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旅日記 |
北海道 〔浪漫函館〕 |
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年月日 |
平成14年10月30・31 |
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利用交通 |
飛行機 バス |
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見どころ |
函館の町並み・五稜郭・湯の川温泉トラピスチヌ修道院・函館の朝市、夜景世界三大夜景
1 ナポリ 2 香港 3 函館
日本三大夜景
1 長崎 2 神戸 3 函館
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行程
一日目
10月30〔水〕・・・・羽田空港12:30・・・・函館空港14:20・・・・トラッ゜スチヌ修道院15:20・・・・五稜郭公園17:00・・・函館洋館・・・・立待岬17:40・・・・函館山夜景18:30・・・・湯の川温泉19:30
二日目
31〔木〕・・・・湯の川温泉・・・・函館朝市・・・・函館港・・・・赤レンガ倉庫郡・・・・函館空港・・・・羽田空港 |
| 感想 |
北海道と言えば、何時もは、日高山脈、旭岳等、山登りにしか来ていなかった、観光旅行は初めてである。なんと言っても、100万ドルの夜景、世界三大夜景でした。函館の夜景の移り変わりは別紙スライドショーにアップしております。
立待岬からは、青森県の下北半島がハッキリ見えました・・・この下には、青館トンネルが通っているのが信じられない・・・、青館トンネルといえば、私が子供の頃のころで、今はさほど話題にはならないが、私自身まさか、トンネルを掘るなんて想像も出来ないくらいだった・・函館の印象は、1 夜景 2 カニ料理 3 ガイドさんのイカ踊りの順であった。町全体は、修道院が多く、古い建物と新しいものが混じっている感じである。
特異なものとして、女子だけの修道院トラピスチヌの身も心も神にささげる姿、すべてを捨てて全寮制の集団生活彼女等の寮の周りには、2メートル高いブロック塀があり、その上に硝子の割れたのが埋め込まれていたのが気になったのは私だけだろうか・・・ここまでやるか・・・と問いかけたいが・・・何故か女性の顔はニコニコ笑顔・・・彼女達と会話をしてはいけないと言われていたので・・少々首をかしげた。
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函館港
1859年〔安政6年〕、横浜・長崎とともに日本初の国際港として開港された
下写真は、当時24歳の若さで、長崎から開拓に来た「渡邉熊四朗」が函館四天王として、創設期の函館の開 拓に業績を残す。 |

函館の倉庫郡「函館ヒストリープラザ」
「森と倉庫の名前がある、中には、金森ホール
、金森美術館、函館ビヤホール、金森洋物館」 |

船は、観光用に浮かべているだけです |
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「摩周丸」2代目
昭和40年から63年まで
本州と北海道を結ぶ
全長132.00M
幅17.90M
定員1.200名
馬力 12.800
速力 21.151ノット
運行回数35.493回
旅客輸送人数11.691.201人 |
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| トラピスチヌ修道院 |
| フランスから派遣された8名の修道女によって創設された、日本最初の女子修道院。約70名の修道女が現在も宗教活動を送っている。一般の人は前庭までしか入ることができない |
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左
神よ、
あなたのことばは
私の希望
私は
あなたのことばを
おもいぬぐす
誌編119の148
と記載さている
右
修道院本堂 |
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| 五稜郭公園 |
| 幕府が北辺防備のため7年をかけて築城した日本初の様式城郭「、現在は市民に親しまる公園として利用されている、春に1600本の桜が咲き、外堀ではボート遊びを楽しんている。 |
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幕府が北辺防備のため7年をかけて築城した日本初の様式城郭、星型、1600本の桜の木が植えられ、外堀ではボート遊びができる。 |
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| 函館山 |
| 津軽海峡に突き出た標高331Mの函館山、函館市内と港を一望できる絶好の展望台 |
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函館山からの夜景です、世界三大夜景
夕方から人が集まり、夜になると、人、人、駐車する場所がありません。 |
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| 立待岬 |
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函館山の最先端、
右
遠くに見えるのは、青森県の下北半島です。
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| 函館の朝市の姿 |
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左
ガイドさん、買うなら、手前の店より、奥に入った店の方がいいですよ。の一言で皆奥の店で購入する
右
宿泊した、湯の川温泉のホテルから撮影した日の出です。 |
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