稔彦氏(和光小校長)の「子どもたちに真の学びを!」という講演があるからだ。これで、民間教育側の学力論の両極に触れたことになる。つまり、日生連は総合学習の総本山みたいなもので、今日の学力低下問題には否定的で、学力論争に口を出すこと自体に疑問を投げかける。 この点は、私と大きな隔たりがある。しかし、学力研の「読み・書き・算」を学びに値しないものだという認識では共通する。 また、詳しくは、『授業づくり通信』で述べることにします。
《70》 2002年11月23日 土曜日
無事? 学習発表会が終わりました。私は、学校行事として取り組むには大いに問題あり、課題を残したと思っているが、皆さん、万歳三唱で、満足げに終わられました(25日には、平日にもかかわらず、打ち上げ会をやられます。私は欠席)。 今回を学習発表会にしたことによって、来年度の「学芸会」の存続は危うくなった。東山小の伝統(よさ・特色)がまたひとつ消されていくことになる。 全く教師というものは、勝手でいい加減なものです。 だから、子どもも親も学校のいうことを信用しないのです。 例えば、「時間が足りないから」 というが、時間なんて生み出すものです。少し前、親のほうから「もっと早く教室に出向いてほしい」という要求があり、教師たちはプンプンしていましたが、この数分をムダにしないだけでも塵も積もれば山となるで膨大な時間を生み出すことができるのです。 いずれにしても、教育に夢とロマンを見つけ出したいものですねえ。
《69》 2002年11月18日 月曜日
5時間で授業が終わってから、学習発表会(やはり作品展と言いたい)の準備をした。平面作品の掲示と絞り染めの展示までやりたいと考えていた。まあまあのペースで順調に運んでいたと思っていたのに、予想 以上に時間がかかって、5時半で止めた。あと、交流集会の準備も始まり、遅くなりました。 まあ、どこの学年もやっていたけど、よくない傾向ですから、手早く切り上げるようにしなくてはね。 明日は立体部分をやりたいと思っている。
《68》 2002年11月17日 日曜日
午後サークルをした。いつものメンバーでわいわいやっていた。これが、毎日のエネルギーとなって、教員生活を送っているのです。これがないと、一日一日がマンネリ化してボケてしまうことでしょうね。
さて、話題になったことのひとつに習熟度別があった。文科省が小学校でも解禁にの転じたこともあり、急速に広まっている。本当に「何故、小学校ではゴーサインを出していなかったのか」を考えてみるべきである。「共に学ぶ」という授業づくりの点で、「共に学ぶ」という学級づくりの点で、つまり「心」の発達の上で相応しく ないと判断していたからだ。 ところが、『心のノート』を出すほどに危機感を持ちながら、「心」を破壊するようなことを文科省はやりなさいという。 現在、次々と提言を出しているが、文科省は日本の子どもたちをどうしたいのかさっぱりわかりません。混乱を招くだけの政策では何もしない方が益しである。
《67》 2002年11月16日 土曜日
今日は、妻のほうは学芸会で出勤。それに付き合っていつものように6時に起きたので、いろいろできた。先ずは、マル付けを猛烈にやり、成績処理をした。もう2週間ほどで12月ですからね。そのあと、車の点検に行った。6ヶ月点検も以前より短時間で安くできるようになりましたね。待っている間、正文館書店を覗いて、7000円ばかり本を購入。午後は、久しぶりに散髪に出かけた。もう高校時代から行っている所であるが、そこではほとんど会話を交わしたことがない。でもいつもそこへ出かける。ただ、おやじの手が近頃震えているのを感じ、顔をそってもらっている時はビクビク。命が縮まる思いだが、やっぱりそこへ出かけてしまう。 さてさて、今は5時。まだまだ時間はあるぞ。
《66》 2002年11月13日 水曜日
学習発表会と名称変更になったのであるが、私は「作品展」のイメージでいるのであるが、どうも対 応は学年・学級でバラバラのようである。どんな形で会場が飾られるのかさっぱりわからない。どうにでも対応できるようにするとなると、これまたたいへんなことになるが、どうもそんな雰囲気でもない。「勝手にやるか」というのもねえ。 あと1週間となったのであるが、どこもてんやわんやのようであるが、事前に「授業をつぶさないように、計画的に」とのご注意があったときに、私だけが「そう厳しく言わないでほしい。直前になって追い込みも必要ですからね」と言ったのであるが、6年生なんてどうなっているのでしょうね。どこも製作にかかりっきりではないか。 それにしても、みんな燃えていないよ。 これじゃあ発表会の意味ないよ。 作品展として取り組んだ方が、子どもたちの力はつくのだ。場を濁すだけではつまらない。
《65》 2002年11月10日 日曜日
10月の中頃までは、やはり温暖化だなあなんて言っていたが、その後の寒さはどういうことであろうか。異常気象であることにはまちがいない。地球は、確実に可笑しくなっている。 いや、学校も学級も・・・・。でも、救いは多度西小のような存在を知っていることかな。一昨日も竹中校長さんから電話が入った。まあ恐縮するような話であり、私も早速書面(感想)を書いて送付したが、まだまだ日本も捨てたものではないかな。 ただ、土曜日のNHK教育テレビの5時間生放送「どうする日本の学力」を見ていて、蔭山氏の実践を高く?評価しているような官・民・マスコミ界では、ダメなのです。埼玉の渡辺さんが食い下がっていましたが、周りは教師の力量の問題に摩り替えていましたね。 それにしても、遠山文科省大臣は討論者と目線を合わせませんね。すごく気になりました。
《64》 2002 年11月4日 月曜日
「三連休のうちの1日くらいはどこかへ出かける」ことにしているが(長年、自分勝手に生きてきて、家族サービスをしてこなかったのでね。老後に見捨てられても・・・・)、急に寒くなってくると出足も鈍る。 今回は、 行く所も決まらないので、混雑を避けて、浜松の楽器博物館に出かけた。音楽音痴の私にも結構楽しめる所でした。 「音」という不思議な世界にも様々な歴史があり、人類の知恵が結集していると思いました。 体験コーナーでも自由に楽しめる力量があったらなあとつくづく思いました。
《63》 2002年11月3日 日曜日
今日は文化の日=明治節です。日本国憲法が公布された日です。その憲法も風前の灯火。やはり、日本人は戦争がしたくて仕方ないのでしょう。未だに、戦争になっても神風が起きると信じているのでしょう。つまり、「皇国史観」での失敗を繰り返すまいと、今度は「自由主義史観」という装いで教科書普及を画策する。その執拗さに国民は骨抜きにされつつあるのです。
ところで、北朝鮮の拉致・一時帰国にしても、どうもよくわかりません。私は「家族会が出すぎではないか。ご本人たちの気持ちを優先させるべきではないか」と思うのです。とらえ方によれば、今度は日本が拉致をしているようなものです。家族会の親たちは、自分たちが味わったことを、その子ども・孫に味わわせているのではないでしょうか。横田さんもごちゃごちゃ言ってないで、北朝鮮へすぐ行くべきです(北京経由で行けるでしょう)。特に、曽我さんの立場を家族会はどう考えているのでしょうかね。私は、先ずは自由に行き来できるようにすることが肝心だと思いますね。これ以上、政治との駆け引きに使わない。そうしないと解決はしません。必 ず、戦時中の強制連行という問題が出てきます。金正日の責任追及は天皇の戦争責任まで突き進むのは政治にシロウトの私にだって予想がつきます。やはり、親子の愛情より家族の愛でしょうが、ご本人たちには北朝鮮に残してきた家族があるのです。家族会の親の方々、子どもは巣立っていくのです。そう思うのですがね。 5人の方々の近頃のお顔付きから、生気がなくなってきていると思いませんか。 ※私の遠い親族が、横田めぐみが広島にいたとき2年間担任をしていました。
《62》 2002年11月1日 金曜日
前々の勤務校時代・老松時代の教え子の伊藤君からメールが入った。10数年振りである。私のHPを見つけて送ってくれたらしい。こんなHPを見てくれて、恥ずかしいというかうれしいというのかよく分か らないが、とても懐かしく思った。姉弟と担任したけど、不思議と印象に残っている。姉はボストンいるという。彼はアメリカの高校を卒業後日本に帰ったらしい。 う〜ん、やはり、どうのこうのと言っても教師自身が張り切って意気揚揚とやっていた時には良い子が育つということでしょう。 そう思えましたね。 今を振り返って、以前と同じようにやっているつもりでも、子どもにも親にも伝わっていかないのはどうしてなのかなあ。 文集を作れば、「おせっかいだ」といやな顔をされるようでは教育もおしまいだと思うけれども、もうちょっと頑張ってみるかな。
