■ 私 の 田 舎               ■奇跡の一本松ここは国定公園リアス式海岸高田松原といい、約7万本の松があり、夏は多くの海水浴の客で賑わうところです。中学時代の友人から聞きましたところ、津波が松の上、つまり松が見えなくなる程、高く押し寄せたとの事でした。。
■私の中学は気仙中学校といい、校歌に「海と川のつらなる所、裏松原を庭として、立ちたる気仙中学校」と歌われているようにまさしく、この一本松の裏にある中学校です。
■ 岩手県陸前高田市気仙町
2011年3月11日をもって 町が無くなりました。
■私が子供の頃は人口約3万人おりましたが、津波前約23千人まで減少、主な収入は観光、漁業、これだつた工場なく、芸能人では歌手の千 昌夫、俳優の村上 弘明が生まれた市です。北海道、仙台、東京への出稼ぎ者、就職者がおりそのまま帰ってこない方もいる。
■私が生まれた町、私が通った今泉幼稚園、私が通った気仙小学校、気仙中学校、そして県立高田高等学校、そして多くの肉親を亡くしました
■私の市は、市の中心街は壊滅、市の約70%が津波に襲われ無くなりました。そして市の職員の4人に1人亡くなり、被災地3地(石巻・三陸町・陸前高田市)に選定された市です。
ここは高田市大町の商店街跡です。どこが道路か判りません、路上はがれきで通行不能です。2階の屋根を遙かに超えた津波の高さです。
これは、気仙川に掛かっておりました橋の姿です。鉄骨で作られた丈夫な橋でした。川の向こうには私の家がありました。
これは、気仙町の中心街の姿です。約1キロ離れたところにあった家が流されここまで来ておりました。     
  
 高田中学校の校庭です、津波から約一週間後の姿です、寝る場所も何もかにも無くなった人達が暖炉している姿です。皆さん無口、交わす言葉もありません、、どうすれば良いのか判らなくなつている様子。 私が生まれ、育ち、夏になると「けんか七夕」をやる町の姿です、言葉はありません。涙も流れません。  
高田中学校へ派遣された自衛隊です。水を配給している様子です。 ここは、高田市大石町の住宅街です。
高田中学校に掲示された、安否情報 市役所が発行した物資輸送の為の車両に配布された
ここも、高田市大石町の姿です。 これは、高田市内のある商店の後です。
これは、市営団地です、3階建てですが、屋根の上まで津波が襲ってきました。 高田市竹駒町には、静岡県から派遣された消防車・隊員が応援に来ておりました。
ここは、国道45号前です、海から約100メートルくらい離れている所ですですが、地番沈下されたところです。すっかり地形が変化しておりました。 ここは、加工製品を作る工場でした。残っているのは土台だけです。
どこへ行ってもガレキの山です。 鉄骨類・車・等一応分類されていました。
これは、船が跡形もなく壊れ部品を収集されてある場所です。 自宅を流されテント生活
お風呂は、ドラム間の下からガレキを燃やします。 陸前高田市竹駒町にある仮説住宅です。
私の家の庭に集められたガレキです。 高田市矢作町にある、温泉旅館ですここは「全国自治労」の支援拠点となっておりました。
このテント内で10人の人が集団生活をしておりました。 これは高田市内にある飲食店の店でした。時々テレビ出てくるビルです。3階建ての屋根の上まで津波が来ました。
岩手県一関駅に掲示された、激励文集です。一関市は、平泉が世界遺産に指定されたことに伴い、この掲示板を撤去しました。 陸前高田市の仮設市役所です。
自宅庭に流されてきた車です。 山奥に流された、自宅の屋根の一部です。
ここは、私の家が在った場所です「ここに私の実家がありました。」と説明しているのは私の姉です。 私の家の裏山に流れてきた車と家です。
これも私の庭に流されてきた車です。 私が津波一週間後、わが町の一般的な姿です。
どこへ行ってもこのような姿です。
体育館の周りです。 高田の体育館です
陸前高田市役所です。 残っているのは住宅街の土台だけです。
高田市の中心地でした。JR高田駅があり、遠くにスパー「マイヤヶー」右側にキャピタルホテルがありました。 私が通った気仙中学校です。裏にある体育館は無くなっておりました。
遠くに見えるのは、私が出た県立高田高校です。右手はローソンです。勿論、高校は壊滅、現在隣りにあります大船渡市の高校を借りているとの事です。 これは夜が明けた時休憩し東北道、仙台過ぎたあたりのドライブインへ立ち寄った時の写真です。千葉県袖ヶ浦のナンバーをつけた車が支援物資を積んでおりました。
これは、一関インターでおり岩手県生出町あたりで立ち寄ったスーパーの姿です、食べ物は全部なし。 高田中学校へ派遣されている自衛隊の車両です。
■この写真はほんの一部です、他に写真を撮ることさえできなかった風景・姿を目にしました。現地の人は涙はありません無く暇はないのでしょう・・
「がんばっぺし」私の田舎で使われている言葉です、皆さんと一緒に頑張ろうと言う意味です。
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