狭心症奮闘記

怒涛の入院中編(下)

「バイパス手術を待つ不安な毎日」

月末と年末にかかっていたのであわただしかったのですが、一つやらねばならない事がありました。それは更生医療を受けることでした。それを受けておけば、医療費の窓口支払いが始めから高額医療費の分を差引いた分ですむというので、申請しておいたほうが良いということであった。それには身体障害者の認定を受けていなければならず、その申請も出しておかなければならずややこしかった。

時間が無かったので手術先の新東京病院の先生に心臓機能障害の認定をしてもらい、障害者手帳の申請を出すと同時に、更生医療を申請するやり方で、市役所の方新東京病院の相談室の方々のおかげで無事年内に手続き終了で、ほっとした気分で、正月と、人類滅亡の1999年の幕が開いたのであった。

正月気分も抜け、入院日まで1週間、手術まで2週間とせまり、どきどきしてきた矢先に、新東京病院の先生より電話があり、年末に更正医療等の関係で一度外来にかかった時の鼻の中の粘膜検査でMRSA(耐性黄色ブドウ球菌)の反応が出ました、ということでした。それは何を示すことかというと、抗生物質のきかない菌でそれを消さなければ手術はすることは出来ないとのことでした。

MRSAを消す治療と言っても、イソジンでうがいをしたり、鼻の中に軟膏を塗ったりする程度だと言ってましたが、週に1度3回陰性反応が出ないと消えたことにはならないそうで、消えたとしても少なくとも3週間から1ヶ月位は手術の先伸ばしとなってしまいました。MRSA反応が消えなければもっと伸びると思います。なんとついていないことなのでしょう。ついてない時とは、こんなものなのでしょうか?トホホ・・・

ということで、入院、手術日は未定となってしまいました。

それからは2月17日まで手術の日程が決まらずやきもきしながら、うがいと薬を飲む毎日で、やっと決まり、次のようなメールをだしてました。

昨日から、暖かい日が続き明日あたりは春一番が吹くと言ってました。そろそろ春の足音が聞こえて来ました。今年はと言うかこの冬はコートも出さずに終わってしましそうです、なんせ11月終盤からですから。

社長には報告遅れましたが、入院、手術の日程が決まりました。3月8日に入院で3月15日に手術です。でも、1月の中頃過ぎあたりから、苦しく成るのではないかと言う不安も無くなりました。もっともそんなことになる原因を作ることもしていないのですが、症状としては完全に落ち着いてしまった感じです。その油断がいけないのかも知れませんが、このまま復帰して切らなくても大丈夫ではないのかなどと考えてしまう程です。

というほどの状態で日々をすごしたのであった。



いろいろあったがついにというかやっと手術入院、その日は来た。

荷物をまとめ歩きで駅まで行き、電車を乗り継ぎ西国分寺から武蔵野線に乗り新松戸を経て松戸に至った。阿伎留病院に入院して以来発作は起こしてなく、病院乗り換えでは階段もあったし、本当に手術しなければならないのか?と思いつつ、また3週間ぐらいは入院生活なので駅ビルで勝つぞとトンカツを食べた。そして本屋で雑誌などを買い込み、13時過ぎに意を決して新東京病院の受付へと行ったのだった。

父親の時は同伴して行ったのだが、今回は自分の番だと、ふっと父親の心境が分かった気がした。

病室に案内されて入っていくとき丁度手術に向かう方がストレッチャーに乗せられて出て行くところだった。1週間後は自分だと心細かったが、一緒にいた母親手前もあり心配させてはなるまいと、至って平静を装い看護婦さんの説明でも明るく答え、あれっ看護婦さんは2年半ぐらい前にはここにいませんでしたか?などと一生懸命盛り上げていたような気がする。

会社及びその関係の方々、友達に励まされながらも、毎日検査、準備などで一日一日が過ぎて行った。開胸手術後のリハビリの為に水槽の中にピンポン玉が並んだような物を吹き上げる練習、使い方を教わる時に思いっきり吹いたら、石川さん本当に心臓悪いんですか?だって。周りを見てみればヤッパリ私の父親の世代の方とそれよりも上と人ばかりで、平均年齢が68だか70歳位だと聞いた覚えがある。

8人部屋の窮屈な部屋で、廊下側の人から手術へ一人一人向かっていったように覚えている。そして向かい側には終えて、戻ってきた人がだんだん良くなっていくのが見える。
月曜に入院したので、週の後半には一週間後にはもうリハビリしてるんだろうな〜などと考えていた。

そんな私を見てもうすぐ退院する方が、石川さんもうすぐだけど、大丈夫?と声を掛けてくれた。や〜もう開き直ってまな板の上の鯉ですよ!というと、石川さん開き直るのはちょっとなげやりだから、良くないよ!と。う〜んそう言えばそうかな? やっぱり全部受け入れるように考えるべきだよ!と。これからずっとこの病気や薬と付きあっれいくんだから、全部取り込んで受けいれなくっちゃ!!。そのあとホント気が楽になったのを鮮明に覚えている。それからはもう平常心でアッというまにその日は来たのだ。


つづく