《61》 2002年10月30日 水曜日
2学期も早いもので、もう半分が過ぎる。わが学級もなかなか燃え上がらない。「学ぶことが喜びに」と思っているのだが、子どもたちの反応は頗る悪いと評した方がよい。発達の最近接領域の開拓として取り組んでいる実践も今年度に関しては通用していない。目先のことにとらわれすぎているのだ。これでは将来大して伸びないと思っても、親の意向は変わりはしない。(ここにも1年ぽっきりの担任という弊害が付きまとう)
ところで、ふと気付いたのであるが、いつの間にか『算数実態調査』への参加が切られている。本来、算数部会で参加するかどうかを決める約束になっているはずなのに、なんの相談もなく中止になった。ルール違反である。 今年度の子どもたちの学力は落ちているように思えてならないが、それを示す資料はない。『算数実態調査』には様々な問題点があるが、学力データをとるには手っ取り早いのです。 まあ、「『算数実態調査』の学校独自でまとめを出せ」という要求が重荷になったのですかね。でも、こっそり止めてしまうなんて情けない話ですね。
《60》 2002年10月24日 木曜日
朝の職員打ち合わせの時、「親のほうから、安易にビデオを見せて、授業の穴埋めをしたりしないように。また、チャイムがなっても先生方の来るのが遅い。善処してもらいたいという申し入れがあった」との話 があった。なんとよく見ていることであろうか。「チャイム後の行動が遅い」というのは、私が転任して 以来指摘し てきたけど、管理職からの指導はほとんどなされなかった。職員打ち合わせ がすむと、やおら学年の打ち合わせと称する雑談?が始まるのです。転任1年目は、学年主任をはずされていたので付き合わされたが、それ以降は一切やっていない。 まあ、東山の子はおとなしく教師の来るのを待っているけど、全くあきれるほど遅いのです。 朝会の時しかり、児童集会の時しかり・・・。 ビデオについても同 感である。アニメがよくながされている。どう考えても授業の発展ととりにくいものがね。教育機器の活用ではないのです。 でも、同じ教員の立場ではなかなか指摘し合えないのです(どうして言えないかはここには書かない)。 さ〜て、どれほど変わっていくかな。楽しみです。 まだ、このほかにも指摘されるべきことがいくつもあるけれどもね。
《59》 2002年10月21日 月曜日
本日、校内の研修活動である「努力点研究」の中間報告会があった。各学年から「総合的な学習の時間」を中心にした報告があった。まあ、相変わらず、大して取り組んでいないものを大げさに報告するというパターンは変わらないから、どうということもないが、最後の方での「東山にはカリ的なものは何もない」という主旨の 発言があったのに、努力点の推進委員長を始め、以前から居るものの中から何の反論もでなかったのには唖然とした。 なぜなら、昨年度末に「各学年ごとに指導計画をまとめろ」との命令で作成しているのである。毎年やる「努力点の最終報告」をまとめるのを止めて、「指導計画」をまとめたではないのか。 余程いい加減に作ってたから何も反論できなかったのか。 または、転任者には「指導計画」が渡してないのか。同学年に転任者ばかりを集めた人事に原因があるのか。全くおめでたい教師集団である。
それにしても、「学習スキル」なるものを作ろうという発想はやはり問題がある。つまり、コンピュータ指導のカリキュラムをつくるにしても、締め付けにしか聞こえない。うまくいかなければ「下学年できちんと指導されていないからだ」となる。2人に1台しかないコンピュータで、「〇〇はできます」と自信をもって言えるようにはならないのだ。これじゃあ低学年なんてやっていられません。5(ゴ)6(ロ)付き教師の横暴というやつである。 いずれにしても、カリキュラム論を始めとして、教育学の欠如のはなはだしい職場です。はずかしいかぎりです。
《58》 2002年10月20日 日曜日
土曜日にサークルをした。9月がそれぞれの運動会の日程やら、私の体調が悪かったこともあり、休会にしてしまったからだ。だから、久しぶりに会う人もいた。中部大学の西口さんも5ヶ月ぶりに来てくれた。それにしても、「五日制になったら、かえって疲れるね」と言うのが、共通の話である。「疲れるのは事実だが、今こそ踏ん張らねば・・・」というのが私の主張なのだが、あまりインパクトがない。 このままでは、日本の公教育は完全に崩壊してしまうのは明らかだ。 私の学級にしても、私が子どもたちに気合いをかければかけるほど、子どもたちは逃げていく。 課題としている『学習日記』でも提出率が悪いからと、暗に親に協力を呼びかけても何の効果もない。提出率は下がる一方。「この反応は何なんだ」といらだつが、どうしようもない。 ああ、無情!
《57》 2002年10月14日 月曜日
「どうして3連休なんてわざわざ作る必要があるのか」「本当に経済効果なんてあるのか」「弊害の方が多いではないか」と思っていた(今もそう思っているが)。体調が悪かったりすると、非常にありがたい3連休となります。そんな気分です。
さて、先週はノーベル賞で沸き立った。12日に小柴氏。13日に田中氏と受賞した。田中氏の受賞は示唆に富む。学会には無名の人らしいからだ。つまり、学者さんしか受賞の対象でないと思いがちであったが、在野の人でも受賞の対象になるということだ。それにしても、日本の研究構造がいかに保守的であるかが立証されたようなものである。教育界でもそうである。特に愛知はその典型であるのは言うまでもない。こうした保守的な体質を打破しなければ、日本の未来はないのはあきらかです。マレーシア首相の「日本は反面教師にしかならない」というコメントは痛烈である。
《56》 2002年10月8日 火曜日
全くおかしな話である。昨日、40分授業にして、子どもたちを早く帰して、南山大学より講師を招いて現職教育が行われた。教師の力量を上げるための取り組みであるから、子どもたちを早く帰してというのも止むを得ぬ処置と言える。 ところが、こうしてまで時間を生み出しての現職教育の参加は自由?とは首をかしげたくなる。 つまり、現職教育の最中に「サッカーの練習試合を組んだので参加しない」のは許されることなのか。信じられない。現職教育がそれだけの価値のものならば、40分授業にしたのは子どもの学習権を学校ぐるみで奪ったことになります。 こうした学校運営が許されるものでしょうかね。
《55》 2002年10月6日 日曜日
札幌の西友が食肉の偽装問題を謝罪して、(レシートがなくても返金する)ことにし、返金をしかけたそう だ。そうしたら、本来の売上げは1600万円ほどであったが、5000万円にも返金額がなり、返金を中止したそうだ。何度も請求に来たり、一度に18万円の請求があったりしたそうだ。火事場泥棒みたいなもので、大人社会には、もはや何のモラルもないことが明らかとなった。多くの声は「もともと西友の方が嘘をついていたのだから仕方ないのじゃない」ということらしいが、私には理解できない。 しかし、子ども社会にもこうした発想がはび こっていることは明らか。わがクラスから例をあげることは容易である。 それにしても、こういう社会になってしまったのは、何故か。 やはり、教師のふがいなさ=教育に負うところが大きいとは思うが、パソコンなどのゲーム脳の弊害だと思う。評価における加点方式も一応性善説の立場ですよね。 本当に、金金金・・・の世の中が、人間の心を蝕んでいく・・・・・・
《54》 2002年10月2日 水曜日
「パソコンを使え」「パソコンを使えるようにしろ」「使わない奴は怠け者だ」と言う圧力が、平教員の中から出てくるのは、ゴマスリの典型であるが、結構賛同している輩がいる。ところで、パソコンを強要してくる内容をみていると、子どもたちの学びとは程遠い部分なのです。コンピュータが子どもたちの学びとどうかかわるのかという話ではないのです(私の職場の教育レベルはこんなものです)。ということは、今まで、管理職や校務や事務がやっていた仕事をどんどん教員に押し付けているのです。見事な多忙か政策です。「パソコンでやってほしい」と言ってくる中身を見てみると、すぐ気付くことです。 私は、授業づくりで忙しいのは気になりませんが、事務仕事での多忙かは真っ平ごめんです。 でも、そう思う人はすっかり減ってしまったのが、今の教育界です。 何しに学校へ来ているのでしょうかね。 学校に、教師はいなくなってしまったのです。ああ無情!
