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金         言
1号
自分自身への説得
説得というものは、他人に対するものばかりとは限らない。自分自身に対して、説得することが必要な場合もある。自分の心を励まし、勇気をふるい起こさねばならない場合もあろうし、また自分の心を押さえて、辛抱しなければならない場合もあろう。そうした際には、自分自身への説得が必要になってくるわけである。私がこれまで自分自身への説得をいろいろしてきた中で、いまでも大切ではないかと思うことの一つは、自分が運が強いと自分に言い聞かせることである。ほんとうは強いか弱いかわからない。しかし、自分自身を説得して、強いと信じさせるのである。そういうことが、私は非常に大事ではないかと思う。
2号
降格は公の心で
部長が適任でない場合どうするか、ということは非常に大事な問題である。日本の会社では、とりかえるということはむずかしいことである。だが、それはやらなくてはならない。やりにくいことをやらなければ物事は成り立たない。断乎としてやる勇気を持たなくてはいけない。そういうときに、一つ勇気を出す方法がある。それは会社は個人のものではない、公のものである、だから個人の情において忍びなくても、公のためには変えなければならない、と考える。実際はそう理屈通りにはいかないが、そのような解釈を強く持つか持たないかによって、それが適切にできるかできないかという差がでてくるのではないだろうか。
3号
経営にも素直な心が
成功する経営者と失敗する経営者の間にある大きな違いは、私心にとらわれず、公の心でどの程度ものを見ることができるか、ということにあると思います。私心つまり私的欲望によって経営を行なう経営者は必ず失敗します。私的欲望に打ち勝つ経営者であってこそ、事業に隆隆たる繁栄、発展をもたらすことができると思うのです。私の欲望にとらわれず、公の欲望を優先させるということは、言葉をかえれば、素直な心になるということです。そのように私心にとらわれず、素直な心で物事を見ることができるようにみずからを常に顧み、戒めることが大切だと思います。
4号
末座の人の声を聞く
みなさんが長という立場に立って会議をする場合、一番若輩と言われるような人からも意見が出るということが非常に大切だと思います。
そしてそのためには意見が出るような空気というか雰囲気をつくっているかどうかがまず問題になります。
だから末座に坐っている人でも、遠慮なく発言できるような空気をつくることが、長たるものの心得だと思うのです。そして、末座に坐っている人から意見が出たなら、葬ってしまうようなことをせず、喜んでそれを聞く謙虚さ、雅量というものを持つことが非常に大事だと思います。それを持っていないと、
そのグループなり会社はうまくいかなくなってしまうでしょう。
5号
世間は神のごときもの
事業が大きくなってくると、仕事もだんだんと複雑になって、そこにいろいろな問題が起こってくる。私は、この問題をどう考え、どう解決すべきかと日々の必要に迫られて、その解決策の根本を求めていくうちに、“世間は神のごときもの、自分のしたことが当を得ていると、世間は必ずこれを受け入れてくれるにちがいない”という考えに行きついた。
正しい仕事をしていれば悩みは起こらない。悩みがあれば自分のやり方を変えればよい。
世間の見方は正しい、だからこの正しい世間とともに、懸命に仕事をしていこう……こう考えているのである。
6号
会社の病気の早期発見
癌は早期発見すれば治すことができるということですが、見てもらったときには手遅れであるという場合も少なくないようです。
そういうことは、会社の経営においても言えるように思います。
“会社の状態がちょっといかんなあ”と気がついたときには、もう末期の状態で手のつけようがないということが往々にしてあるわけです。
ですから、どんなに順調に発展している会社、商店であっても、経営には常に自己診断をすることを怠ってはならないと思います。
そして“この点に欠陥があるな”ということを早く知ることができれば、大きな問題にはならず、手当ても可能だと思うのです。
7号
公事のために人を使う
たくさんの人が働いている企業の中には、いろいろさまざまな職種がある。
けれどもそのどれをとっても、一つとして私の仕事はない。
みな、その企業が事業を通じて社会に貢献していくために必要なものである。
その必要な仕事をやってもらうために人を雇い、人を使っているわけである。
形の上では使う立場、使われる立場はあるけれども、あくまで私のためではなく、公のために人を使うのである。だから、単に私的な感情や利害で人を使ったり、処遇することは許されない。
常に社会の公器としての企業の使命というものに照らして、何が正しいかを考えつつ、人を使うように心がけなくてはならない。


