| 行程 |
JR相模原駅〜橋本駅〜バス〜町田〜東名町田・横浜〜首都高速〜東北道〜佐野藤岡インター下車〜佐野厄よけ大師 |
| 所在地 |
関東三大厄よけ大師
栃木県佐野市春日岡山2233 |
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今日が明日を開く |
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昨日は
もう、帰ってこないけれど
きのうがあったから
今日がある
そう
今日は昨日まいた種の収穫日
明日はまだ来ないけれど
そう
今日はあしたの種をまく大切な日
今日まく種が
明日 花開き実を結ぶ・・
うれしいな ありがたいな
あなたは今日
どんな種をまいておきますか
今日が明日を開くのです |
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今日の生き方かが明日を開く |
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「一日生きることが、一日進むことである」とは昭和24年日本人で初めてノーベル物理学賞に輝いた湯川秀樹博士の言葉です。 |
| 感想 |
テレビ、ラジオで宣伝しているので一度は行って見たいと思っていた。もっと大きいと思っていたのが実感でした。、1月中は、参拝者もとぎれる事がないらしい、参拝者で目についたのは若い人、たぶん、入社試験、大学試験、高校入試を祈祷に来ているのだろうと感じる。付近に山もなく、ただ広い農地にできた感じもする。このお寺には、そうゆう人が多いののか「今日が明日を開く」等、未来志向の仏教の言葉が目に付く。 |
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佐野厄除け大師本堂
以外と小さい、遠くから列を連ねて待つ。 |
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この寺には、このような所が沢山目に付く。高校生が志望大学に入れるように祈祷している。 |
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佐野厄除け大師の帰路、橋の上から男体山の姿を撮影した |
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足利ぶら旅 |
足利学校・足利公園・古梅山荘 ・鑁阿寺(ばんなじ) |
| 感想 |
初めての栃木県足利市です。佐野厄除け大師の帰路、ぶらり足利の旅をしました、小京都として売り出しているほど、京都化されていなと感じる、それより足利生誕地として売り出した方がより効果がある気がする、市内に、まんべんなく古寺があるが、あまり大きくない、しかし鑁阿寺はやはり国の指定を受けているので素晴らしく、空海上人も来ている所である。川は、あの有名な歌にでで来る「渡良瀬川」が流れており、遠くには日光の男体山の姿が見える。これから観光に力を入れようとする姿が見受けられた。 |
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足利公園から見た、佐野市の街全体勾配がなく、平坦な地に、大したビルもなく、住宅が建ち並んでいる、人口約6万人 |
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足利公園
一番高い所に、なぜか赤字ペンキで「ラーメン」と悪戯書きされていた。 |
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足利学校
栃木県足利市昌平町2338番地
0284−41−2656
日本最古の総合大学と言われています。創建については、いろいろありますが、平安時代の学者・小野篁(おののたかむら)があげられている。室町時代には、上杉憲実によって修理されています。戦国時代にもかかわらず、日本全国から儒学・易学・医学などを学ぶため、3.000以上の生徒が集まったといわれています。 |
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太平記念館内にある鎧
平成3年NHK大河ドラマ「太平記」で足利尊氏役の真田寛之さんはじめ、足利氏ゆかりの深い役どころの方が着用した鎧です。 |
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割烹・旅荘
古梅山荘
懐石料理を食べたが、味は・・?でした
南に面し、庭園が素晴らしい松・梅の木が非常に綺麗である。 |
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鑁阿寺・国指定史跡「足利氏宅趾趾」今から800年前(1196年)鎌倉時代に足利義兼により開創された真言宗の寺。足利市の中央に位置している
鎌倉時代の武家屋敷の面影を現在に伝えるものとして、大正11年国の史跡指定されている。 |
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