《53》 2002年9月30日 月曜日
今日はとても不愉快な日であった。どうして、このように住み心地の悪い学校になったのか。これで、子どもたちの心をつかみ、子どもたちの生き生きした姿をかもし出すことなんて、できるはずありません。形式ばかりを追う教師集団となっては、もはや学校崩壊です。教師自らの手によって、学校を崩壊・溶解させようとしているのですから、お話になりません。久しぶりにむかっ腹が立ちました。 事の起こりは、「事務処理にはパソコンを全員に使わせろ」「使おうとしない奴は怠け者だ」と言うのです。驚きました。まあ、こういう方には自己反省はなく、うむぼれだけですから、何を言っても仕方ないのですが、こうした決め付けた口調は許されるものではありません。人権を無視した発言に対して、何も言えない管理職もだらしないです。 『学ぶとは、真実を胸に刻むこと。教育とは、ともに未来を語ること』 本当に、教師は教育学を学んできたのでしょうか。 これじゃあ、教師の資質低下が言われても、反論のしようがありません。
《52》 2002年9月28日 土曜日
苦痛の1週間が過ぎました。昨年度の体験?から自重していましたからかなり回復しました。早めに 整形外科に行きました。 まあ、もう少し回復したら、ウォーキングなりジョギングなりをして、運動不足解消を図らねばなりません(いつも言っていますが)。今度こそは実行しなくては・・・
さて、昨日に韓国から来ていた金敏珠(キムミンジュ)ちゃんが帰国してしまいました。わずか1年間でしたが、私も「きっともう会えないだろうなと思う」とつい感傷的になってしまいますが、ずうと仲良しだった輿水ちゃんがワアワア泣くものですから困ってしまいました。月曜日からが心配です。でも、いい別れができたと思います。校長さんも「最後の勝負だ」と言って、トランプをしていましたが、あれだけ親しんでくれた子はいないから、きっとさみしかったと思いますよ。また、ソウルへ行こうかな。
《51》 2002年9月23日 日曜日
また、やってしまいました。 21日に「運動会」がありました。 例によって、年甲斐もなく燃える私は、子どもたちの出場する種目にこだわるのです。特に、競遊種目には秘策をもって、わがクラスをなんとか勝たせようとするのです。今年は「台風の目」という定番です。最初の練習では、4組に負けました。少し策を授けてやった1組との練習試合には3連勝しました。本番前の最終練習では1組に負けてしまいました。子どもたちもショックだったようですが、私もショック。運動会の前日、2つの秘策を指示しましたが、眠れませんでした。 運動会の日、朝から腰の調子が思わしくありません。でもそんなことに構わず、応援で騒ぎまくっていましたら、だんだん苦しくなり、昼頃には限界に近づいてきました。午後には「台風の目」があります。見事、勝ちました。最高の喜びでした。 ただ、家に着くころには、去年と一緒動けなくなってしまいました。 ただ、去年の経験から、少しは回復も早いであろうとは思っていますが、3連休中にやろうとしていたことは全然できません。 こんなパソコンをうっていていいのかなと思いつつも、どうもボーッとしておれない性分はなおりません。 それにしても、つらいです。
《50》 2002年9月18日 水曜日
私の勤務校のHPが更新されたと「学校だより」で親にだいだい的に報じられた(13日)。私も早速つないでみたが、つながりません。今までつながっていたHPも見れなくなってしまった。でも、誰も職場では言 わない。我が家のインターネットだけがおかしいのかもしれないので、黙っていたが、今日、ちらっと言ってみ た。・・・・・・。要するに、誰も見ていないのである。ちょっとしたことでも、すぐ連絡がある親からも、何の連絡もないとのことですから、本当に見られていないのですねえ。 私などの反対意見も無視して強行されたHP開設にしては、寂しい話です。反対していた私が一番の訪問者ではねえ。 もう少し、きちんとした運営方針をもって何事もやってほしいものです。 本当に、何を考えているやら・・・ だから、教員は信用されず、世間様からいじめられるのです。
《49》 2002年9月15日 日曜日
3日・10日・15日と雑誌原稿の締め切りがあり、毎日ガタガタしていたが、その間にも2学期はスタートした。しかし、落ち着いて学習するということはなかなかできていない。数年前までは夏休み前後2週間にわたって短縮授業をしていたが(批判が多くて、今年度からは1週間だけ「午前中授業」と称してやっている)、そうしていた方が効率がよいことを奇しくも照明しているような毎日であった。 つまり、近頃の学校(教委)の姿勢は、形式だけの弱腰で、世間の目ばかりを気にしている。そのひずみはすべて現場に、子どもたちにきている。これでは、教育から「心」が抜け落ちてしまうのは当たり前である。 そのためか、教師の僻み根性は子どもへの八つ当たり。聞いていられないような子どもの悪口、親の悪口が飛び交う。悪循環というか、もはや救いようがないというか、学校・家庭・地域の「共育」なんて成り立たないと思える(表面的には成り立っているように見えるでしょうが)。 せめて私が退職するまでは、学校が学校らしくあってほしいものです。
《48》 2002年9月4日 水曜日
学校が始まったら、なんとか体調も戻り、連日の猛著とたたかっている。教室の温度は朝から35℃もあるのだ。ちと「しっかり頑張ろう」と発破をかけるのが無理というものだ。でも、大阪府立高がエアコンを設置するが、「年間ひとり6000円払え」というのも不可思議な話だ。「そんなであれば、エアコンはいりません」という子は府立へ入れないのですかね。
《47》 2002年9月1日 日曜日
体調をもどせないまま2学期を迎えることになってしまった。もう1週間も続いている。まいりました。それに、HPも結局のところリニュアルすることもできませんでした。 まあ、しばらくはグチリながら、ぼちぼちやっていくことにするかな。 そのうちなんとかなるでしょう。
《46》 2002年8月28日 水曜日
今夏休みに家に居るのは、今日が最後だ。最後だが、実は動けないのです。25日に中国旅行から帰った翌日からダウン。「こりゃちとまずいかな」と思ったが、同行動を取り、同じ物を食べていた妻は余裕しゃくしゃく。 私だけダウン。。26日は全校出校日のため、出かけ、午後は休暇にした。27日は社会見学の下見の約束があったので、なんとか出かけた。今日はありがたい一日となった。
やりたいことがいっぱいあるのに全くやる気がしない。腹に力が入らないのです。長年の疲れがドカッときたようだ。中国旅行のショックもあるかな? 私は、中国とどうしてこうも相性が悪いのですかね。かなり嫌われているらしい。中国の公安にチェックでもされているのかな?
