月のワラウ夜
〜願いの桜〜





 今日もまた、太陽は昇りそして沈む。どんなに月日が流れても、変わらない。
 変わり続ける事が生きる事だと言った者がいる。それは確かに正しいのだろう。俺が見つめ続けた中で、ここはあまりにも姿を変え過ぎている。いや、むしろ俺こそが不自然なのだろう。
 変わりたくても、変わる事を許されない存在。終わる事のない時間の中で、変化すると言う事を忘れてしまった者。いや、これではどうもしっくりこない。
 多分、俺をうまく言い表す事の出来る言葉は無いのだろう。天然自然の中に生まれたイレギュラーだからこそ、こんな難儀な仕事をしている。そんな気がする。

「……雹さん? 携帯、鳴ってますよ」

 言われ、はたと気がつく。どうやら考え事に集中し過ぎていて、電話がなっているのを認知できなかったらしい。考え事に入ると時間が短く感じるが、通知を聞き逃すほどに思考していたのは久しぶりだ。まあ、最近そこまで思い悩む事がなかったと言うのも関係しているのかも知れない。
 俺は懐に手を入れ、黒一色の携帯電話を取り出し確認する。間違い無い、仕事だ。

「……行くぞ」

 一言声をかけて、手を伸ばす。以前まではしなかった事。一人で生きてきた時間を思えば、この時にはもう飛び出している。しかし、幸か不幸か、今は一人ではない。

「はい」

 声に答え、一人の少女が手を差し出し、俺の手を取る。最近の考え事の原因である事などお構いもせず、黒髪を風になびかせ、白いワンピースの裾をちょっと気にしたりしている。俺達の姿は一部の人間にしか見えないと言うのに、だ。
 どうも、女性と言うのは見た目をかなり気にする兆候があるらしい。俺のローブにも何やかやと注文が飛んだが、それは仕事着だからと言う事でどうにか決着はついている。もし決着がつかなかったらどうなっていたのか……。考えるにあまり楽しそうではないのでそれ以上の考察は止めにした。
 そして俺達は、仕事場に向かい出発する。移動手段は己の両足のみだが、距離は近い。軽く地を蹴ればビルの隙間ぐらいは飛び越えられるのに、何か移動手段を使うと言うのも馬鹿らしい話だ。

 今更ながら、自己紹介をしておこう。
 俺の名は雹、職業は魂運び。
 分かりやすく言えば、死神だ。
 そして、彼女の名は真木。俺に取りついた幽霊。
 死神に付き合う、変わり者だ。その気持ちはうれしいが。




 そこは、来るたび騒然としていた。寝間着らしい衣類を着た者達と、白衣を着た者達。それぞれが、ある一つの目的を胸に動きまわっている。そう思うたび、自分はふと虚しい気持にすら襲われるのだ。
 彼らは、死ぬ事を恐れている。だからこうやって、必死に抵抗している。そんな中にやって来る、死を告げる存在たる自分が、酷く虚しく滑稽なものに思えた。

「……向こうか」

 俺も真木も、何も言わない。彼らは生きている者、こちらは……。便宜上で言えば死んでいる者。意識はしないが、その間に一本の越えてはいけないラインがあるのは事実だ。生と死のはざまに何を思うかは、その当人だけが知っている。俺達は、それを他人に選ばせるのみ。死神とは、感情を交えてはいけない。一切の躊躇無く、仕事をこなすだけでいい。感傷はいらない……。言い聞かせながら、角を曲がる。
 そこに、見舞に来た一団がいた。一つの病室、張り紙によるとここで正しいらしい。それを確認すると、俺は閉じた扉をそのまま、すり抜けるようにして潜る。こちらの世界の物理法則には干渉される事など無いから、実際は壁をそのまますり抜けたって良いのだがそこはそれ。分かりやすい言い方をすれば気分とか、ルールと言う奴だ。
 なるべくなら、規則には従う。それが、己に課したルールだから。

「……閑散と、してますね……」
「まあ、見舞い客はさっき帰ったようだからな。こちらもその方がやりやすい」

 俺と真木はそう言い合いながら、部屋の中を一望する。簡素と言う言葉が似合い過ぎるほどはまっている室内。窓の外には、すでに葉を落とした桜の古木。春先には見事なのだろうが、紅葉の時期を過ぎて葉を落とした今はただ物悲しいだけだ。
 しかし、そもそも何故桜がここにあるのだろう。今の人々は、桜の木にまつわるあの話を知らないのだろうか……?