8号
仕事は無限にある
この頃は不景気で仕事がないと言うけれども、今後百年の日本というものを考えてみると、その間に日本の建物という建物はほとんどつくり変えなければならなくなるだろう。
橋や道路も同じである。そういうことを考えてみただけでも、仕事はいわば無限、困るほどにあるのである。
ところがそういう見方をせずに、みずから仕事がないようにし、不景気にしているのが、いまの日本の実情ではないだろうか。これはものの見方を変えないといけない、発想の転換をしなければならない、ということである。
そうしてこそはじめて、わが国に無限の仕事があることがわかるのである。

9号
ありがたいお得意さん
お得意さんの中には、つくったものを持っていくと「これはなかなか苦心してつくってある。よくできている」とこちらが嬉しくなるようなことを言って買ってくださる非常にいいお得意さんもあれば、逆に「こんなものはダメだ。値も高いし、できもよくない。
よそのはもっといい」と持って帰れと言わんばかりのお得意さんもあります。
そのときにどちらがありがたいかということです。
ほめて買ってくださればそれが一番いいけれど、そんないいお得意さんばかりでもかえって具合が悪い。
世の中を甘く見、勉強しないようになるからです。
厳しいお得意さんも、またありがたいお得意さんと言えるでしょう。

10号
世論を超える

一般に、指導者というものは世論というか多数の意見を大切にしなくてはいけない。
世論に耳を傾けず、自分一個の判断で事を進めていけば、往々にして独断に陥り、過ちを犯すことになってしまう。けれども、それはあくまで平常の場合のことである。
非常の場合にはそれだけでは処し切れない面も出てくる。そういう場合には、
指導者は世論を超えて、より高い知恵を生み出さなくてはいけない。
常は世論を大切にし、世論を尊重しつつも、非常の場合には、あえてそれに反しても、より正しいことを行う。
それができない指導者ではいけないと思う。

11号
みずからをつかむ

人それぞれに顔、かたちが違うように、人間は誰しも、一人ひとり違った素質、才能を持っている。
ただそれらは、顔を鏡にうつすごとくには表面に出にくい。
しかし、そういう自分の素質とか才能というものを自分でハッキリとつかみ、そしてそれを日々の活動に、ひいては人生に生かすことができたら、どれだけ人間としての喜びに満ちた生活が営まれ、人生の妙味というものを味わうことができるだろうか。
一人ひとりが他と違ったものを持ち、そして日々新たに発展していく。
そこには苦しみもあろうが、何物にもかえがたい喜びもあるはずである。

12号
自分をほめる心境

私はいま、二十代の夏の日のことをなつかしく思い出します。日のあるうちいっぱい仕事をし、晩にはタライに湯を入れて行水をするのです。仕事を終えたあとの行水は非常にさわやかで、“自分ながらきょう一日よく働いたなァ”という満足感を味わったものです。自分ながらきょうはよくやった、と言って自分をほめる、自分をいたわるという心境、そういうところに私は何だか生き甲斐というものを感じていたように思うのです。お互い毎日の仕事の中で、自分で自分をほめてあげたいという心境になる日を、一日でも多く持ちたい、そういう日をつみ重ねたいものだと思います。