《45》 2002年8月19日 月曜日
昨日夜、NHK教育で『学校五日制と学力問題』というテーマで、文科省大臣と校長会長と大学教授、そして、現場?を代表して、科教協の小佐野さんが出ていた。さすが?校長会長のごますり発言には感心した。自分の本心で感じていることをペラペラしゃべるようでは管理職はつとまらまいとね。でも、あんな固い表情で楽しい授業なんてできるのですかね。いやいやあの表情だから、子どもたちも騒がないのでしょう。自由な発言の雰囲気ではありませんでしたね(討論会とかシンポジュウムではない)。 それにしても、小佐野さんも『理科教室』で読むような鋭さは感じられなかった。正直、期待はづれでした。漢字を例に話すのではなく、お得意の理科の内容でズバリと切り込んだほうがよかったと思いますよ。この番組を見る人は問題意識のある人でしょうからね。大臣なんて、偏った資料しか持ち合わせていないのですからね。直訴する絶好の機会だったのに・・・・。 まあ、NHKから、口止めされていたのでしょう。
今日、またまた、「リクエスト休暇」だって!。子どもたちは、休みたければ、勝手に休みますよ。学校があるからと言って、家族旅行をしないなんて時代はもう過去のことですよ。そんな配慮は必要ないのです。もし、「リクエスト休暇」を認めるなら、教師は授業をストップさせなくてはいけないのでは・・・・。それこそ、ますます学力低下ですよ。 何を考えているのでしょうね。
《44》 2002年8月15日 木曜日
57年目の敗戦記念日である。今年も多くの閣僚が靖国を参拝した。毎年、周辺諸国から批判を受けても必ず強行する。例えば、民間出身の竹中経済相も参拝している。彼が、経済相になる前から靖国参拝を続けていたならば、筋も通ろう。しかし、初めてならば、閣僚として参拝したことになる。 これは、NHKスペシャルで「海上自衛隊が、旧海軍の再建として発足した」と堂々と海上幕僚長だけでなく、防衛長官までもがはっきりと言うような事態は異常である。また、15日に合わせて、愛媛県の教委が「つくる会の歴史教科書を公立中学3校で採択した」などということは、「日本は戦争への道を歩みます」と宣言したに等しいことである。 いくら小泉首相が終戦の式典で「不戦の誓いした」と言っても、誰も信用しない。「この人の言は軽い。口先だけである」と思っていますからね。田中真紀子の「やれやれと言いながら、スカートのすそを踏んでいる」という名言がありますから。 ああ、どうして日本は平和を追求する人たちが政権を担えないのか・・・
《43》 2002年8月12日 月曜日
福井まで北数協の合宿研究会に行ってきました。記念講演として、2時間ももらい、さてさて聞く立場だったら大変だよねと思いました。だから、少しだけ考えましたが、まあこんなところかなという感じで、2時間しゃべりまくり、任を果たしました。分科会でも、たっぷり時間をくれるものですから(予定していなかった)、授業づくり通信の中から、報告をしました。
それにしても、北数協は小学校が中心勢力、しかも女の人が多い。東海地区とは全く反対です。 どうしてこうなのか。やはり、愛知は保守的色彩が根強いのでしょう。それは、人気芸能人があまり輩出しない原因を管理教育の反映だと分析している大垣共立銀行の調査とあい通じるように思いました。
《42》 2002年8月7日 水曜日
2日から5日まで、沖縄での数教協の全国大会に行ってきました。久しぶりの沖縄です。30年前の初めての訪沖の頃とはずいぶん違います。本土よりはましにしても、やはり平和ボケと言ったら語弊があるでしょうけれど、30年前とは大違いです。「戦後」は遠くなったものです。3日の大交流会の時、神奈川の砂賀さんが「東シナ海 前に見て、われらが・・・」と歌ったけれども、周りの人たちは誰も知らなかったよ。(私が、日本の周りの海を教える時、実はいつも歌いながら、位置関係を教えたりしているのですが、子どもたちがキョトンとしているのもあたりまえですね)。 さみしく感じましたね。
琉球大学は、広々としていました。名古屋よりうんと過ごしやすいですね。温度は30度程度、風はあるし、スコールのように雨は時々落ちてくるし・・・・ むしむししていないんです。授業をしたのですが、暑さなんて、心配したことなかったです。
これで、全国大会関係は一段落ですが、今週末は北数協。そのあとも原稿が何本かある。せいぜいがんばるとするか。「忙しい、忙しい」と言って、バタバタしているうちが華でしょうから。
《41》 2002年7月27日 土曜日
毎年、この時期は、妻が海外旅行に出かけてしまうので、一人でさみしく三度の食事の準備もしなくてはならない。いつもは、ボーと待っていれば,食事にありつけるのであるが、ここ10日間はつらいね。
ただし、私は大忙しです。来週の公開授業の準備やレポートノ準備で頭の中はボーッと暑さ負け。体もあまり動かさないから、だんだん力も抜けていく感じですね。今、パソコンに向かっているのも、準備が行き詰まったからです。気分転換に、児言研の研究大会にでも出かけようかな。 この続きは,後にして・・・
《40》 2002年7月24日 水曜日
月・火と平常勤務をした。近ごろは、「自宅研修を認めない」風潮である。真に研修をしなければならない教師に、きちんとした研修を認めようとしない体質は、どんどんひどくなっている。「学校に居れば、研修?」になるのですかね。全くどうかしていますよ。要するに、小学校教師には研修は必要ないという伝統的な流れがありますからね。
ところで、月・火の2日間は、教材づくりをしていました。予想以上に時間がかかりました。他の方も驚くほど出勤していますが、多くはもうすんでいるべき帳簿の整理。 う〜ん、私は自宅でやってしまいます。 今の方々は、家庭に仕事を持ち込まないことが徹底していますからね。 本当はその方が労働者魂があるのでしょうね。
《39》 2002年7月19日 金曜日
本日は、1学期の終業式でした。 この間は、私にとっては力量以上の仕事を引き受けてしまって忙しすぎました。 初めは、久しぶりに1年間の連載を引き受けることによって、この1年が張りのあるものになるであろうと言う安易なものでした。 ところが、大学での講義・研究指定校の訪問・野外教育、今後として、公開授業・記念講演と続きますからね。 まあ、引きうけた以上は努力しなくては・・・・。
さあ、夏休み、頑張らなくては・・・・・。 明日は、「こどもワールド」(図書展示会)へ出かけてから、野田さんの出版を祝う会に行くことにしよう。
《38》 2002年7月14日 日曜日
昨日は教科研の例会で問題提起をしてきました。「絶対評価」が現場ではどうなっているかということです。『授業づくり通信』に私の報告の概要はあります。実は、7月号はそのレポートと兼ねたのですから。
さて、昨年度からワイワイなされてきた「評価規準」が、1学期の「授業づくり」にどう役立ち、1学期の「通知表」作成にどう生かされたか、です。ポイントはどう質の高い授業ができたかですが、結論は、どう見ても生かされているとは思えない。「評価規準」の作成に時間をとられ、多忙になっただけのこと。授業準備も満足にないという状態は異常としか言いようがないということです。 5日制になったのに、教師の持ち時間数は増えているのです。 教師管理が一段と進んでいる証拠でしょう。 これで、「個性化教育を進めろ」ですから、文科省は何を考えているかわかりません。支離滅裂なのです。 それにしても、「絶対評価」になったのに、依然 教師のやっていることは相対評価から抜けきれていないのです。そんな事例がいっぱい出ました。 極めつけは、ある中学校が内規として割合を決めていたことでしょう。 きっと、スッパぬかれて大問題になることでしょう。内規を職員会議に出した教務・認めた校長の首が飛んでも可笑しくないと思いますね。親や子どもへの背信行為だもの・・・
《37》 2002年7月11日 木曜日
8、9、10日と,2泊3日の体験学習(野外教育)に行って来ました。3日間とも雨になることも予想されましたが、その予想ははずれ、「天気がよすぎるよ」と,今度は贅沢な不満をもらしながらの体験学習となりました。 内容は,雨で日程とおりにいかないであろうと信じ込んでいましたので、極めてオーソドックスなものです。 (妻からは「こんな計画では味も素っ気もなく、子どもがかわいそうだ」と酷評を受けていました。 でも、「私一人でやるのではないから、仕方ないじゃん」と逃げていました) ところが、天気がよすぎてと言うか,蒸し暑さとかまどの熱さで、グロッキーになる子が続出。 体力のなさに驚かされました。 ハイキング(10.4`)もしんどかったです。炎天下で水晶掘りもしましたからね。 なにしろ、昼食に出た冷凍みかんがこんなにもうまいものだとは思いませんでした。
さすが3日目は台風6号の影響で、緊急退館となり、7:30に朝食、 10:30に昼食、 11:30には退館・帰路につきました。 親の引き取りとなり、親たちもたいへんなことになりました。 まあ、早く帰れてよかったです。それに緊急の退館で、最後の清掃などもしないで帰り,楽をしました。 大騒動の3日間でした。
《36》 2002年7月6日 土曜日
日が経つのは早いものです。もう7月。この日記がこんなにも間が開いたなんて思ってもいませんでした。