「……誰?」

 などと考えていると、突然声がした。声の主のいる場所は、部屋の中央に据えつけられたベッド。そこに寝ていた少年が、半身を起こしながらゆっくりと声を上げたようだ。
 着ているのは青の縦縞がはいった白いパジャマ。年の頃から言って15、6と言う所だろうか。手入れに時間がかからない様にと言う配慮か、切り揃えられた髪にもしっかりと手入れがされているせいか脂っぽい印象はない。言動も落ちついていて、どこか湖の表面のような静かな雰囲気を持っている。
 特徴や容姿に問題はない、これで間違い無いだろう。俺は何度も確認し、声を紡ぐ。

「……迎えに来た、各務 涼(かがみ りょう)」

 淡々と、必要最低限の声を上げる。その横では、何故か真木がため息に似た重い吐息を吐き出していた。これ以上何を言えと言うのだろう。気の良い冗談など、こちらには必要無いのに。

「自分にも分かっているだろう。お前は……」

 そこまで言いかけて、ローブの袖が思いっきり引っ張られた。唐突なそれに思わず数歩たたらを踏んだ隙をついて、真木が体を前に出す。手には、どうやって掠め取ったのか俺の携帯をしっかりと握っていた。
 瞬間の早業。抜け目ないと言うかなんと言うか……。

「えっと、各務 涼君。君の、胸の病気があるじゃない? それがもう、いいかげんに危ない境地に達しているのよ。それで、これからどうしますかって聞きに来たんだけどさ」

 言おうとした言葉の続きを、真木が声音も高く説明してゆく。最も、その内容はかなりオブラートに包まれてもいたが。隠して何になると言うのだろう、現実はどんな物よりも残酷なのに。
 こちらが何をどうしたところで、死ぬと言う現実に変わりは無い。ならば、早々と現実を受け入れてもらった方が楽になれると思うのは俺だけなのだろうか。少なくとも、真木は俺のやりくちに不満があるらしい。直接的な手法に出なければ、止められないと踏んだのだろう。

「……もって三週間、でしょう?」

 各務は最初と変わらない、どこか澄んだ声を上げてその言い分を認めた。どこか、彼の物言いにはガラスのような印象を受ける。
 美しいが繊細で、触れたらすぐに砕けてしまいそうな。
 真木はそれを見て両目を見開いて驚きを示し、俺は少し感心する。
 自分の死を、笑って受け入れられる存在は少ない。不老不死の研究や延命などが盛んに叫ばれる現在、死を見つめる事の出来る存在は減少の一途をたどっている。生きている以上、必ず死というものは訪れてしまうのだ。それこそ一切の例外なく。
 だからこそ、いかに生きるかと言う事が重要なのだが、それに気がつける存在は驚くほど少ない。
 真理に近づく事の出来る人間は、いつだって少数なのだ。

「……そういう事だ。だが、もう少し早まるな。相当に無理をしている、騙し騙し使っていた時間は、もう残り少ないぞ? だから、俺は選択肢を持ってきた。選ぶ道は三つ。このままこの世界に霊としてとどまるか、審判の門から再生を待つか。誰か一人を呪い、人格ごと消えるかだ。そのくらいは選ばせてやる」

 淡々と、俺は御決まりの言葉を話す。魂運びがこの世界に生きている存在に関われるのは、この選択を投げかけ、魂をこちら側に送るその時だけだ。そういう意味では、死神と言う彼らの表現は間違っていない。我々は、確かにこの世界にとっては死を運ぶためだけにいる者。恐怖と戦慄の対象になりこそすれ、感謝される事などない。そういうものだ。
 そして、その問い掛けに対する解答は、いつだって我々の考えをあっさりと超越する。まあ、九割型『自分勝手な』という接頭語が付くが。
 死を否定する者、自暴自棄になる者、夢だとぶつぶつ呟くものなど様々。大体パターンとしてはこんなものだが、ごく稀に例外も存在する。そして、今回もそんな予感がした。