13号
おとなの責任

現代の青年は夢がないとか、生きがいを見失っているとか言うけれども、それは青年自身の問題ばかりでなく、社会の問題、おとなの問題とも言えるのではないだろうか。つまり、おとなというか、その国、その政治が青年たちに生きがいを持たすようにしていない。夢を与えていない。使命観を与えていないのである。たとえ同じ仕事をするにしても、そのことの意義とか価値というものをはっきりと自覚させられ、教えられていないから、迷ったり不平を持って、やがては現代の社会をのろうようにもなるわけであろう。そこに今日の日本の根本の問題があるのではないかと思う。

14号
礼儀作法は潤滑油

私は礼儀作法というものは、決して堅苦しいものでも、単なる形式でもないと思います。それはいわば、社会生活における“潤滑油”のようなものと言えるのではないでしょうか。職場では、性格や年齢、ものの考え方など、いろいろな面で異なる人びとが相寄って仕事をしています。そのお互いの間をなめらかに動かす役割を果たすのが礼儀作法だと思うのです。ですから、礼儀作法というものは、当然、心のこもったものでなければなりませんが、心に思っているだけでは潤滑油とはなり得ません。やはり形に表わし、相手に伝わりやすくし、心と形の両面があいまった適切な礼儀、作法であってこそ、はじめて生きてくると思うのです。

15号
政府を助ける心がまえ

政府は、国民の人気を得なければならないから、なかなか国民に対してイヤなことは言いにくい。だから、だれに対しても、助けましょう、助けましょうと言いがちである。けれども、われわれは政府に頼りすぎてはならない。他をたのまずしてみずからの力で、自分でできる範囲のことを着実にやっていく。そういう気持なり態度というものが最も大切であると思う。そして、政府に救済してもらうというよりも、むしろわれわれ国民の方から政府を助け、社会の進展に寄与していく。そういう心がまえをお互いに持つことが肝要ではないかと思うのである。

16号
信念は偉大なことを成し遂げる

私は、弘法大師の開かれた高野山にのぼって、非常に教えられたことがあります。いまでこそ自動車道路も電車もケーブルもできていて、便利といえば便利ですが、お山を開かれた千百数十年前に、あれだけへんぴなところを開拓し、そこに道場をたてるという弘法大師のご執念というか、信念というものは、想像もできないほど強いものがあったと思うのです。われわれはなかなか弘法大師さんの境地にふれることはできません。けれども、私はそのとき、やはり人の心、一念、信念というものは偉大なことを成し遂げるものだということを痛切に感じて、私も自分の分に応じた一念、信念を持たなければいけないなと感じたのです。

17号
天は一物を与える

この世に100パーセントの不幸というものはない。50パーセントの不幸はあるけれども、反面そこに50パーセントの幸せがあるわけだ。人間はそれに気がつかなければいけない。とかく人間の感情というものは、うまくいけば有頂天になるが、悪くなったら悲観する。これは人間の一つの弱い面だが、それをなるべく少なくして、いつの場合でもたんたんとやる。信念を持っていつも希望を失わないでやることだ。「天は二物を与えず」と言うが、逆に「なるほど、天は二物を与えないが、しかし一物は与えてくれる」ということが言えると思う。その与えられた一つのものを、大事にして育て上げることである。

18号
ほんとうの勇気

私は一般的に、ほんとうの勇気というものは一つの正義に立脚しないことには、また良心に顧みてこれが正しいと思わないことには、湧いてこないと思うのです。だから、勇気が足りないということは、何が正しいかということの認識が非常にあいまいであるところから出てきている姿ではないかという感じがします。人びとがそれぞれに自問自答して何が正しいかということを考える。そして、この正しさは絶対譲れない、この正しさは通さなければいけないという確固とした信念を持つならば、そこから出てくる勇気は、たとえ気の弱い人であっても非常に力強いものとなる。そういうような感じを私は持っているのです。