今は,必死に通知表の所見を書いています。疲れたので、この日記を書き出したというわけです。評価 規準で大騒ぎしていたのが、すっかり影を潜め、今や所見欄の広さ。たっぷり書けます。「所見」で3行、「総合」で3行、「特活」で2行、は書けます。しかも、通知表がA4版と大きくなりましたから,1行の字数もたっぷりです。 まあ、その割りには、評価欄が愛想なしですから、親や子どもたちには、教師の意は伝わりそうにもありません。空しいものです。 詳しくは、13日の教科研の例会で報告する予定です(レポートはなにもできていない)。 いや,実は,月曜の8日から、野外教育の引率です。天気は悪そうだし、もう少し準備もしなおさやくてはねえ。 忙しいのです私。 さあ、また所見を書き始めるかな
《35》 2002年6月21日 金曜日
19日に、少しばかりの紆余曲折はありましたが、「行きたい気持ち」を優先させて、三重の多度西 小へ出かけました。1時間ほどで着いてしまいました。予想以上に近くて、近くで時間つぶしをしたほどです。多度大社の近く、山に囲まれた自然いっぱいの学校でした。
さて、授業は5限、3年生の「かさ」の単元の1限目でした。 「一升瓶となべに入った水、どちら が多いか」で授業は始まりました。予想を立て、どうしたら比べられるかを考えるオーソドックスな展開です。ただ、「考える子どもたち」を理想像として研究を進めているだけあって、予想に対しても、その根拠を問い、認識の深まりを追究している教師の姿がよく現れていました。また、それに答える子どもたちの純朴さも印象的でしたが、それよりなにより、わずか12人の子どもたちと10人の教師(私を入れれば11人)の心の通い合いです。付属小の公開慣れした子たちとは異なる普段着の子どもたち。とっても楽しくなりました。これが、地に根付いた授業の姿なのだろうと甚く感心しました。丁度,17日に私の勤務校でも授業研究がありましたが、対照的と言っても過言でないと感じているのです。つまり、都会部で教員生活をしていると遂忘れてしまう授業です(山田正敏教授にも見てほしかったね)。
また、後の事後検討会の雰囲気もとてもよかったです。どんどんと意見が出てきて、サークルで話し合ってるような気分になって、私も感じたことをぺらぺら出し合えて、爽快でした。(多度西の研究推進方針を十分踏まえない私の意見は目障りだったかもね。まあ、それほど自由に発言できたということです)。 あっという間の、3時間でした。 また行きたいと思うけど、難しいでしょうね。 この19日の事については、K校長は一切触れてきません。
[34] 2002年6月15日 土曜日
「疲れた。疲れた」で毎日が過ぎていくようです。きっと、W杯の予選リーグ突破に日本全国が酔いしれているからでしょうか。(この間に国会では医療法案の強行採決をしているのだ)。 また、本日のウィークアップに出ていた井沢元彦は「みんながニッポンニッポンと応援し,君が代を歌っている。どうして日の丸・君が代反対派は、こうした時に反対を叫ばないのだ」と挑発していた。国粋派の台頭を許してはならない。つまり、サッカー選手はお国のためにたたかっているのでしょうかね。オリンピックでもそうですが、「ニッポン、万歳!」と応援していると、右翼が有頂天になる。右翼よ、ちと、短絡的過ぎますぞ。
19日に出向くことになっている多度西の竹中校長から研修方針の書面をいただいた。愛知の校長で は先ず書けないような格調の高いものであった。久しぶりにじっくり読んだ。この方、しっかり勉強して見えます。教育学があるのです。19日が、とても待ち待ち遠しくなりました。 17日には、私の勤務校でも授業研究があるのですけどね。
[33] 2002年6月9日 日曜日
8月並みに暑かった所為もあり、疲れた1週間でした。4日の福祉大の講義は、担当の柿沼さんがお休みで、単なるゲストではなく、すべて自分でやることになってしまいました。大学の講義で、起立・礼をする わけにもいかず、さてさてどう切り出せばよいのか。 だって、学生にしたって、どこのおっちゃんなのか、わかりませんからね。 まあ、暑いのによく我慢して聞いてくれましたね。ただ、あとで送られてきた感想文の中に「まだ、書いていたのに先生は行ってしまった。けしからん」と言うのがありました。私、「もう居ませんか」と問いかけたのにね。それに、次の講義の学生も入ってきかけたので「もういいかな」と思って帰ってきたのに、ちと心外でした。でも、見落としたわけですから仕方ないか。
5日は、通学路の検討会。6日は野外学習の説明会。その間、プール指導も始まりましたからね。本当にいそがしいですね。
[32] 2002年6月2日 日曜日
ワールド・サッカーが始まりました。やっぱり見ました。でも、あの開会式の放送の仕方にはがっか りしました。話なんて、音声で流しておけばよいのだ。解説者やアナウンサー・キムタクの顔なんて見たくもないぜ。あの韓国の演出を見たいのだ。キムタクだって、見たくてしかたがないという感じでしたよ。プロデュースの仕方なんかは、彼の今後の音楽活動にきっと役立つものですからね。 韓国の文化を伝えることをNHKは意識的に拒否をしていたとさえ思えました。 はっきり言って、アナウンサーの声がうるさかったです。みなさんはどう感じられましたか。
さて、この間にも、「日本は核を持てる」との福田の発言。そして「もっともなこと」と本音を言う小泉。ワールドカップで騒いでいるうちに、日本はどんどん戦争国家への道を突き進んでいる。どうするつもりですかね。
[31] 2002年5月25日 土曜日
ちょっとした疲れかな? なんとなく腰のところが今朝から時々キヤッキヤッとくる。腰痛になる前 兆かな? くわばらくわばら・・・・ だって、これから猛烈に頑張らないといけないことがありますからね。興味ある学習会が今日・明日とあるけれど、自嘲したほうがよさそうだ。(でも、これから通夜にいかないといけないけどね)。 さて、6月4日の福祉大の特別講義の構想がまとまりません。 この1学期、算数は「逆移行措置」で、目新しい教材はさっぱりないものね。 全く時間の無駄ではないかとイライラしています。
そんな時、名前も知らない3〜4年生の女の子が、「ナベちゃん、おナベのお湯かげん いかがです か」と話し掛けてきた。 私は、その話し掛け方にドキッとしてしまいました。 ちょっと間をおいて「ポッポッとお湯が沸いているよ。少し冷まさないといけないね」と答えました。すると「そうですか。やけどするといけないものね。ナベちゃん、ガンバッテ!」と励まされてしまいました。 ちと短気な私は、いつも昼に、歯を磨き、顔を洗って、冷静になって、午後の授業に臨むようにしているのです。 でも、こんなふうに話しかれられると、心が和みます。 このところ、「ナベちゃん、ナベちゃん」「おナベ、おナベ」と、もう超人気?で安気に廊下も 歩いていられませんから。
[30] 2002年5月18日 土曜日
五日制になってからは、午後ゆっくりサークルを行うことができるようになりました。ただ、ゆった り気分の所為か、サークルでの原稿を仕上げた後の虚脱感からなのか分かりませんが、各学校の状況を話し合うだけで、ちと深まりがありません。まあ、算数ではj「逆移行措置」が多く、実践ができにく いという事情もあると思います。 それにしても、学校教育というものの急速な価値低下、崩壊というものは深刻です。 親は、真剣に我が子を守るために立ち上がるべきでしょう。
[29] 2002年5月11日 土曜日
確かに学校五日制は助かります。仕事を家に持ち帰ってもおっつかないのですからね。 それに、私は仕事を引き受けすぎているきらいがあります。 そのひとつで、こんなことがありました。 実は,6月の中旬に、三重県の算数研究校に招かれることになりました。 そこで、その学校の校長先生が、私の学校の校長 に、派遣依頼をするわけです。 三重の校長さんは出張扱いであるとばかり思っておられたのに、私の学校の校長は、「教委を通していないので、休暇でしか扱えない」と答えたということで、三重の校長さんは「解せない。不可解に思う」と連絡を下さった(私の校長からは何の話もない)。 まあ、これが愛知の研修に対する姿勢なのです。 愛知では、特色ある学校づくりなんて、こんな親方日の丸ですから、無理な話なのです。 私も、こんなことにエネルギーを使うなんてつまらないことですから、近頃は休暇でさっさと出かけることにしているのです。 (このためか、今年度からは急に「兼業届」を出せと嫌がらせをしてきている) それにしても、愛知県は、どうしてこんなにもひどいのでしょうかね。 そんなことを話していたら、植村さんが「やっぱり、愛知は学閥支配で、井の中の蛙。世間が見えない校長ばかりなんだよ」と。 そうですねえ。 改めて思い知らされた出来事でした。
[28] 2002年5月6日 月曜日
もっと仕事ができたらよかったのですが、お休みはもう終わりです。(仕事など、家庭に持ち込むべきではないのに、長年の習性から私はほとんど家でやる) 。この休み中も相変わらず・・・・。 本当は、このホー ムページを刷新しようと考えていたのですが、二男がヨーロッパへ視察に出かけたため息子夫婦が帰って来なかったので、できませんでした。なにしろ、人に頼りっきりのホームページですから止むを得ません。1ヶ月前のウィルス騒動のようなことは起こしたくありませんからね。
ところで、休み中の27日に「春日大社の原始林」を散策しに奈良まで行きました。6日は岐阜の「大正村」まで出かけました。両方とも、初めての訪問ではなく、二度目です。のんびりした気分になることはできました。明日からの英気にはなったと思いますが、子どもたちはどうかな?