「…………そう、ですか」

 各務はどこか諦めたような呟きを残し、窓のそとを見る。そこには、桜の古木があった。枝振りからして立派だとはわかるが、この季節だ。落葉樹は秋口になると葉を落とす。この桜もその例外に漏れず、今は葉を落としその枝を寒風にさらしていた。

「期限は、どのくらいですか?」

 各務は静かに、問い掛ける。

「……寝たきりで、無理をしなければ大体一週間って所か」

 俺は事務的に、答えを返す。こういうところで私情をはさんではいけない。

「……だったら……」

 各務は、一つの願いを告げた。



「無茶を言ってくれる」

 俺はまず、吐息と共に呟いた。場所は病院の屋上。
 死期の近い人間には、死神は見える。無論話し声だって聞こえる。エチケットとして、向こうに聞いて欲しくない事をする場合にはこちらから離れるしかないのだ。

「でも、気持は分かりますよ?」
「だが、無茶ではある。俺達に、季節の法則を捻じ曲げる力はないのだぞ?」

 屋上の手すりに座って訴える真木に対し、俺は嘆息しながら声を上げる。残酷かも知れないが、これが真実なのはどうしようもない。自分の能力は正確に把握している分、出来る事と出来ない事はしっかりと分かってしまう。それは時に自分を助けもするが、やるせない気分を味わったりもしてしまうのだ。特に、こういう場合には。

「桜が見たい、か……」

 各務の願いを、ぽつりと繰り返す。彼の病室からは、枝振りの見事な一本の桜が見えた。これが花をつけると見事な眺めで、それを心の支えにずっと病院で頑張って来たらしい。
 気持としては理解出来る。同情も出来よう。
 しかし、この冬にどうやって桜を咲かせると言うのだろう。たとえこの世界の法則をある程度無視出来る俺にも、出来る事と出来ない事がある。個人的には桜を咲かせてやりたい所だが、そんな能力は俺に備わっているわけじゃない。自然の摂理を曲げる事が出来るのは、この世界に干渉できる存在でなければならないと言うルールがある。俺個人ではどうしようも無い。

「しかし、何故こんな病院に桜が……」

 肩をすくめて呟くと、俺は屋上から身を躍らせる。質量と言うものが限り無くゼロに近い体を持っているだけに、高い所から降りてもさほど害は無い。ほどなくして、俺は桜の大木の前に立っていた。
 見る者を圧倒する、見事な枝振り。これほどの古木ならば、樹齢400から500年はあるだろう。
 樹木は長命だ。俺が生まれた頃に植えられた樹が、今もまだ生き続けている。その事に内心苦笑を浮かべながら、ふとその幹に手を当てる。ざらついた感触に、ふと過去の記憶が蘇る。

(……感傷? 俺が?)

 ふと浮いた感情を苦笑でかき消す。死を運ぶ存在である俺にそんなものは不要だ。そうと分かっているはずなのに、幹の一角にあった物を見た瞬間に分かってしまった。己の心の揺らぎを、歪む視界によって。

「……久しいな」

 思わず、俺は一言呟く。届かないと分かっていながら。
 それでも、語りかけずにはいられなかった。

「雹さん? どうしたんです?」

 話しかけて来た真木の方を振り帰る事もできず、俺はただこの桜を見上げていた。
 どうやら、縁と言うものはどこまでも、奇妙なものであるらしい。



 次の日、各務は寝つく事もできず、ぼんやりと外を眺めていた。
 目の前には、あの桜の古木。自分には、この桜が花を付ける様を目にする事はできないと思う。
 桜の樹の下には、死体が埋まっている……。そんな事を言ったのはどこの誰だっただろうか。それでも、桜は綺麗だと思う。いや、そんな生残な死のイメージがあるからなのだろうか、あの美しさは。
 だからこそ、この部屋を選んだ。家族は皆一様に止めたが、死ぬのなら桜を見つめながら死にたかった。しかし、時期があまりにも悪かったのだろうか……。
 