19号
縁あって

袖振れ合うも他生の縁--という古いことわざがあるが、人と人とのつながりほど不思議なものはない。その人が、その会社に入らなかったならば、その人とはこの世で永遠に知りあうこともなかっただろう。考えてみれば人びとは大きな運命の中で、縁の糸であやつられているとも思える。こうしたことを思うと、人と人とのつながりというものは、個人の意志や考えで簡単に切れるものではなく、もっともっと次元の高いものに左右されているようである。であるとすれば、お互いにこの世の中における人間関係をもう少し大事にしたいし、もう少しありがたいものと考えたい。

20号
商売は真剣勝負

商売は真剣勝負である。真剣勝負では、首をはねたりはねられたりしているうちに勝つということはあり得ない。それと同じで、商売は、ときによって損もし、得もするが、それを繰り返しているうちに成功するものだ、などと考えるのは、根本的に間違っている。熱心にやるからには、失敗なしに成功しなければならない。うまくいかないのは、環境でも時勢でも、運でも、何でもない。その経営の行き方に当を得ないところがあるからだと考えなければならない。真の経営者は、不景気に際して、かえって進展の基礎を固めるものである。まず世間的な、信念のない考え方を改めることが大事であろう。

21号
素直な心の初段

聞くところによると、碁を習っている人は、大体1万回くらい碁を打てば初段になれるということです。素直な心の場合もそれと同じようなことが言えるのではないかと思います。まず素直な心になりたいと朝夕心に思い浮かべ、そうしてたえず日常の行ないにとらわれた態度がなかったかを反省する。そういう姿を1年、2年と続けて、1万回、約30年を経たならば、やがては素直の初段ともいうべき段階に到達することもできるのではないかと思うのです。素直の初段にもなったならば、まず一人前の素直な心と言えるでしょう。だから大体において、過ちなき判断や行動ができるようになってくると思います。

22号
不確実な時代はない

不確実性の時代と人はよく言います。事実、思わぬことが次つぎと起こって混乱することがよくありますが、私は不確実性ということは肯定しません。なぜなら、不確実な現象は全部人間自身の活動の所産であり、人間自身が不確実な考えを持ち、不確実な行動をするところに起こってくるものだと思うからです。だから、不確実な考えや行動をやめたら、確実になってくる。そういう自覚で仕事をすることが大切だと思います。未来は“確実性の時代”だという発想の転換、未来に対処する基本的姿勢の転換こそ、今日、私たちお互いの緊急重要事ではないかと思うのです。

23号
まず好きになる

「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、これは商売についてもあてはまります。商売を繁栄させたいと思えば、まず商売にみずから興味を持ち、好きになることです。好きになれば努力することが苦にならない。むしろ楽しくなる。そしてただお義理や飯のタネにするために事を運ぶというのではなく、誠心誠意それに打ち込む。そこにこそ繁栄への一つの道があると思います。適材適所ということが言われますが、私は、適材適所とはそうした商売の好きな人が商売に当たるということであって、そうなれば千人が千人とも望みを達することも決して難事ではないと思うのです。

24号
真剣に取り組む

大相撲は相変わらずの人気である。私はその勝負が一瞬の間に決まるというところが好きである。力士の人たちは、その一瞬の勝負のために、毎日朝早くから夜おそくまで文字通り血のにじむような鍛錬をし、稽古にはげんでいる。そしてその成果を土俵の上で一瞬の間に出し尽そうというわけだ。われわれも、いま自分の担当している仕事を本業として、これに打ち込んでいるだろうか。大相撲の人気というものの裏には、日夜稽古にはげむ力士の姿があることを思って、われわれもまた、自分の人生、自分の本業というものに対して日々真剣に取り組んでゆきたいものである。