[27] 2002年5月5日 日曜日
ゴールデンウィークもどんどん過ぎ、あと1日です。たんまりと持ち込んだ仕事も大してこなせれていない。「まあ、こんなものかな」と焦りはしないが、先のことを考えるとねえ。 それにしても、先日(4/30)、元同僚であった方がなくなった。年度末に、定年前にして退職されたので、これからカメラを持って、ゆったりと好 きな旅行でもするために、早々に退職されたのだとばかり思っていた。なにしろ、これからの教育界に見切りを付けられた方は予想以上に多かったですからね。サークルでも「うらやましいね」と話していたくらいです。ところが、わずか1ヶ月で亡くなられるとは・・・。 前任校時代がなつかしい。 もうあのように豪快な女教師は出てこないでしょうね。 話が変わるけど、私の従兄弟で、校長をしていたのが、卒業式の当日の朝急死したが、どんな功績があったか知らないけど,叙勲だって。ふ〜ん
[26] 2002年4月26日 金曜日
今年の忙しさは何なんだろうか。「すき間の時間」もなく、ただただ忙しいのだ。みんな、くたばっている。こんなゆとりのなさでは、よい授業もできない。困ったことだ。 ただ、今日は遠足で,東山の一万歩コース[6.2km]を歩き、東山動植物園を歩き回りました。特に、今年は、三上さんの「観察ノート・動物園でウォッチング」を参考に歩かせてみました。私も疲れたけれど,子どもたちも疲れたことでしょう。明日から3連休であることが救いです。
[25] 2002年4月14日 日曜日
ウイルス騒動から少しずつ立ち直っています。でも、すっかりメールをうつのが億劫になってしまいました。さて、14年度が始まりました。緊張した始まりでしたが、算数の授業を始めて気付きました。4年で学 習したことと重複がいやに目立つのです。これを「逆移行措置」というのだそうです。2年で4時間,3年27時間,4年20時間,5年32時間,6年18時間あるのです。5年算数150時間のうち32時間分が重複なのですから、開いた口もふさがらないというところです。簡単に言えば、それだけレベル低下なのです。民間教育運動の中で「学力低下」を叫ぶと、敵の回し者のように批判されますが、学力低下は教科書をみれば、誰でも気付きます。本当に移行期の子どもたちは被害者。一生引きずることになるのです。 困ったことですね。
[24] 2002年4月8日 月曜日
6日に「メールを送った?」との問い合わせがありました[一報]。その時の話から、「ウイルスにやられて いるかもしれない」ことがわかりました。でも、何をどうしてよいのかわかりませんから、2〜3のメールを削除して、ほおっておきました。ところが、翌日、メールをみると、何人もの人から「ウイルスだ」との指摘がありました。浜松にいる二男に調べてもらい、手はずをききました。今まで、ウイルスのことは耳にしていましたが、私には関係ないと思い、防御策は施してはありませんでしたから、早速、セキュリティを買い込みインストールしました。あとは、できるかぎりの人に連絡をするしかありません。私に連絡をしてくれた人は汚染対策をしている人ですが、そうでない人が問題です。なにしろ、無防備ですが、アドレスはちゃんと保存してあるので始末が悪いのです。7日一日がパーになってしまいましたが、とんだことになってしまいました。 ほんとうに迷惑をおかけしてしまいすいませんでした。 それにしても、添付なんてほとんど開けない主義なのに、いつの間にやられたんだろう?
[23] 2002年4月6日 土曜日
2日・3日・4日・5日と連日 学年会があり、おかげで少しずつ、それぞれの思いがわかってき た。学校側からの要求は、『学年経営案』よりも『評価規準』について話し合え」というものであったが、学年にかかわることから進め、評価規準についても、全体的な捉え方をずっと話していて,最後の5日になって、授業をどう進めるのかを話題にした。つまり、授業づくりとの関係で評価問題がでてくるという極めて常識的な考え方とすることを確認しあったのです。だから、「評価規準はこうですよ」なんて資料を先に作るなんてことはしない。教師が授業をこうしたという資料は残すが、評価規準はこうですなんてものを資料として残す気はない。コピーに書き込んでいけば十分なのです。これからは、1年間継続できる取り組み方を考えるべきでしょう。 知恵をどこに使うかです。いずれにしても、子どもの顔を見もしないで、授業や評価を考えるなんてことのナンセンスさに気付く教師でありたいね。
[22] 2002年4月4日 木曜日
2日に担任決めがあった。ずいぶん皆さんの予想とは違っていたらしい。ただ、一部の人には事前に打診があったらしい。私は若干の狂いはあったが、希望は受け入れられた学年であった。やる気は十分である。 ただ、連日の学年会。話し合うことはいっぱいあるが、例の「評価規準」についてであるが、「教務の提案・指示はなまぬるい。きちんとABC規準まで決めるように指示しろ」との意見が出る始末。いかにもやる気満々のポーズ・ゴマスリ・・・・・・。異議を申したてると,教務の返答はまっとうなものであったが、各学年ともABC規準にまっしぐら。となると、教務との八百長かもしれませんね。 そうすることの誤りにどうして 気付かない のでしょうかね。
つまり、「指導と評価の一体化」が叫ばれており、当然、到達目標を明らかにしなくてはならない。絶対評価ともなれば、その規準も考えねばなりません。 ここで大切なことが抜け落ちているのです。「どんな指導をしようとしているのか=授業づくり」の観点です。まだ、まともに教材研究もしていない、学級の子もみていないのに規準を作ろうとすれば、どこかにあるものを引き写すだけです。今や市販テスト会社は具体的に規準を記したCDを付録につけて売り出していますから、すぐ作ろうとすればできてしまうのです。やる気を装ったゴマスリなのです。教師はなんにも頭を使うこともなく、立派に仕事をしていると いうポーズを示すことができるのです。 これにころっとダマされるのも情けない。 しかし、今、大切なことは、どんな授業をしていこうか、していけばよいのかをじっくり話し合うことです。イメージ豊かにすることによって、初めて自分たちの評価基準が浮かび上がってくるのです。「評価」「評価」と評価ばかりを先行させることの空しさを感じないのですかねえ。 こんなだから、東山には教育学がないと言うのです。 30年ほど前、豊田市での講演会のおり、「もっと教師は、ダメな奴はダメと評価するのが仕事であろう」と言う主旨の発言に、遠山啓先生がムッとなって猛然と反論されたことを思い出しましたね。
[21] 2002年4月1日 月曜日
新年度の始まりです。私の勤務校は明日から出勤です。どんな人事が行われるやら・・・。今の校長 は意外性を楽しんでいて、適材とかは眼中にないから、どうしようもない。私の妻の勤務校とは大違いです。まあ、近頃は喧嘩腰になることもしないので、好き勝手にやられているというところですね。一方、教師の側も担任予想をパソコン上で人権侵害もはなはだしくやっているという質の悪さ。これでは、教育改革も何もあったものじゃない。全くもって夢もロマンもありゃしない。 それにしても、 昨年度末で、ずいぶん多くの人が定年前で止めている。本来なら それが正解かもしれない。ぶつぶつ言ってやる教育活動なんて正常ではない。 まあ、初心に帰って、がんばるしかないかな。わが道を行く。マイペースで・・・
[20] 2002年3月25日 月曜日
ちょいと明日から韓国まで行ってきます。天気はあまりよくないようですが、これは仕方ありません。一昨年生まれて初めてハワイへ行ってから、休みごとに海外へ出かけている形になっている。それにともない、今まで一度も欠席したこともないような研究会でも平気で休むようになった(これも一つの成長ですよね)。だって、もう年なのですから、好きなことの幅を広げないと、ますますボケてしまいますからね。 でもまあ、私が海外へと言っても、ツアーばかり、添乗員がついているのばかりを選んでいます。だから、海外の方が,国内よりも安いですからね。
[19] 2002年3月23日 土曜日
