6月某日 工作員の手近なお手軽古橋コーナー、第2回ー。 風邪引いて病み上がりの状態でちょろっと見てきましたー。 そのため色々といい加減なことを始めにお断りしておきます。 |
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国道125号線で鬼怒川を越えるポイント。 渡りながら上流側に眼をやると、一段低い場所に何やら古びた橋が掛かっているのが見えます。それがここ。 後ろに一段高く見えるのが現国道です。 |
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橋梁名は「鬼怒川橋(きぬがわばし)」・・・ってそのままもそのままですな。 当然の如く新橋の方は「新鬼怒川橋」。 全く同じ名前の橋が栃木県内、国道4号線上にあり、どうやらそちらの方が有名なようです。 まぁ同じ名前も何も、ひねりも何もないそのまんまの命名なので、カブっても致し方ない気はしますが。 |
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見づらいですが。 年五十和昭 功竣月四 古いな。思いの外に充分に古い。 |
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コンクリート製の欄干。 いい感じに苔生してます。 向こうに見える新橋のぴちぴちしたコンクリートとの対比で、一層の貫禄が。 |
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・・・一部貫禄が付きすぎてる所もあったり。 竣工当時のままであれば、これくらいの疲労は止むを得ないでしょう。 |
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下から見た感じだと、後年の補修のせいなのか何なのか、そこまで古いようにも思えません。 橋の上で見た方が歴史を感じるような。 6本の橋脚で鬼怒川を渡っていますが、お隣の新橋の橋脚はぶっといのが3本こっきり。この辺りが時代の違いか。 と言っても後でよくよく見たら新しい方も昭和51年竣工と、新しいと言うほどでもなかったのですが。 |
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橋台の部分の作りがちょっと面白い。 |
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親柱に続く・・・これは欄干と言うのかしら。 親柱のガードなんでしょうけど。これも意匠が面白い。 最初の画像に写っている4トン制標識、根元のコンクリートから新しいものであるのが判ります。 って調べてみたら、9トンから4トンに規制をきつくしたのが今年の2月。新しいわけだ。 山吹色の大型車バリアは表面がプラスチック、コンクリ柱に比べれば車体へのダメージが少なそうで・・・と言っても、既に擦った跡が大量に。 |
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こちらは反対側(八千代町側)。 橋台の形状は見るの忘れました。 |
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こっち側は親柱ガード?が一部失われています。両側とも。 |
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こちら側には仮名書きの銘板。 反対側の柱には「鬼怒川」・・・わかってます。 こちら側の銘板の方が何やら古ぼけてますが、よく考えたら左書き。 こっちの銘板を新しいのに替えたのか? それとも下妻側のを古い意匠で新作したのか。 親柱もこちら側の方が気のせいか、少し古ぼけて見えるのですが。 |
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橋の上の街灯はこれ一本きり。 欄干に金具で付けてありました。 まぁ今の利用状況ならそれほど困らないでしょう。 前述のように新橋の竣工が昭和51年、付け替えが52年のようなのですが、それまではどうだったんだろう・・・国道橋でもこの1本きりだったのだろうか。 |
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橋の上の舗装は黄色いセンターラインが残る事を考えると現役当時のものに思えますが、それほど痛んでいない感じ。 むしろアプローチ部分の方が、後の適当な補修のせいで荒れた印象を与えます。いきなりザりザりの酷い画像になるのは、言うまでもなくこれだけ携帯で撮った写真だからですね。 こちらは八千代町側。旧橋への道が真っ直ぐ繋がるのに対して、左に上がっていくのが新橋へのアプローチ。坂にすると結構な高度差がよく判ります。 |
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国道の方はかなり通行量が多く、合流するのも抜けるのに右折待ちするのも面倒かつ危険なため、上流側にしか用がないクルマはこちらの橋を通っています。 また新橋には下流側にちゃんと歩道はありますが、静かで安全なこちらを選ぶ通行人も多いようです。 特に新橋は前後のアプローチの勾配が結構あるので、自転車なら絶対こっちの方が楽でしょう。時間的に学校帰りの高校生の姿もそれなりに見られました。 老朽化のための重量制限という事ですが、状態と利用状況から思うに、御年六十六歳とは言え、このまままだまだ頑張れるでしょう。 ・・・通行量が少な過ぎると、かえって通るクルマや人を撮影するってのはやりにくいですね、ええ。 結局撮れずじまい。 |
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という事で、突発的病み上がりかんたん古橋ツアーでした。 突発的というか、発作的廃病分自己補給と言うべきか。 |