25号
信賞必罰

“信賞必罰”すなわち、罰すべき罪過ある者は必ず罰し、賞すべき功ある者は必ず賞せよということ、これは人間が存在するかぎり、程度の差はあっても絶対に必要なことであろう。これが行なわれない国家社会は、次第に人身が倦み、やがては必ず崩壊してしまうだろう。国家だけではない。会社、集団、家庭どこにおいても、これは決してないがしろにされてはいけないことだと思う。ただ、ここで大事なことは、信賞必罰といっても、常に適時適切でなければならないということである。これは微妙にして非常にむつかしいことで、これが当を得なかったならば、かえって事を誤ってしまうことになる。

26号
人に尋ねる

自分の才能に向くような仕事を自分で考えて進んでいくことが非常に大事だと思う。ところが、自分の才能というものは、自分ではなかなかわからない。そのときには自分の信頼する人の言葉を聞くとよい。しかし素直な気持で聞かないと、先輩の正しい言葉が正しく自分の耳に入らない。私も、自分でわからないことは、素直な心持になって先輩に尋ねることにしている。そして静かに考えていけば、必ず行く道は自然に決まってきて、希望が持てると思う。しかし、野心とか欲望とかいうものを強く持つと、そこに無理が生じ迷いが起こってくるような気がするのである。

27号
永遠に消えないもの

高野山にはたくさんの墓があります。その中で一段と目立つ立派な墓は、おおむね大名の墓だそうですが、その大名の墓も、今日では無縁仏になっているものもあるということです。昔は相当の一家眷族を養い、しかも明治になってさらに華族として、財産も保護されるという状態が長く続いたにもかかわらず、そういう変化があったということを考えてみますと、人間のはかなさというものを身にしみて感じます。やはり世の中というものは形ではない。いくら地位があり財産があっても、それはいつまでも続くものではない。結局、永遠に消えないものはその人の心であり、思想であり、この世で果たした業績である、そう思うのです。

28号
心を磨く

人間の心というものは、ほんとうに自由自在なものだと思います。
何か困難な問題が起こったとしても、心の働きによっていかように
でも考えられると思うのです。
もう辛抱できない、あしたにでも自殺したいという場合でも、考え
方を変えるならば、一転して、あたかもひろびろとした大海をゆく
がごとき悠々とした心境に転回することさえできるのです。それが
人間の心の働きというものでしょう。
ですからわれわれは、これから仕事をするに当たって、まず心を磨
くというか、ものの考え方を成長させる必要があります。そういう
心の働きに、今まで得た知識を加えてやっていけば、必ず大きな成
果が生まれると思います。

29号
道にかなえば事はなる

雨が降っても、傘をさせば濡れないですむ。
それが道理にかなった方法だからである。
仕事や商売もまたしかり。
指示を受ければ必ず結果を報告する、物を売れば必ず代金をいただく。
そのように道にかなった方策を確実に励行していくかぎり、仕事も商売も、もともとうまくいくようになっているのである。

30号
百聞百見は一験にしかず

砂糖の甘さ、塩の辛さはなめてみないとわからない。いくら水泳の講義を聞き、畳の上で練習を重ねたとしても、やはり実際に水につかり、時には不覚の水も飲まないと、泳ぎは身につかない。体験の尊さがここにある。百聞は一見にしかず≠ニいわれるが、百聞百見は一験にしかず≠ニもいえよう。

31号
笑顔が嫌いな人はない

人の好みはみな違う。だから同じ一つの物をもらっても喜ぶ人ばかりとはかぎらない。しかし誰もが好むもの、誰の心にも潤いを与えるものがある。それは笑顔。ニッコリと応対されて、気分を害する人はいない。笑顔こそいつでもどこでも誰にでもあげられる、お金がかからず、しかも値打ちのある贈り物といえよう。
 

32号
まだまだ工夫の余地がある

たとえいま、これが一番いい方法だと思って行なっていることでも、立場を変えて見れば、不満足な点がいろいろあるものである。まだまだ工夫改善の余地があるはずだ。そんな思いで、お客様や周りの人の意見に耳を傾け、検討し、改めるべきは改めていきたい。日々新たな活動が、そこから生まれてくる。