本日から春休みになった(正式には第4土曜日での休業日)。一気に仕事を進めた。「学力研」批判の文を書いた。「総合」のレポートを仕上げた。20日に触れたことを一気にやってしまった。そして、本日 は2週連続のサークルです。実践記録をまとめ上げるためのサークルでしたが、さっぱり進みませんでした。私の思ってることとは異なる感じで進んでいるようで、実践記録の書き方に新風をとの意図には程遠いのです。ほとほと分担執筆のむずかしさを感じています。 また来週やることになりましたが、先は見えていません。こんな気持ちで春休みを過ごすのはいやですからねえ。、
[18] 2002年.3月20日 水曜日
小学校の卒業式も終わり、年度末の事務処理もどうやらすんだ。ところが、私はこれから忙しい。春 休みにちょっと韓国に出かけることにしたからだ。今日から頑張ろうと思ったが、どうも調子がでな い。そこで、このページを書きかけたのです。明日中には、「四年生大研究」の原稿の校正をしなくてはならない。増島さんの送ってくれた落ち研のレポート批判も書きたいしね。私は、26日・27日の小学校集会に参加しないから余計書くべきでしょうしね。 いや、23日の授業記録をまとめるサークルの準備も考えねば・・・。 おかげで、充実した日々ですね。 でも、『来年度に向けての研修をせよ。春休みに海外へ遊びに行くのは認めない」とか「全校TTだ。空き時間は認めん。空きが出たら、TTとして他の学級に行け」という校長まで出ている。何を考えて言ったのか知らないが、異常です。
本当に、日本全体がおかしくなってしまった。
[17] 2002年3月17日 日曜日
学年末の仕事もやっと先が見えてきた。要録もほぼ書き込んだ。 さてさて、「次の仕事は・・」というと、サークルで請け負うことにした授業記録の締め切りが1ヶ月早まることになり、23日にも素原稿を書き上げ、春休み中に仕上げるためにピッチを上げることになった。私は、仕上げの段階で忙しくなる計算ですけどね。新たな提案となるのか、ちとサークルの力量が試されます。
この間に、私は『総合学習」の原稿を仕上げないとね。新学期が始まってしまうと、特に今年はしんどでいでしょうからね。 それにしても、「春休み中の海外旅行を禁止した校長が出た」。「新年度に向けて、研修せよ」との理由だそうだ。ちと、行き過ぎじゃあありませんかね。
[16] 2002年3月13日 水曜日
月曜日に、来年度の校内研修・努力点をどうするか、推進委員会が行われた。言っても、どうなるものでもない。どうにかならないといけないのですがね。でも期待できない。その素地がない。ですから、自ずと、私の目は校外に出て行く。私は、こうしたスタイルの活動を厳しく批判をしていたのですがね。いつの間にや・・・・。 今のところ、6月にはN大学で講義、8月には、福井で講演が決まった。、沖縄での公開授業を迷っている。付属小なら、エアコン効いているかな? 汗かきの私にとっては、真夏の授業はきついからねえ。 でも、自分に克つを入れるためにも引き受けた方がいいかな????
[15]2002年3月7日 木曜日
本日は、新教育課程について会議があるはずであったが、中止になった。評価規準の資料が整わなかったからだそうだ。(4月2日以降にやるのだそうな。2日から出勤。去年と変わらんね。それにしても、「夏休みに出勤してやりましょう」なんてごますり発言をされる方が分会長というような職場ですから、労働条件は悪くなる一方です。管理職のやりたい放題なのです)。 ところで、「評価規準」の言葉を耳にするようになったのは、到達度評価が出てきてからだから、ずいぶん古い。ところが、最近騒がれ出したような騒ぎは何なのか。実は実は、不勉強な方々が、いかにも知ったかぶりをするものだから、騒ぎのようになるのです。大騒ぎするところほど、不勉強な職場と言えるのです。 私の職場も例外ではないのです。 だから、私の研究の足場はどんどん職場から遠のく。若い頃、批判していた教師像と同じになってきています。 なんとかならないかと思いつつも、次々、新たな依頼が職場の外から来る。やっぱり、悲しき現状というべきでしょうね。
[14] 2002年3月3日 日曜日
いよいよ3月に入った。あと授業日も14日しかない。 風邪の大流行もわが学級だけは見事にくい止め、2人以上の欠席者を出さないのですから、子どもたちの健康管理もなかなかのものだと悦に入っているのであります。でも、流石に菌は強く、昨日・今日と、私は体がだるくてしかたないのです。集中力はなく、困った状態であるのはまちがいないのです。
さて、小学校の教師は、今が一年で一番忙しいのです。例年の学年末の仕事の他に、来年度からの学校五日制に向けての準備なるものがある。これが、来年度、自分がやる担任の学年とは異なるのに「やれ」というから、誰もやる気が起きない。こんな形での教材研究は無意味なのです。それなのに押し付けようとするから、いいものはできないのです。授業の質の低下が、学力低下を招くものなのです。 まあ、私にはやらせまいとする風潮がはびこっている職場だから、私は、学級のことだけをやるだけです。賢い管理職はうまく私を活用しますが、今はね。でも、今のままくすぶっていては、そのまま退職になってしまいますから、生き殺しされているようなものです。 少し、方策を考えなくては・・・・・
[13] 2002年2月28日 木曜日
来年度の学級編成のことが話題になった時、1年生の30人学級のまやかしが、いかに現場を困らせているかを文部科学省に訴える手立てはないものかと思う。 見せ掛けの30人学級が子どもを駄目にしていることに気づかなくてはおかしいよ。
書類上と違う編成にすることの無駄を考えなくては、教育者にはなれない。
[12] 2002年2月23日 土曜日
どうも身辺でごそごそやっている間に。つまり、基礎・基本論議や総合学習への新たなプランづくりをして、新年度からの実践の有り様を考えているうちに、職場は、私には「総合」をやらせないための画策が着々と進められていることに気付いた。「生活科」のときもそうであったが、相変わらずのレベル。かわらないですね。 全く子どもに目がいってないのです。口先では言いますよ。でも結局は自己防衛・保身しかない。変革なんて無理、特色ある学校づくりなんて、期待ゼロ。 こういう職場を教委も望んでいるとは思えないけど、現実はこの通り。 教育学の成り立つ職場であってほしい。
まあ、ある面では,私もおとなしくしていて、ちっとも闘わなくなっているから、なめられているのでしょう。 やっぱり、組合に加入した方がいいかな。 あまり、ギスギスして、エネルギーを使いたくないから、非組のままでいるけれど、このままじゃあ、やってられないからね。「決断のとき、近し」というところか。
[11] [2002年2月21日 木曜日]
しあわせなことに、忙しい。25日の原稿締め切りを始め、3月に3本も引き受けている。この間、年度末の仕事がわんさかあるから、寝込んでいるひまもない。なのに、こんな日記を書きかけたのは、原稿書きがゆき詰まったからに他ならない。気分転換です。 そんなとき、福井の藤崎(校長)さんが電話をしてきた。夏休み中の研究会のことでした。テーマが「学校五日制の中での学び」という魅力あるものでした。すぐ、乗ってしまいました。どうせ、私の身の回りでは盛り上がってこないテーマでしょうからね。 「うちの学校でも、それくらいの意気込みをもって取り組めるといいけどね」と遂愚痴っぽく話していました。やはり、学校自体に活気がないと教育実践も深まりません。いい管理職だと教師も幸せ気分でがんばれますよね。
[10] {2002年2月20日 水曜日]
本日は、まことにおかしな日でした。校内に不審者が侵入し、警察を要請する事態が起きたのです。給食後の清掃時間中のことでしたので、私は全く知らずに職員室に戻ると異様な雰囲気でした。でも、事情を聞ける雰囲気ではありませんでした。わかったことは、ある教師に食って掛かり,教頭も突き飛ばされたらしいということです。 大阪の池田小のこともあり、子どもたちの安全は確保できるのかと心配しましたが、なんとか。。。
[9] {2002年2月14日 木曜日}