「…………え?」

 変化は、一瞬。それで事足りる。古木の枝の一本から、桜色が芽生え、樹を覆う。見る間に、無骨な樹が華やいだ気がした。
 重く動こうとしなかった体が、今は羽根のように軽い。そのまま一気に窓を開け、身を乗り出す。古木だとばかり思っていた桜は、自分の思った通りに花を咲かせた。寒い風を無視するかの様に、ここだけに訪れた春。
 その桜の樹の根元に、漆黒の影が立っていた。その手に、銀の鎌を輝かせて。

「……これで、満足か?」

 問いかける声。怜悧なはずのそれは、どことなく心配しているように聞こえたのは気のせいかも知れない。だが、各務はあえて、こう答える。始めから決めていた答えを。

「……はい」

 そして頷く。次に動いた唇が、なにかを呟こうとした瞬間。
 身を乗り出しすぎた体は、ゆっくりと下に向かって落下を始めた。



 危ない、と思った瞬間。すでに体は地を蹴っていた。思いきりよく上昇した体は、空中で各務の霊体を捕まえ、壁を蹴りつけて桜の下へと戻って来る。
 力のなくなった各務の体は軽かった。まるで、桜の花びらのように。

「……時間切れ、ですね」
「ああ」

 各務の言葉には、こう答えるしかない。自分から桜の元へと霊体を飛ばしたのだ、もう元の肉体には戻れまい。魂運びのいない状態でそこまでの無茶をすれば、もはや死を選ぶほか無いだろう。
 だから俺は鎌を振り上げる。元からこれが仕事だとは分かっている。だが、どうもこの瞬間だけは何度やっても好きにはなれない。それでも、続けているのは……。
 この一撃で、苦しもうとする魂たちを救えるという思いがあるからだと実感している。

 だから、今日もその一撃を振り下ろした。一切の躊躇も逡巡も無く。
 ただ、各務が次の人生を、幸せに送れるようにと願って。



 俺は桜の前に立っている。病院の前に立っていた、あの桜だ。
 物理的に考えて、変わる事は無いと思っていても。現物を見てしまえば流石に感慨深いものがある。変わり続ける世界の中で、なお変わらないものを見つけてしまったからだろう。
 桜の樹の下には死体が眠る、確かにそうだ。ここには、何人かの侍たちの死体が今も眠っているはずだ。そう、俺も含めて。

「己の墓標、か……」
「どうしたんですか?」

 尋ねてくる真木に、何でもないと首を振る。次の仕事があるまではしばらく自由だ。また空でも見に行こう。変わらないものを見ている方が気は落ちつくが、こいつを見ているのは色々と心苦しいものがある。
 生きていた頃。己の信念を賭けて戦ったあの頃の事は、今も鮮やかに胸に焼き付いている。だからこそ、苦しいのだ。もう、今の自分は、あんな風に信念に己を燃やす事も出来ないから。

「……あ!」

 真木がはたと声を上げて、俺の袖を引っ張る。何ごとかと顔を上げた俺の目に、それは映った。
 狂い咲き、もう散り果てたはずの桜。花を付けたのは一つで、あとはこちらの力で満開であるように見せたはずのもの。しかし、それはまだ咲いていた。
 冬の風に負けないように、強く咲く一輪の横、ひっそりと咲くもう一輪。狂い咲きの桜は、二つあったのだ。そして、この構図も……。

――世も過ぎて 変わり果てるが 常ならば 変わらぬものは 草と月のみ――

 俺は小さく歌を呟くと、そっと空を見上げる。あの月も、この空も変わってはいない。そして、今目の前にある、この桜も。
 感慨に浸る俺の手を、真木がしっかりと握り締めた。何事かと顔を向けると、小さな、しかしはっきりとした声で。

「……私も、変わりませんからね」

 と、小さく付け加える。
 俺はその言葉に何も言う事も、答える事もできず、ただ地面を蹴りつけた。次の場所が、俺を呼んでいる。真木は答えない俺に対してほんの少しだけ笑ったような、気がした。
 そして俺達は、今日も空を行く。



この作品は 参加作品です。



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