「評価」に関する現職教育があった。この日は、教科に関するもので,簡単に言えば、「評価規準をつくれ」という話である。「絶対評価になる」「評価規準を作って,学年の到達点を明らかにせよ」「各学級の到達点をそろえろ」「情報公開に対応できるようにしておけ」と言う話である。 「指導と評価の一体化」の意味もねじまげられた説明であった。指導以前に評価ありき。これでは、教育論議になりません。なぜ、「指導と評価の一体化」が叫ばれるようになったのか、おさらいが必要と思いましたね。
現実は「一体化」ができていないのです。東山のテストのあり方をみれば明らかです。この4年間を見てきて、全く改革されていません。直そうという雰囲気もありません。長年、もう30年、到達度評価を目指して取り組んできましたが、東山の教師は全く受け入れようとしません。驚くべき体質です。だから、「指導と評価の一体化」という言葉自体が意味をなさないのです。
私にすれば、「指導と評価の一体化」を目指すから、「評価基準」がいると考えているのですが、拘束性ある「評価規準」を押し付けようとしていると思えて仕方がないのです。文部科学省の「指導要領は最低基準」という発言は重みを増します。指導法や授業展開にまで拘束性を持たせるとすれば、東山の教育水準を最低レベルに、教師は一致団結して押し込めることになります。 それこそ、子どもたちの学習権を侵害することになります。 東海地区協のホームページの掲示板上で、「受験数学」の論議が始まっているのは、大いに参考になると思う。
以後3月までに何をするかも結局のところ決まらなかったと思っているが、・・・・・・。
[8] [2002年2月13日 水曜日]
ソルトレイクシティの冬季オリンピック。案の上、ブッシュの国粋主義的宣誓で始まった。アメリカの国威発揚の場と化した感は、まさにヒットラー並である。(マスコミはそのことを伝えない)。21世紀とは、不透明な時代である。民主主義が破壊されていくのでしょうかね。
さて、日本の清水が500mで、銀メダルをとった。1位との差・0.03秒。昨日の時点では0.19秒の差があったから、よくがんばったと言ってよいと思う。それにしても、0.03という世界なんですね。私たちの普段の生活では考えられない世界です。少しは、学校でも意識して生活すべきではないでしょうかね。つまり、けじめのある生活です。
[7] [2002年2月7日 木曜日]
私の勤務校では、本日、校内研修のまとめの会があった。来年度の「総合の時間」について各学年からの提案である。これまでの間、総合の時間なんて、教師の裁量のもと、教師が創意をこらせて取り組む時間を確保するようにすればよいと考えてきたが、だんだん本格実施の時期が近づくにつれ、学年横並びの立案が増え、学級の持ち味を発揮すればよいなんて雰囲気なんて飛んでいる。 結論は見えてきた。 つまり、生活科と同じことなのです。何も実効は上がらない。 もったいない時間が週休2日制の中で、起きる。
それにしても、これで、来年度からの「総合の時間」の準備は完了なんですかね。
[6] [2002年2月4日 月曜日]
知らないうちに、ずいぶん間があいたものだ。 この間、26日に名古屋の名教労の学習会で問題提起をやったが、不完全燃焼でした。なんとなく、問題関心も違っているようで、論議はちっとも深まりませんでした。本当は、この日までに作る予定であった「授業づくり通信」はできませんでした。 できたのは、昨日です。発送もしなくてはなりません。<気付いたら、切手が足りないよ。発送は明日以降となりました>
本日、NHKニュースを見ていたら,親戚の東海大学・堀田知光教授がさい帯血による大人への移植を日本で初めて行ったことを報じていた。本当にがんばりますね。27日の法事の時には何もそれに関することは言ってなかったのにね。 私も負けじといきたいところですが、3月の小学校集会もご無礼して、韓国まで行って来ることに決めました。38度線が見たくてね。 ごめんなさい。 そのかわり、2月の10・11日の全国研究会議で提案をしますからね。
[5] [2002年1月19日 土曜日]
今日は、今年度最後の2時間の授業参観があった(2月は学級懇談会)。全員参加と相変わらずの出席率だった。やったことは、いつものパターンだが、百人一首では、朝 休んでいた子も熱を押してやってくるのだ。かなり力がはいってきた。ウシシシ・・・・。
午後はサークルをやり、内田さんの授業をみた。ビデオを撮った中部大学の西口さんも初めて参加した。一応、これを来月にかけて、しっかり分析することになった。うまくいくかな。本音は、仮説方式の授業なので面白みは少ない。「数教協らしい授業」と言うものを追究する時期ではないのかな?今の情勢からして、そうしたものが打ち出せるかどうかは、数教協の今後に関わることだと思うが、これは私の腹のうちのこと、誰にも言わなかったし、皆の関心もそこらにはないようでした。どうしたものかな?
[4] [2002年1月14日 月曜日 ]
3連休もあっという間に終わりだ。土曜に伊良湖まで菜の花畑を見に出かけただけで、あとは家にこも っていたが、原稿書きの方はあまり進まなくて、今後の予定ばかりが詰まってしまった。まあ、今 問題関心があるこ となので、断る理由もない。すべては4月からの指導要領関連であるけど、どうして、現職は関心がうすいのか。教師の資質の問題でしょうが、内弁慶の典型でもある。 つくずく、教員って、権力的でどうしようもない人間ですね。もっと、謙虚にならないと、未来に明るい教育はできないでしょう。 ほとほとあきれ返ってしまいます。 具体的に書いてみようかな。
[3] [2002年1月10日 木曜日]
名古屋は7日が始業式だったので、本日3日目の授業を終えたのですが、なんかひどく疲れて、やる気がしなくて、この文を打ちかけた次第だ。 その原因は、昨日の授業にある。「分数をタイル図に書き表す」ことをしたのだが、難行。「ぼく、帯分数、知ってるよ」「仮分数も・・」「真分数だって・・・」「そう、じゃあ、図に書いてみようか」と言ったとたん、頭を抱え出した。「9/3を書いたら、3のタイルもね。何か気づいたら、教えてね」 シーンとしてました。あああ・・・ そう言えば、冬休みの宿題での書きぞめのうまい子を15人選びました。学校からの手本で書いていた子は一人だけ。あとは、塾の書体でした。
[2] [2002年1月5日 土曜日]
3日の大雪以来、本当に寒い。今日も雪がちらついていた。今日、植村さんが遊びにきた。私は、地区研究会議を欠席したが、植村さんは数教協の会員でもないが参加した。つまり、第三者的な立場から、会議の様子を聞かせてくれた。 結論としては、子安さんの指摘に対応して論戦できなかったということらしい。子安さんのレジュメに出ている書籍を読んでいる人も少なかったのでしょうかね。だから、「数教協よ、しっかりしろ」と言われてしまうのです。教育学的理論武装が足りないのです。そう思いましたね。 きっと、子安さんの目には「これじゃあ、法則化も数教協も変わらない」と映ったことでしょう
[1] {2002年 1月3日 木曜日}
昨夜年始で、親戚から帰るとき,雪がちらついていたが、今朝起きると、名古屋は一月としては41年ぶりの大雪。17cmの積雪でした。(実は最初にしたことは、箱根駅伝はどうなるのかな?とテレビをつけた。そしたら、この大雪は濃尾平野中心だとわかりました。そこで、なんて思ったかはないしょ)。
昨年末には、オーストラリアで、山火事に出会って驚き、今度は雪。忘れかけていた自然への畏敬の念。地球は怒っている。波乱の幕開けとでも言いましょうかね。
「知的生活をするための教育日記」を書き始めたのは、1989年4月3日である。以来、360号まで、歯に衣 を着せぬ生々しい記事を書いてきたが、今の職場に移ってからは あまり書いていない。 問題を感じなくなったからではない。言いたいことはいっぱいあるが、書いて配ってもどうしようもない雰囲気なので、手控えている間に書かなくなってしまっていたというのが本音です。
しかし、学校、いや、教育の大きな転換点である現在、その時々の様子を現場からメモっていくことには意味があると考えるのです。 それも、インターネット上で書いていこうというわけです。 今までは特定の人が対象であったわけですが、これからは、どなたが覗いてくるかわかりません。不特定が対象になるのですから、やばくなるかもね。 まあ、そんなことを気にするよりも書くことですよね。本音が大事! [2002年正月]